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2005-09-14
■[読書] 祭とともに歩む人生――「岸和田だんじり祭だんじり若頭日記」 
- 作者: 江弘毅
- 出版社/メーカー: 晶文社
- 発売日: 2005/08/01
- メディア: 単行本
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- 出生地は自分では選べない
世界のどこの何人(なにじん)に生まれたかったなどと、これまで一度も思ったことのない私だが、この本を読んで、正直、ちょっとうらやましかったぞ。
1章は、作者の江弘毅(こうひろき)が、岸和田市五軒屋町の若頭顧問として体験した平成16年の岸和田だんじり祭(9月14、15日)の実録で、2章は、平成15年の祭当日までの若頭筆頭としてのさまざまな職務を日記風に描いている。
だんじりと呼ばれる木で作った車の写真図解や、その車を引く男たちの役割や名称が図解入りで説明されているのだけど、なにせこっちはニュース映像をちらっと見たくらいの知識しかないから、読んでもなんのことだかわからない言葉が多いし読みにくい。でも、なにか書き手の熱みたいなものにつられて読み進めていくうちに、その熱が伝染してくる。読み終えてから、インターネットでだんじりの祭の動画を見て、「ははあ、これが遣り回し(やりまわし)か」「これが前梃子(まえてこ)か」「あれが、どんすか」と納得し、もう一度読み返して、その熱をさらに実感(そう、私は凝り性です)。
だんじり祭はイベントではなく、あくまで地域の祭礼である。1年に1度の祭を、地域社会が楽しみにし大切にし、成功させようと努力している。そのために、年齢に応じて分かれた複数の組織が町内にあって、各自にまかされた仕事をし、かつ縦の組織間の文化継承やつながりを強めるための寄りあいや、町同士の交流、課題についての話し合いなど、つぎの祭までの1年間が準備にあてられる。
岸和田市内の各町が地車を所有し、町ごとに組織をもうけている。笛や太鼓の叩きかたも、遣り回しのしかたもそれぞれちがうという。
若頭筆頭というのは、(たぶん)30代後半から40代なかばくらいまでの中堅のだんじりエキスパートで構成されるひとつの組織の長。江さんは、平成15年の若頭筆頭のときに44歳だった。仕事もとても忙しいし、岸和田市の実家から離れた(たぶん)大阪あたりに住んでいる。でも、毎週のように行なわれる寄りあいに顔を出して、真剣に話しあい、そのあとおおいに酒を飲む。
「遣り回し」というのが、だんじり曳きのまさに核心だという。重さがおよそ4トンの木の地車は、直進しかできないような構造になっている。ふつうの自動車なら、ハンドルをまわせば前輪が右を向いたり左を向いたりするけど、だんじりの地車にハンドルはない。そういう地車を速く走らせ、道路の直角の角に到達したとき、たとえば右まわりなら右側の前輪に木をかませてその側だけにブレーキをかけると同時に、地車の後部につけた太い棒を大勢で一気に進行方向に向けなおして、むりやり方向転換する。それが遣り回し(と私は理解した)。できるだけスピードを落とさず、また横転しないようにバランスを取って方向転換するのが、だんじりの醍醐味だ。綱の前のほうで引く人々と、前輪に木をかます人、タイミングを取るために車の屋根に乗って踊りながら合図する人、全体の速さをみんなに知らせるために車に乗って笛や太鼓をかなでる人々、後方の棒をあやつる人々のタイミングがぴたりとあってこその遣り回しだ。あわなければ、死亡事故にもつながりかねない命がけの作業である、という。
江さんは、子どものころから祭に参加して、高校生とかになったら青年団というのにはいって綱を引いたり、鳴物(太鼓や笛)を担当したり、若頭になって警備を担当したりして、見たり聞いたりする位置や立場を変えながら、これまで祭をやってきた。そしてやっと最近、全体のなかで、これまで自分がどんなときに、どこにいて、なにをしていたのかがわかったという。そうだよね、たとえば前のほうで綱を引いてたんじゃ、肝心の遣り回しは見られないもんね。だけど、前のほうで綱を引くひとがいなければ、地車は走らない。そうやって1年1年祭を経験してきて、また、自分が過去にやったことやらなかったことを、自分より若いものたちがやるのを見て、44歳で若頭筆頭をつとめた江さんは、「祭にしろ何でもそうだが、『そういうこと』に気づくのはいつも事後的で、同時にもうそこには戻ることができないことを知る。
だからその祭の時間に、その視点をずらして微分し投影してみると、それは去年の祭から今年1年どう生きたかといった生き方の吟味になり、至らぬところは多いにせよ、そこに自分の人生の愛着がある」(本文より)という言葉を漏らすのだ。
たとえば街の発展や変化を記録するために、数年にわたって、おなじ場所の写真を撮影したりすることを定点観測というけど、江さんは、だんじりを定点として自分の人生をながめている。人生において、そういうはっきりした定点を持つひとって、たくさんいるのかしらん。いままで私は、そんなことを考えたこともなかったから、江さんの言葉にはっとしました。
段取りにしても面倒なことは多いだろうし、人生は祭だけじゃないから、日々の生活で苦労したりつらい思いももちろんあるだろう。でもここには、どんなことがあっても故郷と祭とを人生の基点とする、地に足のついた人間がいる。私にも、生き方の基本方針みたいなものはある。これまでの人生で悔やむことも多いけど、かといってそれを恨みには思うのではなく、自分の人生の一部と受け入れている。けれども、自分の人生に愛着を持っていると感じたことはあるかといわれると、(まだ)ない。ひとりの人間にそう言わせるだんじり祭を、私も経験したくなった。でも、できない。それが悔しい。
今日、平成17年9月14日も、江さんはきっと、だんじりと一緒に走っているにちがいない。
これから、向かって右へまわろうとしている、平成16年の五軒屋町のだんじり。(だんじりネットから写真を借りました)

五郎さんの暑い思い、伝わって参りました。
実はわたくし、ある祭りの準備に関わっている者です。
五郎さんの嗜好とは外れるかもしれませんが、こっちのお祭りもよかったら是非のぞいてみてくださいまし。
http://kuminseikatsu.city.chiyoda.tokyo.jp/event/tenka.html