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1989-12-20

不軽菩薩


 先日、世界的な平和学者である、ハワイ大学のペイジ教授と会談した。

「非暴力社会」「非殺人社会」への道をめぐって語り合う中、私は法華経に説かれる「常不軽菩薩」の行動を紹介した。

 ご存じのように不軽菩薩は“どんな人間にも、最も尊いがある”として、「生命」と「人間」を最大に尊重する行動を展開した。

 自分自身は人々から軽んじられ、さまざまな暴力を加えられたが、誰人も軽んぜず、「非暴力」を貫いた。そこには、生命の絶対的尊厳への深い示唆がある。

 更に不軽菩薩については、大聖人ご自身が「不軽の跡を紹継(しょうけい)する」(974頁)と仰せである。すなわち、不軽菩薩の実践は大聖人の御精神であり、そのおを紹継すべき私どもにとっても、行動の重要な範(はん)なのである。


 大聖人は、不軽菩薩の修行について「野殿御返事」で、わかりやすくこう仰せになっている。

「過去の不軽菩薩は一切衆生あり法華経を持(たも)たば必ず成すべし、彼れを軽んじてはを軽んずるになるべしとて礼拝(らいはい)の行をば立てさせ給いしなり」(1382頁)

 ――過去の不軽菩薩は「一切の衆生には皆、がある。法華経を持つならば必ず成する。その一切衆生を軽蔑することは、を軽蔑することになる」と言って、一切衆生に向かって礼拝の行を立てられたのである――と。

“人間を軽んずることは、を軽んずることである”――不軽菩薩の人間尊重の行動は、法華経の深遠な生命観に裏づけられている。


 ちなみこの「常不軽」とは、サンスクリット語の「サダーパリブータ」の漢訳の一つである。そして、この言葉をどう訳すかは、訳者によって違いがみられる。

 例えば、現在に伝えられている3種類の漢訳法華経のうち、最も古いとされる「正法華経」(竺法護)訳では、「常被軽慢(じょうひきょうまん)」となっている、つまり「(他の人々から)常に軽んじられていた」ということで、サンスクリットの原文を直訳した味合いになるようだ。

 これに対し鳩摩羅什(くまらじゅう)は、「妙法蓮華経」の中で、同じ言葉を「常不軽」と訳した。これは「常に(他の人を)軽んじない」という味である。

「軽んじられていた菩薩」と「軽んじない菩薩」。いずれも同じ菩薩の二つの側面を示したものだが、修行者の本質として、どちらに力点を置くかに訳者の解釈の違いが表れている。

 これは羅什が、「受動」から「能動」へ、「受け身」から「自律」へという捉え方の転換によって、修行者のより積極的な格を示そうとしたものと考えられる。羅什の「妙法蓮華経」が、経典の本質を捉えた訳といわれる所以は、こうした面にも表れている。


 さて、大聖人は「御義口伝」の中で次のように仰せられている。

「不軽とは一切衆生の内証所具の三因を指すなり」(764頁)――「不軽」とは一切衆生に本然的に具わっている三因を指すのである――と。

 三因とは、になるべき3種の分のことで、1.「正因」(一切衆生が本然的に具えている)、2.「了因」(を覚知してゆく智)、3.「縁因」(を開発してゆく助縁)のことをいう。

 つまり、不軽菩薩はいかなる衆生にも三因が具わっているとして、ひたすら礼拝の行を続けたわけであるが、大聖人は、「不軽」そのものが「三因」という「尊(たっと)いの生命」を味していることを教えられている。

 いずれにしても、「常不軽」という言葉それ自体、“一個の生命は地球よりも重い”という絶対的な生命の尊厳を示唆しているもいえよう。


 ところで、不軽菩薩が出現したのは「威音王の像法時代」とされる。それは、どんな時代であったか。

 法華経の「常不軽菩薩品第二十」には、「是(こ)のの滅後 法尽きなんと欲する時」(『妙法蓮華経並開結』573ページ)――この威音王というが入滅して正しい法が尽きてしまおうとする時――と説かれている。また、「増上慢の比丘、大勢力(だいせいりき)有り」(『妙法蓮華経並開結』567ページ)――増上慢の比丘が大勢力をもっていた――とある。

 現代的にいえば、正しき「哲理」が見失われてしまった時代である。「権威」に己惚れ、驕り高ぶった勢力が我がもの顔で「人間」を軽んじ、見下していた時代でもあった。

 その、いわば「哲学不在」「宗教不在」「人間蔑視」の時代にあって、不軽菩薩はただ一人、「正法」を高らかに主張した。そして、「人間」を最大に尊重する行動を勇敢に繰り広げていったわけである。

 でき上がったものは何一つない。頼るべき人も誰一人いない。全くのゼロからの出発であった。不軽菩薩は、すべてを自分一人の猛然たる行動で創り始めたのである。

 学会の歩んできた道も同じである。戸田先生は、ただお一人で学会の再建のために立たれた。そのを知る人は誰もいなかった。私は戸田先生の弟子として、この「常不軽」の精神で、これまでに広布発展の基盤を築いてきたつもりである。

 何もないところに、ただ一人踏み込み、猛然たる行動で広布の沃野(よくや)を切り開いてゆく。これこそ学会精神であり、特に学会青年部の気であると申し上げたい。


 不軽菩薩の行動は果敢であった。日々まさに戦闘であった。ともかく人がいればそこへ行き、誰もがになれることを説いて歩いた。

 法華経には「遠く四衆を見ても、亦複(またまた)故(ことさら)に往(ゆ)いて」(『妙法蓮華経並開結』567ページ)――遠くに在家・出家の男女を見かけると、その都度わざわざ近寄って――とある。

“自分が動いた分だけ広布の舞台が広がる”“自分が語った分だけ、友らに法との縁を結ばせることができる”――こうした我が同志の日々の吹と行動は、不軽菩薩につながっているといえよう。


 しかし、不軽菩薩に対して人々は、容赦なく悪口罵詈した。更には、杖で打ったり石を投げたりという暴力まで加えた。そんな時に不軽はパッとその場から離れ、今度は遠くから大で「我敢えて汝等(なんだち)を軽しめず」(『妙法蓮華経並開結』569ページ)――私はあえて、あなた方を軽んじません――と叫んだ。しぶといといえば、まことにしぶとい行動の連続であった。

「不軽の跡を紹継する」と言われた大聖人の御生涯は、そのお言葉通り、大の連続であられた。そして、末法万年にわたって一切衆生を救済しゆく妙法の大道を開かれたのである。その崇高なる御精神を拝し、御遺命のままに広布に進む学会に、いわれなき非や迫害があるのは当然である。

 ゆえに、どのような理不尽な攻撃を受けようとも、私達は何ともわない。経文に照らしてみるならば、これほどの誉と誇りはないからだ。むしろ、攻撃されればされるほど、広宣流布の道が大きく開かれてゆくことを確信し、勇んで前進していただきたい。




 不軽菩薩は生涯、迫害の連続であった。最も偉大でありながら、生涯、常に“軽んじられ”続けた。

 しかし、生命の因果は厳然としている。

 まさに臨終という時、不軽は自身の生命を荘厳するさまざまな功徳(法師功徳品に説かれる六根清浄の功徳)を得る。そして、寿命を二百万億那由佗歳も延ばして、広く人々のために法華経を説いたとされている。

 一方、不軽を散々バカにし続けてきた増上慢の人々も、不軽がこのように自在の弁論の力(舌根清浄)などを得た事実を見、その威徳に触れて、ついに信伏随従する。

 そして、不軽は生々世々、数限りないと巡り会い、いずこにあっても何も恐れるものがない大境涯で法華経を弘め続けた。そして、無量ともいうべき、計り知れない福を得てゆく。

 この不軽が、釈尊の過去世の修行の姿である。

 反対に増上慢の人々は、後悔したものの、不軽を軽んじた罪を消しきることができず、二百億劫もの長い間、にも会えず、法を聞くこともできず、千劫の間、阿鼻地獄で大悩を得る。その後に、ようやく不軽と再び巡り会うことができ、教えを受けたと説かれている。

 まことに壮大なる、また厳粛なる生命のドラマである。

 私どもも、大聖人の門下として「不軽」の道を歩むゆえに、誰よりも正しいことをしながら、常に理不尽に軽んじられる。時には悔しいいをすることがあるかもしれない。しかし、経文に照らして、だからこそ真実の法の功徳がわくのである。無量の福徳で荘厳された自身となってゆく。

 ゆえに何があっても、「不軽」の勝利でこの人生を飾り、また、永遠に続く我が生命の上に証明していっていただきたい。


 大聖人はこう仰せである。

「過去の不軽菩薩法華経を弘通し給いしに、比丘・比丘尼等の智かしこく二百五十戒を持てる大僧ども集まりて優婆塞・優婆夷をかたらひて不軽菩薩をのり打ちせしかども、退転のなく弘めさせ給いしかば終にはとなり給う」(1415頁)

 ――過去の不軽菩薩法華経を弘通された時、僧や尼で、知恵があり、二百五十戒を持(たも)つ(とする)権威ある出家者どもが集まり、在家の男女をかたらって不軽菩薩を罵詈し、暴力を加えた。

しかし不軽菩薩は、退転のなく法華経を弘められたので、ついにはとなられたのである――。

 不軽に浴びせられた「悪口罵詈」「杖木瓦石」の集中攻撃。大聖人は、その背景に権威や邪知の者の“連合”による陰湿な策謀があったことを示されている。

 大なり小なり、いつの時代にもこうした現実は変わらないのかもしれない。


 ともあれ不軽は、断じて退かなかった。負けなかった。“進まざるを退転という”――この、前へ前へと勇んで進み続けた不軽の姿にこそ、不滅の学会精神もある。

 そして最後に不軽は、永遠に轟きわたる生命の凱歌をあげた。それは厳然たる“法は勝負”の証であった。


 大聖人は「御義口伝」で、こう仰せになっている。

「所詮日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る行者は末法の不軽菩薩なり」(765頁)

 ――詮ずるところ今、日蓮大聖人、及びその門下として南無妙法蓮華経と唱え奉る行者は、末法の不軽菩薩である――。

 当然、「総別の二義」があることは言うまでもない。ただ、いずれにしても、私どもが大聖人の御精神に連なり、さまざまな圧迫に負けず妙法を唱え、猛然と戦・言論戦、広宣流布の戦いを進めてゆく。そこに無上にして永遠の「生命の栄冠」が、自身に輝いてゆくことは、絶対に間違いない。


 また大聖人は、不軽の姿を通されながら、仰せである。

法華経を持たざる者をさへ若し持ちやせんずらんありとてかくの如く礼拝し給う何(いか)に況や持てる在家出家の者をや」(1382頁)

 ――(不軽菩薩は)法華経を持っていない者をさえ、「もしかしたら、持つかもしれない。がある」として、このように礼拝された。まして、法華経を現に持っている在家・出家の者を敬わないでよいことがあろうか――。

 この御文を拝すれば、同信の我らを蔑み、下に見るような行為が、どれほど大聖人の御に反しているかは明白である。

 大聖人の仰せ通り、在家も出家もともに尊敬してゆくことが正しい。そこに法華経の精神もある。


【第24本部幹部会 1989-12-20 創価文化会館