カント学者S教授

S教授は、実に誠実なカント学者だと思う。講義内容も面白い。何が面白いかというと、それが完全に教授の信念の表明であるからだ。学問を誠実に探求してきた結果としての信念は、聞いていて心地よい。私のように学生としては、少し素直さを失った年寄りから見…

ちっとは大学院生らしくなったかな

意識としては、格段に深く「哲学倫理専攻の大学院生」らしくなってきた。 次から次へと、ある種のプレッシャーが、自分を変えていく。 考えること、学ぶこと、頭脳の中の細胞が活性化している。 ヘーゲル 時代精神を超えることができないというヘーゲルの言…

指導してくれる教授たち

修士課程開始にあたり、次の科目を登録した。 ①山内志朗 「中世哲学(ドゥン・スコトゥスを中心に)」 ②渋谷治美 「カント人間思想の総合的理解の試み」 ③樽井正義 「ヘーゲル法哲学」 ④樽井、山内、奈良、谷、柘植 「各人論文発表とディスカッション」 順序…

複数の過去、ロゴスの展開としての過去

実際に起あった過去以外に「あり得た過去」があったとすれば、カントやヘーゲルの「隠された自然の計画」「神の狡知」の実現としての歴史はどうなるのか? それはなかったことになるのか? あるいは、複数の計画があったことになるのか? あるいは、無数の計…

過去について

過去については、それを「記憶」としてとらえ、それゆえ「現在から見た過去」であるという人がある。それでは、過去はさまざまあり、しかも変えられることになる。 確かに、過去は記憶によって保存されるし、記録によっても保存される。しかし、それはすでに…

ノートに移行する前の覚え

これから、修士論文を第一に考える必要がある。この日記には、引き続き思いつくまま、書散らす事とし、修士論文用には、別にオフラインで、ノートにしていく事とする。 今、思いついている事、一つ。ヘーゲルとカントの親近性。例えばカント「世界市民という…

さまざまなヘーゲル像

論理学として切り取ったヘーゲル、現象学の一種として取り込まれたヘーゲル、実存主義の味方または敵としてのヘーゲル、カントによって批判された超越的認識を抜き去った、経験科学に還元されかねないものとしてのヘーゲル。どれも、ヘーゲルを理解する一つ…

言葉、観念、概念

記憶:それは、人間が何かを思考する時のほとんどすべての材料である。知覚、現象、経験など、時間を無視して、現在のことを言っているが、実は、それはすべて記憶の世界の話なのだ。だから、その知覚を経験するということは、記憶を持つということであり、…

永遠に時間があると思い込むこと

どうも、焦っていたと思う。ドイツ語で読む力が弱すぎる。つまり時間がかかりすぎる上に間違ってしまう。何と言っても、英語との差がありすぎる。だから、「英語でヘーゲル」なんて思ってしまった。しかし、ドイツ語で書かれたものを、ドイツ語で読むことを…

哲学の前提

自分が、どう考えても前提的に正しいと思うこと 1過去は決して変えられない 2過去は、常にその時点における過去を前提として存在している 3過去は、現在と未来に影響する。過去の一時点も同様であった。 4従って、過去は累積して存在を形づくっている 5全て…

ヘーゲルをひっくり返すこと

ヘーゲルは偉大だ。ヘーゲルと対抗しようとした偉大な哲学者たちをみれば、それは歴然としている。誰しもが、それを乗り越え、ひっくり返そうとし、あるいは徹底的に否定しようとした。曰く、観念論対唯物論、客観主義と主観的観点、ヨーロッパ的な歴史観と…

合格、そして新しい人生へ

慶応義塾大学文学研究科哲学倫理専攻(修士課程)に、予想通り合格した。色んな人からお祝いの言葉をもらい、「凄い」といわれたが、冷静に考えると、65歳からドイツ語をはじめて68歳でここまできたことが評価されている。つまり年齢のハンデをもらっている…

大学院生となりそう

慶大文学部大学院修士課程の試験を受けたが、第一次試験が合格、今日は面接だったが、面映いほど褒められてしまった。どうも合格してしまいそうだ。嬉しい限りだが、新しい人生の道に入る門の前で、大きな緊張を感じる。まあ、明日9時が本ちゃんの発表だから…

哲学・倫理学者は、皆変なんだが・・・

哲学者、倫理学者は、皆すごく論理的で、その点は素晴らしいのだが、その中心軸となっている主張の核心、あるいは結論となると、皆偏っている。特に、論争的な展開をする人はそうだ。はっきり言って殆ど変だ。だから殆ど役に立たない。だが、その変にこだわ…

郷土意識の陥穽

日本の右翼イデオロギーの中で「自分の国を悪く書くなんて、それでも日本人か」と言うのがある。それは、心底そう思っているからこそ出てくる側面があって、それについて色々考えてみた。 やはり、その根っこには、「郷土意識」があるのではないかと思う。 …

自由、無限、真理

ヨーロッパの哲学者は、「無限」という言葉が好きだ。自由な精神は、永遠の真理を求めて、無限大の世界を飛翔する。しかし、自由なのは「精神」だけだという点が重要だ。実際には、肉体は有限に縛られ、人間は有限の世界でもがいている。「自由な精神」とは…

一夜漬けの人生に終止符を!

修士課程受験の手続き面は終わったが、肝心の受験勉強が駄目。後一か月を切ったのだが、雑用に追われている。過去問題を見ると、緊張する。限られた時間に回答を書く練習は、もう数十年もしていない。まあ、自分の半生は基本的に一夜漬けのものだったなあ。…

今日、卒論の代わりを出す

大学院修士課程の受験資格の一つが「卒論」だった。私は、それを出していない。そのままにしていたら「代わりになる論文を今週中に出さないと、受験資格がありません」とのこと、あわてて、この間書き溜めていたのを集めて、体裁を整えて出す羽目に。「IFRS…

必然について 過去が変わる

量子力学は、「観察することにより、結果を変化させる」のだという。それ自体、素人には理解しがたい話なのであるが、最近のニュースでは、「観察することが過去を変える」という実験結果が出たという事だ。 それは、前回私が言ったことを覆すものだが、もし…

必然について

「必然」について、思いついたことがあるので、ここに書き留めておく。 まず、過去に起きたことは、二つの決定的な特徴がある。 まず、時間を前に戻すことができない以上、起きてしまったことは「変更できない」ものであること、次に、それは「記憶ないし記…

哲学は必要なんだ

世の中には、「哲学」もあるが、「何とか哲学」というのもある。自然哲学、法哲学、経済哲学・・・・などなど。また、さまざまな職業を営む人たちに対し「あの人には哲学がない」というのは大変な悪口になる。 個別学問に「哲学」が付くと、個別的な分野の話…

哲学の不思議

ヘーゲル法哲学をやろうとして、その意義を考えているうちに、そもそも法や国家論を、哲学するとはどういうことなのか? なぜ法学そのもの、政治学そのものではいかんのか? が問われることになってしまった。 つまり、国家への哲学的アプローチとは何で、ど…

不安

このところ、やたらと不安が心を乱す。どんな不安かというと、親しい者が傷つくこと。まだその気配すらないのに。考えても仕方ないのに。どうか、皆幸せでいて欲しいよ。俺が生きている間は。

頭がヘーゲルに洗脳されそう

この間、ヘーゲルばっかり、ただし日本語で(一部はドイツ語)読んでいたら、頭の中でヘーゲル語がぐるぐる回っている。ヘーゲルは、実に独特の言い回しをするが、その論証過程で示される該博な知識や、美しい表現があって、この人の優れたところを自分なり…

2011⇒2012 そして未来倫理

2011から2012になった 年の区切りというものに何か意味があるのか? なんて言わない。 人々の意識に刻まれ、さまざまな営為がこのカレンダーに応じて動いている。 未来は完全に未知、不可視のように考える人もいるが、そうではない。人間の大半は、来年、あ…

論理に対する倫理

僕は時々「頭にくる」状態になるが、その一つが、「不誠実な論理」に対する怒りに起因するものだ。 先日、原発推進、脱原発で、それぞれの代表的論客が議論しているのをラジオで聞いていた時のことだが、脱原発派の者が、「万一の原発の事故のコストを測ると…

段々哲学病にかかってきた

今、大学院入試のために勉強しなければならず、そのためには、ドイツ語の復習やら、倫理学の概論やら、英語の複雑な論文への慣れやらを鍛錬しなければならないのだが、なぜか、カントの純粋理性批判の概念について、頭の中ですっきりロジックをたてたくなっ…

ヘーゲル

T教授と相談して、修士課程での研究テーマとして「ヘーゲル国家論」を選んだ。あまり深く考えていなかったのだが、ほっとした。 と言うのは、自分が50年近く前に一知半解ながら、かなり一生懸命読み込んだ「エンチクロペディ」や「精神現象学」などの余韻を…

正義

キケロ、セネカなんて、名前しか覚えていないが、そんなに偉大な人だったなんて、というか、キリスト教が完全支配する前のローマがそんなに偉大で、普遍的な存在だったなんて、自分は無知だった。

研究テーマ

何を研究するために、大学院に行こうとしているのか? それを突きつけられただけでも、大学院に行く意義があるというもんだ。それは、やりたいだけではなく、やれると信じ得る範囲であり、しかも、社会的に有意味だと確信できるものでなければならない。あー…