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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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1959-01-01

『若き日の日記』に学ぶ第三代会長就任:昭和34年


11日


 立宗707年。

「黎明の年」にしたい。(中略)


 本年こそ、若き将として、指揮をとらねばならない。不退不動の決で。……戸田城聖先生の直弟子なれば。


12日


 満31歳の誕生日。


 初御開扉。新たなる決を。


「わしの死んだあと、あとは頼むぞ」「お前が、わしの葬儀をしろ」との遺言が……胸奥に轟き、響きわたる。(中略)


 一日一日が、激務なればなるほど、貴重な歴史となる。この一年は、輝く足跡でありたい。(中略)


 今年からの――この日誌は、遺言のいなり。黄金と試練と、歴史の一日一日。

その記録を……。自身の人生は転今日以後。先生――必ず見守ってください。


 黎明のごとき希望もあり、決もあり、悩もありの、正


13日


 一日、一日が身の引き締まるい。

 自己の運命の――人事が着々と準備されゆくことをずる。広宣流布への宣言の人事。内奥の響きに呼応して――何か動き始めゆく――御本尊にお任せする以外の何ものもなし。


15日


 先生の墓前に――広宣流布が終わりました、とご報告できるまで、私は闘う使命があるのだ。


18日


 はやくも、満31歳となる。


 人生――生涯にとって――最重大の年代に入るか。


110日


 夜半まで――先生の指導を整理。


115日


 黎明の707年――第一歩の闘争は、師の故郷から、と決


 6時より――い出の小樽公会堂にて、御書講義と質問会。「日厳尼御前御返事」。

 参加の数――1000人なり、と。


117日


 夕張駅――5時30分着。

 大歓迎をうける。ありがたい。これらの強き同志あれば――これからの闘争に、断じて敗れまい。この人びとのために――私は起たねばならぬ。時は……刻一刻と近づいて来た。どうしようもない。時の流れか、要求か、使命か。


 夕暮れの――小雪ふるなか――T支部長宅へ。


 夜――映画館を借り、御書講義「四条金吾殿御返事」と質問会。

 立錐(りっすい)の余地なき、この熱と力を、求道の姿にと――ますます決堅む。


220日


 師の生命の叫びが、一日一日、消えゆくようでならない。断じて消してはならぬ。


224


 先生の、昭和31年10の客殿における、講義の録音を聞く。1時間。『無量義経』――「十功徳品」。


 毎日、一つずつ聞くことに決める。そして、全部、後世のため、レコードにすることに決定。


 先生逝去後――次第に、幹部の精神的支柱の、減退を痛

 公正な人事と、暖かな指導が必要と一人、憂える昨今。


 師の信任の人が、伸びのびと闘えるようにしてあげねばならなぬ。増上慢の人が、気ままに振る舞うようでは、学会は衰退してしまうからだ。


 学会家族は、いずこよりも暖かく、磐石であらねば広布はできないからだ。


36日


 広布の前進のため――生命力を涌出する信を、と勤行。


 31日――日立指導、「経王殿御返事」の御書講義を中に。

 32日――水戸指導、「此教事御書」。

 34日――大宮指導、「異体同心事」。


 今、戦わずして、戦う時はなし。

 今、全力をあげて戦うことが、後日の幾百倍にあたる価値があることを知れ。


 昨、5日は――東京にて「佐渡御書」を講義(一般講義)。豊島公会堂。


 弟子たちよ――総決起せよ、とで叫びつつ、全身全霊で指導と講義を。

 求め来る人びとに、最高に満足を与える自己でありたい。本当に可愛い、学会員


39日


 自己の情は、次第に荒くなる。激情か。見るもの、聞くこと、全ていやだ。悪世末法の社会。


 純粋に、利害も捨て、誉も捨てて進む、青年のみが、私は大好きだ。ここにのみ、建設の源泉がある。

 なんとずる賢い、円熟の人の多きことよ。自分には、耐えられない。


319日


 一日中、先生の指導の、結集に奔走。

 生涯、若き雪山童子のごとき、清でありたい。

 悔やむこと多し。油断して、記録少なし、残


328日


 夜、先生の指導を、全力をあげて結集。


78日


 師おわせぬ、創価学会の淋しさよ。しかし、それにかわる幹部の、強き情愛が流れゆくことのみを祈る。


710日


 邪悪な人は、和合僧を破壊するの働きである。それが何であるかを見破ることだ。法上、破和合僧は五逆罪の一つであれば、和合僧を築き護ることは、偉大なる折伏に通ずる。


 ゆえに、学会だけは断じて崩させてはならぬ。強き青年が、公平に、清純に、学会を護りゆくことだ。


717日


 ゆくまで唱題。いつもながら――。

 師の慈悲が、次第に胸に広がる。言語に絶する父子の情。絆。この深き、不二の血脈を、誰人か知る。


720日


 再び身体悪化。しむ、一日中。

 鉄のごとき、生命を、創りたいものだ。運命、宿命、宿。打開、打破、転換。


 戸田先生の講義・講演の、レコード完成。実に嬉しい。報


723日


 幹部会所――首脳たちが、もっと会員のことを真剣にうべきである。自己を投げだして、会員に奉仕することだ。その叫びに、その姿勢のみに、皆は喜んでついてくるのだ。ずるい指導者になるなかれ。会員が可哀だ。


 一人、しむ。ことにあたって、先生の生存中を、い出してならない――。


 暢気(のんき)な人びとの多きことよ。われ、自ら死闘を決するしかなし。


 前進だ。30代の――。


84日


 夜、理事会――本部機構、そして組織のなかで、血と汗を流しゆくことだ。冷たい、愚かなる先輩に、怒りを秘す。


811日


 遅く帰宅。種々、惟(しい)――。

 一、7回忌か、13回忌かに、法悟空をもって、約十余巻にわたる『人間革命』を著す決をする。


 幼少のころ、新聞記者になることを決する。これ「聖教新聞」の発刊で満足。少年のころ、文学者を決する。これ『人間革命』の著述にして、満足するか。資料等の準備を考。


830日


 北海道体育会。札幌市・円山総合グラウンド。


 若人たちの純粋と懸命な、マスゲームと力走に拍手送る。この力を踏み台にして、権威をほしいままにする幹部になるものは悪人だ。


 戸田先生にお見せしたかった。ただ、それのみが残


92日


 夕刻、久しぶりに理事会。全く惰。暑さのせいか――自覚、責務なき故か。一日ごとに、老若の差が開かれていく――。先輩よ、牧口先生のこと、戸田先生のことを、もう忘れたのか、と激怒したかった。


 自己保身、それよりも、王冥合、広宣流布の建設と、師の勝利の実証を第一義として、総(すべ)て考えてゆくべきだ。


910日


 O氏らに厳重に注。学会を利用し、かつ先生に師敵対して、今許され、再び清純な学会を濁さんとする行動に注


 賢明な幹部よ、戸田先生の弟子たる信一筋の幹部よ、学会を護れ。学会を蝕む連中とは、断じて戦え。


 師は、折伏師匠にてあられる。されば、その弟子は限りなく、折伏行進を続行しゆくことだ。誰人が批判し、を加えても、一歩もひるむな。


1127日


 学会も、一日一日、暗夜去りゆきて、夜明けの幕を開く、重大な時になってきた。真実の中がいないと、これほどまでに、私は労をせねばならぬのか――。(中略)


 われらの責務大。身を鍛えておかねば。


 戸田先生の構を、沁々(しみじみ)とずる昨今。

 見方は少なし。われ一人、師の姿を浮かべて、闘いゆく以外なき宿命。


1128日


 本部、次第に落ち着く。来年は、一段と多繁にして大事な年となることだろう。覚悟。誰よりも。注。自重。


1130日


 限りなく戸田先生い出す。先生を利用して、保身と誉と人気のみに、おこがましくあぐらをかく幹部あり、と。彼らの慢の姿に、われ、学会の将来を深く憂う。


 帰り、理髪店による。いずこの社会にもあるのであろう、ずる賢い、老いた先輩たちの話に、乱るるいなり。

 ともあれ、師を忘るる卑劣な徒だけにはなることなかれ。師の指向する遺言に少しも動かず――自身の利己満足に終始して、これが真実の師弟といえるか。


124日


 昭和35年、36年、37年、38年と、この4年間が、学会の将来を決する、最も大切な年となるにちがいない。


 先輩幹部の、求道なきを配する。慢に傾きゆく姿を憂う。


 優秀なる青年をないがしろにしては、未来の広布の進展は決してない。若き英才が、学会を発展させていくのだ。無能な先輩になることなかれ、と忠告したくなる。


1221日


 一晩中、宗門、学会の将来を考える。眠り少なし。


1222日


 学会批判のJ会に、戦いを挑む。


1225日


 一日中、本部にて指揮――戸田会長死後、学会の弱体と、崩壊を笑っての内外の敵、日々に増加。


1226日


 身共に疲れる。


 医師に、30歳までといわれた寿命が、これで一年生きのびたわけだ。見事なる宿命の転換。


 人生は、生き抜くことだ。その原動力は題目だ。そして妙法の功徳を、どこまでも重ねゆく日々の持続と実践だ。……「更賜寿命」。


 妙法より頂戴した寿命――大切にして、生き、戦おう――。


 誉れ高き法王の子のごとく、毅然とした一生を、来る日も、来る日も送らねばならぬ。


1229日


 本年も、はや終わらんとす。

 悩みと、建設と、努力と、懸命の一年であった。


 先生のおわせぬのが淋し。毎年、大晦日と正に、親の子を労(ねぎら)うがごとき、先生の言葉ありて、私は動したのであった――が。


1230日


 先輩たちの惰を悲しむ。

 先輩たちよ、元気を出してくれ、と祈


1231日


 家でゆっくり休む。うこと多々。


「味方は少なし、敵多し」の、師の歌が、なぜかはなれぬ大晦日。われらに、諸天の加護を信じて前進。来年もまた――と、一人決する。


 人間と平和と、広布のために、師の歌を涙と共に、歌いたき境。