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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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1974-11-01

鎌田千秋


 私は千葉県の戸市立飛小学校4年1組、鎌田千秋です。


 私は青森県三沢市で生れました。5歳の時、家庭のじじょうでおとうさんとわかれておかあさんと二人で戸にきました。2年ぐらいたった時、おかあさんは私をつれてさいこんしました。


 新しいおとうさんは、お酒が大すきでからばんまでお酒をのんで、仕事もしませんでした。おかあさんと私は毎日毎晩いじめられて家にいると、ころされる位ぶたれ、そのたびにひっしになって外へにげました。山の中で二人ですごしたことは数えきれません。おかあさんもそのたびに私をしっかとむねにだきしめて、「千秋、大きくなったら、おかあさんのぶんまでしあわせになるんだよ」と言いました。


 2年生のある日、私が、学校へいっている間に、とうとうおかあさんはがまんできず、私をのこして家を出て行きました。その日からおとうさんとくらしていましたが、自分はお酒をのんで私にはごはんをつくってくれませんでした。おかあさんがいなくなったので、ますます私をころすみたいにホウキでぶち、小さな私のからだはいつも、あざだらけでした。そのたびに私をおいていったおかあさんがこいしくてどこへいったかと毎日毎日学校にもいかず、さがしてあるきました。夜、おかあさんとにげた山へ、もしかして来ているのではないかと一人で行ってみましたが、だれもいませんでした。そのままつかれてねてしまったこともありました。


 10日位たったころ、そのおとうさんも私を一人おいて、家をでていきました。とうとう一人きりになったとき、どうして私はおとうさんやおかあさんにすてられなければならないのかと、毎日泣いていました。たった一人になった私は、しんせきの家でめんどうをみてくれるといって、ひきとられました。


 おばさんの家にもおとうさんがいませんでした。そこには5年生と6年生の女のきょうだいがいました。私もその日から家族同ようにくらしましたが、女の子が3人あつまるとかならず私は一人になってさびしいおもいをしました。そのたびに、おばさんも「きょうだいのなかがわるいので、こまった、こまった」と言っていました。私も、しんせきの家なので小さくなっていました。おばさんもとうとう私をこれ以上めんどうをみることは出来ないといってどこへも行くあてのない私をしせつにやると言いました。


 おばさんの家には、ごほんぞんさまがありました。私は「これなあに?」おばさんにききました。すると「千秋、このごほんぞんさまはどんなねがいもかなえることが出来るすばらしいごほんぞんさまですよ。おかあさんに一日でもはやく帰ってきてほしければ一生けんめいに御きねんをしなさい」と言われました。はやく帰ってきてほしいので、おかあさんのことをごほんぞんさまに御きねんをして、題目をあげました。そうして少年部員会にも出席して、お姉さんやお兄さんのたいけんをききました。


 私も必ずねがいのかなうようおだいもくをとなえました。そのとき少年部の佐藤さんというお兄さんに「法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる」というもんしょうをならいました。私は冬でした。学校の授参観日には、おかあさんがいないので、お友達のおかあさんを見て、親子で顔を合わせているのを見たとき、私は「うらやましい」と泣いたこともありました。私にはおかあさんがいなくともごほんぞんさまと池田先生が守ってくださると、自分にいいきかせて、かくしんをもって毎日1時間のお題目をとなえました。ちょうど、お題目が100万べんをすぎた時、近くにすむ鎌田さんの家で子どもがいないので私をよう女としてもらってくれるというお話がありました。その時、ごほんぞんさまは本当にすばらしい。私のねがいをきいてくれました。おかあさんが帰って来たわけではありませんが、新しいおとうさん、おかあさんが出来て、216日鎌田さんの家にいきました。216日といえば日蓮大聖人さまのおたんじょうびです。


 この日に私はみごとにしゅくめいてんかんができました。鎌田さんの家も学会員です。その晩は、新しいおとうさん、おかあさん、私と3人でごほんぞんさまの前で「ありがとうございました」とお礼をいいました。池田先生、私は今までふこうで泣いてばかりいましたけれども、ごほんぞんさまのくどくでしあわせになりました。


池田先生のおっしゃるでんじ(伝持)の人に、必ず育ちます。みていてください」このすばらしいごほんぞんさまを知らないお友達にお話していくことをちかいました。鎌田さんの家に来てからは、服もくつも、皆新しいものを着て学校へ行きました。するとお友達やたんにんの先生まで目をキョロキョロして、どうしたの、まるでシンデレラひめみたいと、私がきゅうにへんしんしたのでおどろいていました。本当に御書のとおり冬から春になりました。私はげんざいしあわせです。今までは勉強も頭の中に入りませんでした。たんにんの先生が家庭ほうもんに来て、「千秋さんは、ちかごろ本当に明るくなりましたね。先生もおどろいているのよ」と言われました。私は「信をしているおかげです」と答えました。これからは今までのぶんまで勉強に力を入れてせいせきがよくなるようにがんばります。そうして、池田先生におあいしたいので、現在の私のねがいは、かならずかなうようにごほんぞんさまに御きねんをしております。かならずねがいがかなうことをかくしんしています。私の大好きな御書の中で四条金吾殿御返事に「いかなる乞食(こつじき)には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず」があります。そのいみは「信をしている私たちがたとえ、たべていけないようになってもごほんぞんさまにきずをつけるような行動をしてはいけない」ということを新しいおかあさんからおそわりました。


 人生の中のしっぱいもしみも、すべて未来のためのざいさんになるんだとも、教えてくれました。ごほんぞんさまが私をきたえてくれているんだと信じています。どのようなこんなんにであってもけっしてしりぞかない、勇気ある少女部員にそだっていきます。池田先生を師しょうにもった私は、さいこうのこうふくものです。これで私のたいけんをおわります。


【『前進』No.174 1974-11号】