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2004-11-30

正しき信心指導


 正しき信の指導を真剣に受け止め、真面目に実践した人は、見事な勝利の実証を示し、歓喜の人生を満喫している。反対に、信指導を小馬鹿にし、また同志の真の注を聞き流してきた人は、いつしか正しき信の軌道を外れ、哀れな退転の道を歩いている。これは皆さまもご存じの通りである。

正しき信指導は、一人ひとりが人生を開きゆく上で、まことに重要な義を持っている。


7.3各部合同総会 1988-06-26 創価文化会館


 この時期、一貫して繰り返されてる指導は、“信指導の重要”と“ただこそ大切なれ”に尽きる。実に、日顕の正体が露見する1年半前のこと。


 どうも近頃は、指導という言葉が誇大な顔つきとなって、本来の味と異なってきているようにう。元々は、創価教育が教授主義を否定し、指導主義を標榜していたことに端を発する。つまりこういうことだ。図画の手な教師が児童に教えるよりは、図画の得な児童の真似をさせた方がよい。何でもかんでも教師が教えなくてはならないと考える必要はなく、指導する程度でよいという考え方である。やや、語弊のある言い回しとなったが、アドバイザー的要素が強いとわれる。教える側と教えを請う側といった向かい合う関係ではなくして、児童と同じ側に立って、児童が本来持っている力を信じる温かさがそこにはある。


 これが敷衍(ふえん)して、


 質問を受けた場合も、わからないから指導ができないということはない。“わかる人のところへ一緒に行こう”これが立派な指導である。指導は一から十まで自分が教えるという教授主義ではいけない。指導主義の方がずっと価値があり、どこまでいっても行き詰まりはない。


【『指導メモ』1966-06-01発行】


 となる。


 指導を受ける側が誤解しているものだから、指導する側まで勘違いする場合もある。妙に物々しい態度で、何か凄いことを言ってやろう、なあんて手ぐすね引くような愚かな幹部もいる。こうなると、見当違い同士による境地冥合となりかねない(笑)。


 迷うから相談する。これだけの話である。その昔、指導を受けるとは、気合いを入れられることであり、弱い生命を叩き切られないと満足が得られないという、マゾ的な要素が強かった(笑)。先輩からバッサリやられて、再び元気一杯、現場に戻っていったものだ。


 指導を求める人がいても、それに応える幹部がいないと、組織は急速に澱(よど)んでゆく。後輩に希望を与えることができない幹部は、邪な存在だ。広布と信と団結を阻むの存在であると言い切っておこう。


 また、指導を受ける側が、納得できないからといって複数の幹部に指導を求めるケースも目につく。これも誤りだ。受け容れやすい言葉をいくら探したところで、現状を変える力にはならない。納得できなければ、その場で納得するまで指導を受け抜いてゆくのがセオリーだ。

2004-11-29

弔問


 昨日、ご主人を亡くしたばかりの婦人を訪ねる。葬儀は、お子さんに頼んで静岡で行ったため、地区にて追善勤行会をしたい旨、私から申し出た。


「本当にありがたいんですが、まだ主人が亡くなった実が湧かないんです。ひょいと帰ってきそうな気がしてなりません。結婚して50年経ちましたが、まさかこんな時が来るとは夢にもいませんでした。今まで、他の人の伴侶が亡くなった時には、『ああ、気の毒だなあ』とってきましたが、実際に自分が経験すると、他の方には理解できない境です。実は、今でも動揺しております。区切りをつけられてしまうと、主人が亡くなったことを認めるようで、申しわけない限りですが、それだけは勘弁してやって下さい」


 民衆の偉大なる人間学を、私は教わった。




 昨夜、壮年の人材グループの勉強会一年間の訓練もこれが最後の会合となった。登壇者は総勢20余り。傑出した会合の内容であった。


 数年間の退転の後、同志からの真の激励によって再起した行政書士。青年部の先駆によって5世帯の弘教を達成し、更にもう1世帯の折伏を目指す地区部長。3年前に肝臓癌となり、毎年、数ヶ間入院するも、給料は通常通りに支払われ、今年のボーナスは過去最高額となった体験談。この方、50日間の入院を経て、医師からは「もう駄目かもしれない」と言われる中、遂に病巣から癌細胞が消え去り、勇んで会合に馳せ参じた。また、初老の地区幹部は、国士10万の集いに参加するもその後、退転。長年、連れ添った妻君がパーキンソン病となり再び発。先日、パーキンソン病が完治したと、謝と共に烈々たる決を披瀝。


 登壇者の熱弁によって、担当幹部の時間は殆どなくなってしまった(笑)。最大の原因は、持ち時間が5分であるにも関わらず、15分も話してしまった私に罪がある(笑)。いやはや驚くべき会合であった。


 帰宅後、この会合の勝因を考えた。一人のメンバーが真剣に語り抜いた時、そのが登壇者のに次々と火をつけた。その叫びが連鎖し、触発され、期せずして、地涌の眷属が陸続と躍り出るような場面と化したのだ。


 この日の会合を、言葉で伝えることは不可能だ。あの場に居合わせたメンバーしか知り得ない確かな魂の触れ合いがあった。

子供の弟子になる母親は鬼子母神


 婦人は、子供の弟子にならないように、注しなければならない。子供にを奪われて、信もしっかりできない母親は、自分も女として向上しないばかりか、子供も立派に成長させられない。そうした姿は、主人に影響を与えて、主人も働けなくなってしまう。一家は、母親がしっかりしなければならない。

 子供に引きずられている女は、経文にある鬼子母神と同じ場合がある。子供の自主を結局は奪い、子供の成長を止めてしまう。そして、子供を取って食らう鬼神のごとく、やせこけた、人相の悪い女となってしまうのだ。


【『指導メモ』 1966-06-01発行】


 パブリック(公)の精神が稀薄な時代である。ファミリーレストラン内で騒ぎ放題の子供達や、電車やバスでの中高生のけたたましい喋りに、頭を抱えたことは誰だってあるだろう。他人への眼差しを失った子供達は、エゴイズムという坂をまっしぐらに走ってゆく。


 学会にあっても、会館内でお菓子を食べている幼児や、幹部指導になると必ず騒ぎ出す子供を見受けることがある。甘やかされて育った子供達の将来に、暗い予を覚えてならない。


 もっと酷(ひど)いのは、未来部の会合の連絡へ行くと、親が現れて居留守を決め込むケース(笑)。家族がになって、子供の足を懸命に引っ張っている。前にも書いたが、親が幹部であっても、こうしたケースがままある。


 女五障三従の身であると説かれる。五障とは、女がなることのできない位を指し、三従とは、「幼くしては親に従い、嫁(か)しては夫に従い、老いては子に従う」というもの。社会的に弱い立場で、主体のない生き方を味する。この考え方は、洋の東西を問わないようで、『女の一生』と題した小説は、必ず不幸な結末を迎えている。


 幼い子供にとっては、親が最大の環境となる。子供の言いなりになって、ただ歓を買っているだけでは、親の使命を果たすことができない。幼児教育を、昔は躾(しつけ)と言った。躾によって子供は、社会と人間の中で、「身」を「美」しく保つことができた。


 現代社会においては、我が子への過剰な期待が、理的虐待になっているケースも多い。先日も、立て続けに両親を殺害するという痛ましい事件が起こった。


 父母を打(うつ)子あり阿闍世王なり(958頁)


 子供は、親の所有物ではない。未来からの使者である。いずれにせよ、親の生き方がそのまま子供に反映する。「学会をよろしくお願いします」と頭を下げる先生の姿を、我々はもっともっと真剣に受け止めてゆかねばなるまい。

青年を育成せよ


 ロモノーソフの目的は、ロシアを担う「青年」の輩出にあった。私もまた「青年」の育成こそが最大の願である。

 人を育てる――。私のには、もはや、それ以外に何もない。学会は、世界の民衆の幸福と平和を担う、かけがえのない人類の希望である。この重大な使命を立派に後継し、未来に限りなく広げてくれる一流の人物を育てたい。広宣流布の本物の闘士をつくり上げたい。ただ、それのみを願い、祈って、私は矢面に立ち、諸君を守り、尊き広布の世界を守ってきた。

 諸君の成長のためには、どんな労も辛酸もいとわない。これが私の偽らざる情であり、また後世に示しきっておきたい信の生きざまである。


7.3各部合同総会 1988-06-26 創価文化会館


 人を育てようと努力してゆくと、必ず自分の悪しき生命の傾向に直面する。私の場合、極端に気が短く、この一点においては四条金吾も顔負けであろう(笑)。許せない幹部がいると、その瞬間から“敵”になる。後輩に対しても少し前まで、「縁を切るぞ、この野郎!」などと、しょっちゅう暴言を吐いていた。そこには、これだけのいで期待を寄せているのだから、応えて当然であるという甘えがあったに違いない。


 昨年、東京の下町から都下へと引っ越しをして、現在の地にいるが、あまりの組織の違いように驚かされた。まず、会合が殆どない(笑)。地区部長以上が対象となる会合は5分の1もないだろう。支部活動者会すら毎行われていないし、地区活動者会をいまだに地区協議会といっている。〈区〉の幹部会は衛星中継終了後に行われ、〈区〉長と〈区〉婦人部長による挨拶のみ。こうなると、組織全体としての触発が全くなくなってしまう。転入して、一番最初に挨拶をした時のことも、まざまざと覚えている。私のの大きさに皆、引きまくっていた(笑)。


 青年部に至っては目を覆いたくなるほどの惨状。四者の中でしっかりと信頼を勝ち得ている男子部は皆無。ある婦人部幹部が言った。「自分の子供だけは、ここの組織につけたくない」と。そんな問題発言すら、から納得できるような地域なのだ。〈区〉においては、上から下まで全滅という有り様だ。


 そんな中、私は地区の一人の男子部に目をつけた。大人しくて、自信のカケラも持ち合わせてない男子部だった。一度、渾身の激励をし、私の家で3級試験の勉強をすることを約束した。彼は初日から約束を破った。携帯に電話をすると、途中で切れてしまった。後日、訊いたところによれば、悪い友達につかまってしまったとのこと。色々と質問すると、結局、イジメられているようだった。私は気合いを入れた。それっきり、二度と来なくなった。今度会ったら、ぶん殴ってやろうかとうほど頭にきた。


 そんな時にこの指導を目にした。先生は、「どんな労も辛酸もいとわない」とまで仰せになっている。私の場合、労にまで至ってなかった。何度裏切られようとも、相手の可能を信じ抜く。何があろうとも見捨てず、激励し抜く。結局、人材育成とは、“育てられる側”の問題ではなくして、“育てる側”の問題であるとい知らされた。大いに反省。




 報社社長である北林芳典氏の新刊『日蓮大聖人と最蓮坊 師弟不二の契約』が惜し気もなくアップされている。山中講一郎氏に続く、研鑚の成果となるか? 最蓮房が日興上人であったとする独創的な説を披瀝している。当然ではあるが、学会認定の教学ではないので、組織で突然、話題にするような真似は避けたい。

2004-11-28

アグネス・チャン:日曜特集


アグネス・チャン】香港生まれ。17歳の時、「ひなげしの花」でデビュー。1998年、日本ユニセフ協会大使に就任後、芸能活動とともに、東西ティモール、カンボジア、イラク等を視察。世界の子供たちを守るため、爽やかな笑顔で幅広い貢献活動を展開する。


【島瀬久枝】婦人部副書記長東京・北総区婦人部長兼任。


島瀬●21世紀は、母と子が安して暮らせる「平和の世紀」にしなければなりません。アグネスさんが、かつて対談されたことがある池田誉会長は、平和のために、一庶民から世界の指導者まで、一対一の対話に全力投球されています。


アグネス●大学1年生の時、池田先生とお会いし、から銘を受けたことを覚えています。今でも先生の言葉に救われているとじることがあります。


島瀬●地球を舞台とした池田先生の対話は、1600回を超えています。


アグネス●素晴らしいことですね。池田先生の対話と行動は、21世紀の平和を築く大きな力であり、柱だといます。世界の多くの子供たちのために、お願いです。「世界の平和を守ってください!」。私も同じで進んでいきます!


聖教新聞 2004-11-28付】

2004-11-26

“学会の心”との触れ合い


 1015日、7年ぶりに上京して二男夫婦に会いました。

 私は未入会ですが、子は3年前に入会、嫁は生粋(きっすい)の“学会っ子”です。

 13年前、嫁から購読を勧められ聖教新聞の愛読者になりました。

 帰る日の同17日、夫婦から「学会本部を訪問しましょう」と誘われたのです。“どんなところだろう”との興味もあって、JR信濃町駅へ向かいました。

 駅から学会本部へ向かう数分の道のり。行き交う方々の快活な表情から、学会員の皆さんだとわかりました。それにしても、大勢の方々で賑やかなこと。驚きました。本部前の接遇センターに入ると関係者が笑顔で迎えてくださり、がなごみました。

 2回の接遇会場では、担当の婦人を囲んで懇談会が行われていました。質問、報告など活気に満ちて、“信仰吹”が伝わってきました。

 そして終了間際、子が立ち上がって、「今日は、未入会の父と一緒に来ました。父は学会の理解者です」と。その時です。周囲から大きな拍手が起こりました。温かなぬくもりに包まれた私は、わず立ち上がり、一言、ごあいさつしました。

 会場を出る時も、皆さんから温かな言葉をいただきました。教育の道を歩み、校長として子供たちと交流を積み重ねてきた私ですが、今まで経験したことのない“出会い”であり、“学会の”を味わった最高のひとときでした。

 学会の理解者として、一層、子夫婦を応援していきます。


【岐阜県大垣市 西脇勝行 82歳/聖教新聞 2004-11-26付】

2004-11-21

私が見た創価学会


【岐阜女子大学学長 堀幹夫/聖教新聞 2004-11-21付】


 創価学会とのお付き合いは、岐阜薬科大学の学長をしていた時、岐阜市で開催された池田SGI会長撮影の写真展「光の詩」に招待を受けたことがきっかけです。


 私は学会員ではありませんが、聖教新聞を購読して十数年になります。


 まず「字の言」を読み、大事なところに線を引き、切り抜き、貼るのが日課です。そして1面から3面、池田SGI会長のスピーチ、てい談、メッセージ、誉博士号授与式での謝辞等々、まさに文です。


 するのは写真に登場する皆さんの笑顔です。特に女が元気で、明るい表情が素晴らしい。


 聖教新聞や、多くの池田SGI会長の書物に接し、創価学会を間近に見てきた一人として驚嘆するのは、SGI会長を中に世界に広がる「人間」のネットワークです。


 先日の聖教新聞にも、歴史家アーノルド・トインビー博士との対談を筆頭に、その数が1600回を超えたと書いてありました。そして、190の国・地域にSGIメンバーが広がっている事実です。そこには、師弟の道を貫き、「人間」を原点に行動する類いまれな指導者・SGI会長のリーダーシップがあったといます。


 創価学会を理解するキーワードこそ「人間」です。


 SGI会長は語っています。「人間という原点を確認し、掘り下げることが、地球時代の今、求められているのではないだろうか。そのためには、すべての相違を超えた共通項の人間、人道、人権という次元に立った語らいで友情を開く以外ない」と。


 ソ連ペレストロイカ(改革)を推進したミハイル・ゴルバチョフ大統領、日中友好の扉を開いた中国の周来総理との対話。お互い人間として、命がけで人類の平和の道を開いているという一点で、が通じ合っていると私は見ています。


 さらに、イギリスのマーガレット・サッチャー首相、インドのラジブ・ガンジー首相、単独で2度ノーベル賞を受賞し、私にとって神様ともいえるライナス・ポーリング博士等々――SGI会長が世界の代表的な知・各国の指導者と積み重ねてこられた平和への対話に、今こそ、世の人々は目を開く時を迎えているといっても過言ではありません。


 さらに、世界の最高学府から、SGI会長に166の誉博士・教授の称号が贈られていることに、銘を受けています。世界でも類例がないでしょう。


 私も中国の二つの国立大学から誉教授の称号を受けていますが、誉博士・教授の称号はその国、または大学が、誉を懸けて推薦しているのです。世界を舞台に活躍される池田SGI会長の偉大な績を、世界の英知が認めていることを証明しているのです。


 私も世界を回ってきましたが、桂冠詩人であり、民音創立者、そして、創価大学の創立者として、世界の平和のために行動されるSGI会長をから敬愛しています。


 特に平成3年、青年が躍動した「中部文化友好祭」では、終了後、会場を出られる時に、SGI会長は私に駆け寄り握手を。一瞬の出会いでしたが、その温かさは今もって忘れられません。


 21世紀のリーダー、人材の育成に血を注がれている今、世界から注目を集める創価大学を、ぜひ一度、訪問したいと願しています。

2004-11-19

清らかな信仰を守れ


 ――世間の多くは、自身の利害と打算によって動いている。経済的に、また立場上、得になるかどうか。誉になるかどうか。美の裏のは、あまりにも卑しく、情高い場合が多い。

 こうした社会の常識から見る時、信仰の世界は、恐らく像もできないほど、純粋で無私であり、真と献身の世界である。

 ゆえに周囲の人々からは理解されがたい世界であるように見えるかもしれない。純粋なるがゆえに利用されたり、圧迫されたり、侮辱される場合もある。残であるけれども、これが現実である。しかし私どもは、尊き清らかな信仰の世界を、絶対に守っていかなければならない。


7.3各部合同総会 1988-06-26 創価文化会館


 歴史に残る大指導の一つ。モスクワ大学の創立者・ロモノーソフを通してスピーチ。日顕による宗門問題を予見されたとしか言いようのない指導だ。


 組織のあり方、リーダー論を示した後で、大学を設立するためのロモノーソフ衷(くちゅう)を紹介。援助を申し出た高官は、ロモノーソフの構に次々と介入する。だが、高官の援助なしでは大学はつくれない。


 やむを得ず、ロモノーソフは妥協すべきは、甘んじて妥協した。(中略)ただ、ロモノーソフは、モスクワ大学を未来永遠に発展させていくために、どうしても必要な根本の理だけは、絶対に譲らなかった。


 宗門問題や、反逆者に対する学会の姿勢に疑問を呈する人は多い。竹入義勝について、「どうして悪い人物だとわかっていながら、その時に糾弾しなかったのだ?」というもある。これは、信仰の世界がどれほど寛容に包まれたもので、一人を守るために数多くの人々が献身的な行動をしているかを知らないためだろう。そうであればこそ、反逆者は徹底的に叩くが、退転者に対しては沈黙を保っているのだ。


 友人から、「よく、そこまでやれるな」と言われたこともしばしばだ。学会員のDNAには、“人に尽くし抜く”要素が組み込まれている(笑)。だから、「友が大変だ!」と知れば、それが、全く知らない人であっても自然に祈る態勢ができてしまう(笑)。考える前に身体が反応している。


 先日も、ある幹部の義父が転倒事故を起こし脳内出血。地域の同志はもとより、MLでも応援の唱題をお願いしたところ、燎原に火が放たれた如く、祈りの炎が上がった。先ほど連絡があり、奇蹟的に出血は止まったとのことで、明日、集中治療室を出て、大部屋に移動するという話だった。実は、私もこの方とは会ったことがない。


 祈りが真剣であり、必死である分、喜びはいや増して大きい。


 学会員の真からの無私の行動は、釈尊に砂の餅を差し出した徳勝童子に勝るとも劣らぬものだ。学会には、世人が理解できないほどのの深さがある。


 その麗(うるわ)しき信仰の世界を蹂躙(じゅうりん)したのが、破壊僧・日顕である。酒色に溺れ、遊興に耽(ふけ)り、遊ぶだけ遊んでおきながら、先生を切り捨て、学会を破門にした。日達上人の事績をことごとく破壊し、遂には本門の戒壇である正本堂まで破壊し尽くした。更には、返す刀で大量の桜の木を伐採。遺骨は米袋に突っ込んで不法投棄。この世俗の垢(あか)にまみれた極悪坊主に対して、世界中から「ノー!」をつきつける署の数は、1624万9638人に及んだ。以降、最高裁では7度も宗門が断罪され、その内、2度は日顕本人の罪に及んでいる。それでもいまだに、除歴への恐怖に震えながら、跡目を我が子に世襲させようとたくらんでいる。


 増上慢の比丘は(まさ)将に大坑(だいきょう)に墜ちんとす(152頁)


 衆目の前で大きな穴に堕ちた提婆達多の如く、地獄が大口を開けて日顕を待っていることだろう。

2004-11-18

研鑚


 その味から、逝去の直前まで、広布のために、真剣に道を求め、索をこらしておられた牧口先生の透徹した姿勢こそ、私どもの模範であり、その尊き姿が、私の胸には鋭く、また深く映じてきてならない。

 妙法の眼を開けば、所詮“一切の法は皆是れ法”である。この究極の一点に我が身を置いて、強盛なる信を根本に、徹して学び、徹して索しゆくところに、広布への知恵を無限に開いていくことができる。全ての知識を生かす道がある。

 中途半端や、表面的な知識の受け売りでは、民衆をリードする真の力にはならない。

 社会的にも、現代の、特に日本には、ヨーロッパ等に比べ、生半可な、人真似に過ぎない・言論があまりにも多い。そうした脆弱(ぜいじゃく)な精神風土を変革していくのも、法を弘めゆく私どもの一つの重要な使命である。

 ゆえに、学会のリーダーは、誰よりも透徹した求道と索と、生きた力あるの人であってほしい。

 どこまでも民衆のために、時代の先端を切り開き、豊穣な精神の世界を限りなく開拓していく責任こそ不可欠である。

 それが、牧口先生戸田先生が身をもって教えられた指導者の道であった。


【第6回本部幹部会 1988-06-21 創価文化会館


 本日、学会創立74周年。年が明ければ、先生は喜寿(77歳)を迎えられ、明年はいよいよ創立75周年となる。


 牧口先生は60歳を越えてから英語を学ばれ、獄中にあっても、カントを精読されていた。


 法はどこにあるのか?


 行学たへなば法はあるべからず(1361頁)


 絶えざる行学の中に法はある。学会のリーダーは、広宣流布を使命とする以上、飽くまでも信で皆をリードしてゆくべきだ。役職や、タレントで引っ張っている者は、数年を経ずして必ず馬脚を露わす。行躰(ぎょうたい)即信であるが故に、信といっても行学の実践に尽きる。


 行に傾くと自己の経験を頼るので、どうしても話題が狭い範囲になりがち。学に偏ると、できもしない理論に終始しがち。


 自動車に例えると、ガソリンが信、エンジンが行、ハンドルが学といえようか。どんなに馬力のあるエンジンでも、ハンドルさばきを誤ると暴走してしまう。それとは逆に、ハンドル操作が巧みでも、エンジンが小さければ目的地に着く時間が掛かり過ぎる。元気がよくっても、ガソリンが少な過ぎてエンスト中の男子部なんぞも多いことだろう(笑)。


 法を基調とした知識は、必ず生かされてゆく。それを、先生は、世界の識者との対談によって示して下さっている。相手がどのような人物であろうと、どのような話題であろうとも、先生は悠々と法を語り、人生を語り、人間を語り抜かれている。「我が門下生よ、私の後に続け! 私を乗り越えよ!」との大いなる期待をじてならない。


 学んでいる人は変化に富んでいる。学んでいる人は謙虚だ。学んでいる人は、自分を変えるための努力を惜しまない。


 人生には限りがある。そうであれば、10代、20代で、どこまで深い基礎を作ることができたかで、人生の命運は決まる。壮年・婦人をアッと言わせるほどの研鑚を青年部に期待したい。


 そうそう、「研鑚ランキング」も参考にされたい(笑)。

座談会にて御書講義


 昨日、ブロック座談会にて御書講義をする。久々の講義だったので、50回以上拝読して臨んだ。カセットテープに録音してあった戸田先生の指導を紹介。初めて戸田先生を聞いたという人もいた。懸命に行うも、終わってみれば65点ぐらいの出来栄え。いまだかつて満足な講義ができた試しがない。古参の地区幹部の方からは、「ニュースが盛り込まれていて、中々よかった」と激励される。


 アメリカよりゲストが参加。昔、横浜で女子部長をしていたとのこと。「海外では、『こうあらねばならない』という指導は通用しない。そこに、どれだけの自由があるのか? そして、自分で選択できる範囲が広いのかどうか? この一点が求められている」、「世界で通用するのは、“自分の”だけである。どこの大学を出たとか、本部職員だとか、女子部長だとかは通用しない。そんなもので勝負しようとすれば、必ず、『So what?』(「だから、何?」または「それがどうした?」)と言われてしまう。今の自分がどこまで相手のことを配してあげられるか、同できるか、それでしか納得させられない」と話されていた。「アメリカの同志に宜しくお伝え下さい」と固い握手。

2004-11-15

違いを生かせ


 学会においても同じである。“自分は幹部だから”“高い役職だから”後輩の言うことを聞く必要はない、などというのは本末転倒である。どこまでも「信」が根本である。組織上の立場をすべての基準とするいき方は、正しき信の姿勢ではない。

 人間の織りなす世界には、年齢や立場など様々な違いがある。問題は、その違いを生かしながら絶妙な調和の世界とするか、反対に、複雑で情的な葛藤の世界としてしまうか、である。

 その分かれ目は、やはり一人ひとりの「」「一」の姿勢にある。常に多くの人々から学び、成長していこうとの瑞々(みずみず)しい「求道の」を持っているかどうかにある。


【第6回本部幹部会 1988-06-21 創価文化会館


 30歳前後の頃、壮年・婦人の方から相談を受けるようになった。様々な支部や地区へ入った際、ちょっと配なことがあると、私は直ぐさま壮婦の幹部と連係をとった。そうした日常的な行動が信頼へとつながっていたのかも知れない。「こういう悩みを持っている人がいるんだけど……」と打ち明けられる機会が増えた。


 もちろん、若輩者の私がどうこうできるような問題は少なかった。ただ、相談を受けた以上は、何とかするしかない。で、私は次々と幹部の手配をした。私が絡んでいることを全く知られてないこともあったし、同席して一緒に指導を受ける機会も多かった。連れて行っただけの私が厳しく注をされたことも何度かあったが、全身で指導を受け切った。


 ここで私は多くのことを学んだ。昭和20年代から戦い続ける草創の大先輩が、悩の闇に一閃(いっせん)の光を放つ瞬間を何度となく目の当たりにした。その度に私は、戦った気になっていた自分を恥じ、の底から反省した。


 ある時、何気なく後輩の区幹部にこう語ったことがある。「ここに“創価学会”という饅頭(まんじゅう)があったとするわな。お前の知っている創価学会は、まあ、饅頭を包んでいるセロファンだな(笑)。で、俺の知っている創価学会は、さしずめ、饅頭の皮ってところだろう。そして、俺がいつも指導を受けにゆく、神田さんや、長峰さんが、アンコなんだよ。俺達、まだまだ修行が足らんな。いい気になってやってる内は、全然わかってないんだ」。


 神田さんという大先輩は指導をする際、必ずメモを取る。ある時、隣の区の会館でばったり会った。私の顔を見るや否や、「あの彼はどうしてる?」と訊ねられた。種々報告をすると、「ずっと気になってたんだよ」と一言。指導を受けたのは、半年前だった。「この年になっても、記憶力だけは衰えないんだ。アッハッハッハッ」と大きなで笑っておられた。既に80の坂を越えた方である。草創の蒲田支部にあっては、班長・班担で先生の奥様と組んでたそうだ。それからというもの、この方に指導を受けた場合は、何か変化がある度に必ず報告を入れるようになった。


 この神田さんの後輩に当たる長峰さんにも随分とお世話になった。神田さんが、牧口先生わせる謹厳実直なタイプだとすると、長峰さんは、ざっくばらんな下町のオヤジさんだった。このお二方、蒲田支部から一緒に戦っていて、実は長峰さんの方が役職は上だが、神田さんには絶対に頭が上がらない(笑)。「小野君、今の俺があるのは、神田さんのお陰なんだよ。テーブルの下に頭を突っ込みたくなるほど、厳しくやられたからなあ」と言っていつも笑っておられた。年は二つ三つしか違わないのだが、長峰さんの折り目正しさは、傍(はた)から見ていても、微笑ましくなるほどだった。


 長峰さんは、指導を受けにゆくと私に向かって必ずこう言われた。「小野君、いつも多くの同志の面倒をみてくれて、ありがとう!」と。「とんでもありません!」と応じても、頭を下げて、「君がいてくれるお陰で、組織が守られているんだよ」と言うのである。私は恐縮しながらも、大先輩の謙虚さに恐れを抱くようないがした。


 古谷さんが脳腫瘍の再発で倒れた時も、直ちに長峰さんに引き合わせた。本人と長峰さんが向かい合い、横に私と後輩のお母さんが座った。長峰さんの顔はいつもと異なり、にこやかさのかけらもなかった。


「御書に、『南無妙法蓮華経は師子吼の如しいかなる病さはりをなすべきや(1124頁)』とある。君、この御文を知っているか? 知っているなら、この御文で大聖人は何と言われているとう?」。後輩が通解のような所を述べた。長峰さんはじっとを傾けて、「長い! 長過ぎるぞ! どうして、大聖人は今の自分に対して、こう言われているといますと、スパッと言えないんだ!」。裂帛(れっぱく)の気合いだった。それからというもの、叱咤に次ぐ叱咤である。「池田先生が、青年部にこれだけの期待をされている時に、今の君の姿で応えられるのか!」、「本当に病気と闘い、病気に勝つ気があるのか!」――。


 そのあまりにも厳しい言葉の底には、「何としても彼を救うのだ!」という凄まじい一が込められていた。途中から、お母さんと私は、ただ黙って涙を流しながら、指導を拝した。「返事が小さい!」、「が小さいぞ!」と何度も何度も叱責が飛んだ。


 まるで襟首でもつかんで話しているような勢いで一時間ほど指導は続いた。と、後輩がテーブルから後ずさり、膝を正して大で叫んだ。「必ず勝ちます!」。「そうだ!」と言うなり長峰さんはテーブルに身を乗り出して手を差し出した。固い握手を見たまま、お母さんと私は、ただ泣き濡れていた。


 後日、手術不可能であることが判明した。彼は、戦って、戦って、戦い抜いて、半年後に37歳で今世の使命を全うして霊山へと旅立った。この時、不議にも私は長峰さんと一緒にいた。彼が逝ったのは、「小野君、彼を頼むぞ!」と言われた、まさにその時だった。


 通夜にて、長峰さんを棺(ひつぎ)にご案内した。横たわる彼の安らかな顔を見て、長峰さんは語りかけた。「よく、頑張ったなあ。立派だ。おめでとう!」。そして、深々と頭を下げられた。早過ぎた彼の死を悼(いた)むよりも、彼の勝利を喜んで下さっているようだった。長峰さんはこうも語った。「色んな人に指導したり、激励したりしているけど、本当はこっちが教わっているんだよ」と。


 こうして、キーを打ちながらも、涙が溢れ出て仕方がない。何はともあれ、多くの先輩から学んできた学会魂を後輩に伝えてゆくのみ。

2004-11-14

「君の心に植える種」


 いつも友達をいじめている子

 そんな子には

 やさしさの種を


 少しのことですぐおこる子

 そんな子には

 笑顔の種を


「ぼくには絶対にできない」って言う子

 そんな子には

 希望の種を


 放課後、家の中で一人でいる子

 そんな子には

 友情の種を


 友達のことを少しも考えてあげない子

 そんな子には

 いやりの種を


 まちがっているとわかっているのに

 だまっている子

 そんな子には

 勇気の種を


 なんでもすぐにあきらめる子

 そんな子には

 まけない種を

 努力の種を


 本気でがんばっている子

 そんな子には

 勝利の種を


 戦争をしている国や

 食べものや飲みものがない国

 そんな国には

 平和の種を


 私が

 全部の種をまいてあげる

 肥料もあげる

 そして

 たくさんの友達といっしょに

 たっぷりの水をあげる

 私の子ども

 生まれるまでに

 全部の種から

 芽が出るといいな


【愛知 小学校5年 牛丸さくら/作文コンクール 第35回入賞作品/小学生文化新聞 2004-11-14付】

2004-11-13

書評の勧め


 闘争の合間を縫って、先生の著作をひもとく学会員は多いことだろう。ページを繰るごとに、蒙が啓(ひら)かれ、迷いが払拭され、いつしか御本尊に相対する一がスッキリしている経験をされた人もまた多いに違いない。


 知らなかったことを知る驚き。ものの見方が豊かになる喜び。の変化が人生に光彩を与える。


 そこで、書評を書くことを勧めたい。先生の著作は既に膨大な量となっているが、Web上には驚くほど書評が見当たらない。


 文章を書くのは中々大変だ。私なんぞも、ダラダラと駄文を綴っているが、いばかりが先走ってしまい、後から読み直すと、あまりにも情的な内容に恥じ入り、穴があったら入りたくなったことも一度や二度ではない。


 最初から上手く書こうとすると文章が進まない。だから、初めはメモ程度でも構わないとう。書く作は、人を正確にさせる効用がある。


 更に、できることなら、誰に対してメッセージを送るのかをよくよく考えたい。同志が読むのであれば、「先生」という表記でいいだろうが、学会員以外の人々に対しては説得力を失うことを弁えておきたい。学会員である山中講一郎氏が著した『日蓮伝再考(一) 伝説の長夜を照らす』(平安出版)でも、これについて触れており、敢えて「日蓮」と記している。


 自分の動を堂々と綴り、それを目にした一人が、先生の本を買い求め、新たな動を広げてゆく。そうやって五十展転に至るほどの研鑚をしてゆきたいものだ。


 最後に、牧口先生の指導を紹介し、学会員諸兄の奮闘に期待するものである。

牧口先生の指導


 貯金も結構であるが、貯めるものは金ばかりではない。世間には金を貯める人は多くいるが、を大事にする人は少ない。しかも、には金以上に翼が生えていて、機敏に捉えないと、直ぐ飛び去ってしまう。

 それも、がらくたなら、飛び去ろうと構わないが、お互い、同志の妙法の大善生活のは、正しく、価千金のである。砂糖や菓子を買うのに機敏であるように、が来たら、直ちに捉えることだ。そして、書き留めることだ。を貯めることが大切である。


 自己の経験は必ず記録せよ。


 本に読まれるな。本を読んだら、よく索せよ。読後の索があって初めて自分のものになる。

2004-11-12

絶えず揺れ動く心


 まことに「」というものは絶えず揺れ動いている。放っておけば、いつしか悪道の方へと引きずられていってしまう。

 私どもも、その「」をいかに確固として定め、成への最極(さいごく)の軌道から外れないようにリードしていくか、ここに信指導の精髄があるといってよい。

 法は厳しい。信には妥協はない。社会的地位や誉、財産などとは一切関係がない。いかなることがあっても“二なく”(1498頁)、強盛に信を貫いていけるかどうかどうかである。

 ゆえに世間体を気にするような臆病な人や、常に自分のことしか考えない詐親(さしん)の人、そして惰弱なの人は、信を全うすることはできない。何か事があれば、悪縁に紛動されて退転し、清らかな信の世界から去っていかざるを得なくなる。そして結局は、地獄のようなしみの人生に自ら入っていくことになる。

 だからこそ私どもは、信にあっては厳しく言うべきことを言ってきた。それが信仰者としての、また学会の幹部としての責務である。あとは、を開いて成への大道を進んでいくか、あるいは痛いところをつかれて、恨みにい反発していくか、それはその人自身の責任である。


【第1回足立区支部長会 1988-06-19 足立池田講堂】


 此の世界は第六天の魔王の所領なり一切衆生は無始已来彼の王の眷属なり(1081頁)


 その上、末法の衆生は「本未有善」の機根である。だから、悪縁だらけの世界といってよい。常に、悪縁という重力がのしかかっていることを自覚しなければならない。油断は禁物である。「進まざるは退転」というのは、精神論ではなくして、具体論であることを自覚したい。


 その悪縁に紛動されたとしか言いようがないのが、今日付の聖教新聞だ。私は紙面を開いて激昂した。どうして、先生の随筆がモノクロなのだ? 信じられないいがした。本幹を報じた一面がカラーだったからなどというのは、言いわけにすらならない。聖教も堕ちたものだ。


 ハッキリと書いておこう。今の聖教新聞は、先生に対しておんぶに抱っこだ。否、学会全体がそうかもしれない。外郭出版社に至っては、よくもまあ平然と先生の連載を掲載できるものだと、私は以前から呆れ果てていた。結果的に、師匠を利用して売り上げを伸ばすようなことになってやしないか?


 先生あっての聖教新聞であり、創価学会である。その師匠が、激務を割いて執筆された原稿を、よくもモノクロで掲載できたものだ。いつから、聖教新聞社はそんな増上慢になったのだ? 購読料が高くなろうが、自分達の給料を減らそうが、師匠の記事を最高に整えるのが弟子の義務ではないのか?


 空いた口が塞がらないとはこのことだ。が暗くなった学会員も多いことだろう。そういう民衆のを知らない職員しか、今の聖教にはいないのだろう。


 本部職員の知り合いがいる方は、この文章をコピーして、メールで送って欲しい。このままゆけば、聖教も本部も官僚主義の温床にしかならないからだ。


 この事実を知れば、世界190ヶ国の同志が怒り狂うに違いない。


 聖教よ、猛省せよ!

2004-11-09

未完成だからこそ未来性が輝く


 青年で、力もある、分別もある、包容力もあるというのは、理かもしれないが、必ずしもその必要はない。青年は未完成である。ゆえに未来があり、成長があるのだ。少しぐらいの欠点があっても、青年らしく猪突猛進する勇気と情熱がなければならない。

 顔色がよく、あの人に任せれば安だといわれるようになれば、それが無言の指導となる。“同志を少しでも信強盛にしたい。幸福になってもらいたい。また、自分の責任を全うしたい”と願ってゆくことが指導力である。才覚や政治のみを真の指導力というのではない。


【『指導メモ』 1966-06-01発行】


 20代前半の頃、しがみついてきた指導の一つ。理力不足の葛藤にしみ、それでも尚、責任を果たさなくてはならない使命の軋轢(あつれき)にもがき、ただただ、必死に毎日を過ごしていた。


 青年ならば、「彼は、何をしでかすかわかったもんじゃない」と壮婦から言われるぐらいの勢いが欲しい。どうも最近は、大人しくて、小ぢんまりしてるのが多い。失敗やエラーを極度に恐れ、何だか、役所の窓口に座っているような顔つきをしてるのが多い。広宣流布よりも、髪の色が気になるような男子部も見受ける。概して、皆、スマートだ。若い内は、もっと、泥臭くいこうぜ(笑)。


 幹部としての原型・スタイルは、地区リーダー時代で決まる。それ以降は、どう頑張っても変わらない。だから、地区リーダーをずらりと並べて、見る人が見れば、将来の組織構成が浮かんでくる。


 地区リーダーになれば、勤行の導師になる機会がある。そして、後輩の面倒をみる側に立つ。我が組織をどういう方向に持ってゆくか、という構も必要になれば、壮婦との連携も求められる。その位置を、どこまで深く自覚し、我が地区を開拓したかによって、将としての基本的なスタンスが決定されるのだ。


 若い内は、ブレーキの壊れたスポーツカーのように走ればいい。八甲田山の雪の行軍のように、闇雲に進めばいいのだ。ちゃあんと、大宇宙のリズムに合致して、次のハードルが見えてくるから大丈夫。


 人が育ってきた時、人が増えてきた時に、自(おの)ずからリーダーの資質は磨かれる。ここに至って、真の責任が芽生える。


「無言の指導」という言葉が実に味わい深い。私も経験しているが、時と場合によっては、「そうか」の一言だけで救われる場合があるのだ。「あの人を見ているだけで、勇気が湧いてくる!」こう言われるようになれば一人前。修行の道は、まだまだ続く。

2004-11-06

リーダーは現場に立て


「リーダーは最前線を走れ! 現場に立て!」

 それを忘れれば、人の悩もわからなくなる。そして、そこから、組織を蝕む官僚主義の悪弊が始まるのだ。動かぬ水は腐る。


【『新・人間革命』「羽ばたき」19/聖教新聞 2004-11-01付】


 家庭指導をしない幹部、個人折伏をしない幹部を絶対に信用してはならない。所詮、広布の労作を避ける腰抜けに過ぎないからだ。たとえ副会長であっても駄目だ。役に立たない。




 聖教新聞で連載中の『新・人間革命』に眼が釘づけとなる毎日である。わずか800字前後でありながら、毎回毎回に傑出した短篇小説の趣がある。その上、弟子である我々にとっては、単なる学会の歴史にとどまらず、信の王道・広布の将軍学・偉大なる人間学を教わっているのである。先生から直接、薫陶を受けることのできる我が身の福運に謝せずにはいられない。


「羽ばたき」の章は、“昭和47年7豪雨”の場面から始まった。日本を襲った豪雨は、東北と中国地方に惨禍の爪痕を残した。折しも今年は、10末に台風23号が日本を横断。過去最多の10個の台風が上陸した。今年の風水害で亡くなった方は既に220人を超えている。そして、1023日17時56分、新潟県中越地震が発生した。川口町では震度7を記録。長雨に祟(たた)られた直後だけに深刻な被害が出た。115日現在で、4万人以上の方々が非生活を強いられている。


「羽ばたき」の章が開始されたのは109日。震災のあった23日付では、被害の最も大きかった秋田に入られた模様が描かれている。何という不議! 日々、記される『新・人間革命』の文字は、そのまま被災者への黄金のメッセージとなった。そして、全世界の同志が、新潟に向けて、高らかに応援の唱題を始めた。


 新潟の同志よ、頑張れ! 負けるな!


『新・人間革命』


「長い人生には、災害だけでなく、倒産、失、病気、事故、愛する人の死など、さまざまな窮地に立つことがある。順調なだけの人生などありえません。

 むしろ、試練との明け暮れこそが人生であり、それが生きるということであるといっても、決して過言ではない。

 では、どうすれば、に負けずに、人生の真の勝利を飾れるのか。

 法には『変毒為薬』つまり『毒を変じて薬と為す』と説かれているんです。

 信によって、どんな最悪な事態も、功徳幸福へと転じていけることを示した原理です。これを大確信することです。

 この原理は、見方を変えれば、成幸福という『薬』を得るには、悩という『毒』を克服しなければならないことを示しています。

 いわば、悩は、幸福の花を咲かせゆく種子なんです。だから、を恐れてはなりません。敢然と立ち向かっていくことです。

 私たちは、の生命を具え、末法衆生を救済するために出現した、地涌の菩薩です。

 その私たちが、行き詰まるわけがないではありませんか。

 人は、窮地に陥ったから不幸なのではない。絶望し、悲観することによって不幸になるんです」


【『新・人間革命』「羽ばたき」14/聖教新聞 2004-10-26付】


 川口は尋ねた。

「渡瀬君の家は、被害はどうじゃったんか」

「家も浸水でだめになりました。家財も、みんな流されたし……」

 川口は、渡瀬の話を聞き終わると、じっと彼の顔を見つめ、肩に手をかけた。その手に力がこもった。

「そうか。大変じゃのう。しかし、こけても、こけても、立ち上がる。それが信じゃけぇの。

 山本先生も配してくださっとるで。

 祈ろうや! 祈って、祈って、祈り抜いて、もう一遍、頑張ろうや!」

 力強い、気迫にあふれたであった。

 渡瀬は、それまで胸のなかで抑えていたものが、一気に堰を切ったように込み上げてきた。その目に、大粒の涙があふれた。彼は、をあげて泣いた。

 川口は、渡瀬の肩を揺するようにして語った。

「辛いだろう。でも、頑張り抜こうや。それが学会健児やないか。断じて負けるな!

 そして、すべてを勝ち抜いて、山本先生に、勝利のご報告をしようじゃないか」

 渡瀬は、何度も、何度も、大きく頷いた。

「はい。頑張ります」

 彼は、再起を誓った。真正面から、この問題に立ち向かおうとった。


【『新・人間革命』「羽ばたき」22/聖教新聞 2004-11-04付】


被災後も厳然と配達された聖教新聞


 自ら被災し、避生活を強いられるなか、我が同志が厳然と立ち上がり、聖教新聞の配達に懸命に努力してくださったことも、詳細に報告を受けている。

 私は妻とともに、その様子をうかがい、熱い涙があふれた。なんと素晴らしき学会精神か。なんとありがたき同志か。

 私は、偉大なる「無冠の友」に「本当にありがとうございます」「毎の戦い、本当にご労さまです」とから謝申し上げたい。


【第43回本部幹部会聖教新聞 2004-11-16付】


 これが、現場の力であり、現場の強さである。配達員魂に頭(こうべ)を垂れるのみ。新潟の一日も早い復興と、余震や雨による被害がないよう、被災者が風邪を引かないよう、真剣に祈って参りたい。

被災地に4万5000個のリンゴを寄贈


 既に全国を席巻しているエピソード。ホットな話題は新聞各紙でも報じられている。御書の一節が一般紙で躍っている。渡邉(わたなべ)保子さんの飾らない言葉は、被災者の傷ついたに真っ直ぐに届いている。


 皆さん、どうしていますか。寒くなってしまいましたが、大丈夫ですか?

 私は秋田県の渡邉保子と申します。

 いてもたってもいられず、今の私に出来る事は、私が作ったこのリンゴを送る事でした。

「おじいちゃんおばあちゃん」さあ、まだまだ頑張らなくてはなりません。人生の経験を今、生かす時ですよ。

「お父さんお母さん」親の強さを今、しっかりと子どもたちに見せていく時です。

「青年の皆さん」いよいよ自分たちの本当の街をつくる時です。立ち上がって下さい。

「チビッ子たち」何も恐れる事などありません。みんな仲良く力を合わせれば、何でも出来るんだよ。

 このリンゴは普通のリンゴではありません。亡き父(十郎)がくわ一本で荒れた山々を開拓して育てた力強いリンゴです。希望のリンゴです。

「蔵の財より身の財、身の財よりの財すぐれたり」

「冬は必ず春となる」


 これは、私達全員の災です。皆のしみです。

 一緒に戦って行きましょう。頑張って下さい。

 より応援しております。


十郎リンゴ渡邉保子とその仲間たち

2005-02-03に追記】

2004-11-05

自他共に歓喜


 自身を、そして友を、いかなる時にも「歓喜の光彩」で包み込んでいく。これが法の指導者である。

 法を説ける身として、我がに無上の歓喜をわき立たせながら、人々をして生命の奥底(おうてい)からの喜びに目覚めさせていく。

 陽光が暗雲を払い、みるみる青空が広がっていくように、会う人ごとに希望と安を与え、「信の大歓喜」へと生命を開かせていく。ここに法のリーダーの存在の義があり、戦いがある。また真実の学会精神がある。


【第1回足立区支部長会 1988-06-19 足立池田講堂】


「真っ直ぐ立っている人を動かすのに、どのような方法があるか?」――これは青年部時代によく出した問題である。


 一番、手っ取り早いのは、ケツに針を刺せばいい(笑)。瞬時に動くことだろう。あと、蹴飛ばすとかね。但し、動くのは一瞬だけだ。針を刺した場合などは、飛び上がるだけで、一歩も動かない結果になりかねない。


 次に考えられるのは、後ろから背中を押すか、前から手を引っ張るかだ。こちらの体力次第であるが、どうしたって疲れる。


 やはり、長い旅路を共に進もうとすれば、手をつなぎ、肩を組み、互いを励まし合って、口笛でも吹きながらというのが理的だろう。


 とはいうものの実際は、打ち出しだけ発表して事足れりとしている幹部を時々、見受ける。集った人々のを傾けることなく、一方的に話している幹部もいる。また、言葉は丁寧で、にこやかな表情を浮かべながらも、その実、皆をコントロールしようと頑張ってるだけの幹部もいる。こういう幹部に限って、絶対に「私がやります!」とは言わないものだ(笑)。結局、「やれ、やれ」って話になってますな(笑)。


 先生は、「歓喜の光彩で包みゆけ」と仰せだ。我が信の一から、歓喜の光を発してゆく。全責任を担って、確信を込めて語りかけてゆく。そうすれば、自(おの)ずから自発・能動の精神が組織に漲(みなぎ)ってゆく。


「皆が、私のことをわかってくれない」なあんて言ってる内は、まだまだ甘い。そもそも、「わかってもらおう」という根がよくない。そんなのは、自分を正当化する詭弁だ。


 明るい笑いは、必ず人のを開かせ、笑いを誘う。喜びの人には誰もかなわない。楽しい雰囲気には、誰人も逆らえない。目指すは、「広布の喜び組」(笑)。


「今日は、くたびれたな。今から会合へ行けば、30分ほど参加できるが、どうしようかなあ? ……そうだ! あの人に会えるから、やっぱり行こう!」――願わくは、こういう存在になりたいもんですな。


 本日、生まれて初めて、炊き込みご飯を作った。出来合いの具を入れるだけのものなんだが、予以上に上手くできた。早速、近所で独り暮らしをしているおばあさんに届ける。「味の保証はできないからね」と言って手渡すと、ラップを外して「まあ、美味しそう」と手を叩いて喜んでた。

一喜一憂するな


 何かあると、すぐ一喜一憂するリーダーでは、多くの人を守ることはできない。指導者は、少しくらいの騒ぎに微動だにもしない、よい味での大人(たいじん)にならねばならない。そうでなければ、内外の人から軽く見られ、侮(あなど)られて、結局、悪をつけ上がらせ、助長してしまう。

 磐石な学会の恵まれた環境にあって、甘やかされ、労知らずとなったり、私が厳然と守っていることをよいことに、成長を遅らせてはならない。

それぞれの立場にあって、広布の障害と厳然と戦い、勝利してこそ指導者といえる。


【第2東京・小金井圏第1回総会 1988-06-17 創価文化会館


 何かあると、極端に喜んだり、落ち込んだりする人は、信用できない。生命の外界にある縁に動かされているからだ。かような人物は、サンタクロースや白馬に乗った王子様を求めるような信になりがち。


 現場は何があるかわからない。まだまだ、若い内は、腰を抜かしそうになる局面が必ずある。この時、本当に腰を抜かして何もできない人は、必ず退転する。生命に刻印された無慈悲から、あきらめと無力が生まれ、信の全てが形式となってゆくからだ。


 私が初めて腰を抜かしそうになったのは、家庭訪問でのことだった。当時、21歳で班長(現在のニューリーダー)だった。もう一人の班長と連れ立って、ある班長宅を訪ねた。玄関に入ると、顔つきがいつもと違う。「今晩は! あれ、どうしたの?」と訊いた。「あのさ、俺は今まで、時間がある時は真面目に信してきたつもりだけど、今後は、そうはいかねえからな!」。目が点になってしまったよ。普段は大人しい人なんだが、ダンプの運転手ということもあって、怒り出すと手がつけられない。その上、5歳ほど年上。結局、彼の言い分はこうだった。女房が婦人部からイジメられている。婦人部の会合が終わっても、内の女房だけにお茶を出さない。目の前で、聞こえないように悪口を言ってる。女房は今まで我慢してきたが、今日、自分が帰ってくると、泣きながら胸の内を語った。「こっちはな、昔は大阪でチャカだって振り回してたんだ! 何をするかわからねえぞ!」――。


「あんたらだって、そうなんじゃないのか!」。そこまで言われて、黙っているつもりはなかった。「何、言ってんだよ! そんないで、どうして今まで一緒に戦えるんだよ。○○さん、冗談じゃないよ。僕等を信じられないっていうのか!」。私の血相に、向こうの態度も和(やわ)らいだ。後で、居合わせた班長から教えられたのだが、私は下駄箱をいっ切り叩いたらしい。「ぶっ壊れるかとったよ」。


「いや、すいません。俺も言い過ぎた。男子部はそんなことないよね……」「じゃあさ、ちょっと婦人部に確認してみるから。あんまり怒っちゃ駄目だよ」と言って、その足でブロック担当員(現在の白ゆり長)の家へ向かった。


「ああ、その話ね。私も聞いたんだけど、誰もそんなことしてないのよ。多分、被害妄だとうんだよね」。ガチョーーーン!


 帰宅してから、婦人部の本部長に電話をし、報告すると共に、一度入ってもらいたいとお願いした。数日後、本部長を連れて、例のお宅へ行ったところ、奥さんは部屋の奥から出てこない。仕方がないので上がらせてもらい、無理矢理、話をした。本部長が懸命に話しかけるが、俯(うつむ)いたままで何も言わない。奥さんの話は、やはり被害妄だったようだ。


 夜、旦那を拠点へ呼び出し、全てを伝えた。を飲んだまま、驚きを隠せない様子だった。「そうだったんですか……。わかりました。この間は本当にすいませんでした」。「○○さん、色々あるけど、頑張ろうよ。必ず味のあることにしていこうね」と私は励ました。奥さんは、後日、精神科の診療を受け、少しずつ落ち着きを取り戻していった。


 この時は、もう一喜一憂しまくり(笑)。班長の家へ行っては、二人で「大変だあーーーっ!」。B担のところへ足を運んでは、「どうなってんだあーーーっ!」。下手なホラー映画よりもスリルがあった。


 私は学んだ。一方だけの話だけでは絶対に判断してはならないことを。


 こうやって、一つ一つの段階を踏みながら、一喜一憂しない生命へと鍛え上げられていった。少なからず修羅場も踏んできた。今では、どんな問題であろうとも、何とかする自信がある。それでもいまだに、幾つかの問題を抱える人々と、悩しながら共戦する毎日である。楽な人生は望めそうにない(笑)。


 今日は、男子部の日。

キルギス共和国・オシ国立大学から名誉教授称号が授与


 昨日(4日)、キルギス共和国の門・オシ国立大学から、池田先生に「誉教授」称号が授与された。これで、世界の大学・学術機関から授与された「誉博士」「誉教授」は、実に166を数えるに至った。


聖教新聞 2004-11-05付】

2004-11-02

牧口先生の尋問調書


問い●王冥合一天四海皆帰妙法という事は、上は陛下より下国民に至るまで日蓮正宗の本尊に帰依することなりや。


答え●左様であります。今まで申し上げたとおり、陛下も国民も一人残らず日蓮正宗の御本尊に帰依する事であり、久遠の御に従って国家が治められるようになる事であります。


 このやり取りが、大日本帝国憲法第三条の「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」に反するのは小学生にだって理解できるだろう。治安維持法や不敬罪をタテにした特高憲兵は、当時、“泣く子も黙る”存在だった。


 牧口先生は、大政翼賛に加担した日蓮正宗の坊主どもと異なり、堂々たる主張を述べられている。

提婆達多と阿難


 なぜ、提婆と阿難は、兄弟でありながら、これほどの差が生じてしまったのか。この点は、さまざまな角度から論じることができるだろうが、やはり、その「一」の違いに注目せざるを得ない。

「一」は実に微妙なものである。たとえば、本日のこの総会の開催についても、さまざまないの人がいたにちがいない。

 中には、“学会本部へ行くなんて、いやになっちゃうなー(笑い)。小金井でやればいいじゃないか”(爆笑)とった人もいたかもしれない。また、“何もウイークデーにやることはない。日曜日にやればいいじゃないか”(大笑い)と。これは壮年部の人に多い(爆笑)かもしれない。

 反対に、“本部に行こう。学会本部の御本尊を拝したい。私たちは学会員だから”と喜々として参加された人もおられるであろう。

 このように、同じ一つの会合の参加にしても、さまざまに「一」は異なる。生命の奥底(おうてい)から、ふと頭をもたげてくる「一」は、いかんともしがたい。しかし、この「一」の姿勢によって信は決まるといっても過言ではない。だからこそ、大聖人は“こそ大切なれ”と仰せなのである。


【第2東京・小金井圏第1回総会 1988-06-17 創価文化会館


 提婆達多阿難は共に釈尊の従兄弟だった。どちらが兄なのはか異説がある。若い時分、釈尊の恋仇だった提婆が兄だったのではと個人的に考えている。阿難は、釈尊が入滅するまでの20年以上にわたって常随給仕した。教説の記憶に関しては右に出る者がなく、十大弟子の中で多聞第一と謳(うた)われた。典結集にあっては中的な役割を果たし、付法蔵第二祖として歴史にを残した。


 兄弟姉妹であっても生命は別である。そんなのあ、当たり前田のクラッカー。だが、「あの反逆者は、あの幹部の兄弟だ。何とかできなかったのは、幹部がおかしいからじゃないのか?」なあんて、下らない不信を起こす人がたまにいる。こういう連中は、像力が無さ過ぎ。何もやってないはずがないのだから。手を尽くし、を尽くして、それでも駄目だったからこそ反逆したのだ。


 先生はこの指導で、兄弟であった反逆者と偉大な弟子の差は、「微妙な一」の違いにあったと指摘。目に映らないの動きが、三千羅列の厳しき実相となって現れる。


 我が一がどういう方向に向かっているのか――これを手っ取り早く確認するには、やはり、勤行・唱題と、会合への姿勢を自問自答してみることである。義務や惰はないだろうか? 目的が曖昧になってはいないだろうか? 特に幹部の場合、どれほど真剣さを示したとしても、にじみ出る歓喜の姿を示さなければ、多くの同志はを開かない。


 また幹部は、自分の信の一で、「全会員を幸福へ引っ張ってゆくのだ!」という根を持たなくてはならない。どうも、最近の幹部は、打ち出しの伝達と、お茶を濁したような話に終始している。ともすると、広宣流布までが“打ち出し”になっているような印象すら受ける。学会に脈々と躍動する広布決定(けつじょう)の精神を後輩に伝えてゆくためには、まず、幹部自らが、広宣流布への欲と決に燃えていなければならない。日々、広布に生きる人は、微笑しながらも、言葉の端々にその覚悟が現れるものだ。


 今一度、「ただこそ大切なれ」(1192頁)との御聖訓を噛み締めたい。大聖人は、“成果こそ大切なれ”“結集こそ大切なれ”とは仰せになってない。戦う以上、成果や結集はもちろん大切だ。しかし、を従としてしまえば、単なる成果主義で終わってしまうだろう。


 いよいよ「創立の

 完勝の総仕上げと

 青年・拡大の出発だ。

 勇気ある信

 生き生きと進め!


 【「今週のことば」聖教新聞 2004-11-01付】

2004-11-01

柳田國男の証言


 若い者を用(つか)って熱戦争反対論や平和論を唱えるものだから、陸軍に睨(にら)まれて味なしに牢屋に入れられた。妥協を求められたが抵抗しつづけた為め、牢の中か、又は出されてか直ぐかに死んでしまった。宗祖の歴史につきものの殉教をしたわけである。


【『定本柳田國男集 別巻第三』(筑摩書房:絶版)】


 柳田が創設した郷土会が結成されたのが明治43年12だから、これ以前から、柳田と牧口先生は親交があったと考えられる。だが、柳田は、地理学者としての牧口先生にしか興味がなかったようだ。


 アンチの愚か者どもは、戦時中の軍部による学会弾圧は世界平和を目指したものではないと批判するが、学会員ではない柳田から見た印象は、上記の文章によく現れていよう。つまり、折伏弘教を中とした創価学会の運動は、「戦争反対論や平和論」を唱えていたと世間の目には映っていたのだ。


 貴重なテキストなので、記しとどめておく。