Hatena::ブログ(Diary)

斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


WWW を検索 創価王道を検索

1958-01-01

『若き日の日記』に学ぶ4.2:昭和33年


11日


 7時起床。身共、疲れている。しかし、三十にして起つ年の自覚、脈々たり。


 妙光寺で初勤行。日、祝福するが如し。


 9時、目黒のお宅へ、先生をお迎えにゆく。師と共に新年を迎えた青年部幹部の歓喜、誉、これ以上なし。

 先生、お元気のお姿であられた。生涯、先生と、絶対はなれない信でありたい。それしか、私の人生はない。


 10時、学会本部へ。

 本因妙、本果妙、本国土妙、と三妙合論の講義あり。甚深々々。終わって新春に歌三つ賜る。青年部には、

 若人の清きに七歳(ななとせ)の

  闘の跡こそ祝福ぞされん


 1時30分発の急行にて初登山。先生に、お供させていただく幸せ、譬えるものなし。


12日


 30歳の誕生日である。


 8時30分、初御開扉。


 先生、一日中、理境坊。私も一日中、理境坊。種々お話をうけたまわる。


 生まれて二度目の写真機を使う。廊下にお出ましの先生を、2〜3枚撮らせていただく。


17日


 夕刻、本部へゆく。先生に、ちょっと、お目にかかる。お身体の具合、非常にお悪い様子。おいたわしい限りである。

 時代は、変わってきた。残だ、無だ。しかし、広布実現まで、長い人生である。


 先生、見ていてください。成長して、必ず青年部が、あとに続きます。


 夜、御僧侶招待……Nで。先生のお姿、全くお元気なし。御僧侶16人。大幹部30


 先生、お帰りのあとは、まことに淋しい。弟子一同に、一段の奮起を望みたいほどである。


18日


 夜、会合あり。先生のご様子、配。お元気との報あり。安堵。


117日


 、注射を。先生と、久しぶりに、じっくりお会いする。本部にて、「“大”久しぶりだね……」と、おっしゃられた。師匠の暖かな眼差し。懐かしい。大愛の師に、動あり。


 青年よ、一切の邪悪の権力に抵抗せよ。


118日


 午後2時より、輸送会議。最高首脳(理事)たちは、その実態を知らず、現場の青年のやりにくきことを配する。


 先生のおられぬ間の責任は、理事長であり、理事だ。怒りたいい、激し。


 夕刻、先生とお目にかかる。

「やりづらくとも、君たちが、学会を支えてゆくのだ」と、厳しき指導あり。先生の胸中……。


120日


 目黒の、先生のお宅に、お邪する。1時間半ほど、親しく、談合してくださる。将来への、先の先まで、お考えくださる慈愛に、ただただ、謝申し上げるのみ。

 総登山のこと、文化闘争のことなど、公私共に指導あり。先生のご指示を、更にさらに、力強くじ、実践せねば、証明せねばならぬ。


 来年は、31歳。35年は、32歳。36年は、33歳。37年は、34歳。38年は、35歳。39年は、36歳なり。

われ、青年なり。青年なり。


121日


 先生と、お目にかかれず……淋し。不議なぐらい淋し。


123日


 、注射。

 先生のお体も、芳(かんば)しからず。

「闘争の源は、鉄の肉体であり、生命力であり、健康体である」と、つねづねいいし、その師も弟子も、つねに病弱とは、運命のいたずらや、にくし。


124


 夜、本部に戻り、一人、たまっていた先生の指導をメモする。


127日


 午前中、先生のお宅に、お邪する。O君のご報告等々のため。先生の包容・慈悲に驚くのみ。“横死と宿命”についてお話あり。


128日


 、先生のお宅に、お邪する。2時間余、暖かなお話を戴く。謝深し。奥に、いつか、いつか、厳粛なる日の来たることを直覚してならぬ。胸はりさける悩み出ず。


21日


 痩せ衰えゆく、先生を、本山にお迎えする。先生、毅然たる態度で、指揮をとりはじめゆく。


 先生の指示で、遅くまで、再び、地主やM宅へゆき、土地問題の再確認をする。


22日


 、熱あり。風邪か?


 午前9時、先生と共に、御開扉。万、祈す。


23日


 より微熱あり。


 先生、熱海にて、ご静養。種々、電話あり。


24日


 遅く、病める先生より「大作の病気の方はどうだ」と、奥様を通じて電話あり。申し訳なし。


210日


 明日は、先生の、満58歳の誕生日。Nに、大幹部招待してくださる。私に、青年部を代表して、挨拶を……とのこと。


 先生なき本部に、一日在。


211日


 、9時、先生宅へ伺候(しこう)。お元気のお姿を見、安する。58歳のお誕生日である。


 赤飯に、お汁粉を、先生とご一緒に頂戴する。一生のい出であり、誉である。


 夕刻、5時30分より、Nにて、先生の全快祝いに出席。大幹部、数十

先生は「一高寮歌」「白虎隊」の歌がお好きであられる。お身体のおやつれ方が配でならなかった。しかし、歌を皆に歌わせ、厳然たる指導に、嬉し。一同、新たになったことであろう。よかった。嬉しい。


 特に、法哲理の「源遠ければ、流れ長し」の御金言を引かれ、「幹部の自覚が根本である。一般会員の責任ではない。幹部の信、成長で全ての組織の発展が決定されるのだ」との、厳しい指導が胸に残る。


212日


 、先生のお宅へ、昨夜のお礼に参上。

 先生、2階の床の上で、喜んでくださる

(1) 中部の次期部隊長の件

(2) 人材の鑑別法

(3) 唯物史観を勉強しておくこと

(4) 労働組合の動きを知悉(ちしつ)しておくこと。


 大要、以上の指導あり。


 先生のお顔色すぐれず。しかし、毅然たる姿勢に、力溢れる言語。


213日


 夜遅く、先生宅へ、報告に参上。

(1) 学会青年部の未来への指示

(2) 学会幹部の指導原理

(3) 法と社会への指向

(4) 学会の究極の使命


 以上

 帰宅、11時50分、うこと多し。妻より「顔色が悪いです」と注あり。熱、少々あるようだ。


 先生の指導を、遅くまでメモ。


219日


 昼、暖。夜、寒。


 午前中、先生宅へ。

(1) 少々、元気になったようだ

(2) 10年間、の道を歩みゆけ

(3) 君の本部入りは天の時だ

(4) 理事室に、弥々(いよいよ)、新風を入れる

(5) 生活と経済について


 以上の、ご注、指示、指導をたまわる。


 決、強し。覚悟、堅し。


 帰路、寒風厳し。


 今日も、熱あり。38度3分。胸し。


222日


 12時発にて、大幹部と登山。

 暖冬、春の如し。


 了坊、寂日坊の落慶式。先生もお元気にご出席。無理をなさっておられる。少しお休みになっていただきたいことを、胸の中でう。


「大幹部にこの1年で、10年間のことを指導し、指示する」と、厳然たり。

「阿諛諂佞(あゆてんねい)の輩は全部切る」と。しかり。かつ「組織を乱しゆく者、信利用の者も、また同じ」と。また、しかなり。


 終わって、大講堂引き渡し等、種々の準備。




 この後、225日から318日までの記述はない。31日から行われた大講堂落慶記登山の輸送指揮の激務のためと察せられる。




319日


 1ヶにわたる大講堂落慶記登山の輸送指揮に、神経と体力、実に疲れた。あと約10日間、更に決を新たにして、立派に、悔いなく、使命を果たしたい。正法に目覚めた人を、誠こめて指導することは、人生最高の尊き仕事である。


 先生のお身体、非常に悪い。22日に重要会議として、最高首脳部を招集さる。


 将来の学会と、自分の活躍を、真剣に考える。よし、所詮は、大御本尊様に祈し、大御本尊様にお任せする以外に道なし。


329日


 先生、お身体の衰弱甚だし。

「あと、2〜3日です。何も事故はありません。ご安しておってください。大幹部も、だんだん来ております」と、申し上ぐ。

 先生、ご安しきったお顔で、「そうか」と申される。

 その時、「追撃の手をゆるめるな」と、毅然たる語調でお叫びになる。大将軍の指揮に頭(こうべ)垂れるのみ。


330日


 午前11時55分発の列車にて下山する。I支部長と共に。満員列車にて、品川まで、立ち通しであった。暖かい一日であったが、胸奥(きょうおう)はしい。疲れきった、闇の如き一日であった。


 2時過ぎ、目黒の先生宅に、お邪する。先生の入院について、御子、奥様とお話しする。奥様は「自宅に帰ってもらいたい」と。御子は「入院」と。私どもも入院をおすすめ申し上げる。しかし、胸奥は「本部に帰る」との先生のごを、そのまま、お通しすることが、私の責務であることにも迷った。


 どん底に落ちゆく気持ちである。弟子として、力弱き自分をなげく。ああ、一生取りかえしのつかぬ自己を、厳しくみる。これに報いるは、先生のご精神を、生涯、貫き通す以外にない。


 先生宅にて、7時過ぎまで、種々、入院の準備にする。疲れる。全く身共に疲れた。


 久しぶりに自宅に帰る。


 法戦に――戦場に生きゆく運命をう。


331日


 午前中、先生宅へ。さっそく、奥様と共に、タクシーにて駿河台の日大病院へゆく。あまり良くない部屋にて、再三、交渉。弟子として、せめて、最善の部屋(病室)をと頼みしも、通らず。全くくやしい。H博士も「応急的の段階なれば、了承されたし」とのこと。

 やむを得ず決める。しかし、治療に対しては、全力最善を尽くされるよう、篤と頼む。


 1時30分「西海」にて、再び登山。5時少々前に着く。ただちに、理事長、理事室に報告。

 先生のご容体、すこぶる悪し。帰京を延ばしたい。H博士は「よろしい」という。


 一晩中、休まず、階下にて、先生をお護り申し上げる。「五丈原の歌」をい出す。


 理事長、理事室、最高首脳と、ほか青年部同志数人、同座。皆、口数も少なし。


41日


 午前1時40分、先生を東京にお連れ申す準備をする。丑寅の勤行の最中であった。


 日淳猊下のご境、先生のお、いかばかりか。今世のお別れとなられるか。恐れ多くも、猊下には、勤行を早目に終えられ、お見送りに来られたとのこと。


 今日の大宗門の繁栄に、を砕いてこられた日淳猊下、猊下をお護り申し上げて、身命を捧げて戦ってこられた地涌の菩薩の総帥、戸田城聖先生、三世につながるお二人の深く縁(えにし)を、深く尊く、考えずにはいられない。


 理境坊の2階より、午前2時ちょうど、出発。

 フトンのまま。「先生、お供いたします」と申し上げると、「そう、メガネ、メガネ」とおっしゃった。メガネを、お渡しするいとまもあらず、残りなり。階下より、担架にて、車にお運びする。2時20分。


 奥様と医師同車。続いて、理事室、私共の車。最後に青年部の車であった。


 おぼろにして、静寂なる田舎道を、沼津駅へ。三度、四度、車止まり、先生の容体を伺い、また注射をなす。


 3時45分、沼津駅に到着。

 4時15分発急行「出雲」に乗る。「先生、これで安です」と申し上げたところ、「そうか」との微笑は、永久に忘れることはないだろう


 早、6時45分、東京駅着。一睡もせず、沈痛な気持ちで、担架でお降ろし申し上げ、ただちに、駅側の配慮により、エレベーターにて寝台車におはこびする。

 ただちに、私どもは、日大病院前にて、お待ち申し上げる。


 お疲れと、重体なるお顔に、胸がせまる。


 ああ、世界の大偉人の最後のご帰京となられるのか、で題目をあげるのみ。全快を祈るのみ。


 ただちに、K博士、H医師の手当てあり。9時過ぎ、一切の手続きを終わらせ、ご家族にお願いし、会社に帰る。


 万、ただ、平癒を祈るのみ。弟子、皆同じ。


 一日中暖かな日であった。されど、弟子一同の、暗雲の如き気持ちは、いかようにもなしい。


 われらは、更に、自己の信を磨くべきである。自己の建設をなすべきである――無数の偈(げ)、去来して一日を送る。


42日


 、緊急に、部隊長会議を招集する。急ぐあり。先生のご容体非常に悪し。


 1週間、部隊長全員にて、本部にて勤行することを決する。


 午後、本部にて、秘書部長より「先生の経過良好になる」との報を聞き、われは狂喜。


 5時より、理事室、青年部首脳と、連合会議をなす。


 6時45分、管理部のH老より、真剣な表情で、私に「病院から子、喬久君より電話」とのこと。風の如く、管理室の電話を受く。喬久君より、落ち着いた語調で「ただ今、父が亡くなりました」との悲報を受く。


 この一瞬、われ、筆舌に尽くしし。愕然たる憶は表記でき得ず。永劫(えいごう)に、わが内証の座におく以外なし。


 ただちに、重大会議になる。


 先生のご遺志は、清らかに水の流れの如く、広布達成まで流れゆくことを祈る。強くなれ、と自分に叱咤(しった)。


 早速、日大病院の病室に、理事室、青年部首脳のみ、馳せ参ず。


 静かなる永眠のお姿に、はたまた、微笑したお顔に、無量。滂沱(ぼうだ)。


 嗚呼(ああ)、四二日。四二日は、学会にとって、私の生涯にとって、弟子一同にとって、永遠の歴史の日になった。


 ただちに、日淳猊下へ電報、細井尊師へ連絡、ご親戚へ連絡。


 先生のご遺体にお供して、目黒のお宅に帰る。小雨、少々降る。


 細井尊師おみえくださる。

 理事室、青年部首脳にて、死水を。


 妙法の大英雄、広布の偉人たる先生の人生は、これで幕となる。しかし、先生の残せる、分身(ぶんしん)の生命は、第二部の、王冥合実現の決戦の幕を、いよいよ開くのだ。われは立つ。


48日


 先生のご遺言により、ご遺体を、一週間、お護り申す。今日が、最後のお別れ。


 悲しい、くやしい。「在在諸土常与師倶生」のご金言をかみしめる。


 、先輩が迎えに来る。私は断る。

 師匠との最後のお別れの日である。私は私なりに、一人して先生宅にお邪したい。最後の先生とのお別れに、誰人よりも淋しく、悲しい弟子は、私である。


 厳しい父であり、やさしい父であり、今日の私あるは、全部、師の力である。

 贍仰(せんごう)。


 三十の遺弟、青年、8時30分、師の宅へ。


 9時より、細井尊師の導師により、読経、出棺。10時、目黒のお宅を出発。棺の前を、I理事と共に抱く。必ずや、先生は、喜んでくださっていることを信ずる。


「先生、お休みなさい。お疲れだったことでしょう」

 私も、御遺命を達成し、先生のもとに早く馳せ参じたい。黙


 11時、池袋の常在寺着。

 当日の焼香者、12万人。誠の人であり、先生を、からお慕い申し上げる方々である。


 今後、この方々を、更にさらに、無量に指導し、幸福にしてあげねばと決。父にかわって。


 11時40分。日淳猊下御出座。読経、歎徳文、遺族喬久君挨拶、最後に葬儀委員長挨拶。僧侶約60、大幹部、部隊長、ご親戚、友人等、計約300での焼香、順次終了。


 3時10分、最後のお別れの出棺。“一週間”の遺言を全うす。

 最後まで、先生のおそばで、お供する。必ずや先生は、喜んでいてくださると信ずる。


 3時30分、青年部幹部を先頭に、僧侶2台、遺族の車、そして先生、ご親戚、大幹部、理事室と、落合火葬場に向かう。


 常在寺、最後の細井尊師の読経の際、一陣の強き風吹けり。火葬場にても、また天空に真っ赤な色彩を強く強くず。


 2日より今日まで、曇天続く。




 初七日の時、次の歌を詠まれる。


 師逝き地涌の子等の先駆をば

     われは怒涛に今日も進まん【『私の履歴書』】