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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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1981-12-15

1981-12-15 熊本


「先生、ぜひ、天草に来て下さい」

 記撮影が興奮の渦の中で終わった時、天草の吉田静子婦人部本部長が誉会長に語りかけた。

「必ず行きたいな」

 自分の体が二つも、三つもあれば、とったことは、今に始まったことではない。

 そんなやりとりをしている時、吉橋副会長が、一人の老人を誉会長に引き合わせた。

 ゴマ塩のイガグリ頭、がっちりした四肢が逞しい。その老人が手に持つ白い杖に気づかなければ、その人が目の不自由な方であるなどとは誰も気づかなかったろう。

「この方が、天草の直理(なおり)さんです」

 オーッという表情で、誉会長はその手を引き寄せるようにして取った。実は幹部たちの懇談の席で、幾度か老人のことが話題になっていたのだ。老人の赤銅色(しゃくどういろ)の顔がクシャクシャッと歪んだ。


 直理信夫さん。天草の竜ヶ岳町に住む。目が不自由で「夜も昼もワカラン」状態にある。若い頃、炭鉱や艀(はしけ)に乗って働いていたが、51歳の時に失明した。しかし、詳しい事情を知らない人は、夜中(昼間は“雑音”が多くてダメ、という)に聴覚だけを頼りに小舟を沖合4kmまで漕ぎ出し、4〜5kgの収穫を釣りあげて、再び元の位置に戻って来る直理さんを見て、とても全盲だとは信じられない。

 41年に入信。読み書きが不可能なので、会合には欠かさず出席。から法を吸収した。自宅前を島の幹線道路が走っているので、熊本や福岡から幹部が来ると、必ず寄ってもらっては話を聞いた。いつしかこの自宅は、幹部たちから“関所”と呼ばれるようになった。頑固一徹の肥後モッコスの人相も、知らずしらずのうちに柔和になってきた。このモッコスが“宗門問題”に直面するのだ。

 入信以来、のみで全てを学んできた直理さんがぞっこん惚れ込んだ人がいる。その人、現役の支部長Hが悪侶の奸計にのり、突然、脱会した。その事実を聞き知った老人は、激しいショックを受ける。

「信は自由じゃけん、檀徒になりたいというのを干渉する必要はなかろう。バッテン、これまでオレたちに教えてきた立場の人間が、手のハラを返すごと、先生をサジもかからんようにくさして、学会のことをボロクソにえげつのう言う。こりゃ一体、なんごつか」

 若い頃、荒くれ男たちを手玉に取ってきた例のモッコスがムラムラと涌いてきた。“寝ても寝られんように”なった。

Hらが島内に蠢動し、反学会の運動は一層、過熱していく。木訥(ぼくとつ)な老人は頭にきた。

折伏すべき一般の人には折伏しきらで、学会の足の弱い者(もん)ばっかり引っぱるとはなんごつか。男らしゅうもなか!」

 老人はHとの対決を迫る。檀徒側がそれを避けようとしたのは当然としても、老人の激しい気を知り抜いている家族や学会側も、極力その衝突回避に努力した。それがモッコスの疳(かん)を逆撫でした。

「他のことならともかく、信のことで部員がこれだけのぼせて言ってるんだから、言いたいだけいえ、やりたいだけやれ、後の骨ぐらいオレが拾ってやるわい、というぐらい言うてくるるのが幹部じゃなかか」

 い込んだら、まさに生命がけであった。

 誰もが直理さんを避けて通った。をかけてもらう以外に、誰彼の識別ができない人である。老人に胸倉を摑まれたくない人たちは、すぐ脇を通ってを押し殺したまま通り過ぎて行った。老人のイライラはますます高じていった。

 直理さんは幹部にHと会えるように段取りを頼んだ。約束の場所に行ってみると、肝の相手が来てない。二人が出会えば、口論程度じゃ納まるまい、と見越して、青年部幹部が駆けつけて“今夜はHを止めてきた”からである。またカーッと血が頭にのぼったが、結局は不発に終わった。

 二度目の約束の時、吉田勉本部長を通してHと会う。一人で来るはずの相手が仲間Oを連れて来た。途中、一触即発の寸前にまでエスカレートするが、両者の真ん中に本部長が座っていたのが幸いして、なんとかこれを抑えることができた。本部長としても暴走を防ぐための安全弁になるのは、この自分しかいない、という必死の決だったろう。厳しい口調でHやOを責めた。

「直理さん、もうこれで勘弁してやんないな」

 一区切りついたところで吉田本部長は、正邪の視点が逆転してしまった人間に対して、同じ低い境涯でハラを立てるのは愚であるとし、直理さんに、帰ろう、と促した。

 多少冷静さを取り戻していた直理さんはHとOに言った。

「今後もしや、今までみたいに、部員ば一人でもこっちから檀徒に連れて行ったという話聞いたら、もう誰が何と言おうとも、黙っておられんぞ。今夜は、吉田さんもいることで、黙って引くが……」

 対決はやっと事なきを得た。

 しかし、後になって老人が、「相手を摑みきればなんとかなるが、見えんじゃしょうがない。飛んで来る火の粉は払わねばならん」とばかり、懐に出刃包丁をしのばせていた、と聞き、本部長は「あの時、真ん中に座っていなかったら……」と背筋を寒くした。

 この出来事が54年の秋のことだったが、やがて時が経ち、冷静さが戻った。その一件以来、不議と檀徒に去る者は一人もいなくなったが、老人自身は、「また、昔の生命が出てしまいおった」といって、しきりに悔んだ。檀徒の語るにおちた手口は許せないにしても、今こそ自身を直視すべきだと、日々、長いこと壇の前に端座する老人の姿が見られるようになったのは、その頃からである。


 ある日、訪ねて来た地元の幹部から、

「直理さん、熊本に行かんか」

 と、がかかった。いつもなら、皆の足手まといになるのを配して「行かん」とはねつける老人が、何故か喜んで「行くぞ!」と答えた。

 バスで天草を出発した。熊本に着く直前、今日の会合は誉会長が出席すると、初めて告げられて、「へぇ」と言って肝を潰す。打ち明けた幹部としては“今日は静かにしとってくれよ”と釘を刺したつもりだったのだろう。

 そして熊本文化会館での自由勤行会。

「初めて先生のを聞いた。もう、なんたって、かんたって、あんた、よかったねぇ」

 だけが全ての老人は、朗々と響きわたる激する。

 記撮影の時、人びとに手を引かれて公園へ。吉橋副会長が手を取ってをかけてくれた

「直理さん、先生の側ですよ」

 さすがの老人もポーッとなり、緊張した。

田原坂」を歌った。老人は何か遠い、懐かしい光景をい浮かべていた。いよいよ撮る段になって、副会長が“俯瞰撮影ですよ”と言って、老人の顎をわざわざレンズの方向に向けてくれた

「万歳! 万歳! 万歳!」

 1500人の喜びのが怒涛のようにこだました。直理さんも懸命に両手をあげた。後で人に聞くと、丸岡福会長の隣り、柳田県本部長の後ろで、手にした白杖が少々写った、とか。

 その直理さんの手を、誉会長がガッとばかりに握った。直理さんは回する。

「ワシャ、全盲じゃけん、身体を触ってみんことには実がわかんもんじゃけ、握手をした手をズーッと肩まで摩(さす)って……。ホー、先生、私より太かですなぁ、というたら“太いでしょう”と言われんですもんじなぁ、ハー、そしてからが、握手した手をこうやって、ワシのホッペタ撫でて下さって“えぇ、顔色しとっじゃないか”と言われる。ワタシャ、なんら、胸詰まったごつして、物も言われんと涙が出て……」

 誉会長は潮焼けした顔に流れる涙を拭ってあげた。その頬をまた雫(しずく)が伝わった。

「皆、呆れて、直理さんがまた何かやらかすんじゃなかか、とヒヤヒヤして見とったというんじゃ。こっちはヒヤヒヤどころじゃなか、嬉しかった。懐かしかった……」

 後で、地元の人たちから、

「先生に触って、語った者(もん)は誰もおらん」

 と、羨ましがられて、

「ワーッ、オレは日本一の幸せ者だなぁ」

 と叫んでしまった。

 島に帰ってから、直理さんはしみじみとったのだ。

「寝てからも、ハー、先生とこうして会われたのも、ヤッパ、吉田本部長さんのおかげじゃ。あん時、昔の気持ちでやっとれば、先生と会うどころか、皆部員にも会われん、ひとり臭かメシ食っておる身じゃなったなぁ、といますとな、あぁ、もうホント、人並みに信しきらんワシが、日本一の果報者なんてなぁ……」

 光を失って久しい両目から、また新しい涙が吹き出て止まらなかった。


【『人間の中へ vol.1』吉村元佑(第三文明社:絶版)1982-12-08発行】


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1981-12-08

1981-12-08 大分


「あっ、先生の車だ!」

 誰かの叫びがあがった。人びとは緊張の余り一瞬、顔を強(こわ)張らせていた。その自動車を確かに認めた時、一人ひとりの臓は鉄爪で鷲摑(わしづか)みされたように痛んだ。

 人びとに向かって、車の内から誉会長が笑いかけ、手を振るのを見た瞬間、それだけで胸が詰まり、みんなの眼に涙が吹き出た。人びとは口々に「先生ーっ!」と叫びながら、ガードレールから身を乗り出し、千切れるように手を振った。

 目の前を車が走り過ぎようとする時、突然、西野さんが車を追って駆け始めた。それにつれて、今度は全員が走り出していた。妊娠中だった木野伊津子さんが「女子部時代なら負けないのに」と悔しがりながら、歩いて一行を追った。そのすぐ前を、あと2週間もすると73歳になるという一宮ハツ子さんまでが“懸命に力走”していた。みんな「先生ーっ!」とをあげ、泣きながら、である。

「君は、あの光景を忘れてはならない。“正信会”は、あのように広布に健気に働いている純真な人たちをいじめたのだ」

 誉会長の、一人ひとりの会員をう愛惜の情が“稲妻”のように牧野県長の胸奥を貫いた。後続車からも、車を徐行させ、手を振り続けている誉会長の姿が目撃された。


【『人間の中へ vol.1』吉村元佑(第三文明社:絶版)1982-12-08発行】