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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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1988-01-20

桂冠詩人


 さて、1981年、私は「桂冠詩人」の称号を受けた。私にとっては身にあまる光栄である。が、“桂冠詩人とは何か”という方も大勢いたとう。中には、“御書をいくら探しても載ってません”(大爆笑)という人もいたらしい(大笑い)。

 それはともかく、ある創大生からも質問があり、今日は「桂冠詩人」の義、由来等について、少々語っておきたい。

 皆さまの中には、詩の豊かな方もおられるだろう。また、特に幹部の方々が、もっと“詩”をたたえていれば、学会の活動もより麗しく豊かになるものを(大笑い)と、常々、っている人もいるにちがいない。その味からも、すがすがしい“詩の語らい”のひとときをもつことも、義あることであろう。


 本来、「桂冠詩人」とは、“詩作における勝利者”のしるしとして「桂冠(桂樹の冠)」を戴いた詩人のことである。ギリシャ・ローマ時代には、「詩作」もスポーツと並んで公開の競技となっていた。桂樹は、詩神アポロンにゆかりの木であり、競技の勝利者には、その枝を編んだ冠が授けられた。

 余談ではあるが、創価学園の各校では、卒生に「桂冠」を贈っている。それは、“人生の勝利者”たれとの願いが込められたものである。

 事実、学園生は社会の各分野で活躍し、人間教育の実証を輝かせながら、見事な栄冠を飾っている。創立者として、これほど嬉しいことはない。


 ローマ時代の終焉(しゅうえん)とともに、「桂冠詩人」は制度としては消滅していく。が、中世、ルネサンス期にも、「桂冠」が示す晴れやかな「栄誉」の象徴は脈々と伝えられた。イタリアではダンテなどが、時代を代表する大詩人として“桂樹を戴く者”に擬せられ、最高の栄誉のしるしをもって讃えられている。

 その「桂冠詩人」が制度として復活するのは、17世紀のイギリスにおいてである。

 イギリスでは既にルネサンス期に、諸大学によって「当代随一の詩人」と認められた人に「桂冠詩人(ポエット・ローリイット)」の称号が贈られていた。

 それが17世紀には、王室の一つの官職として制度化され、王室や国家の慶弔に当たって、それにふさわしい公的な詩を詠むことを役目とするようになった。詩人は宮内官として、終身の年俸を受け取るようになる。

 イギリスでは現在でもこの制度が存続している。が、今では、公的な詩作は義務ではなくなり、自発的なにゆだねられている。


桂冠詩人」には、ワーズワース(1770-1850)、サウジー(1774-1843)、テニソン(1809-1892)ら、著な詩家のも見える。しかし、近代イギリスにおける終身制の「桂冠詩人」は、前任者の死去とともに政府が推薦して決めるものであり、選考の基準も必ずしも詩人としての実力やによらなかった。ゆえに、むしろ誉職的な色彩が濃厚であり、全員が歴史にを残すような大詩人であるとはいえなかったようだ。

 ともあれ、一般に「桂冠詩人」といった場合には、このイギリス王室の官職を指すことが指すことが多いようである。


 一方、私が頂戴した「桂冠詩人」の称号は、「世界芸術文化アカデミー」より贈られたものである。

 このアカデミーは、“詩を通じて世界の友愛と平和を推進する”ことを目的とした詩人の国際団体で、サンフランシスコでの第5回「世界詩人会議」の席上、私への称号を決定した。


 同アカデミー事務総長のスリニバス博士は、世界を舞台に活躍するインドの著な詩人であるが、かねてより私の詩に深い関を寄せてくださった。1979年7には、神奈川文化会館でお会いし、詩と人生、哲学などについて有義に語らった。その折、特に青年時代からの作品を収めた詩集『わがの詩』(英訳)を高く評価してくださった。そのことが博士の深き人間とともに、今も印象に深い。

 博士については、『に残る人びと』でも紹介させていただいた。


「世界芸術文化アカデミー」の「桂冠詩人」の称号は、日本では私の他に二人の方が授与されている。いずれも、詩人として立派な足跡を残された方々である。

 また、外国では、インドのスリニバス博士や、韓国中央大学誉教授の趙炳華(チョビョンファ)氏をはじめ、アメリカなどの詩人に贈られている。


「世界芸術文化アカデミー」の歴史は、まだ長いものではない。それだけに、同アカデミーの国際的な権威も十分に確立されたとはいえないかもしれない。

 しかし、同アカデミーが、国家権力を背景とすることなく自発的なで、「友愛」と「平和」を目指し、活動している義は大きい。その国際的な連帯と交流の結実として制定された「桂冠詩人」の称号である。日本で最初にこの栄誉を受けたのが私のようである。

先述したように、「桂冠詩人」というとイギリス王室の官職をい浮かべる傾向がまだまだ強い。

 だが、ある詩人達が自らので創設し、選び出した「桂冠詩人」の義と重みも、時とともにいや増し、光彩を放っていくちにちがいない。


 各国での関も着実に高まっているようだ。趙炳華(チョビョンファ)氏への授与が決まった時にも、韓国のマスコミはこれを高く評価し、一流新聞が大々的に報道した。

 日本でも、ある一般紙で大きく取り上げたいとの向もあった。が、「桂冠詩人」の称や義が、まだ十分に浸透しておらず、時期尚早との判断から、あえて辞退し、報道されなかった。


 ともあれ、真の詩人にとって、利は一顧(いっこ)の価値すらもない。全く無用のものである。詩とは、現世的な利害などはるかに超越したものであり、広大無辺にして限りなく崇高な「人間」の発露に他ならないからだ。

 私はこれからも「桂冠詩人」の一人として、麗しき、深き魂と魂の調べを奏でゆく詩作を続け、友の激励のためにも発表していく所存である。


【第1回本部幹部会 1988-01-20 創価文化会館

1988-01-09

会長勇退後、10万通もの手紙が


 話は、だいぶさかのぼるが、昭和54年(1979年)に、私が会長を勇退した折、励ましやそれまでの御礼の手紙、電報等を、たくさん頂戴した。合計すれば、10万通にものぼるとう。私は、それらの一通一通が、皆さまからの温かな真の結晶とい、今日まで、大切に保管してきた。遅まきながら、ここで謹んで御礼を申し上げるとともに、その方々のご長寿とご多幸をお祈りしたい。


【第1回全国青年部幹部会 1988-01-09 創価文化会館