Hatena::ブログ(Diary)

斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


WWW を検索 創価王道を検索

2005-01-31

80歳(2008年)まで 世界広布の基盤完成なる哉


 かつて、30歳の誕生日を約一ヶ後に控えた、懐かしき日記に、私は、こう記していた。

「先生と共に戦い、進み、生きぬくこと以外に、私の人生はない。師ありて、われあるを知る」

 病弱のため、医師から、30歳まで生きられないだろうと言われたわが生命。

戸田先生はそんな私を誰よりも配され、厳愛の指導を続けてくださった。

 激しき法戦の明け暮れ。病にしみ、疲労困憊した私に、先生は言われた。

三障四魔との戦いだ。泣いて、御本尊にぶつかれ。そして、すべてを打開せよ」

「いつ臨終になっても、悠然と、従容(しょうよう)たる人生であれ、信であれ」

 生命を貫く、厳父の

また、ある時は、「私の命をやろう! 生きぬけ、私に代わって、断じて生き抜け!」とも。


 師に生命を吹き込まれ、病の宿命に打ち勝ち、迎える30歳。その慨を胸に、10年ごとの人生の来し方と未来の指標を、日記につづっている。


 10歳まで …… 平凡な漁師(海苔製造)の少年時代

 20歳まで …… 自我の目覚め、病との闘い

 30歳まで …… 法の研鑚と実践。病の打破への闘い

 40歳まで …… 教学の完成と実践の完成

 50歳まで …… 社会への宣言

 60歳 …… 日本の広布の基盤完成


 しかし、日記には、60歳から先のことは、触れていない。それ以上、生きぬけるとは、とうてい、考えられなかったからである。

 私が体調を崩し、検査入院したのも、師の逝去の年齢58歳が、目前の晩秋であった。


 先生がご存命ならば、間もなく98歳。先生の命を分けていただいての、わが「更賜寿命」の七十星霜なりと、しみじみう。

 かのユゴーは、70歳で小説『九十三年』の制作に着手。またトルストイは、70歳の頃、作『復活』の執筆に没頭した。

 牧口先生は、70歳になられてすぐ、機関紙『価値創造』を創刊。新しき言論戦の火蓋(ひぶた)を切られた。

 法悟空も、『新・人間革命』第8巻の執筆に余がない。間もなく、連載も再開となる。

 ここに、60歳以降の、わが人生の歩みと推測を記せば、たとえば、次の如くなる哉(かな)。


 70歳まで …… 新しき人間主義の哲理を確立

 80歳まで …… 世界広布の基盤完成なる哉


 このあとは、妙法に説く不老不死のままに、永遠に広宣流布の指揮をとることを決する。


【「随筆 新・人間革命」1 聖教新聞 1998-01-04付】


 今、学会は創立75周年(本年1118日)から80周年を目指して戦っている。その年頭に当たり、正木副会長が引用した(聖教新聞 2005-01-10付)指導である。


 第一回目の随筆ということもあって、内容は確かに覚えていたものの、“今”という時に際して、完全に失していたことを私は大いに恥じた。


 先生が80歳を迎えられるまで、後3年。2010年までは5年である。残された師弟共戦の時間をわずにはいられない。


 戸田先生の晩年の3年を振り返ってみよう。

 いずれの歴史も、若き先生が中となって、大いなる広宣の上げ潮を築かれた歴史だ。この時、先生は、27〜30歳である。


 我々の使命は明らかだ。正邪を決し、学会の力を満天下に示すことである。


 日蓮大聖人は国家を諌(いさ)めること三度(みたび)。悩に喘ぐ民衆を救済せんと、立証安国を叫びに叫び抜かれた。


 佐渡流罪が赦免(文永11年2)となってから2ヶ後の48日、大聖人は平左衛門尉と対面。「蒙古からの攻撃はいつか?」との問いに対し、「今年は一定」と答えた。この時、平左衛門尉から大聖人に対し懐柔策の提示があり、換算すると60万両(約300〜450億円)に及ぶ資金提供の申し出があった(評論家の中島誠氏による)。しかし、大聖人はこれを一蹴。威風堂々と三度目の国主諌暁を行った。


「君に過ち有れば則諌め、三度諌めて聴かざれば去るべし」(礼記)との故事にならい、大聖人は5鎌倉を離れ、身延入りされた。だがそれは、世間的な隠居とは全く異なっていた。残された時間を、後継者育成のために捧げたのだ。


「学会は人材の城を築け」と、戸田先生師子吼した。今、喜寿を迎えられた先生の像せよ。から晩まで手を打ち、激励に激励を重ね、休みなく戦い続ける師のはあまりにも深い。


 勝って、勝って、勝ちまくる池田門下の陣列を完璧に仕上げて参りたい。

2005-01-27


 本日、824日はご存じの通り、「壮年部の日」であり、また、私の入信記日でもある(大拍手)。

 この日を記して、皆さま方とともに、“生死の二法”を説く最極の大法である「妙法」と「信」の対話ができることは、わたしのこの上ない喜びである(大拍手)。

 人生には様々な道がある。あの道、この道、無数の生き方があり、軌道がある。中にはや権力へと続く道もある。華やかな脚光と喝采を浴びる花道もある。また、デコボコの人生街道や(笑い)、飲んべえ横町の路地もある(大笑い)。

 そうした、あらゆる道の中で、御書に照らし、すべての経文に照らして、この妙法の世界こそが「無上道」である。御本尊界の光に包まれた、この広宣流布の大道以上の「道」は宇宙にない(大拍手)。

 この「無上道」の世界に、共々に生き、楽しみ、福運を積みながら、自分らしい最高に価値ある人生を無限に開ききっていく――これが私どもの人生である。これ以上の素晴らしき人生も絶対にない(大拍手)。


【「8.24」記大田・世田谷・杉並区合同支部長会 1988-08-24 東京池田記講堂】


 人それぞれが、各々の道を歩んでいる。自らの志で選んだ人もあれば、何となく今のコースに入ってしまったという人もいよう。どんな姿勢で歩いているにせよ、全て自分に責任がある。


 中途半端な生き方で、大勢の人がそっちへ向かうから、という理由だけで右往左往する人は、後悔の軌道を歩んでいる。人生の目的もなく、風に翻弄されるような生しか手中にできないだろう。


 入会動機なき学会2世、3世の諸君は、この落とし穴にはまらぬことを切に祈る。動機とは内発的なものだ。自分の手で、の中に厳とした支柱を打ち立てる他ない。そのためには、小さな勝利と確信を一つ一つ積み上げてゆくことが大切となる。


 30代前半ぐらいまでは無上道をじていたが、それ以降はからっきしだよ、という人もいる(笑)。役職が上がらなくなった途端、人間革命とはおさらば、という風に見える人もいる。これは、新たな出会いがなくなったことに起因していよう。人間は、新しい発見によって刺激を受け、が磨かれてゆくから、それも一つの道理か。


 だが、そこで立ち止まってしまえば、それは“無常”道だ(笑)。ブロックや地区といった狭い範囲であっても、自分自身がどんどん人間革命してゆくことによって、周囲にいる人々を触発してゆけば、必ず新しい発見があるものだ。また、絶えざる人間革命の道を歩むには、折伏の実践が不可欠だ。外に打って出れば、いくらでも新しい出会いはある。


 色々な組織がある。しかし、色々な御本尊はない。環境に負けてるような弱い生命力で、無上道は歩めないことを銘記したい。


 今年に入り私は、「御本尊を揺り動かしてみせるぞ!」との決に燃えて唱題している。でも、まだ一度も動いた試しがない。


 譬(たと)えば頭(こうべ)をふればかみ(髪)ゆ(揺)るぐはたらけば身うごく、大風吹けば草木しづかならず大地うごけば大海さは(騒)がし、教主釈尊をうごかし奉ればゆるがぬ草木やあるべきさわがぬ水やあるべき(1187頁)


 昨年暮れ、私は悩みを抱えた婦人部に対し、この御聖訓を引いて激励した。「今の悩み全部が、あなたの宿命だと深く自覚すべきです。そして、御本尊を揺り動かすほどの祈りがあれば、必ず解決できます」と。


 その瞬間、はたと気づいた。「とは言うものの、自分で動かしたことはなかったな」と。だから、指導した以上は、まず自分が手本を示したい。


 因みに、短髪でキッチリと七三に分け、ジェルによって固められた私の頭髪は、どんなに頭を振ったところで、揺るぐことはない(笑)。

国連の新拠点をアジアに


 アジア太平洋地域における信頼醸成と平和構築のための提案を行っておきたい。

 一点目は、国連の新たな地域拠点として「国連アジア太平洋本部」を設置するプランです。

 現在、国連には、ニューヨークの国連本部の他に、ジュネーブとウィーンに事務局が、ナイロビに事務所が置かれています。これらの3都市には、事務局や事務所に加えて、国連諸機関の本部があり、ジュネーブでは主に人権軍縮、ウィーンは犯罪防止や国際貿易、ナイロビでは環境や居住問題といったように、各分野での国連活動の中拠点としての役割も担ってきました。

 私は、アジア太平洋本部の新設を通じて、同地域における「人間の安全保障」に関する活動を充実させながら、国連の目指す「脅威が生じにくい世界の構築」のモデル地域建設への挑戦を開始すべきであると訴えたい。

 また、その設置場所としては、現在、「アジア太平洋経済社会委員会」の本部があるタイのバンコクか、日本の沖縄や韓国の済州島など、「戦争と暴力の20世紀」において筆舌に尽くせぬ悲劇を味わったがゆえに時代の転換を強く希求してきた“平和の島”を、候補地として検討してはどうでしょうか。

 私は以前の提言(94年)で、アジアにこうした地域拠点を設ける必要を訴えたことがありました。今回新たに、太平洋地域もカバーした案を提唱したのは、太平洋地域にはカナダやオーストラリアをはじめ国連の活動に積極的な国々があり、そこに国連の活動を必要としている国々の多いアジア地域を結びつけることによる相乗効果を考えてのものです。

 加えて、この二つの地域を結ぶ場所にある日本には、国連のシンクタンク機能を担う国連大学の本部があり、近年は「平和とガバナンス」と「環境と持続可能な開発」の二つのテーマに集約した研究と研修活動が行われています。

 新設する国連アジア太平洋本部が、この国連大学をはじめとする域内の諸機関を有機的に連動させる中核となり、とくに「人間の安全保障」に関する活動に力を注ぐ中で、皆が平和と幸福を享受する「グローバル・ガバナンス(地球社会の運営)」を、国連中に確立する先鞭となっていってはどうか。

 また、経済社会理事会が、ニューヨークとジュネーブで交互に開催してきた主要会期を、「国連アジア太平洋本部」で行うことも検討していくべきでしょう。


【第30回「SGIの日」記提言/聖教新聞 2005-01-27付】

2005-01-22

福沢諭吉「学者をほめるなら、まず豆腐屋をほめよ」


“学者をほめるなら、まず豆腐屋をほめよ”――この一言にも、そうした諭吉の真面目(しんめんぼく)は躍如としている。

 現在においても、諭吉の叫びの味は減っていない。むしろ、本当に人間として自己の本分を尽くした人が尊ばれず、華やかなや権威、金銭等のみを憧れる風潮が、いよいよ強まっているのが現状である。

 この転倒を正して、無無冠の実直な庶民こそ最高に尊ばれる時代をつくっていることも、私どもの広宣流布の運動の重要な義である(大拍手)。

 何よりも人間として“立派な人”を陸続と育てる。この一点に焦点を定めて、粘り強く、人材輩出の活動を繰り広げてまいりたい。

 ともあれ、慶応義塾は後世、数多くの逸材を世に送り出した。その源流には、世のさざ波を見下ろしながら、我が道を行った創立者・諭吉の「信」と、まったく偉ぶることなく庶民に徹した「人間」があったことを見逃してはならない。


【第8回本部幹部会 1988-08-19 創価文化会館


 福沢諭吉は、官職につくよう再三にわたって誘われたが、これを斥(しりぞ)けた。楽な道を拒み、敢えて独立自尊を選択するところに、“無冠の王者”の風格が垣間見える。福沢諭吉は、生涯にわたって市井(しせい)の「大平民」として生きた。


 知人から仕官を勧められた際、次のように語り、断った。


 車屋は車を挽(ひ)き豆腐屋は豆腐を拵(こしら)へて書生は書を読むと云ふのは人間当前(あたりまえ)の仕事をして居るのだ、其(その)仕事をして居るのを政府が誉(ほ)めると云ふなら、先(ま)ず隣の豆腐屋から誉めて貰(もら)はなければならぬ。


 福沢は、学者だからという理由で自分を特別扱いすることを許さなかった。そして、「寄らば大樹の陰」、「長いものには巻かれろ」といった日本人の貧しい隷属根を徹底的に批判した。


 元々、農耕民族という団体戦であったせいか、とにかく日本人は、「どこに所属しているか」を気にかける。どの企に勤務しているのか、どこに住んでいるのか、どの大学を出たのか……。出自や氏素によって、個人を評価するのは、確かな目を持ってない証拠。哲学とは、自分の頭で価値を判ずることだ。21世紀になっても、我が国に哲学はないようだ。


 こんな国土世間だから、正義を叫ぶと村八分にされる(笑)。保守的な集団にとっては、何が善で何が悪かは、どうでもいいことであって、集団が長く繁栄することが最優先される。そこに、談合の土壌があると私は考える。


 そもそも、村八分という仕打ち自体が、個を失うことによって成り立っている。ご存じの方も多いだろうが、村八分の残りの二分というのは、葬式と火事の時だけは村で面倒をみるというもの。つまり、完全には切れてないのだ。助けたいとう村人がいたとしても、それによって自分まで同じ目に遭ってしまう。そんな恐怖を基盤にして、我が国は形成されてきた。嫌な国だね、まったく。


 既に何度か書いたが、日本に革命はなかったというのが私の持論である。明治維新は、中央権力対地方権力に過ぎない。日本にあったのは一揆だけである。本当の味で、万人のをつかみ、民衆を糾合する運動は遂に存在しなかった。だからこそ、国家という概が稀薄なのだ。この構図は変わることなく現代に継承されていて、市民運動がある程度大きな規模になると、必ず圧力や規制がかかる。日本人の識の根っこには今でも、自分達の生活はお上によって守られているという幻が抜けない。そして村八分は、現代の子供達に“シカト”という前で見事に受け継がれている。


 福沢の門下生は、慶応ボーイと成り果てた。


 日本の歴史を踏まえると、創価学会の存在自体が革命そのものである。

境涯を上げてから結婚するという伝説


 この間、遠隔操作をもって、ある女子部に私の後輩を紹介しようと目論んだ。敢えなく失敗に終わった(笑)。


 女子部曰く、「今、好きな男子部がいる。題目をあげて、戦い切って、境涯を上げてからアタックしたい。それが駄目だったら、お願いします」。


 その話を伝え聞いた私は、「絶対に無理だな」と吐き捨てるように言ってのけた(笑)。


 女子部の間では、こういう都市伝説がまかり通ってますわな。「三十になるまで結婚しない」とかね。一生しなくていいよ。今日は、本音を書かしてもらいますぞ(笑)。


 大体だな、御書のどこにそんなことが書いてあるんだ? 御文を挙げてみせろよ。こんなのあ、清教徒デマゴギーに過ぎない。


 女子部は結婚をもって卒となる。つまり、女子部としての最終目標は結婚ということになる。


 よく、「自分の境涯を上げて、相手に見合う自分になる♪」というような馬鹿げた決にするが、相手だって題目あげてんだから、アルキメデスと亀の競争みたいなもんだよ。絶対に追いつけない(笑)。今、戦い切ってない者が抱く“淡い期待”は、所詮、ユートピアみたいなものだろう。雪山の寒鳥の戒めを、よくよく得よ。


 学会内における最大の都市伝説の二代巨頭として、女子部による「恋愛は御法度(ごはっと)」というのと、婦人部による「仕事をしちゃ駄目」というのがある。ふざけんのも大概にしておけ。


 後輩には「彼氏をつくっちゃ駄目よ」と言いながら、自分は同棲していた女子部の方面幹部を私は知ってるよ(笑)。


 女は確かに浮き沈みが激しい。恋愛したり、結婚したりして退転してゆく女も珍しくない。だが、それは表面的な活動をしてきた挙げ句の結果であり、最初っから信がなかっただけの話じゃないのか? 何かに対して臆病である限り、自分のの壁を破れるはずがない。


 今年から女子部は部員増加が活動のメインとなった。だが、それで後輩の恋愛や結婚を邪する先輩がいれば、私は絶対に許さない。後輩の結婚を喜べないような先輩は、人間主義を踏みにじる輩であると断じておきたい。


 女子部の皆さん、恋愛や結婚の相談は、女子部の先輩ではなく、婦人部にした方が宜しい。

2005-01-18

子は親の似姿


 ある婦人部幹部からの手紙を紹介したい。そこには大要、次のように記されていた。

 信歴は長いが、子供が後継者に育っていない家庭がある。特に、社会的地位の高い人や、学会の役職をカサに会員につらく当ったりする親の家庭に多い。そうした家では、両親が、自分の家は特別だとって、子供に厳しく信を教えていない。それが子供を駄目にしている――と。そして、こうしたことが、これからの学会の大切な課題だとうと、最後に結んであった。私は胸を突かれるいであった。

 子は、親の姿を冷静に見ている。その味で、子供の信は、親の信の一つの表れともいえる。幹部の皆さまは、よくよくこの点を銘記されたい。


【第8回本部幹部会 1988-08-19 創価文化会館


 こういう指導を読んで、「あ、あそこの家のことだな」などと他人事にしてはいけない。「ホラ、見たことか」なんてね(笑)。


 子供も夫も、婦人で決まる。一家の動向を決し、世界の命運を担っているのは女だ。


 や(矢)のはしる事は弓のちからくも(雲)のゆくことはりう(竜)のちから、をとこ(男)のしわざはめ(女)のちからなり(975頁)


 昔の婦人部の指導は厳しかった。旦那に問題があっても、全て妻の責任とされた。一方、女房殿に問題があっても、旦那の責任が問われることはあまりない(笑)。


子育てしい」、「我が子に信を教えるのはしい」という人がいる。一概には言い切れないが、親の考えで子供をコントロールしようとするとしくなるようにう。また、「しい」という一が、「しい子育て」にしてしまっていることも見逃せない。


 婦人部の中堅幹部以上になると、我が子を活動家にすることが“見栄”になってる場合も目につく。子供は、親のアクセサリーではあるまい。


 親が楽しい信をしていれば、子供は黙っていても広布後継の道を歩む。父と母が真剣に祈っている姿を日常的に見ていれば、それだけでも、子供は深い尊敬のを抱くものだ。私がそうだったのだから間違いない。


 私が小学校4年の時の少年部員会で、担当者の男子部が語った。「池田先生のご健康を祈ろう!」と。それ以来私は、「先生が元気で長生きしますように」と祈り始めた。そして、中学1年になった頃のことである。「そうだ。ついでに、親のことも祈ってやるか」という軽い気持ちで、「お父さんとお母さん」を付け加えた。その瞬間である。両親が私のことを祈っていることを直した。直達正観(じきたつしょうかん)とは、このことだと今でもっている(笑)。


 我が子が後継者と育たなければ、信の確信にヒビが入る。「祈りとしてかなわざるなしよ!」(でも、我が子に対する、私の祈りはかなわない)、「頑張りましょう!」(内の子は頑張らないけど)とならざるを得ない。


 子供がやらないのは、親の信即生活に嘘があるからだ。かといって、途中経過で物事を決めつけるのも早計。

『週刊新潮』記者が自殺


『政界往来』2005年2号の記事。


 同記事によると、入社1年目の記者が、昨年12東京・新宿のホテルで首吊り自殺した。


 学生時代から生真面目格の記者が書き残した遺書には、「仕事についていけない」(会社宛て)、「良呵責が」(母親宛て)と書かれていたという。


『週刊新潮』の早川清編集長は、この事実を封印。このため葬儀には、新潮社の人間は殆ど参列しなかった。また、新潮社からの香典は、遺族から付き返されたとのことで、家族を失った怒りがどこに向けられているかが一目瞭然である。


『週刊新潮』編集部は、同僚の死を封印したまま、年末(1220日)には忘年会に興じていた。こうしたことに、編集部内からも怨嗟(えんさ)のが上がっている。


 他人の不幸を取り上げ、プライバシーを侵害し、メディアテロを繰り返す『週刊新潮』。良呵責に耐えかねて死を選択した青年のは、完全に踏みにじられたといってよい。最早、『週刊新潮』編集部は、人間の顔をした魑魅魍魎(ちみもうりょう)の巣窟と化しているにちがいない。


柳原滋雄氏の「コラム日記」(113日)でも取り上げられている】

2005-01-17

役職は方便


 今日の幹部会では、多くの新任人事の発表があった。機構の上から見れば、役職の上がった人もいる。場合によっては、後輩の方が上の役職になる人もいる。何事も常に「変化」の連続であり、年とともに役職も様々に移行していくのは当然である。“役職が上がったから成が決まった”(笑い)とか、“役職が下がったから地獄行きだ”(大笑い)などということは、絶対にあり得ない(爆笑)。

 役職は、あくまで一次元の方便であり、「信」こそ肝要なのである。それを勘違いして、人事のたびに一喜一憂したり、慢や妬みを抱くようでは、あまりに浅はかである(笑い)。それでは、せっかく途中まで「成の軌道」を歩みながら、自身の卑しい「」ゆえに、結局はその「軌道」を踏み外すことになってしまう。

 むしろ、地味な役職で精一杯力を尽くした人の方が、よほど人間として偉いし、福運を積んでいる。


【第8回本部幹部会 1988-08-19 創価文化会館


 役職は成を保証するものではない。組織上の役割・責任範囲を示すものであって、人間としての評価とは異なる。信を磨いてゆくための方便であり、使命を果たすことに、役職の上下は関係ない。


 とはいうものの、特に男の場合、役職に固執し、役職で勝負し、役職を生き甲斐とする人もいる(笑)。多分、役職でしか自分を大きく見せることができないのだろう。さしずめ、虎の威を借るの如し。


 役職ではない。信である。信深き人が一番立派であるし、光っている。信の強い人には、誰もが自然の内に従わざるを得ない威厳がある。


 役職があっても現場を知らないリーダーは使命を果たせない。誰が民衆の味方となっているか? 末端にいる方々は、鋭くそれを知っている。会員の依怙依託(えこえたく)となって、幹部は初めて組織の柱たり得るのだ。


 巨大な柱がそびえ立っていれば、建物は嵐に揺るがない。幹部の仲がよく、堅固な団結をすれば、柱の周りに梁(はり)が巡らされる。こうなれば、創価の城は磐石の度を増す。


“誰か”ではなく自分だ。“いつか”ではなく今だ。


リーダーは現場に立て」で紹介したように、『新・人間革命』「羽ばたき」の章では、“昭和47年7豪雨”という災害を乗り越え、民衆の総によって、本門の戒壇である正本堂が建立された模様が描かれていた。


 109日より連載が開始。23日に新潟中越地震、連載終了間際の1226日には、インド洋スマトラ沖で大地震が発生した。3週間経った現在、死亡者は15万7000人、116万人が避所での生活を強いられている。


 法者として、また、同じ時代を生きる人間として、亡くなられた方々の追善と、被災した地域の復興を真剣に祈って参りたい。


 人生は諸行無常である。だが、先生が示されたのは、いかなる災害にも屈することなく、不死鳥の如く立ち上がった逞しい庶民の群像であった。そこに、「羽ばたき」という言葉の味があったことを確信する。


「青年・拡大の年」を「羽ばたき」の年と自覚し、互いの飛躍と飛翔を約し合いたい。

人事は御仏意か?


 少し前になるが、ある幹部と話していて驚かされたことがあった。私が将来的な人事の要望を述べた。それに対して、「小野さん……。人事というのは、御(ごぶっち)ですから、私は何とも言いようがありません」と答えたのだ。


 中堅幹部にしてこの体(てい)たらく。私は呆れ果てて二の句がつげなかった。よくよく考えてみると、人事に関する指導は教わる機会が少ない。戸田先生は、組織を司るものの最重要課題として、「人事と金にせよ」と仰せになったが、具体的にこうしたことを教わっている人は、殆どいないかも。教わってないどころか、自分の頭で考えたこともないのだろう。


 新しい首相が誕生した時のことを像すれば、誰でもわかることだ。組閣人事と予算(金)の分配が最重要の仕事だ。


 私が、新任の幹部(正役職)に言ってきたことの一つは、「次の体制を考えよ」という一点にあった。人材は、“見つけるもの”である。それから、育てるのだ。長の一に構ありて、人材育成は開始されることを知らねばならない。


 人事を御(ごぶっち)というのは、任命された後で、本人や組織のメンバーが受け止める姿勢を指すのであって、自然に決まるものではない。


 私が地区リーダーの当時の本部長が語った。「俺の後の本部長は、6代後まで見えてる」と。


 人事の構すら持たぬリーダーが関を抱くのは、その場その場でわかりやすい成果を出すメンバーの話だけだろう。


 本当の戦(いくさ)であれば、人事によって戦法や陣形までが決まってしまうのだ。


 人事は智を発揮しなければならない。現場人事案がそのまま通らぬ場合もあろう。だが、結局、根拠の強い方が勝つ。その根拠すら持てないような幹部の下(もと)で戦っている人々は、不幸としか言いようがない。


 危険を回避するあまり保守的になり過ぎてもいけないし、極端な異動や昇格も好ましくない。あくまでも、バランスをとりながら中道で進めるべきだ。

2005-01-15

個人指導


 個人指導を丹にしている支部は、信も深く確信も強い。また、生き生きとしている。したがって、そのような支部ならば、前進もし、安定もしている。また、明るく余裕があるようになっている。ただ表面的な多数の前での指導のみでは、どうしても信も深まらず、功徳のわき方が少ない。して一対一の粘り強い信向上のための個人指導を忘れないようお願いしたい。

 情的な愚かな指導者であっては、内外ともに大なる広宣流布の妨げとなる。して我々は、信、生活の足元を固めなければならない。


【全国各部代表者会議 1978-02-26 東京・立川文化会館


 信の醍醐味は折伏に、学会活動の醍醐味は個人指導・家庭指導にある。一対一の対話によって、自分という“個”が試され、人間としての底力がつく。が触れ合い、魂と魂がぶつかり合う中でのみ、人間は信頼を深めることができる。


 経験不足の内は、うように上手くいかないことも多い。後から、「こう言っておけばよかった」と反省することも、また多い。ない応対をされることも日常茶飯事だ。しかし、それでも足を運び、誠実なで、すっくと背を伸ばしてドアの前に立つ時、使命を果たしゆく充実があふれてくる。


 私が男子部となった時、活動家は大B長(現在の地区リーダー)ただ一人しかいなかった。未来部の私の元に足繁く通って下さった真面目な方だった。「小野さんが男子部にきてくれたおかげで、活動家が2倍になった」と、それはそれは喜んで下さった。「何としても、この人の力になりたい」。そんないから、私は役職がない時から、この先輩と一緒に家庭訪問をした。


 半年後に班長(現在のニューリーダー)となり、相前後して一人で回るようになってた。年長者とは全く話せなかった。「○○日に○○宅で座談会があります」。それだけの連絡のために、毎日地区中を駆けずり回った。既に連絡をしていても、毎日足を運んだ。


 相手にされないことも多かった。「金曜日? あ、プロレスがあるから駄目」と言われたこともあった。それでも私は全くへこたれることがなかった。夜空に輝くを見上げては、札幌の地から、東京にいらっしゃる先生にいを馳せた。


 10年間退転していた方と、仕事が多忙で活動できなかった、私の小学校時代の先輩が立ち上がった。私達3は日々、匍匐(ほふく)前進するようないで、脇目も振らず地区を歩き回った。


 2年後、座談会には常に10以上の男子部が集うようになった。一度の座談会で17参加したこともあった。私は女子部の育成にも手を貸し、青年部がいつも20人ほど集うまでになった。他の会場へ連れ出し、ミニ座談会を行い、結集は毎回、25中23という陣容を築いた。


 この当時の座談会の写真を見せると皆一様に驚く。とてもじゃないが、1地区の青年部とはえないほどの人数が映っているからだ。不議なもので活動家が増えてくると、水嵩(みずかさ)を増すように活動家が転入してきた。


f:id:sokaodo:20061027093048j:image


 我が地区が牽引力となって部活動者会は軽く30は集うようになっていた。「来週は、区青年部長が来るから、ちょっと多目に集まって」と一言、部長が言えば50人ほどが結集した。


 結局、話なんぞできなくったって、ぐるぐる回っていれば人は増えるという証拠だ。力や経験の差は関係ない。情熱さえあれば、環境はいくらでも引っくり返せる。いつも顔を見ていれば、小さな変化を見逃すことはないし、何かあった場合に、直ぐ手を差し伸べられる。


 私にとって家庭指導は趣味みたいなものだ。まあ、座談会も趣味といってよし(笑)。だって楽しいもんねー。家庭指導の醍醐味を知らない人は、学会活動の味を履き違えている人だ。


 来る青年部幹部会に追い風を送って参りたい。

2005-01-14

目標


 第五に「目標」について申し上げたい。あなたにはあなたの目標がある。私には私の目標がある。それはそれでよい。

 しかし、あなたと私の共同目標、いや御本日蓮大聖人との共同目標がある。そしてまた、人類全員との共同目標がある。あとの二つは自覚の問題であり、強制されて納得できる問題ではありません。

 この大きな共同目標、それは真の自由に基づいたところの各人個々の自受用身の判断権行使上にのみ輝いているのであります。人間相互の純然たる「規則(ルール)承認の約束事(エンゲージメント)」の自主的実践のうえに実現していく崇高なるものであります。

 ゆえに、目標なくして価値ある人生の展開はありません。あくまでも目標あっての使命である、と得ていただきたい。

 人生の目的は、自発して立てた目標によってのみ決まるものであります。後輩の養成も大事な目標であります。お互い同士の尊重も大事な目標であります。能動の人間革命、新文明の建設は、さらに大事な目標であります。

 親愛なる同志諸君、みんな仲良く共通の広宣流布という大目標を堅持して、いかなる批判にも耐え、開き、午前8時の太陽のごとく、雄々しく進んでまいろうではありませんか(大拍手)。


【第21回男子部総会 1973-02-18 東京・日大講堂】


 宮本さんの「旭日大学校」で紹介された指導を読み、探し当てた指導。


 目標なき闘争は、バーのない走り高跳びと同じだ。自分の実力を知り、それを少しでも上回るところに人生の大いなる喜びがある。


 目標は欲求に支えられている側面がある。自分が何をしたいのか、何に対して幸福を抱くか、どうなりたいのか……。電車に乗る際、切符を買わない人はいない。必ず目的地が決まっている。だが、人生行路にあって、行き先が決まってない人々は大勢いる。


 自分がどこに向かって進んでいるのかわからない。どこを目指すべきなのかもわからない。社会の安全や機構などが大きく変化する時、これらの不安が噴き出してくる。


 我々学会員の目的は一生成と広宣流布である。それは、一つの形に人間を押し込めるものではなくして、一人ひとりの生命を開花しきって、社会全体が花園のように形成される世界だ。個人幸福と、社会の繁栄が完全に一致し、他人の不幸の上に、自分の幸福を築くこともない。


 翻って妙法を知らぬ人々の幸福とは、どういった種類のものであろうか? 若者であれば、カッコイイ車と彼女がいれば幸福だ、というのが大半か(笑)。少し、年を取れば、恵まれた結婚(家つき、カーつき、ババなし→チト、古過ぎるか?)、仕事のキャリアアップ、スキルアップなどが考えられる。その後は、職場での地位、財産、我が子の学歴〜自慢できる就職口。以上、終わり。こんな人生が大半ではないのか?


 私は高校の時から地下鉄通学を始めた。混雑する車内を見渡しても、ギラギラと野に燃えている男もいなければ、キラキラと輝きを放つ女もいなかった。無表情な大人どもの顔を見て、私は密かな確信を抱いた。「この連中は、人生の大半を会社との往復に費やし、土日に遊びに行く場所すら、あらかじめ決まっているのだろう。これじゃ、長い鎖につながれた飼い犬同然だ」と。


 当時、マイホーム主義なる言葉が出回っていて、男子の出世の本懐は、一軒家を持つことなんて話があった。「それじゃあ、まるで、金持ちの家の飼い犬になるのと同じだ」と私は直した。批判精神旺盛な高校生の目に映る大人達は、座敷犬のように見えた。


 好き勝手なことをして、楽をするのが幸福だと勘違いしているのも多い。かような面々は、コタツで丸くなっている猫が理だとでも言うのだろうか?


 そんな、半分死んだような生き方に輝きはない。生きてるだけなら、ミミズだって、オケラだって、アメンボだって、みんなみんな生きているんだ♪(笑)


 アメリカの理学者マズローが、自己実現理論を説いている。


 1.生理的欲求

 2.安全の欲求

 3.所属愛の欲求

 4.承認欲求

 5.自己実現の欲求


 詳細は、「マズローの自己実現心理学」を参照されたい。


 欲求を階層化したマズローは、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」と仮定した。極めて楽観的なアウトラインだが、いかんせん、実現するための具体的な方途が示されてない。まさか、エスカレーターのように自動で5段階を上昇してゆくわけではあるまい。


 哲学は説のみあって修行法がない。本物の宗教のみが如説修行を説き明かす。真の自己実現とは自体顕照のことである。


 そのための目標を明確に。先生との誓いを具体的に。

2005-01-13

打ち出し主義を破す


 今、組織を席巻(せっけん)している“打ち出し主義”を破折しておく。


 どこの地域においてもそうだとわれるが、地区活動者会の中身が、ほぼ打ち出しだけに終始しているのが現状だ。それでも、戦いに勝利し続けているのは、末端にいる方々の信の賜(たまもの)である。


 地区部長・地区婦人部長は皆の話に耳を傾ける余裕すらない。高齢ならば尚のこと、伝えるだけで精一杯となる。地区幹部がこうなのだから、打ち出しを聞いてる側はもっと大変だ。以前、初老の婦人が、「“サミット”とか、横文字を聞いた瞬間、頭が真っ白になってしまい、その後の話が耳に入らなくなる」と語っていた。


 法華経立正安国論は対話形式で書かれている。法を説くといっても、それはから民衆へという一方通行ではなくして、互いが胸襟を開いてのツーウェイの対話だったことを見失ってはならない。爾前経においては、釈尊が質問に答える形で法を説き、安国論では、「旅客来りて嘆いて曰く」(17頁)と始まり、いずれも民衆の側からの問いかけによって対話が始まっているのだ。


 ここには、法を説く側と聞く側という分断された関係は全く見られない。衆生が、悟りを得た人物と迷える人物とが、全く同じ地平に立っている。つまり、法の対話の精神は、役職や年齢などの上下関係ではなく、人間として尊敬し合う立場を示しているといってよい。釈尊や大聖人の時代にあっては、法そのものが、当時の階級社会に対する革命だった。


 打ち出し主義は、法の精神に違背(いはい)する。


 論議講説等を好み自余を交ゆ可からざる事(1618頁)


 打ち出しに「論議」はない。打ち出しだけで終わるならば、書類を配布した方が価値的だ。


 打ち出し主義は、組織悪の最たるものであり、人間主義とは正反対に位置する。その本質は、民衆に沈黙を強いる権威主義であり、組織主義であり、民衆を手段化する政治主義である。


 人間はロボットでもなければ、ビリヤードの玉でもない。打ち出しを落とせば動くとったら大間違いだ。一方的な打ち出しが、民衆から主体をどんどん奪い取ってゆく。


 こんなことをいつまでも続けていれば、育つべき人が育たなくなるのは当然だ。また、地区に向かう足取りが重くなるのも当たり前だろう。「あれやれ、これやれ」などという話を誰が聞きたがるだろうか?


 これを脱却せしめるには、支部長と地区部長が智を働かせるしかない。組織である以上、打ち出しは必要だ。だが、それを遂行するための話し合いがなされていない現状に問題の根っこがある。


 打ち出しは最低限度に抑えて、皆のやる気を引き出し、皆の信に火を灯(とも)す作が求められている。上の幹部と現場の板ばさみとなって、軋轢(あつれき)や矛盾に悶(くもん)する場合もあるだろう。だが、支部長と地区部長さえ、しっかりしていれば現場の人達は救われる。


 新たな世紀を迎えたものの、時代の濁りは増す一方だ。


 仁王経に云く「国土乱れん時は先(ま)ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱る賊来つて国を刧(おびやか)かし百姓(ひゃくせい)亡喪(もうそう)し臣・君・太子・王子・百官共に是非を生ぜん、天地怪異(けい)し二十八宿・星道・日月時を失い度を失い多く賊起ること有らん」と(19頁)


 鬼神とはのこと。世の中の乱れはの乱れに起因し、挙げ句の果てには、自然環境が破壊され、災害が起こる。振り込め詐欺や猟奇殺人を知るにつけ、「多く賊起ること有らん」と誰もが実する。


 其の上当世は世みだれて民の力よわし(1595頁)


 世の中が乱れると、民衆は渋(くじゅう)を強いられ、力を奪われてゆく。社会に関を持つ気力さえ失い、我が身一身のことで汲々(きゅうきゅう)とするのが常となる。


 かような時代であればこそ、学会は「民の力強し」を証明する役目がある。黙っていてはいけない。傍観してもならない。泣き寝入りしてもいけない。民衆が総立ちとなれば、組織悪は雲散霧消する。

2005-01-12

『若き日の日記』の続編を望む


 これは10年ほど前から、聖教職員を見つけては懇願してきた要望。師弟共戦の最終段階と自覚すればこそ、熱望してやまない。多くのが集まれば、先生もきっと認めて下さることと信ずる。

2005-01-11

ドレフュス事件


 ゾラは誰も頼らなかった。一人、ただ自らの「」「哲学」のみをよりどころとして戦った。そして、全社会が敵になろうとも、「真理と正義の理」を味方とするゆえに、最後の勝利を信じきっていた。

 ここには主義主張に生きる人間が、等しく持つべき覚悟がある。また確信がある。

 ――裁判は、ひとまずゾラの有罪であった。ドレフュスの無罪も認められなかった。更に、ゾラには一年余の亡命生活など、死ぬまで試練が続いた。

だが、ゾラは屈しなかった。最後の最後まで戦い続け、信を叫び続けた。

 そして、ゾラの死後4年にして、ようやくドレフュスの無罪が確定し、誉回復することができた。ゾラは、ついに自らの言葉通りに、「勝利の証」を示したのである。


創価大学第13回栄光祭 1988-08-16 創価大学中央体育館】


ドレフュス事件」は1894年10に端を発したフランスでの冤罪(えんざい)事件。


 指導で紹介されたゾラの人生の要旨は以下の通り――

  • ゾラは大学受験に二度失敗し、進学を断
  • ある出版社に勤務したが、彼の仕事は本の梱包や発送で、文学とは無関係だった。
  • 地味で目立たぬ仕事だったが、発送や返本(へんぽん)の整理をする中で、“今、人々がどのような本を求め、読みたいとっているのか”を追求し、時代のセンスを自分のものとしていった。
  • ドレフュス事件に遭遇したのは、ゾラが60歳になろうとしていた頃。ユダヤ人のドレフュス大尉が、軍部権力の策謀によって、事実無根のスパイ容疑をでっち上げられた。当局は、国民が抱いていた反ユダヤ人情を巧みに利用し、「ドレフュス有罪」を印象づけた。イエロージャーナリズムは待ってましたとばかりに記事を書き立てた。世論は圧倒的にドレフュスに不利な方向へ揺れた。
  • ドレフュスの無罪を叫ぶ救援活動も挫折しそうな雲行きとなった。この時、敢然と立ち上がったのがゾラその人だった。
  • 1989年113日、ゾラは共和国大統領宛ての手紙を「オーロール新聞」の一面に公開。大反響は、そのままゾラへの攻撃と化した。権力からも、ジャーナリズムからも、世論からもゾラは叩かれた。「ゾラは、ユダヤ人から買収されたのだ」というデマも浴びせられた。その矛先(ほこさき)は、ゾラの亡くなった父親にまで向けられ、悪し様に罵られた。
  • そして、ゾラ自身が誉毀損で起訴されるに至った。
  • 裁判でも堂々たる論陣を張ったが、ゾラは有罪とされた。ドレフュスの無罪も認められなかった。更に、ゾラは一年余りの亡命生活を強いられるなど、死ぬまで試練が続いた。だが、ゾラは屈しなかった。

 大文豪が晩年に辿り着いた生き方は、自分の全てを懸けて無実の人を救い出すことだった。ゾラの瞳には、ドレフュス大尉の後ろに“虐げられる人類”が映じていたにちがいない。


 ゾラは、冤罪にしむドレフュス大尉のために、安閑と余生を過ごすことを拒絶した。縁故もなければ、面識すらなかった人物のために、全てを犠牲にした。一人の人権が踏みにじられることは、万人の権利が脅(おびや)かされることでもあった。ゾラは、人類の進むべき進路を鋭く見つめていた。


ドレフュス事件の人々」というページによれば、ゾラは暗殺された可能もあるという。だが、ゾラの不撓不屈の精神は勝利した。それは、ドレフュス大尉の無実を勝ち取っただけにとどまらず、後世の人々の人権に強靭な骨格を与えた。


「困っている人を見て、黙っているわけにいかない!」。これが、革命の原動力だ。友の、そして人類の宿命転換に挑む我々にとっては、より一層、重要な味を持つ。


 民衆をしめる悪を放置することは、悪への加担となる。


 涅槃経に云く「若し善比丘あつて法を壊(やぶ)る者を見て置いて呵責(かしゃく)し駈遣(くけん)し挙処(こしょ)せずんば当(まさ)に知るべし是の人は法の中の怨なり。若し能く駈遣呵責挙処せんは是れ我が弟子真の聞なり」云云、此の文の中に見壊法者(けんねほうしゃ)の見と置不呵責(ちふかしゃく)の置とを能く能く腑(しんぷ)に染む可きなり、法華経の敵を見ながら置いてせめずんば師檀ともに無間地獄は疑いなかるべし、南岳大師の云く「諸の悪人と倶に地獄に堕ちん」云云、謗法を責めずして成を願はば火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべしはかなしはかなし、何(いか)に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし、うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し、毒気深入失本故(どっけじんにゅうしっぽんしんこ)は是なり、経に云く「在在諸の土に常に師と倶に生ぜん」又云く「若し法師に親近(しんごん)せば速(すみや)かに菩薩の道を得ん是の師に随順して学せば恒沙(ごうしゃ)のを見たてまつることを得ん」釈に云く「本此のに従つて初めて道を発(おこ)し亦(また)此のに従つて不退地に住す」又云く「初め此の菩薩に従つて結縁し還(また)此の菩薩に於て成就す」云云、返す返すも本従たがへずして成せしめ給うべし(1056頁)


 ゾラの魂は、この御文と深く共鳴している。

2005-01-10

金のかかることを絶対に強要するな


 新年勤行会でのことだった。私は婦人部4を乗せて会館へ向かった。会場で別れた直後、一人の婦人部が「広布基金をやりましょう」とを掛けて皆で納金したとのこと。居合わせた高齢の婦人部は、昨年暮れにマルチ商法の被害に遭った方だった。を掛けた婦人は、それを知らない。後日、プライバシーを伏せた上で、私から注をしておいた。


 この他にも、様々な事情があって、電車賃にも事欠く人もいる。実際にそういう方から直接、私は相談を受けている。


 あなたが知らないだけで、あなたの傍にもこうした人がいるかもしれない。善からなされた発言であっても、どれほど相手を傷つける行為になるかは誰にでもわかることだろう。リーダーは常に、こうした像力を失ってはならない。

衛生中継


 昨夜、衛星中継に参加した。何と放映終了は20:07だった。その後、分区長の挨拶のみで会合は終了。婦人部長の挨拶はなし。これも、会合革命の流れか。おかげで、あるブロック長宅を訪問することができた。


 白ゆり合唱団の出番は5年振り。一緒に戦った同志の奥方が何度もアップで映っていた。

2005-01-09

後継者決定


昭和二十六年一六日


 十一時三十分、先生宅。薄ら寒い正。先生と共に、会社等の書類の整理。


 一晩中、先生宅にて、種々お手伝い。及び指導、薫陶を賜る。先生の、なみなみならぬ決をひしひしとずる。


 先生は、正成(まさしげ)の如く、吾れは、正行(まさつら)の如くなり。奥様は、落涙。此の日の、動、厳粛、涙、使命、因縁、生き甲斐は、生涯、忘るることはない。後継者は、私であることが決まった。

激越の、年も刻々と明けて来た。いかなる悩にも打ち勝ちて、男らしく、青年らしく、若人らしく、本年も戦いきろう。


 学会も、会社も、黎明の年であれ。


【『若き日の日記(上)』 1951-01-06】


 第三代の本因が決定した日。現実には9年後に会長就任される。


 創価血脈は、秋霜の季節に行われた事実を我々は忘れてはならない。戸田先生にとっては、最悪の事態となっていた時期である。詳細は小説『人間革命』第5巻に記されている。戸田先生は万が一のことを定され、学会と事の後事の一切を、23歳の青年に託された。それどころか、頭を下げて、家族のことまで頼まれたのである。


 その後、若き池田先生の孤軍奮闘によって事上の行き詰まりは打開された。そして、この年の53日、遂に戸田先生は第二代会長として立ち上がった。


 つまり、戸田先生が予された最悪の状況になっていれば、池田先生が第二代になっていたかもしれないのだ。この一事だけを考えても、どれほどの境に立たされていたかが像できるだろう。


 先生は、学会が今、世界的に発展している因は、この時につくられたと何度も教えて下さっている。給料が遅配し、社員が次々と去ってゆく中で、先生は全身全霊を傾けて、仕事に取り組まれた。


 境が師弟の関係を純粋に浮かび上がらせる。多くの人々は戸田先生に対して不信を抱き、離れ去っていった。ただ、先生のみが、師弟の魂を赫々と燃え上がらせ、戸田先生と一体不二の存在となっていった。


 この日の翌日に書かれた日記が、「弟子であること自体が幸福」である。の真っ只中で、大いなる希望を掲げ、深き幸福を会得されている。死闘なくして師弟は不二たり得ないことを我々は知らねばならない。


 血脈とは、神秘なる儀式などではなくして、日蓮法の魂の継承であり、人と人との出会いが人類の命運をも変えることを示したものであろう。精神の脈動が一体となるような出会いを一つでも多くつくる年にしたい。

2005-01-08

妙密上人御消息


 然るに日蓮は何(いずれ)の宗の元祖にもあらず・又末葉にもあらず・持戒破戒にも闕(かけ)て無戒の僧有智無智にもはづれたる牛羊(ごよう)の如くなる者なり(1239頁)


 大聖人は一宗を立てようとしたわけではない。故に、宗祖でもなければ、御本でもない。このような疑がある。


 建治2年3に書かれているので、文永の役から約一年半後のこと。立正安国論予言が的中し、いよいよ、「日本国を救うは、我一人のみ」との確信に燃えて、弟子一同を訓育されていたことと像する。


 妙密上人の詳細は不明。この御書を一読して、男であることを初めて知った次第(笑)。青鳧(せいふ)五貫文の御供養と、鎌倉の桑ヶ谷(くわがやつ)に住んでいたことを踏まえると、武士であったとわれる。


 この御書の流れは以下の通り――

  • 施食の功徳を述べる。
  • 日本国への法渡来の歴史、諸宗の伝来について。
  • 最澄(伝教大師)により、天台・真言の二宗が渡来。
  • 滅後、南無妙法蓮華経を弘めた人なし。
  • 末法が題目流布の時であるこを明かす。
  • 末法に大法を弘める人を明かす。
  • 大法受持の至を述べる。
  • 諸宗の祖、法華経の正を知らず。
  • 賢人・聖人の別を説く。
  • 真の聖人を示唆する。
  • 真の聖人の大確信を述べる。
  • 謗法によるを明かす。
  • 供養功徳を讃嘆する。

 次に御文を挙げて、追ってみよう。


 上大聖より下蚊虻に至るまで命を財とせざるはなし、これを奪へば又第一の重罪なり、如来世に出で給いては生をあわれむを本とす、生をあわれむしるしには命を奪はず施食(せじき)を修するが第一の戒にて候なり(1237頁)


 で、食物を施す修行をすれば、三つの功徳がある。「に成りて」は法報応の三身となって顕れる。(同頁)


 これは、「あなたはになれますよ」と言われたも同然。


 総じて日本国に法渡りて于今(いまに)七百余年なり、或は弥陀の号或は大日の号・或は釈迦号等をば一切衆生に勧め給へる人人はおはすれども、いまだ法華経の題目・南無妙法蓮華経と唱へよと勧めたる人なし、日本国に限らず月氏等にも滅後一千年の間・迦葉阿難馬鳴竜樹・無著・天親等の大論師法を五天竺に弘通せしかども漢土に法渡りて数百年の間・摩騰迦(まとうか)・竺法蘭(じくほうらん)・羅什三蔵・南岳・天台・妙楽等・或は疏を作り或は経を釈せしかどもいまだ法華経の題目をば弥陀の号の如く勧められず(1238頁)


 釈迦滅後、1000年以上にわたって、南無妙法蓮華経と唱えた人はいない。


 一切・時による事なり、されば正像二千年の間は題目の流布の時に当らざるか、又教を弘るはの御使なり随つての弟子の譲りを得る事各別なり(1238頁)


「各別」とは、から譲られた法によってランキングが示されるってこと。


 いまだ本門の肝たる題目を譲られし上行菩薩世に出現し給はず、此の人末法に出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の中(うち)・国ごと人ごとに弘むべし(1239頁)


 この時、大聖人は立教から既に23年を経ている。「国ごと人ごとに弘」めているのは大聖人ただ、お一人である。当然、妙密上人も弁(わきま)えていたことだろう。


 で、この次に冒頭の御文が来るのだ。そして、その直後には、


 何(いか)にしてか申し初(そ)めけん・上行菩薩の出現して弘めさせ給うべき妙法蓮華経の五字を先立(さきだち)てねごとの様に・にもあらず南無妙法蓮華経と申し初(そめ)て候し程に唱うる者なり(1239頁)


「寝言のようににもなく」との仰せは、ご謙遜の立場から発せられたものだ。肝なのは、「申し初め」と二度にわたって書かれていること。末法の正師であることを宣言されたも同然。


 但し法華経を開いて拝し奉るに此の経をば等覚の菩薩文殊弥勒観音普賢までも輙く一句一偈をも持つ人なし、「唯」と説き給へり(1239頁)


「唯」は、「ただのみが知る」との。つまり、「一句一偈を持つ」人がであることを示し、まして、初めて唱えられた大聖人がであることは言うまでもない。


 伝教大師ことはりて云く「法華経を讃すと雖も還って法華のを死(ころ)す」云云(1239頁)


 諸宗の元祖の誤りを糺(ただ)した上で、この御文。彼等は、釈尊がわからずして、釈尊のを殺したのである、と。


 今日蓮は然らず已今当の経文を深くまほり一経の肝たる題目を我も唱へ人にも勧む(1239頁)


 私は違うぞ! 釈尊のを誰よりも深く知り、その魂である題目を唱え、折伏を行じている。


 当に知るべしの御の我等が身に入らせ給はずば唱へがたきか(1240頁)


 賢人と申すはよき師より伝へたる人聖人と申すは師無くして我と覚れる人なり(1240頁)


 日本国の中に但一人南無妙法蓮華経と唱えたり、これは須弥山の始の一塵大海の始の一露なり(1241頁)


 では、振り出しに戻ってみよう。疑を寄せる人物に共通するのは、冒頭の一句にのみ注目し、それ以降の御文には目をつぶるところ。「大聖人は、馬や羊と変わらない」という人は一人もいない。


 妙密上人は、このお手紙を頂いたことによって、それまで敬愛のを寄せてきた大聖人の存在が、更に巨大な存在となって、“御供養できた”という事実に対して謝のを深めたことだろう。


 つまり大聖人が仰せになられているのは、一宗の教勢拡大を図ったり、宗教界での地位獲得を目指したものではないということだ。大体が、一切衆生を救おうとされるが、教団設立を目論むはずがないのだ。


 それ故、御書の中で「元祖」という言葉が使用されるのは、その殆どが批判の俎上(そじょう)に載せた人物に向けられたものである。


 私はこの御聖訓に、の広大な慈悲を垣間見るいがする。日蓮法が時代精神となり、社会通に完全に溶け込み、「世間の道理」となれば、創価学会という教団の存在理由はなくなる。その時、人類は「創価学会」となるに違いない。

学会の信心に無量の福運が


 私が本日申し上げたいことは、創価学会の信にこそ、無量の大福運・大功徳がある、ということである。

 いうまでもなく創価学会の運動ならびにその根本路線は、御本日蓮大聖人のご精神に直結した信そのものに貫かれている。ゆえに、この信血脈を受けた皆さん方が、宇宙大の福運と功徳を享受できることは絶対に間違いないことを、私はを大にして宣言しておきたい。


【新年勤行会 1977-01-01 東京創価学会本部】


 昭和52年の元日に行われた勤行会である。


『広布第二章の指針』(第9集)に収められた指導は要旨のみ。私は札幌にいた時、この指導をテープで聴いたことがある。新年を寿(ことほ)ぐムードは全くなかった。先生の雄叫(たけ)びは凄まじい迫力で、何らかの覚悟が込められていた。会場から伝わってくるのは、異様な緊張だった。そして115日、関西戸田記講堂にて第9回教学部大会が行われ、先生は「仏教史観を語る」と題して講演。この内容に坊主どもが癖をつけて第一次宗門問題が惹起した(創価班の事実上の結成となる第1回総会が16日に開催されている)。


 正本堂建立の際に、「流血の惨も辞さず」(昭和47年630日付)との脅迫文を宗務院に送りつけ、狂乱の極みにあった妙信講(現在の顕正会)問題が、昭和49年(1974年)に再燃。この年の104日に、妙信講の若手80が学会本部を襲撃。街宣車を門扉に突っ込む事件があった。


 昭和50年(1975年)10には、山崎正友が墓苑をめぐる「土地転がし」で4億5千万円の裏金を手中にしていた。


 翌昭和51年(1976年)、『月刊ペン』の3号と4号で根も葉もないスキャンダルが報じられた。


 内外の策謀と逆風が渦巻く中、同年125日、戦後初の任期満了による衆議院選挙が行われ、公明党は56議席を獲得。遂に第3党へと躍進した。


 第一次宗門問題は今から考えると、坊主どもによる茶番劇に過ぎなかった。「学会に行き過ぎがある!」などと騒いでいたが、「行き過ぎ」とは“在家であっても供養を受ける資格がある”との一点に癖をつけたものだった。この講演は今読んでも何の問題もない。教史を踏まえた上で、広宣流布のあるべき姿を論じただけに過ぎない。宗門問題の本質は、自行化他の実践なき坊主どもが、供養が減ることに対する恐怖から、偉大なる信徒にケチをつけただけの話である。学会の勢いに恐れをなし、何が何でも“僧侶が上で、在家は下”という関係を死守したかったのだろう。また、戸田先生の会長就任以来わずか20数年で、これほどまでに発展した創価学会に対する嫉妬もあったはずだ。


 衛星中継が実現していれば、わけもなくこの問題は乗り越えられたことだろう。しかし実際は、講演がレコードにはなったものの、結果的に弟子が師匠を守ることはできなかった。


 迫り来る宗門問題を前にして、先生は、「創価学会の信にこそ、無量の大福運・大功徳がある」との大宣言をされた。


 讃(ほ)むる者は福を安明(あんみょう)に積み謗(そし)る者は罪を無間(むげん)に開く(291/310/974/978/1039/1103/1595頁)


 安明(あんみょう)とは須弥山(しゅみせん)のこと。ヒマラヤ山脈のような功徳を受ける資格があるのは我々、学会員だけなのだ。この一年功徳爛漫と薫る年として参りたい。

『香峯子抄』


 6日に発売された『香峯子抄』(主婦の友社)を読んだ。文字が大きいので、小一時間ほどで読める。知られざる歴史多々。若き日から先生を支え続けてきた奥様の人柄が十分伝わってくる内容となっている。


 結婚した際、戸田先生より「家計簿をつけるように」と言われ、実はこの家計簿が、大阪事件での不当逮捕を証明する証拠となったことは、初めて明らかにされた歴史。


 あらゆる女に読んで欲しい一書であることは論を俟(ま)たない。会長就任以降、どれほど多くのものを犠牲にされてきたことだろう。だが、一人の男を支えに支え、尽くしに尽くし抜いた人生に、暗い後悔は微塵もない。信即生活の智が、どのページにもちりばめられている。また、言葉遣いの美しさが、何とも地好い調べとなって、胸に響いてくる。


 これは、ある最高幹部から聞いた話だが、「私は妻ですけど、本当は弟子なんですよ」と奥様が話されてたそうだ。


香峯子抄

2005-01-07

“生の意見”と“死の意見”


 見には“生の見”と“死の見”がある。

“生の見”とは、個人情にとらわれず、全体観に立ち、協調のある見で、明るく実行し得る建設的な見のことである。

 反対に同じ見であっても、人を傷つけ、相手に対し強圧的にじさせ、または、愚痴っぽくなったり、皮肉めいてとられる場合は“死の見”である。これは破壊的な見である。

 あの人が提案すると何となく明るくじがよい、協力せずにはいられない、という論議であるならば、それは“生の見”であり、指導者としてふさわしい発言であるといえよう。


【『指導メモ』 1966-06-01発行】


 昭和40年前後のことになるが、当時、副理事長会というのがあった。現在の副会長クラスの会合である。今のように多数の幹部がいる時代ではなく、先生の脇士ともいうべき位置の幹部だった。副理事長会の内容が報告されると、先生はよく同じことを訊ねた。「誰が一番、見を言ったか?」と。そして、「黙っている人はずるい」と指摘された。


 最近は、ずるい人が多い(笑)。家庭指導をしていると、様々なが寄せられ、サイレント・マジョリティなき多数派)の動向が手に取るようにわかる。私は代弁者となって、こうしたを次々と幹部に報告し、変えるべき点は変えてゆくよう促す。皆が迷惑している幹部がいれば、私は遠慮会釈なく注をする。私の身体は既に、民のによって動くよう訓練されているので、識して行動するというよりも、自動的に反応しているだけである。時折、やり過ぎて失敗することもあるが、多くの人々に支えられているので、微動だにしない。


 西洋で生まれた民主主義は、キリスト教が根本となっているために、どうしても個人主義になりがちで、結果的に民衆はバラバラに分断され、衆愚の方向へと傾いてしまう。


 これを転換するには、一人の生命を解き明かした法によらねばならない。つまり、民主主義に魂を吹き込むのが我々の使命でもある。


 とはいうものの、あまり民主的でない組織も多い(笑)。打ち出しを徹底するのがやっとという地区が大半だ。見を言うと煙たがられたりするのだから、反対見なんぞを言ってしまえば村八分にされかねない(笑)。頭の悪い幹部に当ってしまうと、見を封じ込むために、「信で受け止めなさい!」などと言われる始末(笑)。


 あるいは突然、見を求められ、よく考えることもできない内に賛成させられるケースもありますな。これらを権威主義とは申すなり。


 こうした組織を革命するには、まず、地区部長と地区婦人部長が何でも話し合える関係であることが必要。次に、地区とブロックが連係を密にし、普段からブロック幹部の見を求めるように掛けること。そして、これが一番大事になるが、全幹部がしっかりと家庭指導をし、常日頃からブロック員さんの見にを傾けることである。連絡だけで終わるような回り方では、組織が変わるはずもない。


 などと組織論を書いてはみたものの、現実にどうすればいいのか? 一番簡単な方法は、自分の信功徳を出すことだ。功徳があれば、人間は自然と歓喜の振る舞いになる。信の歓喜は黙っていることを許さない。しゃべりたくて、しゃべりたくてしようがなくなるものだ。地区幹部やブロック幹部に、「こんな功徳を受けたんです!」と語っていれば、地区活動者会や座談会などで必ず話す機会がある。つまり、毎週、功徳を出せば、毎週、話せるってわけだ(笑)。


 自由闊達に見を言える雰囲気がなければ、所詮、幹部の都合で運営されている権威の組織と断じておきたい。


 その上で、「やりたくない」という見は「死の見」である。皆のことを考えないで、自分の好き勝手なことを言うのも「死の見」であろう。中者が「皆にやらせよう」とする見も「死の見」だ。参加者の誰からも、「おっ、いいね〜」とわれるのが「生の見」。「死の見」は小乗的で、「生の見」は大乗的だ。


 いずれにせよ、協議する段階では、どんどん見を述べ合い、決まったことに対しては、しっかりと団結してゆくのが、法民主主義のあり方だ。全員が、「私の見で組織が動いている」と実できるのが理だ。こうなってこそ、主体者の集いとなり、団結の力が掛け算と発揮される。

2005-01-05

会合革命


 会合革命が叫ばれている。関西では既に、昨年行われた関西総会にて徹底され、会合時間は1時間から1時間10分以内、座談会は年2回だけ地区単位で行い、それ以外はブロックでの開催になるそうだ。


 まだ、徹底されてない地域も多いが、全体的な流れになると思われる。


 これは、言うは易く行うは難(かた)しの典型である。参加者全員がしっかりと定刻に集えば可能だろうが、どうしても仕事で間に合わない方や、漫然と遅刻してくる人が必ずいる。まず、参加する一人ひとりが、しっかりと駆けつける姿勢を持たずして、会合革命は成り立たない。


 四者の会合の終了時間は8.30(はってんさんまる/20:30)と、広布第二章以来、徹底されている。座談会においては、結構守られているが、地区活動者会だと21:00前後になる地域も目立つ。酷(ひど)いようであれば、20:30に目覚まし時計をセットしてはどうだろう?


 MLで会合革命に関する意見を求めたところ、次のようなものが寄せられた。

  • 家族の中に要介護者がいる場合、会合へ行くためにヘルパーを頼む。会合の終了時間が延びると、ヘルパーが帰ってしまうので、大変困る。

 次はある支部長の取り組み。

  • 月に1回程度は、月曜日の会合を日曜の昼間、または、土曜日の午前中に開催(仕事の都合で平日が無理な地区部長への対応のため)。
  • 月曜の昼間に婦人部は会合を設けないようにする。日中に家事を片づけるようにして夜の会合に参加する。ご主人が帰宅前でも、18:30には夕食の用意を終了するようお願いしています。飯があれば、あまり文句はでませんね(笑)。
  • 日程と報告に一番時間がかかるので、これを早く片づけるための実践。まず、日程は追加・訂正・中止のみを発表する。会合で日程を読み上げることはしない。前日(日曜)までに、すべての会合を確認。日程表を作成し、各地区に配布(協議会参加人数分)。遅れた人にも伝わるように、日程発表は協議会の最後の方にします。
  • 座談会、本幹、部別御書講義など、月曜日に集計だと、やはり時間がかかるので、終了日当日に報告するようにしています。月曜日には追加があった場合のみ追加として報告。各地区で差はありますが、会合自体は大方1時間以内で終了してます。但し、早く帰りたくないようです(笑)。結局、解散する時間はあまり変わりません。

 色々と工夫されていて、大変参考になった。ただ、日程に関しては、何度でも確認・徹底した方がいいと私は思う。


 いずれにせよ、こうした意見からもわかるように、地区とブロック、そして、ブロック長と白ゆり長が連係を密にした上で、全幹部が家庭指導をしっかりと行うことが重要だ。これなくして、ただ単に会合の合理化を推し進めると、必ず失敗する。


 パッと集まり、パッと散る。軽やかな集合離散ができるのは、躍動した組織である証拠だ。全員の意欲がなければ、会合革命は成らず。

『大白蓮華』の配達方法を変えるべきだ


 現在、『大白蓮華』は配達員さんが配っている。受け取る側は当たり前に思っているだろうが、実際に配る側のご労は並大抵ではない。配達員の多くは婦人部の方々である。1地区の分ともなれば、女性が持てる重量ではない。雪の多い地域ともなれば、事故の原因になる可能性も高まる。


 こうしたことを組織で一度話し合ってはいかがだろう。個人的には、書籍のように組織で行うべきだと考える。店主が地区に届けるのだから、ブロックで配布すれば、さほどの負担はないだろう。その上、普段回ってないブロック長の足も動くのだから一石二鳥だ(笑)。


 これは、地区で対応できる範囲の問題である。上からの打ち出しを待っている間は、いつまでも配達員さんに負担がかかってしまう。もちろん、勝手にやるわけにはいかないから、支部長・婦人部長や、販売店主への根回しが大事。


『グラフSGI』もこれに準じて考慮すればいいと思う。

2005-01-04

聖教新聞は「名誉会長」という呼称を廃止せよ


 聖教新聞で、「誉会長」と表記するのはやめてもらいたい。せめて、SGI会長とすべきだ。「誉会長」というのは、第一次宗門問題によって、会長職を追いやられた時の呼称である。本山の所化どもは蔑(さげす)みながら「誉」と呼んでいた。このような呼称を、いまだに平然と使用する聖教新聞社の覚を疑う。

2005-01-03

創立100周年を黄金の歴史で飾れ


 戸田先生はご逝去の前、しみじみと語っておられてことがある。

「大作、お前が、今の私の年齢になった時は、どのようになっているかな」と。

 簡単ではあるが、にしみいる言葉であった。

 今日、私の元に集い来った後継の若き門下は、現在、11〜12歳から18歳。私は60歳――。戸田先生と同じで、私は諸君の未来を胸にい描いている。

 今、18歳の諸君が60歳になるのは西暦2030年。すなわち学会創立100周年の年である。

 その時には、広布の舞台は、はるかに壮大に広がっているにちがいない。世界の、ありとあらゆる地域で、ありとあらゆる分野で、絢爛たる活躍のステージが諸君を待っている。

 いよいよ広宣流布の本格的な展開の時代である。

 この100周年を諸君は見事に“黄金の歴史”で飾っていただきたい。これが本日の私のお願いである。“遺言”というとセンチメンタルになる。むしろ私は一言、諸君に「しっかり頼む」と託したい(大拍手)。

 その味で、本日は100周年という素晴らしき学会の黄金時代への幕が開かれた――と明確に申し上げておきたい(大拍手)。

 ともあれ諸君は若い。長い将来がある。

 天草四郎は、あまりにも若くして散った。しかし諸君は、健康であり、長寿であっていただきたい。無事故で生き抜き、どこまでもたくましく長生きをしていってほしい。

 そして、一人も残らず、立派に人格を完成しきって、実ともに偉大な学会のリーダーに、社会と世界の指導者に育っていただきたい。

 必ず、そうなってもらいたい。また、必ずそうなっていくであろう。それが私の悲願である。私は、諸君の成長を祈りに祈っている。


【第1回未来部総会 1988-08-07 長野研修道場】


 この時、未来部のメンバーだったのは、19701981年生まれ。小説『人間革命』が連載され、「大いなる希望」が発表されたのが1970年であった。1972年から広布第二章が開幕し、1979年に七つの鐘が鳴り終えた(会長勇退)。つまり、この世代のメンバーは、1960年に池田先生が第三代会長となった時代の青年部の子供達といえよう。そして今、24〜35歳となり、最後の池田門下生ともいうべき世代に成長している。


 学会創立100周年を託す先生のはあまりにも深い。令法久住(りょうぼうくじゅう)のために、真剣勝負で未来部に語りかけている。


 この世代を立派に育て上げるることが、「青年・拡大の年」の眼目だ。現実問題として、青年部が青年部を育成することがしい時代になっていることも見逃せない。壮年・婦人は、離れた位置から、「甘い」、「駄目だ」、「なってない」などと見下すことなく、四者一体となって育成するしかない。


 信の基本はブロックや地区で教える。そして、地区部長会や支部長会、また、本部長会や執行会議などで、将軍学をしっかりと打ち込んでゆく必要がある。今までは、青年部に対して危機を募らせながらも、遠慮をして、手をこまねいていた壮年幹部が大半だった。本年は、これを打破する一年として参りたい。


 そうかといって、何でもかんでも壮婦が首を突っ込んでしまうと、青年部が萎縮してしまう。上手くメリハリをつけ、バランスを見極めないと失敗しかねない。青年部が伸び伸びと戦うことが最も大切だ。


 10年後の地区部長や支部長を育てていると自覚したい。また、学会の将来を決する覚悟で、自己の成長をもって青年部をリードしてゆきたい。

変動する世界


【読売新聞 2006-01-03付】


2005日本の人口 初の「自然減」
2032年インドGDP 日本を上回る
2041年中国GDP アメリカ抜き世界一
2050年世界90億7000万人


 日本にとって、衝撃的な未来予測が相次いでいる。昨年早くも人口減を招いた日本が、巨大人口を背景に経済発展を続ける中国やインドに、遠からず経済力でも抜かれるというのだ。


 米ゴールドマン・サックス社の2003年報告書によると、中国は2016年にも国内総生産(GDP)で日本を追い抜き、2041年までには米国をも抜いて世界一になる。インドは2032年までにGDPで日本を上回る。


 また、「総合研究開発機構(NIRA)」の推計によると、2050年のGDPで、中国がアメリカの1.66倍、インドが1.5倍となる一方、日本は中印の1割台まで落ち込む。


 躍進するのは「BRICs」(ブラジル、ロシア、インド、中国の頭文字)だけではない。ゴールドマン・サックス社の05年の予測では、インドネシア、パキスタン、バングラディシュ、ナイジェリア、メキシコを含む11ヶ国が、BRICs予備軍「N-11(ネクスト・イレブン)」になる。メキシコのGDPは50年に世界で6位、インドネシアは11位、ナイジェリアが12位になると予している。


ソフト大国


 インドのIT(情報技術)産は円換算で3兆円規模、GDPの4%を占める。人件費の安さと英語を武器に、ソフト製作の下請けやコールセンター務で績を伸ばした。映画製作も年間約900本で、米国をしのぎ世界一。ボンベイ(現ムンバイ)近辺にスタジオがあることから「ボリウッド」の異もできた。


 インドでトップ水準の病院は、「医療水準が高く、治療費も安い」と評判だ。04年には55ヶ国から15万人の患者が治療に訪れた。


消費大国


 米国の調査会社ニールセンによると、中国人が外国旅行に費やす買い物額は一人あたり987ドルで、堂々たる世界一だ。


 中国のネット人口は05年5現在で1億人を超え、1億6000万人の米国に次ぐ世界第2位。ブロードバンド加入者(3018万人)は、07年までに米国(約3400〜3900万人)を抜くとの予測もある。インドのネット人口は05年現在で約3700万人。携帯電話加入者は中国が3億3000万人を超えて世界最多。インドの加入者は5000万人だが、06年末には7000万人になると見込まれる。


 中国の外貨基準高(香港との合計)は、05年6末時点で8379億ドルに達し、日本(8340億ドル)を上回り世界一になった。ただし、宝飾用の金消費量はインドが世界一で、中国の2倍も消費する。


大国の重荷


 中国にもインドにも、人口大国ならではの弱点がある。


「毎年、関西電力1社分の発電量が増えている」。日本エネルギー経済研究所(東京)の本村多門さんは、中国のエネルギー消費急増が大きな足かせになると言う。「それを毎年作れと言われても大変。それが今の中国です」


 電力開発は長期計画が必要な分野。年平均9%の経済成長は、政府のあらゆる開発計画を上回った。04年には石炭を前年比2割近く増産し、5000万キロワット(東京電力の8割に相当)増やし、発電設備は米国に次ぎ世界2位だ。それでも、電力消費のピークの夏には、企を順番で強制的に休ませる「輪番休」を上海などで実施せざるを得なかった。


 インドに残るカースト制度も成長阻害要因とされる。社会的流動を奪い、労働力供給で問題を招く。男尊女卑も根強く、世界人口白書によると15歳以上の非識字率は男子27%に対し女子52%に達した。1日1ドル以下で生活している貧困層は現在約4億人と推計される。成長著しいIT産でも従事者は100万人しかいない。


イスラム伸長


 国連の世界人口推計では、イスラム圏の拡大が目立つ。中央・南アジアと西アジアの人口は2050年に約29億人(世界の32%)に達する。東アジア(日本を含む)は約16億人でほぼ現状維持。世界の人口構成は様変わりする。


 イスラムの人口拡大は、医学の発達に加えて、「子供は神からの授かりもの」とし、否認を敬遠する文化が背景にある。


 地政学的に最も大きな影響を受けるのが欧州。イスラム圏からの移民が続けば、21世紀に入って急増している摩擦が増えそうだ。イスラム圏の膨張は、近接する東アジアにも人口流入する可能がある。


一人っ子の闇


 1979年に始まった中国の一人っ子政策は、人口爆発抑制に一定の成果をあげた一方、弊害も生んだ。戸籍に未登録の「ヤミっ子」は全国で1500〜1700万人いるとされる。教育、医療、年金をまともに受けられないのだ。男女比は男児1.18対女児1まで拡大した。将来3000万人の男が結婚に陥るとされている。


 中国最速のペースで少子化が進む上海市の合計特殊出生率は0.96(2000年)。2030年には市民の半数が65歳以上という極端な少子高齢化になる。


2500年「日本の人口10万人」!?


 日本の2004年の合計特殊出生率は1.29。現状維持に必要とされる2.07を大きく下回る。社会保障・人口問題研究所(東京)の「総人口の将来推計(02年1調査)」によると、2050年の人口は現在より約2700万人も減る。最大3500万人も減る可能もある。


 NIRAは、出生率が低水準で推移し、外国からの移民もないと仮定した上で、「2500年の日本の人口は縄文時代と同じ10万人まで減少する」という推計をはじき出した。


世界の人口ランキング


順位195020002050年
1位中国5億6200万中国12億6200万インド16億100万
2位インド3億6900万インド10億200万中国14億1700万
3位米国1億5200万米国2億8200万米国4億2000
4位ロシア1億5200万インドネシア2億2400万インドネシア3億3600万
5位日本8300万ブラジル1億7500万ナイジェリア3億700万
6位インドネシア8200万ロシア1億4600万バングラディシュ2億7900万
7位ドイツ6800万パキスタン1億4100万パキスタン2億6700万
8位ブラジル5300万バングラディシュ1億3000万ブラジル2億2800万
9位英国5000万日本1億2600万コンゴ民主共和国1億8100万
10位イタリア4700万ナイジェリア1億2300万メキシコ1億5300万

2005-01-02

新年勤行会


勤行を廃止


青木●新年勤行会といえば、今年まで一部の会館では元日午前零時からの元勤行も行ってきた。だが明年からは、全国的に元勤行は取り止めることになった。


杉山●元日の主に午前10時を中とする新年勤行会から出発していくということですね。


秋谷●そうです。そもそも日蓮大聖人は「元勤行をしなさい」などとは仰っていない。御書にも一つも書かれていない。


原田●その通りですね。それに会員の方々からも、かねがねがあった。「多くの人が起きている元とはいえ、会館の近隣には十分に配慮するべきだ」「寒冷地は雪道で危険な場合もある」「お年寄りのことを考えても、元勤行に皆が集まるのはどうか」等々という見があった。


青木●そういった観点からも総合的に検討し、今後は中止する方が価値的だと判断させていただいたわけです。


弓谷●それが時代の趨勢ですよ。


杉山●世間では夜中から「初詣」に出かける人も多いが、毎年、行き帰りなどでの事故が絶えない。そういう危険もある。


弓谷●年の初めということで、ついつい浮かれ気分になって気がゆるんでしまう。また、寒さで体調も崩しかねない。


青木●そこまでして夜中に動き回るのは、いかがなものか。私の友人も「正だけイベント覚で神社や寺に人が押しよせる。警備に当たる警察官も大変だろうね」と配していた。


原田●世間一般では、よく「初詣」で11日の未明に神社や寺に行く。これは年に1回とか2回のイベントだ。しかし学会員は毎日、に夕に勤行をしている。11日のだけ特別視する必要はない。


青木●特に最近は凶悪な犯罪が増えている。物騒な世の中だ。そういう味でも、日本で一番、人が集まる学会が元勤行を中止するのは、非常に大きな味がある。


弓谷●まさに時代の先取りだ。


杉山●元勤行では、役員につく青年部も大変だった。そういうメンバーが一番、喜んでいる。「これからは、大みそかは早く休んで、新年勤行会に全力投球できる」と張り切っています。


秋谷●これまで元勤行を無事故で行うことができたのは、ひとえに男子部、女子部の皆さんの尽力があったからです。改めて謝申し上げます。


聖教新聞 2004-12-27付】


 大いなる会合革命の新たな歴史である。会合を短時間で充実させるのが、これからのリーダーの課題。

胸中の太陽を輝かせよ


 元初の旭日をば

  わが一に持てる人は

   最大に幸せである

  君よ

   この一年をば

    曇天や風雪の日が

     あったとしても

   わが胸中にある太陽を

    燃焼できることを

     決して忘れてはならない


【『価値の日々』 1990-02-11発行】


「元初の旭日」とは久遠の誓願だ。真の希望とは、淡い夢を抱くことではなく、使命に生きる道に徹することと信ずる。妙法を胸に抱(いだ)きながら、理を現実化するのが広宣流布だ。


 今は不安の時代だ。大きく変わりつつある社会の中で、人々は言い知れぬ不安を抱えている。終身雇用が崩壊して将来の見通しが立たない。治安が乱れ、犯罪が横行する。家族すら信じられなくなり、親は子を虐待し、子が親を殺害する。行き場をなくした若者は引きこもり、行き場を探す少女は出会い系サイトに走る。生き延びるためにリストカットをし、死ぬためにネットで仲間を募る。


 全くもって不安だらけの時代だ。こうした不安を取り除き、人間の光で照らしゆくのが創価哲学である。の闇を抱えている人々が多ければ多いほど、本物の人格が光る時代が到来した。


 我々が自分の人生で目指すのは一生成である。自己完成ともいえるが、それは、ある完成された姿がゴールではない。どこまでも向上と成長のカーブを描いてゆく生きざまにある。法が無上道であるならば、人間の可能に限界は存在しないからだ。その味で一生成とは、人間革命し続ける人生といえよう。


 学会員とはいえ、皆、人間革命の途上にいる。問題のない組織などどこにもない。あるとすれば、それはユートピアだ。時には、文句や弱音が出ることもあるだろう。ロボットではないのだから当然だ。


 ここで道は二つに分かれる。の中で組織を批判して、若き日の誓いを見失ってしまうか、それとも、よりよき変革のために一人立ち上がるかである。


 地域活キーワードとして「よそ者と馬鹿者と若者」がいれば、新しい町づくりができるといわれる。よそ者とは客観的な視点であり、馬鹿者とは先入観にとらわれない斬新な発であり、若者とは柔軟さ・多様を示しているとわれる。だが、現実はどうか? 旧習深い地域であればあるほど、こうした人々は毛嫌いされる。組織が人間の集まりである以上、我々も他人事で済ませられない。


 引っ越しや人事などで、所属する組織が変わると戸惑うことが多い。どうしても前にいた地域と比較してしまうのが人の常である。だが、もしも、今いる組織が前の組織よりも劣っているならば、自分が新風となって変革の旗を振ってゆけばいいだけの話である。


 先生は若き日に、文京・蒲田・札幌・大阪・山口と転戦された。どこにあろうとも最強の団結を築き、全国一の堂々たる結果を示した。しかも、その一つ一つが学会全体の新たな歴史となったのである。命を捨てる覚悟の若武者が一人いれば、広宣流布は成ることを現実の姿で証明された。


 この一年、我が胸中の太陽を限りなく輝かせながら、黄金の歴史を綴って参りたい。


 今日は、先生のお誕生日。喜寿(77歳)を迎えられた。弟子一同にとって、これに勝る喜びなし。東京は快晴。

2005-01-01

不屈の魂こそ宗教の真髄


 いったん全滅の状態になったとしても、“根”が残っている限り、信仰は滅びない。そこからまた、しぶとく広がり、繁茂(はんも)してゆく。

迫害され、たとえ殺されようとも、絶対に信仰を絶やさない。この不屈の魂こそ、宗教の真髄である。

 創価学会も将来、いもよらぬ大きな試練が待っているかもしれない。何もないことなどありえない。しかし諸君は、自分さえいれば、正法の信仰を厳として守り、伝え、広めていけるという強く、また強き信の人であってほしい。

 ――私は、様々に迫害を受けた。

 だが厳然と私は、大聖人の法の正義を守った。すなわち、日蓮正宗を外護申し上げ、また牧口先生戸田先生のつくられた広宣流布の団体である学会を守った。仏勅の学会を正しく清らかなままに死守しきった。

 この誉れは永遠であると確信している(大拍手)。

 諸君も、そうしていただきたい(「ハイ」の答え)。


【第1回未来部総会 1988-08-07 長野研修道場】


 昭和53年(1978年)125日に奈良支部結成17周年記念幹部会で、同様の指導をされている。「若草山の山焼き」に触れたもので、会長勇退の一年前のこと。これは歴史に残る指導なので後日、紹介する予定。


 昨日紹介した「島原の乱にみる裏切り」にも、やはり、過去のスピーチで述べられた内容があった。つまり、それだけ重要な指導ということだ。


 島原の乱制圧によってキリシタンは根絶やしになった、と誰もがった。ところが、170年後の文化2年(1805年)の調査によれば、人口の半分以上を占める信者が潜伏していることが判明した。信仰の水脈は、はるか明治にまで引き継がれていった。3万7000人の死をもってしても、島原の民の魂を滅ぼすことはできなかったのだ。


 この会合の対告衆(たいごうしゅ)は未来部。先生は、坊主どもの策謀を察知しながら最悪の事態まで定していた。「もしも将来、学会が壊滅状態になるようなことがあれば、諸君が日蓮法の“根”として生きよ!」と促されている。第二次宗門問題前の重要なる儀式となった。


 誰かの後ろについていくだけの人や、波風が立たないことを団結だとっているような人に、後継の資格はない。いかなる組織にあろうとも、「我あらば全軍を勝利に導いてみせる!」との決定(けつじょう)した信の人のみが、本物の池田門下生であろう。


 明日は、先生のお誕生日である。会長を辞めさせられ、総講頭を罷免(ひめん)され、その度に学会を大きく発展させてきた先生にから謝しつつ、ご健康とご長寿を真剣に祈して参りたい。

新年勤行会が延期


「青年・拡大の年」明けまして、おめでとうございます。


 我が地域の新年勤行会は降雪のため明日に延期。大晦日の夜、連絡に駆けずり回り、好いスタートが切れた(笑)。


 本年の目標は「完璧な連絡」。