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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2004-01-29

一人立つ精神と団結


“一人立つ”ということと、団結とは、一見違えるようにえるが、実は全く同じものであります。自分が責任を担って一人立つところに、団結はおのずから築かれていく。

 誰かがやるだろうと考えている限り、どこまでいっても団結を築くことはできない。一人立って、それが軸となって全部の人が立ち上がり、その結果、堅い団結ができあがる。これが理的な和合僧であり、異体同なのです。これは絶対に崩すことのできないものであり、私どもはそれを目指しているのです。

 一人の自覚ある幹部、使命と責任に満ちた闘士が立ち上がったとき、そこには常に新しい波動が湧き起こり、人々のを一つにしていく力が必ず出てくる。この方程式、原理を、皆さんのおのおのの立場で実践し、見事に実験証明していただきたい。


埼玉総合本部幹部会 1968-04-24


 あまりにも有な指導。大事な内容なので、あと2号続く。


「団結」とは波風を立てないことではない。また、無責任でもなく、見を述べないことにもあらず。自分が一人立ち上がって“調和の核”となることをいう。つまり、真剣を抜いた一人の存在なくして団結を築くことはできないということだ。


 一人を手本として一切衆生平等なること是くの如し(564頁)


 一は万が母といへり(498頁)


 真の団結とは、表面的に仲がいいとか、まとまっているとかいう代物ではないだろう。「一度(ひとたび)、同志と出会えば、闘魂がたぎってくる」「会合が終わると決が深まっている」「悩に喘(あえ)ぐ友を守らずにはいられない」という姿こそ本物の団結だ。




 無責任な人間の集まるところ団結なしとの指摘は重い。中が定まった時、始めて組織は回転する。但し、中者とは単純に「長」を指すわけではない。若き先生は文京・蒲田にて支部幹事、大阪では支部長代理。副役職でありながら厳然たる結果を残されている。中者の一が強靭なほど遠力が増す。


 広布破壊の極悪法主・日顕が登場してからは、真の和合僧学会しか存在しない。というよりはむしろ、宗祖亡き後の700年間において、日蓮正宗が和合僧たり得たのは、極めてわずかな時代といえよう。


 2004-01-30




「自覚」とは地涌の菩薩としての自覚であり、真の池田門下生としての自覚であろう。「使命と責任」とは、“広宣流布せずにはいられない”という使命であり、“周囲にいる人々を幸せにせずにはおくものか”との責任か。


 戸田先生は青年訓にて「青年よ、一人立て! 二人は必ず立たん。三人はまた続くであろう」と叫ばれた。人からどう見られるかなどということを気にしている内は、まだまだ責任が弱い。“たとえ、自分一人になったとしても戦いには勝ってみせる!”この気概と決断が、全軍を勝利へと牽引(けんいん)する。


 2004-01-31

2004-01-28

曖昧な信心


 曖昧な態度で信していれば、中途半端な人間革命しかできません。


【第4回教育部総会 1965-07-30 文京公会堂】


「信の目的は、急速によく変わってゆくこと」と戸田先生。衆目に明らかな革命の姿を見せることができなければ曖昧な信か。そうであっては、大きな鐘を割り箸やマッチで叩いている程度の功徳なのだろう。


 戦後の学会復興期にあって、戸田先生が諸天善神を叱咤しながら闘争された姿を忘れてはなるまい。

2004-01-27

国連の強化が平和への直道


 私はかつて(2000年10月)、同委員会(有識者による国連改革に関する諮問委員会)の委員長に就任したタイのアナン元首相と、21世紀の国連をめぐって語り合ったこどがあります。

 アナン元首相は、「各国が、どれくらい国連を効率の良いものにしていきたいと願っているのか、それがそのまま国連の現実に反映している」と、国家の集合体であるがゆえの限界を指摘されながらも、次のように国連の義を強調しておられました。

「しかし、少なくとも国連の存在自体は歓迎すべきものです。『希望』はあります。『もし国連がなかったら』と考えると、『国連があることで世界が、より良くなっている』ということは言えるといます」と。

私も、まったく同であります。

 確かに、国連無力論や不要輪は一部で根強く叫ばれており、今の国連には、時代の変化にそぐわない面が少なからずあるかもしれません。しかし私どもは、それに代わる存在が現実にない以上、グローバルな草の根の民衆の力を結集し、国連を強化していくことが一番の道であると考え、行動を続けてきました。

 大切なのは、イラク間題での教訓を十分に頭に置いた上で、“今後、同様のしい判断が迫られる事態が生じた場合に、どう対処すべきか”についてのルールと体制作りについて、前向きに検討していくことではないでしょうか。

 そしてその連帯の基軸は、あくまで国連であるべきだと考えます。

 世界191ヶ国が加盟する最も普遍的な機関でのる国連こそが、国際強力の礎となり、その活動に正統を与えることがきる存在に他ならないからです。



【第29回SGI提言/聖教新聞 2004-01-27付】

2004-01-25

信心が純粋であれば、自然に団結ができる


 信が純粋であれば、自然に団結ができます。目標に向かって前進していくならば、おのずから団結ができます。自分自身の情、利害、権威等をもった場合には団結はできない。したがって、学会内においてもそのような人は落伍します。ついてこられない。


【『会長講演集』第12巻 1964年発行】


 団結できるかどうか――この一点に信が現れる。広布大願のために集い合った同志なれば、使命のない人は一人もいないはずだ。これが肚に入っていれば、どのようなことがあろうとも団結は揺るがない。


 私はこの指導を近頃、公明党批判を一生懸命、展開している組織内左派の諸君に贈りたい。党に見をするのは当然だ。政策についての議論もあってしかるべきだろう。だが、自分達が納得できないからといって、多くの同志を扇動する資格など誰にもない。


 代々の会長が血を注いで作り上げた学会の組織である。草創の大先輩が文字通り、血と汗と涙で築いた民衆の連帯である。メディアに取り上げられたことに酔い痴れ、小賢しい正義を叫び、あろうことか師匠の存在をも利用し、同志を分断するような輩は、間違いなく退転の坂道を転落してゆくに違いない。「落伍する」という先生の指摘を軽々しく受け止めてはならない。彼等は所詮、「同志」という姿をしたであることを鋭く見抜いてゆこう。

2004-01-24

会館は信心の道場


 我が創価学会会館は、信の道場です。この会館にくる人も、会館を守る人も、全部、信の二字を根本とした活動でなければ学会員とはいえません。会場を使うその資格ある人とはいえません。

 したがって、義務のために集まる、義務のために守るのであったならば、来ない方がよい。最も峻厳な、最も尊い、最も美しいつながりが創価学会であります。御本尊様を根本とした信で会合し、そして戦いに進み、これを永久に繰り返していくのが会館義であります。


【松原会館式 1964-08-29】


 仏勅の団体としての使命を促す指導は、地涌の誓願を揺さぶり、目覚めさせる厳粛さがある。日顕宗の寺なんぞに、この覚悟は微塵もないだろう。慈愛が深ければこそ峻厳となる。信にオマケも割引もない。厳しいまでの自己との格闘があって、初めて宿命転換は可能となる。


 この時、先生、実に37歳の若さである。




 最近、非常に残うことがありました。


 本幹の最中、男子部が、携帯電話の充電をしているのが目に入りました。周りにいた婦人部もじっと見ている。我慢できず、私が注をしました。すぐにやめたものの、本人は納得のいかないような顔つきをしていました。


 彼に限らず、会館の使用後も掃除をせず帰る。電気はつけっぱなし、空調もつけっぱなし、ということが目立ちます。いつからこんなことになったのだろうか? ごく一部の人間だとはうのだが、実に嘆かわしいことだ。会館ができたころは、大事に大切に使って行こう、と謝の気持ちでいっぱいだったはずだ。コピーにしても無駄が多すぎる。些細なことかもしれないが、節約も“間接的な財務”だとう私は注ばかりしてる。これも“たゆむ”になるんじゃないかと圏長にも話した。そして再度、会館使用の注も含めて、徹底事項で通達することになりました。


宮本

2004-01-23

仏と地獄


 まずい時には、何をやったって下へいってしまうのです。これを地獄というのです。何をやってもよくなるのをというのです。そういう福運を積むことが信の目的なのです。


【夏期講習会婦人部指導会 1963-08-08 総本山大石寺百貫坊】


 卓越した生命論だ。十界論はともすると固定した生命状態のように考えがちだが、流動的な生命の状態を捉えて余すところがない。大宇宙のリズムに合致した生命は調和を奏でる。

2004-01-22

信心指導が学会の血脈


 組織だけの、形式だけの部隊であってはなりません。信指導も実をいえば、これは学会精神の血脈になるのです。大御本尊様を受持することは、これは当然、法華の血脈です。だが、一人ひとりに信の指導をしきってゆく。お友達になって真こめて指導しきってゆくということは信血脈であります。これなくんば、真の組織も、真の団結もあり得ないわけです。


【7月度女子部幹部会 1963-07-05 台東体育館】


 昭和38年の指導である。しかも、私が生まれる前の日である。それだけにい入れが深い。当時、宗門が問題視した形跡は全くない。正しい和合僧による信指導こそが血脈であるとの指摘は重要。血脈とは、生命と生命の連帯であり、深き志の結合ともいえよう。


 広布の途上にあって、「君が愁いに我は泣き 我が喜びに君は舞う」という血の通った組織を築いて参りたい。

2004-01-21

成長する中に魅力が


 何かその人に特色がある、魅力があるということは、せんじ詰めれば、それは信です。その人が成長するところに魅力が出るのです。また、後輩の人を、真込めて考えてゆくところに、自然に人をひきつける力が出るのです。


東京第二本部幹部会 1963-06-05 台東体育館】


 若い時分は何かあるたびに自信を失い、卑下しがちだ。の振幅が大きい季節でもある。しかし、が大きく揺れて、それを引き戻す時に力が蓄えられる。


 是れ即ち桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり(784頁)


 妙なパフォーマンスは要らない。


 久遠とははたらかさずつくろわずもとの侭(まま)と云う義なり(759頁)


 誰が見ていようがいまいが、自分らしく戦う中で人格は築かれる。

2004-01-20

戦い続ける心が仏


 といっても特別な存在ではない。戦い続けるが「」、行動し続ける姿が「」である。と戦い切る人が「」なのである。


【東北栄光総会、第1回宮県総会 1994-03-21 東京牧口記会館


 正木副会長が衝撃を受けたという指導。とは完成された姿を指すのではなくして、絶え間なく前進し続ける人の異。されば真面目に戦う学会員こそがか。

2004-01-19

一年が人生を大きく左右する


 この一年間、偉大なる成長を遂げていただきたいとうのであります。一年間によって大なる成長をする人もおりますし、一年間に、今度は大敗北者になり、退転する場合もあります。一年間というものは、大きい人生の開きを決定すのですから、着実に、事故のないように、幹部の皆さんは当然のこと、後輩の同志の人々にも、一人も退転者のないように、忍耐強く指導の任にあたっていただきたい。


【1月度男子部幹部会 1963-01-07 早稲田記会堂】


 牧口先生座右の銘は「日に新た日に日に新た、また日に新たなり」との言。


 月月日日につより給へすこしもたゆむあらばたよりをうべし(1190頁)


 日々、月々、年々に信強盛になっていきなさいとの御指南。新しい何かに挑戦し、新しい自分を発見する毎日でありたい。

2004-01-18

結果を出さなければ遊び


 行動は「結果」を出さなければ遊びである。自分自身の持ち場を厳然と守り、見事に勝利の結果を出していく。その戦いが、人間をつくり、信を鍛える。法は、どこまでも勝負であり、戦いである。


【代表と協議会 1994-03-02 新宿区内】


「結果」とは「変化」といってもいいだろう。正しい本尊、正しい信、正しい指導があって幸福は決定される。闘争の的を失い、変革の波を起こすことができなければ、寺信といわれてもやむなし。法勝負は瞬間瞬間のとの闘争に本質がある。


創価1000万」実現のために今日、何をしたのか――この一点をしっかりと確認する毎日でありたい。

2004-01-17

歓喜こそまことの信心


 まことの信は、他人から押しつけられたり、形式や体制でするものではない。おのおのの自覚から湧き出た生命の歓喜によるものなのだ。それは、いかなる弾圧や迫害を加えられようと、決して破られるものではない。人間として、最も尊く、美しい生き方が、そこにある。


【小説『人間革命』第6巻 1976年発行】


 所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり(787頁)


 今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉れば我則歓喜とて釈尊歓喜し給うなり、歓喜とは善悪共に歓喜なり十界同時なり深く之をう可し云云(735頁)


 一の奥底(おうてい)にあるのは、歓喜か義務か。そこで人生は分かれる。歓喜は波動となって組織を潤し、義務は暗い雰囲気となって伝播(でんぱ)する。

2004-01-16

司会によって運営は決まる


 司会によって運営は決まるのです。司会がおろかだと、せっかくの会が非常に楽しくもなくなるし、スムーズにいかない場合がある。ぎこちないような司会なら代わった方がいい。その場所の戦いですから。只今を臨終う皆さん方の信に、少しでも楔(くさび)を打ち、将来、三障四魔が起きた時、それに立ち向かっていける、何らかのものをつかんでもらいたいし、即、与えていきたいのです。ですから、やかましく言うのです。


【三多摩本部地区部長会 1962-11-22 立川会館


 私が、10代、20代の頃、金科玉条とした指導である。この指導を胸に丸3年にわたって座談会の司会を懸命に行った。自分で自分に課した訓練だったが、現在ではミスター座談会と呼ばれるほど、どんな座談会でも盛り上げられるようになった。


【※冒頭部分の「おろか」とは、「愚か」ではなく「疎か」とわれる。おろそかの

2004-01-15

平凡のなかに美しい物語がある


 あの人は 実に平凡のなかに

  優れた何かがある――

   美しい物語があると

    いわれるような女

     一生を送りたい


【『わが友へ』 1973-04発行】


 中学生の頃と記憶するが、好きな女の子へ宛てた年賀状にこの一文を書いたことがある(笑)。


 女子部は虚栄と戦え。人生の虚像に惑わされるな。


清ければ天女であり、悪しければ女である」との指導もある。


 底の浅い水溜(たま)りのような人格では笑われるだけだ。他人を羨んでいる暇があったら、学会活動にいそしもう。御書根本の清らかな信の人が、真の幸福者だ。 

2004-01-14

礼儀


 幾度 無駄足を踏もうとも

  君の礼儀正しさに

   彼は遂に

    恥ずかしいいをしたといわれる

     大誠実の人生を送ってほしい


【『若き友へ贈る』 1971-10-15発行】


 誠実であれば、無駄足にはならない。相手が成長するのに必要な段階なのだ。あるいは、自分の成長に必要な段階ともいえる。越えなければならない坂道を淡々と一歩一歩、歩み抜くのみ。


 歩いた分だけ学会理解が広がり、法真実が深まってゆくと自覚したい。

2004-01-13

組織は方便


 組織というものは、ひとつの方便のようなものですから、信の強い人が幸せなのです。しっかり、がんばりましょう。


【中国総支部地区部長会 1962-03-20 中国本部】


 組織は「仮の姿である」との指摘だ。役職にとらわれ、威張ってみたり、媚びへつらったりするようなのは信が弱い証拠だ。


 要は、一対一で勝負ができ、相手のを動かすことができるかどうかだけである。

2004-01-12

誰が中心者になろうとも異体同心


 我が創価学会は、誰が選挙に立とうとも、誰が会長になろうとも、誰が支部長になろうとも、地区部長になろうとも、全部、広宣流布という目的、信という根本をもってその人を守っていくのが創価学会の伝統であります。


【関東三総支部幹部会 1962-05-23 台東体育館】


 立場や環境、老若男女の違いを超えて、広宣流布という一点にを合わせるのが我が学会同志である。


 近頃では、公明党を批判する学会員が、ネット上で署の呼び掛けを行ったりしているようだが、これ破和合僧なりと断じておく。


見は聞け 誹謗は破折せよ」との指導もある。彼等の行為は誹謗に当たり、学会員を巻き込もうとする悪辣(あくらつ)な魂胆は断じて許されるものではない。

2004-01-11

メモ


 最初に大幹部として、特に気をつけていただきたいことは……書く必要はありません。一々書かなければ自分のものにならないような人は、大幹部の資格がありません。だからといって、書かないで、みんな忘れてしまったならば、また資格がないし、その点は要領よくやりなさい。


【大幹部会 1961-12-23 総本山大石寺大講堂】


 戸田先生からどのような訓練をされてきたかが窺える指導である。また、厳しい内容の中にも絶妙なるバランス覚が発揮されている。「要領よく」との一言は「価値的に」という味であり、無駄を許さない真剣ないが伝わってくる。


 戸田先生は「慈悲があれば記憶は鮮明になる」と言われた。


 上記指導は「如是我聞せよ!」との師子吼と私はじる。「紙で受け止めるな。生命で受け止めよ!」との気魄(きはく)が迫ってくる。


 後輩に伝達するためにはメモが必要だ。しかし、メモをとると、伝達が目的となり情報と化してしまう恐れがある。一番大切なことは、指導を生命に刻みつけ、信と決を深めてゆくことである。


 弟子の安易な姿勢を鋭く破折されていて、忘れられない指導である。


 ちなみにこの後、指導されたのは、「創価学会は『誉主義』であってはならない」という内容だった。

2004-01-10

ケンブリッジ大学


(ケンブリッジ大学の質素な寮を見学して)

 豪華な部屋から英知は生まれないことを知った。また、リーダーも生まれないことを知った。


1972-05-07/『創立者の語らい』創価大学学生自治会編 1990-05-03発行】


 創大開設にあたり、ケンブリッジ大学等を見学していた頃の発言と記憶する。昨年暮れの『新・人間革命』には、ケンブリッジ大学の学生と懇談する様子が描かれていた。


 物事のどこを見るか。裏を見るのか、表を見るのか。はたまた表面にとらわれるか、本質を見抜くか。


 見ようによっては、美しい紅葉も枯れ葉に過ぎない。


 例せば餓鬼は恒河を火と見る人は水と見る天人は甘露と見る水は一なれども果報に随つて別別なり(1025頁)


 先生の眼差しは、質素な建物の奥に質実剛健を見抜かれている。創立者の境涯から放たれる言葉は、己(おの)が瞳の曇りをあぶり出す。

2004-01-09

真剣な心が時代を動かす


 真剣なが、友をつくる。

 真剣な行動が、厚い壁を打ち破る。

 そこから、人びとのが動いた。時代が動いた。いな、動かしたのだ!


【『随筆 新・人間革命』261/聖教新聞 2002-04-16付】


 真剣とは本物の刀のこと。真剣を抜くが如き気魄(きはく)があれば、相手も自(おの)ずから襟を正さざるを得ないものだ。


 像してみて欲しい。拠点で本物の刀を抜いたらどうなるかを。周囲の人々は固唾を飲んでじっとその姿に見入ることだろう。


 真剣勝負とは、斬るか斬られるかしかない。それは、生きるか死ぬかのせめぎ合いでもある。


 誰も見てないところで真剣に戦っているかどうか。一人、御本尊と相(あい)対して真剣なる祈りを捧げているかどうか。師の教えを、自分に宛てられたメッセージと真剣に受け止めているかどうか。


 真剣でなければ中途半端。真剣でなければ遊び。真剣でなければふざけ。


 年頭、先生は「この一年が、運命の分かれ目である。断じて、勝とう!」と言われたと聞く。


 さあ、刀を抜こう!

2004-01-08

怨嫉が功徳を消す


 信をしていても、指導に反して我見の信をしては、功徳の結果は出ない。組織につかないで、注されると反発しながら、勝手な信をする人は、尺八を逆さに吹いているようなもので、音は絶対に出ない。すなわち功徳はない。


【『牧口先生指導要言』辻武寿編】


 若し復(また)是の経典を受持する者を見て其の過悪を出せば若しは実にもあれ若しは不実にもあれ此の人現世に白癩(びゃくらい)の病を得ん(230頁)


 事実であったとしても、デマ?であったとしても、同志を悪口してはならないとの御指南。破和合の罪の重さを像する。


 妙楽云く「障り未だ除かざる者を怨と為し聞くことを喜ばざる者を嫉とく」等云云(201頁)


 いつの頃からか、「納得できない」という言葉を耳にするようになった。私は常に反論してきた。「広宣流布は納得して、やるものなのか? 気と気がぶつかり合って多くを語らずとも、を一つにしてやってゆくべき革命ではないのか?」と。「納得できないのは、境涯が低いからじゃないのか?」と。


 先輩にしっかりついて訓練を受けている人は、理解できなくとも納得できる瞬間があるものだ。


 また、功徳を実してない時は、この指導をよくよく味わうべきだとう。

2004-01-06

戦いは勢いで決まる


 また、『戦争と平和』(トルストイ著)は、「戦いの運命を決するもの」は何か、と問いかける。それは、“指導者の命令”でもなければ、“環境”でも、“武器の数”などでもない。

 戦いを決するものは、「士気と呼ばれる、あのとらえがたい力」である、と。

 戦いは「勢い」で決まる。勢いが止まれば、不議と疲れたり、乱れたりするものである。

 創価の我らもまた、朗らかな「士気」、歓喜あふれる「勢い」で、人間共和の大理へ、いよいよ進んでまいりたい。


【方面長協議会/聖教新聞 2004-12-27】


 士気とは全軍の気込みのこと。あらゆる戦いが、長の一で決するのは当然だが、一人よがりのリーダーが士気を鼓舞することはできない。一人ひとりのを傾け、に寄り添い、同志の絆を深めるところに、阿吽(あうん)の呼吸が生まれる。


 一方、陣列に参じる側も、離れた位置から冷ややかに幹部を見つめ、の底で幹部を評論するような態度があれば、士気が下がってゆくのも明らか。人間だから、完璧な指導者など存在しない。その上で、互いに足らぬ部分を補い合い、守り合い、高め合ってゆく団結の姿こそ、士気そのものである。


 全軍が広宣流布という目標を見つめていれば、自然と盛り上がる雰囲気がにじみ出る。それを見失った隙(すき)に、個人情やわがまま、我見や慢が頭をもたげる。


 頑張っている人はたくさんいる。努力している方も大勢いる。しかし、戦っている弟子が何人いるか? こうした現実を直視し、戦う陣列を拡大してゆくことが本年の真骨頂となろう。


 自分が主役となって立ち上がり、後輩も先輩も率いてゆくのだ! という自覚で臨みたい。今年の干支(えと)は酉(とり)。飛ぶ鳥を落とす勢いで、勝利をもぎ取って参ろう。


 今日は、23歳の先生が、戸田先生から後事の一切を託された創価血脈の日。

2004-01-04

持続の中断は「信」の敗北


 持続なき「信」は「信」ではない。持続の中断は「信」の敗北であるからです。間断なき実践の切磋琢磨のみが、かならず自身の内に、生命の清浄な火を得て、その火はやがて、万人の胸中にも点火されていくのである。


【『御書と四条金吾』 1975-05-03発行】


「生きる」とは持続の異か。呼吸・脈動・食事・排泄等々、生命に関することは、例外なく日々の営みを必要とする。勤行唱題をさぼるとか、さぼらないなどと言ってる内は、生命の外側で信をしているのかも知れない。

2004-01-03

勇気・決意・祈り


 勇気はいつの場合でも決を生み、その決の極まるところに、必死の祈りが生まれる。


【『随筆 人間革命』 1977-05-03発行】


 広布第二章にあって、この指針を人生の指標とした青年部は多い。祈りなき決は口先だけのものだ。勇気が祈りに直結した時、満々たる生命力はじっとしていることを許さない。祈り浅き臆病者であってはならない。

2004-01-02

革命の実像


 そこで一生懸命、毎日毎日研究し、失敗しては人に笑われても、(ライト)兄弟は努力を重ねた。

 約3年後に、自分達の研究の結果をためす時がきた。わずか5人の観客だったが、ライト兄弟は飛んだ。たった59秒で260数メートル、それが今日の大航空時代の宣言の日になった。

 59秒、200数十メートル、観客は5人。これが革命だ。


【第1回全国未来会 1971-05-03 聖教新聞社】


 革命の実像は小さな変化だ。人々が抱いている「無理だ」「できるはずがない」との先入観を打ち破る瞬間に革命の真実が光る。若き先生が築かれた、文京・蒲田・札幌・大阪・山口での法戦は、革命そのものだった。


 我等の革命は、宗教革命にして人間革命なり。一時的な革命ではなくして、永久革命である。

2004-01-01

小さな挑戦


 しかし、時代の変革といっても、それは急になされるものではありません。一人の、ある個人が「よし、やるぞ」と小さな力を奮い起こし、挑戦するところからなされていきます。新しきものの建設や開拓といっても「全面的に個人の力」に負っているのです。皆さん方は未来の人です。負けたり、流されたりしないで、今後、どうしたらこの行き詰まりを破り、新しい平和な地球を構築できるかを考えてもらいたい。そして、自分自身に挑戦していただきたい。


【『未来への誓い 創価学会中等部指導集』】


 中学生と全く対等な目線から指導されている。中等部に対する敬のこもった眼差しは、彼等を甘やかすことを許さない。世界の平和を共に担おうとする呼びかけは、中等部を大いなる飛翔へと誘(いざな)う。