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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2004-07-29

全体人間を育てよ


 これから、21世紀の先頭に立つのは、どのか、どの勢力か――この熾烈(しれつ)な競争が始まっている。この競争は何で決まるか。一切、「人材」で決まる。「人物」で決まる。

「人格」と「力」を兼ね備えた総合的な人材――「全体人間」が必要なのでる。

「全体人間」の育成が、学会目標である。

 いくら秀才でも、信がない。いくら有でも、哲学がない。いくら情熱があっても、知がない。忍耐力がない。いくら人気があっても、誠がない。

 これでは、「全体人間」ではない。偏頗(へんぱ)であり、ひとつひとつが、バラバラである。総合的な力になっていない。

 総合こそ、信仰者の徳である。「妙法蓮華経」には、徳も生命力も情熱も、知も福運も哲学も、すべてが総合的に備わっているからである。


【「5.3記」第33回本部幹部会 1999-05-01】


 智勇兼備を目指せとの指導。強力(ごうりき)の猛者(もさ)であっても、頭が悪ければ戦いには勝てない。智者であっても実行力に欠ければ、また同様である。


 信のリーダーであるならば、行学のバランスが求められる。どちらかに偏れば、その一組織に反映してしまう。行に傾けば多くの同志に対して説得力を失い、学に偏れば観論に堕す。


 広宣流布は総体革命である。だからこそ、全体人間が必要とされる。総合があれば、どんな人物に対しても、堂々と法正義を叫びきっていけるだろう。妙とは具足・円満の義である。偏頗な人物は、たとえ魅力があったとしても、自らの弱点を克服できてないが故に、必ず犠牲者が出る。

篠原誠参議の通夜


 本日、篠原参議の通夜。創大・緑風合宿所にて、18:00より。前庭に咲くピンクのムクゲとオレンジコスモスが寂しげに揺れていた。


 以下は、導師をされた森田康夫副会長の話。以前から法華経に興味を持っていた篠原さんは、法華経に詳しい教授の下(もと)を訪ねた。この件(くだり)は、小説『人間革命』第8巻「学徒」の章に詳細が描かれている。後日、篠原さんは入会。それから、友人の渡部一郎さん(初代学生部長)を折伏。そして、渡部さんが、青木亨さん(現理事長)と森田康夫さんを折伏した。このメンバーで東大法華経研究会が発足。戸田先生から直接、薫陶を受けた。


 以後、第4代学生部長、東洋哲学研究所所長、創価大学学生部長を経て、創価教育センターの顧問をされていた。


 亡くなられる前日も、壮年の人材グループ勉強会に出席され、不議にも初代・二代・三代会長の指導を通して激励。教材である『新・人間革命』第3巻を開き、釈尊の悟達と最期にも触れられた。


 スイカを買って帰宅。目を細めながら食された。それから、御本尊おわします間にて休まれ、方、亡くなられたそうである。半眼半口の安らかな表情で。


 いつもいつも、戸田先生から受けた薫陶を誇り高く話されていた。またある時は、「池田先生からは、本当によく叱られた。私ほど叱られた幹部はいないかも知れない。今まで、170回叱られて、4回だけ褒められた」と笑顔で語っていた。


 本日の通夜に際し、先生よりお歌とメッセージが届けられる。「いい男だったな」「やり切ったな」とも仰せになられたと伺う。


 三世まで 語り尽くさん 君と僕

        哲学 文学 続きを忘れず


 幾度の君との出会いの歴史は、私の胸の中で、永遠に拡大していくことでしょう。安らかに、君よ少し休みたまえ。

  篠原 誠 大兄

 2004年726日


 私は三度だけ個人的にお話する機会があった。もっと訓練を受けたかったといういも強いが、篠原参議を直接、知り得ただけでも謝すべきなのだろう。


 謹んでご冥福を祈ると共に、自身の成長をもって返しすることを決す。

2004-07-28

確認事項


 最低限、弁(わきま)えておいた方がいいとわれる点をいくつか書いておく。地域によっては、何も教わってない青年部が目につくので。


御書拝読の姿勢


 御書は末法の経文である。それ故、拝読する場合は、勤行と同じ姿勢で行う。音吐(おんと)朗々、信を奮い起こして拝読すべきである。あぐらをかいたり、黙読は駄目。


 また、御書は大聖人から自分に頂戴したお手紙と確信すべきである。の外に御書を置いて、訓詁注釈に捉われるようではいけない。更に、大聖人からのお手紙であるから、御書の上に物を置いたり、御書を床に置くようなことがあってはならない。日本の場合、トイレに入った足で歩き回っているのだから当然だ。


禁句


「自分なりに――」

「自分らしく」と「自分なりに」は似ているが、全く違う質をはらんでいる。「自分らしく」は桜梅桃李で、「自分なりに」は我見である。結果的に「自分なり」の信となってしまっている。青年部においては「自分らしく」も本当は許しいところ(笑)。いつ、いかなる時であろうとも“先駆”を切って進んでゆくのが青年部の正しい姿勢であるからだ。当然、「マイペース」も禁句である。


「――くれた

「会合に出てくれた」、「頑張ってくれた」、「決してくれた」等々、枚挙に暇(いとま)がないほど。これは聖教新聞でも時折、見受けられ、その度に情を申し立てているのだが、直りそうな見込みはない。最悪のケースとしては、「入会決してくれた」というのがある。紹介者のために入会するわけではあるまい。「――くれた」という言葉遣いには、「――して下さい」と頭を下げているような姿勢が見え隠れしている。信は自分のために行うものである。この言い回しは、法を下げていることに気づくべきだ。


「(役職)をさせて頂いております」

 これは本部幹部会にて秋谷会長から徹底された通り。「――しております」でよし。分区単位の会合でも、直ってない地域が多い。


「悪しき権力と戦う」、「正義を証明します」

 これは、先生にお出しする手紙や報告書での禁句。「中部代表者会議(1997-05-26)」で先生が指導されている。後日、紹介する予定。


「とりあえず」、「一応」、「――います」、「――かな」

 これは禁句というほどでもないが、決発表で言うのは駄目。曖昧な一が、曖昧な言葉遣いとなって現れる。


 聞きしいものの代表に、「それでは元気一杯、学会歌を歌って参りたいといます」という司会者の発言がある。直ぐ歌うのに、「う」という日本語はおかしい。「歌って参りましょう」が正しい。


「させて頂いた」の多用。

 これは聞きしい。以前、「気合いを入れさせて頂いた」と言った男子部幹部がいた。これには笑ってしまった。


「力はありませんが――」

 これも先生からの注があった言葉。昔は常套句だったが、それ以来、禁句に。「力がなければ、力をつけよ」と。新任幹部の挨拶などで気をつけておきたい。


「――を中に題目三唱します」

「導師」という言葉は、第一次宗門問題によって禁句とされた。要は、信徒の分際で使うなということだった。それ故、創価の世紀を迎えた今、司会者は「導師」と言い切るべきである。唱導でも構わないが、禁句にされた過去の歴史をえば、やはり導師とすべきだろう。


組織


 金銭貸借・共同事は厳禁。




 男女一対一での行動は厳禁。




 会合中の携帯電話の使用も禁止。こんなのは、常識の範疇だ。先生からも何度も注があった。メイン会場で鳴らした馬鹿者もいた。どんなに小さな単位の会合であっても駄目だ。地域によっては、デタラメな幹部が多い。会合の団結を乱すの所為である。先輩であっても注すべきだろう。




 幹部は、後輩の家へ行った際、お菓子などの食べ物に手をつけてはならない。相手の家族が気を遣っている場合がある。それに甘んじてしまえば、幹部が来る度に気を遣わせることになる。ましてや、後輩のところで酒食にありつく幹部は言語道断である。昔は、「子供の明日のおやつを奪うな」と教えられた。


男子部における会合の優先順位(他は推して計るべし)


 1.創価班・牙

 2.民音鑑賞

 3.未来部などの専門役職(要は代わりに出るメンバーがいない役職)

 4.四者

 5.男子部


 これが原則である。


 今日の座談会に男子部の地区リーダーが来なかった。奥さんに訊いたところ、創価班大学校の運営委員をしているため、大学校生の折伏の応援に行ったという。これは、優先順位を誤っている典型である。


 折伏の応援は別の幹部に頼んで、座談会を優先するのが筋だ。座談会にも来ないような地区リーダーが応援したところで、折伏が決まるはずもない。


 創価班・牙会が優先されるのは、あくまでも任務、及び指導会の場合のみである。多分、内の地区リーダーは知らないだけなのだろう。そんなことすら教えていない先輩がだらしない。


青年部の所属


 青年部が所属するのは、「支部」ではなく「部」である。女子部の活動報告に至っては、「○○支部で部長をしている○○です」などという誤った自己紹介が目立つ。


 草創期にあって、青年部の組織は「部隊」であった。部隊は、支部とは全く別組織だったのだ。これに対して戸田先生より、「青年部は、一支部一部隊の体制を築け!」との厳命があり、現在の組織の原型となった。


 支部長・支部婦人部長の下(もと)に、男女の部長がいるわけではない。細かいことになるが、支部長・支部婦人部長と力を合わせることは正しいが、呼吸を合わせるのは間違いだ。その責任と使命においては全くの同格であることを自覚すべし。


 青年部が本部直結といわれる所以(ゆえん)は、ここにある。部長が呼吸を合わせるのは、あくまでも男女の本部長であり、分区男子部長・分区女子部長である。


兼任役職


 ラインの役職を兼任している場合、正役職が優先される。例えば、副部長兼任の地区リーダーの場合、基本的には他の地区へ入ることはない。地区リーダーとして先駆を切る実証を示すことが使命となる。たとえ、呼ばれたとしても行くべきではない。がかかった場合は、別の幹部を呼ぶべきであることを、ハッキリと伝えよう。


 もしも、地区リーダーが不在の地区があれば、それは幹部の責任であるから、副本部長や分区主任部長などを投入すべきだ。放置したままにしていると、幹部は必ずを受ける。


学会歌


 学会歌を歌う時は必ず正座で、姿勢を正し、真剣に元気一杯歌う。手拍子一つであっても功徳があることを確信すべきだ。


「同志の歌」

「同志の歌」は軽々しい姿勢で歌ってはならない。学会の魂ともいうべき歌なので、時と場所をわきまえることが必要。最初の2行は、詩を吟ずるように小で歌い、後ろの2行はを出し切って歌うのがルール。手拍子はしない。


「人間革命の歌」

 これも手拍子はしないのがルール。


振る舞い


 会合や対話において腕組みをするのは礼儀知らずとなる。幹部が腕組みしながら自分の話を聞いたというだけで、ブロック員が退転したケースも現実にある。近頃では、テレビなどでも腕組みが目立つ。理学的には、自己を防衛しようとする動作であり、を許してない証拠でもある。




 衛星中継に参加する際は正装であれ。男はネクタイ着用が原則。師匠がネクタイを着用して指導に臨んでいるのに、弟子が好き勝手な服装でいいはずがない。ネクタイをしなくても構わないのは、夏季研修の衛星中継のみ(※現在は夏季研修の衛星中継は殆どない)。




 常識として、短パンでの会合参加は控えたい。他人の家に上がる際も、毛ズネを見せるような恰好は礼儀を欠いてる。




 通夜・葬儀の手伝いをする際、ブレザーは失礼になる。ブレザーというのは軽装であることを自覚しよう。彼岸法要などの役員をする場合も同様。これは、現実に注したことがあって、いずれも牙会のメンバーだったことを付け加えておく。




 挙手は右手を握り拳で行う。




 一対一の指導、及び懇談の際は正面に座らない。理学では、向かい合うと敵対関係になりやすく、相手が身構えてしまうといわれる。横に座るのが一番、親密がある。占い師なども、絶対に正面には座らない。少しでも斜めに位置した方が話しやすい。


その他


 会館で扇子(せんす)を使用するのはやめた方がいい。金扇だと一つ3000円以上するとうが、結構、もろくて直ぐ壊れてしまう。私も過去に、一度の会合で三つほど壊したことがある(笑)。栄光会(東京)などの設営グループに頼んで、ウチワに三色を施したり、日の丸をあしらって使った方が経済的だ。ウチワはまず壊れないし、壊れても安いからね。見栄えもそれほど悪くはない。


車の乗り合わせ


 車に乗り合わせて会館へ行くことも多い。車を出してもらう場合、あくまでもお願いすることであって、指示することではない。時折、役職があるのだから、車を出すのは当然、という言い方をする幹部がいる。


 例えばこうだ。私の地区に車を持っているが、運転が手な60代の女ブロック幹部がいる。車庫入れに恐怖を抱いていて、車は持っているものの普段はバスを使用している。こういう方に対して、「乗せてくれる?」という連絡があったり、地区幹部から、車を出すように命ぜられたりして困惑している。ましてや、駐車場まで歩いて10分ほどかかるのだから。


 更に、これは現実にあった話だが、会館へ向かう途中で交通事故を起こしてしまい、同乗していた学会員が怪我をした。怪我をした学会員は運転手を訴えた。無論、訴訟を起こす権利は法律によって認められているのだから、この学会員を無闇に悪く言うことはできない。自家用車を持ってはいても、交通事故を定して、乗り合わせを嫌がる人も多い。


 乗り合わせは結構だが、最低限、こうしたことも弁(わきま)えておきたい。


正しい怨嫉


 どんなに正しくても、怨嫉は怨嫉だ。


婦人部への


 婦人部幹部に問題があったとする。この場合、情の申し入れ方については高等戦術を必要とする。真っ向勝負をすれば必ず痛い目に遭う。婦人部の根拠なき噂話によって、煮え湯を飲まされた人は数多い。四者の中で最も部員数が多く、昨今の指導も手伝って、壮年部を軽んじている婦人部は掃いて捨てるほどいる。


 かような状況下では、“婦人部を問題視したこと自体”が問題視される。その一方で、婦人部から寄せられた壮年部への情は、実に速やかに処理される(笑)。


 まず、壮婦の幹部に現状をしっかりと報告しておくことが必要。当然だが、問題のある人物よりも上位役職の幹部にだ。その中で、どういう経路で問題解決を図るかを相談することである。


 で、相談した幹部が、婦人部からの圧力に屈した場合、あっさりとあきらめて、祈りに専しよう。これが厳しい現実である。


コピー


 無駄なコピーを減らせ。特に、聖教新聞の記事のコピーなど不要だ。何日付の新聞を持参するよう、連絡すれば済むことだ。


 現在、大手企はペーバーレスとなりつつある。トヨタなどに至っては、社内に紙が殆どないとまで言われていて、他社から取り寄せる資料なども、紙のカタログは断るというほど徹底されている(事者用ゴミとなるから)。これは、経費節減もさることながら、環境問題への配慮からなされているのだ。各企はCO2対策に余がない。市民も注目していて、多少、高価であっても、環境に優しい品物が求められている。保存しない紙は、数時間後にゴミとなる。ゴミを燃やせばCO2が排出される。


 また、パソコンを持った途端、やたらと書類を作りたがる人も多い。


 学会は、こういうところに非常に鈍だ。善から行われていることであっても、お互いに戒め合ってゆきたい。


 その一方で、数年前からの経費節減によって、必要な書類までコピーさせない会館もある。学会本部からの打ち出しに盲従する官僚主義とは断固、戦うべきだ。こういう局長がいる地域は、遠慮なく秋谷会長宛てに手紙を出せばよし。


 書類主義は、必要な会話を失わせる。ウッカリしていた場合に、「先日、配布した書類に書いてあります」なあんてぬかす幹部もいる。互いに確認し合う作がなくなり、書類によってつながる関係になりがちだ。

2004-07-26

斎藤秀三郎


 第二に申し上げたいことは、「『真剣』こそ青春の王道」ということであります。

「真剣」ほど強いものはない。もの事に「真剣」に取り組んでいる姿ほど若々しく、美しいものはない。古来「一芸に秀(ひい)でよ」とか「一書の人を、おそれよ」といった道理が伝えられてきました。それは、「一書」や「一芸」に徹しゆくことが、単にその道に通達(つうだつ)するだけでなく、人生のすべての分野を包摂する普遍的な世界、あるいは普遍的な知恵を切り開いていくからであります。

 事実、一つの道を究めた一流の人物は、必ずそうした知恵の輝きを放っている。ゆえに謙虚であり、人格の光がある。これは国内外の多くの著人と会ってきた私の経験からの結論でもある。

 そして、これも例外なく言えることは、それらの人々は、人生とくに青年時代にあって、自ら決めた道を「真剣」かつ一不乱にひた走っているということであります。安易な変節や挫折という、甘えの道はとっていない。

 諸君は、明治大正時代に英語の天才とうたわれた斎藤秀三郎という人を知っているかもしれない。彼は63年余の生涯で、和英辞典や英和辞典、英文法の本など200巻の著作をつくりあげた。それらを積み上げると、自分の背の高さの1.5倍にもなった。しかも、すべてを助手も使わず、独力でやりとげているのであります。

 彼はこうした仕事を残すために、寸刻を惜しんで学問に打ち込んだ。

 起き、食事をし、学校で教鞭をとる――。その生活は時計よりも正確だ、と評判であった。それもすべて、全精力を集中して著述に励むためであった。読むか書くか、それ以外は、彼にとってムダな時間であった。

 訪れた人も、一向に筆を止めず、研究に没頭している彼の姿に気圧(けお)されて、用事も言い出せないまま退散していったというエピソードも伝えられている。

 また斉藤氏は、若いころ、ラテン語の文法を、新聞用紙に墨で書いて、壁といわず天井といわず、びっしりと張りつけておいた。そして、横になっても、仰向けになっても、それを目から離さず暗唱につとめたという努力も伝えられている。

 彼はある人にこう語っている。「俺の研究というのは是は戦争だよ君。英語の研究というものに対して俺は戦争をして居るようなものだ。俺の理は戦争理だ」と。この一言からは彼の学問へのすさまじいまでの取り組み、一が、ひしひしと伝わってくる。

 彼のモットーに「斯(こ)の道の為に、斯の言葉の為に、何人かその全力を尽くさざる」とあります。

 すなわち、斎藤秀三郎にとって、英語研究ということは、単に「学」の域にとどまらず「道」の領域にまで至っていたと私は見たい。それはまた、常に勝つか負けるか、切るか切られるかの真剣勝負の世界にほかならなかった。

 当然、その化力は大きく、門下から幾多の英才が育っていった。

真剣な人のもとからこそ、人材は育っていく。真剣さなき人間教育などありえない。

 門下の一人である土井晩翠は、六尺豊かな堂々たる体躯で熱情を込めて教壇に立つ師の姿に、イギリスの詩人・バイロンを見、それがのちに自らのバイロン翻訳の遠因になった、と述懐している。

 その貴重にして多大な績を振り返ってみると、亡くなった時、人々が「斎藤は普通の人の10倍生きた」と評したのも、決して誇張ではないとわれる。

 諸君は、この斎藤秀三郎のような人の生涯を、自分の生き方とは無関係の特異な存在と見なしてはならない。「徹する」姿を真摯に学んでもらいたい。いかなる世界であっても、中途半端であったり、要領よく立ち回ろうとしたり、ふざけが入ってきたならば、一つのもの事を成就していくことはできない。それは、人間として、とくに青年として邪道であります。

 諸君は、そうしたよこしまな道へと踏みはずすことなく、若者らしく、自らの課題に「真剣」の二字で体当たりしゆく、尊い青春の王道を歩んでいってください。


創価大学第18回、創価女子短期大学第4回入学式 1988-04-04】


 夏季友好期間に入る前にこの指導を、初級・青年3級試験受験者に配って、プレッシャーを与えて頂きたい(笑)。


 私は、斎藤秀三郎をこの指導で初めて知った。牧口先生とほぼ同世代の人物。


 何と斎藤秀雄の父君であった。斎藤秀雄は、小澤征爾岩城宏之堤剛前橋汀子など、世界的に有なアーティストを育てた人物。昭和クラシック界の吉田松陰とも緒方洪庵とも言うべき存在。


 斎藤秀三郎は、大学在学中の3年間で図書館の英語書籍を全て読破した。頑固一徹、自ら恃(たの)むところ篤い格で、大正年間のある時、酔って帝劇に行き、日本公演中のシェークスピア劇団の俳優の発音が間違っているのを見て、「お前らの英語はなっちゃいねぇ!」と英語で野次を飛ばしたというエピソードがある。(『英語達人列伝 あっぱれ、日本人の英語』斎藤兆史)


 生涯を通して海外へ出ることのなかった斎藤だが、テレビで外国人が英語を話すシーンを見ては、「間違った英語を使っている」と漏らすこともしばしばだったという。


 真の“学究”とは、かくも壮絶なものかと嘆させられる。子の秀雄も、「スポーツは優勝すれば終わりだが、音楽に終わりはない」と語っている。父子揃って、自分にも他人にも厳しく容赦がない。だが、多くの書籍で紹介されているそれらの言葉は、決して“情け”のないものではなく、自分が選んだ道を愛してやまないからこそ発せられる“求道のメッセージ”だった。


 学会にとっては「鍛えの夏」が伝統である。この時期に徹して研鑚できるかどうかによって、リーダーとしての力の差がつく。


 篠原誠参議が今、逝去。享年72歳。昨夜、お会いして言葉を交わしたのが最後となった。もっともっと、指導を受けたかった。悔やまれてならぬ。前日まで会合へ出席されて、元気な姿で指導されていた。謹んでご冥福を祈る。

2004-07-24

まず自分が成長せよ


 たいていの植物はそうであろうが、手入れを怠ると伸びるものも伸びなくなってしまう。「人材育成」も同様である。放任しておいて、自然のうちに育つものでは決してない。リーダーは、全組織を、また一人ひとりを丹に愛情こめて見守り、全魂を注いでいかなければ、人材は育たない。

 また、停滞と安逸を許す雰囲気が一部にでもあれば、やがて全体がそういう雰囲気になり、向上への欲を失い、健全な成長と発展をとめてしまう。(中略)

 組織も一つの生命体である。新陳代謝が常に必要である。いつも若々しい活力と吹を取り入れていかねれば発展しない。そのためにリーダーは、自らが成長し、新鮮味をたもち続けていかねばならない。


【第3回本部幹部会 1988-04-01 創価文化会館


 今の呼吸は人材育成である。未来部・青年部を真剣に育てなければ学会の未来はない。


 既に書いた(「形式的・教条主義的・観念的」)通り、先日のブロック唱題会で、「人材育成」についての見交換をした。その模様を書いておく。


 ベテラン支部副婦人部長は言った。

「とにかく家庭指導をしっかりとやり切って、一人ひとりが折伏をしていくこと」

 いきなり、大上段からの見で少々参った(笑)。


 新婚ホヤホヤの婦人部が語った。

「とにかく祈ること」

 何をどう祈るかは不明。


 地区婦人部長が提案した。

「まず、人間関係をつくるのが先じゃないかしら」


 支部婦人部長が紹介した。

「隣の地区で、B長の執の戦いによって、10年振りに本幹に参加した壮年部がいる」


 30分足らずのやり取りだったが、中々盛り上がった。


 何もしないで人が育つことは絶対にない。必ず誰かが関わり合っている。その関わり方が問題。基本は家庭指導だ。だが、家庭指導をしっかりと行っている幹部がどれほどいるか。会合の連絡や、ご機嫌伺いで終わっちゃいないか。


 まず、組織の都合でものを言わないことである。我々は、日常的に人間主義を唱えているが、現場では組織主義が横行している場合がままある。普段、出てもいない人物に対し、あれやってくれ、これやってくれ、と頼んでも無駄だ(笑)。


 そして、一番肝要なことは、自分が成長することである。あの人はいつも元気な顔で我が家を訪ねてくれる。来る度に勢いが増している。この姿が大事だ。こういう輝きを持っている人の姿は、悩みを抱いた時に不議とい浮かぶものだ。「そういえば、あの人は、いつも元気一杯だな。あの人に相談してみようかな」と。


 私が男子部の副部長となって参加した、何度目かの部長会での出来事である。総区男子部長が、「晩の勤行で何を祈っている?」と数の幹部に訊ねた。皆、勇ましく「広宣流布です!」、「職場で実証を示すことです!」、「後輩の成長です!」と答えた。


 総区男は厳しい面持ちで指摘した。「広宣流布といっても、人材育成といっても、自分が成長する以外にない。そうであるならば、どうして、自分自身の成長を真剣に祈らないんだ!」


 自分が変わりもしないで、相手が変わることばかりを望んでいるからしくなる。題目をしっかり唱えて、生命力が満ち溢れてくると、どんな人であっても好きになることができる。自分に対して好を抱いている人であれば、知らず知らずの内に人はを開くものだ。


 我々にとっては充電の夏である。遊び呆けて、放電だけで終わらぬよーに(笑)。

偉人の後に後継者なし


 共産党員で、本当にレーニンの志を継いで、今日まで変わらず世界革命に戦っている弟子は何人いるか。吉田松陰、また福沢諭吉も、確かに先駆者として偉人であったけれども、今日まで同じ志を受け継いで、何人の人が世界のすみずみまで、その弟子として戦い切ったか。一生の上でその証拠を示した人は何人いるか。

 このように家、政治家、または経済学者、科学者等、あらゆる階層の人を見て、その弟子が何人育ち、何人続いて同じような行動をとって、最高の価値創造、最高善の戦いをしきったか、ということを考えた場合に、皆無といっていいほどだ。

 我々は、あくまでも日蓮大聖人の弟子であり、子供である。また、戸田前会長のもとに、これだけの青年が集まって、同じ志をもって戦っているということは、これは前代未聞の歴史であり、師匠の偉大さを示すものである。


【『指導メモ』 1966-06-01発行】


 実に平易な言葉で、の永続という点から破折されている。令法久住こそがの生命線である。100年経とうが、1000年経とうが、人間の生き方を見直させ、人間の可能を開かせ、人間の無限の力を示すであって初めて、は永遠を手に入れる。


 後継者とは証明者の異でもあろう。弟子とは実践であるというのが「如説修行抄」の題号に込められた義。師匠の説の如く弟子が修行するということ。


 歴史上、偉大な人物は多数いた。だが、偉大な後継者は殆ど存在しなかった。いても、せいぜい2代目までだろう。そう考えると、戸田先生が、「三代会長を守り切れば、広宣流布は必ず達成される」と語った卓見に驚きをじる。


 信というのは、個々人によってバラバラだ。哲学は実践方法が説かれていない。如説と修行が相俟(ま)って具体的に人間を蘇生させるのが本物の宗教だ。


 釈尊法はインドに始まってアジアの大地を潤し、日本に至った。日蓮法は創価学会の出現によって、戦後以来、わずか60年足らずで世界190ヶ国にまで広がった。(ちなみに、2003年の国連加盟国は191ヶ国である:総務省)


 戸田先生は「東洋広布」を叫ばれたが、海外に赴くことは一度もなかった。戸田先生の逝去からわずか2年後に、32歳で会長になられた池田先生はハワイを皮切りに北南米へ発ち、組織を作り上げた。


 たった一人の命を懸けた青年後継者によって世界広布は幕を開いた。今、先生の本当の後継者が何人いるか。それが問題だ。

2004-07-21

形式的・教条主義的・観念的


 ともあれ形式的、教条主義的、観的ないき方では、人の「」はつかめない。真剣に求めている人を、がっかりさせ、かえって、離れさせてしまう場合さえある。

 小さなことのようだが、その小事に、惰と甘えの一という重大な課題がひそんでいる。指導者のそうした一は、一事が万事で、広布の全分野に影響を及ぼす。

 しむのは、婦人部をはじめ、最も真剣に戦っている人々である。また、その人達が忍耐強いことをよいことにして、リーダーが自分の惰に気づかない。成長しない――この悪循環を、断ち切っていかなければならない。その時はじめて、学会は、これまで以上の“本物の力”を発揮できるにちがいない。


【第3回本部幹部会 1988-04-01 創価文化会館


 当時、私は男子部の班長(現在のニューリーダー)だった。レンギョウの花を通して婦人部を讃えられた指導である。


 上京して一年が経過していた。この、4世帯目の弘教が実った。寺院に向かう途中で、川べりにレンギョウの花が咲き乱れていた。新入会の友に訳知り顔で、「あの花を知っているか? あれはレンギョウというのだ。英語で、ジャパニーズ・ゴールデン・ベルって言うんだぞ」と語ると、運転していた支部婦人部長が爆笑していた。この薀蓄は、先生がこの指導で教えて下さったものだった(笑)。


 組織現場が陥りやすい一点を衝いて、警鐘を鳴らされている。私は目を大きく見開いて、ハタと膝を打ったものだ。24歳のに鮮烈に焼きつけられた指導の一つ。それ以来、常にこの指導を胸に浮かべ、最前線で指揮を執ってきたつもりである。


 幹部の惰組織を殺す。町内の寄り合いみたいな会合をやっているところは、学会の呼吸から大きく外れている証拠。


 本日、ブロックの唱題会にて、人材育成の議題で話し合う。わずか30分あまりの時間だったが、途中でB担がわず「それができないのよ!」と情を吐露した。本音を引き出せば、こちらの勝ち(笑)。

2004-07-19

川口市で雹が降る


 711日の参院選投票日。東京でも夕刻に雷雨の地域があった。埼玉県の川口市では、雹(ひょう)が降ったそうだ。これを見た川口の同志は、「天からヒョウ(票)が降ってきたのは勝利の証拠だ!」と勇んで地域を駆け回ったという(笑)。

信仰こそ永遠の王冠


 嘘八百の

 非 中傷などに

 微動だにもするな!

 彼らは野獣。

 我らは

 人間王者なのだ。


 我らは勝った!

 天高く勝った!

 おお

 広布達成の

 豪華な一瞬よ!


 王位だけが

 王冠ではない。

 信仰という

 三世永遠に輝く

 王冠が待っている。

 人間として

 最極のからの

 永遠不滅の王冠が

 待っているに違いない。


 庶民も

 無の戦士も

 無の正義の人間も

 皆 黄金の

 輝く勝利の栄冠を

 持てるのだ。


【「おお 決と勝利の連帯! 颯爽とスクラムの行進を」/聖教新聞 2004-07-08付】


 これが投票日に発行したマガジンとなる。


 先生の戦いは常に「勝利宣言」から開始。初めに、「勝つ!」と決めるのが本因妙だ。この師匠に呼吸を合わせたが故に、我々は「広布達成の 豪華な一瞬」に歓呼のを上げることができたのだ。


 普通の人々が幸福の要素だと考えている地位や誉、財産などは、所詮、虚像に過ぎない。虚像を追い求めている内に人間を見失った。これが、顛倒(てんとう)した社会の実相であろう。


 三木清は、「むしろ我々の時代は人々に幸福について考える気力を失わせてしまったほど不幸なのではあるまいか。幸福を語ることがすでに何か不道徳なことであるかのようにじられるほど今の世の中は不幸に充ちているのではあるまいか」(『人生論ノート』)と疑問を呈し、「これが現代の精神的状況の格であり、これが現代人の不幸を特徴附けている」(同書)と鋭く喝破した。


 三木清幸福をこのように定義する――


 幸福は人格である。ひとが外套(がいとう)を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。この幸福をもって彼はあらゆる困と闘うのである。幸福を武器として闘う者のみが斃(たお)れてもなお幸福である。(同書)


 地位や誉を失った途端、転落の人生となる人も多い。バブルでこの世の春を謳歌していた人々は、今、精彩を欠いて、曇った瞳で過去を振り返るばかりだ。


 夢の中のさかへまぼろしのたのしみなり(386頁)


 三木が求めてやまなかった幸福な人格を、生命論の上から完璧に説ききったのが日蓮法である。人間王者とは界を涌現しきった人格のことであろう。


人生論ノート (新潮文庫)

2004-07-16

常勝


 わが関西青年部の皆さんも、どうか「獅子」として生き抜いていただきたい。臆病な羊のような人生であっては、絶対にならない。

バンクーバーと関西のどちらにも、不滅の足跡(そくせき)を刻んだ、中国民主革命の父・孫文先生は言われました。

「勝敗を交互にくりかえしていて、どうして成功といえよう!」(林要三訳)

「常勝」こそが、革命児の本懐である。

 勝ったり、負けたりしていて、どうするのか。戦いは、すべて勝て! それでこそ、真の人生の勝利者である――こううのであります。


【「7.17記」関西勝利大会 聖教新聞 2002-07-14付】


 今日は、日蓮大聖人が「立正安国論」を北条時頼に上呈された日。


 今回の参院選において、我々、池田門下生は新しい常勝の歴史を築くことができた。


 勝ちにけり

  恐れるものなき

      創価かな


聖教新聞 2004-07-14付】


 本当に不議なことだが、上記指導と全く同じ日付けとなっている。この指導を鮮烈に記憶されている方も多いことだろう。特に、関西でなされたことに深い味があるとじてならない。


 それにしても、今回の奇蹟の勝利を象徴したのが、鰐淵(わにぶち)洋子さんだ。比例簿で一番最後の17番目。11番目の戎居(えびすい)徹さんとは、以前、一緒に戦ったことがあるが、この方とて、まず、当選するとはわれなかった。多分、一番、驚いたのは、本人を除けば、神崎代表と秋谷会長ではなかったか(笑)。


 鰐淵さんは、実は、浜四津遊説隊の副隊長だった。投票日の夜も、浜四津事務所でお茶汲みをしていたとのこと。開票結果が明らかになるにつれ、周囲にいた議員の態度が豹変していったという(笑)。


 福岡在住のご両親も、我が娘に投票することなく、弘友和夫に入れたそうだ。創価女子短大OGでも特に押したわけではないというから、使命があったとしか言いようがない。


 本部幹部会にて、先生より、「おめでとう! ありがとう!」と。師匠のこの一言のために我々は戦ってきたといっても過言ではない。「我が学会員こそ、勝利の大英雄である」とも。更に、「おじさん、万歳!」と壮年を讃えて下さった。


 正邪を決した闘争によってか、創価学会は世界190ヶ国に発展。この度、カリブ海に浮かぶ島国セントビンセント・グレナディーンと、太平洋の北マリアナ諸島連邦に同志が誕生した。


 坂口総婦人部長が話していた、投票日翌日に学会本部から見えた虹はこちら――


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2004-07-13

苦労は無限の生命力に


 おお 君よ!

 あらゆる労を

 横切っていく

 あらゆる

 乗り越えていく

 人間に与えられた

 一番 尊くして深い

 誉れある実験の

 勝利者となっていくのだ。


 君の立ち向かいゆく

 冒険に

 一切の魂は

 汝自身の

 無限の力の生命と

 変わってゆくのだ。


 君よ!

 大を出して

 信を語れ!

 いかなる非があっても

 笑い飛ばして

 悠然と

 耐え抜いて

 勝ち抜くのだ。

 勝ちまくっていくのだ。


 その勝利の君の微笑に

 は弾み

 楽しみは湧き出で

 あの痛と

 すべて鎮痛剤として

 消してしまうのだ。


 おお

 新しい歴史は開いた!

 我らが自慢する

 歴史は残った。


【「おお 決と勝利の連帯! 颯爽とスクラムの行進を」/2004-06-30】


 大勝利を共々に喜び合いたい。公明党は比例区で過去最高の862万1265票を獲得。議席数を10から11へと伸ばした。比例48議席の最終議席が確定したのは12日午前4時34分で、公明党新人の鰐淵洋子さんだった。比例個人得票は、182万2283票で浜四津さんが1位で、上位6位までを公明候補が独占した。


 比例の結果を都道府県別で見ると、絶対得票率は、鳥取12.31%、岡山11.59%、和歌山11.15%が抜きん出ている。また、得票率では、大阪20.9%、福岡20.8%、岡山20.6%がベスト3。全体の絶対得票率は前回8.08%→今回8.40%、得票率は15.0%→15.4%と伸ばした。


 自民党の得票率が30.0%、民主党が37.8%という結果を踏まえても、比例得票数は、自民党の半分を上回るまでになった。


 二大政党制の大波の中で、第3勢力として確固たる位置を築いたといっていいだろう。就中(なかんずく)、今回の参院選は、公明党投票率や逆風に左右されることなく、多くの国民から支持されていることを見事に証明した。


 更に、我が創価学会の動向が注目の度を増していることも見逃せない。読売新聞では12日付の夕刊で、1ページの3分の1を使って、1人区で自民党議員に投票した公明支持者の割合を棒グラフにしているほど(笑)。


 1000万に達しなかったことは、確かにスッキリしない。だが、「勝った」喜びを抑えることはしい。を乗り越えた分だけ、いや増して喜び大きい。今になって振り返ると、本当に不議にじるが、1000万というのは、絶対得票率の10%に相当していたのだ。


 本当にご労さま!

 我らは勝った!

 次の50年の土台は

 完璧に築かれた!

 偉大な同志に最敬礼。


【「わが友に贈る」 聖教新聞 2004-07-12付】


 歴史に輝く

 大勝利の栄冠!

 広宣の宝友(ほうゆう)を

 大聖人が御賞讃。

 福運は永遠に!


【「今週のことば」 聖教新聞 2004-07-12付】


 更に次のメッセージもあった。


 ともかく大変なことだ。

 本当によくやってくれた

 皆さまのおかげだ。ありがとう。

 実質、1000万と同じだ。

 すごいことだ。

 本当によくやってくれた


 今回の勝利の最大の因は、毎日のように発せられる先生のメッセージにあったことは言うまでもない。降りしきる雨のような先生の言葉に触れ、ある時は勇気を沸き立たせ、ある場合は我が身を深く反省し、そして、日々、信を奮い起こして闘争し抜くことができたと痛する。


 半年後、先生は喜寿となられる。「勝った時に負ける原因をつくる」ことがないよう、更に戦いの駒を進めて参りたい。

2004-07-10

師の生命と一体


 私は、書く時も、戦う時も、そして索する時も、友や妻と語る時も、必ず師である戸田先生の生命が離れない。

 常に一体じゆく数十年であった。この実は今日も、そして死ぬ瞬間まで続くであろう。

 あの喜びの姿、決の姿、戦いゆく絶叫の師子吼の姿、深い祈りをなしゆく勤行の厳粛な姿……。

 365日、一瞬たりとも、私の生命から師は離れない。


【「随筆 人間世紀の光」42 聖教新聞 2004-06-30付】


 いよいよ決戦の時が明日と迫った。師と生命を重ねるいで、ゴールを切るその瞬間まで走り切って参りたい。


 彼等にはただ一えんにおもい切れよからんは不議わるからんは一定とをもへ(1190頁)


 我々の闘争の結果が999万票だった場合を像してみよう。誰もが我が身を呪い、後悔の奴隷となることだろう。そして、それでも尚、師匠は弟子を激励し抜くだろう。誓いを果たせない弟子は、いつしかその生命から師の存在を薄れさせ、激励に甘んじて平然と毎日を空しく過ごすに違いない。


「頑張ったけど、敗れた」そんな経験を私は既に何度かしている。勝利を叫びながら、勝利を約し合いながら、勝利を祈りながらも、慙愧の涙を流したその時、後輩を励ます言葉は相手の胸に届くこともなく虚(うつ)ろに響いた。敗北は文字通りの“死”を味する。


 一度負けると、負け癖がつく。負けることに生命が鈍となってゆく。勝ち続ける姿を示す師匠との距離がどんどん開いてゆく。「身はをちねども心をち」(1181頁)た弟子となってゆく。


 今ここで敗れるようなことがあれば、後世の創価後継から、「偉大なる師匠と同時代に共戦しておきながら、昭和54年に続いて平成16年にも、弟子は師匠を裏切った」と語られることだろう。


 譬へば定木の曲りを削り師子王の剛弱を嫌わずして大力を出すがごとし(992頁)


 時々刻々に大力を発揮する今日一日の闘争を共々に! 最後の勝利は歩兵戦にあることを確信して。

2004-07-09

二大政党制


 特に、私が憂慮しているのは、“自然は真空を嫌う”といわれるように、昨今の日本で、アイデンティティー・クライシスの空隙を埋めんと、ガリ博士のいう「孤立主義」が「国家主義」的な装いのもとに台頭しつつあるということです。「国家主義」については、私は数年前から警鐘を鳴らしてきましたが、昨年は、たとえば雑誌『世界』(1998年12号)が「新『国粋主義』の土壌」という特集を組んでいるように、一段とその勢いを増しつつあるようです。

しかも、なおのこと憂慮されてならないのは、そうした国家主義的な風潮に異を唱える側から、国家主義に“ノー”を突きつけるに足る根拠、みるべき対抗軸が示されているとはえない、ということです。

 人間の優れて言語的営為である政治の生命線ともいうべき理や政策などそっちのけで、ひたすら“政局”のみを追い続ける政党政治の迷走の帰結として、政治の言葉――かつては“綸言(りんげん)汗の如し(一度口に出した君子の言は、汗が再び体内に戻らないように、取り消すことができない)”といわれた政治家の言葉の堕落はとどまるところを知りません。

「永田町」という閉ざされた空間を、符丁のように飛び交うばかりの言葉に、閉塞状況を打破しゆく力、なかんずく若者のの闇を切り裂き、その奥底(おうてい)で共鳴音を奏でゆく力など、望みうべくもないでしょう。

 私が、ここで注を喚起しておきたいのは、戦前の国家主義――あの忌まわしい軍国主義ファシズムが勢いづいていったのも、政党政治の衰退、消滅と規を一にしてのことであったということであります。

 すなわち、大正デモクラシーを時代背景に、ようやく緒につき始めたかにみえた政友会、民政党による二大政党制は、内外情勢の激動、政・官・の癒着、選挙制度の不備などの諸条件が重なって、民から遊離してしまい、国民のに政治への不信とシニシズム(冷笑主義)が広がるなか、わずか8年で命脈が尽きてしまった。そして、大政翼賛会という国家主義体制へと収斂(しゅうれん)されていったのであります。その軍国主義ファシズムの悪政下で、徹底して弾圧を受けた創価学会の出自に照らして、私は、二度とその轍(てつ)を踏んではならないと、訴えておきたい。

 そのためにも、いまや行き着くところまで行ったかのさえある昨今の政治不信、政治への無関やシニシズムを、放置しておいてはならない。その種の退嬰(たいえい)、無力こそ、全体主義を生み、増長させる温床となってしまうからであります。

 もとより、民衆が目覚め、一人ひとりが強くなり、賢明な批判力、判断力を身につけていくことが根本であり、王道であることは言を待ちません。我々が「して政治を監視せよ」との師・戸田城聖二代会長の留言(るげん)を胸に、民衆の中へ、民衆の中へと地道な活動を続けているゆえんであります。


【第24回「SGIの日」記提言 「平和の凱歌――コスモロジーの再興」/1999-01-26】


 メールマガジンの号数が間違えていました。次号から訂正します。誠に失礼しました。


 提言が発表された当時、私はこの重大なる指摘を見過ごしていた。やはり、指導は何度も読み返さなくてはいけないと痛


 アイデンティティー・クライシスという言葉が持てはやされた頃、世界的にヒットした2冊の哲学的ファンタジーがベストセラーとなった。提言でも触れられている。それは、『ソフィーの世界』(ヨースタイン・ゴルデル:NHK出版)と、『僕たちの冒険』(リチャード・バック:TBSブリタニカ)である。


 自分探しをテーマとした2冊の本のキャッチコピーは以下――


「あなたはだれ?

 世界はどこからきた?」(『ソフィーの世界』)


「私はどこから来て、どこへ行くのか。

 そして、なぜここにいるのか?」(『僕たちの冒険』)


 あらゆる組織の帰属識が弱まり、子供達に至っては家族の一員であるという識すら薄くなった。こうなると、行き場を無くしたアイデンティティーの拠(よ)り所は、国籍しかなくなってくる。アイデンティティーが揺れる間隙に、国粋主義が入り込むのはわけもないことだろう。


 昨今のニュース番組で、北朝鮮の暮らし振りを小馬鹿にする映像が見られるのも、そうした風潮を助長する一因になっているようにじてならない。指導者に罪はあっても、国民を愚弄する権利は我々にないはずだ。


 バブルの前に、“価値観の多様化”が叫ばれた。その多様化した価値観が、今度は根拠を失い、不況の波に翻弄され、全体主義に収斂(しゅうれん)されつつあるような不気味な時代だ。


 特に、二大政党制に対する指摘は重要。国民の自由な選択肢を阻害する結果になるのは明らかだ。


 歴史は繰り返す。悪しき歴史に歯止めを掛けるのは、今や創価の対話運動しかない。

2004-07-08

参院選 投票用紙を取り違えず、正しくはっきり記載を


前回(01年参院選)は無効票が大量発生

投票方法と仕組み


 参院選では、選挙区と比例区(比例代表)を投票します。最初の選挙区は候補者個人)を、次の比例区は、候補者個人)もしくは政党のどちらかを書いて投票します。


 前回2001年の参院選では、投票の際の誤記入が相次ぎ大量の無効票が発生しました。1票をムダにしないためには、投票用紙を取り違えず、正しくはっきりと記載することが大切です。


 総務省の調査によると、前回参院選では選挙区で約280万票(投票全体の4.9%)もの無効票が出ました。このうち埼玉は11万2521票、東京は21万3554票、大阪は15万8264票が無効になりました。


 無効票のうち一番多いのは白票(約96万票)ですが、次に多いのは「候補者でない者または候補者となることができない者の氏を記載したもの」(約75万票)。この中には、投票用紙を取り違え、選挙区の候補者を比例区の投票用紙に記入したり、その逆のケースが多く含まれていると見られます。


 このほか、●「○○さん頑張れ」などと候補者の氏のほかに他事を記載したもの、●どの候補者を記載したかを確認しいもの、●単なる雑事・記号などを記載したもの――などは無効です。


 一方、比例区の無効票は約241万票(投票全体の4.2%)に上りました。例えば、参議院簿登載者でない者の氏を記載したものや、1枚の投票用紙に簿登載者の氏とその簿登載者が属していない簿届出政党の称や略称を記載したものなどは無効です。


【公明新聞 2004-07-08付】

2004-07-06

青年よ大いなる目的に生きよ


 正義の

 若き者たちよ

 我らのもとに来給え!

 もう

 無駄な人生は生きるな!

 時代は大きく

 変わっているのだ。


 共に同志となり

 兄弟となりて

 貧しき人びとのために!

 しむ人たちのために!

 しめられている

 人たちのために!

 その正直に

 生きゆかむとする

 人のために!

 厳然と

 身も千切れるほどに

 大声を出しながら

 彼らを守るのだ。


【「おお 君たちよ! 青年こそが正義だ」/聖教新聞 2004-06-25付】


 76歳の師匠がこれほどまでにを赫々と燃やしながら、烈々たるメッセージを発している。この情熱こそが青春の魂であり、この情熱あらば、必ずや世界の変革は可能になるだろう。


 も無き正義の青年に呼び掛ける声は、正しくあろうとするが故に行き場を無くした若者を包容しながらも、“もっと君らしく生きよ!”、“君が君であることの証を示せ!”、“そのために、大目的に生きよ!”と、厳しく求めている。


 真面目に生きている人々が、真面目であるが故に悩む。その顛倒(てんとう)した社会を引っくり返すには、小さな正義から大きな正義に目覚めさせることが必要だ。人は大目的に生きる時、限りない力が湧き出てくる。


 我々は、このメッセージを放つ師匠と同じ側に立つ弟子である。既に、身が千切れたメンバーもいるとはうが(笑)、バラバラになるぐらいの勢いで完走して参りたい。


 ゴールが見えてきた今が、一番油断する時でもある。私自身の戦いを見れば、自分の目標の100%を1000万とすれば、まだ100万ほどにしかなっていない。ほんの小さな油断が、悔いを千載に残す結果となることを互いに戒め合おう。

2004-07-01

朝の敗北は一生の敗北に


 の敗北は、一日の敗北につながる。一日の敗北は、やがて、一生の敗北ともなろう。

 反対に、さわやかなの出発は、一日の充実と、堅実な前進の日々をもたらす。それは必ずや、満足と勝利の人生として結実していく。

 ゆえに、に勝ち、一日一日、さわやかなスタートを飾りゆくことだ。これが青年の特権であり、そこに一切の「勝利」と「成長」への源泉がある。

 もちろん、就寝が遅くなったり、疲労が蓄積している場合もある。

 だが、眠くても、疲れていても、そこで自分に勝ってこそ一日の勝利があることを忘れてはならない。

 師・戸田先生は、の出勤に、まことに厳格であった。また、類いまれなる事家として、厳格な生活態度の大切さを、知り抜かれていた。

 よく、次のように話されていたことが懐かしい。

「一日の出発に当たって、生き生きと清新な気持ちと決にみなぎっている職場は、発展する」「職場の『長』は、自ら、最も早く出勤すべきである。それでこそ、部下も責任をじ、職場の“鬼”となる。仕事という戦いも勝利の方向へ決定づけられる」「責任者が遅刻をしたり、多くの社員がだらしなく遅刻を重ねるような職場は、必ず問題を起こし、衰微する」と。

長年、事経営の第一線にあった戸田先生の、厳しくも的確な教訓であろう。

 戸田先生ご自身、絶対に遅刻などしなかった。また、出張など特別な場合を除き、休むこともなかった。

 それだけに、私達社員も、絶対に遅れることは許されなかった。毎が“戦争”のように、あわただしく、また必死であった。申しわけないことだが、“先生が遅れて来てくだされば”(爆笑)と、のなかでったこともあった(大爆笑)。だが、その願いは、いつもむなしかった(大爆笑)。

 当時は本当に辛かったが、今では、それが何より有りい訓練であったと、から謝している。

 私は、約10年間、戸田先生のもとで働き、お仕えした。その間、健康上の理由等で二度か三度遅刻した。

 当時は草創期でもあり、会合も、帰宅も、今より遅くなることが多かった。だが、戸田先生は、学会活動を理由に遅刻することは決して認めなかった。“それは、信利用である”と、一喝された。

 更に「役職があればあるほど責任がある。模範でなくてはいけない」と言われた。

 また、人前でいかに立派なことを言っても、自分が実践しないとすれば、幹部として、最低の姿であり、余りにも独りよがりであると、厳しかった。

リーダーこそ、まず自らが模範となり、に勝ち、さわやかな一日のスタートを切っていくべきであろう。

「信」は、即「生活」であり、「法」は、即「社会」である。信していながら、生活のリズムを乱し、職場に悪影響を及ぼすようであれば、それは、法者として、あるまじき姿である。それは、信に対する誤った不信を、与えてしまうことになるからだ。社会にあって私達は、法の素晴らしさを証明し、信頼を広げゆく一人一人でなくてはならない。“さすが、信している人は違うな。立派だな”と言われる、揺るぎない“信頼の人”であってこそ、信仰者といえる。

 戸田先生は、次のようにも、指導して下さった。

の出勤が乱れている時は、信が狂っている。いつも弁解ばかりして、それが高じてますますウソツキになったり、ズル賢くなって、人々の信頼を失う。そして悪事に手を染め、ついには退転していく」と。

 残なことだが、これまで、幹部であっても、学会を裏切り、同志を裏切った退転者が出た。秋谷会長や故・北条会長がしみじみと話していた。“本部職員でありながら、退転していったのは、一人残らず日常生活が乱れ、出勤時間もだらしなくなっていた。誰からも信頼されず、多くの同僚、後輩から嫌われていた”と。

 これは誰の目にも明らかな、事実であった。の遅刻など、一見小さなことかもしれない。しかし、そうした“小事”に、退転の生命という重大事が秘められていたのである。

 小事こそ大事である。良かれ悪しかれ、小さなことの積み重ねが、やがて大きな違いとなっていく。

ゆえに将来の大きな目標のために、まず足もとの課題から挑戦し、勝利していくことだ。

 御書には「一丈のほり(堀)を・こへぬもの十丈・二十丈のほりを・こうべきか」(912頁)と仰せである。小さな挑戦、小さな勝利の繰り返しが、やがて偉大な勝利、偉大な凱歌の人生へと花開いていくことを忘れてはならない。


【中部記幹部会 1988-03-28 中部池田記講堂】


 中部においては「に勝て」との指導が何度も行われている。如何なる味があるのか? に勝ってこそ学会の堅塁たり得るということか。


 が弱いのは大宇宙のリズムに合致してない証拠であり、信が即生活に結びついてない証拠だ。普段、どんなに偉そうな顔をしたところで、寝坊という一事で同志の信頼を失う。


 活動三昧で帰宅が遅い男子部は絶対に成長できないことを知れ。家で唱題もせず、研鑚もなくして、師の期待に応えることは不可能だ。


 決して退転する人間はいない。たまたま、寝坊をし、そこから勤行をしないリズムが出来上がり、会合をサボり、同志を避けるようになった挙げ句に退転するのだ。




 出血大サービス。青年部にとって大切な指導であるが故に、前後の部分、全てを紹介する。


 草創期は帰宅が遅くなったのは当然である。組織がタテ線であったため、遠隔地まで通わなければならなかったからだ。それこそ、東京を股にかけるような距離を行き来していた。電車や車を使えず、自転車や徒歩という方も多かったと聞く。


 以前、職場でこんなことを言われたことがあった。「夜中に外を歩いているのは泥棒か、創価学会だ」と。私はわず大笑いをし、「上手いことを言いますね」と褒めそやした。調子に乗った相手は、更に追撃を加えてきた。「大体、道端で、おばさん達が3人ぐらいで横一列になって、ぺちゃくちゃ喋りながら歩いていたら、それは学会の婦人部だ。昨日、見かけたおばさん連中の手提げに、富士山の写真が表紙になっている薄っぺらい本が見えたから間違いない」。私は腹を抱えて笑いながらも、世間の人が実によく学会員の姿を見ていることに驚かされた。

 ちなみにこの方、私の父と同じぐらいの年齢で、学会の悪口を散々言っていた。当時、私が若かったこともあって、相手の人格を完璧に否定するほどの反論をもって応じた。数年後、脳溢血で九死に一生を得たが半身不随となり、寂しく会社を去って行った。


 深夜になっても元気なのは、生命力が弱い証拠だ。一日を中途半端に過ごしているから余力が残っているのだ。特に男子部は、会合終了後から異様な盛り上がりを見せ、夜が更けるのを忘れて楽しい語らいに没頭することが多い。だが、その瞬間、そこにいる皆の明日にを砕いている人はいない。


 一つの組織のメンバーに成長が見られないのは、夜が遅いからだ。試しに、男子部の奥さんに電話をして、の勤行をちゃんとしているかどうか確認してみるといい。


 群れている時だけ元気な男子部であっては、革命は成就できない。


 戦闘が激しくなってくれば、夜が遅くなることもあるのは当然だ。その中で、早起きをすればこそ、日々の勝因が積まれてゆくことを忘れまい。