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2010-06-30

【千代田区】神田田代町

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神田田代町は、かつて千代田区に存在した旧町名です。昭和39年に消滅し、現在は外神田4丁目の一部となっています。場所は、秋葉原ドンキホーテあたりです。これを見つけたのは、3年前でしたので現在も残っているかはわかりませんが古めの雑居ビルに掲げられていました。恐らく現存する最後の「当時からの」町名標記でしょう。アキバにお越しの際には是非チラ見していってください。

この旧町名から連想するものといえばやはり、大洋ホエールズオバQこと田代富雄選手でしょう。


なお、この町名の由来や区域等の詳細は、千代田区のHP内でものすごく詳細に説明がされております。千代田区もいい仕事しますね。ちなみに「神田代地」を略したものが「田代」となったそうな。


マーシー

[発見日:平成19年7月15日]

[町名由来出典元:千代田区総合HP

2010-06-29

【文京区】駒込吉祥寺町

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 駒込吉祥寺町は、かつて文京区に存在した旧町名です。昭和40年頃に消滅し、現在は本駒込3丁目の一区画です。旧町区域内には町名の由来となる吉祥寺というお寺があります。

 この吉祥寺ですが、武蔵野市のあの「吉祥寺」と関係があるのです。ただ名前が同じということではありません。この駒込吉祥寺町に住んでいた人々が移り住んだところが、現在の「吉祥寺」なのです。この旧町名は「元祖吉祥寺」なのです。

この旧町名を発見したのは、昨年末年の瀬迫るあたりでしたので約半年経過していますが、もうこの表札はないでしょう。というか、駒込吉祥寺町の表記があるものは消滅したと思われます。この写真のものは、この時点で新築分譲住宅!土地のみでも売ります!といった張り紙が貼ってありました。恐らくもう売られていると思いますので、この表札も取り除かれていることでしょう。こういう、地味でありながら、当時確かにこの地にこの旧町名があったことを証明する資料を都が保存しておけばいいのになあと、考えながらこの表札を眺めていました。

[発見日:平成21年12月28日]

2010-06-28

【港区】麻布笄町

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 麻布笄町(こうがいちょう)は、港区にかつて存在した旧町名です。現在の西麻布2、3、4丁目の一部と南青山の一部にわたる、広範囲の町域であったそうです。広範囲ゆえに、探すのが非常に大変でした。坂の上の高級住宅外的な区域の一角で、この表札を発見いたしましたが、この御宅は取り壊し予定のものでした。

 したがって、今はもう無くなっている可能性が非常に高いと思います。無くなる前に見つけることが出来てうれしい反面、やはりこういった東京の地味な部分の歴史が着々と、粛々と無くなっているという現実が悲しくもあります。

 しかしこの旧町名、普通の国語力ではまず読めないですよね「こうがい」って。かっけーです。由来は忍者の「古賀」「伊賀」に関係があるという説があるとかないとか。


[発見日:平成22年5月30日]

2010-06-27

【北区】稲付町

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稲付町(いねつけちょう)は、北区にかつて存在した旧町名です。昔の地図(昭和31年)を見ると、赤羽駅を挟んで東西にまたがる広範囲の町だったことがわかります。現在は赤羽西および赤羽南の一部です。

この町名は、荒川の氾濫で稲が台地に付着していたことに由来するそうです。この稲付町の近くには「稲付○○町」という旧町名が数多く存在していたところをみると、当時は、稲付>赤羽だったのでしょうか。(赤羽の冠を付けていたのはかつては「赤羽町」のみでした)

次回北区を紹介する時は、稲付○○町の中からご紹介いたします。とはいってもなかなか見つかっていませんが。


[発見日:5月22日]

2010-06-26

【足立区】伊興町前沼

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伊興町前沼(いこうちょうまえぬま)は、かつて足立区に存在した旧町名です。町名の表記が変ですよね?別に間違えて書いているわけではないです。この「伊興町前沼」の「前沼」は小字というものでして、かつては前沼を含めて16つ存在していました。さらにこの小字は23区内でこの伊興町のみが戦後、平成までありましたが、平成11年に完全に消滅してしまいました。

しかし、平成まで存在していたことによってこのように、普通に見られる行政の標識でも残っているものがありました。

この伊興町○○ですが、ほかの顔ぶれを挙げますと、

伊興町谷下、伊興町聖堂、伊興町五庵、伊興町狭間、伊興町白幡、伊興町見通、伊興町大境、伊興町諏訪木、伊興町一丁目、伊興町五反田、伊興町本町、伊興町吉浜、伊興町番田、伊興町京伝、伊興町槐戸

現在の日本で御目にかかれそうにないような町名のオンパレードのようですね。槐戸なんて、なんて読むのか皆目見当もつきませんが、(さいかちど)と読むのだそうです。

ちなみに、現在発見しているのは前沼のほかは、「見通」、「大境」、「本町」ぐらいです。なにせ範囲が広く、畑や空き地しかないところもあるので大変でした。


[発見日:平成22年5月22日]

2010-06-25

【港区】麻布霞町

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麻布霞町は、かつて港区に存在した旧町名です。現在は西麻布1丁目でして、青山墓地六本木通り首都高が隣接していますが、その昔(江戸時代前)は武家屋敷しかなかったそうですが、いまはオフィスビルしかない。ということでもなくちらほら古い民家も存在してはいます。ただ、空き地も目立っていますのであと数年でまた景色が変わるのでしょうか。


ここ数回は港区シリーズが続いています。港区は特に開発が現在進行形で進んでおります。早く見つけないと東京の歴史を残せない!という勝手な使命感に、旧町名の多さ、名前の珍しさも加わった結果のこの港区シリーズ中です。今後もなるべく港区を優先して探索、紹介をしたいと考えております。

ちなみに、文京区渋谷区は現存する旧町名は大分発見できておりますので、港区もこれに続けと、貴重な土日の休日を費やそうと思います。


[発見日:平成22年5月30日]

2010-06-24

【港区】麻布龍土町

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麻布龍土町(あざぶりゅうどちょう)は、かつて港区に存在した旧町名です。

名前の由来は、諸説あるらしいですが、かつて芝のあたりにあった「狩人町(かりゅうどちょう)」が転じたというダジャレのような説があり、おもしろいです。

名前中の漢字で、正しいのが「龍」なのか「竜」なのかはわかりませんが、このあたりの現地名「六本木7丁目」よりかは、7倍かっけーです。



あっ、六本木だから6倍の方がいいか。


この標識はミッドタウンが北に、ヒルズが東に位置する大変ギロッポン臭漂う感じのところにありました。バブルと寝た町って感じでしょうか。いや、それじゃあ龍土町に失礼ですね。町に罪はありません。お金に罪があるのです。

ちなみに、隣接して「麻布新龍土町」という旧町名があるはずなのですが、完全に姿を消していました。残念です。故になおさらこの「麻布龍土町」を大切にしていただきたいなと。



[発見日:平成22年5月16日]

2010-06-23

【港区】麻布今井町

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麻布今井町は、かつて港区に存在した旧町名で、現在は六本木4丁目の一部です。

町名は、このあたりに今井四郎兼平の居城があったことに由来するそうです。

場所としては、ほとんど「アメリカ大使館があるところ」で、さらに首都高も隣接しています。そういった状況を鑑み、絶対に民家も旧町名も見つからないであろうと諦めていました。ここは素通りを決め込み「麻布三河台町」を見つけるついでと、通り道感覚でいたところ、偶然見つけることが出来たのです。

ちなみに、「麻布三河台町」は見つかりませんでした。麻布三河台町に限らず、この界隈ひいては港区自体が再開発等によって古くからの民家が姿を消しております。したがって、一日でも早く優先的に探しまわるべきであると、考えておる次第です。

どうでもいいことですが、「ひいては」を江戸ッ子が言うと「しいては」になるのでしょうか。

[発見日:平成22年5月16日]

旧町名由来出典元:「麻布細見:麻布今井町」

2010-06-22

【東京市大森區】田園調布

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田園調布大田区の町名でして、現存しております。

しかし、今回ご紹介するのは、2重に貴重なんです。


まず、「東京市」!1943年まで東京23区は「東京府東京市」だったんですよ。

さらに「大森區」!これは有名な話だと思いますが、現在の「大田区」は「大森區」と「蒲田區」が、文字通り合併してできたものです。

つまり、「東京市」で「大森區」ということは、確実に戦前からのものと思われます。現在のものに変えることもできると思いますが、現存させているのはやはり強いこだわりをお持ちなのでしょう。このまま残し続けていただきたいものです。



[発見日:平成22年4月10日]

2010-06-21

【墨田区】厩橋

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写真が見づらくてすみません。厩橋(うまやばし)は、かつて墨田区に存在した旧町名です。現在は「本所」という町名ですが、「厩橋」という橋は現在も健在です。なお、新町名の「本所」というのは、墨田区の元となった「向島區」と「本所區」のうちの「本所」ですので、旧町名が失われたから残念だ…とも言い難い感じです。

なお、なんで「厩橋」が消滅したか。

「厩」が当用漢字じゃなかったからです。


[発見日:平成21年5月10日]

2010-06-20

【港区】芝西久保巴町

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芝西久保巴町は、かつて港区に存在した旧町名です。

現在は、虎の門あたりのところですが、写真は公共の標識です。公共の標識が残っているところは割りと地名が残っていたりします。ここも数多くのこっていました。ただし、このあたりも再開発が進行中ですので、そのうちなくなることでしょう。


[発見日:平成19年4月17日]

2010-06-19

【下谷區】金杉

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金杉は、台東区にかつて存在した旧町名です。

町名の由来は「金曽木」が有力らしいですが、正式には不明だそうです。現在は下谷の一部で、東京メトロ日比谷線下谷駅近くです。この「金杉」は、現在も「金杉通り」という形で名前を残しております。


この表札は、近くの寺のものですが、台東区ではなく「下谷區」となっているところを見ると戦前からの建物なのでしょう。この下谷區と浅草區が合併して「台東区」が誕生しました。

なお、今回の旧町名由来の出典元のサイトさんは、台東区中の旧町名を取り扱っており、大変な情報量です。わたくしなど足元にも及びませんので、台東区に関する詳しいことは区役所HPかこちらをどうぞ。

今後の台東区における私の当ブログの位置づけとしては、出典元サイトさんにある情報の旧町名が、現在も残っているのか、本当にあったのか等、確認・検証サイトとしてさせていただければありがたく存じます。

浅草下谷散歩(出典元)

[発見日:平成22年1月30日]

2010-06-18

【文京区】指ヶ谷町

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指ヶ谷町(さしがや)は、かつて文京区に存在した旧町名です。昭和41年の町名変更によって現在は白山の1、2、4、5丁目となっています。

白山といえば、先の全日本大学野球を制し、現在箱根駅伝2連覇中の東洋大学の本拠地です。昨今の都内における大学の都心回帰をいち早く行い、また、全国的に夜学(2部)の廃止となる中で唯一夜学を存続させるばかりか、学部を増やすなど、わが道を行くのがこの東洋大学です。

さらに、校舎改築によって地上16階建のシンボルタワー的建物を建設し、「うわーこんな立派な建物で講義を受けられるなんて都会の大学はすごいなぁ」と田舎者を釣っておいて、実はその建物は全部教授棟、講義棟ではなかったという、そんな悔しい思いで4年間を過ごすはめになり、卒業後はなんとなく就職し、旧町名探しに貴重な休みを費やしている学生を輩出いや排出した大学がこの東洋大学です。

あと、オードリーの若林さんやオテンキのお二人、Wコロンのねずっちさん、阿修羅・原さんなど、今が旬のみなさんがOBです。



そんな指ヶ谷町です。

この「指ヶ谷」の由来ですが、江戸時代、時の将軍3代目家光公がこのあたりに鷹狩りに赴いた際に、まだ谷であった一帯を指し、そのうち人が住むであろうとおっしゃった為に「指ヶ谷」となったとのことです。

じゃあ、そのうち人が住むであろうと言いながら懐刀で家臣を刺していたら「刺ヶ谷町」になっていたのかな。そのうち人が住むであろうと言いながら腰を振っていたら「こしがや」になっていたのかな。


東洋大学

神田川まる歩き(町名由来出典元)


[発見日:平成21年12月26日]

2010-06-17

【渋谷区】竹下町+α

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竹下町は、かつて(略


というわけで、昨日の続きで、竹下町をご紹介する予定でございましたが、写真のとおり「竹下町?」といった感じです。

期待していた方はいらっしゃらないかとおもいますが、本当に申し訳ありません。





でも大丈夫、竹下町はみんなの心の中で生き続けているから!






本当にすみません

かわりとして、渋谷区の旧町名案内を掲載します。

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これは、恵比寿駅前の明治通り交差点近くにあるものです。写真は、地図だけですがこの下の部分にはちゃんと旧町名ごとの紹介文が記載されています。渋谷区はいい仕事をしますね。これさえあれば私のこの企画、いらねーじゃん!そうだ、自治体に任せればいいんだ。それでは、残りは23区さんお願いしますね。

いや、この企画はあくまで、本当に旧町名があったのか?の確認検証作業ですので地道にやっていきますよ。

検証結果としては、金王町(こんのうちょう)をはじめ、ほぼすべて存在していませんでした。現存が確認できたのは、「常磐松町」、「氷川町」のみです。金王町なんかは、絶賛再開発中でしたのであるわけがないです。


[発見?日:平成21年12月19日]

2010-06-16

【渋谷区】原宿

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原宿はかつて渋谷区に存在した旧・・・・・・・っていつものお堅い出だしで始まりましたが、いまさら説明不要のこの「原宿」です。ちなみに「はらじゅく」って読むらしいですよ。みなさん覚えて帰りましょうね。


で、なんで旧町名のこの企画に、「原宿」なのかといいますと、この「原宿」という町名は昭和40年に消滅しており、現在の「原宿」は、「神宮前」という住所なのです。ただし、「原宿駅」は健在ですし、修学旅行といえば原宿クレープかってくらいなもんですよ。

さらに、あの竹下通りの「竹下」ですが、ウィッシュさんのお爺ちゃんで元首相の故あの人でもなければ、クイズダービーのあの人でもなく、同じく昭和40年に消滅した「竹下町」のことです。この「竹下町」ですが、実は1件だけ表記が残っているのを確認できました。

では明日は、その「竹下町」をご紹介いたしまウィッシュ。







何年遅れだよ!

[発見日:平成21年12月19日]

2010-06-15

【新宿区】柏木

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柏木は、新宿区にかつて存在した旧町名です。現在は、青梅街道の北側、西新宿7、8丁目、北新宿高田馬場あたりまで「柏木」でした。

この「柏木」ですが、わたしがこの旧町名探しを本格的に始めたきっかけの町名となります。当時住んでいたアパートの向かい側一帯の長屋造りのアパート群すべてが「新宿区柏木」という表札を掲げており、一方で高層ビル群、一方で「新宿区柏木」。何か和洋折衷?古今東西?今昔物語?的な趣を感じ、今に至ります。どうも表現力というか文才にかけた文ですな。

ちなみに、この写真は、「新宿区」ではなく「淀橋區」です。

このあたりの老舗料亭の立派な門に掲げてありました。


[発見日:平成20年5月28日]

2010-06-14

【新宿区】十二社

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十二社(じゅうにそう)は昭和45年まで新宿区に存在した旧町名です。読み方に特徴のある町名ですが、由来は熊野神社の十二所権現とのことです。現在は西新宿4丁目となっており、町名は消滅してしまいましたが、十二社温泉という天然温泉の施設があります。

わたくし、この「じゅうにそう」という地名と読み方を気に入っており、私のハンドルネームやらメールアドレスもこれに由来したりしなかったりします。

[発見日:平成21年11月21日]


十二社温泉

2010-06-13

【新宿区】角筈

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角筈(つのはず)は、新宿区に存在した旧町名です。昭和45年から部分的に町名廃止がはじまり、昭和53年に完全に消滅しました。かつては、現西新宿の大部分、新宿歌舞伎町の一部分までがこの「角筈」でした。

地名の由来は、このあたりを開拓した渡辺氏の髪の束ね方が「角」や「矢筈」に似ており、それが転じて「角筈」となったというのが新宿区教育委員会の見解とのことです。

かつての角筈の区域は、現在は民家も少なくほとんどがビル、オフィスです。この写真は現在の西新宿3丁目で発見したものですが、このあたりも再開発が決定し遅かれ早かれ消滅してしまいます。しかし、いまだ表札に「角筈」を掲げておられる御宅が多いのがうれしいです。

[発見日:平成21年12月19日]

2010-06-12

【新宿区】淀橋

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淀橋は、昭和45年まで新宿区に存在した町名で、現在は西新宿6丁目あたりです。

ヨドバシカメラの「ヨドバシ」も、この淀橋のことというのはあまりに有名です。現在西新宿に広がる高層ビル群。ここはかつて「淀橋浄水場」がありました。

さて、この写真は西新宿6丁目で発見したものですが、本日、数年ぶりにこのあたりを訪れて確認してきました。この写真のものは健在していましたが、他に見つけた古い建物はすでに無く駐車場になっていました。このあたりはバブル期の地上げ攻勢によって、荒れに荒れていましたが、現在はオフィスビルが次々に建設されているようです。

[発見日:平成19年1月27日]

2010-06-11

【中央区】本町

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中央区本町は、現在も残る町名です。一見この企画の趣旨から外れているじゃん、早くもネタ切れか、と思われるでしょうが、写真をご覧ください。よ〜くご覧ください。



日本橋區」



中央区」じゃなくて「日本橋区」です。その昔(昭和22年まで)東京市が35区だった時代があり、さらに遡れば昭和7年までは15区でした。いずれも「日本橋区」は存在しておりまして、23区成立時に隣接する「京橋區」と合併して現在の「中央区」になりましたとさ。

現在の中央区内で「日本橋○○町」となっているところがその名残です。

[発見日:平成19年7月1日

2010-06-10

【中野区】小淀町

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小淀町は、昭和42年まで存在した中野区の旧町名です。

現在の町名は、中野区中央1丁目・・・・なんと無味乾燥な町名よ。

小淀町の「淀」は、青梅街道にある「淀橋」、西新宿6丁目あたりの旧町名「淀橋」、と「淀橋区」に隣接する町、中野区新宿区の境目の町だからでしょうか。

[発見日:平成22年6月6日

2010-06-09

【中央区】霊岸島

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霊岸島中央区にかつて存在した町名です。昭和46年に町名変更にて現在の新川1丁目となりました。町名は、江戸時代にこの地にあった「霊厳寺」に由来します。

この旧町名は、発見するまでにとても時間を要しました。今から6年前の2004年3月31日にこのあたりを散策していました。その時は、同じく現在の新川である「越前掘」は見つかりましたが「霊岸島」は見つけることができず悔しい思いをしました。

時は流れ、2010年にまさか見つけられるとは!しかも、民家の表札ではなく行政の標識が残っていたとは!これは是非、貴重な資料として中央区、町内会で保存すべきだと思います。


[発見日:平成22年1月30日]

2010-06-08

【中野区】千光前町

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千光前町は、昭和41年まで存在した中野区の町名です。現在の中野駅南口側、中野2丁目にあたります。近くには、なかのZEROホールがあります。

町名は、千光院というものがあったことに由来するそうです。

ちなみに中野駅南口の旧町名は「中野駅前」でした。

[発見日:平成22年6月6日]

2010-06-07

【品川区】大井鎧町

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大井鎧町は、現在の品川区大井1丁目のあたりです。名前がかっこよすぎです。現在国内の町名で「鎧」を擁するところがあるだろうか。名前の由来は鎧職人が住んでいたとか、なのでしょうか。で、鎧職人ってあんの?

って思っていたんですが、どうやら戦国時代に上杉氏と北条氏の戦いで多くの鎧武者が討ち死にしたところが由来なんだそうです。

へー。

大井鎧町町内会HP

[発見日:平成22年6月5日]

2010-06-06

【品川区】大井立会町

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大井立会町は、現在の東大井5丁目です。区の表記が區なので戦前?戦後すぐ?のものと思われます。立会川の立会でしょうか。

[発見日:平成22年6月5日]

2010-06-05

【豊島区】日ノ出町

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日ノ出町は、現在の東池袋の一角です。この地名の住居表示変更は徐々に進んで行ったようで、当初は現在の南池袋のあたりも「日ノ出町」だったそうです。

この旧町名を探すのはとても苦労しました。

と言うのも、このあたりは「西巣鴨」という旧町名に隣接しており、その境目がわかりづらいのです。

この「西巣鴨」は都電駅近くのお宅で今も割と見かけたのですが、結局「日ノ出町」は探した限り1件のみでした。

[発見日:平成22年1月31日]

2010-06-04

【渋谷区】伊達町

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伊達町は現在恵比寿の一部で、恵比寿ガーデンプレイスの南側一帯です。

ここの町内は「伊達町」の表示を掲げているお宅が多く、みなさん旧町名に愛着があるのでしょうね。

下部に書いてあるふとん屋さんは、まだあるそうです。

[発見日:平成21年12月19日]

2010-06-03

【渋谷区】隠田

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隠田(おんでん)は、1965年までに存在した渋谷区の旧町名です。現在は神宮前という町名になっています。

読み方はおんでんで合っていますでしょうか。

[発見日:平成21年12月13日]