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2004-08-11

寺院寄進


 寺院も、いくらでも建立したいのでありますが、いかんせん、お坊さんが足りなくて、十ヶ寺、十何ヶ寺ずつ造らねばならない現状でありますが、態勢は色々と組んでおります。


【関東第一総支部結成大会 1960-09-02 台東体育館】


 これが歴史の真実である。1960年(昭和35年)は池田先生が会長に就任された年。


 仏勅創価学会が出現するまで、日蓮正宗はたった四十数ヶ寺の小さな小さな教団だった。遠く江戸時代には「勝劣派」と号し、明治に至ってからは「興門派」、「富士派」と乗っていた。所詮、日蓮宗の中の“吹けば飛ぶような派閥”に過ぎなかったわけである。


 戸田先生が会長に就任されてから3年後の昭和28年(1953年)531日、正継寺(神奈川県相模原市)が建立。これが、学会寄進の寺院第1号となった。以降、学会の会館整備は最小限に抑え、全てに優先して宗門の興隆に努めてきた。


 平成2年(1990年)1221日、三重県の徳寺を寄進し、これが356ヶ寺目となった。この6日後に日顕は、池田先生の総講頭を罷免(ひめん)した。


 先生が第三代会長に就任してからは、300ヶ寺以上が寄進され、総本山大石寺が所有する土地も、昭和35年(1960年)当時は16万坪だったのが、117万坪にまで広がっていた。


 破壊僧日顕は、狂ったように嫉妬の炎を燃え上がらせ、遂に、800万信徒の赤誠である正本堂を破壊。更に大客殿をも破壊した。


 私は歴史の証言者となるべく、後輩を率いて壊されている最中の正本堂を見に行った。あの時の衝撃は、写真から受けた印象とは比べものにならなかった。


 この指導は、学会の発展に宗門が追いつけなかったことを明言したものである。さしずめ、宗門の識は江戸時代のままであったに違いない。


 メールマガジンの部数が中々伸びないので、一日おきの発行にしようかなあ、と考えていたが、連日、掲載されている夏季研修の指導を拝し、惰弱なを戒めた(笑)。