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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2003-12-30

僣聖増上慢を倒せ!


極悪との闘争に妥協なし」の続き。


 大聖人は僣聖増上慢を指して「出家の処に一切の悪人を摂す」(228頁)と仰せだ。続けて「当世日本国には何れの処ぞや、(中略)よくよくたづぬべし」(同頁)と強く教えられている。


 邪宗日顕宗の登場によって、この御聖訓は現実のものとなった。ある古参の副会長が言った。「今まで、僣聖増上慢というのは、政治権力だとか、マスコミだとっていたが、どうしてもしっくりこなかった。日顕宗の登場によってスッキリと明確に御書を拝読できるようになった」。


 聖人と愚人との問答形式で書かれた「聖愚問答抄」にこのようなやり取りがある。


 愚人が言うには「誠に一人として謗法ならざる人はなし、然りと雖(いえど)も人の上沙汰してなにかせん只我が中に深く信受して人の誤りをば余所の事にせんとふ」(495頁)

《本当に、謗法を犯してない人は一人としておりません(そのことはよくわかりました)。しかし、他人のことを、あれこれ責めても仕方ありません。ただ自分のの中で深く(正法を)信授して、他人の誤りには関わらないようにしようといます》


 これに対して聖人がこう答える――


 聖人示して云く汝言う所実にしかなり我も其の義を存ぜし処に経文には或は不惜身命とも或は寧喪(ねいそう)身命とも説く、何故にかやうには説かるるやと存ずるに只人をはばからず経文のままに法理を弘通せば謗法の者多からん世には必ず三類の敵人有つて命にも及ぶべしと見えたり、其の法の違目を見ながら我もせめず国主にも訴へずば教へに背いて弟子にはあらずと説かれたり(496頁)


《あなた(愚人)が言うことは実にもっともです。私もそうっておりました。しかし、経文には、「身命を惜しまず」とも、「寧(むし)ろ身命を喪うとも」とも説かれております。なぜ、このように説かれているかと考えるには、「ただ他人を恐れることなく、経文のままに法理を弘通していけば、謗法の者が多い世には、必ず三類の敵人が現れ、そのために命にも及ぶにあう」と経文に記されているのです。また、法上の誤りを見ながら、自らも責めず、また国主にも訴えて悪をたださなければ、の教えに背くことになり、もはや弟子ではないと説かれております》


 この問答を浅く受け止めてはなるまい。世間では愚人の発言の方が通用するだろう。ある面で、常識的であり、それなりの節度を保っているように見えるからだ。だが、その根っこにあるのは、極悪を放置しておきながら、我が身の幸福だけを願う保身に過ぎない。大聖人が“愚人”として位置付けられていることを深く銘記すべきだろう。本質的には、信が確立してないために、悪を悪と見破ることができずして、世法に流される結果となっている。


 日顕問題勃発後、創価新報の記事を見て、「僧侶の悪口ばかり書いてる新聞は読みたくない」という人々が一部にいた。そして今度は紙上座談会を読んで、「品位に欠ける」「人権的に問題がある」という人々が現れた。先に挙げた愚人の考えと似通っているとうのは私だけではあるまい。


 また紙上座談会を批判する人の特徴は、特定の表現を問題にしつつ、日顕宗に対する怒りが薄れてしまっているところにある。悪との闘争において、取るに足らない表現方法をあげつらう内に、黒いシミのような不信が芽生えていることに気づかない。


 先生は先の「聖愚問答抄」の御文を引かれ、次のように指導されている。


敵」との戦いなど、他の誰かにやらせておけば、気楽であろう。自分も傷つかず、疲れず、「いい子」でいられるかもしれない。だが、それでは、まことの弟子とはいえない、と仰せなのである。本当の「功徳」も得られない。「歓喜」もわかない。「成」もない。

「悪とは徹底して戦え」と御本が仰せなのである。ゆえに私どもは、誇りをもって、断じて戦う以外にない。同じ戦うのであれば、「楽しく」「痛快に」「悠々と」戦いたい。


北海道大勝利大会 1992-08-29】


「徹底して」という一点にを合わせられるかどうか――ここに仇討ちの魂がある。敵は倒すまで戦うのが法の精神である。つまらない慈悲が蟻の一穴(いっけつ)となることを恐れるのみ。

科学するものに正邪あり


 科学そのものには正邪はないが、科学するもの、科学を操作するものの生命状態には、あきらかに正邪がある。その生命の状態、ある瞬間の一が、原水爆の悪災害さえも生むのである。時代は、一の狂いが、人類の絶滅さえ起こしうるところまできてしまった。


【小説『人間革命』第9巻 1976-10-12発行】


 十界のいずれの境界(きょうがい)に生命が支配されているか。科学する目的がそれで決まる。


 近年においては、「バイオテクノロジーの特許」が話題となっているが、商用目的の謗りを免れることはできないだろう。金の成る木に群がる様は、三悪道・四悪趣そのものと言ってよし。

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