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2018-10-16

【江戸川区】新田

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【消滅した年】1983(昭和58)年

【現在の町名】西葛西、中葛西、清新町臨海町

【感想・雑記】「にった」にあらず「しんでん」です。この新田というのは、江戸幕府が開かれて以来近郊の川にそった耕地の開拓、開墾が奨励されていて、今の江戸川区葛飾区足立区には多くの「新田」という地名が生まれました。宇喜多や一之江という地名も元々はその後ろに新田とついていました。この新田の前に付いたのがその土地の開墾した者の名です。今回の新田は佐久間八郎右衛門という人が関わっているらしく、現在15代目と言われているほどの名家で、そのお屋敷は町内に観光案内的に場所の表示が掲示されているほどでした。

[発見日:平成30年8月12日]

2018-09-08

【江戸川区】興之宮町

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【消滅した年】1986(昭和61)年

【現在の町名】興宮町南小岩、東松本、松本、本一色

【感想・雑記】住居表示は実施されているんです。なのに、「町」が無くなることなく、もちろん町名自体が変わることなくそのまま現存している不思議な旧町名です。別に旧町名が「興之宮町」で、新町名が「之」のみ無くなったというわけでもなさそうなんですよ。そういう表記もされているときあるよね、のレベルなんだそうです。これを旧町名であると言えるのでしょうか。

由来は、興宮神社から。海に面していたから「沖宮」=「興宮」というわけです。したがって、読み方は「おきのみや」ですよ。

[発見日:平成29年4月23日]

2018-08-27

【江戸川区】東小松川5丁目

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【消滅した年】1965(昭和40)年、1984(昭和59)年

【現在の町名】中央、大杉

【感想・雑記】まず東小松川自体今もあります。1〜4丁目まで存在している現町名です。つまり、今回ご紹介する旧町名は「東小松川5丁目」というわけなのです。

ちなみに、以前ご紹介した「西小松川」は完全な旧町名です。(現町名は西小松川町)

旧:東小松川は1丁目〜5丁目まで素材していました。一方現在は上記しましたとおり1丁目〜4丁目まであります。普通に考えたら、1〜4丁目はそのままで5丁目だけが大杉に変わったように見えますが、そこは住居表示実施。もっと複雑でした。

現:東小松川1丁目は旧:東小松川「3丁目」、現:2丁目+3丁目が旧東小松川「2丁目」、現:4丁目が旧:東小松川「1丁目」。ここでポイントなのが、旧東小松川4丁目は現東小松川のどこにも入っていないという点です。

このように、◯丁目の変遷を1つ1つ見て言って、そして◯丁目をそれぞれ1つ1つ独立した旧町名として解釈してしまっては本当にキリがないんです。全て発見しないといけなくなってしまいますし、私があと5人は必要になるのでキリがありません。旧麹町なんて13丁目までありましたので私があと12人必要になってしまいます。そのような理由でいままで◯丁目まではこだわらないようにしていましたが、今回解禁してしまいました。これ以後はあまり◯丁目まで触れないよう再び封印したいと思います。

(ブログの引き伸ばし策としては最高なんですけどね。もうストック的に残り1ヶ月弱でブログ終わりになりそうですし)

[発見日:平成29年4月23日]

2018-08-20

【江戸川区】葛西

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【消滅した年】1983(昭和58)年

【現在の町名】東西南葛西、中葛西、臨海町

【感想・雑記】東西線の駅名にもなっていたり、臨海公園の名前にもなっていたりで、葛西という名前は言うまでもなくメジャーなわけですが、江戸川区葛西という町名は現存していないんですね。現行町名っぽいのに違う駅名として有名な錦糸町、高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪と同じ並びですね。

そして葛西の現町名ですが、当然東西南北葛西であると思いきや北葛西だけは違かったんですよ。北葛西は宇喜田町の現町名だったんです。しかも宇喜田町自体は一部地域は宇喜田町のままでしかも住居表示未実施だったりするので旧町名ではないんですよ。葛西の現町名は東西南+中葛西、これだけでも覚えて帰ってください。

方角の話が出たので、葛「西」があるなら葛「東」もあるのかということですが、鎌倉時代ごろ今の江戸川区はもちろん、葛飾、墨田、江東から千葉埼玉に跨る広域を下総国葛飾郡としていましたが、今の江戸川を挟んで西を「葛西:、東を「葛東」といっていたそうです。のちの東葛飾郡、現在の千葉県の東葛エリアですね。たぶん。

[発見日:平成30年8月12日]

2018-08-12

【江戸川区】堀江町

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【消滅した年】ほぼ1979(昭和54)年に消滅、ただし後述のとおり

【現在の町名】南葛西、堀江町

【感想・雑記】東京時層地図でご覧いただけるとわかりますが、この堀江町は90%以上、へたすると97%程度が水田地帯という地域だったようです。そんな地域にあった旧町名が残っているわけがない!8年前のブログ開設間もなくのころに一度探しに行っているのですが、水田だったところは当時の面影もなく住宅に次ぐ住宅。どうせ水田だったところに堀江町当時からの家があるわけがない、深みにはまったら帰れなくなってしまうのではないか、江戸川区に住民票を移さざるを得なくなってしまうのではないか、そうなった場合そもそも江戸川区役所ってどこだっけ?そんな散々たる結果に終わっていたのです。それからというものの、江戸川区、特に葛西方面を避ける日々。あの頃の私はどこか江戸川区に負い目を感じていたのかもしれません。そう、なぜ水田地帯もシラミ潰さなかったのかと。

あれから8年。この旧町名さがしもほぼさがし尽くしてそろそろ終わりが見え始めている。しかし本当にあの水田地帯に行かなくてよかったのか。それで旧町名にピリオドを打てるのか。そのような日々にケリをつけるため8年ぶりにさがしに行ってきました、あの水田地帯に。

(ここからは東京時層地図を見ながらご覧いただければなんとなくニュアンスがわかるはずです)

北東の葛西方面から川を渡って堀江町エリアに入りました。堀江町を形作っている外側の川沿いに家や割と旧町名ありがちなあの緑が広がっています。基本的な攻略法としては、その外側の緑地帯の探索をベースにしてください。ただし油断したら中心方面の水田地帯に足を踏み入れてしまう自分がいるでしょう。水田地帯に入ったら基本すぐに緑地帯に戻ってください。入ったら戻る、これの繰り返しが基本です。この水田地帯に長時間入ってしまうと気が付いたら江戸川区に住民票を移さざるを得なくなります。その際には江戸川区役所の場所チェックを忘れないように。8年前の私はこの基本に忠実になりすぎた故水田地帯という可能性を自ら放棄していたのです。ですので、今回ついに江戸川区役所の場所を調べるというリスクを負ってまで水田地帯にもぐりこみました!ありましたよ!旧町名!

ついに8年越しのリベンジに成功することができたのです。やはり水田には何かがあります。そう、旧町名と米が。おそらく東京時層地図のころから年々宅地化が進んでいたので、水田を恐れずに探したことが成功につながったのですね。旧町名と米、そして勇気。リスクを恐れない勇気が旧町名を呼び込み、明日の美味しいご飯を作るのだと。

今、8年前の自分に伝えたいことがあります。江戸川区役所は江戸川区中央1丁目にあると。新小岩駅からバスが出ていると。


などと、散々どうでもいいことを書き連ねてまいりましたが、堀江町は旧町名ではありません。厳密に言うと河川敷のごくごく一部分のみではあるのですが、純然たる現存している町名なんです。旧町名をさがす会なのに!でも今回発見した堀江町はちゃんと旧町名のものですのでOKです。

[発見日:平成30年8月12日]