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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2003-03-17

変身


 都会では外で遊んでいる子供達の姿が消えて久しい。めだかをすくったり、トンポを追いかけることもあまりないかも知れない。


 幼い頃、見るもおぞましい毛虫が色鮮やかな蝶に羽化するありさまを見て衝撃を受けたものだ。

 話は変わるが、私が幼少の頃の“正義の味方”といえば、ウルトラマンや仮面ライダーだった。共通するキーワードは「変身」。小学生の時分は、級友達と「へんしんっ! トォオオオーーーッ!」と30cmほど飛び上がっただけで、力を得たような錯覚を覚えた。


 人は常に変化を求めてやまない。「変身」に動するのがその証左だろう。


 そうかといって安易な変身では満足できないのもまた確か。中高年の女が厚い化粧を施したところで動する人は少ない(ただし、学会婦人部を除く)。最近のうら若い女達の、ガングロとかいうやつや、光る鼻くそと見まがうばかりの鼻ピアスなんてのも変身願望の現われなのかも。


 一時期流行したコスチュームプレイなんぞは、手っ取り早い変身の最たるものであろう。これらいずれもが外面的な変身に過ぎない。


 一方、悪く変身するのは容易なことで、これまたするこができない。近所の高校生がグレたとかね(笑)。人の信用を裏切るのもそう。これは変身じゃなくって変わり身。


 誰もが小さい時に、『醜いアヒルの子』を読んで、何がしかの希望を抱いたこともあっただろう。生命の本然(ほんねん)にはよりよき変化を志向するリズムが隠されている。


 我々が目指す変身は内面的な変革であり、信の一の変革に尽きる。これを人間革命とづける。


 日日につより給へすこしもたゆむあらばたよりをうべし(1190頁)


 日々、々、年々に信を強くしてゆきなさい、との大聖人の御指南である。少しでも、「これでいいだろう」「もう大丈夫だろう」「取り敢えずは……」などと油断した瞬間から、生命はに巣食われていることを自覚したい。


 一に億劫(おくごう)の辛労を尽(つく)せば本来無作の三身に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり(790頁)


 億劫(おくごう)とは長大な時間を指す。「劫(こう)」とは四千里四方の大を芥子(けし)で満たし、100年に一度、一粒を取って、取り尽くしてもなお劫は尽きないとされる時間のこと。これの一億倍だから像を絶する時間である。一とは今この瞬間の我が生命のこと。今日という一日に永遠を刻み込むような真剣勝負の姿勢があれば、瞬間瞬間、の生命が湧き立ってくる。億劫という言葉は現代にあっては、「おっくう」と読まれる。「おっくう」な一であっては、変身は望めない。成長できない因を積んでいることになってしまう。


 何(いか)なる世の乱れにも各各をば法華経十羅刹助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり(1132頁)


 不可能を可能にせんとの強盛な一が勝利を呼ぶ。今がどんなにしかったとしても、我々は大聖人の慈悲を仰ぎ、日蓮門下となった以上は、戦って、戦って、戦い抜いてゆく以外にない。生命を錬磨しゆく大闘争の暁(あかつき)には、見違えるような姿の同志と同志とが肩を組んで、勝利の雄叫(おたけ)びを挙げていることだろう。