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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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1989-05-27

ローマ・クラブ創始者の子息、R・ペッチェイ博士と懇談


「お父様は偉大な方でした。人類を真に憂えておられた。『精神のルネサンスを』と叫び、行動されました。そのお姿は、今も私の胸に熱くづいている。また、これからも世界の未来を、いよいよ力強く照らしゆくことでしょう」

池田SGI会長は27日午後4時半(日本時間28日午前0時半)前、ローマ・クラブ創始者の故A・ペッチェイ博士の子、R・ペッチェイ博士を、緑したたるタプロー・コートに向かえ、約1時間半にわたり懇談。在りし日のペッチェイ博士をしのびつつ、博士の崇高な理を継承し、生かしゆく道を探る有義な語らいのひと時をもった。

「父は池田先生を深く尊敬していました。また、母も父の死後、一時、元気をなくしていましたが、池田先生を始めとする皆さま方の激励のおかげで、今はすっかり元気を取り戻し、ローマで健康に暮しています」

 子のペッチェイ博士とSGI会長は、この日の前日、ロンドン大学で挨拶を交わしており、この日の出会いは二度目。真剣な中にも、家族のように打ち解けた温かいものが通い合う対話が続く。

「母のことをから謝申し上げます。また、父との友情を今も大切にしてくださっていることを謝いたします。そして、ご多忙の中、このような素晴らしい場所に招待してくださったことにお礼を申し上げなければなりません」

 語らいの部屋は、間もなく開所する東洋哲学研究所ヨーロッパ・センターの書斎。初夏の午後、柔らかな日差しが差し込む窓の向こうには、日に映(は)えて緑の丘が広がっている。

「父上とパリで初めてお会いした日、父上は奥様の誕生日であるにも関わらず、駆けつけてくださった。そのおに報いる味でも、私はお母様を大切にしたいのです。母上に直接お目にかかること、そして、父上のお墓参りをさせていただくこと、これが私の何よりの願です」

 SGI会長はこう述べて、A・ペッチェイ博士との5度にわたる会談のい出の中から、ひときわに残る情景などを紹介していく。

「その第1回会談は1975年516日、リンゴの白い花が咲く頃でした。最初は屋内で始めたものの、部屋の狭さもあって、急遽、庭に出て対話を進めました。青空のもと、芝生にソファを持ち出して、にわかづくりのサロンです」

「父は、全く形式ばらない人間でしたから、そういう方式をきっと喜んだといます」

「2時間半、縦横に論じ合いました。特に、現代が『人間革命』を要請している点で完全に合できました。世界は『精神の革命』『精神のルネサンス』を絶対に必要としている。これが博士の生涯を懸けた探求と体験の結論でした。

“やりましょう! 私たちは握手しましょう。人類のために力を合わせていきましょう”――その断固としたを、私は終生忘れません」

「父は、世界を変えなければならない、人々の価値観を変え、そこから『人間と人間』『人間と自然』の関係を変えていこうと考えていました。これは池田先生と、全く共通の目標となったわけです」

「第2回目の会談(1979年11)は東京で、第3回(1981年6)の折には、フィレンツェまで、自宅のローマから自ら車を駆って来てくださった。

 次は(1982年1)、東京の私どもの会館でした。小さな庭を手を取り合って歩いたものです。話に熱中するあまり、池に落ちないように(笑い)気をつけねばなりませんでした。

『この庭も美しい。しかし、真実の友情以上に、この世で美しいものはない』――つぶやくともなく博士が言われました。私に聞かせるというよりも、自ら口ずさむような口調でした」

 SGI会長は回し、「真実の人間同士は必ず結びつくことができる。その絆からこそ、実は『平和』も『文化』も生まれてくる。人類の遺産の『継承』もなされていく。これが私の信です」と語った。

 更に「最後の会談(1983年6)もパリでした。アメリカから飛行機でパリに来てくださった。ところが飛行機で博士は荷物を盗まれてしまい、着替えがなくなってしまった。にも関わらず私の宿舎を訪れてくださり、平然として、にこやかに語ってくださったのです。そのお姿をい起こす時、私のは涙します。

 本当に強き人格でした。誠実の結晶のような父上でした。若輩の私にも厚い礼を踏んでくださり、また、子供のように可愛がってくださった。信頼し、期待してくださっていた」とし、続いてペッチェイ博士とファシズムとの戦いに言及。

「博士がイタリア・ファシズムへの抵抗運動で1年近く投獄されていたことは有です。しかし、博士は自分からはそのことを言い出されなかった。

 博士は、創価学会の初代会長、二代会長が軍部ファシズムによって投獄され、初代会長は獄死したことを、よくご存じであった。そして、権力に屈しない、正義を貫く勇気を最大に讃えておられた。博士は言っておられた。『変節漢は最も嫌いです』と。

 実は、博士が初代、二代の会長の話をされたので、私の方から言ったのです。『博士も“獄中の勇者”だったではありませんか』。

 博士は淡々と語ってくださいました。ひどい拷問や虐待を加えられたが、痛手を受けた分だけ、自分の信は鍛えられた。極限的な状況下にあっても絶対に互いを裏切らない友情を結んだ。したがって、敵のファシストからも教えられたことになります、と。

『私は楽観主義者です。私の信は不動です!』。巌(いわお)のような大きさと強さをじさせずにはおかない父上の風貌を、そして、崇高な理を私は正しく後世に伝えてゆく決です」

 SGI会長の述懐に、子のペッチェイ博士は「父のい出を聞かせていただき、池田先生の父へのいの深さに、動のあまり言葉もありません。修飾ではなく、文字通り“の底から”謝いたします」と告げた。

 また懇談では、ペッチェイ博士との対談集『二十一世紀への警鐘』についても話題となった。SGI会長は、今回のスウェーデン語版で、既に世界13ヶ国語の出版となり、各国で多くの方々から、高い評価と共が寄せられていることを伝えた。

 そして、この対談集の体裁が、それほど大きな、厚い本とならなかったのは、ペッチェイ博士の向によるものであったことを紹介。

 すると、子のペッチェイ博士は、「試行錯誤や体験の積み重ねによって物事は、完全なものに近づいてゆくものです。父も例外ではありませんでした。著書を出す場合も父は、最初の内は厚くて大きな本がよいと考えていたようです。しかし、それでは人々にあまり読まれない。人々が好むのは、できるだけ薄くて、鋭く短く要約された内容のものであることに気づいたわけです。ローマ・クラブの仕事を通しても、できるだけ多くの人に、いかに自分のメッセージを伝えるかを考えていました。

 世界の変革という問題も、その必要を多くの人に信じさせ、価値観の転換を図っていかなければならない。それを訴えるには、薄い本がよいとうようになった。父の遺作となった『未来のための百ページ』という本は、タイトルに象徴されるように、100ページの本に父はしたかった。しかし、本の大きさが少し小さかったために、120ページのものになってしまったようです」と語った。

 更にペッチェイ博士は、父のペッチェイ博士とSGI会長の対談が成功したことについて、「それは、二人の考えが共通していたことでもあるし、同じ次元で対話することができたからだといます。

 もし、二人が同じ次元に立った対話ができなければ、たとえ、互いに尊敬し合い、友情で結ばれていたとしても、対談は成功しなかったにちがいない。

 やはり、精神的深さにおいて同じ次元にあったと同時に、重要な価値観が共通していたからだとっています。

 そうでなければ、対談も不可能であったでしょうし、それを本にすることなどできなかったでしょう。

 出版された本は、その内容も価値あるものですが、それ以上に、池田先生と父とが、いかに精神的次元で一致していたかを映し出しているものです」と述べた。

 また、SGI会長は「ペッチェイ博士の遺徳と功績を、永遠に顕彰してゆくものを何か残したいと考えてきました。それは、博士に対する私の尊敬と信義、友情のい以外の何ものでもありませが、私でお役に立てることがあれば、ぜひ尽力したいといます」と強調。

 ペッチェイ博士は「温かなご厚情にから謝いたします」と述べながら、「父は生前、私たちに言っていました。“い出を残すことは重要であるが、それは建物など目に見える形によるのではなく、理や目的を継承する行動にこそ、その人を忘れない最高の方途がある”と。

 したがって、もしできれば、世界の変革を目指した父の目的に寄与するものを考えていただければ、これほどの喜びはありません」と語った。

 SGI会長は、ペッチェイ博士によってローマ・クラブが創設された時は、世界的に大きな注目を集め、その賛同者が多かったことに言及し、「とかく人間のの奥には、自分のやエゴ、他人の利用など醜いがうごめいているものです。そして、一人の偉大なる人が去ってしまうと、それまでの理や精神を消失して、いつしか忘れてゆくのが人間の常です。

 しかし私は、ペッチェイ博士の目指された理、目的を継承してゆくことが、現在、最も大事なことだと考えています。どんな労があってもそれを避けない。誰が何と言おうと挑戦してゆく――これがペッチェイ博士のであったし、私どもが深く一致し合った点でもありました」と述懐。

 そして、ペッチェイ博士は「父は青年を愛していました。世界の未来を変革する決定的要因は、若者の価値観を変革することだと常に語っていました。若者の価値観を転換することによって、若者たちの世界への考え方を変え、行動の傾向を変換してゆくことができるからです。

 最大の関事は『人間革命』をどうもたらすかであり、若者たちの人間革命の実現によって、世界の未来が変革できるといます」と述べた。

 SGI会長は「一人の人間の必死の叫びが、国境を超えて友から友へ、世代を超えて父から子へと広がり、やがて、人類のに達してゆく。その『からへ』『人間から人間へ』の“魂のリレー”こそ、人類の永遠の発展の価値をもたらしてゆくものです」と強調。

 こうして、文化と哲学ともいうべきタプロー・コートでの語らいは、和やかに幾重にもはずみ、近い将来の再びの出会いを約しつつ、終了した。


1989-05-27 イギリス、タプロー・コート】

1989-05-17

ロベール・ベルティエ、フランスのJ・M・F理事長と会談


《J・M・F(ジュネス・ミュージカル・ド・フランス)はフランスの青少年音楽団体》


 また、舞踊芸術の精髄が話題に。

 その際、誉会長は「文化は人間の表現であり、証である。その中でも『舞』は、人間の精神と肉体の全存在を『美』へと昇華させゆく創造の行為である。一瞬一瞬に生命が躍動し、魂の表情がしなやかに表れ出てくる。極めて集中力を要する芸術とう」とし、フランスの家の「舞踏(ダンス)は人間に全精神を集中させる。踊り手の顔にあらわれる平静さを見ればよくわかる。彫刻家の最初のモデルになったのは踊り手なのである」との言葉を引いた。

 更に、「法華経には『人華(にんげ)』との表現がある。バレエにおいても、生命の鼓動に合わせて、人間が『華』と開き、薫り、輝いてゆく。いわば『行動する人間』の究極の美の結晶が、バレエ芸術の目指すものではないか」と論じた。

 同理事長は、同を示すとともに、「そうした美は万国共通の言語ともいえる」と指摘。

 誉会長は、「その通りである。『白鳥の湖』の瀕死の白鳥のは、翻訳される必要がない。万人の胸を打つ。そこから芸術・文化交流等が、人々を国境を超えて結びつける力も出てくる」と述べた。

 同理事長は、日本は経済大国として世界の熱い注目を浴びている。しかし、率直に言って、文化の貢献という分野では、これからという面があるのではないかと述べた。

 誉会長は、残ながら否定できない指摘であり、「豊かさの中の貧しさ」ともいうべき文化と精神の軽視は、日本の重大課題であると応答。

 その克服のために、民音を創立し、また、美術館等も含めて、世界に「文化の橋」「人間の橋」を渡してきたとの情を語った。そして、「文化の交流にかける私の情熱は、『努力』という表現では言い足りない。むしろ、精神の『戦い』という言葉を使いたい」と強調した。

 同理事長は、「誉会長は、日本が経済大国になる前、すなわち1963年に既に民音を創立されている。その先見を私はから讃えるとともに、誉会長の誠実な義ある行動が、大きく実を結ぶことを期待する」と述べた。

 誉会長は、「芸術とは突き詰めていえば、“人間とは何か”という飽くなき探求ともなってゆく。その味で芸術論は人間論である。また、人間論は精神の哲学ともなり、その精神論は必然的に文化論への道をたどる。そして、文化論は即平和論に結びつく。平和なくして文化はなく、文化の力が平和を支えるからである。

 こうした味から、芸術を語ることは人間の平和と幸福を語ることになる。更に、幸福は価値創造にあり、より高い価値の創造を目指して生きる中に、人間の魂は“永遠なるもの”に目覚めてゆく。芸術は人間の秘奥(ひおう)を開く鍵ともいえよう」と語った。


1989-05-17 聖教新聞社】

1989-05-16

「本当の青には、染みがつくことはない」


 また、イギリスのことわざに、「本当の青には、染(し)みがつくことはない」とある。「青」はイギリスでは清潔、正義を表すともいわれる。そのためか、国旗ユニオンジャックにも「青」が使われている。

 このことわざでは、青は「色褪せることのない染料」と「志を曲げない人」との味を表している。つまり、自分の志を曲げず、信のままに一途に生き切っている人は、いかなる誘惑や妨害があっても、決して悪の道に染まることはない、との味になろう。


【第17回本部幹部会 1989-05-16 創価文化会館

挑戦と応戦


 イギリスのトインビー博士(1889-1975年)のことは、何度かお話したが、やはり「今世紀最大の歴史学者」と呼ばれるにふさわしい、ひときわ傑出した、現代を代表する知であった。

 博士と私との対談は、1972年(昭和47年)の55日から9日まで、そして、翌年の515日から19日までと、2年越し10日間、40時間以上にわたり行なわれた。

 その数年前から、「是非、お会いしたい」との連絡を受けていた。博士は高齢のため来日はしいとのことで、若い私の方がロンドンを訪問した折に、博士の自宅でお会いすることになったわけである。


 さて、トインビー博士の歴史学上の貢献は極めて大きい。未来にも、いよいよ光を放っていくであろう。では、その根本となる理論は何か。

 その一つが、有な「挑戦と応戦」(チャレンジ・アンド・レスポンス)の概である。

 人類史における文明の発生、そして成長。これらは、「自然」からの、「他の人間社会」からの、そして「自己自身」からの、ありとあらゆる「挑戦」を受け、それに「応戦」しゆくところに実現したというのである。

 さまざまな「戦い」に次ぐ「戦い」。それが歴史であり、人類発展の根源の力である。ここに博士の洞察があった。


「挑戦と応戦」のリズムは、実は生命それ自体の律動でもある。

 例えば人体も、有害な細菌の侵入という「挑戦」に対して、抗体をつくるなどして「応戦」する。それによって、免疫ができ、生命の適応力をより強める。

 反対に、応戦に失敗した場合は、病気、そして死へと向かわざるを得ない。これは個人においても、団体、国家、諸文明、人類そのものについても同様である。あらゆる生命体の基本的な法則といってよい。


 博士以前の西欧では、いわゆる「科学的」を標榜する機械論的歴史観が優勢であった。しかし、博士はそれらを用いず、識的に遠ざけた。

 歴史とは人間自身がつくるものである。また、人間を通して、宇宙の大いなる生命が表現される舞台である。――博士の歴史観は極めて「生命的」であり、生きた歴史のとらえ方であった。


 ところで、博士はこの「挑戦と応戦」という着をどこから得たのか。

 博士自身が書いているところによれば、それはゲーテの詩劇『ファウスト』からであった。(『歴史の研究』第2部「文明の発生」、及び『試練に立つ文明』)

 すなわち、『ファウスト』の物語が始まる前、その前提として置かれた「天上の序曲」において、神と悪(メフィストフェレス)の対話が行われる。

 悪が神に挑んで、ひとあわ吹かせようと企(たくら)む場面である。

 ゲーテのいう神と悪とは、生命の究極の「善」と「悪」の象徴であろう。彼は超越的な人格神の概には、むしろ否定的であった。その味で法におけるとの戦いにも通ずる面をもっている。

 ともあれ、悪の「挑戦」と善の「応戦」、そこに博士は人類の全歴史を貫く基本の姿を見た。


 博士によれば、神(善)はあまりにも完全であり、あまりにも充足している。そのため実は、悪からの挑戦を受けなければ、行き詰まっていたであろう。

 悪に応戦することによって神(善)は行き詰まりを脱し、新しい創造の歩みを可能にした。これが博士の『ファウスト』観であり、ここから博士は、文明の発生と成長を説明する法則を見出した。


 すなわち、何も起こらない、いわゆる“天国”そのもののような世界では、刺激もなく、創造的生命も発揮されない。様々な出来事があって初めて、個人の成長も充実もある。また、人類の発展と進歩もある。

 自然にも春秋があり、暑熱の時も、寒風の時もある。1日にも昼夜があり、全て変化の連続である。

その変化に応ずることによって知恵も湧き、楽しみも文化も生まれてくる。何の「挑戦」も受けない、平々凡々たる無風の世界では、みな惰となり、退化してゆく他ない。

 かつて読んだアメリカの小説に、何もかも満ち足りたら人間どうなるかという話があった。結論は、まるで“能面”のような無表情の、生ける屍のような動物になってしまうだろう、と。印象深く、今も記憶に残っている。


 広布の世界においても同じである。何事も起こらず、のんびりと順風に次ぐ順風満帆(まんぱん)で進んだなら、何の成長もない。皆、日向ぼっこしているみたいに(笑い)、ボーッとして(爆笑)、弱々しく、何の向上の喜びもないにちがいない。

 あらゆる挑戦に懸命に応戦してゆく。そして、一歩前進し、より大きな挑戦を受け、また伸びてゆく。この繰り返しに広宣流布がある。

 挑戦と応戦の遭遇戦――その激しい衝突の中から、「創造の火花」がほとばしる。鉄が熱せられ、叩かれて鍛えられるように、皆、賢明になり、力をつけ、人材も出てくる。

 厳しい試練を避け、指導・忠告をも避けて、安楽な方向へばかり向かったなら、もはや転落と滅亡への一途である。堂々たる戦いに次ぐ戦い、成長に次ぐ成長。これが日蓮大聖人の法の実践であり、真実の「幸福」もここにある。


 トインビー博士はまた、挑戦に挑戦が重ねられ、一つの文明、民族がしむ時、そのしみに鍛えられて、偉大なる「宗教」が生まれ、広がってゆく。そこから新しく文明が再生してゆくと論じている。つまり、「悩みを通して知恵へ」。これが博士の歴史観の根本命題であった。

 それは、短期的な経済・政治・流行等の変化の次元とは異なる、より長き、人類史全体の基本の次元に関わる理論である。本日は、その文明論的義について論じるつもりはない。

 現在、学会が様々な経験と試行錯誤を重ねながら、しみ悩みつつ、全てに「応戦」し、「勝利」してゆく時、その繰り返しの中に、世界宗教を流布しゆく団体としての現実の力量が一段と練られ、鍛えられてゆく。

 現在の経験が全て、長き将来への教訓となり、栄養となり、かけがえのない力になってゆくのである。

 その味からいえば、あらゆる出来事は全て発展への善知識である。悪知識をも善知識に変えるのが妙法の力であり、一切を「喜び」に変え、「追い風」に変えるのが信の一の力である。


 また、経験という点では、内外の様々な人と「会い」、「対話」しゆくところに、自分も磨かれ、広布も進んでゆく。何らかの異なる世界との「出会い」、「打ち合い」がなくなれば、個人も団体も衰弱してゆくだけである。


【第17回本部幹部会 1989-05-16 創価文化会館