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2004-02-16

文京支部


 昭和28年(1953年)428日――

「やる気のある者は来なさい」

 5地区34班の36の幹部が揃った。

「大勢はいらない。36傑の勇士がいれば、必ず立派に戦える」


【「文京支部時代の池田先生」/『前進』1967-03号】


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 前年の昭和27年(1952年)1池田先生は蒲田支部支部幹事となる。翌2には、201世帯の折伏を達成し、戸田先生の願であられた75万世帯達成へ、大きく弾みをつけた。当時のA級支部の折伏世帯数が、100世帯を越える程であったことを踏まえると圧倒的な成果といってよい。これが“伝統の2”の淵源となる。文京派遣されたのは、その一年後のこと。実に25歳という若さであった。


 36が集ったものの、題目三唱が合わず何度もやり直しをする。戦いは呼吸を合わせるところから開始された。


 36という数は決して多いものではない。男子部であれば一本部で集めることは十分、可能な人数である。壮年なら支部で集まるところもあるだろう。その人数が団結した時、核爆発のような力を発揮した。


「大勢はいらない」との一言は、あくまでも少数精鋭であり、核となる幹部の呼吸さえ揃えば、長の一によって闘争は無限に広がってゆくことを示されている。当時を振り返る方々は、皆が皆、「あれほど厳しく信を教わったこともなかったし、あれほど楽しい闘争もなかった」と口を揃える。


 それが単なるい出などではなく、日本一の歴史を残すところに先生の偉大さがある。

価値論の淵源


『価値論』が『創価教育学体系 第2巻』に収められていることを、今回、初めて知った。「価値論」という言葉が、それ以前に使用されていたのかどうかが、気になり、「牧口常三郎戸田城聖とその時代」の運営をされている、てんてんさんに掲示板で質問した。貴重なことを教えて頂いたので、以下に転載しておく。




 価値論研究特集のある東洋哲学研究所の『東洋学術研究』(25巻・第2号 1986-11)を取り出して、ざっと目を通してピックアップしてみました。ご参考まで。


価値論を自覚しはじめたのは比較的近い時代


「価値についての牧口の索は、おそらく大正期の半ば頃から始まったものとわれる。というのは、彼は、自分が価値の問題について関をもったのは左右田喜一郎の『経済哲学の諸問題』を読んでからである、と書いているからである」(1)


 ということですから、それ以前の著作にはまずないとわれます。


「教育学に価値論が重要なことその第一巻から既に強調されている」


「独特の価値概が既にはっきりしていたわけではないようにわれる」(7)


当時の学界の潮流


「その頃、日本の哲学界では新カント派の哲学が主流で、価値論がその中問題の一つであり、(中略)、彼(左右田)が価値論の中的な論者であった」(2)


「この当時の日本の哲学界には、ヴィンデルバントやリッケルトなどドイツ新カント派の価値哲学の影響が強く、長年ドイツに留学してリッケルトに師事してきた左右田喜一郎の価値哲学が一世を風びしていた。明治26年に北海道師範学校を卒生して小学校の教師となった牧口常三郎が」、約40年間にわたる教師生活の体験を生かして新しい教育学説を樹立しようとするにあたって、その理論の根拠を価値哲学に求め、新カント派の経済哲学者として有であった左右田喜一郎の著書を第一にあげているのも、この当時の学界情勢からみれば当然の経過であったといえよう。」(5)


牧口が価値論に取り組んだ理由


「知識を獲得する鍵を子どもにつかませることが大切であるとして、それは何のためか。子どもが人生を幸福に生きるためである。教育の目的は子どもを幸福に生きる人間に形成することである。そして、幸福に生きるとは価値を創造することである。教育がこれまで効果を十分に挙げなかったのは、教育の目的が明確でなかったからである。いいかえれば、価値が確立していなかったからである。牧口はこのように考えて、価値論に取り組んだとわれる。そして、その背景には、知育徳育、体育に教育を分ける考え方への、彼の長い教育実践に根ざした批判があったと考えられる」(3)


変化を続けた牧口の価値論


「今日、教育が行き詰まっているのは、教育において価値観が明確でないからである。牧口はそう考えて、自ら価値論と取り組んで、教育学体系の中にその価値論を据えた。そのためには、さまざま哲学とも格闘しなければならなかった。だから、彼の価値論のなかには、索の深まりにつれて自分の概を訂正している箇所が少なくない」(4)


「左右田喜一郎の価値哲学にしても、(略)前期の価値概と(略)後期に提唱する「文化価値」や「極限概」の哲学との間には相当な距離がある。/牧口常三郎の価値論の場合にも、「創価教育学体系」の理論的支柱として真理とは区別された「価値の創造」を強調した前期の価値論と日蓮正宗に帰依して宗教的確信を基礎とする後期の価値論との間には相当の変化が見られる」(6)


 前期後期というのは、教育指導原理→生活指導原理という流れです。


 どの時点から価値論という言葉を使うようになったかという問いの立て方は、価値論成立の(というか未完の価値論の)ダイナミズムを見失わせる可能があるかもしれないとった次第です。


(1)「創価教育学の基本原理としての価値論」竹内良知 5p

(2) 同 6p

(3) 同 7p

(4) 同

(5) 左右田哲学と牧口価値論 関順也 19p

(6) 同 20p

(7) 同 28p