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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2004-04-01

権力の魔性


 わが学会の前進は、第六天の魔王との、権力の“”との、壮絶なる闘争である。

 そして、軍を抑え、権力の“”の鉄鎖を立ち切って、断じて民衆勝利の旗を打ち立てねばならぬ戦いである。


【『新・人間革命』「開花」6 聖教新聞 2004-03-27付】


 日蓮大聖人は、建長5年(1253年)4月28日に立宗宣言され、7年後の文応元年(1260年)7月16日に『立正安国論』をもって北条時頼を諌めた。わずか1ヶ月後の8月27日に松葉ヶ谷の草案を信徒によって襲撃されている。「少少のはかずしらず大事の四度なり」(200頁)という御生涯であられた。


第六天の魔王」は他化自在天のこと。他を化すること自在であるから、民衆をのままに操ろうとする働きとなる。


 権力というのはいつの時代にあっても民衆を利用し、自分達に歯向かえば抹殺することを常套手段としてきた。日本において革命は存在しなかった。実際にあったのは一揆だけだろう。広く社会に浸透した運動は皆無だったといえよう。いまだかつて全民衆が幸福を享受した時代は存在しなかったといってよい。世界では革命が達成された国もあったが、結果的に新たな権力者を生んだだけだった。J・E・アクトンは「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」と喝破した。


 そうであれば、民衆の自由と幸福を実現する広宣流布の大闘争は、権力とぶつからざるを得ない。ある幹部は言った。「先生は、言論問題によって俗衆増上慢を駆り出し、第一次宗門問題によって道門増上慢を駆り出し、日顕問題によって僣聖増上慢を駆り出した」と。


 あの1995年の学会を叩きまくる狂気の沙汰を、私が忘れることはない。当事者が詫びを入れても私は許さない。口頭で謝罪した程度で癒えるような傷ではないからだ。そして、日本の破壊を目論んだ狂った教団が、先生の命を狙ったことも、私は忘れることができないだろう。


 現代の大聖人を自称する僧は、権力と戦ったことが一度でもあるのだろうか? ま、芸者遊びはできてきても、権力と戦おうなんて根はどこにもないだろうね。この一点だけでも、創価学会が大聖人の衣鉢を継ぐ正当であることが知れる。


 公明党政権与党入りしたぐらいで安してはならぬ。この原理・方程式は変わることがないのだから。


 明日は戸田先生の命日。牢獄で身体を痛めつけられるようなことがなければ、もっと長生きされたことだろう。出獄からわずか13年で75万世帯の創価学会を築かれた。先生が受けた薫陶は実に、たった10年間だった。

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