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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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1999-10-11

埼玉・所沢〈県〉壮年大会


 私は、中野のサブゼネコンの会社で総務課長を10年務めてまいりました。


 何十億とあった工事受注高は経済不況により何千万円台にまで落ち込み、経営は最悪の状態でした。なんとか会社の境を打開しようと唱題にも一段と力がこもっていた矢先の、今年622日、突然、解雇通告を受けたのです。


 営部長・課長、工事部長・次長、総務部長・課長と会社のトップクラスを全員クビにしてコストを下げ、社長以下2〜3人で再出発するというものでした。ちょうど、30年を迎えるという入信記日に突然の解雇通告です。人生50年、信30年という節目の時、やはりただで済むわけがなかった。


 この解雇という現実を前にして、男としての体裁、支部長としての立場、家族のこと、いはとどまることなく、どのようにして帰ったか記憶がないほど、いつの間にか自宅の玄関の前に来ておりました。


 とにかくありのままを話すしかない。私の異様な雰囲気に、妻がいち早くその空気を察しました。高校生の長男、中学生の二男と4人そろったところで、ありのままの事実を話し、「お父さんは、この信で頑張る。必ず結果を出してみせる」と宣言。父親としてこのと戦う姿を、今こそ見せる時だとったのです。リストラという言葉がテレビや新聞の上の言葉ではなく、現実の生活の上に降りかかってきた戸惑いだけがありました。妻や子供達に配をかけている自分の不甲斐なさに一人、奥歯をかみしめる毎日でした。


 先の見えない戦い、男としてやがて仕事がなくなる。しかも50歳。不安材料は容赦なく襲いかかってきます。連日、新聞の社会面にはリストラを自殺という文字だけが、強烈に飛びこんできます。職安に通う格好の悪い自分、会社の面接のため電車に乗るみすぼらしい自分がそこにいます。毎日毎日が、圧迫と不安の連続でした。


 何かあったら100万遍。頭では分っていました。このままでは負けてしまう。いきって5人の地区部長さんにありのままを話すことにしました。支部内に漏れてもいい。どうしても負けられないと願ったからです。しかし、もっと辛いことが待っていました。内部の未活動家の壮年がリストラと病気をに自ら命を絶ち、その葬儀の導師をすることになったのです。


 池田先生の指導に「幹部は自分や自分の家族に何があろうと、いかなる状況にあろうと、平然としていなければならない。すべては会員のために尽すことにある」と。これほど辛い、またこの時ほど、支部長としての重みを痛切にじたことはありません。この亡くなった人は、自分に導師をさせて何かを教えようとしている。必死の題目をあげました。不議と経済的な問題は何もなく守られている。退職金、失保険、退職一時金と今まで以上の収入があり、3〜4ヶは十分に余裕がある。命にかかわる病気でもない。ただ困に負けている自分がいるだけだ。強くなろう。強くなりたい。それからというもの、会合の度に、強くなれ、強くあれと自分を叱咤する毎日が続きました。


 会合の前には気合を入れ直し、会合が終わるとどっと気分が滅入ってきます。噂が漏れていたとしても気にせず活動しました。職のない壮年部員の家庭指導に行き、折伏の応援に行き、入会記勤行会では率先して万歳を叫び、壮年部の懇談会、御書講義、どんな会合にも時間通りに出席し、時間のある限り御本尊の前に座り続けました。1万遍、2万遍、3万遍は1日の目標です。10時間唱題会も何十回となくやりました。題目をあげていること自体が歓喜で包まれた時もありました。


 そして2ヶで100万遍達成。しかし、何の結果もでません。何が足りないのか。824日をめざし、200万遍を目標に挑戦。幹部にアドバイスを受けながら、その度に勇気を奮い起こして題目に挑戦しました。題目が120万、130万、140万遍を突破。それでも結果がでません。まだだめなのか。あとどれくらい、何百回、不採用という試練の通知を受けなければならないのか。面接応募は20社以上になります。自分には全く能力がないのか。妻と相談し、自分たちには気がつかない何かがある、それを指摘してもらおうと、夫婦で本部相談室に行き、担当副会長から長時間にわたり徹底して激励をしていただきました。そして、池田先生の「強くなれ! 強くなれ! 絶対に強くなれ! ……弱さには困を跳ね返す力がない……」とのスピーチを大きなで読むように言われた時は、とても最後まで読み切れませんでした。


「問題は、この弱さだ。この惰弱な根をたたき直さなければ勝利はない。こんな自分でも支部長をさせてもらっている。広布の庭に立たせてもらっている。報謝がなければ諸天は動かないんだ」と指摘されました。


 これだ、こんな弱い、報謝もない生命では局を乗り切れないのは当たり前だ。こうなったらとことん頭や理屈ではなく、この身体、命から御本尊に任せるしかない。結果が出るまで祈りに祈っていくことだ、と猛反省し生命の底から再挑戦を決しました。その日から明らかに境涯が変わりました。もう怖いものはありませんでした。


 体裁も格好もありません。結果が出るまで何十社でも応募する、自分を必要とする環境を呼び込むまで、どちらが負けるか勝負でした。


 そして迎えた残りの3社に全てをかけようといました。1社は最初から不採用、2社目は君がやる気ならいつでもオーケー、仕事の内容によっては100万出してもいい、とまで言う。残る1社は常務面接で、どんな汚いつまらない仕事でも出来ますか、と人物判断されました。しかし、仕事内容の物足りなさに、ここもだめだ、ここはこちらから断ろうと決めて、会館自由唱題会の担当についていたある日、社長面接の通知が携帯電話に入ったのです。


 929日、9時30分から12時までという異例の長い社長面接です。創70年の歴史を持ち、溶接機械を海外3ヶ国から輸入販売する老舗の大手商社です。面接で社長から「今は生き残りの時代だからこそ、社運をかけた人材をどこの会社でも欲しがっている。会社の全体を整え21世紀に勝ち残るために、総務、法務、経理、海外取引の統括的な体制を作り直して欲しい。君のような人間が必要だ。私の探していたのは君のような人間だ」と言われた時は、飛び上がって大で叫びたいほどでした。ここだ、ようやく巡り会った。夢ではないようにと早速、採用通知決定をくださいと言い、妻に電話を入れました。電話の向こうで妻が泣いておりました。奇しくもちょうど100日目、150万遍達成の日、これまでの集大成ともいえる全部生かされた仕事を呼びこみ、ついに就職を勝ち取る事ができました。


 祈りは叶った。これで先生に結果を持ってご報告できる。そして5人の地区部長さんは自分のことのように喜んでくれました。実は“地獄”の婦人部長でさえ今の今まで、支部長が失していたとは知らずにいたのです。一言も漏れてはいなかった。一切漏らすことなく、会合で、電話で、FAXで、「題目を送っています。頑張ってください」との励ましがあったからこそ、ここまで頑張ることができ、更に5人の地区部長さんから同志として、学会員として、人間の、男の、そしての絆を教えてもらい、守っていただき、最大の謝をしております。ありがとうございました。今度は、どんなことがあっても5人の地区部長さんを守りに守って行こうと決しております。


 余談になりますが、前の会社では泥棒に入られ、金庫が荒らされ、全部のコンピューターが持ち出され、すっかり福運が切れてしまったことを聞きました。


 930日、正式に採用決定通知が届き、104日より総務課長として忙しく充実した仕事場で生き生きと活動しております。


「何があっても強くなれ、強いことが幸福である。勝利である……我々は勇敢なる魂で、この人生を、正義と勇気と勝利で、神々しく飾りゆくのだ!」また「大胆にして緻密、勇猛にして細、将軍学の根本は強き祈りである」との先生のご指導を生命に刻み、21世紀の生命の世紀に勇んで前進することを誓い、体験発表とさせていただきます。ありがとうございました。