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2004-06-13

妙法の眼


 断絶は 断絶をよび

 暴力は 帰趨(きすう)を知らず

 核は 大きな目をあけて

 眠ったふりをしている

 ああ 呪われた この世紀

 渋に充ちた この世紀

 憎悪に狂う この世紀

 しかし 私たちは

 この世紀を愛さねばならぬ


 から 地球を見るように

 妙法の眼(まなこ) ひとたび開けば

 静かなる 宇宙にうかぶ

 緑したたる この球体――

 妙法の眼 ふたたび開けば

 万象すべて 網膜に焼きついて離れぬ

 蟻が 地面を見るように

 妙法の眼 みたび開けば

 闇黒の 世紀に沈む

 煉獄(れんごく)の阿鼻叫喚

 妙法の眼 よたび開けば

 彼方に 巨大な悩の車輪が廻る


 私は断じて たじろぐまい

 堅忍不抜の 剛勇をもって

 煉獄の 黒い雨のなかに跳び入ろう

 陸続とつづけ! 使命の徒よ

 混沌と 破壊の 真っ只中に

 創造の躍動を 切りひらきゆくのだ


【『青年の詩』/「世紀の朝(あした)」1970-01発行】


 1965年にベトナム戦争が勃発。1969年になると米国は最大となる55万人を派兵した。それでも米軍はベトナムを制圧できず、2万5000トンもの枯葉剤を使用。1975年に至るまで銃火が途絶えることはなかった。


 1962年、キューバ危機によって米ソは、核兵器がダモクレスの剣であることを初めて自覚した。1963年には「部分的核実験停止条約」が成立し、1968年には「核兵器拡散防止条約」が調印された。米ソの冷戦構造はデタント(緊張緩和)に向けて大きく舵を切ったものの、世界を覆う黒い雲の存在は誰もが実していた。


 ベトナム戦争がいよいよ泥沼化する時に書かれた詩である。私は当時、小学校へ上がったばかりだったが、ベトナム戦争は永久に終わることがないとい込んでいた。まだ、大学紛争が激しかった頃だが、世論が高まることはなく、経済が急速に発展する中で、平和に対する無力が時代にへばりついていた。


 核の前では、余りにも人間は無力だった。革新系の市民運動は、子供ながらに悪ふざけをしているようにしか見えなかった。


 このような状況の中で、先生は、具体的な提案として、1968年98日、日中国交回復の提言を発表。1970年(昭和45)221日には、学会世帯が遂に750万世帯となる。そして、同年、言論問題が起こる。


 この詩を拝すると、先生の烈々たる決三障四魔を呼び現したものとじてならない。世界の状況がどのように悪化しようとも、断じて平和にしてみせる! との赫々(かっかく)たる情熱がほとばしっている。


 先生、この時、42歳――。


「堅忍不抜の 剛勇をもって」自分の戦野を切り開いてゆくことを決

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