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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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1979-04-25

立川文化会館


 79年423日、立川文化を出発し、学会本部に向かった。

 24日のニュースで「会長勇退」の報が流れると日本全体が揺れた。

 25日、立川文化に戻った。

東京には私の席はなかったよ」

 みな、絶句した。

「ここをつくっておいてよかった。ここで戦うよ。ここから新しい時代を開くんだ」


 4階の「雪山の間」。「支部証」を揮毫(きごう)していた。

「何度も書き直したよ。ここは、大変なところかな」。東京の最西端。大自然のど真ん中にある支部だった。

 会員との距離がなかった。ある日、若い男子部員が立川文化に駆け込んだ。

「先ほど子供が生まれました。先生に前をつけていただきたくて、参りました」

 後ろからがした。

「よくいらっしゃいました。いいですよ」

 驚く男子部員を激励しながら、その場で命した。

「立派に育ててください。大きくなったら、ぜひ創価大学にいらっしゃい」

駐車場で話し込む婦人部の輪にも飛び込んだ。皆、遠慮がない。

「先生! 大変でしょうけど、私たちが題目をあげてますから! 戦いますから!」

「ありがとう! 一緒に頑張ろうじゃないか!」


 隣近所にも夫妻で足を運んだ。近所のラーメン店から出前を取り、創価班、牙会の友に振る舞った。

 喫茶店で一緒にゲームに興じながら懇談。かけはぎ店には自身の洋服を修理に出した。喫茶店を営む夫婦の子供が事故にあったと聞くや、お見舞いの品を届けた。

 会館職員だった吉原篤夫。

「新住民ばかりの第2東京です。信頼を築くには地道な友好以外にない。先生を身をもって教えてくださった」

 1993年(平成5年)、八王子市に東京牧口記会館が完成した。

 本部幹部会や、海外の識者との会見が行われる世界広宣流布のセンターである。

 創価大学も、そびえ立つ本部棟を中に堂々と発展している。

 富士を望む地に、構40有余年。民衆の、平和・教育のを、今や世界が仰ぎ見る。

 第2総東京の新時代へ、新立川総区(立川市・日野市・昭島市)も誕生した。


【「あの日あの時 2 池田先生と第2総東京」/聖教新聞 2006-09-29付】

1979-04-24

師弟の魂・大関西


 私が会長を辞任し、誉会長になった、その晩であった(1979年424日)。

 深夜の高速道路を、2台の車が東京へ疾走していた。

 乗っているのは、関西の青年たち。誰かに言われたわけではない。ただ、私が会長を辞めたと聞いて、居ても立ってもいられず飛び出した。

 車中、一睡もせず、翌早く東京に到着。そこで先発していたメンバーも加わり、藤原武君をはじめとする、金会草創の7人の英才が、せき切って私のところに駆けつけてくれた

「我々は、池田先生とともに戦うんや!」と。

 真剣な、嵐の中に毅然として、真夜中に走り飛んでくれた、その正義の叫びと、若鷲の翼の姿が、嬉しかった。

 私は、この7人に、“関西の七勇士”という前を贈った。

 この関西の7人の弟子は、今も現役として、広布の第一線で悠然たる指揮を執っている。


 20年前の、あの日のことは、今でも、深く動くことはない。

 あの日、あの時、私は、彼らに言った。

「わざわざ遠くから来てくださって、ありがとう。

何も配いらないよ。恐れるものは何もないよ。私は厳然としていくから!」

 その時の、彼らの雄姿は、今でも消え去ることはない。

「偉大な弟子をもつことは、最高に嬉しいことだ」とは、戸田先生の口癖である。

 今、私は、嵐と忍耐のなかで、同じいをした。真っ暗な嵐のような日々であった。

しかし、彼らに、私は強く語った。

「将来の希望を持て! 不安のために動揺するな! これが、我らの魂である。

 忍耐強く生きろ! 悠然として、自然の成り行きに任せよ! 一段高い丘から、すべてを見つめよ!」

 彼らは、この一語一語から、何を味するかという真実を汲み取って納得したようである。

 この気高き、また節度ある、厳粛な弟子の姿を、私は申し訳ない気持ちで、で讃えた。


 当時、陰謀と嫉妬と、あらゆる策略をもって、私を追い落とし、自分たちが学会を乗っ取ろうとする謀略が始まっていた。

 これらの破壊者たちは、狡賢き冷酷な坊主と手を組みながら、百鬼夜行のごとく、退転者を味方にし、愚かな幹部を口車に乗せて、自らの悪謀の罠の中に操っていった。

 彼らは、野獣のごとく、ありとあらゆる卑しき野と憎しみの讒言を浴びせてきた。

 師の大を踏みにじり、宗門の悪坊主と結託した、地獄の鎖につながれた輩である。

 皆から、唾を吐かれ、怒りと侮りを受けていた悪党たちである。

 私は、言い放った。

「今に見よ! 必ず正邪が明確になる」

 皆も、反逆者、退転者の末路の厳しさは知っている。

 正法には、必ず悪鬼神がいる。大聖人の時代も、反逆者が多くいた。日興上人の時も五老僧という反逆者がいた。

 正法流布の学会には、が競うのも当然であり、正義の証だ!


 どうして彼らが狂気と化してしまったのか。人間というものは恐ろしいものだ。

 私たちを、嵐の中の死の翼のもとに陥れようとする、あの陰険な仕草よ!

 しかし、ある幹部は、厳然としていた。特に関西の同志は、微動だにしなかった。

 その団結の要が、現在の西口良三総関西長であり、また和田栄一SGI理事長であり、そして藤原武関西長、木村勝第二関西長たちの正義軍であったことは、いうまでもない。


 いつしか疲れ果てた仲間の中から、勇敢なる中堅幹部たちが、「謀略を見抜け! 陰謀を叩き出せ!」と、稲妻のごとく叫び始めた。

 その雷鳴の轟きとともに、闇々たる夜風の彼方に、太陽が昇り始めた。

 多くの友が遭しそうになっていたところに、救いの日が射し始めた。


 御聖訓にいわく。

「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(231頁)と。

 この年(1979年)の717日、関西の同志は誓い合った。

 一、革命精神の原点・関西!

 一、二十一世紀への世界の人材の宝庫・関西!

 一、全国に信波動を起こす関西!


 断固として関西は立ち上がった。師弟の魂が燃え上がった。

 さらに、威風も堂々の挑戦が開始された。

 そして、大阪、京都、兵庫、奈良、和歌山、滋賀、福井の、広宣の闘士が一堂に集い、気軒昂に、「第一回関西総会」が開催されたのは、この年の牧口先生の殉の1118日であった。


 彼らは大波をかき分け、深き闇を打ち破り、“萬のの艦隊”となって、逆巻く怒濤を乗り越え、無敵の信と連帯で、必ず“永遠の都”を打ち立てて見せると、叫んだ。

 幸福の帝王が待つ都をめざすのだ。そこには、輝かしき、滅ぶことなき、王冠なき偉大な民衆が待っている。

 必ずや、崩れ去りゆく、権威の輩を、眼下に見て、三世永遠の人間の勝利の王座を、必ず、建設すると、勇敢なる振る舞いが始まった。

 これこそ、広宣流布の戦闘であり、人間の宗教の誕生である。

 御本・大聖人の人類救済の大法である。


【「随筆 新・人間革命」64/聖教新聞 1999-03-01付】

1979-04-02

昭和54年4月2日


 大の嵐の中の昭和54年42日──師の命日に私は書き留めた。

死身弘法・不惜身命

 此の

 学会精神のみにある」

 限りある人生。どうせ生きるならば、「あの人の生きたように!」と後世の人に希望と勇気を送る人生でありたい。

 かの熱原の三烈士のごとく、広布の鏡と仰がれる一生でありたい。


東京・関東・東海道合同研修会 2006-08-16 長野研修道場