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2004-04-29

苦難に耐えてこそ本物の希望


 の中にも希望はある。いなに鍛えられてこそ、はじめて希望はその真実の強さを発揮する。“鍛え”なき希望は、単なる夢に過ぎぬ場合があまりにも多い。

 近年の嵐も、私は一人すべてを耐え、ことごとく打ち勝った。私はを喜んでいた。むしろ自ら望んでいたといってよい。

 それは何より、これによって若き諸君の信が鍛えられ、成長することを期待したからである。

 そして、風雨をしのぎ、時をかせぎながら、一つまた一つ、青年のに靭(つよ)き不屈の「希望」をはぐくんでいった。その営々たる陰の作に気づいた人は少ない。世間の浅薄な眼にも全く映らなかったかもしれない。


【第1回全国青年部幹部会 1988-01-09 創価文化会館


 信仰とは、希望をつくり、希望に生き、希望を実現することだ。淡い願望や、安易な夢とは異なる。更に、大乗の精神に則る我等は、より多くの人々の幸福が人生の目的となる。全人類の幸福の実現――これが広宣流布だ。


 昭和24年(1949年)から25年(1950年)まで、学会にとって厳しい冬の時代があった。若き先生は、一身を投げ打って戸田先生のために尽くした。学会活動もうようにできず、戸田先生を守るために、一切の事の攻防に身を呈した。


 この時に、戸田先生創価大学の構を先生に告げられた。西神田の会社の近くにあった食堂でのことである。


「大作、大学をつくろうな。創価大学だ」


 昭和25年1116日のことである。


 それは、戸田が経営していた東光建設信用組合が、経営不振から営停止となり、彼が学会の第5回総会で、正式に理事長を退いて4日後の、まさに窮地のさなかのことであった。

【『新・人間革命』「創価大学」1】


 後継の弟子は、21年後の昭和461971年)42日に果たす。


 戸田先生は、また、聖教新聞の構も同じ時期に語られている。


「新聞をつくろう。機関紙をつくろうよ。これからは言論の時代だ」

 戸田先生は、私に、力強く言われた。

 師の事が、嵐の渦中にあった、1950年(昭和25年)の師走東京・新橋駅近くの、とある食堂でのことである。

 一身に非の集中砲火を浴びていたなかで、先生は、悠然と、広宣流布の遥かな未来を展望されていたのだ。

【「随筆 新・人間革命」20 聖教新聞 1998-04-15付】


 これは翌昭和26年(1951年)420日、戸田先生の会長就任の直前に実現されている。


 牧口先生は、軍部政府からの弾圧が迫る中で叫んだ。「今こそ、国家諌暁の秋(とき)である!」と。


 獄中にまでお供をされた戸田先生は、独房で悟達の境涯を得された(「戸田先生の獄中の悟達」)。


 創価学会の歴史は常に、最悪の状況の中で、光を掲げて立ち上がった歴代会長の大闘争によって築かれてきた。その胸中にあったのは、「何が何でも人類を救ってみせる」という勇猛なまでの慈愛であり、我立てば、全眷属が後に続くとの大希望であったことだろう。


 闇が深ければ深いほど暁は近い。今が境であれば、それは、溶鉱炉の中で本物の希望となるべく、鍛え直していることを確信して。

2004-04-26

人生は出会いによって綴られる


 人生において「出会い」は大事である。ある味で、人生は「出会い」によってつづられているといってよい。いつしか忘れ去られていく出会いもあるかもしれないが、一瞬に人生を変える出会いもある。

 ゆえに、私は一つ一つの出会いを最大に大事にしてきたつもりである。諸君も、同志や後輩の人との「出会い」を決しておろそかにしてはならない。最大の「誠実」と「真剣」と「真」をもって接し、激励をお願いしたい。

 一人の人との「出会い」にどのように振る舞うか、そこにその人のありのままの人間が表れるとっている。自分の立場や多忙さのために、いい加減な、不誠実な対応であったり、傲慢な、人を見下すような姿があれば、先輩として、また幹部として失格である。それでは人間としても嘆かわしいし、後輩も可哀である。


【第1回全国青年部幹部会 1988-01-09 創価文化会館


 オウム真理教の犯罪が明るみに出た際、「優秀な若者が、なにゆえ反社会的な宗教団体に参加したのか?」と多くのマスコミが疑問を呈した。彼等は、“出会いを誤った”といえよう。


 人生は、誰と出会うかで決まる。依正不二といい、縁といっても、出会いに集約される。


 上京して数年を経た頃、今までお世話になった方々の前を書き出してみたことがあった。私の人格形成に何らかの影響を与えた人の数は、実に200人を上回った。まだ、26歳ぐらいだったと記憶する。


 更に先輩方から受けてきた薫陶や指導をい返した。私が後輩にしてきたアドバイスの9割以上が先輩から教えてもらったことだと気づいた。オリジナルは1割にも満たないだろう。


 30歳を過ぎてからは、何はともあれ、自分が教わってきたことだけは、後輩にしっかりと伝え残してゆこうとの強い自覚が芽生えた。


 私の人生を決定付けたのは、師匠池田大作先生との出会いによるものだ。我が人生にとって、これほどの僥倖(ぎょうこう)と福運はない。その出会いは、小学校1年の時である。詩「大いなる希望」によって、私のには師匠の存在が刻印された。小学校2年より、先生のご健康とご長寿を祈り続けてきた。


 更に、我が運命を決めたのは、高校3年の時に、小説『人間革命』(当時は10巻までしかなかった)を通読したことであった。この衝撃は、いまだに余韻が消えてない。生涯、消えることはないだろう。


 先生のを体して、内にあっても外にあっても、情熱と誠実の塊(かたまり)となって、を通わせる出会いを繰り返してゆきたい。出会えたこと自体を喜び、謝できる日々でありたい。


 相手のに何かを与える、何かを残す、何かを動かす。シビレエイは自分が電しているから、触れる人をも電させる。自分の動のボルトを最大限にして、相手のは痺れる。


「あなたと出会えてよかった!」こう語る人々の数が、1000万に直結する。

2004-04-25

人間をつくれ


 ともかく「人間」をつくることだ。「人間革命」を進めていくことだ。

 信で「人間」を強くすることだ。

 信で「人間の深き使命」を自覚せしめることだ。

 信で「生命の尊厳」を教えることだ。

 そこに、「幸福」と「平和」が直結することを知らしめていかねばならない。

 これが、大聖人の法であるからだ。


【『随筆 人間世紀の光』25「わが故郷・大田をう」 聖教新聞 2004-04-19付】


 今、先生の執務室には日本地図が掲げられているそうだ。各方面・各県への随筆を書かれるごとに、日本地図は塗られているとのこと。先生は気も盛んに''「書いて書いて書きまくろう!」''と仰せになっている。「異体同で戦ってくれる同志のためにも書きまくろう」とも。


 76歳になられて尚、“我が同志を激励せずにおくものか!”という気魄(きはく)に溢れ、前へ前へ、何があろうとも前へ進み抜く先生の一が、我々を奮い立たたさずにはおかない。


 多くの宗教は神主義といえる。キリスト教において人間は、「神の僕(しもべ)」に位置付けられる。そこには、“神が上で、人間が下”というヒエラルキー(階級制度)がべったりと貼りついている。時に、神のために人間が犠牲になることもしばしばだ。こうした精神が、“宗教のために人間を利用する”温床を形成している。宗教という鋳型(いがた)に無理矢理、人間をはめ込み、いびつな形に変形させてきたのが、これまでの宗教の実態であった。


 これに対して、法は人間主義である。衆生は平等であり、法という同じ地平に立つ。大聖人も「我並びに我が弟子」(234頁)と仰せである。法においては、人間が目的となっており、人間を手段化する一切の権力は、戦うべきとされる。


 組織における闘争の目的もここにある。後輩の宿命転換のため、人間革命のため、大いなる成長のために、先輩が身体を張って戦うのが人間主義だ。そうでない場合――権威主義、組織主義、成果主義、書類主義、命令主義、会合主義、形式主義が微塵でもあれば、断じて戦うべきだろう。


 本幹にて、「陰徳あれば陽報あり」(1178頁)との指導あり。誰も見てないところで戦え! 誰も見てないところで祈れ! 誰も見てないところで勝て! との烈々たるメッセージと私は受け止めた。


 本日、再放映に宝寿会の婦人2を連れ出す。帰る道すがら、スピーチの激を語る老婦人の声が童女のように賑やか。

2004-04-24

5.3を祝賀し 名誉会長が全同志に句


 偉大なる

  同志がありて

     創価の日


聖教新聞 2004-04-24付】


 弟子が師匠を見離してから25年。師は弟子を「偉大なる同志」と讃える。そのの深さを知るにつれ、慙愧(ざんき)のに駆られてならない。


 25年前、宗門のどす黒い陰謀によって先生は、「会長」から「誉会長」にさせられた。本山内の所化どもは、「誉」と呼んでいたという。その悔恨極まりない呼称を平然と使用する聖教新聞社の覚を疑う。せめて、「SGI会長」とすべきだろう。

2004-04-23

全員が満足する会合を


 たとえ一人でも「今日の会合はつまらなかった」と言わせるようでは失敗です。その会合の舞台裏のすみずみまで気を配り、全員がから満足して帰る。これが創価学会の会合である。


【『前進』1971-12号】


 こうした当たり前のことができなくなりつつある。人を集める以上はこれだけの覚悟を持つのは当然だ。その自覚が弱ければ、権威主義の謗りを免れない。


 私の地区に座談会で必ずこう話す方がいた。「私はまだ引っ越してきて一年しか経ちませんので……」と。弱気な発言の根っこにあるものが気になった。私は威勢よく発言した。「まだ、引っ越してきて、3ヶしか経っておりませんが、こちらの地区に完璧に馴染んでおります。いやあ、もう20年ぐらい住んでるような気分です」と。昨年の8のことだ。


 それ以来、この方は同じ発言を繰り返さなくなった。70代の明るい婦人だったが、転入の際、受け入れ人事を断ったことを後からにした。


 この婦人が今、引っ越すことになった。今の公団よりも、一部屋多い都営住宅が当ったという。今座談会でこんな挨拶をされていた。「2年に満たない期間でしたが、皆様には本当にお世話になりました。私も色々な組織を見てきましたが、こんなに楽しい地区は初めてでした……」。


 高齢のため、それほど活発な活動はされてなかった。つまり、この婦人が語った「楽しい」というのは、座談会のことだった。私は嬉しかった。


 自分自身でミスター座談会乗ってはいるものの、毎回毎回、悩みながら取り組んできた。自分の発言や寸劇・研究発表などは当然だが、全員発言でのやり取りや、帰り際に掛けた一言までも、常に反省し、「本当にあれでよかったのか?」と煩悶してきた。顔の見えない方をっては、が暗くなったこともしばしばだ。


 座談会が終わるや否や、この婦人部は真っ先に私に握手を求めてきた。その笑顔こそが、私にとって最大の成果である。


 今座談会では、今年、新任となった地区副リーダーに司会をやってもらった。会合中、私は隣で、「――、こう言え」「――、こう言って笑いをとれ」などと喧しく繰り返した。おとなしい青年だったが、立派に司会を務め上げた。終了後、「今日の司会はどうでしたか?」と皆に尋ねた。口々に「よかったよ!」と言われ、期せずして拍手が起こった。忘れられない座談会となった。


 昨日、第37回本部幹部会が行われる。マーシャル諸島共和国に地区が誕生し、SGIの連帯は、実に世界188ヶ国・地域となる。

2004-04-22

“どうなるのか”ではなくして“どうするか”


 すなわち、問題は“どうなるのか”ではなくして、諸君が“どうするか”にかかっていることを熟知していただきたい。実際の革命の実践面は、すべて社会へ展開した諸君の手にゆだねられ、諸君の智恵と情熱とが、局面を左右するのであります。どうか、このことを深く自覚していただきたい。


【夏季講習会・学生部全国幹部会 1973-07-29 総本山大石寺・大講堂】


 これも肝に銘じている指導の一つ。


 釈尊法華経にいたるまでの教え(爾前経/にぜんきょう)は、質問に答える形で行われていた。これを「随他」という。これに対し法華経随自意の教えであり、無問自説といわれる。


 法華経に至り、誰も質問してないにも関わらず、釈尊が法を説いたため、弟子一同は驚愕する。これだけでも動執生疑となったことだろう。師匠の悟りがそのまま語られる瞬間に緊張もしたことだろう。法華経解(なんしんなんげ)といわれる所以(ゆえん)もここにある。


「内の組織は厳しいなあ……」「世の中はどうなってゆくのだろう……」これは、「どうなるのか」という姿勢であり随他である。所詮、傍観者であるが故に。ただの嘆き節だ。「“創価1000万”はどうなるのだろう?」これではいけない。1000万実現のために、今、自分が何をするかで決まるのだ。


 相手が厳しい、環境が厳しい、だからこそ、自分が「どうするか」が問われている。


 自分の関わり方を変えてゆく、もっといえば、関わる自分自身を変えてゆく――その人間革命の王道の中に広宣流布は推進される。


 理とは程遠い世界にあって、理の自分を築き、自分の周囲に理を張り巡らすのが我等の闘争だ。

2004-04-20

仕事の奴隷になるな


 仕事に引きずられるのではなく、仕事を引きずっていかなければならない。欲が欠けていたり、自分の仕事に激がわかないのは、全部、仕事に引きずられている証拠だ。また、忙しくなると、自分の仕事の焦点がぼやけてくる。そういう場合も、仕事に引きずられているのだ。自分のなすべきこと、取るべき責任、焦点というものをはっきりと見極めて戦っていれば、仕事をリードしているといえる。


【『前進』1966-07号】


 仕事とは「事に仕(つか)える」との謂い。何らかの事に仕えることによって、人は社会に貢献し得る人生を歩むことができる。嫌々、何かをやらされているような根があれば、それは奴隷だ。同じ姿であっても、天地雲泥の相違が生まれる。


 物理の世界では、仕事=質量×距離となる。重たい物をより遠くへ移動するほど仕事量は増える。つまり、仕事とは動かすことだ。世の中にあって、何かを動かす、何かに変化を与える。これが仕事である。そこに自分が積極的に関わってゆくことによって人生の充実の度合いが深まる。


 職場はただ単に働く場所ではない。我々にとっては、社会と関わってゆく貴重な接点であり、実証を示す舞台に他ならない。我々は、たまたま今の職場に勤務しているというような姿勢ではなく、学会本部から派遣されているという自覚でありたい。


 仕事の鬼であれ。仕事の奴隷となることなかれ。


 という指導もある。

2004-04-19

言いわけをするな


 一言でいえば、「言いわけをするな」という真剣勝負の生き方である。

「真剣」で首をはねられたあとで、何を言いわけしようとも無駄である。どんな立派な言いわけをしようとも、負けは負けである。ゆえに、「自分のいる、その場で勝て。断じて勝て」――これが「本有常住」を説く法の生き方と言える。

 極言すれば、牢獄に入れられようとも、その場で厳然と戦い、信を貫いて死んでいく人生である。


【第1回沖縄最高会議 1997-02-23 沖縄研修道場


 勝てば言いわけは出ない。小さなミスや、結果がわしくない場合に、言いわけは口を突いて出てくる。言いわけは、自分を正当化するのが目的だ。つまり、言いわけによって主張される内容は、自分以外の誰人かを問題視するものであり、スッキリしない状況を環境のせいにしているだけである。これは環境に負けている惨めな姿に他ならない。


 言いわけをする人物はそこに気づかない。自分を見つめることができずして、どうして勝利の指揮が執れようか。リーダーが、理の一三千となっているが故に、目の前にいる人のを動かすことができないのだ。


 先生は実に厳しい指導をされている。しかし、たとえ自分が死ぬようなことになろうとも、事の一三千の当体となった生命力は、必ず自分の眷属に波動を与え、歴史を回転させる歯車を動かしゆくことができるのだ。


 どのような戦いであれ、「私の闘争で必ずや勝利してみせます!」と師匠の前で誓えるかどうかである。

2004-04-18

われらの指標は広宣流布


 われらの指標は何か

 それは 広宣流布

 これには幾重(いくえ)の障害を越えねばならぬ

 この執と 転教の遠征が

 われらの生涯の旅路だ


 われらには止(とど)まることがない

 大河の流れの如くに

 ある人は

 暖かな夢を見て ひき還(かえ)すかも知れぬ

 ある人は

 険の峯(みね)を避けて

 明るい街の灯(ひ)に

 易々(いい)として帰るかも知れない


 しかし

 われらは勇壮に嵐に向かって征(ゆ)く

 久遠真如の都を築くために

 勇敢に大密林を切り開いて動く


【「青年の譜」 1970-12-05/『青年の譜』1983-08-24発行】


 我が身一身の安穏を望むようでは革命児とはいえない。我々、池田門下生は、己の幸せよりも、他人の幸福を強く望む菩薩の集いだ。


 一切の菩薩必ず四弘誓願を発(おこ)す可し其の中の衆生無辺誓願度の願之を満せざれば無上菩提誓願証の願又成じし(424頁)


「衆生無辺誓願度の願」とは一切衆生の幸福が実現するまで、自分は幸せにならないという誓いである。


 自分さえよければそれでいいとするちっぽけなが微塵でもあれば、既に広宣流布を見失った哀れな境涯と自覚すべきだ。慳貪(けんどん)の罪によって餓鬼界に落ちることは間違いない。


 傷つくことを恐れず、捨て身で戦う同志のみが、真の学会っ子だ。

2004-04-17

4.24 会長勇退


 50年間にわたる青年の育成を讃えて、アメリカ・イリノイ州の4市が424日を「池田大作の日」とする旨、宣言した。シカゴ郊外にあるホッフマンエステーツ、ローリングメドウズ、エルジン、ロックフォードの4市。(聖教新聞 2004-04-14付)


 先生が会長勇退をされてから、わずか25星霜。この四半世紀の発展を誰人が像し得たであろうか? 皆無であったに違いない。ただ一人、先生を除いて――。


 25年前、日顕山崎正友の謀略は成功した。その一点で、学会は真の師弟を覚知していなかったといわれてもやむを得ない。迹を発(はら)って本を顕すには、師匠の犠牲を必要とした。


 深い闇の中から傷だらけの身体で立ち上がったのは、一人の戸田門下生であった。偉大なる師匠の孤軍奮闘によって、学会は発迹顕本できたのだ。我見ではあるが、先生の会長勇退が従地涌出品に当たり、日顕による総講頭罷免以降が如来寿量品に当たるとわれてならない。そこに至る11年間が略開近顕遠(りゃっかいごんけんのん)の時であったのだ。


 先生によって、学会は救われた。この闇黒の歴史は、いまだに癒えることのない傷口から、ドクドクと血を流させている。




 実は、昭和41年(1966年)当時、創価学会昭和54年(1979年)までに1000万世帯の達成を目標として進んでいた。要は、1000万世帯をもって、七つの鐘は鳴り終わるはずだったのだ。


 いまだかつてない大いなる目標に向かって前進した時、700年間にわたって、溜まりに溜まった巨大な膿(うみ)が出てきた。そして、膿の切除には11年間を要した。それから、14年が経過して、いよいよ七つの鐘の総仕上げの秋(とき)を向かえた。1000万を成し遂げることが、「創価の世紀」の開幕に直結している。どのような姿であれ、この大闘争に参加する者こそが、真の池田門下生であり、本化地涌の菩薩である。

2004-04-16

君でなければ 出来ない使命がある


 われには われのみの使命がある

 君にも

 君でなければ 出来ない使命がある


 青春の躍動せる力なくして

 老いたる世代に 何ができるか

 未完成より 完成への構築の坂

 青春の歌

 文化の曲

 革新の銅鑼(どら)を 鳴らしながら

 勇壮に 雨に打たれて働こう


【「青年の譜」 1970-12-05/『青年の譜』1983-08-24発行】


 誰人にも自分の使命がある。使命があればこそ生きている。宿命の大波に翻弄される悲劇を演じるか、人間革命の偉大なる歴史を綴るかはその人の一で決まる。


 人それぞれに固有の人間関係がある。自分の周囲にいる人々の全てを幸福の方向へ、向上の方向へとリードしてゆくのが我等の使命だ。言論のつぶてを放ちながら、友好を深めつつ、相手の生命を揺り動かす作である。


「革新の銅鑼」とは何か? それは破折の精神であろう。誤れる人生観、顛倒(てんとう)する価値観を、満々たる生命力で打ち破ってこそ我等の言論は、社会を覚醒させる警鐘となる。


 願くは我が弟子等は師子王の子となりて群に笑わるる事なかれ、過去遠遠劫より已来(このかた)日蓮がごとく身命をすてて強敵の科(とが)を顕せ師子は値いがたかるべし、国主の責めなををそろしいわうや閻のせめをや、日本国のせめは水のごとしぬるるををそるる事なかれ、閻のせめは火のごとし裸にして入るとをもへ、大涅槃経の文の法を信じて今度生死をはなるる人のすこしのゆるなるをすすめむがために疫病をのあたへ給うはげますなりすすむるなり(1589頁)


「勇壮に 雨に打たれて働こう」とは一頭の師子たれ! との万の期待である。


創価1000万」という最高の舞台が用された。あとは各人がどのような劇を演ずるかである。

2004-04-15

午前八時の太陽の如く


 天空に雲ありて

 風吹けど

 太陽は 今日も昇る

 午前八時の青年の太陽(かれ)は

 無限の迫力を秘めて

 滲透(しんとう)しつつ 正確に進む


 己れの厳しき軌道を はずさずに

 天座のかなた 蒼穹(そうきゅう)狭しと

 王者赫々(かっかく)と

 太陽(かれ)は ただ黙然と進む


 無知の英知 文化の斜陽

 機械化の人間 哲学の死滅

 陰険なる権力 欺瞞(ぎまん)と邪智

 その覚醒のためにか

 黄金の光放ちて 彼は悠然と進む


 纏綿(てんめん)として人間の群像あり

 その相争い 絶え間なき地球

 逡巡と叛乱(はんらん)の 悩うず巻く世界

 抑圧の機構に

 生命の光り 消えゆかんとする人生

 その上空を

 新しきバイタリティーを要求しつつ

 彼は進む


 日蓮法は 太陽の如し

 われらが信仰もまた太陽たり


【「青年の譜」 1970-12-05/『青年の譜』1983-08-24発行】


「青年の譜」の冒頭部分。この長編詩が発表されたのは昭和45年。言論問題の渦中にあって、先生の体調は頗(すこぶ)る悪く、当時の青年部は師匠からの遺言として受け止めていた。この時、書かれた小説『人間革命』の第6巻は口述筆記で行われている。当然ではあるが原稿はなく、カセットテープが保存されている。会長就任から丁度、10年。先生は42歳であられた。翌には43歳になられていることをうと、戸田先生が逮捕された年齢(43歳)と同じである。何か不議な法則をじる。


 闇を払い、蒼穹の頂点を目指して駆け上らんとするのが「午前八時の太陽」だ。これこそ、青年が持っているエネルギーそのものであろう。「無限の迫力」と「己れの厳しき軌道」という言葉に込められているのは、智勇兼備ということだ。力だけでは蛮勇になる場合がある。青春のエネルギーはともすると、闇雲に発散される傾向が強い。我々の軌道とは、単なる社会的常識という次元ではない。因果律に則った生命の法則である。具体的には勤行唱題に尽きる。


 太陽は寝坊しない(笑)。太陽は差別しない。人を選ぶことなく、平等に光りを降り注ぐ。太陽は温かい。太陽は常に燃えている。


 太陽では核融合が起こり、巨大な圧力がかかっている。高圧、高密度、高温が太陽の実態だ。そうであるならば、我々も、いまだかつて成し遂げたことのない高い目標を掲げ(高圧)、来る日も来る日も新たな出会いと充実の対話を掛け(高密度)、燃え上がる情熱(高温)を傾けて日々の闘争にいそしまねばならない。


 一人ひとりの池田門下生が太陽と輝いてこそ、創価1000万は達成される。まずは、私から――。

2004-04-10

邪悪への闘争心が巨大な力を引き出す


 日蓮大聖人の御入滅後、日興上人は、一人厳然と正法正義(しょうぼうしょうぎ)を守られた。また、学会では、戸田先生が、師・牧口先生獄死させた権力のへの復讐を誓われた。

 師のとして悪と戦い、断固、一切を勝利へと導いていく、その強き一が、どれほど自身の巨大な力を引き出すことか。

 ともあれ、「法と申すは勝負を先とし」(1165頁)と大聖人は仰せである。勝負すると自分で決めた時は、絶対に勝たねばならない。悪に勝つことは善であり、悪に負けることは悪を助長させることになるからだ。


【記関西支部長会 1989-02-02 関西文化会館


 夫れ法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞を本とせり、故にをば世雄(せおう)と号し王をば自在となづけたり(1165頁)


 この御書を誤解している人が多い。法と王法を並べて、「勝負をさき」と「賞を本」を対比させている。つまり、「さき」とは根本に対しての言葉であり、枝葉の先と同じ味なのだ。講義録にも書かれているはず。


 では、法の根本は何か? これは、それぞれの境涯によって求めてゆくべき課題だろう。個人的には、「勝っても、負けても、戦い続けること」が根本だとわれてならない。


 何事もない平穏な時でれば、それで構わない。しかし、師匠が晩年を迎えた今、池田門下生に敗北は許されない。勝って勝って勝ちまくって、偉大な師匠の徳を示すことが弟子一同にとって最優先課題である。


 今年で、会長勇退から26年。毎年毎年、巡り来る4.24を風化させてはならないと痛する。先生のご境は、「自ら省みて直(なお)くんば、千万人と雖(いえど)も吾れ往かん」(孟子)というものだったと像する。


 この26年間、一人立たれた先生の巨大な力によって、学会は世界190ヶ国にまで発展した。しかも、これだけ壮大な仕事をされていながら尚、戸田門下生としての誠を尽くされている。弟子ならば、同じ道を歩みたい。


 まず、「勝負する」と自分で決めることだ。上から言われてやるのが一番つまらない。が決まれば、どんなにしい状況になったとしても、先生の姿を見失うことはない。


 極悪との闘争は、具体的には人間関係のある人が中となるが、坊主の悪行を皆で確認し合うことと、破邪顕正の祈りが欠かせない。

2004-04-06

学生部結成16周年に寄せて


 ともかく僕は、君達のために生きる。ただ、君達の道を開くために総力を込めて生きる。

 僕の遠征の暦(こよみ)は、二十七星霜。激流のなかで戦う同志(とも)を見るとき、一日一刻たりとも逡巡は許されなかったのだ。

 二十七年は、束の間のようにもえる。広布の激烈な劇には、安逸の幕間はない。ただあるのは、喝采のない舞台で、次のドラマを演ずる孤独な不惜の精神だけであった。


【「民衆凱歌へ不惜の転教」学生部結成16周年に寄せて 聖教新聞 1973-06-30付】


 歴史というのは歳月を経なければ見えてこない側面がある。否、その部分の方が大きいかも知れない。


 学生部にとって最も重要な指導の一つである。学生部が結成された昭和32年(1957)6月30日、先生は夕張の地で炭労問題の対応に奔走されていた。当時、29歳。解決したのが7月2日。翌3日には大阪事件となる。


 不二の弟子が権力と闘争している渦中で学生部は誕生した。


 このメッセージが送られたのは、正本堂が落成した翌年であり、学会顧問弁護士をしていた山崎正友が宗門に深く食い入っていた頃である。先生は45歳。戸田先生が獄中で悟達された時と同じ年齢だった。また、前月の5月8日から27日にわたってヨーロッパ指導がなされた(15日から19日にかけては、2回目となるトインビー対談)。


 獅子身中の虫が蠢(うごめ)く中で、世界広布の楔(くさび)が打たれ、その時に当たって、学生部に対してメッセージを送られたのも偶然ではあるまい。これこそ歴史の刻印であろう。


「全責任を担って立つ」と口で言うことは易しい。だが、本当に責任を担った時の“緊張”と“孤独”を知る人間は少ない。戸田先生亡き後、32歳で会長になられ、一人ひた走って来られた先生の孤独を像する。己(おの)が悩みの何と小さきことよ。

2004-04-04

身口意の三業によって三世永遠の軌道が決まる


 この一生において、自分は何を行い、何を語り、何をってきたか。その身口意の三業にわたる、総決算によって、三世永遠の生命の軌道が決まっていく。だからこそ、日蓮大聖人は、広宣流布のために、祈り、語り、動く、その一切が、我が一に功徳善根となって納まる、と教えられているのであります。


【第1回岩手県総会へのメッセージ 1996-09-16 東京牧口記会館


 生死(しょうじ)流転を繰り返す生命。その幸不幸を決定づけるのは、身口意の三業に他ならない。悪因は悪果を招き、善因は善果に直結する。生命の法則である法に網の目は存在しない。


 他人の批判や悪口を繰り返す人物は、必ず周囲から軽んじられる存在となる。どんな人をも讃えることのできる人物は、誰人からも求められる存在と光る。


 我が生命がどこへ向かっているのか、何を求めているのか。我が身一身の小さな目的のために生きれば、身の丈に応じた人生しか歩めない。そこには常にエゴという落とし穴が待ち受けよう。給料に見合った働きしかできないサラリーマンみたいな人生となるのは明らかだ。挙げ句の果てには、人生そのものが消化試合と化すのも時間の問題だろう。


 人として生まれたからには、何らかの大義に生きるべきだと私は考える。より大きな義に向かって生き抜く時、小我は打ち破られ大我が現れる。何らかの犠牲があったとしても、それは最早、単なる犠牲ではなく、大義への貢献となる。犠牲は厭(いと)うべきものではなく、むしろ自らが望むところとなるのだ。


 然(しか)る間(みな)を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一に納めたる功徳善根なりと信を取るべきなり(383頁)


 人類が持てる最高最大の大義が広宣流布である。その行動は一切が福運となって花開き、深き人格となって輝く。


 会合に間に合うように走る。後から来た人のために席を詰める。同志の体験談に拍手をする。これだけでも功徳があるのだ。


 信が弱くなってゆくと、こういう部分に確信を持てなくなる。しまいには、何となく誰かにやらされているような錯覚を覚える。広宣流布の活動をしていながら、いつしか退転してゆくメンバーに共通しているのは、活動に歓喜を覚えてない点にある。自分の人生と広宣流布がリンクしてない。信が即生活に結びついてない。形式だけの信仰で宿命転換などできようはずがない。


 自主・自立・自発のと行動が相俟(ま)って功徳は爛漫と薫る。春を寿ぐ満開の桜も、一つ一つの花びらから成ることを忘れまい。小事に全魂を傾けて闘争し抜いてゆく人こそ、福智を無限に開いてゆける生命の王者である。

2004-04-02

連戦連勝こそ弟子の証


 東京では桜も散り、つつじがほころび始めている。統一地方選は前半戦を終え、我々が支援する公明党は、道府県議選において178議席(7議席増)、政令市議選において146議席(11議席増)の完全勝利で飾った。新たな歴史を築いたのは、新たな民衆の闘争があったからに他ならない。


 その昔、学会の組織票を嫉む輩(やから)は、「タダで動くのは地震と台風と創価学会だ!」などと、ぬかしていた。あたかも、市民は金でしか動かないと決めつけていることを吐露しているようでもあった。学会を揶揄(やゆ)する図が、有権者を愚弄(ぐろう)する結果になっている。


 学会が“集票マシーン”だとうそぶく手合いが時折いるがこれは完全な誤り。大体、“マシーン(機械)”であれば、これほどの票は出るまい(笑)。また、“マシーン”であれば、一度の選挙で金属疲労を起こし、二度と使い物にならなくなるだろう。底の浅い見方は所詮、レッテル貼りに過ぎず、いかなる理由をつけようとも、有権者の手から政治を奪い取る言動となっていることに気づくべきだ。


 前半戦の結果も、世間から見れば微増に過ぎないだろう。しかし、有権者の政党離れが進む中で、公明党はこれだけの支持を獲得することができたのだ。これは胸を張って誇るべき出来事であろうし、「ただ事ではない」というのが私の実である。


 一方、「反対」だけが実績といわれる政党の凋落(ちょうらく)振りは目に余る。“真っ赤な嘘”を吐き続けてきたのだから自自得という他あるまい。他党の実績を平然と横取りし、「ハイエナ」呼ばわりされる政党にある市民が関を抱くはずもない。


 来る27日は一般市・東京特別区議選、町村議選の投票日。公明党からは1797人の候補者が今日より街頭に躍り出た。前半戦の勝利は、後半戦の勝利の保証となるものではない。ましてや地方選の場合、少ない得票数でしのぎを削る戦いとなる。わずか数票差で落選の憂き目を見てきたことも現実にあったのだ。


 人のは動く。人のは揺れる。人のは変わる。残された一日一日、情勢は目まぐるしく変化してゆくことだろう。真の池田門下生に求められているのは連続勝利の実証に他ならない。今日よりは、毎日が「後継の儀式」とのいで攻勢に次ぐ攻勢をかけて参りたい。


 全国の同志に次の指導を送る――


 相次ぐ法戦の最中、私は激戦に挑む彼に、励ましの一通の手紙を書き送ったことがある。

「君よ猛然と敢走せよ そして断じて勝つのだ 自身の使命のため 広布のため 全同志のため 全農民のためにも それには題目を あげてあげて あげきる事だ 動いて動いて動ききる事だ 若々しく 情熱と誠実をかたむけて 君よ断固戦え進め そして勝て 僕はそれだけを待っている 学会根を忘れるな 甘い考えをかなぐり捨てよ 戦闘は なまやさしいものではないのだ 深い深い決と油断なき緻密なる前進で 勝利は決まるのだ どうか一日を一週間とって戦うことだ 一人の対話が十人に広がりゆく 只今臨終の如き 指導と責任と信行でたち向かうことだ……勝利の輝く栄冠を待っている」


【『忘れ得ぬ同志 2』「初代霞ヶ浦支部長 坂本全さん」 聖教新聞 1986-04-14付】

2004-04-01

権力の魔性


 わが学会の前進は、第六天の魔王との、権力の“”との、壮絶なる闘争である。

 そして、軍を抑え、権力の“”の鉄鎖を立ち切って、断じて民衆勝利の旗を打ち立てねばならぬ戦いである。


【『新・人間革命』「開花」6 聖教新聞 2004-03-27付】


 日蓮大聖人は、建長5年(1253年)4月28日に立宗宣言され、7年後の文応元年(1260年)7月16日に『立正安国論』をもって北条時頼を諌めた。わずか1ヶ月後の8月27日に松葉ヶ谷の草案を信徒によって襲撃されている。「少少のはかずしらず大事の四度なり」(200頁)という御生涯であられた。


第六天の魔王」は他化自在天のこと。他を化すること自在であるから、民衆をのままに操ろうとする働きとなる。


 権力というのはいつの時代にあっても民衆を利用し、自分達に歯向かえば抹殺することを常套手段としてきた。日本において革命は存在しなかった。実際にあったのは一揆だけだろう。広く社会に浸透した運動は皆無だったといえよう。いまだかつて全民衆が幸福を享受した時代は存在しなかったといってよい。世界では革命が達成された国もあったが、結果的に新たな権力者を生んだだけだった。J・E・アクトンは「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」と喝破した。


 そうであれば、民衆の自由と幸福を実現する広宣流布の大闘争は、権力とぶつからざるを得ない。ある幹部は言った。「先生は、言論問題によって俗衆増上慢を駆り出し、第一次宗門問題によって道門増上慢を駆り出し、日顕問題によって僣聖増上慢を駆り出した」と。


 あの1995年の学会を叩きまくる狂気の沙汰を、私が忘れることはない。当事者が詫びを入れても私は許さない。口頭で謝罪した程度で癒えるような傷ではないからだ。そして、日本の破壊を目論んだ狂った教団が、先生の命を狙ったことも、私は忘れることができないだろう。


 現代の大聖人を自称する僧は、権力と戦ったことが一度でもあるのだろうか? ま、芸者遊びはできてきても、権力と戦おうなんて根はどこにもないだろうね。この一点だけでも、創価学会が大聖人の衣鉢を継ぐ正当であることが知れる。


 公明党が政権与党入りしたぐらいで安してはならぬ。この原理・方程式は変わることがないのだから。


 明日は戸田先生の命日。牢獄で身体を痛めつけられるようなことがなければ、もっと長生きされたことだろう。出獄からわずか13年で75万世帯の創価学会を築かれた。先生が受けた薫陶は実に、たった10年間だった。