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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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1988-03-25

安田富男


【騎手(40歳/当時)】


安田氏は、前人未到の中央全10競馬場開催重賞制覇を成し遂げ、引退。現在は競馬評論家として活躍。


「どんな馬だってね、ほんとは精いっぱい走りたいとってる。だから、馬の個を生かす乗り方をしてやんなくちゃ、勝てっこないのよ」


 中央競馬会の騎手。20歳の初騎乗から数えて、20年のキャリアのあるベテランだ。


「昔は、おれも漠然と馬に乗ってた。だけど、宗教やるようになって変ったね。馬のことも考えて騎乗するようになったんだ」

 おれが信しているのは、創価学会。入ったのは昭和28年(1953年)、6歳のときだ。自分の志で入ったわけじゃない。願いが叶うからって、オフクロがいっしょに入れただけの話さ、最初はね。


 だけど、おれの頭のなかにある最初の宗教は天理教よ。オフクロもオヤジもはじめは天理教だったんだ。覚えているのは、白いご飯のことだな。おれのガキの頃はさ、白いご飯なんてめったに食えなかったんだ。白い飯は天理教の神さまに持ってくっちゅうんだよ、オフクロが。そうやって持っていかれちゃったら、おれたちには晩飯がないんだよ。しょうがないから、その辺の畑からサツマ芋をかっぱらって食ったもんだった。なんで、こんな馬鹿らしいことをしなくちゃならねえんだって、いつもってたよ。なんたって食い物の恨みってやつだからさ、いまでも忘れらんないね。


 オフクロがいうには、「こうすればお父さんが真面目になる」ってことでさ、子どもにしてみりゃ、そんなもんかなと我慢するしかなかったのよ。オヤジはたいした酒飲みで、働きもせず、競馬ばっかりやってて、といっても馬券のほうだけどさ。家に帰ってくりゃ、よく暴れていたのよ。ひもじさより、そっちのほうが恐かったね。なに、昔のことだから、食いもんぐらいはその辺の木にでも登れば何とかなる。いきなり頭をぶん殴られるよりは、腹空かしてるほうがまだマシだって、子どもってたね。


 ある日、オフクロが創価学会に変ったんで、そいで、オヤジが気違いみたいに暴れちゃってね。「なんで、おれに断りなしに宗旨変えやがったんだ」って、オフクロの髪をつかんで家のなかを引きずりまわすわ、もうムチャクチャよ。


 どうしてあんなに乱暴したんだって、ずいぶんあとになってオヤジに聞いたことがあるんだ。そしたら、「もう少しで(天理教の)分会長になれるとこまでいってたからだ」っていってた。分会長になれば、金になるんだってさ。上納金を集めて、そのうちいくらかは分会長の活動費になるってことでね。まあオヤジのいうことだから、ほんとのことはどうだかわかんないけども。


 オフクロが創価学会に入ったきっかけは、おれのすぐ下の弟が全身火傷という目にあったからなんだ。こいつはかわいそうなやつで、後で交通事故で死んじゃったんだけどね。とにかく金がなかったんだなあ。全身火傷だっていうのに、薬箱にあった軟膏を塗ってやることしかできなかったんだから。ヒィーヒィー泣き喚く弟のが、まだにこびりついてるよ。


 そういうところに、「創価学会で信すれば、必ずよくなる」、「一生懸命拝めば、子さんは助かる」っていわれて、オフクロはその気になったんだろう。そのせいかどうか、入信して2〜3週間もしたら、ただで診てやると医者が現れて、どうにかそのとき弟は死なずにすんだんだけどね。


 天理教から創価学会に変るというのは、おれにとっても切実だったさ。「ご飯もってくの」って、オフクロに聞いたもんだよ。「持ってかない。ただ拝むだけでいいんだよ」っていうから、こりゃあ、いいなあとったね。オフクロにしても、弟のヤケドを直す(ママ)のにお布施が必要か必要じゃないかというのが、入信のいちばんの理由だっただろうな。


 うちじゅう創価学会になって、おれも少年部という子どもの集まりに顔を出すようになったんだけど、信しようなんて気は全然起きなかったね。四つ年上の兄貴がその集まりの幹部をやってて、行かないとうるさいから行ってただけのことさ。まあ、幹部の弟だということで、でかい顔してられるということもあったし。


 かなりワルだったよな、おれは。勉強なんか全然しなかったわ。小学校3年のときから、学校になんかろくに行かないで遊びまわってた。自分だけじゃなくて、友だちにも「学校なんてサボレ、サボレ」ってけしかけて、15〜16人も子分を引きつれて団体で動いていたよ。そんなだったから、卒するときになって、出席日数が足りなくて職員会議が大モメにモメてさあ、おれはなんとか卒できたけど、子分のうちの3人は卒できなかったんだから。


 そういう遊びのなかに、競馬場があったわけさ。当時おれたち家族が住んでいたのは船橋(千葉県)で、公営競馬場が近かったんだ。小学校6年ぐらいだったな、寝藁をひっくり返したり、馬の背中に跨ったりするのが面白かったのよ。そんなことやって、2〜3日遊んでたとき、函館孫作さんという、公営では有な調教師の人に見つかって、こっぴどく叱られちゃってさあ。「おまえ、身体が小さいからジョッキーはどうだ。やってみる気はないか」っていわれたわけ。函館さんはすっかりその気になっちゃって、オヤジ、オフクロを説得しにうちまでやってきたのよ。


 金も稼げるからっていうから、おれも乗り気だった。ただ、公営競馬っていうのが、ちょっと気に入らなかったんだな。なんか、ソフトボールみたいだろ。どうせジョッキーになるんだったら、ほんとの野球の中央競馬会のほうがいいってうじゃないか。なんとかならねえかなと考えてたら、兄貴が「学会に中央競馬会の調教師さんがいる」って教えてくれて、その人がいまおれの師匠になる加藤治郎さんだったってわけよ。


 もし、競馬場で遊んでなくて、創価学会とも関係なかったらって考えると、ちょっとゾッとするな。とんでもないところへ行ってただろうな、きっと。あの頃、うちの近所にヤクザの親分が住んでてさ、カッコいいんだよなあ。銭湯なんかでいっしょになると、刺青に憧れてよー、ハッハッハッ。ああいう世界でのほほんとやってさ、刺青を覗かせて威張って歩いてさ。まず間違いなく、おれもああいうふうになってたとうわ。


 まあ、学会さまさまってことになるのかもしれないけど、当時は知ったこっちゃない。相変わらず、信しようなんて気はこれっぽっちもなかったね。学会になんか背中向けっぱなしだった。


 そいで、ジョッキーになって2年目の昭和44年の9に、オフクロがひょっこりやってきたのよ。「富男、ちゃんと信してるか」ってね。冗談じゃないよ。競馬会に入って、加藤さんのもとで修してきた何年間かは、、お題目をあげないと飯食わしてくれないから、いやいややっていたさ。だけど、ジョッキーになって独り立ちしたら、やるわきゃないよ。ジョッキーってのは、金と暇がたっぷりあるからさ。おかしくって、信なんてやってらんないよ。遊んでるほうがずっといいって。


 オフクロにも、そういったわけなんだ。そしたら、「お前に信の凄さを教えてやる」っていいはじめてさ。どうするんだって聞くと、「お前の乗る馬を勝たしてやる」っていうから、「へっ、こりゃいいや」ってわけだ。内では「バカいうんじゃないよ」ってってたのよ。でも、勝てなくても、もともとだからさ。


「じゃあ、拝んで勝たしてくれよ」っていうと、「そうなったら、真面目に信するか」ってオフクロもしつこいんだよ。「わかった、わかった。勝たしてさえくれりゃあ、真面目にやるよ」って返事しといたんだ。


 ところがオフクロがそういった週から、ホントに勝ちだしちゃったんだ、これが。2〜3週勝ちが続いているあいだは、まだ「偶然てのは重なるもんだ」なんてニヤニヤしてられたのよ。それが4週、5週となると、「おい、おい、どうなってんだ」って不安になりだしてさ。勝ち続けてると、この次は負けるんじゃないかって、恐くなってくるんだよ。オフクロのところに電話して、「拝んでる?」なんて聞いたりするわけだ。「拝んでるよ」っていわれると、また勝てるって安してさ。


 あとでわかったんだけど、その頃オフクロが家に帰ってくるのは、毎晩12時過ぎだったって。夕方まで仕事して、それから布教活動にまわってさ。それから家に帰ってきて、3時間も拝んでたっていうんだぜ。毎晩だよ。一にお題目あげてたって、信じられるかい? おれのほうは、「拝んでる?」って電話するだけで、自分じゃあ何もやってないんだ。


 結局ね、9から12まで、毎週毎週勝ってたような気がするね。この年は、なんと26勝もしてるんだ。2ケタ勝つってのは、並大抵じゃないってのにな。


 そいで、オフクロとの約束通り、おれが真面目に信するようになったかっていうと、大違いだ。ただもう遊び癖に拍車がかかっただけさ。勝ちゃあ勝ったで、金はたっぷりあるから、そのぶん酒と女に注ぎ込んじまうだけのことよ。


 デビューした年が14勝だったんだよ。それで、2年目が26勝だろ。マスコミは、ワッと持ち上げてくれるしさ。おれにしても、これだけやれたってことは、安田富男は馬の背中に乗ってさえすりゃ仕事ができるんだって舞いあがっちゃったよ。夜遊びが過ぎて、の調教にも起きられなくても、「ま、いいや、いいや」ってことになってさ。それが度重なるだろ。マスコミからも「天狗になってる」って叩かれるようになったのは、時間の問題だったね。


 そうなりゃ、勝てっこないわ(笑う)。確か翌年の45年が5勝で、そいで46年が3勝、47年が7勝か……、見事にズルズルーッと後退よ。ところが、それでも遊び癖ってのは抜けないのよ。


 おまけに、金なんて入ってきたそばからパッパッと使っちゃうから、気がついたときにゃ、借金の山だ。そうだなあ、700万ぐらいあったのかなあ。仕事の関係者からもあらかた借りまくってたからさ、仕事場に行けば、「金返せ、金返せ」の大合唱で、わざわざ債鬼の群れのなかに飛び込んでいくようなもんさ。馬に乗るどころの話じゃなかったよ。


 にっちもさっちも行かなくなって、オフクロに泣きついたんだよな。46年の暮れだったよなあ。一度裏切ってるからさ、オフクロだって色よい返事はしてくれるわきゃない。「金はあっても、あんたには絶対に貸さない。あんたは金が身につかない命だから、まずそこを直さなきゃいけない。裸になって、もう一回やり直しな」って、きついことをいわれちゃったよ。


 暮れだったろ。このままじゃ年越せないって、家財道具を全部売っ払ったのよ。大晦日の夕方に質屋のトラックが来て、あの頃人気のあったパイオニアのセパレートステレオから、冷蔵庫、テレビ……、全部持ってったわ。一流メーカーのもので揃えといたっていうのに、一切合切で10万にしかならなかった。借金返そうたって、焼け石に水だよ。


 もう一回、オフクロに電話したんだわ。そしたら、正に来てくれたね。そこまではいいんだけど、金は貸さないっていうんだな。その代わり、「拝め」の一点張りだ。おれも頭にきて、「拝んで、金が入ってくるか」って怒鳴ったよ。そしたら、「おまえはものごとから逃げよう、逃げようとするからいけない」っていいやがった。「仕様がねえだろ。騎手なんだから、逃げるのだって、商売のうちだ」って馬鹿をいったら、ジーッとおれの顔をにらみつけてさあ。


「人間には、ものごとにぶつかっていく命ってものがある。それをいま『南無妙法蓮華経』で出さなきゃ、おまえは絶対に立ち直れないよ」と、きたね。


 それからが大変だ。なんと3時間、拝まされたよ。本は逃げてえ、逃げてえという気持でいっぱいだったけど、拝めば金を出してくれるとったから、拝んだね。そう読んでさ。


 ところが、「拝んで、ぶつかっていく生命力がついたから、これから金借りた先を一軒ずつまわって、待ってもらうように頼んどいで」。たまんない台詞だったぜ。行けるかっていうの。いままでさんざん逃げまわってきたのに、そんな真似した日にゃ、飛んで火に入るナントヤラだよ。だけど、おれと違って、お題目ですっかり生命力がついちゃってるオフクロは、引きさがりゃしないんだ。


 しょうがないから、いちおう外に出て、その辺をグルッとまわって帰って、「駄目だったよ」って芝居を打ったのよ。そしたら、「謝りに行って、こんなに早くすむわけがない。行かなかったんだろ?」ってあっささり見破られて、「生命力がついてんだから、大丈夫だ。ひとりで行けないんだったら、あたしがいっしょについていってやる」って、馬丁さんの家へ引っ張っていかれたんだ。


 おれはオフクロもいっしょに謝ってくれるのかとってたら、玄関の前で立ち停まって、「ここで待ってるから、『私をジョッキーとして殺したくなければ、借金の返済を待ってください』っていっといで」って、おれの背中を押すのよ。そんなこといったら、ほんとに殺されるんじゃないかとおれはったね。


 ところが、馬丁さんは「富男。そこまでなったんなら、待ってやる」って快く受け入れてくれたんだよ。次に行ったある人なんか、「いい覚悟だ。その覚悟に免じてチャラにしてやる」とまでいってくれてさあ。ああ、よかった、よかったとったよ。


 そいで、信に励むようになりゃいいんだよな。でも、喉元過ぎれば、「拝む? バカらしい」だもんな。ホントに、おれっていう人間もどうなってんだか(笑う)。


 まあ、それでも借金は少しずつ返していったんだけどさ、そういう一件から2年ぐらいたった頃、調整ルーム(レース前に騎手が外部と接触しないように隔離される宿泊施設)に泥棒が入るという事件が持ち上がったのさ。かっぱらわれたのは300万か400万で、ほんとの犯人はかなり後になって捕まるんだけど、真っ先におれが疑われたんだよ。借金も抱えてるし、ヤバイやつだって。身から出たサビっていえば、そうかもしれないけどさ。


 仲間はみんなそうい込んでるからさ、たとえば、おれが食堂へメシを食いに行くだろ。それまで賑やかに笑いあっていたのが、シーンだ。酒飲みに行っても、おれが店のドアを開けると、みんなスーッと出てっちゃう。もう完全に村八分さ。これは寂しいぜ。あんなにガックリきたことはなかったよ。つまんなかったよなあ。


 こうなりゃ仕方がない。いよいよ、信するしかないかなって覚悟を決めたよ。遊びにも行けないし、だれも相手にしてくれないんだからさ。遊べないから、金も使わないだろ。それで、信する決を固めるために、ちょっと金かけて壇を買おうと考えてさ。


 最初に100万円の壇を買ったんだ。だけど、ちょっと傷があったんで取り換えて、次のやつも家のなかに置いてみると気に入らなかったりで、最後にこれだと決めたやつがすごいんだ。値段を聞いてたまげたね。なんたって、400万っていうんだからさ。オイ、よせよってったけど、仕方がない。買ったさ。


 そんな高いの張りこんだからさ、もう毎日、拝んだね。さま拝んでんだか、壇拝んでんだかわからなかったけど。だけど、壇で信できるのは、ひとぐらいだったね。もともと、お題目唱えるなんて年寄りくさいことが大嫌いな人間だからさ。


 壇の蓋(ふた)を閉めっぱなしにして、1年もたった頃だったかなあ。創価学会に入っているジョッキーが集まって、「赤兎馬」っていうグループができてね。おれにもがかかった。いや、かかったどころの話じゃなくて、「グループ長になれ」っていうわけよ。入信暦でいうと、おれがいちばん古手だっていうんでさ。


 これが大変よ。みんなの突き上げっていうか、反発がすごいんだわ。「長がは寝坊するし、調教はサボルっていうんじゃ、ついていけない」って。チキショーとったよ。だけど、そこでケツまくって、また村八分にされちゃあかなわないっていう頭もあるからさあ、「真面目にやるからいっしょにやろうや」っていうしかない。いったけど、しいこと、しいこと(笑う)。おれなんか、酒飲んでても、二言目には「うるせェ、コノヤロー」だろ。そういう男が、「とは耐え忍ぶものだ」なんていわなくちゃならないんだから。


 あるとき、競馬新聞の記者の人を赤兎馬に誘ったら、入ってきたんだよ。入ってもらった以上は簡単にやめるようなことになっちゃまずいから、「よし、教義を教えよう」ってわけで、「御書」を使って始めたわけだ。「御書」っていうのは日蓮大聖人が書いたもので、創価学会教典なんだけど、そんなのおれもろくすっぽ読んだことなかったのよ。向こうは大学出だからさ、漢字もおれよりは知ってるからさ。すぐに突っ込まれて、困っちゃうわけだ。


 新聞記者だから、おれの知らない本もよく知ってるんだ。池田大作さんの『生命を語る』っていう本だったかな。「読んだことある?」って聞かれてさ、おれの格だから「読んだことない」とはいえないのよ。「ああ、昔ね。だけど忘れちゃってるところもあるから、ちょっと貸してよ」ってごまかして、調整ルームでこっそり読んだんだけどさ。あとで内容を説明しなきゃならないから必死よ。まあ、笑い話みたいだけどさ、これが勉強になったね、ホントに。


 その本のなかに、命にはお金とか時間を追っかける命もあるって書いてあった。おれはさ、借金と時間に追っかけまわされてた人間だろ。それだけに、納得した。信じるに足ることだなってったよ。


 でも、根が勉強ぎらいだからさ、本読んでてもすぐ眠くなっちゃうんだ。新聞記者の彼にそういったら、「本を好きになるように拝めばいいじゃない」っていわれて、南無妙法蓮華経……って、一生懸命やったのよ。そしたら、冗談じゃなくて、本読むのが面白くなっちゃったんだよ。「おい、今度は眠れなくなっちゃったぜ」っていうぐらい、ハッハッハ。


 それから、競馬を好きになろうとって、毎日毎日拝んだね。こっちも、急に面白くなってきたね。34歳になってから、人は歳だっていったけどさ、そのときからの調教も休まなくなったのよ。識が変ったっていうか、自分の命がグーンと大きくなった気がしたね。考えてみれば、28年目ってことだよなあ。


 拝むってのは、何かにすがることじゃないって、おれはいまうのよ。目標に向かっていくために、自分に鞭を当てることなんだ。お題目を唱えて、目標をはっきりさせて、自分を夢中で走らせる。それが拝むってことだってうよ。


 目標を持つことが大事なんだ。赤兎馬でも話すんだけどさ、みんな、目標が小さいんだよな。「10年後どうなりたい」って聞くと、「幼稚園の先生」ってのがいる。何いってんだ。コノヤローだね。「10年後には何百勝してます」っていってもらいたいとうよ。なかには、「池田先生の平和を祈ってる自分になりたい」っていう人もいるね。信でいえば、否定できないことだけどさ、信ってのはそんなカッコイイもんじゃないよ。おれたちはジョッキーだろ。その仕事でいま成功しなかったら、信する味なんてないぜ。おれなんか、ジョッキーやるために生まれてきたんだしさ。


 人間はとにかく「驕慢」になりやすいよ。現状維持で、あきらめちゃうってことだよな。それを打ち破るには目標、夢ってものを持ってかなくちゃ、学会ではそう教えてるわけさ。その目標が正しいとえば、拝むことで力が湧いてくるんだよ。


難即悟達」っていう教えもあってさ、が来たときバネになるのが信ってことだけどさ。51年の夏に新潟で落馬したことがあるんだよ、おれ。そんとき、落ちながら瞬間的にいろんなことを考えたね。あ、ほかのやつが勝つな、とかさ。で、難即悟達が本当なら、ちゃんと信しているおれは、これで浮かび上がれるってったね。


 地面に叩きつけられたときは痛くてさ、南無妙……ってやれば楽になるとったりして、結局やめたけどさ、まだ未経験だったクラシックに乗れるようになる、ってことだけは信じてたね。


 クラシック初騎乗の「菊花賞」で勝ったのが、この年よ。おれにとって初馬場の京都競馬場で、馬券も大穴だった。信の力だったとうね。だから、おれはいまも信してるのよ。好きな競馬で伸びていくためさあ。


【『「宗教時代」いま日本人のココロに起っていること』米山義男編(晶文社:絶版)1988-03-25発行】

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