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2004-10-31

携帯の普及によって失われた緊張感


 携帯電話が無かった頃、報告をとるべき副本部長や副部長は、急いで自宅に帰ったものだ。ファックスだけで報告を済ませるわけにはいかなかった。それぞれの組織の“数字に現れてない状況”を掌握するためだった。だから、当然だが、部長や地区リーダーは走って家に戻ることも珍しくなかった。


 携帯の普及によって、こうした緊張感が無くなった。更に、通話料の高さも見逃せない。相手から掛かってきたことをいいことに、長々と雑談に耽(ふけ)る場面もよく見受ける。年間にすれば、10万円以上の金額を支払っている幹部も多いことだろう。


 怠慢な幹部になると、日程は全て携帯メールで行い、確認もしないという情を耳にしたことがある。上の方の幹部ともなると、着信履歴に残っているはずなのに、知らない番号には掛け直さない人も多い。

 牧口先生は無駄に対しては厳しかった。ある教員の授を見て、「教室に30人の児童しかいないのに、君は50人分の声を出している。無駄な声を出してはならない」と指摘したエピソードはあまりにも有名牧口先生から、携帯電話の使用について注意されないようにしたいものだ。

2004-10-30

デマと戦え


 民主主義の現代でいえば、“真実を見極められない国主”とは、嘘を容認してしまう社会、デマを傍観してしまう社会の存在に通じるといえます。

 いかなる嘘やデマも、そのまま放置すれば、結局は、人々のの中に沈殿して残ります。ですから、嘘やデマと戦えない社会は、必ず精神が衰退し、歪んでしまう。それ故に、末法広宣流布は、人々の無明をはね返して、人々の精神の奥底(おうてい)を破壊する謗法を責め抜いていく、強く鋭い言論の戦いが絶対に重要となっていく。その戦いがあってこそ、社会に健全な精神を取り戻すことができるからです。


【「開目抄講義」第7回 法華経の行者/『大白蓮華2004-11号】


 狩猟民族は一人で狩りをするので独立に富み、農耕民族は団体戦のため、協調が秀でているといわれる。文明が発達してない時代において、農耕民族における村八分は文字通りの死を味したことだろう。


 協調は美徳だが、これが撥(は)ね返ってくると、「言いたいことも言えない」ような閉ざされたコミュニティになりがちだ。また、依存し合い、もたれ合う関係になりやすい。


「寄らば大樹の陰」「長い物には巻かれろ」などという俚諺(りげん)は、生きていくためには、どうすることもできなかった弱い人々にとって、必要な術(すべ)だったのだろう。こんな社会では、周囲と異なる見を述べる人物は嫌悪される。情報操作もたやすい。徳川時代の統治のスタンスは、「民は依らしむべし、知らしむべからず」(『論語』)というものだった。一人のは必要とされず、周囲の風になびいていればよかった。


 現代にまで残る「お上」という言葉などにも、わざわざ、「お」をつけるほど、権力に隷属させられてきた歴史の残滓(ざんし)が垣間見える。日本に哲学が無かったのも当然である。良や正義に照らしてをあげれば、死が待っているのだから。


 このような民族であるから、噂話や風聞の類いを、何の検証もすることなく鵜呑みにしてしまうのは飯前だ。決して、自分の眼で確かめようとしない。「皆が言ってるから、確かにそうなのだろう」「火のないところに煙は立たない」という程度の判断基準しか持たない。「お上」という言葉に逆らえない象が、メディア情報に対する無防備なまでの信仰を形成する。我が国の「村社会」は「イジメ社会」でもある。


 その日本にあって、創価学会ほど嘘とデマに見舞われた団体もなかった(最近では、『週刊金曜日』、『週刊ダイヤモンド』、アメリカの経済誌『フォーブス』がデマ報道を行った。ダイヤモンド社の高塚猛社長は公式に謝罪を表明)。だが、学会は、全ての嘘とデマをはねのけ、世界190ヶ国にまで広がった。


 その原動力は、嘘に対して黙っていることのできない民衆の言論戦にあった。民主主義はともすると衆愚に陥る危険が常にある。学会員による言動は、民主主義社会に真実を宣言する“衆賢運動”でもあった。先生とも親交の厚いエイルウィン元チリ共和国大統領は、「嘘は暴力にいたる控え室です。『真実が君臨すること』が民主社会の基本です」と述べている。


 嘘は一人歩きする。一人歩きした嘘が多くの人々のを蝕んでゆく。デマを打ち破るには、こちらから打って出るしかない。


 本日、牧口記会館にて、そぼ降る雨の中、北海道総会が行われた。弟と後輩が我が家に泊まる。変わらざる人間の中に、確かな成長の軌跡あり。

政治評論家の屋山太郎が、静岡新聞にて学会批判


宮本


 公明党が外国人参政権を推進するのは、創価学会の勢力拡大に利用するためだと1025日の静岡新聞に屋山太郎(ややま・たろう)執筆の「論壇」が掲載された。それによれば、在日外国人の参政権問題は金大中氏が大統領時代に、池田大作創価学会誉会長に求め、その代わりに韓国における創価学会の「布教禁止措置を解く」との合がされたとしている。この記事を巡って、アンチはもとより、右翼系掲示板でも取り上げられている。


 本来の主旨は「外国人参政権に反対」であるにも関わらず、創価学会批判に躍起になっているのはおかしい。批判というものは、的確な証拠や根拠を示して理論的に展開すべきものだ。ところが、ここに創価学会の批判が加わると、なぜか左翼系との対決に示す理論的な展開の努力が見られない。


 批判できるネタであればそれでいいんでしょうね、きっと。共産党も社民党も哀れなほど衰退しちゃってるから、新たな標的を求めている気もします(ただ、イラク派遣に関しては公明党を見直す態度でしたが、結局、これも一時的な情であったみたいです)。


 最後に屋山太郎氏とはいかなる人物なのか、彼は政治評論家(ということに)なってます。


 1.屋山氏は昔から行革を叫び続ける一方で、小沢一郎氏のブレーン?としても有な方で反自民党です。


 2.2000年1111日「信教との自由を守る会」の第1回決起大会にて講演。

一部紹介――白川勝彦氏の講演に続いて、ジャーナリストの乙骨正生氏、政治評論家の屋山太郎氏による講演。その後、乙骨正生氏を司会進行役として、屋山氏、ジャーナリストの野田峰雄氏の三氏によるパネルディスカッションが行なわれ、創価学会公明党の政権入りについて、これまでの両団体の歴史を振り返りながら、その危険を指摘した。


 3.こんな本も出してます。『自民党・創価学会亡国論』。



 是非を論じるのはもちろん自由ですが、政治評論家ともあろう者が根拠を提示せずに断定してますね(笑)。


 以下、自由国民社の『現代用語の基礎知識』の該当項目を併記しておきます。判断と検証は、各人にお任せします。一般の時事解説の代表的見解です。

  • 『現代用語の基礎知識 2003』より

外国人の地方参政権 がいこくじんのちほうさんせいけん Right to Vote of Foreign Residents


 外国籍の住民に自治体首長議会議員の選挙権・被選挙権を認めること。在日韓国・鮮人を中に要求が進み、岸和田市をはじめ、全国で1200余の地方議会で付与を国に要請する決議が可決されている。1995年(平成7年)228日に最高裁が永住者等に地方選挙権を付与することは憲法の許容範囲であるとの画期的な判決を示した。政府は、98年に、金大中韓国大統領の訪日の際にこれの制度化を約束し、99年の自自公政権発足時の政策協議でも制度化が合され、2000年秋には連立与党間で本格的な検討が始まったが、自民党内に抵抗が強く、航している。他方、自治体では、滋賀県米原町のように、住民投票への参加を条例で認めるものが増えている。


 現代用語の基礎知識では、「政府は、98年に、金大中韓国大統領の訪日の際にこれの制度化を約束し」となっています。


【「創価仏法研鑚掲示板」より転載】

2004-10-29

頭に刻め生命に刻め


「私は、生きた学問を教えたいのだ」というのが、開講にあたっての戸田の言葉であった。

 戸田は、授中、ノートをとることを許さなかった。彼は、こんな話をした。

 ――ある蘭学者が、長崎でオランダ医学を学んだ。すべて書き取っていたため、筆記帳は行李いっぱいになった。ところが、海を渡って帰る途中、船が沈んで、筆記帳を失ってしまった。頭のなかには、何も残っていなかった。

「だから、君たちは、頭のなかに入れておくのだ。メモはだめだ」

 伸一は、毎回、生命に刻みつけるいで、戸田の授を聴いた。

 この講義は、戸田が他界する前年の57年(昭和32年)まで続けられたのである。

 戸田は、まさに全生命を注いで、伸一をはじめとする青年たちを育てたのだ。


【『新・人間革命』「羽ばたき」6 聖教新聞 2004-10-15付】


 この“戸田大学”に、私が知る先輩も参加していた。現在も、広布最前線で会員の激励に奔走されている。その揺るぎない信から、多くのことを学んだ。戸田先生池田先生の指導が、骨身に染み込んでいるかの如く、言葉の一つ一つに代々の会長の精神が漲(みなぎ)っている。それは過去に教わった知識ではなく、現在に生きる人々をも蘇生させる智そのものである。師匠と直結することによって、人生の荒波を乗り越えてきた草創の大先輩の後に続くを誓うのみである。


 この指導は、昭和40年代のスピーチでも紹介されている。


 ある教育者が、「学ぶということは、変わることである」と言っている。学ぶことによって蒙が啓(ひら)かれれば、進むべき道は広がる。戸田先生の胸の中には、「学ばずは卑し」「学は光」という牧口先生の教えが脈動していたに違いない。


 虫眼鏡などによって光を集中すると、高熱を発し紙が燃え上がる。人間も集中すれば、信じいエネルギーを発する。ベストセラー『頭の体操』で有な多湖輝(たご・あきら/千葉大学誉教授)氏がこう書いている。


(歴史上に登場してきた)天才のの中にひそむ、炎のような情熱と、創造への志は、それ自体ひとつの謎であり驚異であるが、これを、現実の偉大なる績に結びつけたものは、彼らの精神が持つ、極度の集中力であったことは間違いない。いわば“天才”とは、集中力の達人と言い換えてもよい。


【『集中力がつく本』(ごま書房)1981年】


 また、「集中力とは、孤独・内閉に向かう力だ」とも。対象と自分との間にピンと糸を張り詰めた状況が集中だ。


 祈りも集中だ。激励も集中だ。折伏も集中だ。御書講義も集中だ。


 釈尊は経典を文字として残さなかった。滅後に大勢の弟子が集まり、「是(かく)の如きを我聞きき――」と多聞第一の阿難が経を誦(じゅ)し、全員が「確かにその通りだ」と賛同するまで繰り返されたと伝わる。


 彼の千人の阿羅漢の事をひいでて涙をながし、ながしながら文殊師利菩薩は妙法蓮華経と唱へさせ給へば、千人の阿羅漢の中の阿難尊者はなきながら如是我聞と答え給う、余の九百九十人はなくなみだを硯(すずり)の水として、又如是我聞の上に妙法蓮華経とかきつけしなり(1360頁)


 あらゆる経典の冒頭に、“如是我聞”の四字がある。天台大師は、「我聞とは能持の人である」と述べている。


 いつの日か我々も、涙と共に、「あの日、あの時、池田先生はこのように指導された」と語る日が来ることだろう。その時に、悔いを残さないためにも、今なされている指導を如是我聞しなくてはならない。

真心からの激励を


 子供の頃に刻んだい出は、生涯、鮮烈にに残り、光を放っていく。その後の人生、生き方にも、深く、大きな影響を及ぼしていくものだ。

 ゆえに私は、未来部の担当者の方々がどれほど大切であるか、と申し上げておきたい。高・中等、少年部の若き友に対しては、くれぐれも真からの指導・激励をお願いしたい。少年少女のは、まことに多である。それだけに、一時の情で叱ったり、ウソをついたり、に傷をつけてしまえば、取り返しのつかないことになる。反対に、多に刻まれた真の励ましが、どれほど生涯の成長の源泉となるか。後継の育成に当たる方々は、この点を強く銘記していただきたい。


【第2東京・小金井圏第1回総会 1988-06-17 創価文化会館


 未来からの使者を大切にし、どう育てていくかによって、学会の将来は決まる。


 私は郷里にいた頃には中等部を、上京してからは高等部を担当してきた。9年間にわたって若き同志と共に成長の軌跡を歩んできたこと自体が、人生の宝である。その時のメンバーが、現在、男子部の本部幹部・部幹部として多くの後輩の面倒をみている。


 今はある面で非常にしい時代だ。アイデンティティが崩壊し、家族の機能が失われ、共通の価値観や倫理すら見出しにくい。社会全体が、キレル子供を恐れて、注すらしなくなった時代でもある。


 昔、こんな話を聞いたことがある。「少年部は親の責任、中等部は親半分・担当者半分、高等部は担当者の責任」と。まことしやかに聞こえたが、そんな客観的な見方など私にはどうでもよかった。「何言ってやがるんだ。全部、担当者の責任だ」と私は胸の内で呟いた。


 親が担当者の味方とならないケースも多い。親が教えてないことまで、教えなければならない場面も多い。


 ある高等部員会でのこと。私の地域は大層、盛り上がっていたので、他区からの見学者まで来た。私は当時の〈区〉男子部長に入ってもらった。会合の最中で、私はある高等部を注した。膝を抱えて座っていたからだ。「公の席では、あぐらか正座かどっちかにしろ」と言った。


 会合を終えて、〈区〉男と拠点を出ると、「小野ちゃん、さっき注してただろう。ああいうことは大事だよな。今、未来部に対して、そういうメッセージを伝える担当者が本当にいなくなった。今後もしっかりと面倒をみて欲しい」と言われた。


 実は注どころか、怒鳴りつけたり、胸倉をつかんだことも一度や二度ではなかった(笑)。ただ、それだけの人間関係は作ってきたつもりだ。


 人事という観点から見ると、高・中・少の内、高等部担当者が中的な役割を担える人が望ましい。また、ただ子供が好きだからといって、少年部の担当者にさせるのはよくない。子供との距離が近過ぎて、しっかりと指導できなくなるからだ。


 更に細かいことになるが、車での送り迎えや、会合終了後にお菓子を出すことは好ましくない。こうしたことが当たり前になると、バスで行くようなことがあった場合や、お菓子が出なかった時に不満が出るからだ。


 昨夜、我が地区の学生部が本尊流布。50人ほどが集まり、盛大な授与式となる。「飢国(けこく)より来つて忽(たちま)ち大王の膳に遇うが如し」(385頁)の経文を引いて激励す。

2004-10-28

「正義」の揮毫について


 私が、かつてしるした「正義」の揮毫について述べたい。〈その場で墨痕鮮やかな「正義」の書が紹介された〉

「正義」――この文字は、あの嵐の昭和54年(1979年)、第三代会長を勇退した直後の55日、神奈川文化会館で認めたものである。

 その2日前の昭和54年53日、創価大学の体育館で本部総会が行われた。それが実質的な“会長辞任の総会”となったのである。

 その陰には、嫉妬の宗門と結託した醜い反逆者たちのさまざまな陰謀があった。

 しかし、どんな立場になろうとも、私は変わらない。

 正義は、どこまでいっても正義である。

 世界の広宣流布を成し遂げていくのだ! 愛する同志のために戦い抜くのだ! 

 こう深くに期した私は、総会の終了後、学会本部には戻らず、神奈川文化会館へ向かった。

 横浜の港から、洋々たる海を見ながら、世界広布の新たな指揮を取り始めたのである。

 その神奈川文化会館で55日に書きしるしたのが、この「正義」の二文字であった。

 脇書には、「われ一人正義の旗持つ也」と綴ったのである。


 師の戸田先生は「第三代会長を守れ! そうすれば、創価学会は盤石であり、広宣流布は必ずできる!」と遺言された。

 この厳命に背いた人間たちもいた。

 そして、勇退から25年を経た今、反逆の輩は無惨な末路を迎え、宗門は衰退の一途をたどっていることは、皆さんがご承知の通りである。

 私は勝った。正義の学会は、厳然と勝ったのである。


【各部代表者会議 2004-10-28 創価文化会館


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2004-10-27

民主・菅氏 事実確かめず、お粗末質問


 新潟県中越地震などの災害に関する審議を行った26日の衆院国土交通委員会で、民主党の菅直人前代表の北側一雄国交相(公明党)に対する質問には、ホトホト呆れ果ててしまった。


 菅氏の質問を要約すると、自民、公明両党の連立政権は小渕内閣から現在の小泉内閣へと続いているが、小泉内閣での政権合文書は公明新聞をいくら調べても見つからない――として、「政権合もなく政権に加わるというのは野合と言われても仕方がない」と一方的に批判したのである。


 事実はどうか。小泉内閣の発足は2001年4月26日夜。前日の25日夜には自公保3党首が「3党連立政権合」に署した。政権合は当然しており、4月26日付の公明新聞には党首会談の記事と「政権合文書」の全文もきちんと掲載されている。要するに、菅氏の調べ方が悪かっただけの話なのである。


 時の政権を「野合」と批判し、災害対策に関する貴重な時間を割いてまで行った質問にしては、お粗末極まりない。


 しかも、菅氏は23日に自身のホームページで「新潟で地震。あい続く天災をストップさせるには昔なら元号でも変えるところだが、今必要なのは政権交代ではないか」とのコメントを掲載。さすがに「不謹慎」との批判メールを受けて、24日には同ホームページ上で謝罪したばかりなのである。


 菅氏と言えば、民主党代表だった今年1月、衆院本会議(各党代表質問)でイラクへの自衛隊派遣問題で「ウソ質問」を行ったことも記憶に新しい。党代表辞任後には“充電期間”もあったと聞くが、その成果は今のところ見られないようだ。政治家の発言は重い責任を伴うことを改めて肝に銘じるべきだろう。


【「編集メモ」 公明新聞 2004-10-27付】

2004-10-26

「大道の歌」ウォルト・ホイットマン


 さあ、出発しよう! 悪戦闘をつき抜けて!

 決められた決勝点は取り消すことができないのだ。


【『草の葉』富田砕花訳(第三文明レグルス文庫)】


 さあ、行こう! 闘と闘争のなかを乗り越えて!

 すでに指示された目的地は、いまさら取消すことは出来ないのだ。


【『ホイットマン詩集』長沼重隆訳(角川書店)】


 出かけよう、闘争と戦争をくぐりぬけて、

 いったんざした目的地は今さら取り消すわけにはいかないのだ。


【『草の葉』(全3冊)杉木喬、鍋島能弘、酒本雅之訳(岩波文庫)】

2004-10-25

より厳しい方を選べ


 信仰とは、いかなる圧迫にも、また誘惑にも負けないことである。悪の汁は甘い。ひとたび味をしめれば、急速に信の「」を破っていく。

 信仰とは、むしろ、より厳しい方へ、激しいへと、勇んで進みゆく生き方にある。そこにこそ、人間としての崇高な輝きもあり、成長もある。


【第1回神奈川県支部長会 1988-06-12 神奈川文化会館


 朱線が引かれたこの指導の上に、「平成4年1130日 本日まで、この指導で進んでくる」と書いてある。1992年までの4年間、私はこの指導にしがみついて、師の後を歩んできた。若き生命に焼きつけられた鮮烈の指導。我が青春の魂といっても過言ではない。


 人生とは選択の異だ。常に十字路に立たされ、前後左右、四方八方のいずこへゆくかは自分で決めている。ま、上下はしいでしょう(笑)。、起きてから、夜、布団に入るまで選択の連続だ。そして、自分がいかなる基準で選択したかによって、身口意の三業となって生命に刻印される。


 然るに一切衆生は法真如の都を迷い出でて妄顛倒(てんどう)の里に入りしより已来身口意の三業になすところ善根は少く悪は多し、されば経文には一人一日の中に八億四千ありの中に作す所皆是れ三途のなり等云云(471頁)


 秘とはきびしきなり三千羅列なり是より外に不議之無し(714頁)


 典の「億」は現在の10万に相当するので、84万回にわたってが動いているという勘定になる。今、24時間で計算してみたところ、1秒あたりに9.7となる。


 仁王経では「一の中に九十刹那あり、一の刹那に九百の生滅を経る」と。また、一弾指(指をパチンと弾いた時間)の65分の1を一(一刹那)という説もある。億が100万であれば、1秒あたり972となるので、仁王経の文とほぼ一致する。ま、いずれにしても、時間の単位は時代によって異なるので、正確なものではない。ただ、人間の五から入ってくる情報を瞬時に処理する脳の機能を踏まえると、さほど不議な話ではないだろう。「八万四千の法門」にかけた数とも考えられるが、いずれにせよ、瞬間瞬間にわたる生命の変化を示したものである。


 ここで考えなくてはならないことは、選択の機会が増えれば増えるほど、人間は不用な判断をしがちだということ。


 聴聞する時はもへたつばかりをもへどもとをざかりぬればすつるあり(1544頁)


 こういうこと(笑)。例えば、後輩が見ている場面であれば、皆、緊張もし、幹部としての欲に満ちていることだろう。しかし、家に帰って風呂にでも入り、バスタオルで身体を拭いている時の選択肢は、ビールに限られる男子部も多いのではないか?(笑) また、休日にあって、家でゴロゴロしている時の選択は、テレビのチャンネルの数しかない場合もある。つまり人間は、一人でいると、自分の中の悪しき傾向に流されやすくなるということだ。


 その選択という局面において、先生は、「より厳しい方、より激しい」を選べと指導されているのだ。「より楽な方、より楽しい方」とは言ってない。我々学会員は、ともすると、「厳しい、厳しい」「大変だ、大変だ」を連発するが、口で言う割には、家に帰っても戦っている人は少ない(笑)。


 我等衆生の一日一夜に作す所の罪八億四千慮を起す、余経のは皆三途の因と説くなり、法華経は、此の因即ちぞと明せり、されば煩悩を以て如来の種子とすと云うは此の義なり(823頁)


 選択の基準が欲望や本能であれば悪の因となり、欲望に翻弄されやすい傾向が強化されてしまう。だからこそ我々は、組織闘争をやり抜き、一生成へ、広宣流布へと生命の軌道を修正しなくてはならないのだ。


 臆病のが生じたら、勇気を奮い起こす。我慢ならないことがあっても忍耐する。面倒臭いとったら、直ちに行動する。“戦う”といっても、“一人立つ”といっても、誰も見てないところで勝負するしかない。成長する鍵は、迷った時にこの指導を実践できるかどうかにかかっている。


 久遠を悟るを身不動揺と云うなり(792頁)

2004-10-24

日曜特集:成田真由美さん


【成田真由美さん】第12回夏季パラリンピック・アテネ大会競泳で、日本人最多となる7個の金メダルを獲得。5種の競技で世界新を叩き出した。アトランタ、シドニー、アテネの3大会で、金メダルの合計は15個。


【関口和枝さん】東京女子部長


関口●10代で足が動かなくなってから、さまざまな困を乗り越えてきた成田さん。その原動力って何ですか。


成田●自分でもわからない(笑い)。ただ、「出会い」って大事だとうんです。これまでの人生で数え切れない人との出会いがありました。お医者さん、看護師さん、障害者スポーツの選手やスタッフ、講演会に来てくれた子どもたち、夫の家族、水泳仲間……。皆と触れ合うたびに、自分が今こうして生きていられることに謝して、「頑張ろう」とえるんです。「足が動かない分、をふんだんに動かそう」って。


聖教新聞 2004-10-24

私が見た創価学会


【蘇徳昌(そ・とくしょう)】中国復旦大学教授を経て、1993年4から奈良大学教授。


 昨年3、父(蘇歩青/そ・ふせい 元復旦大学学長)は101歳という天寿を全うし、霊山へと旅立ったが、折に触れて語っていた言葉が朶(じだ)から離れない。

「すべての人間の長所・美点を集めて固めた結晶のような方が、池田誉会長である」。そしてまた「創価」という言葉にも大変銘を受け、「人間の最高の美徳を体現していればこそ、人間教育ができる。人間の価値を作り出すのが創価大学である」と。


聖教新聞 2004-10-24

2004-10-23

40代が人生の重大な岐路


 さて、多くの人生の軌跡を見てきた私の一つの結論は、「40代が人生の重要な岐路(分かれ道)である」ということである。

 戸田先生も、何度もおっしゃっていた。「ともかく純粋な青年時代はよい。30代の終わりから、40代半ばからが危ない。皆、だんだん自分の生命の奥深い傾向に流されるから、気をつけろよ」と。

 その後、“気をつけろ”といわれた通りの事件が起こっている(大笑い)。本当に鋭い、偉大な人生の師匠であった――。

 この年代に入ると、多くの人が、次第に現状に満足し、安住するようになる。停滞し下降線をたどる人もいる。自分を律することができなくなり、酒や異や金銭、虚栄に身ももどっぷりつかってしまう場合も多い。

 また、みずみずしさを失い、何かうまくいかないと他人のせいにして、不満をくすぶらせる。人をうらやむ。足を引っ張る――。やたらに愚痴る、腐る、恨む、威張る(爆笑)。

 本当に下り坂を転げ落ちてしまう人があまりにも多い。

 そうした中にあって、この年代になっても、謙虚に、また淡々と、自分らしく成長を続けてゆく人こそ本物である。

 誰が見ていようといまいと、自ら決めた人生の道を、いよいよ勢いを増しながら、荘厳なる「完成」へと生き抜いていく。信と人格の上でも、社会人としても、あらゆる面で、一歩も退(ひ)くことなく、向上の坂をたくましく上り続けていく。そこに価値ある「壮年」の生き方がある。

 ともあれ、あのあまりにも有な「月月・日日につより給へ」(1190頁)の御指導を四条金吾が頂戴したのは、数え年50歳の時である。この事実を、壮年部の皆さまは自身の励みともしていただきたい。


【第1回神奈川県支部長会 1988-06-12 神奈川文化会館


 全く40代は大変だよ(笑)。40代学会の命運を握っていると自覚しよう。


 私は今から3年前に青年部を卒した。今回の人事で卒された方も多いとうので、先輩として気づいた点を書いておきたい。


 まず何かにつけて、「青年部と違うんだから」と言われるようになる。特に、正論を吐いた場合、この言葉が返ってくる確率が高い(笑)。要は、「青年部は純粋だから、先輩だというだけで言うことを聞くかも知れないが、壮年・婦人はそうはいかない」ってことを、ボキャブラリーの貧弱な壮婦が語るとこういう言葉になるのだ。


 これは、よくよく考えるとおかしな話だ。私は当初、「信よりも世法が大事」と言われてるような気がしてならなかった。だから、断固、拒否したものだ(笑)。


 また、ある幹部からはこのように言われた。「ああだ、こうだと言う前に、市民権を得るのが先だ」と。壮年・婦人に市民権があることを初めて知った(笑)。受け容れてもらう努力をしろってことなんだろうけど、あんまりスッキリしない。


 私は大変、声が大きく威勢がいいので、今でも注されることがしばしばある。周囲からどういった印象を持たれているかということに関しては、細の注が必要なようだ。


 それとだ。壮年になると、こっちが悪くなくても頭を下げる局面が、いきなり増える。まあ、それで済むなら、そうすることもやぶさかではない。


 更に、壮年・婦人というのは、10年以上も同じ役職に就いているケースがザラである。だから、若いというだけで生気だと言われることも多い。


 こういった諸々のことにウンザリして、組織から距離を置く人物も多い。その反動で、急に仕事を頑張りだす人は更に多い(笑)。


 これではいけない。まず、遅い題目のペースに慣れることだ(笑)。学会っ子は比較的、お年寄りの話を聞くのが好きだから、何とかなる。だが、青年部時代に、最前線の地区に入ることもなく、大きな会合で指導することに慣れているメンバーは危ない。


「男子部上がりは役に立たない」と言った幹部に、私は斬り返した。「その人は、男子部時代から既に駄目だったのです」と。「学会活動の眼目は、一人の人の面倒をみることに尽きるはずです。そうであれば、男子部だろうと壮年部だろうと変わりがあるはずがありません」と言い放っておいた。その後は、大変だったけどね(笑)。


 結局、決に燃えてやってゆく他ない。また、それでいいとう。摩擦や波風を恐れることなかれ。一つ一つをそうやって学んでゆけばいいだけの話だ。


「壮年部と男子部は違う」と言う幹部を、私は絶対に信用しない。んなのあ一緒だ。壮年用の信なんか、あってたまるか。


 妙なしがらみに負けるか勝つかは、青年部時代から、四者の全責任を担って戦っていたどうかによる。青年部の時から壮婦の面倒をみていりゃ、どうってことはないのだ。

2004-10-22

役職がなければ壮婦になっても「青年1級」のまま


 青年部から壮婦に異動した場合、役職のないメンバーについては、教授認定がされないとのこと。どうも、腑に落ちなくて、学会本部に電話で確認したり、あちこちの幹部に噛み付いてみたが結局、駄目だった。教授認定の書類にその文言があるらしいのだが、何も確認せずに、申請書類だけを現場に送り返すのは、官僚的だとうがどうだろう。

幹部を選べ


 ある婦人部幹部がこんな話をしていたそうだ。私も気づかなかったことなので、書き残しておく。


「何でも話せる先輩を持つことは大事だ。でも、家庭内のことや、夫婦間のことは、何でも話せばいいというものではない。また往々にして、あらぬ噂が立つ原因にもなりかねない。どんなに良き先輩であったとしても、直接、問題を解決するわけではないのだから。無責任な幹部に当たってしまえば、自分が傷つく結果になるから、重々、注すること」

魔が宿命の雲を吹き払う


 信を強盛に貫けば、大なり小なり、必ずがある。三障四魔があり、三類の強敵が出現することは経文と御書に仰せの通りである。

 実は、その激しき「風」によってこそ、我が生命を覆う暗き宿命的な「雲」が、すべて吹き払われる。そして晴れわたる胸中の大空を、妙なるが皓々(こうこう)と照らしゆく。また「自由」と「幸福」の太陽が力強く昇っていく。

 ゆえに私どもは、大いなる「風」に、かえって謝すべきである。


【第2回全国婦人部幹部会 1988-06-07 創価文化会館


 勢いよく走れば、顔に風をじる。スピードを増せば増すほど風は強まる。レーシングカーや飛行機ともなると、空気抵抗をいかに低く抑えるかが不可欠の課題となる。ロケットに至っては、どれほどの空気抵抗あるのか見当もつかない。


 同じく、信の実践においても、前へ進めば進むほど障が競い起こる。


 此の法門を申すには必ず出来(しゅったい)すべし競はずは正法と知るべからず(1087頁)


 と仰せの通り。内にあっては三障四魔となり、外においては三類の強敵と現れる。科学の世界では、作用と反作用と説く。


 例えば、一流のプロスポーツ選手に共通する障害といえば、怪我に尽きるだろう。普段から肉体を酷使する選手達にとって、不用な怪我が選手生命を左右することも多い。


 と見破れば、負けることはない。中々、見抜けないところにの本質がある。だからこそ、和合僧組織につき、先輩に指導を受け切ってゆく姿勢が必要なのだ。


 は巧妙な形で現れ、同志や組織に対する不信を抱かせ、御本尊から遠ざけようとする。ある時は、仕事や恋愛となって現れる場合もあろう。何にも増しては、自分の一番弱いところに入ることを銘記しておきたい。


 菩薩が立てた誓願には、どのような障にも屈することなく戦い抜いてゆく決に満ちたものであったはずだ。進んでを駆り出し、バッサバッサと斬り捨てて、快進撃を続けたい。

2004-10-21

『日蓮伝再考(一) 伝説の長夜を照らす』山中講一郎


 日蓮大聖人にまつわる伝説を検証し、大聖人の等身大の姿を示すことによって、現代に引き寄せようとした労作。


 我々学会員は、日顕問題によって、日蓮正宗の歴史が濁流にまみれていた事実を知り、代々の法主の中には、ロクデナシもいたことを学んだ。富士の清流はとうの昔に途絶えていた。少年部みたいな法主や、謗法を犯した法主、はたまた、政治的クーデターを起こした法主が存在したことを初めて知った。そうそう、御本尊を書き間違えた法主もいたな(笑)。


 創価ルネサンスは、民衆が真実に目覚め、日蓮法が持つ本来の大乗の豊かな精神を現代に蘇らせる一大運動だった。学会の前進はそれ以降、大聖人の佐前佐後をわせるほどの激変を遂げた。それは、海外への布教や、先生への顕彰からも一目瞭然だ。


 だが、だがである。我々は僧俗差別義や、特定の土地への呪縛(登山)は乗り越えたものの、自分自身の中で日蓮法を捉え直し、肉化する作をしているとは言いい。日蓮正宗の宗史を学んで、真っ先にじることは、「どうして、これらのことを自分は疑問にわなかったのだろうか?」という不明を恥じる情である。


 本書をひもとくと、大聖人にまつわる数々の伝説が、後世に脚色されたものであることが明らかにされている。だが、単純に“人間日蓮”を卑俗な眼差しで捉えようとしたものではない。山中氏を貫いてやまないのは、安易な神格化を拒絶する精神であり、「我並びに我が弟子」(234頁)と呼び掛けられた大聖人の真実の姿を求める探究であろう。


 山中氏は研究によってメシを食ってる人物ではない。我々と同じように、仕事を持ち、限られた時間の中で長年にわたって研鑚に努めてきた人である。それは、努力というよりは、戦いに等しい作であったことが容易に像できる。だからこそ、どこを開いても、地を踏みしめた筆致が、民衆への視点を失ってない。


「あとがき」に抑制された文章で淡々と個人的ないが綴られている。師と共に歩んできた人生の自負が晴朗に謳(うた)われている。この師弟直結の姿勢があったればこそ、「虚空蔵菩薩の伝説」(第3章)に見られる、鋭くも動的な像力の結晶が可能となったに違いない。


 個の力を、研鑚という形で見事に示した本書は、大乗教が民衆の中から澎湃(ほうはい)と興ったことを起させる快挙であると拍手したい。




 全くの余談になるが、校正ミスが2ヶ所あったので記しておく。

  • 163ページ 最後の行 真言批→真言批判
  • 205ページ 後ろから6行目 千葉氏を→千葉氏の

「中外日報」に書評が掲載


 山中さんの本が、「中外日報」1111日付の書評に載りました。


 日蓮研究の方法を一新か。

 もしかすると、本書は従来の日蓮研究の手法に転換をもたらす一書かもしれない。


 と述べられているのが印象的でした。


 中外日報が言うところの「手法」とは、「従来の学説の欠点や誤りを丁寧に根拠を明示しながら説明すること」のようです。しかし、それでは「一新」の説明としては不十分なじがします。従来の学者の研究というのは、価値中立的な装いをするために、生身の日蓮という存在に少しも近づくことができていません。また、文献至上主義が幅を利かしているために、日蓮のイメージがどんどんやせ細っていくじがします。


 山中さんの方法は、中外日報が指摘する点に加えて、信仰者としての視点、生活者としての視点、時代的社会的存在としての日蓮という視点があるから新しいのだといます。日蓮という存在の内側から肉薄していこうとしているのです。それは、山中さんが日蓮法の実践者だからこそなし得ることであり、立正大学の学者坊主にはしいとわれます。恋さんも鋭く触れておられますが、山中さんは「こころざし」を大切にされます。白米一俵御書の「凡夫は志ざしと申す文字をへてになり候なり(1596頁)」をよく引かれます。その志が何であるかは、我々一人ひとりが御書と格闘する中で見つけていかなければなりません。出来合いの答えをもらって満足していてはいけないのです。そうでなければ、またしても伝説の闇の中に日蓮を葬り去ってしまうことになるでしょう。


【fやん/「創価仏法研鑚掲示板」より転載】


「中外日報」の書評


【読書週間特集 2004-11-11付】


「歪められる日蓮像」

 危機識もとに“学説”論破

 欠点、誤りあぶり出し

  日蓮研究の方法を一新か


『日蓮伝再考(一) 伝説の長夜を照らす』山中講一郎著(平安出版)


 本書はそのが表している通り、これまでの「日蓮伝」を批判的に考証し直そうとするものである。ここでいう「日蓮伝」とは、単に「伝承」「伝説」の類だけではない。現在の学者たちさえもが、根拠薄弱なる「伝説」を創作し、日蓮像が今もなお、歪められ続けているとの危機識が、著者の山中氏にはある。


 山中氏は学問を生(なりわい)とする者ではないが、20年間にわたって日蓮の遺文を書誌学的な領域を含めて研究してきており、「からぐらネット」(※その後「からぐら文庫」に)というインターネット上の日蓮研究サイトの主宰者として、一目置かれてきた人物である。


 山中氏は、日蓮の誕生から伊豆流罪までを11の章に分け、立宗、法などのテーマごとに既存の「学説」の欠点や誤りを淡々とあぶり出しながら、広範かつ正確な知識をもとに日蓮を描く。読者は、丁寧に根拠を明示しつつ進むその展開の中で、歴史的に確かなる日蓮の像を見るであろう。よく知っているはずの遺文から現れる日蓮のイメージが、新しくなるから不議だ。もしかすると、本書は従来の日蓮研究の手法に転換をもたらす一書かもしれない。


日蓮伝再考〈1〉伝説の長夜を照らす

2004-10-20

司会:座談会の場合


 まず、当たり前のことだが、地区活動者会に参加してない男子部にやらせるべきではない。地区の牽引力として、責任に燃えている人が行うべきである。


 担当幹部のために、式次第を13行罫紙(折ってはいけない)に清書して、会場へ持ってゆく。もちろん、ワープロ打ちでも構わない。


 地区部長よりも早く会場へ駆けつけ、参加者を迎え入れる。人に先んじて、勝因を積んでおく。


 座談会は全員発言を旨とする。ここで最も重要になるのは相槌(あいづち)である。「ヘエ!」「ホウ!」「凄いですね!」を連発する。


 式次第の区切りに何か一言発言する。但し、出過ぎた真似は逆効果であると知ろう。


 終了後、参加者全員に声を掛け、玄関で見送る。特に、座談会で発言してない方がいた場合、絶対に声を掛けておかねばならない。また中には、終わった途端、速攻Aクイックで帰ろうとする人もいるので、題目三唱の余韻が残っている内に、玄関へ移動すべきである。


 座談会での司会を立派に務めるために、地区活動者会などでも進んで司会を務める。そのために、地区部長・地区婦人部長と事前に連係をとっておく。同様に、男子部の部活動者会でも司会をやり切ってゆく。普段からこのように掛けることによって、中者の呼吸を知り、組織を運営する主体的な姿勢を培ってゆける。

司会:会館の場合


 中者と事前の打ち合わせをしっかりと行う。開会直前に先生からの激励やメッセージが届く場合も多いので、常に不測の事態を定しておく。


 壇上役員や白蓮などと、しっかり打ち合わせをしておく。会合は呼吸が重要である故に、タイミングを死守することを打ち込んでおく。


 最近目立つのが、表彰の際のBGMに手間取るケースである。何十年も地道に信をされてきて、初めて表彰を受ける方々もいらっしゃる。晴れやかな舞台であることを、しっかりと弁(わきま)え、音響については若手にやらせるべきではない。前に座っていると、スピーカーのハウリングも気づきにくい。だからこそ、経験豊富なベテランにやらせるべきだ。


 立った時、上着のボタンは外さない。


 司会第一声は、「開催」ではなく「開会」である。催しものではないのだから。


 登壇者が立ちマイクを使う場合、マイクスタンドの向きは登壇者に向かってYの字になるよう配置する。このエラーも大変多い。


 場内整理は、会合の前半で2回まで。それ以上やると、参加者の呼吸が乱れる。「2回で整理してみせる」という司会の決が大事。座った状態で整理するのは価値的でない。


 口調は紋切り型が望ましい。「――から指導があります」などとマイクでやると、聞きしい。「副会長指導、○○副会長」、「〈区〉長挨拶、○○〈区〉長」でよし。


 表彰がある場合や入会勤行会などは、結婚式の司会にならう。「おめでとうございました」など、過去形を使わない。


 入会勤行会の司会が一番大変である。前の読み間違えは厳禁。更に、前を呼ばれてない方の存在を常に確認する。

三位房


 三位房(さんみぼう)は、そうした環境に酔い痴れ、軽薄にも、いつしか自分の中身まで立派になったように錯覚していった。その姿を、大聖人は深く慨嘆しておられる。

 こうした人間の弱さ、愚かさは、現代もまた同じである。政界をはじめ、社会的に華やかで尊敬を受ける世界に入ると、「民衆のため」という初を“はじめは忘れないようでいて”、あとでは次第に利に流され、聞に流されていく――。若い時期はともかく40代、50代となると、自分を自分でコントロールできなくなってくる人がいる。

 そうならないためには、いかなる立場になろうとも、信の指導だけは、どこまでも謙虚に受け切っていく行動が大切である。信の先輩と組織から「」まで離れてしまっては、すでに危険地帯に入っていることを自覚しなければならない。


【第5回本部幹部会 1988-05-22 創価文化会館


 信指導を求めなくなると退転する。迷い、悩めばこそ指導を求める。全て自分の判断でやっていけるのであれば、先輩も組織も不要となってしまう。


 指導を受けるのは依存ではない。自分がギリギリのところまで頑張り、後輩への責任から、どうすれば最善の手を尽くせるかと「毎時作是」した人が、先輩に体当たりでぶつかる求道の現れである。


 自分自身のことであっても、広布への責任があれば、い悩むことは多い。我々は使命ある身であるが故に、簡単に「楽な方」や「得する方」を選択するわけにはいかないのだ。


 今は激励の時代だ。「激励80%、指導・注は20%」と先生も指導されている。だが、先生の後に連なろうとする後継者がそんなことで、先生と同じ道を歩むことはできない。時代がどのように変わろうとも、信だけは厳しい姿勢で臨みたい。厳格な指導を求めるを失ってしまえば、“激励に甘んじる”無責任な青年ばかりとなってしまうだろう。


 明日、発行するマガジンも、「40代が人生の重大な岐路」との指導である。40代がしっかりと育てば学会は磐石になる。


 スポーツの世界であれ、芸術の世界であれ、訓練というのは厳しさを伴う。本物になるためには、“熱し、叩く”作が不可欠だ。


 きたはぬかねはさかんなる火に入るればとくとけ候、冰をゆ(湯)に入るがごとし、剣なんどは大火に入るれども暫くはとけず是きたへる故なり、まへにかう申すはきたうなるべし(1169頁)


 訓練を受けてない人は、宿命の嵐に翻弄される。鍛え抜かれたリーダーでなければ、後輩の宿命を引き受けることも困だ。


 人間関係が稀薄な時代となり、深く関わり合うことが忌み嫌われるような昨今、小うるさい先輩が少なくなったことは、今の青年部にとって不幸この上ない。だからこそ、誰よりも厳しく自己を律し、誰よりも厳しく先生の指導を真剣勝負で読み抜いてゆく実践が必要だ。

小選挙区で大敗を喫した日


 今日は、初の小選挙区で大敗北を喫した日である(1996年)。この日以降、我が人生は、死ぬまで敗者復活戦である。


「からぐら文庫」を主催している魯の人こと山中講一郎氏が著した『日蓮伝再考(一) 伝説の長夜を照らす』(平安出版)を読み終える。この方、専門の研究者でも何でもない。普通に仕事をしているオジサンである(失礼)。ところがどっこい、長年にわたる個人研鑚によって、曖昧な通説を鵜呑みにしている研究者を睥睨(へいげい)しながら、大聖人の実像に迫っている。まさしく、大乗教が民衆の中から澎湃(ほうはい)と興ったことを起させる壮挙である。文章は抑制されて整然。声高に新説を喧伝(けんでん)するようなところが全くない。何にも増して、松本清張や高橋克彦の歴史ミステリーを読んでるようなスリルに満ちている(笑)。amazonで買えば送料無料。

一凶を禁ぜよ


 信の指導にあっては、悪の生命の本質を鋭くとらえ、その不幸になりゆく生命を破していくものでなくてはならない。

 そうであってこそ相手はから懺悔し自らの生命を直していこうとする。また逆に、反逆のをあらわにする場合もある。しかし、それも妙法を根本とするとき、いったんは罪におちても、必ず救われていくのである。


【第2回全国婦人部幹部会 1988-06-07 創価文化会館


 如(し)かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには。(24頁)


 この御聖訓を敷衍(ふえん)した指導である。人は様々な悪しき生命の傾向を持っている。その根っこにある一凶が足枷(かせ)となり、前進を阻んでいる。


 指導を受けにくる人々の悩みは千差万別である。だが、行き詰まっている人は、往々にして人生の表象や、生活の現象に惑っている場合が多い。それらの諸法から、実相を見抜く眼(まなこ)を持たなければ、指導はできない。


 また青年部であれば、自分の窺い知れない世界の悩みを打ち明けられることもある。畑違いの種の仕事の相談もあれば、独身の幹部に、結婚や子育ての相談が寄せられる場合もあろう。だが、そこで臆してはならない。指導は、どこまでいっても信指導なのだから。相手を御本尊に向かわしめ、広宣流布の戦いに邁進(まいしん)させることが目的だ。


 リーダーの責任は重い。自分の一言に、相手の人生の浮沈が掛かってくる場合もあるのだ。口先だけの激励で済ませることなどできるはずがない。指導が終わった後は、後輩の悩みがグッと自分にのしかかり、生命が重たくなるのをじる。だからこそ、題目があがる。だからこそ、真剣に戦わざるを得ないのだ。


 自分自身を全く新たな視点から見つめ直すことができてこそ、指導を受ける価値がある。本人が気づいていないことを教えてあげなければ、無駄足ということになりかねない。とはいうものの、満足できる指導ができることは殆どない。指導したことによって、今度は私自身が、自分を見つめ直すことを求められるからだ。道修行の道はいつまで経っても険しい。

2004-10-19

日興上人の高弟も退転


 日興上人は、この「弟子分帳」の中で退転、反逆者の者に対しては「背き了(おわ)んぬ」等と明確に記され、厳しく断罪されておられる。私も入信間もないころ拝読し、日興上人の信に対する厳然たる姿勢に胸打たれた一人である。

 ところで「離反・破門」の弟子は66人中12人に及ぶ。割合でいえば約18%となる。

 この「弟子分帳」に記された門下は、信強盛と目された人たちであった。しかし、その中においてさえ2割近くの弟子が離反しているのである。

 また、「弟子分帳」の中の退転者の内訳(うちわけ)をみるとき、いわゆるの通った、また社会的階層の上の門下ほど違背の者が多い。

 社会的な地位とか、また組織上の役職の上下のみによって、信の深さは決まらない。

 かえって地位や財力や立場にとらわれて信を見失い、保身に走り、退転の坂をころげ落ちてしまうことは、まことに怖いことである。

 しかし、それとは対照的に、日興上人が「在家人弟子分」と位置づけられた農夫などの庶民の門下17人の中には一人として背信の者は見当たらない。

 この中には、殉教の誉れの勇者である「熱原の三烈士」(神四郎、弥五郎、弥六郎)も含まれている。


【第5回本部幹部会 1988-05-22 創価文化会館


 歴史に残る指導の一つ。昭和63年のこの頃、電話回線を利用した同時中継は各方面の主要会館でしか行われてなかった。東京でも、まだ総合本部で1ヶ所だったと記憶している。私がいた旧第6総合(荒川・墨田・江東)でも、荒川文化会館だけだった。


 宗門問題が起こる一年半前の指導である。先生は宗史に残された厳然たる歴史をひもときながら、日蓮正宗が葬式教化していった事実を明らかにされている。“僧侶が上で、信徒が下”という目に見えない壁を打破されようとしていた。


 先日、ある男子部と懇談していたところ、「昔は、あんなに頑張っていたメンバーが、今は何もやってないと知り、驚きました」と語っていた。私はすかさず切り返した。「『あんなに頑張っていた』なんて言ったって、どうせ、会合に出てたとか、ちょっとばかり華々しい結果を出したって程度なんだろ? 結局、信が弱いということに尽きるのだ」と。


 信とは、妙法への帰命(きみょう)であり、広布への死身弘法の覚悟である。我が胸中にあるを信じて、社会の中で開花させるところに信の王道がある。先生は、「自らを信じよ! 卑下するなかれ! 卑下は法への違背だ。胸中の界への冒涜だからだ」(「祈りは勇気」)とも指導されている。だから、自分を信じることのできない者は、相手を信じることもできないから、結果的に折伏ができなくなる。


 上流階級に退転者が多かったのは、階級によって自分を飾り、信即生活という人間革命の軌道を外れてしまったためだろう。六老僧においては、実に日興上人お一人という有り様だった。つまり、現代においても、“先生に近い”ということをある種の権威にして、自分を大きく見せようとする幹部は五老僧の末流といえよう。


 どこに存在しようとも、人生の終局まで、「日蓮が一門となりとをし」(1360頁)た人のみが、大聖人直結であり、本物の池田門下生である。

2004-10-17

民衆は手応えを求めている


 いつの世も、民衆は、リーダーに対して確かな「手応え」を求めている。ゆえに指導者は、人々の労や人情の機微がわかる人でなければならない。打てば響くがごとく鋭敏に、また丁寧に、一人ひとりの「」に応え、行動していくべきである。こうした指導者がいる限り、人々は幸せであり、広布は磐石な発展を続けていくであろう。反対に、反応なき鈍なリーダーには、人々はついていかない。組織の生き生きとした脈動も止めてしまう。そのようなリーダーは、結局は無慈悲な存在といわざるを得ない。


【第5回本部幹部会 1988-05-22 創価文化会館


 こうした指導を読む度に、「内の幹部は駄目だな」なあんて、の中で批判する人々が最近増えているようだ(笑)。御書や指導を、自分のの外に置いて読んでるようじゃ駄目。飽くまでも、自分自身を照らす指針としなければ味がない。


 いつも打ち出しだけを叫び、一方通行の会合に終始していれば、集った人々はどんどん受け身になってしまう。いつしか、小さな悩みなどが言いにくいムードが蔓延し、幹部のあずかり知らないところで、しむ人々が出る。


 最近の座談会なんかは、式次第を忠実にこなすのが流行している(笑)。全員発言のない座談会は危険だ。皆が嬉々として集い、自由闊達に体験を語り、決を述べるのが座談会セオリーだ。


 これは青年部時代の話である。分区の部長会で、「どこか、盛り上がってない座談会はないか? 俺が行って、必ず盛り上げてみせる」と私は豪語した。一人の副部長がおずおずと手を挙げた。聞けば、お年寄りが多く、地区部長も出たり出なかったりであるという。青年部もいなくて、何をやっても盛り上がらないという。私の中で“ミスター座談会”の血が騒いだ(笑)。


 気揚々と乗り込んで行ったが、唖然とした。平均年齢が75歳ぐらいだったのだ。さすがの私も一瞬、青ざめた(笑)。しかも、私が話そうとしていたのは、中学生文化新聞に連載中の「希望対話」だった。地区部長が仕事のため、冒頭に御書講義を行い、職場に戻っていった。


 で、私の話となった。私はどこの座談会へ行っても必ず、発言してない方に質問することを掛けていた。「先生は、この指導の中で“希望”について教えて下さってます。それでは逆に、どういう時に絶望をじますか? はい、そこのお母さん」。私がを掛けたおばあちゃんは、きょとんした顔のままだった。すると、隣に座っていたおじいさんが、元で叫んだ。「どういう時に絶望をじるか、だってさ」と。「エッ、あ、なあんだ、聞こえてなかったの?」と私が素っ頓狂なを挙げると、皆が爆笑。この他にも数人の方が通訳を必要とした。中には酸素ボンベを引いて参加されている方もいた。何人かの方々とやり取りしている内に、異様な盛り上がりを見せた。寒い季節だったが、何とも言えない温かな雰囲気に満ちた。


 座談会が終わるや否や、私は玄関先へとすっ飛んでいった。上がり框(がまち)の高い古いお宅だったので、下足を取ってあげるためだった。靴を手渡し、肩に手を掛けて皆を見送った。皆、明るい表情で帰路についた。


 地区婦人部長と支部婦人部長が、「こんなに盛り上がった座談会は初めてです。本当にありがとうございました。是非、また入って下さい」と言った。だが、本当は私の力などではなかった。私はただ、皆のを聞こうと努めただけだった。盛り上がってない組織というのは、皆に遠慮をさせているだけだと痛した。


 本日、我が地区の座談会座談会一筋で20年以上やってきたものの、反省しきりである。


 昨夜、私との約束をすっぽかした地区副リーダーが涼しい顔をして座談会に来た。終了後、厳しく注。あまりにも厳しくやってしまったために、先生から頂戴したネクタイをプレゼントして激励(笑)。

2004-10-15

創価班:服装・頭髪


 社会で通用する服装と一般的に言われているのは、NHKキャスターのものである。だから、NHKで通用すれば、さほど失礼には当たらないんだが、創価班の場合、そうは問屋が卸さない(笑)。


 人間は第一印象が大事である。まして、創価班は来館者と会話をするわけではないから、言いわけは通用しない。友人の参加も多いし、会館近隣の目も光っている。「だらしない」とわれてしまえば、負けだ。参加者と、一番最初に接するのが創価班である。そうであればこそ、学会の顔なのだ。


 背広は紺かグレーの無地。スラックスはダブルの折り返し禁止。白ワイシャツ。頭髪は七三――というのがルールだったが、最近は、どうやら違うようだ。私の地域の〈区〉委員長は、分け目すら入っていないつんつんヘアだ。初めて見た時、わず握り拳に力が入った(笑)。私の先輩の時代は、下着は白と決まっていたそうだ。いつ、死んでも恥ずかしくないように、ってこと。


 服装で飾らない、というのが基本になっていた。だから、ボタンダウンのワイシャツであっても、気合いを入れられた。時折、ボタンダウンのボタンを外して誤化そうとしたメンバーもいたが、先輩の瞳は何一つ見逃さなかった。創価班が先生の後継であるならば、広宣流布の結果をもって荘厳すべきだという共通認識があった。


 本山担当で、運営指揮が関西の幹部だと悲惨極まりなかった(笑)。六四の頭でも気合いが入ったもんね。


 私の組織では、油を塗ってないのも駄目だった。今、時代はさらさらヘア(笑)。


 こんなこともあった。創価班会で、ある大学校生が指差された。元気一杯の返事をして立ち上がったメンバーを見て吃驚(びっくり)した。もみ上げが無かったのだ! 地方から出てきて、お笑いタレントを目指している青年だった。幹部から、「前に来い!」と言われ、直立不動で立った瞬間、笑いが漏れた。「何がおかしいっ!」。大学校生のもみ上げは、所謂、テクノカットの領域を大幅に超えて、頭髪の4分の1を剃り落としているようにしか見えなかった。創価班会であるから、参加者は下を向くわけにはいかない。数十人のメンバーの肩がブルブルと震えていた(笑)。顔を真っ赤にしているメンバーもいた。私はあの瞬間、確かに「忍耐」ということを学んだ。幹部の方も呆れ果てたようで、「貴様、なめてんのか!」だけで終わった。会合終了後、私は、指摘を受けた大学校生に駆け寄り、「あんまり笑わせるんじゃないぞ!」と言って肩を叩いた。


 創価班の恐ろしさを知ったのは、普段は温厚な幹部が、大を上げて叫ぶ姿からだった。どこの地域でもそうだった。創価班となった途端、人が変わったように、厳しいまでの真剣さを示していた。


 我々は訓練を受け切る中で、後継の確かなる道程を歩んでいることを深く実したものだ。

2004-10-14

ネットを跳梁する「アンチ学会」について


小野不一


 ネットを跳梁するくそアンチどもは、どうしてアンチになったのか? アンチという理の深層には何が秘められているのか? アンチに未来はあるのか? はたまた、アンチの日常や質について考えましょう。


小野不一


 ま、馬鹿なだけだろうよ。いっけねえ、結論を言っちまったよ(笑)。


fやん


「人生いろいろ。アンチもいろいろ」と某首相のように言って流すかな(笑)。以前、「学会アンチ研究」というサイトを作ったら面白いのではないかと考えたことがあります。このスレのように理的に分析していくのも面白いですが、私自身の考えとしては、ネット上に散らばっている彼らの論点を網羅し、それに対する回答を与えていくというものです。実際、実に様々な態様を彼らは示しているといます。大雑把に分類すると、1.宗教的反対者、2.政治的反対者、3.差別主義者です。


 ネット上で見られる数は、1<2<3という状態のようにいます。


分類1

 日顕宗日蓮宗、元学会、元日蓮正宗、顕正会キリスト教などと出自は様々で、論点は、教学的なものと学会員の社会的行為に対する批判が主体です。一部、政治的批判を加えるものもいます。


分類2

 公明党が与党に参加してから増えたような気がします。共産党支持者はもちろんのこと、内部からの批判も多くなりました。自民党も民主党も基本的には保守政党であるという認識に立てば、民主党の批判は必ず矛盾を生じ、矛盾を生じない批判者がどういう的傾向をもつのかは明らかです。


分類3

 これが一番多い。その理的な側面をほとんど隠さずに表しているという点でアンチ理を理解しやすい存在です。俗衆増上慢と言ったほうがわかりやすいですかね。無宗教、一般人というのが彼らのアイデンティティです。だからアイデンティティクライシスを起こしやすい最近の日本人の代表とも言えるでしょう。要するに、大多数の日本人と異なると行動をする学会員の存在が許せない人たちで、一般人と異なるという点で学会員を差別することが公認されているとっている人たちです。昔の被差別部落に対する差別に近いものがあります。しかし、実際に差別をしている人たちは今も昔も弱者のような気がしますね。「自分より低い立場の人を、差別したい。いじめたい」という根元的欲求が彼らにはあります。2ちゃねらーに多いようで、ネットに引きこもっている自分の弱さを省みることのできない人たちです。何か事があると、彼らはバッシングを行いますが、以上のような理由によるとわれます。


 実際の所、1も2も3も微妙に混ざり合っていて、分明というわけではありません。理的な理由というのは、証明がしいですし、ネタとしてあまり広がりがないような気がします。むしろ、それらの現れとしての彼らの批判を網羅的に収集し分類するほうが価値的なじがします。それらをあらかじめ学会員の活動家が読んでおけば、「ああ、その批判ね。あるある」と余裕をもった対応ができるといます。青年部向けの折伏パンフみたいなもんで、今だったら「青年と宗教 30問30答」(創価学会男子部教学室編)ですかね。これの拡大バージョンができるということです。Wikiでやるとか。あ、俺、一抜けた。


小野不一


 私の考察によると、アンチというのは俗衆増上慢に含まれない(笑)。現実世界において、学会員と向き合い、直言することができない故に、ネットに書き散らしているだけの連中だとう。


 その特徴は、全くのデタラメか、あるいは、巧妙に嘘を盛り込んだ先入観に過ぎない。アンチは、群集の中にあって石を放つような種類の人間である。また、アンチの目的は、学会の悪口を書くことであり、書くことによって完結している。だから、実際に学会員を脱会せしめることは絶対にない。


 常套手段としては、ある特定の個人を通して、学会全体を批判してみせる。結局、アンチどもは、創価学会という鏡によって、自分の価値観の歪みを映し出していると考えられる。


小野不一


アンチ」の定義であるが、ネット上で学会の非中傷を繰り返す人物に限定しておきたい。実際に学会員を目の前にして見を述べることのできる人物を、私は、「アンチ」とは呼ばない。その中には、当然、を傾けるべき見も含まれるからだ。


CTI


 確かに「ネット上」というのがポイントかといます。2ちゃんねるなどを見てみるとあたかも学会を気持ち悪がっていたり、ものすごく嫌っていて絶対に近づかないとっている人が世の中の大多数のように見されているものが見られますが、私自身の周りの友人は学会に入っていない人ばっかだけど、そこまで言わないってゆうか知らないって人の方が多いといます。


 また実際に「俺は学会とか宗教とか嫌いだよ」ってはっきり言う人は、いわゆる「アンチ」の人とは違って、「いいところは認める、でもこういうところがおかしい」という人が多いようにじます。全否定って人には今まで私は会ったことがありません。


 つまり私もいわゆる「アンチ」と言われる人はネットのみ存在する人だとっています。少なくとも池田先生に限らず誰か人のことを「死ね」だとか言う人間は私の周りにはいません。が病んでいるとしかえません。



 ネットアンチに限定すれば――仮・匿を隠れ蓑にして、自らの自我を肥大させ解き放ち、日常の鬱憤を晴らす、気晴らしの類でしょう。そうした肥大させた自我の解放に快を抱き、やみつきになるとネットオタクネットヒッキーと化していく。そうした連中が、2ちゃんに集って、ゴロゴロしてると……(爆)。


 差別主義に関して言えば、その裏返しの場合もあるでしょう。日本人は、基本的に他より優位に立つことで幸福を味合う・実するようです。私も似たようなものですけど(笑)。資本主義社会の競争原理、競争社会では、そうなってもやむを得ないでしょう。これが差別の温床でもあり、逆がその裏返しです。


 少なからず学会員と縁があった場合に、学会員に見下されたという識が、アンチと化していく(笑)。折伏などで、自分が見下されたとい込む勘違いですね。こうしたい込みが、攻撃的な非となって現れてくる。もちろん、これがすべてではありませんが(笑)。ほんの一例です。


 また逆に、自らが優位に立てなかったと自覚すれば、ねたみやひがみも因になりますね。


か〜ちゃん


 大体、愛情不足で育ったんじゃないの? 現実で構ってもらえないから、ネットで構ってもらえると、犬が尻尾振るみたいに嬉しくなっちゃう。あるいは、肥大化した自識に現実が付いて来ないために、ネット憂さ晴らししているか……。異常に自尊が高いか……。気位だけは二人前ってカンジ。いずれにしろ、育てられ方が悪かったんでしょうね。ストレートに自己表現が出来ない。親の立場としては、他山の石として見過ごせないような、背筋も凍るおぞましさをじます。


小野不一


「日常の鬱憤」というのは、キーワードになるかも。


 愚かなまでの攻撃は、彼等が日常の中で攻撃にさらされながらも、それに抵抗できてない証拠。


 その味では、かに君の言っている「イジメっ子の理」ではなく、イジメっ子の取り巻きみたいなものだろう。実生活では、おとなしい人物が大半であると像する。


卞氏


 いわゆる、背景を読むことが出来ないのが特徴的にうが。


 字面だけを追って、そこから悪ばかりに目を向け攻撃的なる。裏にある善には、目を向けることが全くできない。像力が働かない。その人の経験からいって、仕方がないとはうのですが、なんというか、文字を通しての対話の距離というのが、異常に接近しすぎているがあります。被害妄めいた発言もよくある。あたかも自分が言われているかのような錯覚を覚えるのでしょう。しかも、三毒が強情であるという自覚がそれほどないわけだから、荒れるのは必至なのですがね。


CTI


「死ね」とかそういった言葉をいってしまうのは小、中学校まででしょ。幼い頃なら言ったこともあるし、言われたこともあるけど。大人になれば色々な形で「死」を考えさせられる機会があるしすごく重いことだとわかりそうだとうのですが。


 私としては批判するのも見するのもいいといますが、ない言葉やその人がいない場所で好き勝手に言いすぎだとう。


 アンチといわれる人の書き込みなどを見ていると「そこまで不満にってたり、怒りをじているなら直接ぶつければいいのに」とうことが多々あります。直接ぶつけるというのはその状況によってですが。結局口だけとじてしまいます。


小野不一


 直接、ぶつけれないからこそ、ネットへと走るに違いない。そして、直接、ものを言えないストレスが拍車をかける。


か〜ちゃん


 ふと、『山記』の李徴子をい出しました。


 臆病な自尊と尊大な羞恥。それによって彼は虎になりましたが尊大な自尊と臆病な羞恥によって成り立っているのが、アンチなのかも知れないですねぇ。もう少し、考えれば良いのに。


 人間であった時、己おれは努めて人との交まじわりを避けた。人々は己を倨傲きょごうだ、尊大だといった。実は、それが殆ほとんど羞恥しゅうちしんに近いものであることを、人々は知らなかった。勿論もちろん、曾ての郷党きょうとうの鬼才といわれた自分に、自尊が無かったとは云いわない。しかし、それは臆病おくびょうな自尊とでもいうべきものであった。己は詩によってを成そうといながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨せっさたくまに努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍ごすることも潔いさぎよしとしなかった。

共に、我が臆病な自尊と、尊大な羞恥との所為せいである。


卞氏


 ちょっとした事で侮辱されたなどとすぐ怒るくせに、人様の批判はしゃーしゃーとやってのける、こんな阿呆がいる。結構頭がいいヤツなんだけどな。そのわりに周りから敬遠されている。やたら正義ぶるところもあるが、そうやって自尊を異常に高くしているから、どこかに壁をつくっているからかもしれない。自尊は大事だが、見栄にはしるとちょっと浮いているようにみえる。


 舎利佛の過去世としての身子菩薩。行を立てしに乞眼の婆羅門……云々。布施修行をしていて、その短気がたたって退転したという説話は、みな知っているだろう。舎利佛とは二乗の代表である。頭がいいのである。でも退転するのである。バラモンに罵られたことで、その道を閉ざしてしまうのである。


 自分が賢い、間違っていない、貴方などと自分とは違う。などとっている人は要注だ。


かに


サイコパスのすべて』という書籍が出版されていますけど、ネットアンチどもはサイコパスの部類に入るのだろうか?


かに


『サイコパスのすべて』より抜粋です。サイコパスとは、簡潔に説明すると良呵責や罪悪を持つことなく常人に出来ないような犯罪や行為を平然と行うことが出来る特質を持ち、嘘や誤化しがうまく、自己中的で傲慢、口達者 で、情が浅く、衝動的で、興奮がないとやっていけないようなタイプの人間を指している。いわゆる異常人格の持ち主といってよい。山崎正友みたいな人たちです。


《サイコパスチェックリスト》

 1.口達者・表面的魅力

 2.自己中・自己価値に対する誇大な

 3.刺激を求める・退屈しやすい

 4.病的に嘘をついて人を騙すこと

 5.狡猾さ・操作

 6.良呵責あるいは罪悪の欠如

 7.浅い情緒

 8.冷酷さ・共の欠如

 9.寄生的な行動様式

 10.脆弱な行動統制力

 11.乱交的な関係

 12.幼少期からの行動上の問題点

 13.現実的で長期的な目標の欠如

 14.衝動

 15.無責任さ

 16.自分の行動に対する責任を受け入れることが出来ない

 17.短期の結婚生活の繰り返し

 18.青少年時代の非行

 19仮釈放の取り消し

 20.多種類の犯罪行為


 1項目が2点として、北米圏では30点以上の場合はサイコパスと判断される。一方、スウェーデンやイングランドでは25点がその基準となる。 日本ではさらにこれよりも基準となる点数が低くなるのだそうです。


卞氏


 へー。なるほど。ちょっと借りますね。


 私の見立てですが、色んなタイプがいるので、アンチがサイコパスの条件に適っていないとしても、特定の項目について、強い傾向じます。


1.口達者・表面的魅力

 これは、どっちかというとネットアンチタイプじゃない。魅力をかもし出そうとするならば、アンチ行動することがむずかしいはず。だから現実世界でこのタイプのため、ネット世界では本音で書きなぐるということになるかも。


2.自己中・自己価値に対する誇大な

 いますね。


3.刺激を求める・退屈しやすい

 常駐タイプに多そう。ネットに刺激を求めている。


4.病的に嘘をついて人を騙すこと

 悪質アンチ


5.狡猾さ・操作

 これも、悪質アンチというタイプ。だが見抜かれている。そして、そのことに気づいていないのも要るようだ。


6.良呵責あるいは罪悪の欠如

 ネットという媒体に対する良が欠如しているものばかり。


7.浅い情緒

 これは人それぞれ。だが情緒に訴えるアンチもいる。情緒不安定ではありそうだが。


8.冷酷さ・共の欠如

 散見される。


9.寄生的な行動様式

 創価関係板に寄生しているね。


10.脆弱な行動統制力

 不用な書き込みも多いみたいですね。


11.乱交的な関係

 それはわからない。


12.幼少期からの行動上の問題点

 これも具体的にはつかめない。問題点を指摘されアンチかしたというなら、そいう可能も無いわけではないが、程度問題。


13.現実的で長期的な目標の欠如

 未来志向に欠けている、問題解決の方向に向かわない。いつまでも過去にこだわる。これはネットに限らず、アンチの特徴。未来志向でも、方向がちょっとずれているのもいる。それゆえ、創価に対してはアンチ化。認識不足という非現実が要因でしょう。


14.衝動

 多い。衝動でネットに書いている風である。


15.無責任さ

 多い。不確定情報の垂れ流し。無責任きわまる。


16.自分の行動に対する責任を受け入れることが出来ない

 上記の責任というものを初めからじていないようである。


17.短期の結婚生活の繰り返し

 ?です。


18.青少年時代の非行

 逆に、非行に走らないタイプというのも。


19.仮釈放の取り消し

 これは、見たことないな。わからない。


20.多種類の犯罪行為

 悪質なアンチなら、可能は十分といったところ。


小野不一


 サイコパスというレッテルを貼りたくはないが、予備軍であることは間違いないでしょう。


1.口達者・表面的魅力


 これは全く当てはまりませんね。対話が手で、誰からも相手にされないから、ネットしか居場所がないんでしょうな。


小野不一


 本気で組織革命をしようとする人は、安易な組織批判を広言しません。また、その手法は、どこまでも自分自身の人間革命を基調とし、功徳に浴す姿で皆をリードしてゆくべきでしょう。


 愚かな連中は、必ず、共産党的な手法を好みます(笑)。「反対! 反対!」と。彼等の信の無さが窺えて、間抜けにしか見えません。


宮本


 モノ・行為における存在の有無をめぐって、「ない」ことを証明することは

非常に困である。これを悪の証明(あくまのしょうめい、羅: Probatio diabolica)という。もともと、西洋中世のカノン法用語らしい。


「有ることの証明」は、証拠を提示すれば一瞬で完了する容易なことだが、その反面、「無いことの証明」は調査範囲が限定されたケースを除き、立証は事実上不可能である。なぜならば、この世の全ての可能、或いは森羅万象、を完全に調査しなければならないからである。


 ゆえに、公平の見地から立証責任は「ある」と主張する肯定側が負うことになっている。証明できなければ無いものと見なされる。法学では「推定無罪の原則」がそれに当たる。


 もしそうでなければ、例えば「お前は女だ」「お前は殺人犯だ」「この世にドラえもんは実在する」などのように、どんなに無茶茶な主張でも主張者がそれを好き勝手に言いつのるだけで、否定する側が「無いこと」を証明しなければならないという不公平な重荷を背負うからである。


 しかし、現実の論争の場では、必ずしもこのことが了解されているわけではない。


「創価仏法研鑚掲示板」より転載】

祈りは勇気


 祈り――それは、あきらめない勇気だ。自分には無理だと、うなだれる惰弱さを叩き出す戦いだ。“現状は変えられる! 必ず!”。確信を命の底に刻み込む作だ。

 祈り――それは恐怖の破壊なのだ。悲哀の追放なのだ。希望の点火なのだ。運命のシナリオを書きかえる革命なのだ。

 自らを信じよ! 卑下するなかれ! 卑下は法への違背だ。胸中の界への冒涜だからだ。

 祈り――それは我が生命のギアを大宇宙の回転に噛み合わせる挑戦だ。宇宙に包まれていた自分が、宇宙を包み返し、全宇宙を味方にして、幸福幸福へと回転し始める逆転のドラマなのだ。

 人間は人間――その人間の可能の扉を次から次へと開いていく《鍵》(キー)が祈りなのである。


【「我がふるさとは世界」第26回/聖教新聞 2004-10-10付】


「指導を受けに行っても、どうせ『題目だ』って言われるに決まってる」。時折、こんな話をにする。「わかってんなら、やりなさいよ」とも言いたくなりますわな(笑)。ま、ちょいとばかり肩を持ってあげると、確かに安易な指導も目につく。


 数日前にこんなことがあった。ちょっと問題のある男子部メンバーの受け入れで、男子部がもたもたしていた。私が直接やり取りすると、怒鳴りつけることがハッキリしていたため、支部長経由で男子部の部長に伝えてもらった。


 このことをある幹部に話したところ、「まともな好青年であれば、男子部だって、直ぐに行くことでしょう。色々と過去にあったようですから、慎重になるのも仕方ないんじゃないですか?」だってさ。「そりゃ、逆でしょうが!」と直ちに反論したものの、呆気(あっけ)にとられたあまり、怒るのを忘れてしまった。気合いを入れておくべきだったな。大失敗。既に後の祭り。


 涅槃経に云く「譬えば七子あり父母平等ならざるに非ざれども然れども病者に於て則ち偏(ひとえ)に重きが如し」等云云(253頁)


 問題があればあるほど配して、速やかに動くべきなのだ。問題があるからといって、躊躇(ちゅうちょ)するような腰抜けに何ができるというのだ!


 この本部幹部、「誰が面倒をみるべきなのか」という話をしているのに、「祈っていくしかありませんね」なんて言いやがる。「そんな話をしてるんじゃないんですよ」とたしなめておいた。


 私は気が長い方じゃないんで、この幹部を打倒してやろうかとっちまった(笑)。


 先生の言葉は、戸田先生の元で理不尽なまでの過酷な訓練を受け抜き、数え切れないほどの修羅場地獄をくぐり抜け、57年間にわたる大闘争の中から滴(したた)り落ちたものなのだ。それを、安易に引用したり、口先だけで真似ているような輩がいれば、師匠を地に貶(おとし)める行為であると断じておきたい。


 この指導を読めば、誰もが御本尊に向かいたくて仕方がなくなるだろう。それほどの大確信が込められている。

2004-10-10

『HERO/英雄』に見る立正安国の精神


『踊る大走査線』を見に行こうかと考えている方は、『HERO/英雄』を選択すべきだと断言しておこう。比較するのも、おこがましいとう。全国の男子部諸君、革命児であれば『HERO/英雄』をご覧頂きたい。『踊る大走査線』はレンタルビデオ店に出回ってから見ても後悔することはないと考える。私もそうする予定である(笑)。


 本国の中国では秦の始皇帝に関する人物造形が物議を醸(かも)しているようだが、それは不問に付す。


 主人公を演じるジェット・リーのワイヤー・アクションや、ワダエミが担当する衣裳と景色の様式美などが話題となっているが、これについても触れないでおく。


 まず、主役の前がいい。「無(ウーミン)」――。この前自体が、英雄とは無冠であることを象徴していよう。官位や贅沢を望むは既に堕落の一途に足を踏み入れているのだ。


 映画全編は、無と秦王が向かい合い、対話をする場面が基調となっている。「旅客来りて嘆いて曰く」(17頁)という内容ではないが、主人と旅客の対話をモチーフとした『立正安国論』を彷彿(ほうふつ)とさせるシーンだ。


 武侠モノではあるが、剣戟(けんげき)と同じ重みをもって、「書」がもう一つのテーマとなっている。秦王の命を狙う刺客の一人、残剣(ツァンジェン/トニー・レオン)は剣と共に書の道を極めていた。


 残剣が身を置く塾に、秦軍の無数の矢が放たれる。逃げ惑う塾生の中にあって、塾長の老人は、「書を学ぶ精神が、こんなものに負けてたまるか!(趣)」と降り注ぐ矢の中で筆を執る(実際は砂の上に棒のような物で文字を書く)。


 このシーンなどは、先生がスピーチで引用された『攻防900日(上下)』ハリソン・E・ソールズベリー/早川書房・絶版)*1や、『福翁自伝』福沢諭吉/岩波文庫)*2に出て来る場面を起させる。


 対話が進む中で、秦王は無の策略に気づく。しかし、無と3人の刺客の壮絶な生きざまにを打たれた秦王に変化が現れる。残剣が書いた「剣」という書を見上げ、秦王はその文字に込められた深い味を悟る。


 秦王が述べる言葉は、ナポレオンの以下の言葉と全く遜色がない。


 世界には二つの力しかない、すなわち剣と精神とである。精神とは市民的・宗教的諸制度の謂いである。ついには、剣は常に精神によって打ち破られる。

(『ナポレオン言行録』オクターブ・オブリ編/岩波文庫)


 スタンリー・キューブリックの傑作『2001年宇宙の旅』で、智の象徴とされていたものが「黒い板」状であった時と、同じぐらいの衝撃を受けた。


 次元は異なるが、「剣」の一文字には、残剣の「たましひをすみにそめながしてかきて候ぞ信じさせ給へ」(1124頁)とのいが込められてたに違いない。


 ここに至って、秦王と無の間にが通い合う。共によって対話が締め括られ、決をもって終わる件(くだり)は『安国論』そのものといってよい。


 映画のラストシーンは残酷だ。政(まつりごと)の覇道の面がおもむろに現れる。だが、無は抗うことを拒んだ。無の最初の志はちっぽけな仇討ちに過ぎなかった。しかし、彼は残剣と出会い、秦王と語ることによって、天下統一の礎石となる道を選んだ。「身は軽く法は重し」――。


【※ストーリーのみに関して書いたが、映画は素晴らしい出来である。チャン・イーモウ監督の初のアクション物。個人的にクリストファー・ドイル(撮影)のファンなので、切り取られたようなアングルに、最初っからのけぞってしまった。マギー・チャンは初めて知ったが、浅野温子と野際陽子を足して二で割った印象の美形。チャン・ツィイーは子供っぽかった。馬蹄の鳴り響く音と、膨大な数の兵隊が轟かせる足音は、映画館でしか味わえないものだろう。数万人ともえる兵隊を見た時、わず「大結集……」と呟いてしまった(笑)】

『HERO/英雄』オフィシャルサイトへの投稿


 二つの魂が向き合い火花を散らす。駆け引きと策略の果てに、異なる二つの道が交わる。「剣」の一字を悟ったその時、魂は劇的に交流し、溶け合う。二人は「等しい人間」となった。そして英雄は抗うことを拒否した。


追記


 今日、フジテレビで放映されているのを見た。評価は更に上がった。レンタルビデオでも見ているので、これで3度目だった。それでも、画面に釘づけとなった。一瞬たりとも目を離せなかった。


 ラスト近くの飛雪(フェイシエ/マギー・チャン)の叫びは、“剣を捨てることができなかった者”の悔恨だ。放浪の徒であった残雪(ツァンジェン)は、「お前の故郷を見たかった」と呟く。だが、彼が本当に望んだ故郷とは、限られた地方を指すのではなく、あらゆる民が権力の犠牲に泣くことのない“大いなる故郷”であった。“剣を捨てた者”は、自らの命を賭してまで、相手に“信じること”の尊さを教えようとした。


 この映画は、回シーンと像シーンが幾度となく交錯する。これ自体が、人生の選択肢の多さを物語っている。始皇帝の最後の選択は、個人情を振り捨て、“法”によって治める者の悩でもあった。


 こうして、つらつら考えてみると、画面を彩る美しい色彩は、様式美というよりは、法で説くところの、「色不二」や「色即是空」を象徴しているようにすら考えてしまう。


英雄 ~HERO~ 通常版

*1: 『攻防900日(上下)』はドイツ・ナチス軍に攻められるレニングラードを描いたノンフィクション。寒さと飢餓に苛まれる中、エルミタージュ美術館の地下では学究達が仕事を続けていた。彼等は「小さな手燭やろうそくで書物やものを書く黄色い原稿紙(ママ)の上を照らし、インクは凍りそうになるのでたえずで暖めなければならなかった」。毎日2〜3人が死んでいく中で、生き残った研究員は死ぬまで仕事をし続けた。

*2:『福翁自伝』「新銭座の塾は幸いに兵火のために焼けもせず、教場もどうやらこうやら整理したが、世間はなかなか喧しい。明治五年の五上野に大戦争(彰義隊)が始まって、その前後は江戸市中の芝居も寄席も見せ物も料理茶屋も皆休んでしまって、八百八町は真の闇、何が何やらわからないほどの混乱なれども、私はその戦争の日も塾の課を罷(や)めない。上野と新銭座とは二里も離れていて、鉄砲玉の飛んで来る気遣いはないというので、丁度あのとき私は英書で経済(エコノミー)の講釈をしていました」。

2004-10-09

仏子を犠牲にする存在を許すな


 妙法流布に進む学会員の皆さま方は、お一人お一人が皆、尊き「の使い」である。御本のかけがえなき子であられる。

 何にも増して、その方々を尊敬し、守り、大切にしていくことは法者として当然である。

 仮にも、最も大事な子を利用し、見下し、犠牲にしていく存在があれば、経文と御書に照らし、誰人であろうと私は許さない。また、戦ってきた。ゆえに迫害も大きかった。

 来る日も、来る日も、早から夜半に至るまで、ただただ子の安穏を祈り、を砕き、尽くしきったつもりである。これは御本尊の前で、私は断言できる。

 細かな上にも細かなをつかい、また、大きく安全の屋根をつくり、広布のために労されている皆さま方を守ってきたつもりである。壊れかかった生命の器を直し、元気に蘇生させていく信の指導も、こちらの生命を削るいでの労作であった。

 疲れ果てることもしばしばであった。また、極めて多忙な身でもある。しかし、私にとって「会員を守る」という一点ほど重要なことはない。その一点に血を注いできた。学会員をい、気づかうにおいて、私以上に実践してきた人は絶対にいないと確信している。

 ともあれ、門下の一人ひとりを、どこまでも気づかい守られた御本の御振る舞いを拝しつつ、日々労を尽くしきってきたがゆえに、今日(こんにち)の学会がある。

 決して組織の上の命令や権威によるものではない。そのような形式で人のをつかめるはずがない。学会はどこまでも信の上に、「真」と「人間」で結ばれた“の世界”である。

 戸田先生は、逝去を前にした最後の指揮の中でこう言われていた。

「学会は“雰囲気”を大切にしていきなさい。皆の楽しい、仲の良い“雰囲気”を壊す者は敵である」と。

 人間のを熟知された戸田先生の一つの結論的指導であった。

 この和(なご)やかな麗しいの絆を、絶対に壊されるようなことがあってはならない。どこまでも朗らかに、潤いに満ちた、仲のよい台東、中央両区であっていただきたいと重ねて申し上げておきたい。


【台東・中央区記合同総会 1988-05-11 東京上野池田講堂】


 今日、台風22号が関東に上陸する予定。東日本では過去10年間において最も強い勢力らしい。今年、日本に上陸した台風は、これで九つとなり過去最高。東京は、一切の会合が中止。もう2日早かったら、本部幹部会とぶつかっていた。


 先生ご自身の境を吐露されながら、「会員を守る」姿勢を教えて下さっている。


「会員を守る」とは、会合の運営をすることではない。広布の最前線で、四者の先頭に立って走り、全責任を担って奮闘することである。口先だけなら、どんなことでも言える。だが、現実は壮婦に配されている青年部が殆どであろう。「君がいないと困る」と言われる青年部が果たしてどれぐらい存在するだろうか? 頭数の話じゃないよ(笑)。


 ある時、先輩がこう語ったことがある。


「全国制覇9連覇の時、俺達男子部が、現実の結果をもって四者の牽引力となった。婦人部に文句を言わせたことなど、ただの一度もなかった。今はどうだ? 婦人部の後から男子部がついていくような戦いじゃ情けないとわないか?」


 折伏戦の中で学んできたことは、後輩を守り、友を救うということだった。腫(は)れ物に触るような存在が一人でもいれば、そこから組織が破られていく。


 先入観とあきらめが瞳を曇らせ、行動を阻む。


 青年部時代のこと。ある部を担当することになり、簿を見ながら、部長に現状を訊ねた。あるメンバーのことを訊くと、誰も会ったことがないと言う。部長は延々と言いわけを並べ、高に自分達の努力を主張し正当化しようとした。簿には電話番号が書いてあった。「電話をしたことはあるのか?」「いえ……」。その場で私は受話器を取った。直ぐに相手が出て、私は電話での非礼を詫びてから、自己紹介をし、少しばかり話をした。間もなく引っ越すとのことだった。電話を切った後の様子はご像にお任せしよう(笑)。


 そういや、こんなこともあった。新体制となったある本部でのこと。一人の副本部長が全く出てこない。本部長に訊いてみると、「いやあ、誰が行っても会えないんですよ。居留守みたいです。メモも毎回入れてます」。ゴチャゴチャと色んなことを言ってたが、結局、既成事実を挙げて誤化してるだけだった。悩んでいる風もなかった。そのことで指導を受けようとすらしてなかった。「じゃあ、こっちでやるよ」と言っておいた。この副本部長は、本部長よりもキャリアがあり、年下ではあったが先輩格だった。昔、うての悪として地元で悪をはびこらせていたこともあって、誰もが一目置く存在だった。私は、本部長とやり取りした翌日の昼、会社に電話をした。その日の夜に会う約束をし、足を運んだ。「オウ、しばらくだな!」とを掛けると、でかい図体を小さくして「はい」と笑いしてた。一緒に勤行をした。私は静かに語りかけた。


「やる気があるのか、ないのか聞かせてもらおうか?」

「いえ、やる気がないわけじゃ……」

「ハッキリしろ! ないんだったら、壮年部にしてやるよ」

「やる気はあります。ただ、ちょっと出なくなったら、タイミングを失ってしまって……」

「そうか。じゃあ、俺がタイミングを作ってやるよ。明日、部長会があるから、それに出ろ」

「エッ、明日ですか……」

「来なかったら、お前は壮年部送りだ。多くの後輩の邪になるからな」

「わ、わかりました。必ず行きます」


 何とのないやり取りであろうか!(笑) ただ、一緒に勤行をした時、私は彼のの響きからそれなりの信があることをじ、そこに賭けた。翌日の部長会では、後輩からを掛けられ、恥ずかしそうに笑いながら、後輩の肩に手を回す彼の姿があった。


 組織に出てこない幹部がいるとすれば、出てこないことを容認している周囲の責任だ。自分が全力を尽くしても駄目だったら、どんどん先輩に入ってもらえばいいのだ。先輩も全滅したら、秋谷会長にまで当たるぐらいの責任があって当然だとう。そのための幹部だろう。


 どんな人であろうとも、守ってあげる人が一人いれば救われる。何とかする人間がいるから、何とかなるのだ。


 第42回本部幹部会。先生より、創価グロリア吹奏楽団に「今後は、流行歌も演奏してはどうか」との提案が。先生はその場で、最前列にいた女子部に「何が聴きたい?」とリクエストを促された。女子部はためらいながら「『世界に一つだけの花』です」と答えた。先生が「できる?」と指揮者に問うと、「できます!」と元気一杯の返事。絶妙の呼吸で、幹部会は期せずして一気に盛り上がった。女子部が違う曲をリクエストしても実現してなかっただろうし、先生が「できる?」と尋ねてなかったらでき得なかった。何気ないやり取りのようでありながら、実は先生の一から生まれたドラマである。

2004-10-07

為すべきことを、直ぐに為せ


 中国の古典『管子(かんし)』には、「敏速に事を行うのは万事にわたる手本である」(遠藤哲夫著『新釈漢文大系第42巻』明治書院)との言葉がある。

スピードが大切である。

 為(な)すべきことを、直ぐに為せ。それがリーダーの責務である。遅れた分だけ、皆が迷惑する。

 しい問題ほど、早く対処すべきだ。悩んでいる人がいれば、ただちに激励の手を差しのべてゆくことである。

 そうであってこそ、組織は血の通った生き生きとしたものになる。もう一歩、大きく発展していける。


【各部代表者会議 2004-09-29 創価文化会館


 これが今の呼吸である。


 会員は常に幹部に対して手応えを求めている。「この人は打てば響く」と信頼されれば、団結はより強靭なものとなろう。


 基本は幹部が足を運ぶことだ。後輩が来るのを待っている殿様みたいな人物は、今後、通用しなくなる。


 最近は、問題が起こると、幹部に指導を受けると称して、責任逃れを画策する根なしが目につく。で、何か不都合があると「上から言われた」と平然としている。


 担当地区の会合に顔は出すものの、全く家庭指導をしない幹部も結構いますな(笑)。


 学会はスピードで勝ってきた。困っている人がいれば、隼(はやぶさ)のような勢いで駆けつけ、抱きかかえるように励まし、楽を分かち合ってきた。それはあたかも、脚気(かっけ)の検査をする際、膝を叩くと脚が伸びるような条件反射にまでなっていた。


 だが今、その精神は確かに受け継がれているといえるだろうか? 問題やトラブルを、その人やその一家のせいにして、離れた位置から冷たく眺めているような幹部はいないか? はたまた、「あそこの組織は……」などと組織責任転嫁して、手をこまねいている場合はないか?


 組織悪がスピードを鈍らせ、無責任が問題を拡大させる。


 足に怪我をして、痛みとして脳へ伝わるのに時間がかかっていたらどうなるだろう? 時間が経てば経つほど、出血はどんどん進み、足は腐り果て、遂には命にまで及ぶことだろう。


 先生と親交の厚かった下幸之助氏は「社会で何かあったとき、私の元へその情報が入ってくるのに30分かかるが、池田先生の元には10分で入ってくる」と常々語っていたそうだ。


 情報化社会にあっては、スピードが生命線だ。“間(ま)”は“”に通ずることを銘記したい。

2004-10-06

一切を前向きにとらえよ


 草創期の活動は厳しかった。Tさんのように地区部長になっても、折伏の成果が出なければ、時には班長に“下がる”(笑い)場合もあった。もちろん役職の上下と信の強弱とはちがう。それは何よりも本人の奮起と成長を促すためであった。が、なかには役職が下がったことを根にもったり、怨嫉した人もいた。

 しかし、Tさんは一切を前向きにとらえて、信に励んだ。ここにTさんの偉さがあった。

 御書に「こそ大切なれ」(1192頁)、また「を悟り知るをけて如来と云う」(564頁)と仰せである。いかに「」を知り、「」をどのように働かせていくか、そこに信の精髄があるといってよい。

 その味で、私どもの「指導」の眼目も、すべてを決定していく目に見えぬ「一」「」を成長と向上の方向に向かわしめ、鍛え磨いていくことにあるといえよう。


【台東・中央区記合同総会 1988-05-11 東京上野池田講堂】


 先生が功労者宅を訪問された際にお聞きになった話を紹介。功労者の方は3人の後輩の人生の春秋を語った。Tさんは、その一人。


 人間はロボットではない。正しいことを語っても、反発を招けば元も子もない。我々はともすると、「こうあらねばならない」という視点から、人に強要するような言い方になりがちだ。「活動家なんだから当然」と謝を忘れるようなことがあれば、いつしか人のは離れてゆくだろう。


 界は、具体的には智と慈悲となって発現される。智が相手のやる気を引き出し、慈悲が友のを開かせる。要はどこまで相手のことをえるかという一点だけである。「これほどまでに私のことをってくれているのか!」そうなれば、どんな人でも立ち上がる。


 はビリヤードの球ではない。この力と角度でつつけば狙った位置に転がってゆくという代物ではないのだ。自分の眼を通した姿は、その人の実像と懸け離れている場合や、微妙にずれているケースが殆どだと自覚しておきたい。


 周囲にいる人々を好きになる努力を惜しまないことが大切だ。ちょっと何かある度に、ギャアギャア騒ぎ立てるような幹部は、将の中の将とは呼べない。小さな前進であっても、皆で喜ぶ。ちょっとした悩みでも、皆で祈る。楽を共にできる同志こそ、人生最大の財産であるとう。

生命の闇


 ともあれ人間の生命には、底知れぬ闇の深淵(しんえん)がある。闇は深く、自分にすら見極めがたい。否、自分ほどわからないものだ。ゆえに、どうしても師匠が必要となる。また、そのもとでの厳しい道修行が不可欠である。

 そして、この生命の闇を打ち破り、太陽のごとく赫々(かっかく)と照らしゆくのが、「妙法」であり、「信」である。これ以上の大光は絶対にない。

この素晴らしき正法を受持した以上、人や時代がどう変わろうとも、どこまでも自分らしい向上の道を、信の道を貫き通していけばよい。

 波乱万丈の人生ドラマにあって、真実の「人間の誇り」を、そして「人間の尊厳」を堂々と示しきっていく「信仰王者」の歩みでありたい。

 そこにこそ、無上の大法に生きゆく大いなる「希望」があり、「栄誉」があるからだ。

 法は永遠である。ゆえに正法を奉じ、広めゆく学会も万代に不滅でなければならない。そのための峻厳な「信」もまた、いささかも変わってはならない。

 そのために、何より大切なのは指導者の一である。


【台東・中央区記合同総会 1988-05-11 東京上野池田講堂】


 底知れぬ闇の深淵――それが噴出しているような昨今だ。


 精神科医の野田正彰氏がこんなことを書いている。


 一日に100人ほどが自殺している。しかもその原因は、政府と企による中年男への重圧なのに、人びとは怒ることもない。

 多くのマスコミは、生きる喜びの教育、うつ病の早期治療とか述べているが、焦点がぼけている。中年の破綻をプログラムしている社会、そのプログラムに添って破滅していく人びと。それこそが非人間的なのに、気づかず容認している。


聖教新聞 2004-10-06付】


 昨年の自殺者は3万4427人に達したという。交通事故死の3倍以上の数だ。これだけ多くの人が自ら死を選択しているという事実は、現代社会に生きる選択肢が少ないことを示していよう。


 野田氏は中高年男自殺動機が、経済的義務に囚われたものである事実を挙げ、人生観の不自由さが原因であると指摘している。つまり、簡単にいえば、「稼ぐことのできなくなった自分に生きる資格はないし、誰も価値を認めてくれない。だったら、死んでしまおう」という極端に狭い人生観であるということ。


 人の命を命とうこともなく、切り裂いてみせる通り。金品のために行われるオヤジ狩り。素顔を見せることを拒絶する少女達の濃厚な化粧。小遣い稼ぎのためなら、厭(いと)うことなく援助交際をし、下着を売る。学校では面白半分にイジメが始まり、社会では保険金目当ての殺人が繰り広げられる。


 こんな世の中で、自由で豊かな人生観を見出すのは至(わざ)だ。


 これとは逆の方向から死を目指す場合もある。芸術家などの自殺がこれに当たる。人間や芸術を追及して、巨大な闇を発見し、そこに吸い込まれるように命を絶った人も、また多い。ミュージシャンのドラッグ服用なども、死を目指しているような気がする。


 光が強ければ強いほど闇はくっきりと浮かび上がる。だが、昨今の社会状況は、どんよりとした天気みたいに、自分の影と周囲の影とが複雑に交錯し、境界線が明らかでない。


 九識論では、第八識の阿頼耶(あらや)識に、の嵐が荒れ狂う世界がある。例えば、何かの弾みで、「カッとなって刺してしまった」ということが現実にある。普段は温厚な人物であったとしても、を集積している第八識から黒いエネルギーが噴き出したとしか言いようがない。第七識の末那(まな)識が、理学で説かれる自我に相当するので、更にその奥底にある広大な領域だ。普段の生活で、これを自覚することは全くない。何らかのきっかけで衝動的に現れる世界だ。


 法では、更に第九識として阿摩羅(あまら)識が説かれている。根本浄識ともいう。生命に巣食う闇を吹き払うには、第九識を発動する他ない。太陽が昇れば、闇は霧消する。我々池田門下生が社会で光り輝いてゆけば、その分、社会の闇は少なくなってゆくだろう。


 闇を論じ、闇を嘆く人は多いが、現実に闇と戦っているのは我々だけである。

2004-10-05

幹部の責任は功徳と罰に直結


 和合僧を守る立場にありながら、を避け、わずらわしさから逃げている幹部には、信向上の燃焼もなくなるに違いない。喜びも動もなくなる。信が惰となり自分で重い罪をつくってしまう。

 反対に、信の世界を清浄化させていこうとする決と行動のある人の胸中には、喜びがある。信も深まり、限りない成長への道を歩み、無量の功徳と福運を招き寄せていける。ゆえに「臆病の」であってはならない。ここに、いやまして福徳薫る勇者の人生となるか、悩の人生となるかの岐路があるからだ。

 私はこれまで数限りない嵐を受けてきた。しかし、微塵も後退せず、力の限り戦い、走り抜いた。また、広布への労をいとうことなく、法のため、同志のために、を砕きに砕いた。

 その分、私は御本尊からの大功徳をいただいた。過分にうほどの福徳と福運をいただき、これ以上の幸せはないとっている。

 広宣流布のために、労し、戦える人生ほど、ありがたいものはないと私は強く申し上げておきたい。


埼玉霞圏幹部会 1988-05-08 創価文化会館


 学会の生命線は折伏精神である。宿命に悩する友と同し、運命に翻弄される人々を救うところに学会の存在義がある。だが、組織が大きくなってくると、草創の吹は徐々に失われ、保守的な考え方に陥る幹部が増えてくる。


 官僚のような幹部は、組織を巧みに泳ぎ、面倒を避け、自分に責任が及ばぬよう予防線を張る。お茶を濁したような話しかできない幹部の存在を嘆くも多い。ましてや、さほど個人折伏もしてない者が最高幹部に登用されれば、中堅幹部が育つはずもない。


 しかし、そうではない。大乗教は民衆の中から澎湃(ほうはい)と興(おこ)った宗教革命であった。幹部や組織に依存するようになれば、民衆は骨抜きとなってしまう。


 私が青年部だった頃の持論はこうだ。「戦う地区リーダー」、「人材育成のできる部長」、「宿命転換させられる本部長」がいれば広宣流布は進む。分区男子部長以上の幹部に仕事がなくなったら広布実現だ。


 個人的な話になるが、昨年の暮れに父と17年振りの再会を果たした。私は家出同然で故郷を後にして上京。2年ほど行方知れずの状態で、その後、2通だけ手紙を出していた。


 恐ろしい父だった。成人してからも逆らえないほどの気魄(きはく)があった。若い頃は私も喧嘩に明け暮れていたが、父親には逆らえなかった。私の家に訪れる男子部や友人は、父が恐ろしいあまり、皆一様に礼儀正しくなったほどだ(笑)。


 父とは、まともに言葉も交わしたことがなかった。信の話すらしたことがない。「勉強をしろ!」と言われたこともなかったが、勤行だけは徹底してやらされた。そんな親子だったが、不議と祈りで通じ合っていた。組織の方々が父を慕う姿を見ては、誇らしい気持ちで胸が一杯になった。


 私は上京してから、行方不明の身を返上するために初めて出した手紙へ、こう記した。


 再会の その日目指して 子は挑む


 あなたと母の祈りによって救われました。


 この2行だけ書いた。この2行しか書けなかった。


 父を伴って、私が世話になった方のお宅へ挨拶に行った時、こんな話をしていた。


 子が小学校2年の時のことです。突然私の顔を見て、「お父さんは、池田先生のためなら命を捨てられるの?」と訊いてきたのです。私はすかさず、「ああ、お父さんはいつでも先生のためなら命を捨てることができる。もしも、そういう時が来たら、お前がお母さんと弟達の面倒をみるんだぞ」と言いました。するとこの子は、私の顔をじっと見て、何も言わず後ずさりしました。「死ぬ」という味を考えて怖くなったのかもしれません。今となっては、子が覚えているかどうかもわかりません。どうして、このような質問をしたかもわかりません。ただ、この度(たび)17年振りに再会した時、久し振りに会ったという覚が全くなかったんです。あの時の親子の会話が、私とこの子の人生に決定的な影響を残しているとってます。子と会って少し話をして、信が同格になっていることを知りました。私の信の財産が、全てこの子に受け継がれていることを実しました。


 全く身に覚えのない話だった(笑)。考えられることは、ただ一つ。少年部員会で担当者が、「みんなのお父さんは、先生のためならいつだって死ねる」というような話をしたのだろう。このやり取りがあった時、父は31歳である。


 私の父は、組織からも見放されたような人々の面倒を見続けている。また、現在でも、男女青年部が指導を受けにくるそうだ。その一方で、悪い幹部とみれば、相手が副会長であっても怒鳴りつけている。


 父は、既に10年以上にわたって、1日、3時間から5時間の唱題を続けている。私の信が父と同格になるには、あと30年ぐらいかかりそうだ。そして、父から受け継いだ信の財産は、この指導に全て言い尽くされている。

2004-10-04

親しみより破るべし


【問】佐渡御書の中に「大果報の人をば他の敵やぶりがたし親しみより破るべし(957頁)」とありますけれども、「親しみより破るべし」ということを具体的に教えてください。


【答】大御本尊を持(たも)っている人は大果報の人です。これ以上の大果報はありません。創価学会は大果報の人々の集まりです。これ以上、福運に満ちた、力強い大集団はない。これは絶対に外からは破れない。事実、どんな弾圧をされ、策略をされたとしても、今日まで創価学会は破れなかった。

「親しみより破るべし」――個人でいえば、自分のの中の油断である。学会でいえば、幹部の弛緩(ちかん)だ。幹部が王冥合の精神を忘れ、利に走っていく時、学界は破れていく。すべて破られるのは外からではなく内部からです。

 特に、信を忘れた世法的なつながりから団結は破れていく恐れがある。信もなく、「私はあの人がなんとなくお世辞を使ってくれるから好きだ」とか、「あの人は文句をいうからなんとなく嫌だ」といった世法的な行き方こそ、学会を破っていくものであると、厳しく互いに戒め合っていきたいとう。学会内に、信を忘れた、馴れ合いの妥協などがあったとしたら怖いことだ。飽くまでも峻厳な、純粋な信を貫いていくからこそ、学会は永遠に発展していくのです。

 病気を例に考えてみても、ほとんどが外からの原因で病気になるのではなく、内部の不調が病気の原因といわれている。一つの会社の繁栄・衰退も、多くの場合、内部がどうであるかによって決まる。一民族の興亡盛衰もまた大体、民族の内情によって決定されているともいえる。師子王のごとき、外敵にいっさい破られないものも、身中の虫のために倒されてしまうのである。

 したがって学会は、永久に異体同の団結、信の団結でいかなくてはいけない。公明党の場合においても同じことが言えるとう。段々発展して、何千人、何万人の議員ができる。すると今度は、あまりやかましく言う人もいなくなる。一方、市議会や都議会にいくと“先生、先生”と言われ、いい気になって、信を忘れてしまう。学会精神・革命精神を忘れ、その指導を聞こうとしなくなる。こうなったら大衆の味方でもなくなり、建設も開拓もなくなってゆく。本人も地獄に堕ちるし、その世界は破れていく。気をつけなければならないことです。


【『指導集 質問に答えて』 1967-04-02発行】


 もう少し前から引用しておく。


 外道悪人は如来の正法を破りがたし弟子等必ず法を破るべし師子身中の虫師子を食(はむ)等云云、大果報の人をば他の敵やぶりがたし親しみより破るべし(957頁)


 広宣流布を阻む一凶を示された御文と受け止める。重ねて御書に云く、


 法を壊乱(えらん)するは法の中の怨なり慈無くして詐(いつわ)り親しむは即ち是れ彼が怨なり彼が為に悪を除くは即ち彼が親なり(139頁)


 更にまた云く、


 其れに付いても法華経の行者は信に退転無く身に詐親(さしん)無く一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば慥(たしか)に後生は申すに及ばず今生も災延命にして勝妙の大果報を得広宣流布大願をも成就す可きなり(1357頁)


 されば、注し合えない(「彼が為に悪を除く」)人間関係が「詐親」に当たるか。小さな遠慮が、後継の道を途絶えさせる。


 戸田先生が仰せになった、「敵は内部だよ」との指針もこれに当たるとう。


 随分前になるが、池田先生のこういう指導もある。「学会員には強いが、功徳に弱い。10年、20年と信をして、功徳を受けて駄目になってゆくケースがある」と。


 昔、よくこんなことを先輩から聞かされた。「大きな会合で体験発表をすると、その人は更に伸びてゆくか、退転するかのいずれかである」と。


 皆から、「凄い、凄い!」と讃えられて、知らず知らずの内に増上慢となり、「凄い御本尊」から「凄い自分」へと錯覚してゆく。謙虚さを失った信は、脚光を浴びることでしか満足できなくなってゆく。こうして利の一丁上がり(笑)。


「信を忘れた世法的なつながり」とあるが、商売のための「組織利用」には十分気をつけて参りたい。


 但し、闇雲に注しまくって、不協和音を出すような真似は愚かだ。“信は厳しく、人間は温かく”というバランスが求められるのは言うまでもない。

2004-10-02

指導を受ける


 あまりにも基本的なことなんで、書くのもはばかられるが、こんなことすら知らない青年部が増えているので書いておく。


 指導は一段飛びで受ける。地区幹部であれば本部幹部。部幹部であれば〈区〉幹部。


 指導を受ける場合、白紙の状態でなくてはならない。自分で、「こうしようかな」と方向性を決めてしまえば、単なる相談に過ぎない。


 また、「指導を受けたい」と言いながら、その内容は報告である場合も目立つ。


 例えばこうだ。重要な会合があるのだが、仕事の都合がつかない。「どうしても、仕事で出席できません」というのが報告。「出席できない」と、既に決めているのだから、指導を受ける余裕すらない。


「この日なんですが、仕事がこういう状況です。どうすれば宜しいでしょうか?」これが指導を受ける姿である。「それならば、欠席も致し方ない。職場を死守せよ」ということもあれば、「まだ、日にちがあるから、あきらめないで戦ってゆこう」という場合もあれば、「いかなる理由があろうとも、職場に迷惑をかけることなく、断じて駆けつけよ」となるケースもあろう。


 迷っているから指導を受けるのだ。道に迷ったら、誰かに尋ねるのと一緒。


 戸田先生は、「腹を切る前なら相談に乗ることもできるが、切った後で、どうすればいいでしょうか? と言われても困る」(主意)と仰せだ。


 昔は、部幹部となると「指導を受ける」という一点を徹底的に叩き込まれた。数十名の後輩を率いているのだから、自分勝手な判断は絶対に許されなかった。


 新任幹部になると、必ず「指導は受けたのか?」と先輩から言われた。「今までやったことのない役職を担ったんだから、どのような戦いをしてゆけばいいのか、指導を求めるのが当然だ」という意味合いだった。


 本部長になると、自分が後輩に対して行った指導について、「これで、よかったんでしょうか?」と毎日、先輩に電話をした。この連係は一年半の間続き、一日たりとも欠かさなかった。先輩の旅行先にまで電話をした。それぐらいの重責だった。


 厳しい指導の内容に涙を落としたこともある。だが、そのことが今、かけがえのない財産となっている。


 数限りない多くの先輩に感謝の思いで一杯である。先輩から受けてきた指導に報いるためにも、多くの後輩を本気で育てて参りたい。

2004-10-01

アンドレ・マルロー氏とルネ・ユイグ氏


 ユイグ氏は、こよなく青年を愛する方である。

 ――青年を愛し、青年とともに進む時、はじめて自らの人生も若々しく開いていく。権威の高みから青年を見下し、利用する指導者のは硬直し、一片の慈愛もない。そうした指導者についた青年、学生は不幸である。

 ユイグ氏は自身のレジスタンス時代の話を、しばしば青年に語る。ある時、私のよく知っている青年達に、次のようなエピソードを聞かせてくれた

それは、ともにナチスに抵抗して戦った同志、アンドレ・マルロー氏とのい出である。マルロー氏とは、私も二度お会いし、人類の未来を真剣に語り合った。

 ――が皓々(こうこう)と冴えわたる晩のことであった。

 ユイグ氏とマルロー氏の二人は、夜道を車で走った。

 突然、マルロー氏が車を停めた。「歩こう」。ユイグ氏は気が気でなかった。ナチス占領下の真っただなかである。いつ敵が現れるか分からない。

 マルロー氏は光の照らす道を悠然と歩いていく。ユイグ氏は後に続いた。

 ふとマルロー氏が、深い物いにふけるような面持ちで言った。

「文明の中は、かつてエーゲ海から地中海に移った。そして更に、地中海から大西洋に移ってきた。この次は、きっと大西洋から太平洋に移っていくだろう」と。

 あかりの夜道で壮大な文明論を語るマルロー氏。ユイグ氏はわず目を瞠(みは)った。

 話の内容にも驚いた。とともに何より、人々が、きょう一日を生きのびるのに精いっぱいという戦時下にあって、はるかなる人類の未来を展望するマルロー氏のスケールの大きさにした。


【創友会・鳳友会合同総会 1988-05-05 創価大学中央体育館】


 初めてにした同時中継での白眉をなす指導。


 我が弟子もかく生きよ! いかなる人生の衷に喘(あえ)ごうとも、人類の未来を展望しながら進め! 先生のは、弟子への限りない期待に満ちている。


 また、こうしたことを教わる度に痛させられるのは、先生と対談される方々の凄まじさだ。我々が像するような、海外で少しばかりの知れたオジサンではないのだ(笑)。


 これらの人々にとって共通しているのは、「人類の運命をよりよき方向へとリードしてゆく責任」に満ちていることであろう。


 最近、婦人部の一部に、ヒラリー・クリントンみたいのがいる。妙な野に燃えていて、ギラギラした雰囲気が周囲を圧倒する(笑)。みっともないったら、ありゃしない。自分をよく見せるためとあらば、あらゆる努力を惜しまず、ただ、役職が上がることを待ちわびているような根が浅ましい。


「女は、偉くなるよりも、福運のある人に」というのが草創以来、先生の変わらざる指導である。


 昨夜、会館に少し早く着くと、静かなで深々と祈る婦人部総区幹部の姿があった。そのひた向きさが美しい。

指導・擁護・訓練・教授


 問題があれば、親切に“指導”して、本人が行き詰らないようにしてあげる。また、戦って疲れた場合には“擁護”してあげる。ある場合には、よくわからぬ人には、学会精神を教え“訓練”してあげる。教学でわからない問題があれば“教授”してあげる。あの人のところへ行けば安でき、一切が解決できるといわれるような指導者にならなければならない。


【『指導メモ』 1966-06-01発行】


 この将軍学は、タテ線時代の部隊長以上の方なら、誰もが肝に銘じた指導の一つ。


 指導・擁護・訓練・教授の時を選ぶという観点では、撰時抄に通ずる。


 いずれにせよ、リーダーに求められることは、本気で相手の話を聞くという姿勢であろう。


 更に、「指導を受ける」という求道が薄れてきつつある昨今、なきを傾け、智を発揮してゆかないと、単なる押しつけで終わってしまう場合もある。


 指導すべき時に、擁護してしまう頓珍漢幹部も多い。口先だけの激励で、人が育つはずもない。


 相手をよく知った上で、随縁真如の智を発揮してゆくことが大事。