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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2003-04-03

地に足のついた平和運動


【「創価学会ML」の投稿を転載】


 さて、今回のイラク問題のようなことが起これば、誰しも反戦を願います。一個の人間として、まして「生命の尊厳」を主張する学会員として当然でしょう。そして、「私に何ができるのか?」と自問し、学会として「何かすべきではないか?」とも考えます。


 私も十数年前までは、学会として直接的な平和運動や行動を取るべきだとっていました。ボランティアにしてもしかりです。しかし、ある勉強会をきっかけにして考え方が変わりました。


 当時、私の所属圏で圏男子部として「青年による主張」をやろうということになり、「平和活動」を取り上げました。圏で平和研究会を結成し、約3ヶにわたり勉強会を行いました。その勉強会の講師として、当時、聖教新聞記者であった平野友三郎氏にお願いしました。


 平野氏は、「身近な地域からの視点・発・行動が大切です」として発行間もない1冊の本を紹介してくれました。それが、チャドウィック・F・アルジャー著の『地域からの国際化』(日本評論社)です。これを基本テキストにして、先生の著作や平和関連の書籍を学び、喧喧諤諤(けんけんがくがく)の議論を交わし、数本の論文にまとめ、主張大会を開催しました。論文は、謝を込めて、先生にお送りしました。


 この時の経験が私の考え方を変えました。大衆運動を起こすことは簡単です。例えば、創価学会が、青年部100万を結集して国会周辺で反戦アピールをすることは、やろうとえば、来週の日曜日でも可能でしょう。これを四者に広げれば、簡単に数百万になるでしょう。そして、これを実行した場合、社会や政治へ及ぼす影響は計り知れません。どんな影響があるか、考えてみてください(こういう点では、学会は大きくなり過ぎたともいえるでしょう)。


 しかし、こうした行動が永続的な、恒久的な平和行動になりうるでしょうか? 私は、過去の様々な平和運動をみれば、一過なものに過ぎないといます。究極的には、一人ひとりのに「永遠に崩れない平和の砦」を築き、その連帯・ネットワークを広げ、強化する以外に確実な平和実現はないといます。


 私は、平和運動や反戦行動、集会やデモを否定しているわけではありません。 一過なものから永続のあるものにしなければいけないことを強調したいのです。組織的な動員よりも、自発的、能動的な行動でなければ味をなさないともいます。やはり、私たちには、「一対一の法対話」がその基盤でなければならないと考えます。


 ただ、今回のイラク問題を考えると、今までとは大きく異なります。 アメリカが国連を無視するかもしれないということです。国連の無力化につながりかねない、否、拍車がかかるといった方がいいかもしれませんね。


 たとえ一過で終わっても、アピール行動が必要かどうかは判断にしみます。私は、そうした行動があろうとなかろうと、身近な一人と対話していきたい。なぜ戦争が悪なのか、生命の尊厳とは、そして、エゴと差別。今まさに、私たちがを大にして身近な一人(家族・友人・知人)と対話するときだといます。


 政治的にも、日本は微妙な立場にあることは間違いありません。 小泉訪から拉致問題に至り、北の脅威がマスコミで連日報道されてます。北の脅威が叫ばれ大きな社会問題になればなるほど、アメリカへの依存は強化されます。自衛力の強化も急がれることでしょう。これらが何をもたらすかは、像に(かた)くありません。ブッシュにイラク攻撃をやめさせようとえば、日米同盟の解消の覚悟は必要でしょう。


 小野さんの言葉は、貴重ですね。


 貧しい国の犠牲の上に先進国の経済が成り立っているとすれば、自分のあずかり知らないところで殺人に加担しているといってもよいかも知れません。


“殺される側”からみれば、私も“殺す側”なのかもしれない。この識は、常に持ち続けていきます。


 興味をお持ちになったら、『地域からの国際化 国家関係論を超えて』チャドウィック・F・アルジャー(日本評論社)を読んでみてください。インターネット書店からも購入できますし、図書館にもあるといます。


【恋】

2003-04-02

優先されるべきは唱題の数か質か?


「何かあったら100万遍の題目を!」といわれる。もう一方で「弱い一で唱題してもかなうはずがない!」ともいわれる。


 戸田先生は質問会で剣道の素振りに例えていた。


「唱題は数ではない。質である」こう言ってる人は、長時間の題目が手な人である。十中八九間違いない(笑)。


 妙楽大師がいうところの「仮使(たとい)発真実ならざる者も正境に縁すれば功徳猶(なお)多し」という言葉は、唱題の実践を勧められたものであって、集中しなくてよいとしているわけではない。


 たまに見受けられるが、会合などで「今日は2時間の唱題をしました!」とか、「昨日から1万遍の題目に挑戦しています!」と言う人がいる。こういう人は普段、あまりやってない人である。これを営づける。こうなると、発表するために唱題しているような本末転倒になりやすい。


 また、若いメンバーに多いのが、「1日2時間の題目を決したのですが、昨日は1時間半しかできませんでした……」と落ち込む者。これは、戒律自己満足型信とでも呼ぼうか?


 これは私の先輩からうかがった話だが、まだ化儀が重んじられていた時代の笑い話である。地方へ交流に行くこととなり、朝早い出発となったため車の中で勤行をした。運転手を除いた他のメンバーは、車のシートに正座し、太陽が昇る方向を向いて初座を行った。車が右折したり、左折する度に方向を変えたため、勤行が終わった頃には全員が吐き気を催していたという。また、途中、行き違った車の中では、やはり、手に数珠を掛け、導師に唱和する数人組を見かけたとも話していた。


 基本というのは数を積み重ねることによって培われてゆく。野球の素振りなどは、100回を超えたあたりから、余分な力が抜け、理的なフォームが固まってくるといわれる。


 そうであれば、やはり数多く題目を唱えてゆくことが正しいとう。一三千であるが故に、せめて三千世間に行き渡る3000遍の唱題はどんなに忙しくても実践して参りたい。「問うて云く法華経をもしらず只南無妙法蓮華経と計り五字七字に限りて一日に一遍一月乃至一年十年一期生の間に只一遍なんど唱えても軽重の悪に引かれずして四悪趣におもむかずついに不退の位にいたるべしや、答えて云くしかるべきなり」(940頁)との御聖訓をかみしめながら。

2003-04-01

平和であることが一番の権利


アグネス・チャン/日本ユニセフ(国連児童基金)協会大使】


 SGI会長の提言には、“平和は誰もが持つべき権利”という点で、とても共します。特に子どもは、自分で国を選んで生まれてくることはできません。戦禍(せんか)のまっただ中に生まれてくる子もいる。彼らにとって一番の基本的な権利というのは「平和」だといます。


 以前、創価学会の「子どもの人権展」を拝見しましたが、こうした地道な活動が大切ですね。子どもの人権と言っても分かりづらいですから展示や対話で広くアピールしてしかありません。生きていく上で基本的な権利が奪われている子どもたちがたくさんいることを皆で認識し、守っていく方法を考えるのが大人の役目。こういう点でもSGIが積極的に、持続して活動しているのは素晴らしいことです。


 私もユニセフの大使として、像を絶する環境の子どもたちを見てきました。彼らはも体もズタズタでした。エイズに染して捨てられてしまう子もいる。一生、親の顔を見られない子。強制労働で働いても働いても食べさせてもらえない子。少年兵士は戦争の道具として使われて、わけもわからないまま生まれてから殺されるまで、一日も平和な時はない。私が現地で出会った子どもたちは、それでも一生懸命に生きていた。こうした子どもたちの声になって、その叫びを、みんなに聞いてもらいたい。SGIの皆さんと力を合わせて頑張っていきたいです。


 女の役割についてもSGI会長は提言で触れられていますが、昔から、男は攻め、女は守り、と言われてきました。でも、女は守っているばかりではありませんでした。戦争中でも、どうやって子どもたちに食べさせてあげるか、夫の無事を祈りながら頭を巡らせていた。これからの女は、自分を信じ、相手を信じ、愛の力を信じ、あきらめず、前向きに生きて欲しいといます。


【『グラフSGI』 2003-04月号】