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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2004-07-01

朝の敗北は一生の敗北に


 の敗北は、一日の敗北につながる。一日の敗北は、やがて、一生の敗北ともなろう。

 反対に、さわやかなの出発は、一日の充実と、堅実な前進の日々をもたらす。それは必ずや、満足と勝利の人生として結実していく。

 ゆえに、に勝ち、一日一日、さわやかなスタートを飾りゆくことだ。これが青年の特権であり、そこに一切の「勝利」と「成長」への源泉がある。

 もちろん、就寝が遅くなったり、疲労が蓄積している場合もある。

 だが、眠くても、疲れていても、そこで自分に勝ってこそ一日の勝利があることを忘れてはならない。

 師・戸田先生は、の出勤に、まことに厳格であった。また、類いまれなる事家として、厳格な生活態度の大切さを、知り抜かれていた。

 よく、次のように話されていたことが懐かしい。

「一日の出発に当たって、生き生きと清新な気持ちと決にみなぎっている職場は、発展する」「職場の『長』は、自ら、最も早く出勤すべきである。それでこそ、部下も責任をじ、職場の“鬼”となる。仕事という戦いも勝利の方向へ決定づけられる」「責任者が遅刻をしたり、多くの社員がだらしなく遅刻を重ねるような職場は、必ず問題を起こし、衰微する」と。

長年、事経営の第一線にあった戸田先生の、厳しくも的確な教訓であろう。

 戸田先生ご自身、絶対に遅刻などしなかった。また、出張など特別な場合を除き、休むこともなかった。

 それだけに、私達社員も、絶対に遅れることは許されなかった。毎が“戦争”のように、あわただしく、また必死であった。申しわけないことだが、“先生が遅れて来てくだされば”(爆笑)と、のなかでったこともあった(大爆笑)。だが、その願いは、いつもむなしかった(大爆笑)。

 当時は本当に辛かったが、今では、それが何より有りい訓練であったと、から謝している。

 私は、約10年間、戸田先生のもとで働き、お仕えした。その間、健康上の理由等で二度か三度遅刻した。

 当時は草創期でもあり、会合も、帰宅も、今より遅くなることが多かった。だが、戸田先生は、学会活動を理由に遅刻することは決して認めなかった。“それは、信利用である”と、一喝された。

 更に「役職があればあるほど責任がある。模範でなくてはいけない」と言われた。

 また、人前でいかに立派なことを言っても、自分が実践しないとすれば、幹部として、最低の姿であり、余りにも独りよがりであると、厳しかった。

リーダーこそ、まず自らが模範となり、に勝ち、さわやかな一日のスタートを切っていくべきであろう。

「信」は、即「生活」であり、「法」は、即「社会」である。信していながら、生活のリズムを乱し、職場に悪影響を及ぼすようであれば、それは、法者として、あるまじき姿である。それは、信に対する誤った不信を、与えてしまうことになるからだ。社会にあって私達は、法の素晴らしさを証明し、信頼を広げゆく一人一人でなくてはならない。“さすが、信している人は違うな。立派だな”と言われる、揺るぎない“信頼の人”であってこそ、信仰者といえる。

 戸田先生は、次のようにも、指導して下さった。

の出勤が乱れている時は、信が狂っている。いつも弁解ばかりして、それが高じてますますウソツキになったり、ズル賢くなって、人々の信頼を失う。そして悪事に手を染め、ついには退転していく」と。

 残なことだが、これまで、幹部であっても、学会を裏切り、同志を裏切った退転者が出た。秋谷会長や故・北条会長がしみじみと話していた。“本部職員でありながら、退転していったのは、一人残らず日常生活が乱れ、出勤時間もだらしなくなっていた。誰からも信頼されず、多くの同僚、後輩から嫌われていた”と。

 これは誰の目にも明らかな、事実であった。の遅刻など、一見小さなことかもしれない。しかし、そうした“小事”に、退転の生命という重大事が秘められていたのである。

 小事こそ大事である。良かれ悪しかれ、小さなことの積み重ねが、やがて大きな違いとなっていく。

ゆえに将来の大きな目標のために、まず足もとの課題から挑戦し、勝利していくことだ。

 御書には「一丈のほり(堀)を・こへぬもの十丈・二十丈のほりを・こうべきか」(912頁)と仰せである。小さな挑戦、小さな勝利の繰り返しが、やがて偉大な勝利、偉大な凱歌の人生へと花開いていくことを忘れてはならない。


【中部記幹部会 1988-03-28 中部池田記講堂】


 中部においては「に勝て」との指導が何度も行われている。如何なる味があるのか? に勝ってこそ学会の堅塁たり得るということか。


 が弱いのは大宇宙のリズムに合致してない証拠であり、信が即生活に結びついてない証拠だ。普段、どんなに偉そうな顔をしたところで、寝坊という一事で同志の信頼を失う。


 活動三昧で帰宅が遅い男子部は絶対に成長できないことを知れ。家で唱題もせず、研鑚もなくして、師の期待に応えることは不可能だ。


 決して退転する人間はいない。たまたま、寝坊をし、そこから勤行をしないリズムが出来上がり、会合をサボり、同志を避けるようになった挙げ句に退転するのだ。




 出血大サービス。青年部にとって大切な指導であるが故に、前後の部分、全てを紹介する。


 草創期は帰宅が遅くなったのは当然である。組織がタテ線であったため、遠隔地まで通わなければならなかったからだ。それこそ、東京を股にかけるような距離を行き来していた。電車や車を使えず、自転車や徒歩という方も多かったと聞く。


 以前、職場でこんなことを言われたことがあった。「夜中に外を歩いているのは泥棒か、創価学会だ」と。私はわず大笑いをし、「上手いことを言いますね」と褒めそやした。調子に乗った相手は、更に追撃を加えてきた。「大体、道端で、おばさん達が3人ぐらいで横一列になって、ぺちゃくちゃ喋りながら歩いていたら、それは学会の婦人部だ。昨日、見かけたおばさん連中の手提げに、富士山の写真が表紙になっている薄っぺらい本が見えたから間違いない」。私は腹を抱えて笑いながらも、世間の人が実によく学会員の姿を見ていることに驚かされた。

 ちなみにこの方、私の父と同じぐらいの年齢で、学会の悪口を散々言っていた。当時、私が若かったこともあって、相手の人格を完璧に否定するほどの反論をもって応じた。数年後、脳溢血で九死に一生を得たが半身不随となり、寂しく会社を去って行った。


 深夜になっても元気なのは、生命力が弱い証拠だ。一日を中途半端に過ごしているから余力が残っているのだ。特に男子部は、会合終了後から異様な盛り上がりを見せ、夜が更けるのを忘れて楽しい語らいに没頭することが多い。だが、その瞬間、そこにいる皆の明日にを砕いている人はいない。


 一つの組織のメンバーに成長が見られないのは、夜が遅いからだ。試しに、男子部の奥さんに電話をして、の勤行をちゃんとしているかどうか確認してみるといい。


 群れている時だけ元気な男子部であっては、革命は成就できない。


 戦闘が激しくなってくれば、夜が遅くなることもあるのは当然だ。その中で、早起きをすればこそ、日々の勝因が積まれてゆくことを忘れまい。