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2004-08-29

公明批判者のアンバランス


 民衆から遊離っていえば、政治の話をするときに平和問題に偏りすぎているのも遊離しているんじゃないですかねえ。「民衆」という言葉も、その辺のおじさん、おばさん、おにいさん、おねえさんを味しているというよりは、ある種の「良識」を擬人化した言葉のようなじですね。平和問題の場合は。


 同じ請願でも、例えば「自殺件数を減らそう」とか「児童虐待をなくそう」という請願は起きないのに、1万kmも離れたイラクに復興支援目的の自衛隊派遣停止を求める請願が比較的イージーにできてしまうのは何故なんでしょうね。日本国内で同胞が毎年3万人も死んでいるというのに、この国の国民のは平和ですか?


 つまりは、遠くの国のことには異常に像力が働くのに、近くのことには不自然なくらい貧困な像力なのは、なぜなんだろうということが言いたいわけです。国内のことで政治行動をすれば、軋轢(あつれき)があるし、下手すりゃ迫害もあるかもしれない。イラクのことで反対しても誰も傷つかないし、成功の見込みもないから誰も困らない。その上、やってるほうは正義を行っている快に酔い痴れることができる。てな具合に邪推するわけです。


 平和も創価学会の根本精神かもしれませんが、「貧乏人と病人を救う」てのも、そうではなかったですかね。そうすると、最近のアングロサクソン的自由主義社会へと転換しようとする与党(特に自民党かな)の政策に反対して運動すれば、望みどおり権力による迫害を受けられるんじゃないかなとうんですね。


 とにかくイラク問題に異常に関が偏っているのは、これはもうマニアだなとってしまうわけです。「ジョナ板」も「Y-KMS」もイラク板になってしまった。以前は、もう少し話題に広がりがあったのですが、今はもう凝り固まってるというじですね。言い換えると、平和を語ることが好きな人がそれだけいるってことですね。正確に言うと、平和を語る自分が好きな人かな(笑)。


【fやん】

2004-08-28

アンチ公明を標榜する学会員の欺瞞を破す


 MLでも何度が話題になりましたが、「イラク派兵に反対し平和憲法を守る会」の報告がアップされており、その中で「解散」の宣言がなされていたので、その欺瞞(ぎまん)を破しておきます。


 初めに、誤解なきように明確にしておきますが、私は署運動そのものを決して否定しているわけではありません。その根底にある、彼らの「目的」と「精神」を問題にし、自他共の平和構築に向けて実践行動する学会員の真の姿であるかどうかを問うものです。


 まずのために、MLや研鑚板で何度か表明してきましたが、自衛隊のイラク派遣平和運動に関する私のスタンスの概略を簡潔に、明らかにしておきます。

  • イラク派遣に関しては、原則反対・条件付き賛成です。原則反対というのは、平和至上主義の信の下(もと)で、さらに平和憲法の理に基づき、自衛隊は憲法違反であるという信条によるものです。条件とは、自衛隊が現に存在し、その義を国民が認めているという前提に立ち、さらに阪神大震災等の災害における救助・支援活動、PKO等の人道復興支援の実績を評価し、その限りにおいて賛成するということです。
  • 平和運動等に関しては、その義と行動は認め評価しますが、あくまでも表示・表現のひとつの手段であって、根本的な平和構築にはなり得ないと考えます。
  • 根本的・本源的な平和構築には、一対一の対話を通じた平和主義の共の連帯とその拡大運動の波動を起こし、それに徹することで『に崩れぬ平和と幸せの砦を構築しゆく』ことである、と確信しています。

 この「イラク派兵に反対し平和憲法を守る会」は、複数の掲示板上での論議から自衛隊のイラク派遣反対の署運動を行った会です。


 会自らが表明しているところによれば、代表者は、千葉市在住のB長・伊藤氏(43)、ハンドルネームは創価桜であり、母体となっているサイトは「Jonathanの生命哲学探究の部屋」です。


 しかし、このサイトは一般にはあまり知られておらず、一応、会の公式サイトとしては「自衛隊のイラク派兵に反対します!――自衛隊イラク派兵反対署のページ」になっていました。


 現在は、署終了の報告として「自衛隊のイラク派兵に反対します!――Worldcitizens Renouncing War」に変更になっており、その報告するところによると、署の提出をもって「解散」したと明記されています(URLは同じです)。


 会がいつ設立されたのか、連絡先はどこなのか当初から不明だったわけですが、5つの掲示板を中にメンバーが見を書き込んでいました。

      • がんばれ公明党の「ディスカッションルーム」
      • Jonathanの「生命哲学の掲示板」、「交流掲示板」
      • 「同時代を考える掲示板」
      • ヤング公明サポーターズの「Y-KMS BBS」

 これらの掲示板の内容を確認すれば、彼らの欺瞞が良く表れているといます。その判断は皆さまにお任せしますが、「創価桜」で検索すれば、手っ取り早いでしょう。


 中者であるJonathanと創価桜は、私の知るところでは、昨年の春のイラク戦争以来、創価学会公明党批判を、出所不明の怪情報を元に行ってきた輩です。ここでは、本題と外れますので、その詳細は省(はぶ)きます。あくまでも「イラク派兵に反対し平和憲法を守る会」の欺瞞を明らかにしておきたいといます。


 彼らは、最初に内部の学会員だけで、派遣反対の一次署を集めています。その時のことは110日付の日新聞夕刊に報道されました。


 一部抜粋します。


 自衛隊派遣の基本計画を了承した神崎代表らへの要望書に『絶対平和の理と日本の国益において、自衛隊のイラク派遣の中止を求める』と記し、158人の署を添えて暮れに党本部に提出。同趣旨の署学会本部にも出した。


 ここで、いくつかの疑問が出てきます。


 1.この署運動は、一部の間で行われたもので、大々的なネット活動はなかったにも関わらず、どうして日新聞の知るところとなったなのか。


 2.また、たかが158にすぎない運動を、なぜ日新聞が取り上げたのか。


 3.さらに根本的問題として、派遣反対の署の提出先が、公明党はまだしも、なぜ創価学会にもなるのか???


 更にに彼らは、今度は外部も含めた2次署運動を、先の日新聞の報道によれば、12下旬より開始しています。その際、「イラク派兵に反対し平和憲法を守る会」の称を用い、先のサイトを開設しています。


 会の称が、1次署で使用されていたのかどうかまでは知りません。その締め切りは、サイトに記載されてませんが、掲示板では117日となっていました。実際は、120日締め切りの121日提出になったわけです。


 その時の趣書から、会の目的を抜粋します。


※当会は、自衛隊のイラク派兵に強く反対する創価学会員有志を中に結成された非営利団体です。

 広く平和を求める市民のを集め、要望書という形で政権与党に提出し、自衛隊のイラク派兵を阻止するために結成された会です。


 その要望書も、抜粋します。


○要望書


 公明党代表  神崎 武法 殿

 自由民主党総裁  小泉 純一郎 殿


 我々、日本の平和と国際平和を求める市民は、イラクの復興はイラクの市民の手によって行われるべきであり、その支援は、非武装の市民によって行うべきであると考え、憲法第九条に反するイラクへの自衛隊派遣に反対し、派遣計画の即時撤回を強く要望します。


 ここでまた、最大の疑問が浮上します。


 1.マスコミ報道によれば自衛隊派遣決定直前にもかかわらず、なぜ「派兵阻止」の要望書の提出先が与党なのか? 派遣をするのは、日本政府であり、与党ではありません。


 2.さらに、「派遣」ではなく、なぜ「派兵」の言葉を使うのか。何の説明もなされていません。大差はないかもしれませんが、「派兵」とは戦闘行為を前提、あるいは目的に含むはずです。


 また、こうした動きの詳細を、117日東京新聞刊が報じています。


 さて、この提出の模様は複数のメディアで報道されました。

  • 121日毎日新聞・日新聞
  • 122日には、大阪毎日放送が放映。
  • 126日TBSのニュース23が放映。

 提出後、会にどのような動きが生まれるのか、注目していました。どのような正式報告がなされるのかを。 これは、サイトでなされました。


 抜粋します。


 120日を持ちまして、署の受付を終了させて頂きました。

 121日に、公明党本部へ提出してきましたので、御報告申し上げます。ありがとうございました。

 提出の模様は、各報道機関で報ぜられた通りです。


 残ながら、我々の署運動も実を結ばず、自衛隊がイラクへ派兵されることが決定しました。

 当会は、公明党及び自由民主党の両代表者へ署を提出するために結成された団体でありました。

 121日、署の提出を終えましたので、当会は解散とさせて頂きました。ご賛同頂いた皆様、ありがとうございました。


 これを読んで、私は唖然としました(笑)。今まで私が疑問にじていたことが、自ずと明らかになっていました。


 これは、研鑚板にも投稿したことですが、本質に関わるので列記します。


 1.報告は、「公明党本部へ提出し……模様は、各報道機関で報ぜられた通りです」と非常に簡素なものです。報道を見ていない、または、知らない人はどうすればいいのか? 報告者の怠慢です。


 2.しかも、要望書の宛先は自民・公明両党首であるにもかかわらず(その欺瞞は先に指摘しましたが)、公明党だけです。自民党総裁になぜ提出しなかったのか、にはまったく触れていません。(マスコミ報道でも公明党提出しか触れていませんので、自民党には提出されていないと判断します)


 3.驚愕したのは、会の目的が勝手に変更されていることです。当初の趣説明書では、「自衛隊のイラク派兵を阻止するために結成された会です」となっていたものが、「当会は、公明党及び自由民主党の両代表者へ署を提出するために結成された団体」


 4.しかも、「提出を終えましたので、当会は解散とさせて頂きました」。


 これらはいったい何を味するのでしょうか??? 当初からの目的が、「署を集めること」のみにあったことが、ここで明白になった。つまり、「反対の表示」のポーズ、パフォーマンスに過ぎないと言うことです。


 本当に「阻止」が目的であるのなら、決定後も、中止及び即時撤退を求めるはずです。訴え続けるはずです。それが、賛同者を募ったものの責任でもあるはずです。賛同者に何の説明もなく会の目的を改変後、一方的な即時解散が、まかり通るのでしょうか? 提出前後では、彼ら自らが、多数の賛同のが寄せられている、なおさら頑張ると豪語していたわけです。


 更に、趣書の説明には、


 2.自衛隊が来ることによって、安全な街もテロの発生する危険な街となる。


 と題して、彼らの主張が掲げられています。


 会を解散したことによって、この主張を自ら裏切ったことにもなる。これは、イラク市民の視点に立てば、まったく失礼なことであり、とんでもないことでしょう。


 賛同者の了承もなく一方的に会を解散するということは、自ら危険を指摘しておきながら、「自分たちはやることはやった。公明党が受け入れずに決定したんだから、後は知らないよ」と言ってるのと同じです。指摘通りにテロが起これば、「ほら、言った通りだろ。責任取れ」となるのであろう。


 賛同者を裏切り、自らの惑だけに利用した、薄汚い連中の正体が明白になったと断じておきます。その惑とは、マスコミをも利用し学会内には反対のが多いと報道させることでしょう。その狙いは何か、自己顕示と、反対したという自己満足でしかないでしょう。


 彼らに言わせれば、自らの行為を「公明党及び学会内で踏みにじられている師匠志を受け継ぎ、応え、実践するために改革に立ち上がる」(趣)と言っています。その論拠の提示もまったくないままに、これら一連の運動が、果たして彼らが言うほど高尚なものでしょうか? 署運動の趣書とその報告の一部分を見ただけでも、そこに欺瞞が表れていると断じます。


 ここで、たまたま見つけた、HATAさんの日記を紹介しておきます。


2004-01-14【本当の平和って】


 19日付日新聞夕刊に「創価学会員らが派遣反対署公明党本部に『中止』迫る」という趣旨の記事が掲載されました(中略)。


 正直なところ全国規模の署として(しかもネットを利用しての)1000というのは限りなく少ないわけですが、公明党の支持支援団体の創価学会の会員が署を集めたということでメディア的にはニュースがあったのでしょう。このへんがメディア報道のおもしろいところです。


 さてこの署の趣文について。う〜ん……。多くの人は議論が不足している、あるいは行われていないとじるのではないでしょうか(^_^;)&br;

 私からは多くはコメントはしませんが関のある方は一度読んでみられてはどうでしょう? ひとつの団体であってもいろいろな考え方の人たちがいるのです。もっと「本当の平和とはなにか」という対話をお互いしていかなければならないと実しました。(後略)


 このHATAさんは、学会員なのか違うのか定かではありませんが、内容から推測するに外部の方だとわれます。その外部の方でさえ、署の訝(いぶか)しさをじ、「もっと『本当の平和とはなにか』という対話をお互いしていかなければならないと実しました」とを述べられています。


 私たち学会員は、日常実践している対話を通じて「に崩れぬ平和と幸せの砦を構築しゆく」ために、その共と連帯の拡大に使命を懸けています。こうした私たちの戦いと、彼らの行動と何が違うのか。「目的」と「精神」、そして「責任」でしょう。


 ここまでの締めくくりとして、首謀者の2の内の一人Jonathanの最新の発言を紹介しておきます。


[790] マスコミの反応 投稿者:Jonathan 投稿日:2004/02/02(Mon) 01:49:55


 たいてい、学会のニュースを流すと、局にクレームの電話や抗議があるらしいですが、今回の各報道に対して局側にクレームや抗議の電話が一切なかったそうです。マスコミの人がびっくりしてました(@_@)


 それどころか、特にMBSには、賛同や激励やが殺到し、「もっとやってくれ」と言われて驚いていたようです。


 筑紫哲也さんからも今回の行動に多大な評価を頂き、今後も何かあったら、報道してくれる構えであるそうです^^


 いやあ、ほんとに爽快ですね^^


 とにかく、秋谷会長の「アエラ」記事が組織に回っているらしいので、今後、「平和の」を上げやすい組織になったことは、大きな変革でした。


 文句言う幹部には「アエラ」を見せてあげてください^^


 さて、次は何をしようかな?


 皆さんのご提案をお待ちしたいといます^^


 この発言を、皆さんはどうわれますか? 何をじられますか?


 彼らの欺瞞はともかくとして、イラク派遣の是非、さらに絶対平和主義・至上主義との整合を問題視する方もおられるでしょう。イラク派遣の是非は、私も皆さんも種々語ってきましたので、改めて触れません。一言だけすれば、人道復興支援と日米関係につきるでしょう。本音は、日米関係がすべてといっても過言ではないでしょう。しかし、「人道復興支援」という大義を掲げた以上は、その真摯な履行を求め監視し、場合によっては批判していくのが、今の私たちの役割だといます。


 平和至上主義の理公明党に関しては、政治と宗教の関連を抜きには論じられません。平和主義が現実の政治とどう関わっていくのか、実現していくのかという大きなテーマになります。その前提には、「本当の平和とは何か」が問われるのは言うまでもありません。まして、現場の政治では、迅速な「決断」が最も要求されます。その決断には、当然「責任」が伴います。与党においては、それは、野党の比ではありません。


 教条主義と見まごうばかりの絶対平和を現実の政治の舞台で掲げて、どれだけの価値を生み出すことができるのでしょうか? 過去の社会党が、そして共産党が、何を創造し得てきたでしょうか? 野党第一党だった社会党は与党になり、どう変貌し、衰退をたどったか。(称は既に消滅していますが)


 万年野党の共産党は原理主義で何でも反対するばかり、国民への責任などまったく省みない。野党であれば、現実の決断、選択はしなくても済みます。その責任は決して大きくはありません。


 政治と宗教に関しては、また機会があれば、自説を述べてみたいといますし、皆さんの見もうかがいたいですね。


【恋/※「創価学会ML」の投稿】

師弟の道は厳格


 師弟の道は厳格である。もとより中途半端や、遊び半分のなど微塵も入り込む余地はない。真摯(しんし)なうえにも真摯に、忠実なうえにも忠実に、そして誠実無比に仕えきってこそ、やっと弟子の道を歩む資格が生まれる。

 音楽など一般の師弟ですら、皆、そうである。いわんや法の世界の師弟の道は、もっと厳格であり、厳粛である。牧口先生戸田先生、そして戸田先生と私の関係も、まことに厳格であった。

 包容されてばかりいるのが弟子の道ではない。大事にされる余り、法への甘い考えや、驕慢のを起こしては失敗である。

「徹する」なかにしか、本物への道はない。


【第4回本部幹部会 1988-04-22 創価文化会館


 楽しい活動をしている内は、守られる側にいることを自覚しよう。


 厳格な鍛錬なき青年幹部の姿を憂いの瞳で見つめる“元青年部”は、実に多い。その筆頭がこの私だ。


 私が男子部に上がった頃は、地区幹部は本尊流布1世帯以上、部幹部は3世帯以上という人事規定があった。現在は、1世帯の折伏で全ての役職が通用するようだ。その1世帯だって、実は分世帯だったりするのだから、黙っているわけにはいかない。大学校を卒してから、全く結果を出してない幹部も多いのではないか?


 学生部時代に幹部となり、本部職員になって、とんとん拍子で階段を上がっているようなのも、結構いますな。確かに、役職を担うと、大変な局面も多い。それ自体が訓練になっていることも否定はしない。だが、個人折伏をしてない者は、個人指導が弱い。


 創価学会広宣流布の団体である以上、その生命線は折伏精神に尽きる。話が上手いとか、組織運営ができるとか、企画力があるなどというのは、二の次なのだ。また、学会の役職は、人気だけでやっていけるようなものではない。


 昔の大B長は実に立派だった。広宣流布に対する使命と責任に燃えていた。折伏といえば、大B長に会わせることを味した。指導もよく受けにいった。その力量は、現在の本部長や区男に決してひけを取るものではなかった。


 怒鳴りつけたら腰を抜かしそうな男子部が何人いたところで、広宣流布はできない。


 先生の指導の厳しさを知る青年部がどれほどいるだろう? それ以前に、厳しき訓練を求める者が、どれほどいるだろう?


 先生が称賛し、多くの壮年が男子部に気をつかっている間は、私のは休まらない。このままいけば、壮男合金は時間の問題だ。


 ちょっと愚痴っぽかったかな?(笑)

機関紙・誌を熟読しよう


 機関紙・誌を熟読しよう

 機関紙・誌を軽視することは

 広宣流布を軽視することに

 通ずるからだ

 機関紙・誌を読むことは

 信の前進を推進し 即 和合僧を守り

 大御本尊を守ることに通ずるからだ


【『日々の指針』 1974-12-16発行】


 機関紙とは聖教新聞、公明新聞、創価新報、高中小文化新聞である。機関誌は『大白蓮華』、『グラフSGI』。準機関誌としては『第三文明』、更に『潮』、『灯台』、『パンプキン』などに先生の随筆や対談が掲載されている時は、機関誌に順ずるといってよいだろう。


 まずは、聖教新聞と『大白蓮華』である。聖教新聞に関してはいうまでもないが、ここ数年前から『大白蓮華』の充実が目を引く。編集部の陣容が変わったのでは、とうほど内容が刷新されている。流れとしては、昔の幹部用冊子『前進』で連載されていた「革命の源泉」と同じだが、取材量が桁違いだ。


 また、先生の呼吸を知る上で、秋谷会長の巻頭言は不可欠のものであり、座談会で朗読するのが当然。


 戦後、牧口先生時代の『価値創造』を受け継ぐ形で発行されたのが『大白蓮華』だった。


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【『大白蓮華』創刊号 1949-07-10発行(昭和24年)】


 聖教新聞が創刊されたのは、戸田先生の会長就任に先んずる1951年420日(昭和26年)。「日本中の人にこの新聞を読ませたい」と語り、「聖教新聞は広宣流布の弾丸である」とその役割を示された。


 日顕による第二次宗門問題が勃発した当時、聖教新聞と創価新報なくして創価ルネサンスは成らなかったであろう。全国の学会員は、聖教新聞によって、本部の呼吸を知り、信のギアを噛ませ、師弟直結の王道を歩んできた。印刷技術の発達なくして、世界広布は成し得なかったに違いない。


 御聖訓に云く、「文字を離れば何を以てか事とせん」(152頁)と。また云く、「滅せる梵音声かへつて形をあらはして文字と成つて衆生を利益するなり」(469頁)と。更に云く、「文理真正の経王なれば文字即実相なり実相即妙法なり」(383頁)と。ここでいう文字とは、経典や御本尊を示されたものであるが、聖教も同じく“人を救う文字”だ。


 今日の新聞で動した記事を家族で語り合っているだろうか? 自分は読んでいるが、子供に読ませてないという幹部はいないだろうか? 人は動を覚えると、自(おの)ずから自行化他の振る舞いとなる。一人だけの動というのは存在しない。それは一人よがりというのだ。動は、人のを大きく外側へと開き、必ず誰かとの関わり合いを求めてゆく。


 我々の最大の誉れの一つは、先生と同時代を呼吸しながら、小説『人間革命』と『新・人間革命』を読むことができるという事実である。この広布の大河小説は、今後、数百年、数千年にわたって読み継がれるであろう。その時、歴史を振り返る人々は、我々のことを、あたかも大聖人と共に戦った四条金吾南条時光の如く仰ぎ見ることだろう。

2004-08-27

心血、人の千倍


 何の分野であれ、「一流」への道は、甘いものではない。他の人も真剣である。ぎりぎりまで努力している。しかも、他の人と同じ程度のことをしていたのでは成功はおぼつかない。

血、人の千倍」――私は、ある芸術家に、こう書いて激励しようとしたことさえある。ともあれ、“超一流”の実証とは、常に人々が像もつかないほどの血を注ぎゆく努力と鍛えの結晶以外にはありえない。


【第4回本部幹部会 1988-04-22 創価文化会館


「祈りとしてかなわざるなし」が甘えになってはいけないとの指導である。


 戸田先生は、「信は一人前、仕事は三人前せよ」と仰せだ。何となく淡い期待を抱きながら、何となく題目を唱え、何となく一日を過ごしていることはないだろうか? 「信は半人前、仕事は一人前」だと、こうなりがちである。


 また、一の奥底(おうてい)にどのような願いがあるかを振り返ってみると、いつしか、楽な生活や、有や成功などを望んでいる場合もある。若い男子部であれば、「彼女さえできれば、後はどうなっても構わない!」というのも中にはいるだろう(笑)。


 低い境涯のまま祈りを重ねても、得られるものは少ない。我が境涯を深い次元から見つめることなくして欲望に翻弄されていては、人間革命の軌道から外れた信だ。


 吉川英治が裕福な青年にこう語ったという。


 君は不幸だ。早くから、おいしいものを食べすぎ、美しいものを見すぎているということは、こんな不幸はない。喜びを喜びとしてじるが薄れていくということは、青年として気の毒なことだ。


 何度も何度も先生が教えて下さった言葉である。夏季研修でも引用されていた。


 天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか(254頁)


「法華を識る者」とは人間として一流の人である。されば、一流の人物は、社会人としても一流であり、サラリーマンとしても一流であり、主婦としても一流であり、自営者としても一流であり、パートタイマーとしても一流であり、学生としても一流でなくてはならないだろう。


 私が中等部の頃、「信プラス努力」と教えられた。信だけだと、盲信になったり、狂信になる可能がある。日蓮法が社会変革を目指す以上、信によって培われた生命力を社会で発揮することが求められるのは当然だ。


 まことのみちは世間の事法にて候(1597頁)


 我が同志が社会で、そして世界で、一流と輝くことが大折伏に通じることを確信して。

2004-08-25

公明党を批判する学会員の認識不足と思索不足


 だいぶ手酷く批判されているようです(笑)。学会の行動主義からの批判は皆さんなされているようなので、私は別の切り口で。って、結局、批判なのですが……。


 さて、あなたの文章をよんでじることは、「認識不足」と「索不足」の二つです。かりにも公党の批判をしようというのに、その政策の推移についておおまかな内容すら知らないというのではお粗末にすぎます。そして、出てくるのはありふれた「護憲」的言辞のみです。


 この10年ほどの間に、「護憲」を掲げる政党が惨めに衰退していった味や理由を考えたことがありますか? もしそうなら単純かつ純粋な護憲論(≒絶対平和論)など恥ずかしくて口に出来ないといます。そうした純朴な護憲論は国民に支持されなかったのです。この現実認識に立つならば、平和主義者である限り、新たな平和創出のための方途を見いださなければなりません。公明党の行き方も一つの方法です。それ以外の方途については、あなたや同様な考え方をする方々が自ら見いだすしかないのではないでしょうか。


 そうであるなら公明党に限らず、各党の安全保障政策というものがどのようなものであったのか、どのような変遷を経て今に至ったのかについて真摯に学ぶ必要があるようにいます。その上で、現在の国際情勢を元に、未来に向けた平和政策を(未熟であっても)提言できて初めて責任ある言論と言えるのではないでしょうか。


 残ながら、学会内左派とでも言うべき人たちから、そうした建設的な見を聞いたことがありません。それらの人々が政治的になんらかの力を得ようとうのであれば、自らの理と政策をはっきりさせる必要があるといます。そうして初めて議論の俎上(そじょう)に上ることができるのです。支持されるかどうかは、まだその先なんですよ。そう考えられれば、生半可な態度では、あなたの望む状態には1mmも近づかないことがお分かりになるでしょう。


 話が先に進みすぎました。とりあえず、あなたなりの考えをしっかり持つことが肝要だといます。創価学会を母胎とする公明党のあるべき平和政策なるものを現実逃避せずに考え抜くことができたならば、サイトでも作って見表明するなり、無所属議員で立候補するなりして世に問うてください。前者ぐらいのレベルでも相当なものですよ。そこまで突き抜けると、誰も軽蔑はしません。小野さんの敵になるかもしれませんが(笑)。


 私自身は、政治の方より教学の方に関があります。できれば、サイトでも作って見表明できるぐらいになりたいですが、道遠しですねえ。(^_^ゞ


【fやん】

2004-08-23

確信ある信心は勤行の声の響きに表れる


 確信ある信は、勤行のの響きや、歯切れのよい口調にあらわれてくる。が極端に大きかったり、その反対に、小さすぎたり、言葉が、はっきりしなかったりするのも、その人の信のあらわれである。全ての根本となる勤行は、常に正確に行わなければならない。


【『指導メモ』 1966-06-01発行】


 信は目に見えない。だが、勤行の姿に信の一切が表れる。


 猫背だったり、掌(てのひら)がピタッと合ってない人は惰の姿。が大き過ぎるのは火の信。周囲と音程やスピードが合わない人は我見。が小さいのは確信の無さ。御本尊に視線が定まらないのは格好だけの信。真剣なる祈りがないのは形式的な信の現れだ。


 唱題会などの座る位置にも信は現れる。前が空いているにも関わらず、中ほどに座る人は、その消極によって得られる功徳は少なくなるだろう。少しでも導師に近い位置に座り、しっかりと呼吸を合わせるのが正しいあり方だ。また、唱題会の最中に携帯電話に出るような幹部は、祈りが二の次になっている証拠。更に、必要以上に大きなを出す人は傲慢な傾向が強い。


 長年戦ってくると、勤行を見ただけでその人の信が手に取るようにわかってくる。


 何を隠そう私も高等部の頃、クセだらけの勤行をしていた。継ぎをする直前の経文を、異様なの大きさで発していた。母から注をされて、やっと自覚し、ちゃんと直るまでに3ヶを要した。


 勤行はカラオケと異なり、上手にやろうとってできるものではない。生命の実相が反映されるのだから、小手先のテクニックなどで容易に直るものではない。


 唱題は気魄(きはく)との響きが勝負である。の響きが弱い人は、自分の壁が破れてない人だ。「題目の響きが、はね返ってきて功徳となるのだ」という指導もある。


 最後に一点。ブロックや地区などの小単位で行う唱題会では、高齢者に配慮して、導師が皆に合わせるケースもあってしかるべきだ。


 皆、自分は間違っていない、とい込んでいる。これを我見とは申すなり。真剣に見直す気があるなら、勤行を録音してみることだ。また、勤行の姿を、後ろや横から写真撮影もらうことを勧めておく。そこまで、やらなければ、正しい勤行はできない。


 歌うようなリズムの勤行が100点満点だ。信してない人がにしても、「爽やかな響きだな」「地いい調べだな」と言われるぐらいが理だ。




 間違えやすい経文を以下に挙げておく。私の調査によると、正確な勤行ができる活動家は、20%前後といったところだろう。(わかりやすくするために「う」も「ー」とした)

  • 知見波羅蜜。皆已具足。
    • × ちーけんはらみつ かーいーぐーそく
    • ○ ちーけんはらみつ かいいーぐーそく
  • 阿修羅。皆謂今釈迦牟尼
    • × あーしゅーらー かーいーこんしゃかむにぶつ
    • ○ あーしゅーらー かいいーこんしゃかむにぶつ
  • 尽以為塵。一塵一劫。
    • × じんにーいちじん いちじんいっこー
    • ○ じんにーいーじん いちじんいっこー
  • 入於涅槃。如是皆以。
    • × にゅーおーねーはん にょーぜーかーいー
    • ○ にゅーおーねーはん にょーぜーかいいー
  • 皆為度脱衆生。或説己身。
    • × かーいーどーだっしゅーじょー わくせっこーしん
    • ○ かいいーどーだっしゅーじょー わくせっこーしん
  • 見於三界。如斯之事。
    • × けんのーさんがい にょーじーしーし
    • ○ けんのーさんがい にょーしーしーじ
  • 入於憶。妄見網中。
    • × にゅーおーおくそー もーけんもっちゅー
    • ○ にゅーおーおくそー もーけんもーちゅー
  • 以此事故。我作是言。
    • × いーじーしーこ がーさーぜーごん
    • ○ いーしーじーこ がーさーぜーごん
  • 薬発悶乱。宛転于地。
    • × やくほつもんらん えんでーうーじー
    • ○ やくほつもんらん えんでんうーじー
  • 或失本。或不失者。
    • × わくしつほんしん わくふっしっしゃー
    • ○ わくしつほんしん わくふーしっしゃー
  • 遥見其父。皆大歓喜。
    • × よーけんごーぶー かいだんかんぎー
    • ○ よーけんごーぶー かいだいかんぎー
  • 色香美味。皆悉具足。
    • × しきこーみーみー かーいーぐーそく
    • ○ しきこーみーみー かいしつぐーそく
  • 其諸子中。不失者。
    • × ごーしょーしっちゅー ふっししんじゃー
    • ○ ごーしょーしーちゅー ふーしっしんじゃー
  • 雖見我喜。求索救療。
    • × すいけんがーきー ぐーしゃくりょー
    • ○ すいけんがーきー ぐーしゃっくりょー
  • 我亦為世父。救諸患者。
    • × がーやくいーせっぶー くーしょーくーげんしゃー
    • ○ がーやくいーせーぶー くーしょーくーげんしゃー
  • 以何令衆生。得入無上道。速成就身。
    • × いがりょーしゅじょー とくにゅーむじょーどー そくじょーじゅーぶっ

しん

    • ○ いーがりょーしゅじょー とくにゅーむじょーどー そくじょーじゅぶっ

しん




 これも今となっては、既に過去のものとなってしまったよ(笑)。


2005-02-09

2004-08-22

数字


 数字が違うではないか。数字は正確に報告しなければならない。正確でないと、私の判断が狂ってくる。間違った報告をすればを受ける。今後、厳重に注するように。


【『前進』1966-04号】


 後輩に徹底して伝えてきた指導の一つ。


 下駄を履かした数字で誰が喜べるだろうか? 組織によっては下駄どころか、竹馬に乗っかっているような数を平然と出すところも時折、見受ける。


 中幹部だけが喜んでいるような数字成果主義と申す。この数字利に直結している。


 正確な数字であって、初めて組織が前進しているか後退しているのかがわかる。戦争や健康診断で、デタラメな数字が許されるだろうか? 人の命に関わってくる局面において、ほんのわずかな判断ミスが致命的な結果を招くことは当然である。


 ただ、こうしたことが形式となり、それに固執してしまえば、同志はしさを覚える。数字に対する高い識を持たせ、現場においては柔軟な判断をしていけばよいとう。要は責任者が、組織の実態を掌握し切っているかどうかである。


 先生は以前、「水増しは学会の伝統だ」と話されたこともある。第二次宗門問題直後の頃のこと。先生のは、「何はともあれ、最前線で戦う同志が喜びを持って戦うことが最重要なのだ。数字も大切だが、それよりも人間が大切なのだ」というものであったと像する。


 一は万が母といへり(498頁)


 まずは、一世帯の折伏、一部の新聞啓蒙にこだわりたい。その源泉は、一人との対話に尽きる。

2004-08-21

我が子を特別扱いするな


 婦人の子育てについてもじていることを申し上げておきたい。ご婦人の中には、自分の子供が可愛いあまりに、極端に“特別扱い”したり、溺愛し、また自慢する人がいる。傍(はた)から見ていて、他の人に嫌悪をじさせる場合が多い。

 こうした“溺愛”や“甘やかし”や“盲従”は、子供をダメにし、ひいては親をもダメにしてしまうものである。

母親は、時には子供の成長のために厳しく叱ることを忘れてはならない。情に走ったり、親のエゴからの“叱り”は逆効果であるが、親が言うべきことをきちんと言い、物事の道理を教えていくことによって、子供はその根を矯正され、立派な大人に育ってゆく。特に子育ての時期にある婦人部の方々は、この点を賢明に判断していただきたい。


【第3回本部幹部会 1988-04-01 創価文化会館


 子供の信については、100%母親の責任である。幼児期から春期に至るまで、子供と一番接しているのは母親だからだ。


 時折、本部長や支部婦人部長であっても子供の信を立たせることができない家がある。物事を単純に考えるのは危険だが、やはり、お母さんに問題のあるケースが多い。


 私が高等部を担当していた頃、こんなことがあった。高等部の部長・副部長が連絡に回っていた。ある高等部員を訪ねたところ、婦人部幹部の母親が出てきて「今、いないのよ」と言った。その直後、私の家に来て、「あれは、絶対に居留守です。小野さん、すみませんが、電話をしてもらえませんか?」と頼まれた。私がよく知っている親子だった。電話をかけると、直ぐに子が出た。「元気か? まあ、たまには俺んところに遊びに来いよ」と言って私は受話器を置いた。間髪を入れずに3の高校生は言った。「ホラ、やっぱり居留守だ!」「お母さんは、幹部のクセにこんなことをやってていいんですか?」「全く信じられないよなあ」……。


 私は、「お前等、何を生気言ってやがるんだ。色々あるから広宣流布ってえのあ、面白いんじゃねえか。ちょっと回ったぐらいで調子に乗るんじゃねえ!」と言い切り、である所以(ゆえん)を説いた。


 自分の子供がきちんと信してないと、同じような家庭と出くわしたした時に、その幹部は果たして言い切ることができるだろうか? 言い切れる幹部は立派な幹部だ。きちんと自分の悩みと真正面から向き合っている人だ。だが、殆どの場合、「内もそうなのよ〜」以上である。


 子供が抱く最大の不信は、裏表のある親の姿と、子供である自分のことをしっかりと見つめていないという2点に集約される。母親がいつも家にいない。時折、いるとったら、途切れることなく電話がかかってくる。「相談したくても、相談できない」という子供のは予以上に多い。


 私は6人兄弟の長男だが、6人全員が組織につき、創価の庭で訓練を受けている。次男が〈県〉主任部長、三男が〈県〉副青年部長、長女が副本部長、四男が本部長、次女が地区リーダーとして戦っている。母の信もさることながら、父の鉄拳によって育てられた筋金入りだ(笑)。


 全国のお母さん、頑張れ!

2004-08-18

政治と平和


fやん


1.公明党は絶対平和主義か?

 少なくとも綱領やマニフェストに「絶対平和主義」の文字はありません。また、公明党のオフィシャルサイトを「絶対平和主義」で検索しても1件も引っかかりません。それに対して「平和主義」では35件が検索されます。それを見ていけば、公明党の考える「平和主義」とは何かが見えてくるでしょう。


 現在の綱領ができたのは平成6年(1994年)であり、改定が平成10年ですから、少なくとも6年間は、公明党は表向きは絶対平和主義を標榜していないことになります。しかし、一部の学会員には浸透しなかったようです。公明党が現実路線に舵をきったのは、この綱領ができた頃(1994年)だと言われていますから、今時、公明党と「絶対平和」を結びつけて騒ぐというのは、よほどの無知か、確信的絶対平和主義者かとわれます(笑)。


 当時も相当悩んだ学会員もいたわけですが、さすがに10年の時は学会員を政治的に「大人」にしてくれました。では、「絶対平和主義」なる語がどういう文脈で出てくるかと言いますと、実はこれは学会員の宗教的信から出てくるものなのであります。その部分は大方の学会員は共有しているわけですが、政治次元でわず吐露してしまう幼い人たちがいるので、「困ったなあ」というのがです。だから、「絶対平和」を鍛え直すだの、「敗北」だの、「正当化」だのと言うのは議論以前に的外れであると言わざるを得ません。


 では、(公明党ではなく)学会員の絶対平和主義はどこに行くのかというと、それは、宗教団体としての創価学会信仰者としての学会員個人の行動に掛かっているわけです。具体的には、池田誉会長の平和提言などを筆頭に、平和のための展示活動、それぞれの国・地域での折伏・弘教などが挙げられます。「絶対平和」を実現するのに次善の策はどうやらないようであるというのが最近の学会員の考えではないかと考えております。


2.それでも他国の平和に直接貢献したい人へ

 うだうだ言わずに、平和関係のNPOに入って現地に行って労力を提供するか、しっかり働いて資金を提供してあげてください。真剣に考えている人は、他人を批評などしません。だまって体を動かします。ペシャワール会中村哲医師の本などを読めばよくわかります。大体、他人を高に批判する人ほど自身の足元がぐらついている場合が多いです。もっと言えば、何もしていない場合が多いです。


3.「絶対平和」ではなく、「平和」の実現を

 そもそも「絶対平和」というのは理であって、現実でありません。何をもって「絶対平和」と言うのかも明確にわかっているわけではありません。外に中身のない空虚な概なのです。ですから、いくら議論しても不毛な観論争になります。学会にとっての「絶対平和」とは実は、如説修行抄で言う所の


 法華折伏破権門理の金言なれば終(つい)に権教権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人(けにん)となし天下万民諸乗一乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤(つちくれ)を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理(ことわり)顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり(502頁)


 という御金言に拠っています。「絶対平和」に内容を与えるものは、実は、や宗教なのであり、全ての人が同様の見解を持っているわけではありません。ですから、宗教次元では、対話、弘教しかありえないのです。政治次元では、恐らく何もないというのが私の見解です。だから、「絶対平和」ではなく、個別具体的な「平和」をどう実現するかという方向に話は変わっていきます。多分、「平和」という言葉も適切ではなく、「戦闘行為の停止」あたりが妥当だとっています。ここまできて初めて政治的な課題として扱えるのです。



現実路線への転換

 たまには、fやんに異を唱えてみよう(笑)


 しかし、一部の学会員には浸透しなかったようです。公明党が現実路線に舵をきったのは、この綱領ができた頃(1994年)だと言われていますから、(後略)


 違います。そのはるか以前、昭和56年(1981年)頃には日米安保自衛隊を認め現実路線に転換しています。その時の自衛隊承認の理由が、“専守防衛”です。これ以降自公民(民社党)路線になり、現在もそれほど大きく変わっているとはえません(笑)。その時から“対自民”は、政策よりもその体質でしょう。


 この時の私の悩は、現在の内部公明批判者の比ではないとっています。しかし、それでも「立正安国・王冥合」の理は共有していると確信はあったからこそ公明党を見捨てる(偉そうな?)ようなことはしなかった。その後、相当の葛藤を経験し、「政治的に大人」になったといますね。


 これは、俗に言う“転向”とはまったく違います。以前も表明したけど、私は今も、安保・自衛隊反対の原理主義者です。


 次に、絶対平和について。 これは、fやんとほとんど同見。消失前の掲示板で「唯一絶対」について議論があったけど、その時、明確にしなかったのは、ちょっと後悔しているが、そもそも、学会も「絶対」平和は主張していません。日蓮法にも、「絶対」平和は出てきません。


 絶対平和(主義)を標榜している人がいるなら聞きたい。

「絶対」とは何ですか???

「絶対平和」とは何ですか???

 抽象論ではなく具体的に答えて、教えて欲しい。


 定義を明確にもせず、まして具体論、実践論を示せないものは、単なる言葉遊びに過ぎない。


 再度言おう、批判は大いに結構。それを批判のままで終わらせないためには、具体論、実践論があってこそ。他の掲示板でfやんが主張していたが、政治的な批判なら、“政策提言”があってこそ。批判のための批判の言葉遊びは、それこそ“現実追従”をしているだけ。


 政策提言といっても大げさなものじゃない。婦人部のおばちゃんが、あそこは危ないから議員に頼んで信号機をつけてもらった。現実に根ざした立派な提言です。


fやん


冥合

 以前、「政治と宗教の距離」というスレで恋さんが、そう書いていたことは覚えております(笑)。理論的には仰るとおりだといます。ただし、公明党の現実路線が真に「現実」になったのは、非自民の連立政権成立あたりからだという認識があります。前レスで「…と言われています」と書いていますようにこれは私個人の見解ではありませんが、どこの誰が言っていたかは忘れてしまいました。多分、野党である限り、外部の人間にとって路線変更の問題が問題にならないことと関係しているのでしょう。逆に、与党になって「国家観」などが厳しく問われ、それなりの試練を経て、今の公明党の現実路線があるという風に考えております。


 それにしてもいまだに公明党の現実路線への路線変更をはっきり認識していない人がいるのには驚いています。恐らく、小説『人間革命』の歴史資料としての取り扱い方に問題があるのではないかと考えております。というのは、『人間革命』が扱っている時代は1960年までであり、『新・人間革命』が現在、1970年辺りです。これを基準に現代の創価学会公明党を見ると、どうしても原理主義的な批判になってしまいます。あくまでも創価学会の「原点」として読むべきであってダイナミックに変化していく創価学会公明党にそのまま適用するべきではありません。同時代的に理解していくことが、学会内でよく言われる「呼吸を合わせる」ことの味の一つだと考えています。折々の先生の指導や提言、公明新聞の記事などをきちんとキャッチアップしていればそれほどしいことでもないとっています。この段落は、りんご氏の「人間革命をバイブルにしている」という発言をきっかけに、創価新報818日付5面「行動する教者の的系譜――中道の視点から」(教学部教授 谷征二)に触発されて考えました。


 王冥合の件に関して最近考えているのは、決して王法と法が静的に均衡した関係を保っているのではないということです。依正不二などとも似ていますが、結局、主体者は法者なのではないでしょうか。世界平和の問題でも別に日本政府に頼るつもりなどないということを言いたい。なぜなら、我々にとっての世界平和とは、世界広宣流布と同義であるとうからです。そうであるなら、そのための土壌は何であるかを考えたい。


 日本においては、民主主義や信教の自由の確立が創価学会の発展の大前提となりました。戸田先生がマッカーサーのことを梵天といったのはこの味です。世界広宣流布の前段階としても、民主主義や信教の自由が必要になりそうなことは容易に推測できます。この分野では、日本政府も少しは役に立ちそうです。そうした共通の価値観をアメリカと日本は共有しています。これらのソフトパワーがアメリカの魅力であったことは、ジョセフ・ナイ氏の指摘するところですが、今回のイラク戦争でそれが台無しになりつつあることは残なことです。ただ、日本が後始末をすることで方向転換する可能まで失われたわけではありません。公明党の提唱する「行動する平和主義」の真価が今こそ問われています。ここで、国益至上主義を超えた人類益に基づく行動をできるか否かが、王冥合を真に味あるものにできるかどうかの分かれ目なのです。その味ではメソポタミア湿原復元事に対する公明党の取り組みが実り事が動き始めたことは久々の明るいニュースだったとっています。


 政策提言の問題は、なかなかしいですね。ただ、細かい内容はさておき、大きな目標ぐらいは出せるだろうとはいますね。平和の問題に関して言えば、無理矢理平和にする平和強制軍の創設とか(笑)。公明党のマニフェストで気に入ってるのは、以下の通り。


 81.国際平和に貢献できる専門家を3年間で1万人に増員

 82.「国際平和貢献センター」の設置

 83.ODA予算の20%を「人間の安全保障」分野に使われるためのシステムを含めた見直しと5%のNGOへの還元


 私などが政治系サイトで言っていたことが具体的に書かれていたもので(笑)。

2004-08-16

次の学会を頼む


 次の学会を頼む

  次の広布を頼む

 次の時代の一切を頼みつつ

  君の一日も早く

   大人材に育つことを祈る


【『わが友へ』 1973-04発行】


 私が19歳の頃から数年にわたって部屋の壁に貼っておいた指導である。先生の余りの期待の大きさに、打ち震えるほどの動を覚えたものだ。


 先生は「徐々に育て」とは言われてない。「一日も早く」と仰せだ。以来、真剣勝負を掛け、今日の成長を誓いながら、日々の闘争に邁進したことが懐かしい。と、懐かしんでいるようではいけない(笑)。このように、人間、40を過ぎると純粋さが失われてくるから要注


 若い時分は、い込みの激しい季節でもある。私は日々、「次の学会を担えるのか?」と自身に問いかけながら、班長(当時/現在のニューリーダー)の使命を全うした。「学会全体は担えないが、部は担っている」という自負はあった。


 私が男子部となった頃、地区の活動家は私だけだった。36歳のベテラン大B長(当時/現在の地区リーダー)が「小野さんが男子部に来てくれて本当に嬉しい。今までは自分が派遣だったため、座談会の結集は常にゼロで報告していた。これからは、1で報告ができる」と笑顔で語った。


 それから、2年を経て、部員数25で、座談会の出席は常に23を堅持した。この内、訪問座談会は5ほどだった。座談会当日の最高結集としては17という記録がある。勢い余った私は、女子部にまで手を入れ、毎、男女合同で研究発表や寸劇を行った。女子部も10近く参加するようになった。当時の写真は今でも私の宝物である。


 決して最初から盛り上がっていたわけではない。半年ほど経って活動家が2増えた。隣の地区の座談会が凄いと聞いたので、3人でスパイ活動に行った。帰る道すがら口々に語った。「何だよ、噂ほどじゃなかったね」「まあ、どうってことないね」「内の地区の方が全然、いいや」。その実態は完璧な敗北だった(笑)。私達3人は、簡単に負けを認めることができないほど若かった。それからである。私が鬼のように寸劇の原稿を書き始めたのは。




 本日付の聖教新聞にて、四者に先駆けて男子部の新任人事が発表された(方面)。40歳でも生き残れる人事となっている(笑)。新任幹部は決に満ちているので、どんどん本部や部に呼んだ方がお得。方面幹部だからといって、妙な気遣いは不要だ。


 尚、これから順次、新任人事が任命されることとうが、新任抱負の際、「力はありませんが――」と言うのは禁句となっているので注されたい。「確認事項」にも書き加えていた。

2004-08-15

若実若不実


洋甥(ようせい)


 若し復(また)是の経典を受持する者を見て其の過悪を出せば若しは実にもあれ若しは不実にもあれ此の人現世に白癩(びゃくらい)の病を得ん(230頁)


 普賢菩薩勧発品第二十八の文。法華経を受持する者を、それが事実(実)であれデマ(不実)であれ、互いに謗(そし)ってはならないとの戒め。理由として「法華経御本尊)を持つものは因果倶時となるため、を謗る行為は罪を作るからである」と御書に書かれている。普賢菩薩勧発品では、このあと「当起遠迎、当如敬」と書かれており、この言葉が法華経の最終部分に書かれていることからも、この戒めがいかに重要であるかを知ることができる。


 私は個人的に、この「若実若不実」がどうしても納得できなかった。「では、竹入は、竜は、原島は、どうなんだ? 彼らは現職時代から、おかしかった。権威主義だった。勤行はサボり放題で、その上、不勉強だったではないか!」と憤懣やる方なかった。今は、己の未熟さからくる毀謗と、学会を守るための筋道を通した戦いの違いが、わかってきた。本迹の索も実践もなく、組織の愚癡を言っている輩は、この「若実若不実」を深く索・実践してもらいたいものです。


小野不一


 他人を謗るというのは、往々にして本人がいないところで行われるものです。本人の前で話せば、それは単なる悪口ではなく、注になるでしょう。


 要は他人を謗ることによって、問題が解決されることは絶対にないということです。その上、謗った自分の身口にわたってとなり、生命に焼き付けられてしまいます。そうした生命の傾向は、どんどん、同志に対して批判的な眼差しとなってゆくことでしょう。その一点を戒められているのだといます。何はともあれ、広宣流布という志を同じくしていることを忘れてはなりません。人間ですから足りない点や至らぬ部分があって当然です。それを非し合うのではなくして、むしろ補い合いながら進んでゆくところに、団結の強みがあるといえます。


 退転した大幹部というのは、その殆どが先生から守りに守られてきた連中です。原島が教学部長だった当事から、私の父はその信の無さを見破っておりました。それでも、悪し様に罵ってはいけないのです。これは実に厳しい御指南です。ただし、敵となってしまえば、もはや同志ではありませんから徹底的に叩くのは当然です。


 同様のものとしては、「障(さわ)り未だ除かざる者を怨と為し聞くことを喜ばざる者を嫉とく」(201頁)という妙楽大師による怨嫉の定義があります。


《※「創価仏法研鑚掲示板」より転載》

2004-08-11

寺院寄進


 寺院も、いくらでも建立したいのでありますが、いかんせん、お坊さんが足りなくて、十ヶ寺、十何ヶ寺ずつ造らねばならない現状でありますが、態勢は色々と組んでおります。


【関東第一総支部結成大会 1960-09-02 台東体育館】


 これが歴史の真実である。1960年(昭和35年)は池田先生が会長に就任された年。


 仏勅創価学会が出現するまで、日蓮正宗はたった四十数ヶ寺の小さな小さな教団だった。遠く江戸時代には「勝劣派」と号し、明治に至ってからは「興門派」、「富士派」と乗っていた。所詮、日蓮宗の中の“吹けば飛ぶような派閥”に過ぎなかったわけである。


 戸田先生が会長に就任されてから3年後の昭和28年(1953年)531日、正継寺(神奈川県相模原市)が建立。これが、学会寄進の寺院第1号となった。以降、学会の会館整備は最小限に抑え、全てに優先して宗門の興隆に努めてきた。


 平成2年(1990年)1221日、三重県の徳寺を寄進し、これが356ヶ寺目となった。この6日後に日顕は、池田先生の総講頭を罷免(ひめん)した。


 先生が第三代会長に就任してからは、300ヶ寺以上が寄進され、総本山大石寺が所有する土地も、昭和35年(1960年)当時は16万坪だったのが、117万坪にまで広がっていた。


 破壊僧日顕は、狂ったように嫉妬の炎を燃え上がらせ、遂に、800万信徒の赤誠である正本堂を破壊。更に大客殿をも破壊した。


 私は歴史の証言者となるべく、後輩を率いて壊されている最中の正本堂を見に行った。あの時の衝撃は、写真から受けた印象とは比べものにならなかった。


 この指導は、学会の発展に宗門が追いつけなかったことを明言したものである。さしずめ、宗門の識は江戸時代のままであったに違いない。


 メールマガジンの部数が中々伸びないので、一日おきの発行にしようかなあ、と考えていたが、連日、掲載されている夏季研修の指導を拝し、惰弱なを戒めた(笑)。

2004-08-10

人事の登用は協議と検討を


 人材の登用は

 独断ではなく

 複眼で検討を!

 真剣な協議で

 皆の力を生かせ!


【「今週のことば」/聖教新聞 2004-08-08付】


 これほど具体的な指導の内容は珍しい。次の布陣への真剣なるいを、ひしひしとじてならない。


 周囲の見を聞かずして、長が決める人事を「独断」という。かような人事は、自分が使いやすい人物を重用(ちょうよう)する傾向が強い。


 そうかといって、無策で臨むのは考え物。闘争の中で次の布陣を考え抜き、い切った登用をして育ててゆくのが基本だ。


 後から皆に不信を抱かせるような人事が最悪といえる。だからこそ、「複眼」と「検討」が必要になるのだ。上から見えている世界は、全体のわずかであることを知るべきだろう。


 また、中者が真剣に周囲のを澄ませば、それだけで副役職の幹部に対する人材育成となろう。

中国・重慶でアジアカップ予選


 サッカーのアジアカップでは、見事、日本が2連覇を成し遂げたが、中国人の反日情がマスコミを騒がせている。特に、1次リーグが行われた重慶でのブーイングは凄まじかった。


 我々学会員は、中国に対して強い親しみを覚えるが、マスコミが伝える中国の姿は、どこか鉄仮面をかぶったような傲岸不遜な印象を受ける。


 ブーイングの是非をここで論じるつもりはないが、戦争の傷跡がいまだ癒えてない現実に驚かされた人も多いのではないか。世界広布が決して生易しくないことを、肌で実した。


 その重慶市にある大学からも、先生は既に顕彰されている。アジアカップで見た中国市民のブーイングから、先生の闘争の凄まじさを知った。


中国・西南政法大学から「誉教授」称号授与決定


 中国・西南政法大学(龍宗智学長)から池田誉会長に「誉教授」の称号が授与されることになり、このほど、決定通知書が届けられた。


 同大学のある重慶市は、人口3000万に達する中国有数の大都市。1997年には、北京、上海、天津に次ぐ4番目の中央直轄市に指定され、経済構造の総合的な改革が積極的に行われている。近年は、こうした経済政策が実を結び、内陸部最大の工都市として“重慶の高速成長”と称される発展を遂げている。


 この重慶の発展・変化を支えてきたのが、創立50周年を迎える門・西南政法大学である。


 西南地域の門学府である重慶大学、四川大学、重慶財経学院、貴州大学、雲南大学などの法律分野を統合して1953年に設立された「西南政法学院」が同大学の淵源。


 創立以来、「創造力にあふれ、実践能力に富んだ総合的な人材育成」に取り組み、現在は、法学をはじめ、経済、経営、マスコミ、外国語、工学などの学部・学科を擁する総合大学に発展している。


 このたびの「誉教授」の授与決定に際して、次のような推薦理由が挙げられた。


池田先生は、人間主義のを掲げ、平和・教育に貢献された」「中国と日本の友好への、長年にわたる尽力を讃えたい」


 龍学長は「世界的に著池田先生に、ぜひ、我が大学を訪問していただきたい!」と語っている。


創価ネット2003-06-12】

2004-08-07

休日の過ごし方に生き方が映し出される


 休日の過ごし方は、人様々である。否、休日の使い方にこそ、人それぞれの生き方が鮮明に映し出されるのかもしれない。

 何となくテレビを見て終わる人、趣味に使う人、家族サービスに努める人。中には休日のたびに、夫婦喧嘩を恒例行事のように(爆笑)、繰り返す人もいるかもしれない(大笑い)。

 張り切って旅行に出かけ、楽しいのかとうと、「疲れた、疲れた」と愚痴ばかりいう人もいる(爆笑)。

 それはそれとして、誰しも休日は自由である。自由であるがゆえに、最も価値的に、最も充実して過ごしたいものだと私はう。

 結論的にいえば、道修行こそ、最高の生命の充実を与えてくれる。仮に、はじめは嫌々でも(大笑い)、行動したあとは、他では味わえない、深い爽やかさと歓喜がある。

 また、家族の幸せへの根本の貢献でもある。自身も成長し、他の人にも尽くしていける。社会への最大の奉仕でもある。時とともに永遠に輝くい出を刻むことができる。

 その他、あらゆる価値と福徳が集まっているのが、妙法の世界のありがたさである。その世界に徹して生き抜く時、全てがが生かされ、全く無駄はない。


【第3千葉県記幹部会 1988-04-24 柏文化会館


 休日に境涯が現れるとの指摘にたじろいでいる人も多いのではないか? 中には、休日なんだからと、勤行も休んでいる男子部もいるかも知れない。「ハイ、今日は御本尊様もお休み」(笑)。


 私は未来部の担当を10年間やり切ったが、夏季友好期間になると、どっぷりと未来部と関わった。本部高等部長していた頃は、この時期になると夏季研修を行うのが恒例となっていた。


 9:00に本部拠点に集合し勤行。午前中は御書とスピーチの研鑚。午後から学校の勉強。その後は、ビデオを鑑賞したりした。高等部が勉強している間、担当者は昼寝。目を覚ますと高等部まで昼寝をしていたこともあった。


 3日間にわたって行う夏季研修の掉尾を飾るのは花火大会。ま、大会といっても、ただ花火をするだけなんだけどね(笑)。これが、予以上に盛り上がり、花火の後始末をして夏季研修は終了。


 冬は、なわとび大会を行った。第1回目は私が優勝。相手が高校生であろうと手加減をしないのが信条だ。ちなみに、以前、特養老人ホームボランティアで行ったことがあるが、痴呆老人を相手に将棋をした時も3連勝している。ホームの職員から元で「負けてやってもらえませんか?」と言われたが、「勝負ごとで手を抜くわけにはいきませんから」とキッチリ答えておいた。


 休日だからこそ、題目をたくさんあげることができるし、研鑚に集中することも可能だ。先輩の元を訪ね、じっくりと懇談してもらえば、普段とは異なった先輩の顔も見えるだろう。

犬が折伏を成し遂げる


 東京・墨田区での話題。本尊流布をしたのはラブラドールの「ルフ」。正確な前は「流布」。1118日生まれの生っ粋(きっすい)の学会犬だ(笑)。


f:id:sokaodo:20060711081324j:image


 ルフはボール拾いが大好き。飼い主がボールを投げると、跳ねるようにして追いかけ、素早く飼い主の元に戻ってくる。


 早の散歩で、飼い主同士が行き交い、挨拶を交わし、友好を深める。その中にバルというラブラドールがいた。バルはボール拾いが大嫌い。しかし、学会犬のルフとは大層仲がよく、いつも戯れていた。


 ご主人がボールを投げると、ルフは猛然と走る。バルは大好きなルフの後を追いかける。ルフがボールをくわえ、クルッと振り向くとバルが追いついた。すると、友達いのルフは、自分がくわえたボールをスッと口から離し、ボールをバルに譲った。2匹は仲睦まじく、一緒に飼い主の元へ戻ってきた。


 驚くべきことに、この行為は何度やっても繰り返された。そのルフの行為に激したバルの飼い主である女は、「こんなにお利口な犬は見たことがない!」と信の凄さを痛直ちに入会を決。見事、3.16御本尊送りをしたという。


 この8には、バルの飼い主のご主人も入会する予定。


 学会犬ルフは、今日も広布に走る。


【追伸】我が地区で成果が出なくなったら、ルフを借りてこようと考えている(笑)。


ルフの後日談


 先ほど、「これは、本当の話なのか?」という問い合わせを頂いた。そんなわけで、後日談を書いておこう。バルの飼い主は8に入会した。その後、先に信したバルの飼い主夫人が弟の折伏を決めた。更に、ルフの飼い主は、職場の後輩に御本尊流布をし、続いて今年の12日には行きつけの喫茶店夫婦の折伏を実らせた。ルフのご主人は、この5年間で9世帯の折伏をしているそうだ。

2004-08-06

40代の危うさ


 石川達三の小説に『四十八歳の抵抗』というのがあるが、これは、40代の危うい一面を示した作品ともいえる。皆さま方のなかにはすでに40代に入った人も大勢いる。また40代に入ろうとしている人もいる。その味からも40代の特質について、今日は一言しておきたい。

 40代になると、まず肉体的に衰えが見えはじめ、生命力も落ちてくる。また、子供も大きくなり、進学等の問題も出てくる。経済的にも大変な年代となる。また、職場などでも、自分の人生の先が見えはじめてくるといった状態になる。家庭にあっても、妻も強くなってくる(笑い)。さらに、子供の自己主張も強くなり、そうそう父親の言うことは聞かなくなる。

 つまり、すべての面で、次第に行き詰まりが生じ、未来への希望が失われるようにみえる年代が40代といえよう。それにつれて、理、信に向かって一途(いちず)に突き進もうとしていた青年時代とは異なり、信も知らずしらずに濁りはじめ、現実をうまく泳いでいこうというずるさに傾斜していきがちである。こうした一番危ない年代が40代であるといっても過言ではない。

 青年時代に活躍をしながら、途中で反逆し、退転していった人たちの多くも、40代、あるいは、それ以上の年代である。

 概(がい)して20代というのは清らかである。30代になっても、まだ純粋さがある場合が少なくない。しかし、40代になると、ひとつの岐路にさしかかり、濁りを生じてくることが多いようだ。

 かつて戸田先生は「40代を第三代会長にすることはないだろう」といわれたことがある。また「40代では、これからの“広布長征”の指揮をとるには、あまりにも先が短すぎる。青年に任せるしかない」ともいわれていた。それは、40代の傾向を見極められ、熟慮された上でのことであったと実している。

 この40代という厳しい年代を生きる上で大切なことは自らの誓いを裏切らず、自己の立場、環境を嘆かず、前へ前へと進んでいく自分白身を、いかに築くかにあるといっても過言ではない。

 文句や愚痴をいっている人には激がない。歓喜もない。自らの生命をますます暗くし、閉ざしてしまう。そして自分も複雑にし、人々をも複雑にしていくだけである。

 伸一会の皆さまは、けっしてそうであってはならない。志のために、堂々たる賢者の人生を生きぬいていただきたい。

 南条時光に与えられた「上野殿御返事」の追伸に「人にあながちにかたらせ給うべからず、若き殿が候へば申すべし」(御書1507頁)と仰せられている一節がある。

 この御文について日亨上人は「中年老年の者は謗法の毒が髄まで廻(ま)わっている。一寸(ちょっと)、法華の新義を嗅(か)ぎ附(つ)けても顰蹙(ひんしゅく)する。悪口する。迫害する。但(ただ)では通さぬ。青年は毒気が薄いから法の理非が解(わ)かる。老人は相手になさるな。少年の殿の腕では、却(かえ)って危険である。冠者原(かんじゃばら/若者の)には話して御覧なさいと親切な御注である」と述べられている。

これは折伏の相手についての御教示であるが、中年・老年と若者との生命状態の違いを示されている。

 年をとってくると、どうしても濁り、我見でものごとを自分の都合のよいようにみてしまいがちである。それに対して、青年のは清らかであり、みずみずしい生命をもっている。信の話もぐいぐいと吸い取っていく。ここに、年を経ていくにつれて陥りやすい生命の根本的な傾向があることを知らねばならない。

 皆さま方は、今やその年齢に入っている。信にあっても、組織上の立場にあっても、また人生の途上にあっても、曲がり角にきているといえよう。それを、どう確固として乗り切っていけるか、また、いくか。乗り切ることのできた人こそ、広布と信にあって、後世の歴史に永遠にを残す人となっていけるのである。

 その信の栄光は、自分白身のみでなく、子孫末代にまで福運、功徳となって輝いていくのである。ここに法の因果があり、勝負がある。それを知らず、目先の利害にとらわれて要領よく生きたり、少々の生活などのためにうまく立ち回って信の世界から離れてしまえば、自分自身はもちろんのこと、子孫末代ま毒しいいをさせることになってしまう。

 皆さま方の年代、立場は、たいへんに重要な存在でありながら、ある味でもっとも利害にさとく、慢になり、ずるく卑しいが出てくる傾向があるといってよい。それに負けて、信の道を踏み外すようなことがあっては絶対にならない。

 60、70歳への人生はあっという間である。その時に、子供に迷惑をかけ、頼むべき友人もなく、退転者の悲しきを残して寂しく人生を送るような姿となっては、これほどみじめであわれなことはない。そのような敗北者になってほしくないがゆえに、今日は一つの戒めとして申し上げたのである。


【第13回伸一会総会 1986-07-31 創価文化会館


 この指導は、私が上京する際、唯一つ携えてきた指導。当時、23歳だったが、その厳しき内容から、我が人生の頂門の一針とすべくして拝してきた指導である。


 先生は冒頭、「私は、この会合には出たくなかった」と言われたと聞く。伸一会は最高幹部の人材グループだった。だが、この中から裏切り者が出た。伸一会の会合の内容が、俗悪週刊誌に漏れていたのだ。先生の厳しい言葉は、団結の弱さを衝いたものであり、脇の甘さをたしなめたものだったに違いない。


 年齢と共に濁りゆく生命を破折し、人生でどのような行き詰まりがあろうとも、若き日の誓いに生き抜けと教えられている。


 確かに現実として、青年部を卒した途端、雲がかかったように覇気を無くしてしまうメンバーもいる。こういう面々は“役職命(いのち)”なんでしょうな。高い立場でないと戦えないのであれば、自分自身に生きるのではなくして、役職に生きていると言われてもやむなし。かような者は、訓練不足を恥ずべきである。


 大体が、青年部の時にしっかりと家庭指導をやり抜き、地区にきちんとと入っていれば、そんなことになるはずがないのだ。所詮、青年部時代からデタラメな活動をしていただけの話だろう。


 牧口先生戸田先生は、牢獄の中でも戦い切った。その歴史の刻印を知っていれば、役職なんぞ関係ないはずだ。幹部だから偉いのか? そうではない。戦っている人が偉いのだ。役職は方便である。信が強ければ、どのような役職であろうとも、自分自身を発揮しながら、最高の使命を果たしゆくことができる。


 長野にて、恒例の夏季研修。厳しい指導の連続であると聞く。しっかりと、聖教新聞に掲載された指導の行間を読み切って参りたい。

『新・人間革命』執筆の日


 今日は、『新・人間革命』を執筆(1993年)された日である。1945年(昭和20年)のその日、広島に原爆が放たれた。「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」との書き出しは、人類が目指すべき道標であり、軍に対するの軍勢の宣言でもある。


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 大聖人の時代には、文永の役(文永11年/1274年)で、世界でも初めてといわれる火薬武器の洗礼を受けた。立教開宗から20年後のことである。そして、牧口先生戸田先生が入信(昭和3年/1928年)してから17年後に核の洗礼を受けたのである。時代は700年を経ているが、共に人類の尊厳なる生命を脅かす兵器が登場し、大量虐殺を可能にした歴史の間(はざま)に、の軍勢が湧き出てくるのが不議だ。

2004-08-02

ジョージ・マロリー


 彼が最高峰を目指したのは、ある味で当然である。最高峰を制する者こそ、登山家としての最高峰を味するからだ。大山に登れば大山に、高峰に挑めば自らも高峰になっていく。

 マロリーは、エベレストを初めて見た激を、こうつづっている。

「世界の巨峰の中の最高峰であるこの山は、未(いま)だ曽(かつ)て人類の挑戦を受けず、唯我独尊の裡(うち)に厳然として、全ての山々を領有する支配者として、ただ単に荘厳な態度を示していれば良いと言うかのように見えた」(クラーク『大登山家の歴像』杉田博訳、現代旅行研究所刊から)

 まさに、エベレストは、王者の風格であった――。

 マロリーは、この3回目の遠征で不帰の人となる。しかし、山の王者に挑み抜いた生涯に悔いはなかったにちがいない。

 何事であれ、深き決なくして、後世に薫る偉は達成できない。安直なでは何事も最後まで成し遂げることはできないものだ。それは、古今東西に共通の真理である。広布と一生成への道も、また同じである。


【第19回全国青年部幹部会 1990-01-08 創価文化会館


 ジョージ・マロリー(1886-1924年)は、「なぜ、山に登るのか?」と問われ、「そこに山があるからだ」と答えたことで有。長編詩「青年よ21世紀の広布の山を登れ」の冒頭にも書かれている。この山とは、エベレストを指したものであることは、さほど知られていない。


 エベレストの初登頂は、1953年529日にイギリス登山隊のエドモンド・ヒラリー卿とシェルパのテンジン・ノルゲイによって成し遂げられた。この29年前の1924年68日にマロリーは果敢なアタックを試みるが、第2ステップの所を登った直後、行方不明となった。長年にわたって、マロリーがエベレストの頂点を踏んだかどうかが謎とされてきた。1999年51日、アメリカ捜索隊により、マロリーの遺体が75年の歳を経て、標高8230m付近で発見された。


 私の人生でこれほど衝撃を受けた写真はない。死して尚、最高峰を目指す姿は、修羅の如き一そのものだ。


 我が境涯の8848mをして目指したい。

知識から智慧へ


 まず第一は「知識から智へ」という命題であります。

 私の師戸田会長は、「知識を智と錯覚しているのが、現代人の最大の迷妄である」と鋭く見破っておりました。確かに、現代人の知識量・情報量は50年前、100年前に比べて飛躍的に増大しておりますが、それがそのまま幸福をもたらす智につながっているとは、とうてい言えません。

 むしろ「知識」と「智」のはなはだしいアンバランスが不幸をもたらす場合があまりにも多い。それは、近代科学の粋が核兵器に直結していることや、先ほど申し上げた「南北の格差」の広がりなどに、如実に表れております。

 空前の高度情報化社会を迎えた今、膨大な知識や情報を正しく使いこなしていく「智」の開発は、いよいよ重大な眼目となっているのではないでしょうか。

 例えば、発達した通信技術は、民衆の「恐怖」と「憎悪」を煽るために悪用される場合もある。その一方で、教育の機会を世界に拡充するために活用することもできます。それを分かつのは、人間の「智」と「慈愛」の深さなのであります。


【講演「平和と人間のための安全保障」 1995-01-26 ハワイ・東西センター】


「水の結晶」と「7.5Hz」の怪文書が今でも出回っている地域があるとのこと。情報化社会は、誤った情報に踊らされやすい社会の異であることを自覚したい。


 この手の怪情報は10〜15年おきに登場している気がする。以前にも、「先生の指導」と称した、もっともらしい文書のコピーが全国を席巻したことがある。


“ありがたい話”を盲目的に信じ込むのは邪宗教のいき方である。


 智とは生きる力そのものであり、行き詰まりを打開せしむる生命力の謂いでもある。そして、生命の変革を伴う英知の飛翔だ。決して、“悪知恵”の反語といったレベルのものではない。


 もう一歩踏み込んで自分を振り返ってみると、先生が話される言葉の一つ一つは、戸田先生の元で熾烈な訓練を受け抜き、57年余りの大闘争の上から発せられたものである。それを小賢しくも、通り一遍読んだだけでわかったような気になっていれば、釈尊の弟子が如是我聞したのとは全く異なる次元となってしまう。「なぜ、今、この指導をされているのか?」この一点を呻吟(しんぎん)するようないで求め、祈りと実践の中で師弟が不二となるリズムをつくらねば。