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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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1989-04-25

ドゴール


 先ほど、「」のもつ力について触れたが、ドゴールは、そうした「の力」の偉大さを最も鮮明に証明した人物の一人でもあった。

 第二次世界大戦のさなか、「戦いはこれからだ!」と彼は叫ぶ――それは、ラジオ放送を通じてのことだった。

 1940年6、ヒトラーのドイツ軍がパリを占領。世界の“文化の都”は、ナチスの軍靴に蹂躙(じゅうりん)され、凱旋門には鍵十字の旗(ハーケンクロイツ)が翻(ひるがえ)った。フランスの栄光は完全に地にまみれた。大敗北である。この時、誰が立ち上がったか――。時の首相・ペタン将軍は何と即刻、全面降伏を決定した。

「涙をのんで、フランスは戦闘をやめねばならない……」――首相のラジオ放送を人々は絶望のいで聴いていた。そのそばをドイツ軍のオートバイが、我がもの顔で走り抜いていく。屈辱が胸をかんだ。

 もはや、全てが終わったのか? このままヒトラーの野望の前に、フランスの偉大な歴史は幕を閉じようというのか? 誰も答えられなかった。

 しかし、ペタン首相の放送から約2時間後のことである。ある村の一人の若者が、家から走り出てきて、村人に叫んだ。

「おい、フランスはまだ負けてないそうだ! “戦え!”って言ってるぞ! 今、将軍がラジオ放送でそう言った!」

「将軍って誰だ」

「ドゴールって前だ!」

 ドゴールは呼びかける。

 ――諸君、フランスは戦闘に敗れた。しかし、フランスは戦争に負けたのではない、と。

 人々はラジオにを押し当てるようにして、この唯一の“希望の”に聞き入った。その日、こうした光景は全国で見られた。

 この時、ドゴールは49歳。ロンドンにいた。一般にはほとんど無の存在であった。

 彼は先輩の上官たちが、皆だらしなく降伏したことを知るや、急遽(きゅうきょ)イギリスに飛んだ。そして、ロンドンのBBC放送から、全フランスへ救国のを送り続けた。来る日も来る日も――。

「戦いをやめる? それは単なる降伏ではない。それは奴隷になることだ。手も足も出ないようになって、敵に引き渡されることだ」

「フランスの兵士よ! 今、君たちのいる場所で立ち上がれ!」

「フランスの士官、フランスの水兵、フランスの操縦士、そしてフランスの技師諸君、どこに君たちがいようと、“更に戦う”ことを望んでいる人々と協力せよ。団結せよ!」

「何が起ころうとも、フランスの抵抗の火は消えてはならないし、また、消えることは絶対にないだろう」

 この一言一言、ドゴールの魂からほとばしるに、レジスタンス(抵抗運動)の炎が、燃え上がっていった。

 ドゴールは一人で戦っていた。その懸命の一人の、魂から発せられた言葉だったからこそ、それを聞いた多くの人々が立ち上がった。人々のを真に共鳴させるもの。それは、口先の言葉や、格好のよさなどでは決してない。絶対の確信に裏づけられた「力の」なのである。


 有な作家モーリヤックは書いている。

「われわれの運命の最も悲惨だった時期には、フランスの希望は一人の人間にかけられていた。その希望はこの人物の――この人物だけのによって、表明されるばかりだった」(モーリヤック著『ドゴール』岡部正孝訳/河出書房新社)と。

 そして、地下に隠れ、頭上の天井をドイツ軍将校の足音が揺らすのを聞きながら、毎日、ドゴールの放送を待ち望んだ、と回している。

「われわれは受信機の前にいない家族の者たちの方へ走って行って、『ドゴール将軍が話をするぞ、彼の話がはじまるぞ!』と知らせたものであった」(モーリヤック著前傾書)と――。

 そのは、妨害電波網をくぐり抜けて聞こえてくる、かすかなであった。しかし、ナチス支配下の暗黒時代、このかすかなが、唯一の希望の光だったのである。

 ただ一人の、しかし確信に満ちた凛然たる“”――。その響きがどれほど力強く人々を励まし、に「希望」と「勇気」を与える源泉となるか。モーリヤックの回はこのことを如実に語っていよう。

 ドゴールの「」は、一歩も退かぬ彼の「行動」と常に一体であった。否、この時、彼にとって「」こそが、祖国のためになし得るただ一つの、全てを賭した「行動」そのものに他ならなかった。

「行動」と「責任」、そして、胸奥にあふれる「情熱」――。これらと一体となったやむぬやまれぬ「魂の叫び」から、やがて時代を動かす共のうねりが生まれていく。そこに、私どもの進める「対話」の真髄もある。どうか若き諸君は、透徹した行動と対話で次代の扉を開きゆく、深き信のリーダーと育っていただきたい。




 さて、先ほど述べたように、民衆は圧倒的にドゴール将軍を支持した。

 しかし、フランスのペタン政権は、政府の決定に従わない、この傲岸不遜のドゴール将軍に死刑の宣告を下す。

 そして、「下男根のフランスの新聞はこの首斬り人(ペタン首相)のために、彼(ドゴール)にありとあらゆる侮辱と嘲笑を加えつづけた」(モーリヤック著前傾書)のである。

 後にドゴールは語っている。

「私は、私と人民とのあいだに介入する傾向がある“選良(エリート)たち”よりも、むしろ人民の中に、今まで以上に支持を求めなければならなかった」(前同)と――。モーリヤックは、この言葉こそドゴールを解く「鍵」だとしている。

 結局、信頼すべきは無の庶民、民衆をおいてない。このドゴールの抱(いだ)いた慨に、私もまた私自身の経験から、深い共鳴を覚える。

 ドゴールは亡国の危機に一人立ち、「自由フランス軍」を結成。北アフリカ戦線、その他の戦いを重ねて、4年後の1944年8、ついにフランス本土を解放に導いた。

 まさに、「20世紀のジャンヌ・ダルク」の使命を果たしたわけである。


 ドゴールは夢家ではなかった。むしろ、全く逆に、透徹した現実主義者だった。それゆえに、「希望」のもつ現実的力を熟知していた。

 作家のアンドレ・マルロー氏とは私も二度対談を行なっているが、彼もまたドゴール政権下の閣僚を何度も務めた“右腕”であった。

 ドゴールはマルロー氏にこう言っている。

「行動と希望とは引き離せないものだった。希望はまさに人間にしかないものらしい。そこで、個人においては、希望の終りは死のはじまりといたまえ」(マルロー著『倒された樫の木』新庄義章訳/新潮選書)と。

 フランスの大逆転劇は、まさにドゴールによってもたらされた、民衆自身の「希望の力」の勝利だった。一人の無の将軍の戦いに呼応した民衆の凱歌であった。

 民衆の力ほど偉大なものはない。民衆の英知ほど鋭いものはない。民衆の力を知ることは、真の指導者の証といえる。

 そして私は、青年部の諸君こそ、民衆のを我がとして、壮大な妙法広布の流れをリードしゆく、使命の指導者群であると申し上げたい。諸君も民衆を軽蔑し侮辱する一切の勢力とは、断固として戦ってもらいたい。そこにこそ、揺るぎなき磐石なる勝利の歴史を綴(つづ)れるからだ。


 こうしてドゴールは、20世紀の歴史を飾る人物となった。

 だが、一体何が、彼にこれほどの行動力と影響力を与えたのか。そこには、ある種の謎が残る。

 イギリスに渡った時、ドゴールには何の権力もなかった。兵力も財力も、の力もなかった。 それどころか、本国から役職を剥奪され、「死刑」を宣告された“一兵卒”に過ぎない。異国にあって、よるべき土地もなかった。文字通り丸裸の中年男である。

 その彼が、イギリスのチャーチル首相、アメリカのルーズベルト大統領といった、当代きっての大物政治家を向こうに回して、“戦うフランス”への支援を取りつけていったのである。

 フランスの正式な政府の決定を差し置いて、たった一人、「私はまだ戦う」と言っている。この風変わりな男の、どこにそんな力があったのか。

 国際政治上の力学や、駆け引きは別にして、不可能を可能にしたドゴールの 強靭な人格の秘密について、マルロー氏は後にこう書いている。

「(ドゴールは)人々が国家の不幸に対して立ち向かわせることのできた唯一の人であった。それは彼が自分の中にフランスを抱(いだ)いていたからである」(マルロー著前傾書)

 ――「私がフランスだ!」。この確信がドゴールの力の源泉だったというのである。

 ドゴールは常に大いなる誇りをもっていた。「私のいるところ、そこにフランスの魂はある」と。


 次元は異なるが私もまた、「私の中に創価学会がある」との決で進んできた。

 胸中には常に「創価学会」を抱(いだ)き、戸田先生牧口先生の魂を抱いている。だからこそ私は強い。何ものも恐れない。また、何があっても変わることがない。

 諸君も、それぞれの立場で、「私が創価学会である」「私の中に創価学会はある」との自覚で、誇らかに、また縦横に活躍していっていただきたい。


 一説では、ドゴールという前は、それ自体〈フランス人〉を味するという。少年時代から、彼は自分の人生とフランスの命運とを一体視していた。

 フランスの栄光こそ、自分の人生の栄光であり、フランスの勝利のほかに自身の勝利はない、と。

 そして敗戦で、フランスの屋台骨が全て崩れ落ちた時、廃墟の中にこの一兵士が、一人でフランスを代表し、主柱のごとく立っていた。

 彼は、「誰かがやるだろう」などとは絶対に考えなかった。「誰かがやらねばならない。だから、私がやる」。この情熱と責任が彼の行動を貫いていた。


 徒手空拳の一亡命軍人が、祖国のためにただ一人、「不屈のフランス」を代表し、フランスの栄光を取り戻そうというのである。

 彼の情をう時、その悲壮と重圧は像を絶する。普通ならば、死刑の宣告を聞いただけでも、震え上がってしまうに違いない。

 また、客観的には、むしろ狂気めいた、滑稽な姿としか見えなかったかもしれない。しかし、彼は勝った。

 先に触れたように、彼には何も頼るものがなかった。丸裸で出発した。私はう。ある味で、だからこそ彼は強かったのだと。虚栄や虚飾が微塵でも指導者にあったならば、生命を賭けた力は出ない。本当の仕事はできない。

 学会もまた、歴代会長の全てをかなぐり捨てた「必死」の戦いによって、誰人も考えられなかった奇跡ともいうべき勝利を勝ち取ってきた。ただ一人の戦いが常に原則となっている。

 これからは諸君が、その力を証明する番である。これだけ多くの優秀な青年がいて、いかなる未来の結実をもたらしていくか。「世界」が見ている。「歴史」がじっと諸君を見つめている。青年らしく、学会っ子らしく、「次の学会をよろしく」と、私は諸君に託したい。


 ドゴールは「本国に入れないないなら、周辺から戦おう」と決めた。フランスの植民地であった北アフリカの諸地域を、一つまた一つ、味方にしていった。一歩また一歩、本国政府も無視し得ない勢力を築いていった。

 ある面からいえば、それは地を這うようなゲリラ戦であたt。その一方、国内のレジスタンスとも密かに連携を取り続けた。


 私はこの10年間、来る日も来る日も、友の激励に徹した。一日に何百人、時には何千人の友に、信からほとばしる「魂の」を送り続けた。そうした友と私との一対一のの絆によって、全ての情勢を一変させていった。単なる組織の力などでは決してない。

 これは自分のことになるが、将来のために、あえて言い残しておきたい。


 ドゴールはいかなる状況にも追随しなかった。反対に、自分に状況を追随させるために立ち上がった。

 彼は権威を全く無視していた。事実の上で、フランスのため、国民のために尽くす者だけを尊敬した。

 そして不敵に、剛毅に、胸を張って生き抜いた。


 それにしても、「負ける」ということは、まことに惨めである。敵はナチスばかりではなかった。大戦中、フランスは、イギリスからもアメリカからも、徹底して「敗戦国」扱いの侮辱を受け続けた。

 誇り高きドゴールは、しばしば激高(げっこう)した。「今に見よ!」。怒りを胸に刻んで、彼は耐え、時を待った。

 味方であるはずの英米にもなめられきったこの頃の屈辱を、ドゴールは終生、忘れなかった。

 戦後の彼の、いわゆる独自路線は、この体験を一淵源にしているといわれる。英米と手を結ばず、頼ることなく、フランスはフランスの道を行くと決めたのである。

“フランスはフランス人の手で守らねばならない。フランスはフランスの独立の力で、はじめて偉大であり、輝きわたるのだ”――これが彼の信条であった。

 頑固なまでのその姿勢には多くの批判もあったが、彼は「どこにも頼らず、頭を下げる必要のない力をもつ。そうすれば相手の方が尊敬してくる」と動じなかった。


 彼の政策の是非はともかく、その信には学ぶべき真理が含まれているとう。

 広布の前進にあっても、共と理解を広げに広げていくことは当然として、所詮は、誰人をも頼らず、民衆の団結の力で進んでいく以外にない。その奥底の覚悟が、学会を強くし、正法と広布の世界を厳然と守りゆく力となる。


 ともあれ、ドゴールの偉大さは、最も闇の深い時に、最も高く希望の火を掲げたところにある。

 フランスの夜明け前、太陽は既に彼の胸中に昇っていたのである。

「太陽の存在が必要であるのと同じく、世界のため、フランスのために、正義の存在が必要だ。いつか必ず正義がやってくる。それをもたらすものこそ勝利なのである」と彼は語っている。

“全滅”の状況の中で、彼のみが未来をあまりにも的確に見通していた。信じていた。

「フランスは必ず勝つ」。彼のこの確信を軸に、その後の歴史は回転していった。

 こうして一人の勇者のが、嵐も暗雲も吹き払った。これは厳たる歴史の事実である。


 私は多くを語りたくない。また、賢明な諸君にこれ以上、申し上げる必要はないとう。

 ただ私は、清らかな正法と信の世界を踏みにじり、占領しようとした狂暴な多くの悪と一人戦った。私にはドゴールの孤独と衷が、そして、不滅の誇りと喜びが、痛いほど伝わってくる。次は誰が立ち上がるのか。

 ゆえに私は重ねて、「広布の未来は一切、諸君たちの手中にある。その中にのみある」と強く申し上げておきたい。


【第14回全国青年部幹部会 1989-04-25 創価文化会館