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2004-09-03

用心すべきネット社会


 私がインターネットを始めたのは1999年のことである。パソコンを買ったのが1998年で、半年ほどはタイピングの練習に明け暮れた。で、タッチタイピングができるようになった頃、ネットに接続した。


 下劣掲示板における、くそアンチどもの薄汚い書き込みには随分と閉口したが、あの頃はまだ、学会の猛者(もさ)ともいうべき人々が多数、存在していた。


 創価系掲示板が衰退する方程式がある。それは、学会員同士が小競り合いを始め、信の強い人が、相手に不信を抱かせないために身を引くというものだ。その結果、言論勇者達はネットの表舞台から去って行った。今では、クローズドされたスペースで研鑚を行っているグループがいくつもある。


 私がそもそも「創価仏法研鑚掲示板」を開設したのは、日蓮論に異を唱える頓珍漢学会員を呼び込むのが目的だった。それ故、敢えて、「日蓮法」ではなくして「創価法」と謳(うた)ったのだ。


 それからというもの、実に色々な学会員の姿を見てきた。当初、私も様々な創価系掲示板に書き込みをしていた。ただ、あまりにも学会員の愚痴が多く、辟易した。黙ってるわけにもいかないので注をすると、管理人からたしなめられたこともあった。「組織で言えないことを自由に書いてもらうのが、この掲示板の目的だ」と。そんな掲示板は私がいるべき場所ではなかった。


 ネットの危険として「スピード」が挙げられる。例えば、自分に対する誤解や中傷があったとしても、これが手紙であれば、紙を用し、ペンを執るまでに、が冷静になる。だがネットの場合、瞬時に反論が可能となる。ここにネットでのやり取りが激しやすくなる罠があるのだ。


 学会員を乗ってはいるものの、どの程度の信なのかは誰にもわからない。同じ学会員という立場でやり取りしていても、書くことが手な一級の活動家と、文章がそれなりに書ける未活動のメンバーというケースもある。


 ところが文字情報だと、何とはなしに文章の上手い方が説得力があり、信があるように見えてしまうから不議だ。


 近頃では、幹部批判を繰り返す愚かな男子部も目立つ。現実の組織で、堂々と見を述べている人間は絶対にこんな真似はしないはずだ。弱い自分の傾向を見つめようともしないで、組織で溜まったストレスネットで発散する姿は浅ましいにもほどがある。


 数年前には、ある地域での人事内容や、組織で起こった事件の顛末(てんまつ)などを記したサイトもあった。ここは1週間で私が潰した。


 女子部や婦人部に、自分の顔写真を添付して、片っ端から送りつけていた男子部もいた。


 相談メールを装って、この私をたらし込もうと企てた女子部もいた。


 学会員はとにかく人がいいから騙されやすい。のスキを見せれば、自分が傷つく結果となることを戒め合いたい。また、自分の見に対して素早い反応があるために、極度のネット依存となるケースも見受けられる。こうなると自我が極端に肥大化してゆき、生活とはかけ離れた言葉遊びとなってゆく。


 最低限、以下の現実をわきまえておきたい。

  • 学会本部自体がさほどネットに力を注いでいないということ。
  • 活動家は多忙なため、ネットに費やす時間が乏しい、あるいは全くないということ。
  • くそアンチどもの言論には、社会に対する影響力が殆どないこと。
  • 学会員、あるいは元学会員を騙(かた)った日顕宗信徒や共産党員が多数、存在すること。
  • ネット人口においては、現実社会を上回る割合の鬱病・引きこもりがうようよしていること。
  • まともに活動してないネット活動家がいること。

 初者だと、ネットサーフィンをしながら、歯ぎしりするようなことも多いだろう。だが、現実の世界で1mmでも広宣流布を推進する人が、真の学会健児だ。


 ネットは情報交換という程度にしておくべきである。ネットは所詮、ネットに過ぎないからだ。但し、私は過去にメールのみのやり取りで本尊流布を1世帯成し遂げているし、ネットで知り得たかけがえのない同志も数いることを申し添えておく。

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