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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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1957-11-05

『若き日の日記』に学ぶ4.2:昭和32年


 師弟一体となった生命の感応によってか、この頃から、池田先生は暗い予を覚える。先生この時、29歳。


115日


 私は、師のを、必ず、必ず、報ずるであろう。


116日


 先生、午後の便で、帰京。お疲れの、ご様子。学会も、日増しに、重大な時に入っている……。誰も知らず、皆、呑気(のんき)なものだ。


118日


 先生、非常にお疲れの様子。顔……青し。われも、また疲労激し。背の痛み、焼けるが如し。


119日


 凡夫の有限を泌々(しみじみ)知る。先生の広き、深き生命力の未知数は、驚くばかり。


1111日


 車中、昨夜の宴会の先生の舞い――今の先生の、お姿――全くお元気なし。

配なり、配なり、来年の今ごろは……。“更賜寿命(きょうしじゅみょう)”祈る。


1113日


 先生と、お会いできぬ。先生、一日中、第一応接室にて、お休みの由――お聞きする。一層、ご衰弱の様子。淋しさ、悲しさ、あまりある。


1115日


 先生の指導が、次第に不議にえてならぬ。


1119日


 師のお身体、極度に衰弱。

 病死魔か。おやつれ、甚だし。


 午後、本部へ急行……先生にお目にかかる。広島の寺院の落慶入式にゆかれることを、よりお止めする。


 先生、毅然として、お叱りになる。


御本尊様のお使いとして、一度、決めたことを止(や)められるか。男子として、死んでもゆく。これが、大作、真実の信ではないか」


 厳しき指導に、涙あふるる。


猊下もゆかれ、4000人の同志も待っている。大、死んでも俺をゆかしてくれ。死せばあとはみなでやれ。死せずして帰れば、新たなる決で、新たなる組織を創る。あとは御智あるのみだ」と。


 人来り、師弟の話、涙して止む。


1120日


 生涯に一つ、戸田先生の一生を書き留(とど)めゆくことに、生命の奥底(おうてい)に、使命と希望が湧く。


1121日


 終日、先生のことを配する。


 自分も、学会の将来を(おも)い、神経も肉体も疲労のどん底。


1125日


 先生より、「留守をしっかり守れ」と連絡あり。

 先生、広布まで死なないでください。私も断じて死なぬ。深く強く決す。


1130日


 本部幹部会。品川公会堂。

 先生、遂にお見えにならず。いよいよわれらは、大使命に立たねばならぬ。先生の灯(とも)した広布の明(たいまつ)を掲げて。断じて幹部らは学会を私(わたくし)してはならない。


 帰り、目黒のお宅へ、お見舞いにお寄りする。お元気なお姿に安す。しかし、大地を揺さぶる、生命力の衰えゆく姿。悲しみ深し。


123日


 先生のご容体、全くよくならずとの報あり。配である。配である。


124日


 先生のおをお聞きしたい。しばし、お会いできず。なんと淋しきことよ。

先生と共に戦い、進み、生きぬくこと以外に、私の人生はない。師ありて、われあるを知る。


 夜、本部にて、会議。学会のテンポ遅まるじ。これでよいのか。


 10歳まで……平凡な漁師(海苔製造)の少年時代

 20歳まで……自我の目覚め、病との闘い

 30歳まで……法の研鑚と実践。病の打破への闘い

 40歳まで……教学の完成と実践の完成

 50歳まで……社会への宣言

 60歳…………日本の広宣流布の基盤完成


 いろいろにう。未来の指標。

今、30代になんなんとし、今世の指標、いずこまで完成できたと、一人索する。


【参照:80歳(2008年)まで 世界広布の基盤完成なる哉


126日


 学会も、大きな曲がり角にきたじあり。

 重大なる方向を、誰人が知るや。


129日


 寒い日であった。

 先生の動かざる学会は、なんとなく静か。これでよいのかと自問。題目で生命力を。“妙とは蘇生の義なり”だ。


1210日


 、先生のお宅にお寄りする。1時間半ほどお邪する。H博士が来たところであった。博士いわく「非常に良好」との由。嬉し涙。


 北海道のお餅を二つご馳走になる。質素なる師の宅。先生の鋭き瞳。先生の生きぬかんとする生命力、恐るるじあり。


1216日


 先生とお会いできる日、少なくなる。淋しい。しい。


 午後、先生より厳しき電話あり。先生は、いろいろの報告を待っておられるのだ。


 6時より――第6回青年部総会。

 遂に先生のお姿見えず。残、残


1217日


 8時、目黒の先生宅へ。1時間談合して戴(いただ)く。昨日の総会のご報告を申し上げる。イチゴをご馳走になる。


 先生のいわく「大作、あと7年で、200万世帯まで闘いたい」と。「勇気百倍、断固、闘います」と申し上ぐ。


 しかれども、私の内奥には一抹の淋しさあり。悲しみは消えず。先生の寿命、先生の境地は。ああ、悔しいでありましょう。しいでありましょう。残でならぬでしょう。


 先生、私はよく知っております。私は。


1222日


 先生の休みし本部のもの静けさよ。水に波動ある如く、生命にも、躍動、一の波動というものがある。先生のいない今日は、それがない。不議。


1225日


 本部幹部会。於、豊島公会堂。先生、ご欠席。

 遂に75万世帯達成さる。輝く目標達成。戸田城聖先生の確信は、まさしく実現されたのである。法の厳しさを、生命の奥底(おうてい)より知悉(ちしつ)するい、多々。


 来年度の指針を先生より伝言。

(1) 一家和楽の信

(2) 各人が幸福をつかむ信

(3) を乗り越える信


 堂々たる宗教革命の前進。

 終わって、常在寺にて、支部長・部長会。忘年会を兼ねて。


 ひとり、御書拝読

 勉強不足は、幹部の恥なり。


 われ、求道者として、如何(いかん)。慢の人には断じてなるな。師の瞳、厳しく叱る。


1226日


 会長就任――7年にして、75万世帯の完遂は成れり。青年部の目標はいかに。第一段階、「国士訓」の如く、10万の結集をなす宿命あり。われに。


 それまで、断じて、病と闘う。先生のご再起を祈るのみ。


1229日


 一年ごとに責任をじ、一年ごとに、先生から講義を受け、勉強しゆく、この年末。成長の節を顧みる実あり。深く強く。冥益(みょうやく)は正法の現証なるを。来年の新しき坂を登ろう。