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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2005-02-28

食法餓鬼


 さて、ここで「食法餓鬼(じきほうがき)」について、少々論じておきたい。これは、小乗教の阿含部にあたる「正法処経(しょうぼうねんじょきょう)」に説かれた36種の餓鬼の一つで、「法を食する餓鬼」のである。同経には「不浄の法を以て人の為に宣説(せんぜつ)し、財を得て自供(じぐ)せるも布施を行わず、蔵を挙げて積聚(つ)み、是の人、此の嫉妬覆うを以て、命終りて悪道の中に生まれ、食法餓鬼の身を受けたるなり」とある。

 つまり、衆生に不浄の法を説き、財を得ても人には施さない。富を積んで、嫉妬のに覆(おお)われているゆえに悪道に堕した生命といってよい。


 日蓮聖人は「四条金吾殿御返事」で次のように仰せである。

「食法がきと申すは出家となりて法を弘むる人・我は法を説けば人尊敬(そんぎょう)するなんどひて利のを以て人にすぐれんとうて今生をわたり衆生をたすけず父母をすくふべきもなき人を食法がきとて法をくらふがきと申すなり」(1111頁)

 ――食法餓鬼という餓鬼は、出家となって法を弘める人の内、自分が法を説けば、人は尊敬するなどとい、利のをもって人よりもすぐれようとって今生をわたり、衆生を助けず、父母を救おうというもない人を食法餓鬼、つまり、法を食らう餓鬼というのである――と。

 更に、「当世の僧を見るに人に・かくして我一人ばかり供養をうくる人もあり是は狗犬の僧と涅槃経に見えたり、是は未来には牛頭(ごず)と云う鬼となるべし」(1111頁)

 ――当世の僧侶を見ると、人には隠して、自分一人ばかり供養を受ける人もある。この人は、狗犬の僧と涅槃経に説かれている。この者は未来世には牛頭(頭が牛で、身体が人間)という鬼となる――。

「又人に知らせて供養をうくるとも欲に住して人に施す事なき人もあり・是は未来には馬頭(めず)と云う鬼となり候」(1112頁)

 ――また人に(法を)知らせて供養を受けたとしても、欲に住して人に施すことのない人もある。この者は未来世に馬頭(頭が馬で、身体が人間)という鬼となる――。


 ここまでは出家の僧侶についての御文と拝される。

 大聖人は続いて、在家の門下に対しても、こう御指南されている。

「又在家の人人も我が父母・地獄・餓鬼・畜生におちて患(くげん)をうくるをば・とぶらはずして我は衣服(えぶく)飲食(おんじき)にあきみち牛馬眷属・充満して我がに任せて・たのしむ人をば・いかに父母のうらやましく恨み給うらん」(1112頁)

 ――また、在家の人々でも、父母が地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちてしみを受けているのを弔(とむら)わないで、自身は衣服、飲食に飽き満ち、牛馬、眷属は充満して、自分のに任せて楽しむ人を、どれほど父母に羨み恨まれるであろうか――と。

 そして大聖人は、こうした餓鬼の本質を鋭く喝破され、「形は人にして畜生のごとし人頭鹿(にんずろく)とも申すべきなり」(1112頁)――形は人間であっても畜生のようなものである。人頭鹿(表面は人間のようだが、は醜い獣のようなもの)ともいうべきである――と仰せになっている。


 正法を説き、大義のために奔走していたように見えても、利で退転し、「民衆のため」「社会のため」という尊い精神を失っていった者がいた。

 また、正義を演じつつも、実はと富を貪らんがためにのみ行動する者もいた。それは、まさに「形は人でも、本質は畜生」という醜悪な「餓鬼」の姿に他ならない。出家であれ、在家であれ、言説巧みに「法」を利用し、「法のため」を装って自身のみの繁栄を図っていく者は、要するに「法」を食いものにする邪の徒であり、「食法餓鬼」といわざるをえない。

 法は峻厳である。地位や誉のために「法」を勝手に悪用した者が、厳を受け、やがて悪道の海に沈むことは必然であり、これほど恐ろしいことはない。

 また、敷衍(ふえん)していえば、社会にあって政治や社会事、学問や芸術、医学等に携わり、本来、社会の進歩や民衆の幸福に貢献すべき立場にありながら、善の庶民を食いものとし、自己の営利栄達のみに腐するのも、広義の味で「食法餓鬼」といえるかもしれない。


【第9回全国青年部幹部会 1988-10-29 創価文化会館


 組織や社会で活躍しているように見えても、奥底(おうてい)の一が狂っていれば、信利用になるとの戒め。食法餓鬼は法利用。


 破壊僧・日顕の本が暴露されるのは、この指導から2年後のこと。「開目抄」の御文を拝すと更に理解が進む。


或は阿練若(あれんにゃ)に納衣(のうえ)にして空閑(くうげん)に在つて自ら真の道を行ずと謂つて人間を軽賎する者有らん利養に貪著(とんぢゃく)するが故に白衣(びゃくえ)の与に法を説いて世に恭敬せらるることを為(う)ること六通の羅漢の如くならん、是の人悪を懐(いだ)き常に世俗の事を(おも)い阿練若に仮て好んで我等が過を出さん、常に大衆の中に在つて我等を毀(そし)らんと欲するが故に国王大臣婆羅門居士及び余の比丘衆に向つて誹謗して我が悪を説いて是れ邪見の人外道の論議を説くと謂わん(224頁)


【通解】あるいは人里離れた閑静な場所に衣をまとい、静かな所で真の道をしているとい、世事にあくせくする人間を軽賤する者があるであろう。私利私欲を得る目的で在家のために法を説いて、その結果、形の上では六通の羅漢のように尊敬されるであろう。この人は悪を抱き、常に世俗の事をい、閑静な場所にいるという理由だけで、自己保身のため正法の者の悪口を並べ立てるであろう。常に大衆の中にあって正法の行者を毀るため、国王や大臣や波羅門居士およびその他の比丘衆にむかって誹謗して、我等の悪を説いて「これは邪見の人であり、外道の論議を説いている」というのであろう。


日顕の登場によって、初めての底から実できる御書となった」と辻副会長が語った一文。その特徴を挙げてみよう。


  • 自ら真の道を行ずと謂つて→「私は正しい」というい上がり。
  • 人間を軽賎する→民衆を小馬鹿にする。
  • 利養に貪著する→損得勘定で動く。
  • 世に恭敬せらるること→特別な存在として尊敬されている。
  • を懐き→狡賢(ずるがしこ)く計算高い。
  • 常に世俗の事をい→世俗的な利や損得を常に考えている。
  • 阿練若に仮て好んで我等が過を出さん→「あの人は間違っている」と批判する。

阿練若【あれんにゃ】

 山林、原野等を味し、人里から近からず遠からず離れた、比丘が修行するのに閑静で好適な場所をいう。一般には、人里離れた山寺や寺院等のこと、またそのような所で法を説く比丘という味にも使われる。

【『哲学大辞典』】


「ビンゴ!」としか言いようがない(笑)。


 大事には小瑞なし、大悪を(起)これば大善きたる、すでに大謗法国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげ(歎)かせ給うべき、迦葉尊者にあらずともまい(舞)をもまいぬべし、舎利弗にあらねども立つてをど(踊)りぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしにはをどりてこそいで給いしか、普賢菩薩の来るには大地を六種にうごかせり、事多しといへどもしげきゆへにとどむ、又又申すべし(1300頁)


 大悪と戦う中にのみ、大善の証明がある。大悪を打ち破ってこそ、大正法が広まる。


 そして、大事なことは、和合僧の中で大悪について語り合い、確認し、糾弾することによって、組織悪をも打開してゆけることだ。


 学会利の幹部は要らない。家庭指導をしない幹部、トラブルを避ける幹部、ブロックに顔を出さない幹部は、いずれも利の幹部だ。現場に入ることもなく、偉そうな口をきく幹部を一掃しよう。

2005-02-26

『週間実話』が公式謝罪


杉山●ところで『週刊実話』が事実無根のデマ学会を中傷した事件で公式謝罪した(310日号)。


弓谷●これは平成15年6に起きた「横浜一家3人惨殺事件」をめぐってのデマ記事だ。あたかも被害者一家が熱学会員であり、それが事件の遠因であったかのように騒いだんだ。


杉山●バカバカしい。何の証拠も根拠もない。絵に描いたような捏造記事だったな!


原田●あまりにも事実無根で悪質なデマだったので、学会は発行元の日本ジャーナル出版と当時の発行人、編集人を、誉毀損で訴えた。


弓谷●当たり前だ。デマは社会の害毒だ。放置しておくと、ウイルスみたいに染していく。世を惑わし、人々を惑わす。見つけ次第に根を断つことだ。


杉山●だいたい、この被害者の一家は学会員ではない。学会と何の関係もない。当然、事件と学会も一切、関係がない。全部が全部、嘘で固めた「作り話」だった。


原田●裁判は今14日、学会側の全面勝利の内容で和解が成立。『週刊実話』側が連帯して和解金50万円を学会側に支払うとともに、謝罪広告を掲載する和解勧告が東京地裁で定められた。


弓谷●今回の公式謝罪は、その勧告を受けてのものだ。「お詫び」と題して、発行人ので、こう記されている。「被害者一家は会員ではなく、学会と事件とは何の関係もありませんでした。学会や関係者にご迷惑をおかけしたことについて、謹んでお詫び申し上げます」とハッキリ明記している。


青木●まったく迷惑千万だ!被害者の遺族をはじめ、関係者が、どれだけ不快ないをさせられたか。


杉山●なにしろ、ひどい記事だった。見開き2ページにわたって「男を凶行に走らせた『宗教問題』と『暴力人生』」などと物々しいタイトルを並べていた。


正木●ふざけるな!


弓谷●ところが肝の記事の中身はメチャクチャ。「創価学会関係者」を乗る匿の人間が突然、登場。そして“近くに地区の本部長が住んでいる”だの“被害者は御本尊さんのいない学会員”だの。デタラメなコメントを撒き散らしていた。


青木●「地区の本部長」(笑い)。そんな役職は学会には、ない。


原田●「御本尊さんがいない」なんて言い方もしない(笑い)。少しでも学会を知っている人間だったら、こんな言葉は使わない。


正木●まったくだ。そんな「創価学会関係者」が、どこにいるんだ。


弓谷●いかにデタラメな記事か。使っている言葉一つとっても、一目瞭然だ。


秋谷●その結果、今回の謝罪となったわけだ。


人権後進国


弓谷●そもそも『週刊実話』は平成12年6にも、学会の墓苑事について嘘八百を並べ立てた。その時も公式に謝罪・訂正した。


杉山●それだけじゃない。以前、公明党の代議士らが事実無根の中傷記事で誉を毀損されたとして『週刊実話』を訴えた。この裁判でも『週刊実話』側が賠償金200万円と謝罪文を掲載する旨の和解が成立している(平成15年9)。


青木●デマを流しては謝罪する。その繰り返しか(笑い)。


原田●それでなくても今、出版界では雑誌が売れなくなっている。インチキな記事で読者を騙す手法も通じなくなってきた。


弓谷●人を騙す者は、必ず信用をなくす。また、いつまでも騙せない。当然のことだ。中国の周来総理も「嘘は、少数の人を騙したり、あるいは、多くの人を一時、騙すことはできる。しかし、すべての人を、ずっと騙し続けることは、絶対にできない」と喝破している通りだ。


原田●要するに日本は、まだまだデマに対する社会的制裁、法的制裁が甘い。だからなめているんだ。痛い目にあわないから分からない。今や、多くの識者が指摘している。


正木●その通りだ。誉毀損の損害賠償額を欧米並みにするとか、謝罪広告を大きくするとか、マスコミデマに対しては一段と厳しく対処すべきだ。いいかげんに「人権後進国」の汚を返上する時だ。


秋谷●それにデマには必ず「火元」がある。「金儲け」と「妬み」の悪党が必ず陰にいる。「構図」がある。


青木●その通りだ。裏で糸を引く悪党も愚劣。それに乗せられる週刊誌は、もっと愚劣だ。


正木●社会のため、日本のため、人権のために、我々はデマを許さない。容赦しない。当然、訴えるべきは訴える。フランスの文豪ロマン・ロランが叫んだごとく“嘘は木っ端微塵に打ち砕け”だ。


聖教新聞 2005-02-26付】

心の死


 広布のリーダーも、決して自分のを死なせてはならない。会合に出ても、動もなく、「ああ、また幹部会か」(笑い)、「今日は何時に終わるかな」(爆笑)――こんな惰で臨んでいたのでは、“の死”と言わざるを得ない。それでは自身があまりにもみじめである(大笑い)。

 また、伸びようとしている、これからの若い人たちの芽を摘(つ)んでしまう。恐ろしいことである。

 指導者である以上、指導は真剣勝負でなければならない。せっかく剣道を習いにいったのに、指導者がだらけて、“勝手にやっておきなさい”等と言っていたのでは伸びるわけがない。かえってやる気を失う。

 書道でも、ピアノでも、どの道でも同じである。

 いわんや広布の世界にあっては、法を求めてきた人に、指導者は生き生きと全魂で応えねばならない。その懸命な責任を失うと、自身のが衰え、の死へと向かっていく。

 そうであっては絶対にならない。川が源流から海へと流れ続けるように、日々新たに原点から出発し、一生成という完成に向かって成長し続けなければ、本当の道修行とはいえない。


【第10回本部幹部会 1988-10-19 創価文化会館


 幹部の惰が組織を破壊し、団結を破り、皆の信を崩す。


 昨夜、ある方を拙宅へ招き、食事を共にしながら懇談した。私から、地区活動者会のあり方を問いかけた。会合革命の先頭に立つ私を悩ませているのは、地区婦人部長の独演会と化した地区活動者会だった。昨年、隣の市から引っ越してきた方だったので、前の組織の状況を訊ねた。「前のところは、もっと大変でした。こちらの地区婦人部長より、もっと話していたし、打ち出しが多かった。終了時間は常に21:00でした」。唖然――。他にも様々な問題があったようで、「この地域に来ることができて嬉しい」と明るい表情で語っていた。この方は現在、宿命と闘している渦中にいる。


 色々と懇談してわかったことは、この方と私の学会活動のあり方が全く異なっていることだった。少し踏み込んで話してみた。「私が信しているのは、面白いからなんです。楽しくって仕方がありません。私にとっては、正しいからというのは二の次、三の次なんです」。すると相手は驚いた顔をしながら、こう言った。「私は、正しいからこそ信してます。だから、正しいとえばこそ、山のような打ち出しがあっても我慢します」と。


 真面目な好人物だったが、その消極一凶と化していた。私が相手の様々な発言を取り上げ、「それを、自分の後輩にも言えますか?」と問い質(ただ)すと、「言えない」という答えが大半を占めた。この方の学会活動を支えているのは、忍耐と忍従だった。耐えきを耐え、忍びきを忍び……。


 こうした人々を私は、“愛すべき学会員”とづけている。だからこそ、愚直な会員を犠牲にする幹部を私は断じて許さない。徹底的に戦い抜く。「信して、本当によかった」、「学会員で、本当に幸せだった」と会員が常に実できるような活動でなければ、何のための組織か? 幹部が主役ではない。皆が主役なのだ。学会の世界において、“一将功成って万骨枯る”ようなことがあれば、大謗法であると断じておく。


 幹部の惰が、会員のを死なせる。何でも自由に語ることができなければ、それは学会の会合に非ず。

2005-02-25

“絶頂”の時が最も危険


 誰でも“絶頂”の時が最も危ない。登り切れば、後は下るしかないからだ。

“登り切った時”とはいかなる時か。それは決して立場や周囲が決めるものではない。自分が決めることである。すなわち「慢」が絶頂の時こそ、危険の“絶頂”にある時であり、それは「」の問題なのである。

 ナポレオンも秀吉も、「慢」に自らを破り、後代への礎を失うことになった。

 私どもの、「慢」こそ最大の戒めとしていくべきである。幹部は立場が上になればなるほど謙虚でなければならない。より多くの人に尽くし、奉仕する立場になっていることを強く自覚すべきである。

 妙楽大師は「教弥(いよい)よ実なれば位弥よ下れり」(教えがすぐれているほど、より低い機根の人をも救える)と仰せである。むろん、これは「法」についての言葉だが、「人」においても、修行を重ね、信を深めていくほど、民衆に近づいていくことが大切なのである。

 これに反し、これまでの退転者は、地位や役職が上がるにつれ、「慢」を高め、傲りを増していった。そして、それなりに“登り詰めた”時点で慢も“絶頂”を迎え、急速に人間の正道を外れていった。

 では、「慢」に陥らないためには何が大切か――。

 同じく『人間と文学を語る』の対談でも前の出た大衆作家・中里介山は書いている。言うまでもなく長編小説『大菩薩峠』の著者である。

「人間の不徳のうちで一番いけないのは増上慢である」「人間が労しなければならないこと、労した人間に光のあるというのは、つまりこの慢の灰汁(あく)がぬけているからである。労なんというものは人生にはない方がよいのかも知れないが、それをしないと人間が増長して浅薄になる。労も人生の一つの必要である」(随集『信仰と人生』=中里介山全集20巻、筑摩書房)

 よくよく味わうべき真実の言であるとう。


【墨田・荒川区記支部長会 1988-10-12 東京上野池田講堂】


 慢の本質は何か――


 自ら真の道(どう)を行ずと謂いて人間を軽賎(きょうせん)する者有らん(6/224/539/622頁)


 自分のやり方や主張が正しいと錯覚し、同志を軽んじる。「自分は特別だ」と勘違いしている。


 結句は小善につけて大悪を造りには大善を修したりと云ふ慢を起す世となれり(1199頁)


 他人の悩を救う実践を欠いて、常識を持ち出して学会批判をする人々。ちょっと活動した程度でわかったような気になり、組織を批判する学会員。アンチ公明を標榜する学会員なんぞは、この典型。


 己(おの)れに均(ひと)しと増上慢に堕つ(152頁)


 の使いである学会員を軽んじる人々。「あんな幹部は大したことがない」との中で、先輩を蔑(さげす)んでいる学会員。


 止観に云く「若し信無きは高く聖境に推して己が智分に非ずとす、若し智無きは増上慢を起し己れに均しと謂う」等云云(226頁)


 折伏をされても信を起こさず、智も湧かない人々。自行化他の実践なくして、偉そうなことを言う学会員。


 比丘比丘尼の二人は出家なり共に増上慢く疵を蔵(か)くし徳を揚ぐるを以て本とせり、優婆塞(うばそく)は男なり我慢を以て本とせり優婆夷(うばい)は女人なり無慙(むざん)を以て本とせり(718頁)


 比丘は男僧侶で、比丘尼は尼さん。優婆塞は在家の男で、優婆夷は在家の女信徒。自分の失敗や短所を隠し、いかにも徳があるような姿を宣伝する。我慢とは、「我、慢ずる」と読む。自分を省みようとしない生命。無慙とは、戒律を破っても恥ずかしいとわないこと。恥知らずともいえるが、現代においては見栄っ張りの方がピンとくるかも。


 悪世の中の比丘は邪智にして諂曲(てんごく)に未(いま)だ得ざるを為(これ)得たりと謂い我慢の充満せん(6/20/173/223/225/538/621頁)


 がへつらい、曲がっていて、わかっているようでわかってない。信や組織のことが、わかったような気になると危ない。


 いやはや勉強になった。御書をひもとくと、眼(まなこ)が開けてくるから不議だ。


 妙楽大師が、怨嫉を次のように定義している――


 障(さわ)り未だ除かざる者を怨と為し聞くことを喜ばざる者を嫉とく(201頁)


「聞くことを喜ばざる」生命の本質が慢である。


 どんなに立派そうな姿を見せようと頑張ったところで、慢は修羅界に過ぎない。「勝他(しょうた)の」といって、他人よりも勝ろうと、様々なパフォーマンスをしているだけだ。自分を大きく見せようとする浅ましい根が、真面目な人々を見下し、それが堕地獄の因となる。


 これおごれるにはあらず正法を惜むの強盛なるべしおごれる者は強敵に値(おう)ておそるる出来するなり例せば修羅のおごり帝釈にせめられて無熱池の蓮の中に小身と成て隠れしが如し(957頁)


 海水が膝までしか届かないほどの大きい姿をしていた修羅だが、帝釈天に責められるや否や、蓮の中に隠れるほど小さくなった。普段は威張っていても、自分より実力のある人が現れた途端、卑小な姿が明らかになる。嫌なこと、手なことを避ける生命も同様だ。


 昔は、指導を受けてないと、「増上慢だ!」と叱責を受けた。真の謙虚とは、求道篤き人の異である。また、を知り、を返そうとする菩薩の生き方にこそ、慢を叩き伏せる鍵がある。


 只須(すべから)く汝にならんとはば慢のはたほこをたをし忿(いか)りの杖をすてて偏(ひとえ)に一乗に帰すべし、利は今生のかざり我慢偏執は後生のほだしなり、嗚呼恥づべし恥づべし恐るべし恐るべし(463頁)


 是等の趣きを能く能く得てになる道には我慢偏執のなく南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者なり(557頁)

2005-02-23

スピードが広宣流布の生命線


 創立75周年の「青年・拡大の年」がスタートして2ヶ。広布の第一線では、多くの同志が、友のため、地域のため、社会のためにと明るく、また献身的に活動に励んでいる。

 その地の広宣流布は、その地の同志にしか成し遂げることはできない。だからこそ、この万々を尊敬し、全魂込めて激励したい。立ち上がった“本気の一人”が100人、1000人に通じていくからである。


素早い行動と反応こそ


 池田誉会長は「濁悪の末法で、大聖人の仰せのままに、法を現実の大地に弘めている人は、皆、誰人も地涌の菩薩です。今日においては、経文に説かれる地涌の菩薩の姿は、すべて学会員の姿です」と地域で“希望の灯台”となって活躍する友の存在が、いかに大事であるかを強調している。

 22日付の「わが友に贈る」には「勝利の要諦は 電光石火の励まし。緩慢を排せ! 打つべき手は 迅速に打つのだ!」とある。リーダーの素早い行動と反応は、悩める友が信に立ち上がり、勇んで人生に挑戦し、活動に励むための追い風となる。

 御書を拝すると、日蓮大聖人は、妙法流布のため、また門下のために、戦いの手、激励の手、指導の手を、細かく矢継ぎ早に打っていかれた。病気でしんでいる友へは、ただちに励ましの御手紙を出す。御供養の品に対しては、すぐに御礼のを伝える。

 弟子の日朗池上宗仲にあてた御手紙では、広宣流布のために、具体的な指示を的確に出されながら、こう結ばれている。「この手紙が着き次第、2〜3日の間に、一切を落着させて、おのおのが私あてに返事をください」(御書1101頁、通解)

 そして御手紙から3日後には、四条金吾が何者かに襲われたが事なきを得たとの報告に対して御手紙をすぐしたためられている。


根本はリーダーの責任


 21世紀は、ますます熾烈な競争の時代である。あらゆる団体が生き残りをかけて、必死に戦っている。この競争に勝ち抜くカギは「スピード」である。広宣流布の生命線もまた、ここにある。

 その迅速な行動の根本は、さまざまな悩みを抱えながら健気に戦う「同志を絶対に幸せにする」という強き責任である。リーダー白身が、友への「誠実」と「真剣」の姿勢を自らの実践の中で示していくことである。

 伝統の2も、はや終盤。勝利の春へ、最前線の尊き友との歯車を合わせながら、躍動する地区、ブロックを築いていきたい。



【「社説」 聖教新聞 2005-02-23付】

“嘘”に“真実”の装いを着せて歴史はつづれられていく


 かのナポレオンは「歴史とは合の上の『つくり話』以外の何物だろうか」と語った。彼は「歴史」というものがいかに勝手につくられ、真実が覆われてしまうかを喝破していたといえる。

 この偏見とまやかしの構図のために、これまでどれほど善人が悪人の汚を着せられたか。反対にどれほど悪人が善人として功を残していることか――。

 紙は白い。白いゆえに何でも書ける。“傲りの力”に「正義」が負ける時、敗者になく、“嘘”に“真実”の装いを着せて歴史はつづれられていく。その味で「正義」であるがゆえにこそ、断じて勝たねばならない。負ければ、その「正義」も歪められてしまう。

 とともに、“文字でつづられた虚偽”を見破る「史眼」「眼」というものを持たなければならない。


【墨田・荒川区記支部長会 1988-10-12 東京上野池田講堂】


 歴史とは、時の権力者が後世に伝えることを許した事実の一部に過ぎない。民衆の瞳に映じる世界と異なる場合があまりにも多い。


 ナポレオンの言葉は、下らない噂話や風聞を見下ろし、自分が選択した道を堂々と歩み抜いてみせようとの気概に満ちている。


 批判や悪口というのは、一番簡単にできることだ。小学生が、「お前の母ちゃん、でーべーそ」と言うのと変わらない場合が多い(笑)。悪の塊(かたまり)みたいな人物にとっては、ダイヤモンドの光さえ邪悪なものにすることが可能だ。彼等は楽々と太陽に唾を吐きかけ、ユートピアすら地獄に変えることができる。春は雪解けの道路が汚いと罵り、夏は紫外線が強過ぎると不平を言ってのけ、秋の雨と台風を嫌い、冬の雪と寒さを批判してみせる。かような人物にとっては、北鮮と拉致被害家族会を同時に批判することも可能であり、アメリカを批判した同じ口でイラクを糾弾することなど飯前だろう。


 善なるものの輝きは、邪悪な人間の根を照らす。正しき哲学の光線は、汚れた生命を黒々と浮かび上がらせる。




 昨夜、江東区にて、Fさんの追善法要を行う。早いもので九回忌となった。弟さんの他、同志2が駆けつける。お母さんも元気であるとの由(よし)。語り合うこと一時間半。皆、壮年となるも、広布への真剣なる姿勢、全く変わらず。


 F宅の前に、T君を訪ねる。8年前に父親を亡くして以来のこと。ずっと気になって仕方がなかった。父を失い、T君と妹は信で立ち上がった。その妹さんは既に嫁いで一児の母となっていた。8年前のあの日、家族3人と一緒に勤行をし、私は何もできなかったことを泣きながら詫びた。平静そうに見えた家族が一斉にワッと慟哭(どうこく)の叫びをあげたあの瞬間を忘れることはない。同した時、人は言葉を失うことを私は初めて知った。ただ、一緒に泣くことしかできなかった。「今は亡きお父さんが、必ず守ってくれる」と激励。


 夕刻、所用があってT君と会う。青年部を卒したとばかりってたが、総区幹部となって、まだ残っているとのこと。「小野さんは、男子部時代と全く変わっていませんね」と目を白黒させてた。「当たり前だ!」と言っておいた。役職や所属が変わる度に、態度が変わるような信はしてない。

歴史的な「小樽問答」の「その日その時」


宗門 学会の奮闘をよそに法論から逃げ回る


野村●前回は、あの歴史的な「小樽問答」に勝利した小樽班の同志が、東京の学会本部に凱旋した話が出た。


羽磨●が躍ります。先輩方の築いた、偉大な広布の歴史です。私たち青年が、後に続きます。


藤原●「青年」。いい言葉です。小樽問答の当時、私たちは青年だった。そして今も、これからも、私たちは青年だ。戦いますよ、池田先生とともに!


「臆病坊主」


中西●ところで「宗門は、小樽問答から逃げた」という事実がありましたね。


佐藤●そうなんだ。私も後年、当時の真相を知って、仰天したんだ。


村瀬●具体的には、どういうことですか。


野村●宗門の機関誌「大日蓮」の昭和30年3号によると、昭和30年3、宗門の一行は、11日に小樽に来る予定だった。


●その通りだ。当初は、11日に小樽の妙照寺に来ることになっていた。


斉藤●だからこそ小樽の学会員は、身延の坊主と「311日に法論」という約束をしたんです。


●その通りだ。もともと身延側も、宗門の坊主と法論するつもりだったんだ。


野村●ところが宗門は、妙照寺から法論の連絡を受けるや、急に予定を変えた。なんと小樽の訪問を10日に前倒しして、11日には札幌に行くことにした。理由は「やむを得ない都合で」ときたもんだ(笑い)。


羽磨●何が「やむを得ない都合」だ! 法論から逃げただけじゃないか。


●これが宗門だ。坊主だ。臆病。姑。陰険、陰湿。50年も前から、この実態だった。


驚くべき真相


佐藤●それだけじゃない。本来なら法論に立つべきだった宗門側が、小樽問答のまさにその時、いったい、何をしていたのか。これも明らかになっている。


藤原●その通りだ。なんと札幌の日正寺で「寄せ鍋」を囲んで宴会をやっていたんだ。


村瀬●なんですって!


佐藤●学会が戸田先生を中に、日蓮法の存亡をかけた法論を戦っているさなかに、のうのうと鍋を食らっていたんだよ。


羽磨●驚くべき真相だ。


●証拠がある。日正寺が発刊した「日正寺50年史」に明確に書かれている。


藤原●そこには「ヨセ鍋にて総代世話人と歓迎懇親会、大変うちくつろいだ本当に和やかな会合であり、北海道土産としてソーラン節の踊」云々ともある。


羽磨●小樽で真剣勝負が繰り広げられている、その同時刻に「ソーラン節」か!


佐藤●さらに、翌日の312日には、なんと定山渓(有温泉地)で一泊している。


羽磨●坊主どもは法論から逃げたばかりか、温泉か。


藤原●こんな宗門をかかえていたら、広宣流布など、とうてい不可能だった。今回の宗門事件は、本当に御だったとからう。


身延への劣等


●しかし宗門が法論から逃げたのには訳がある。何十年、何百年と身延に対する「劣等」「コンプレックス」があったからだ。


中西●有な話ですね。


佐藤●寺の数も信者の数も、何をとっても身延には、かなわない。日顕の親父の日開も、身延の学者に論を吹っかけて、惨めに返り討ちにされている(大笑い)。


藤原●身延との法論なんか、逆立ちしたって、できるわけがない。


斉藤●本当に、そのころから、まったく役に立たない、情けない宗門でしたね。おかげで私は、坊主のことを「ありがたい」なんてったことは一度もありませんよ(爆笑)。


正邪は厳然


中西●とにかく、日蓮聖人法の正義を社会に宣揚したのは、宗門じゃありません。学会です。これは厳然たる事実です。


藤原●その通りだ。あの問答の当時は「日蓮といえば身延」と相場が決まっていた。それが今では、創価学会。日本はおろか、全世界190カ国・地域の大宗教に発展した。


●身延なんか、いったい何をやっているのか、なんにも聞かない。すっかり雲散霧消してしまったじゃないか(大笑い)。


羽磨●その身延から逃げた「身延以下」の宗門も、今では日蓮法とは全く無縁の邪宗教――「日顕宗」に成り果ててしまった(笑い)。


佐藤●日興遺誠置文には「巧於問答の行者に於ては先師の如く賞翫す可き事」とある。大聖人の正義を宣揚した学会を、日顕は「賞翫」どころか切り捨てた。は当然だ。いや、これから、今まで以上に大を受けていくだろう。


●50年前の身延。今の日顕。民衆を騙し、不幸にし、食い物にする邪悪、邪法、邪坊主を、われわれは断じて許さない。これこそが「小樽問答」50周年を迎える北海道の全同志の揺るぎない決だ。


聖教新聞 2005-02-23付】

2005-02-22

農業


 いうまでもなく“農”の世界は、偽りやごまかしのきかない世界であります。またそこでは、いささかなりとも、手抜きは許されません。もし、人間の側にそのような態度があるならば、作物は実らず、大地から痛烈なしっぺ返しを受けざるをえない。その味からも“農”に携わる人々は、必然的に「正直」「忍耐」「努力」「誠実」などの美徳を身につけていかざるをえないでありましょう。それはまた、都市化、近代化の進む現代社会の人々が、ともすれば失いがちな資質なのであります。


【第3回世界農村青年会議へのメッセージ 1988-09-24


 この指導を発行したのが26日。直後の聖教新聞2005-02-09付)に「随筆 人間世紀の光/農漁村部の勝利を祈る」が掲載された。呼吸が合ってきている(笑)。随筆には以下の指導あり――


 あの暗い敗戦の年、「瑞穂の国」であるべき日本列島は大凶作であった。

 とにかく、食べるものがなかった。人間でなくして、畜生の如く、その日その日を食べることに狂奔していた。

 情けなかった。人間として生まれてきたくなかった。皆のが、そういう気持ちであったに違いない。

「餓死対策」を政府に要望する国民大会が行われたこともあった。

 皆、痩せ細っていた。哀れであった。

 買い出し買い出しで、列車は、米や野菜や芋の入ったリュックなどの荷物で、ごった返していた。「誰に責任があるのか」と、多くの人びとは怒りをもって、唾を吐くいで罵った。

 当時、戸田先生は、この窮状を見ながら、怒気を含んで叫ばれた。

「日本は、瑞穂の国じゃないか!

 飢饉なんか、ないはずの国じゃないのか!」

「瑞穂」とは、みずみずしい稲の穂のことである。「瑞穂の国」とは、稲作が発展したわが国の美称であった。

 それが、無残にも総崩れした。東京をはじめ、都市部の食糧不足はあまりにも深刻であった。

 先生は、この問題の本質を鋭く見抜かれて、こう語った。

 ――農村を、長年、下に見ていた都会人の慢だよ。

 食べ物がなくなって、初めて、ずっと下に見ていた農村に頭を下げて、都会人が買い出しに行くのだ。

 農村の大切さがやっとわかったのだ――と。


 先日、紹介した「法律」と同様、深いものの見方の一助になれば、とのいでピックアップした。先生は舞台裏で戦う人を絶対に見逃さない。“陰徳”の人にサーチライトを当てるようにして、激励の手を差し伸べる。


 青年部時代の先生は、現場と裏方に徹底された。伝統の2の淵源となった蒲田支部での立場は支部幹事。翌昭和28年は、文京支部の支部長代理。札幌・大阪・山口へは派遣幹部として入られた。ラインでは、部隊長はされたものの、その後は参謀室長だった。表舞台でやってたのは理事室だった。


 陰の戦いに徹する人は、妙の照覧を確信できる人である。

2005-02-21

青年訓


 青年訓は青年部員の信修行、師弟相対全体が含まれていて、青年部員の指針である。したがって、青年訓のための青年訓であってはならない。これを自覚して実行しきるものが、真の先生の弟子、子供であり、親衛隊であるという味が含まれている。

 言い換えれば、青年訓を実行できないような青年は、戸田先生を汚(けが)すことになるのです。師匠が偉ければ、弟子も偉くならなければ駄目だ。「真の私の弟子はかく育っていけ、このようなものが真の弟子だ」と教えておられるのです。いつも、闘争に疲れ、また悩み、行き詰まったとき、私は青年訓をい出し、また、人にもこれを教えている。(昭和32年33日)


学会青年部員に与う――2.青年訓と青年部/聖教新聞 1957-03-24付】


 戸田先生が亡くなられる丁度、一年前に書かれたメッセージ。当時、参謀室長。


「青年訓」が発表されたのは昭和26年11戸田先生が第二代会長になられてから半年後、「班長に与える」と題して発表された指針。当時の班長の一人が池田先生だった。6年を経過して尚、師の教えを命に刻みつけるように実践されている。


 衛星中継が開始されたのは、平成元年(1989年)824日の「『8.24』記 第1回東京総会」だった。この直前に行われた「第20回本部幹部会」(1989-08-17/長野研修道場)から、現場でのスピーチ学習が徹底された。


【※沿革――昭和34年に戸田先生のレコードが完成。池田先生のスピーチはレコードとなったものの、当初は非売品。昭和40年前後から、ソノシートやLPなどで末端の会員も聴けるようになった。昭和50年前後には、ラジオにて「創価学会の時間」という番組が放送された(放送範囲は不明。首都圏だけかも)。この頃から、本部幹部会などの指導は、録音テープにて配布(配布範囲も不明)。電話回線を使用した音のみの同時中継が、一部の主要会館で行われるようになったのは、昭和63年前後とわれる】


第20回本部幹部会」では、次のような指導が。21世紀は、変化、変化の連続が待つ大航海時代となるにちがいないと前置きされ、ポルトガルのエンリケ航海王子の生きざまを通し、胸中の臆病の岬を越えよ、と指導。当時、私は26歳で男子部の副部長。この時から、スピーチが新聞に掲載されれば、その日の内に必ず3回以上、精読することを掛けた。それ以降、10年間にわたって実践し抜いた。


 あの頃は、集まればスピーチを研鑚し合った。四者の会合でも必ずスピーチの切り抜きを持ち合った。師を求めてやまない求道が、聖職者の権威に負けないだけの信を培った。


 同時中継は一部の幹部しか参加できなかった。当初、東京であっても総合本部で1ヶ所程度の会館でしか聴くことができなかった。衛星中継が始まった時の動といったら、そりゃもう、街頭テレビに群がってプロレスを見ていた人々の情に近いものがあった。本当に、夢のような時代の到来を実した。


 ところが、殆どの会館で衛星中継が行われ、誰もが参加できるようになって、スピーチ研鑚の気運が低下した。全軍が師の指導を直接、拝せるようになったため、リーダーとしての指導まで失った幹部が続出した。自分の話の中に、スピーチの一部を引用するだけで、咀嚼(そしゃく)すらしない有り様となってしまった。


 私が20代だった頃は、部幹部となれば、小説『人間革命』の切り抜きは必需品で、これを持ってなければ、先輩から雷が落ちた。部長会や面接などでは、章のタイトルはもちろんのこと、ナンバーまで言えなければならなかった。それほどまでに皆、真剣だった。


 先生の境涯から発せられる言葉を、わかったような気になるのが一番危ない。先生と同じ闘争なくして、わかるはずがないのだ。だからこそ、何としても、わかろうと努力し、祈り、戦う中で、師弟の絆は強靭なものとなってゆく。


 自分の激を語り、叫べば、それがそのまま人材育成となり、組織への波動となる。

2005-02-20

池田SGI会長 ノーベル平和賞のマータイ博士と会見


聖教新聞 2005-02-19付】


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 一人の女の地域に根差した行動が、人々のを変え、国を変え、世界を変えた!――アフリカで3000万本の木を植えた「グリーンベルト運動」の創始者で、昨年アフリカの女として初めてノーベル平和賞を受賞したケニアの環境副大臣、ワンガ・マータイ博士が18日午後2時半、東京・信濃町の聖教新聞本社に来訪。池田SGI創価学会インタナショナル)会長が青年とともに歓迎し、21世紀の地球環境を展望して約1時間にわたり会見した(詳報は後日掲載)。約30年前、マータイ博士が始めた植樹運動は、ケニアの農村女を中に国境を超えて広がり、約10万人が参加(同運動の最新の年次報告青から)。砂漠化が進むアフリカに緑を蘇らせた。さらに運動を通し、女の教育や地位向上、社会の民主化持続可能な開発にも大きく貢献した。会見には駐日ケニア大使館のデニス・アウォリ大使、博士の令嬢のワンジラ・マータイさん創価大学の若江学長、創価女子短期大学の福島学長らが同席。席上、マータイ博士の功績を讃え、「創価大学最高栄誉賞」が授与された。創価大学パン・アフリカン友好会、同留学生、青年学術者会議、青年部の代表らが盛大に迎えた。


大地に緑を!


グリーンベルト運動を創設/30年間で3000万本を植樹


ワンガリ・マータイ博士】

 1940年、ケニア中部のニエリに生まれる。米国に留学し、生物学を学ぶ。71年にケニア・ナイロビ大学で博士号を取得。77年から「グリーンベルト運動」を推進。環境保護には、民主化された政府が不可欠であることから、民主主義の発展にも尽力。2002年国会議員選挙で当選し、翌年、環境副大臣に就任した。昨年、「持続可能な開発と、民主主義と平和への貢献」が認められ、環境分野で初のノーベル平和賞が贈られた。今14日から毎日新聞社の招へいで来日中。16日には京都市で、地球温暖化の「京都議定書」の発効を記し講演。「私たちは未来を変えることができます」と訴えた。


伸びゆく樹木とともに環境の世紀・人権の世紀・女の世紀は大樹に


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「カリブ(スワヒリ語で“ようこそ”)」

 両手を広げ、から歓迎する池田SGI会長。

 マータイ博士は、1940年、ケニア山のふもとの村で生まれた。

 自らを「大地の娘」と呼び、気取らず、飾らず、わかりやすい言葉で語る。

 なにより、その春風のような微笑みに多くの女たちが勇気をもらい、立ち上がったのである。

 SGI会長は呼びかけた。

「『緑の大地の母』『微笑みの勝利の母』、日本の国へようこそ!

 15年前、この場所で私は『アフリカの人権の父』であるマンデラ氏を、多くの青年とともに、お迎えしました。

 きょうは、『アフリカの環境の母』であるマータイ博士を、多くの青年とともにお迎えすることができ、これほどの喜びの歴史はありません。謝します!」

“自分たちの住んでいる大地に、自分たちで木を植えよう!”

 マータイ博士の呼びかけで、1977年にスタートした「グリーンベルト運動」。

 彼女の訴えは、砂漠化が進むアフリカで、農村の貧困と闘う女たちの間に深く浸透し、約3000万本の植樹運動へと広がった。

 度重なる権力の弾圧にも屈せず、「緑の闘士」との異も。

「マータイ博士は、あらゆるも、迫害も乗り越えて堂々と勝ち抜かれました。博士が植えた一本一本の木とともに、今、『環境の世紀』『人権の世紀』『女の世紀』『アフリカの世紀』が大きく晴れ晴れれと育っています!」

 マータイ博士は、凛としたで語った。

「私は、地球憲章への取り組みを通して知り合ったSGIの皆さんが、教の教えに深く根差して行動していることに銘しています。その教えとは、『生命を大切にする』『白然を大切にする』『人間の生命と社会を大切にする』教えです。これらのは、私たちが推進する『グリーンベルト運動』と同じです」

 さらに博士は、こうした価値観を、人生を通して広げているのがSGI会長であり、その味で、SGI会長自身が人類への素晴らしい贈り物である。SGI会長の智、価値観を持ち帰り、アフリカに広めていきたいと語った。

 SGI会長は、深い理解に謝し、来日を記し創価大学に「マータイ桜」を、さらにアメリカ創価大学に「いちじくの木」を植樹させていただきたいと願した。

 SGI会長の話に深くうなずきながら、終始、微笑みを絶やさないマータイ博士。

 SGI会長が「笑顔の秘けつ」を尋ねると、「幸福であれば、それは笑顔に表れます。太陽も、空も、花も、私たちに微笑みかけています」

「何かを変えようとったら、まず自分自身を変えることです。生きることは素晴らしい体験ですから、エンジョイしていくべきです」と満面に笑みを浮かべて――。

 SGI会長は「法の真髄も“生きること自体が楽しい”という自分自身をつくることです。そのための『人間革命』の哲学です。博士と同じです!」と応じた。

 また博士は愛・地球博愛知万博)の会場を視察した印象などを述べ、「日本の『もったいない』という言葉には、自然を尊敬しよう、有限な資源を有効に活用しようという尊いじる」と述べた。


 ケニアの農家に生まれ、教育熱な家庭で育ったマータイ博士。

 SGI会長が、両親のい出について聞くと、印象深いエピソードを語ってくれた

 ――幼いころ、外で流星を目撃したマータイさんは、突然、こわくなってしまう。

 家に帰り、「どうして空は落ちてこないの?」と怯えながら聞くと、お母さんは、やさしく語ってくれた

“空は落ちてなんかこないよ。それはね、私たちの周りを囲んでいる山のてっぺんには、とっても大きな水牛がいて、水牛には、とっても大きな角(つの)があって、それがお空をささえてくれているんだよ。だから、空は落ちてなんかこないよ”

 このお話のおかげで、すっかり安し、こわくなくなった――

 い出を述懐しつつ、「母は、この素晴らしい話を通して、『人間は自然によって守られている』という、とても大切なことを教えてくれたいます」と語った。

 SGI会長は、あらゆる生命は平等に尊貴であり、自然環境の重要を教えることは、人類を守る砦となると強調。博士は、その先駆を切ってこられたと讃えた。

マータイ博士は、3人の子どもの母。あるとき、子にこう語って励ましたという。

「人生に成功するか、それとも、失敗するかの違いは、落ち込んだときに、それでも立ち上がろうとえるかどうかの違いなのよ」

SGI会長は、こうし、た言葉への共を語り、これからの青年のために、何かメッセージをと求めた。

 これに対し、博士は、

「未来は、ずっと先にあるわけではありません。『未来』は、『今』にあるのです。将来、実現したい何かがあるなら、今、そのために行動しなければなりません」と、力強く語った。

続いてSGI会長が、“緑の木々を植える人々の福徳は、昼夜に常に増大する”との釈尊の言葉を紹介。

 古代インドのアショカ大王が、法の生命尊厳の精神に基づいて、多くの都市に植樹をするなど「環境保護政策」を行った史実を語った。

 さらに、博士が母校ナイロビ大学での講演(昨年11)で、「ただ傍観して、不平を言っていてはいけません。行動を起こさなければならないのは、まさに、あなた方自身なのです」と呼びかけたことに触れ、「この博士の叫びを、私は全世界の人々に伝えていきたいのです」と強い賛同を述べた。

 語らいでは、博士が、地球環境を守るため、貧しい人々の生活のために尽くしてきた自身の信に言及。

「すべての偉大な人々は、自分のためでなく、他者に奉仕する人生を生きてきました。他者に尽くしていく中で、真の人生の満足をじることができます。自分のことだけを考えていると、不満が出てくるのです」と述べた。

 そして、1970年代に多くのケニアの女見を聞くなかで、地域社会が直面する貧困や環境の問題は、互いに関連しあっていることに気づいたと述懐。

「問題なのは“無理解”です。教育プログラムによって、何が課題なのかを理解すると、人々は積極的に活動に参加するようになりました」と教育の重要を語った。

 また語らいでは、「アフリカ」の語源なども話題に。

 さらに、SGIが協力・支援して制作し、マータイ博士の運動などを紹介した映画「静かなる革命」の反響を喜び合った。

 会談には、池田SGI会長夫人、浅野SGI部長、池田SGI副会長、鈴木(琢)・正木・谷川副会長らが同席した。


SGIが「グリーンベルト運動」を紹介


 SGIと「グリーンベルト運動」は、“持続可能な未来”のための行動指針である「地球憲章」の理に共鳴し、それぞれ活動を進めてきた。

「地球憲章」を推進する地球評議会が、UNEP(国連環境計画)、UNDP(国運開発計画)と協力して制作したドキュメンタリー映画「静かなる革命」は、同評議会からの要請を受け、SGIが全面的に協力・支援した作品である。

 インド・ニーミ村の水資源改革、スロバキアの湖の環境汚染対策に挑む人々などを通し、民衆の勇気と変革を描いた同作品では、「グリーンベルト運動」が紹介され、マータイ博士へのインタビューも収録されている。

「静かなる革命」は、これまで日本を含むアジア、ヨーロッパなど55カ国・地域、23言語で放映され、アメリカ、スロバキア、セルビア・モンテネグロの映画祭で葦を受賞。また国連関連の各種イベントでも上映されている。

 またSGIは、地球憲章委員会と共同制作した展示「変革の種子――地球憲章と人間の可能」でも「グリーンベルト運動」を取り上げている。

 同展はこれまでスペイン語中国語、日本語、フランス語、イタリア語、ドイツ語に翻訳され、南アフリカ、オーストラリア、イタリア、イギリス、オーストリア、フランス、カザフスタン、アメリカ、ペルー、カナダなど世界15カ国・地域で開催されてきた。

SGI会長「緑の大地の母」マータイ博士と語らい


 池田SGI創価学会インタナショナル)会長は、昨年のノーベル平和賞受賞者で、ケニアから国際的に広がった「グリーンベルト運動」の指導者であるワンガリ・マータイ博士と約1時間にわたり会見(18日、聖教新聞本社で)。人類の生存のために「生命尊厳の」こそ不可欠であること、「未来を変えたいなら、今から! 自分から!」との行動哲学見が一致した。ケニア共和国のデニス・アウォリ駐日大使、令嬢のワンジラ・マータイさんらが同席した。


未来は今の行動から生まれる


 マータイ博士の笑顔は美しい。人々のの扉を開く、春風のような微笑みである。

訪れたマータイ博士を創価大学のパン・アフリカン友好会がケニアの歌「私たちの大地」で歓迎した。それも、博士の故郷の言葉「キクユ語」で。


♪ここは私たちの大地 私たちの役割は ここに木を植えること

 私たちの大地は 女たちの大地

 ここに来て一緒に種を蒔(ま)き 木を育てましょう――


 博士が約30年前から推進する植樹運動「グリーンベルト運動」の愛唱歌である。

 全身でリズムを取りながら、ともに口ずさむマータイ博士。まるで、ここがアフリカの大地であるかのように――。

 真あふれる青年たちの歌。博士の笑顔が一段と輝いた。


ようこそ! 女の世紀の先駆者


池田SGI会長●カリブ!(スワヒリ語で「ようこそ!」)

「緑の大地の母」「微笑みの勝利の母」、ようこそ、いらっしゃいました!

 また、ノーベル平和賞のご受賞、本当におめでとうございます。


マータイ博士●ありがとうございます。


会長●15年前、この間じ場所で、私は「アフリカ人権の父」マンデラ氏(南アフリカの前大統領)を、多くの青年とともに、お迎えしました。

 きょうは、「アフリカの環境の母」マータイ博士を、多くの青年とともに、お迎えすることができました。これほどの喜びの歴史はありません。

 最大に謝します!


 ――マータイ博士は、1940年、ケニア中部のニエリの生まれ。ケニア山を望む雄大な自然環境のもとで育った。

 東アフリカを代表する景高学府・ナイロビ大学で博士号を取得し、女初の教授職となった。

 77年、環境保護と住民の生活向上を目的としたNGO(非政府阻織)「グリーンベルト運動」を創設。女を中に約10万人が参加し、アフリカ各地に3000万本にのぼる苗木を植えた。

 こうした「持続可能な開発と、民主主義と平和への貢献」が評価され、昨年、アフリカ人女初のノーベル平和賞に輝いた。

 SGI会長が、会見に同席した青年たちを「マータイ博士と同じように、将来、ノーベル賞を取るような、人類に貢献する人間になろうと目指している、最優秀の青年たちです」と紹介すれば、マータイ博士は満面の笑顔に。青年たちは、平和建設の誓いを新たにしていた。


会長●マータイ博士は新しい「女の世紀」をつくる先駆者です。

 地球上のお母さん、女たちが大喝采を送っています。

 昔から、女を下に見て、立派な人物には嫉妬する、焼きもちやきの男が多かった。そうした“生気”な男に対して、博士は「静かなる革命」をしてくださいました(笑い)。

 あらゆるも迫害も乗り越え、博士は堂々と勝ち抜かれました。

 博士が構えた一本一本の木とともに、「環境の世紀」「人権の世紀」「女の世紀」「アフリカの世紀」が大きく、晴れ晴れと育っていくでしょう!


弾圧にも「正しいことは正しい!」


 ――マータイ博士が進めるグリーンベルト運動は、博士が7本の苗木を植えることから始まった。

 かつて国土の30%を占めた森林は、2%以下に減少。森林の破壊は、肥沃な表土を流出させ、食糧生産の減少を招いていた。

 博士は述懐する。

「農村の女たちは常に炊事のためのまき、良質なな栄養を含む食物の確保について悩んでいた。まきの不足は森林破壊、食物の不足は換金作物農への偏り、つまりすべて環境破壊が原因だ。環境を改善すれば彼女たちの悩みが解決できるのではないかと考え、できることから始めた」(毎日新聞 2004-11-21付刊)

 博士は、環境破壊の悪循環を断ち切ろうと、多くの女たちに「植林こそ貧困を脱する道」と呼びかけ、「国民一人が一本の苗木を植えよう」をモットーに運動を進めのである。

 だが、道のりは平坦ではなかった。多くの偏見や中傷、さらには弾圧や迫害もあった。

 独裁的な旧政権下では“民衆を組織する危険な存在”として、何度も逮捕され、投獄された。こん棒で殴られ、識不明に陥ったこともある。

 しかし、博士は「たった一人になっても、正しいことは正しい」と信を貫いた。

 その結果、この30年間で、アフリカに3000万本もの植林を実現。一人の勇気の行動が、地域を変え、社会をも大きく変えていけることを示したのである。


マータイ桜を


 席上、マータイ博士に「創価大学最高栄誉賞」が授与された。

 さらに、創大創立者であるSGI会長は、マータイ博士の行動を讃え、中国の周来総理の桜やゴルバチョフソ連大統領の桜、イスラエルのラビン元首相の桜などが咲き薫る創価大学にマータイ博士の「桜」、またアメリカ創価大学にマータイ博士の「イチジクの木」の記植樹を提案。

「イチジクは、博士の故郷でも大事にされてきた神聖な木なのですね」と語るSGI会長に、博士は「その通りです。素晴らしい提案、ありがとうございます」と謝を述べた。

 博士の故郷にあったイチジクの木は、経済優先のあおりを受け、無残にも切り倒された。アメリカ留学から帰国した博士は、それを目の当たりにして、大変にを痛めた。これが博士の運動の一つの原点となっている。

 また、SGI会長は、将来、創価大学、アメリカ創価大学への訪問をと希望。博士は「ぜひ、うかがいたいといます」と応じた。


教は自然を大切にする


博士●私は、池田SGI会長をはじめ、創価学会の皆さま方、世界の会員の皆さま方を、本当に尊敬しております。


会長●ありがとうございます。


博士●私は、SGIの活動に注目し、勉強してきました。地球憲章のフォーラムでは、SGIのメンバーとお会いし、SGIの活動について、さまざ教えていただきました。【博士は、ゴルバチョフソ連大統領らとともに、地球憲章委員会の委員として活躍】

 私は、皆さまが教の教えにもとづいた深い価値観を持っていることに銘しています。しかも、これらの価値観が、社会に根を張っている。

 皆さまのは「生命を大切にする」です。「自然を大切にする」です。「人間の生命と社会を大切にする」です。


会長●深いご理解に謝します。


池田会長の価値観を広めたい!


博士●SGIの皆さまとお会いするまで、私は教のを聞いたことがありませんでした。

 うかがってみると、私たちが推進するグリーンベルト運動の理と同じだったのです!


会長●その通りです。たしかに一致します。

 教の経典には、草や木をはじめ、生きとし生けるものに、「」という最高に尊い生命が、平等に厳然と具わっていると説いています。

 釈尊が悟りを開いたのは、「菩提樹」という木の下です。


博士●私たちは、SGIの皆さまと深いつながりをじています。

 私にとって、今のこの瞬間は、本当に充実した満たされるひとときです。池田会長、創価学会の皆さまとお会いし、時間を共有し、価値観を共有できるのですから。


会長●謙虚なお言葉です。


博士●池田会長は、生涯をかけて、大切な価値観を何百万という人たちに広めておられます。この重要を理解する方々とともに、私は池田会長に、から最大の謝を捧げたい。

 池田会長ご白身が「人類への素晴らしい贈り物」だと私はうのです。


会長●過分な評価、恐縮です。


博士●池田会長が私たちに教えてくださっている価値観は、人類にとって最も重要な価値観です。全人類が共有すべき価値観です。

 私は、池田会長の価値観を持ち帰ります。そして、池田会長の考えをアフリカに広めていきたいとっています。


会長●私も、私の立場で、これからも人類のため、社会のために行動してまいります。

 私は、たくさんの指導者とお会いしましたが、から信頼できる、未来について考えておられる指導者とお会いすることが一番うれしいのです。


 ――マータイ博士は、さらに「私は、生命を大切にする価値を広めるリーダーシップを、これからも発揮していきたい。私にとって精神的な価値を広げることは、物質的な側面を満たすよりも重要だからです」と強鯛。

 SGI会長は「人間にとって、時代にとって、また永遠という観点から見ても、今のお話は急所とう」と述べ、全面的に賛同した。

 また席上、マータイ博士の日本滞在が話題に。

 今14日、毎日新聞社の招きで来日した博士は、16日、京都議定書の発効を祝い、基調講演を(国立京都国際会館)。

 翌17日、京都の史跡を訪れた。それを振り返り「深い精神じた」と語った。さらに同日、愛・地球博愛知万博)の会場へ。リサイクルをはじめ、資源を有効活用する現場を視察した。


「もったいない」


会長●博士は、日本のどこに行っても、皆から愛される、素晴らしい人格が光っています。


博士●愛知万博の会場では、「もったいない」という精神を語らせていただきました。


【博士は来日直後、毎日新聞のインタビューの際に知った「もったいない」という精神を、何回も訴えている】


会長●博士のお陰で、「もったいない」という精神は、世界的に有になりました(笑い)。


博士●この「もったいない」という言葉には、自然を尊敬する精神、有限な資源を効率的に活用する精神が含まれています。

 人類は、自然を搾取し侵(おか)すのではなく、大事にしなければなりません。


会長●正しいです。

 人間は、利口そうに見えて、自然を支配できると錯覚した、愚かな存在なのかもしれない。そのなかで、博士こそ大変に賢明な存在なのです。


流れ星と母のい出


会長●博士は、農家の6人きょうだいの長女として誕生されたと、うかがっています。

 博士は、「父母が教育熱だったので、学校に行くことができた」と謝されています。

 亡くなられたお父さま、お母さまも、博士の世界的な栄光を、どんなにか喜んでおられることでしょう。私は深い慨を覚えます。

 ぜひ、博士のご両親のい出をお聞かせ願えませんか。叱られたこと、ほめられたこと、何でも結構です。大勢の人たちのために――。


博士●わかりました。

 これは、私がまだ、本当に幼かったころの話です。

 わが家は、山々に周りを囲まれた土地にありました。

 ある日、私は早く目覚めました。日はまだ昇らず、薄暗がりの空には、星もまだ光っていました。雲もありました。

 すると、その空を、流れ星が走ったのです。

 私はびっくりして、こわくなり、家の中に入りました。そして、母に聞きました。「ねえ、どうして空は落ちてこないの?」

 母は、こう教えてくれました。

「空は落ちてなんかこないわよ。

 それはね、私たちの周りを囲んでいる山には、とっても大きな水牛がいて、水牛には、とっても大きな角(つの)があって、それが」お空を支えてくれているんだよ。

 だから、空は落ちてなんかこないよ」

 私は子どもに、「なんて素敵なんだろう」とって、それから、夜がこわくなくなったのです。

 私は、かなり長い間、母の話をそのまま信じていました。「白然がどれほど私たち人間を守ってくれているか」を象徴する話として、今でも記憶に残っています。

 私は母から、人間は自然に助けられ、支えられていることを学んだのです。


会長●いいお話です。

 我々はよく、環境を論じ、「環境、環境」と□では言うけれども、それだけでは足りない。

 本当に人類が生き抜くために、理的に善の方向へ進むためには、環境への認識が、どれほど大事か。を変えることが、どれほど大事か。まず、この一点です。

 環境への深き認識が、政治においても、教育においても、十分ないままで、これまできた。本来、政治や教育こそが教えるべきです。しかしそれを、してこなかった。今ある環境は「当たり前だ」とわせてきた。そこに落とし穴があったといえましょう。

 まだまだ人類は、賢者であるようでいて、その実、愚者なのです。

環境を守る大切さ――それをマータイ博士は教えてくださった。それを発見し、そこに生きてこられた。

 環境を守ることが、本当の人類の進歩です。人間の生存を守りゆく「砦」です。その重大な先駆となる一つの道を、マータイ博士は示してくださった。叫んでくださった。

 これは大変に重要なことです。決してお世辞でなく、私はからそううのです。


「環境分野で初」に大きな喜び


会長●マータイ博士は次のように子を励ましたことがあると、うかがっています。

「人生に成功するか、それとも失敗するかの違いは、落ち込んだときに、それでも立ち上がろうとえるかどうかの違いなのよ」と。

 偉大な「希望の哲学」であり、「勝利の信」です。

 博士ご自身が、幾多の試練にも負けず、毅然と、人間としでの勝利の姿を示しておられます。


博士●今回、私はノーベル平和賞を受賞しましたが、ノーベル賞委員会が、環境分野から初めて平和賞受賞者を選んだことが大きな喜びでした。

 私とともに、環境の分野で活動してきた何百万という人々がいます。

 今回の受賞を通して、「平和のために環境が重要である」「平和を守るためには環境を守らなければならない」という、強いメッセージを送ることができたといます。


会長●本当にそうですね。環境――この分野に一段と光を当て、大きな識変革をもたらしました。


「理解」すれば「欲」がわく


博士●聖書の天地創造の話には、創造主が、すべての生物をつくった後、最後に人間をつくったと説かれています。

 ですから私はうのです。他の生物種にとって、人間は必ずしも必要ない。しかし、人類は他の生物がないと生きていけない。もし最初に人間がつくられたなら、人間は、翌日には死んでしまったでしょう。

 人間は他の生物種に依存している。だから、他の生物種を守るために、努力すべきなのです。

 私が、池田会長の訴える価値観が重要だと言うのは、社会がまず、「人間は他の生命のおかげで生きている」と理解することが必要とうからです。理解すれば、「なんとかしよう」という欲も出てきます。

 こういう社会の動きこそ、若い人々への最大の啓発になるでしょう。

 未来は未来にあるのではない。今、この時からしか、未来は生まれないのです。将来、何かを成し遂げたいなら、今、やらなければならないのです。


会長●未来は今にあり――つい先日も、皆でそう語り合いました。

 私は博士から、もっと学びたい。それを世界に広げたいのです。


21世紀を「アフリカの世紀」に


 ――マータイ博士のノーベル平和賞受賞は、「環境分野から初」であると同時に、「アフリカとして初」でもある。

 そこに「世界よ、アフリカを聞け」というメッセージを読みとることもできよう。

 アフリカの現状は極めて厳しい。しかし、厳しさに見合った関は向けられてはいない。

 ルワンダ、リベリア、コンゴ、スーダンなどで、絶え間なく続く内戦と虐殺。世界の染者の3分の2が集中する、サハラ以南のエイズの蔓延。そして、砂漠化、林の消滅などの環境破壊――。

 ここ数年、世界の目は「テロとの戦い」に集中しているが、実は、「グローバリゼーション(地球一体化)」の矛盾が集中するのがアフリカなのだ。

 SGI会長の持論である「21世紀をアフリカの世紀に」。それは、単なるスローガンではない。「アフリカが蘇らずして、公正な地球社会はない」という信の凝縮した表現といってよい。

 席上、SGI会長はマータイ博士に、「アフリカから世界に発信したいメッセージは何か」を問うた。


会長●「アフリカ」という言葉の語源は、「太陽が照る」 「日の当たる」という味のラテン語(aprica)、「寒さがない」という味のギリシャ語(aphrike)など諸説があります。

 また、ラテン語のことわざには「すべての新しいものはアフリカからやってくる」という言葉があります。

 新しい「女の力」で、人類に光を送り、目覚めさせたのが博士の植樹運動だといます。


博士●ありがとうございます。

 私は、アフリカの語源については詳しく知りません。

 ただ、人塀の最初の祖先がいた地として、東アフリカが挙げられています。

 アフリカから人類が生まれたのなら、アフリカを聞くことが大切ではないか。

 アフリカが生命の生まれた場所ならば、アフリカこそ、今、生命が蘇生する場所、新しい生命が生まれる場所になるのではないかといます。


微笑みの秘訣


会長●「マータイさんの微笑みは、実に素晴らしい」というがたくさん寄せられています。

 きょうは「マータイさんの、あの素晴らしい笑顔の秘訣を、ぜひうかがってください」と、創価大学、創価女子短期大学の女子学生から、質問を託されてきました。


博士●人間は、「私は幸せだ」とじたら、自然と笑顔になるものです。

 私は、太陽を仰げば、“太陽も空も、私たちに笑顔を見せている”とじます。

きれいな花を見れば、“自然もまた、私たちに微笑みかけている”とじます。

この人生は、この世界は、素晴らしいものです。生きていることそのものが、素晴らしい体験なのです。

 先ほど私は、若い人たちのことに触れましたが、若い人たちの存在は、私たちに喜びを与えてくれます。若い人たちの存在そのものが、私たちにとっての贈り物です。

 若い人たちには、素晴らしい未来が待っているのです。

 これから“何かを変えたい”とうのであれば、まず“自分自身から”変えなければならない。そして、自分自身が先頭に立って変えなければいけない。

“生きていること自体が素晴らしい体験”なのだから、楽しんでいかなければ!――そのようにいます。


会長●素晴らしい哲学です。

 法の真髄もまた、「生きることそれ自体が楽しい」という自分自身をつくる点にあります。

 自分白身を変える――それが、ずなわち「人間革命」の哲学です。


博士●環境を大事にするという考えも、まず“自分自身の環境”を大事にするということです。

 幸福とは、自分の内部に幸せをじることです。

 つまり、自分自身の環境は大丈夫なんだ、というメッセージが、幸せをあらわす笑顔になるのだといます。


会長●深い哲学でありながら、現実に根ざした、わかりやすいお答えです。

 博士は「私は他の人のために働く時が、最も幸せで、最高の時なのです」と語っておられる。

 私はここに、高邁(こうまい)な「幸福の哲学」を見るいがします。

 この反対の人は、不幸な人です。

 博士は哲学者です。すぐれた政治家であり、国民的指導者です。世界的なスケールの方です。


博士●ありがとうございます。


木を植える人の功徳は増大


会長●釈尊は、このように語っています。

「(緑の木々を)園に植え、林に植え、橋を作り、井戸の舎(いえ)や貯水池を作る人々、かれらの功徳は、昼夜に常に増大する」(『ブッダ 神々との対話中村元訳、岩波文庫)

約2500年前に、釈尊はこのように教えていたのです。

 また、大変に有なインドのアショカ大王は、戦争を放棄し、平和と慈悲の政治を行いました。

 彼は、マンゴーの樹林を栽培し、また街路樹を植樹するなど、環境保護政策を行いました。

 東洋の人々の多くが尊敬している指導者です。

 現代においても、私は、もっと街路樹を植えたほうがいいとっています。かつて、ある方と懇談した折に、日本中の駅に、桜などの木を植えたらどうか、と提案したこともありました。これは、少年時代からの夢でもありました。

 法華経には、「宝樹多華果(ほうじゅたけか) 衆生所遊楽(しゅじょうしょゆうらく)」と説かれています。博士の行動は、法華経にも一致しています。


法華経寿量品第十六に「衆生見劫尽(しゅじょうけんこうじん) 大火所焼時(だいかしょしょうじ) 我此土安穏(がしどあんのん) 天人常充満(てんにんじょうじゅうまん) 園林諸堂閣(おんりんしょどうかく) 種種宝荘厳(しゅじゅほうしょうごん) 宝樹多華果(ほうじゅたけか) 衆生所遊楽(しゅじょうしょゆうらく)――衆生が「一つの世界が減んで、大火に焼かれる」と見る時も、私の住むこの国土は安穏であり、常に喜びの天界・人界の衆生で満ちている。そこには、種々の宝で飾られた豊かな園林や多くの立派な望闇があり、宝の樹には、たくさんの花が咲き香り、多くの実がなっている。まさに衆生が遊楽する(遊び楽しむ)場所なのである――とある】


 宝の樹に多くの花や果実が実る、そのような場所に、衆生(生きとし生けるもの)が遊楽できる――本当に幸福な境涯を、釈尊はこのように譬(たと)えました。

私たちは、博士に続かなければならない。この日本も――そのように、私は訴えたい。


地球憲章へのSGIの貢献


 ――池田SGI会長はこれまでを根幹に、環境問題の解決のために率先して行動してきた。

 その一つが、2000年6にオランダのハーグで発表された「地球憲章」の普及である。

「地球憲章」は、“持続可能な社会”を築くため、世界が直面する課題に一致して取り組むための行動規範

 SGI会長は、地球憲章起草委員会のスティーブン・ロックフェラー議長からの要請に応え、同憲章の草案にコメントを寄せている。

 また1997年には、地球憲章委員会の共同議長でもあったゴルバチョフソ連大統領と、同憲章の義について語り合っている。

「地球憲章」を推進する地球評議会が制作した環境映画「静かなる革命」には、同評議会からの要請を受け、SGIが全面的に協力・支援した。

 SGIが地球憲章委員会と共同制作した展示「変革の種子――地球憲章と人間の可能」は、世界15カ国・地域で開催されてきた。

 SGIは、これらの映画や展示などを通して、マータイ博士が進める「グリーンベルト運動」を取り上げ、ノーベル平和賞を受賞する以前から、広く紹介してきた。

 また、平和や多様に関する教育教材を作成するカナダのNGOが、「静かなる革命」と「変革の種子」展の内容を収録した教材を、英語とフランス語で作成。カナダ全域の中学・高校に配布されている。

 学会は本年、国連の「持続可能な開発のための教育の10年」を支援するため、「地球憲章――新たな地球倫理を求めて」展(仮称)の開催を予定している。


傍観者になるな


会長●ところで、博士は、ナイロビ大学での講演(昨年11)で、こう語られました。

「ただ傍観して、不平を言っていては、いけません。

 あなた方は“だれか”が行動を起こすのを待っているのでしょうか。

 行動を起こさなければならないのは、まさに、あなた方自身なのです」

 この博士の叫びを、私は全世界の人々に、伝えていかなければならないと強く痛したのです。

 21世紀を、断じてアフリカの世紀に!――私がお会いした中国の周総理も、貴国をはじめとするアフリカに、深い敬愛を寄せておられました。


博士●中国には、私も北京で開かれた国運の世界女会議に出席するため、訪れたことがあります。1995年のことです。

 ですが、北京しか滞在しなかったため、他の町に行けなかったことが残りです。


人々のために!


会長●では最後に、環境問題を解決するためにどうすればいいか。一番、大事な根本は、何がとお考えでしょうか。


博士●先ほど池田会長は「人に奉仕することが幸福」との私の言葉を紹介してくださいました。

 人類における、すべての偉大な教師は、自分のためではなく、他の人のために奉仕するという人生を生きてきました。

 他者に尽くしてこそ、真に満足できる人生を実することができるのだといます。

 創造主がくださった“人類の財産”は、共有しなくてはなりません。それが果物であれ、なんであれです。一人だけのものではないですし、皆で共有すべきです。そのためにこそ、奉仕するべきなのです。

 また、人に奉仕することで、満足を得ることができるのだということを、若い人たちにも、理解させてあげなくてはいけません。

 不平・不満というのは、自分のことだけを考えていると、ますます増長していくものです。


会長●大変、重要な示唆を与えるお話です。

 博士が生物学を志されたことは、環境問題に取り組む上でも、大きな利点になったのですね。


博士●ええ。生物学を学んだことによって、どのように自然は成り立っているのかなど、自然の動きを理解できます。非常に恵まれた立場にあったといます。

 ご存じのように、科学を勉強しますと、常日ごろから疑問を持ち、問いかけるようになります。

“これはどうして、こうなるのだろう?”“どうして、これは動くのだろう?”と、常に考える。そのこと自体が科学なのです。


会長●よくわかります。


環境教育に力を


博士●1975年、メキシコで、第1回国連の女会議がありました。【国運は75年を「国際婦人年」と定め、メキシコで第1回世界女会議を開催。女の地位向上のための「世界行動計画」が採択された】

私は、会議に出席するため、その準備として、ケニアの女たちに、今、何が必要なのか、尋ねて回りました。

 ある女は、「清潔な飲み水」が必要だと答えました。ある人は、「燃料」と。これは炊事に使う薪(まき)のことです。

 これらの問題は、「土地」とつながっていると私は考えました。

 それではっきりしたことは、女たちが怒っていた問題、地域社会が直面する問題は、環境が劣化し、悪化したために起こっているということです。

 そこで少しずつ、彼女たちを巻き込み、“自分たちの地域の環境は、自分たちの行動で良くしていこう”という運動を、小規模ながら始めました。

 ただ単に、政府の援助を待っているだけではいけない。自分たちにできることを、自分たちの周りから始めようと訴えたのです。

 ですが、環境が悪化していることと、(飲み水や薪など)生活の必需品が不足していることが、どのように、つながっているのか、それが理解できていないことが多くありました。

 この「理解」は非常に大事なことです。

 だからこそ私は、「教育プログラム」をつくり、人々に理解してもらうことから始めたのです。

 この教育プログラム邦が功を奏し、理解が進み、人々は、自分たちから積極的に、運動に参加するようになっています。


会長●なるほど。その結果、多くの女の力を結集することができたのですね。それは驚異的な力となりました。


博士●今、私がぜひ、手がけたいことは、「学習センター」の設立です。

そのセンターでは、さまざまな人が来館し、(環境のことを)系統的に学習できるようにしたいとっています。

 そういった味では、政治的指導者にも、こうした価値観をもってもらいたいですし、大学だけでなく、小・中学校、高校から、こういった環境教育を始めるべきだと願うのです。


会長●まったく正しい、素晴らしいお考えです! 教育こそ、人類が抱える問題を解決する根本の道です。だからこそ、私も教育を最後の事と決め、全力をあげているのです。




 生命尊厳の哲学を分かち合う二人の語らいは、尽きない。

「ぜひ、また、次の機会をつくりましょう! 楽しみにしています」と

マータイ博士。

 博士は、贈られたSGI会長撮影の写真集のページをめくりながら「これもいいですね。これもいいですね」と何度も。

 そして、「私が一番好きなのは、このウィンザーの道の写真です。“至上の幸福”へと続く道です」と微笑みを。

 それは、真っすぐに、どこまでも突き進む一本の道。

 博士は、持参した色紙を池田会長に手渡した。そして前もって綴(つづ)られた文を読み上げる。

「池田博士の偉大なお仕事とご献身にから謝します。映画『静かなる革命』は、私たちのを鼓舞し続けてくれています。それを、これからも、多くの人と分かち合っていきたい」

 また、アウォリ駐日ケニア大使からも謝の言葉が。

「ケニア国民を代表して、池田会長のこれまでのご支援に、から御礼申し上げます。特に会長は、創価大学とケニアの大学との交換協定に尽力してくださいました。SGIの方々がケニアのめに支援をしてくださっていることに謝いたします」

 見送るロビーにはケニア国旗を振る青年たち。それに笑顔で手を振るマータイ博士。

 環境問題。民主化の問題。女の人権の問題。平和の問題――。すべてがつながっている。自らが決めた“一本の道”を、貧困に喘ぐ女たちのの革命を成し遂げながら、歩み通してきた博士。

 青年よ、博士の信に続きゆけ!

 池田会長は告げた。

「きょうの出会いを、一生涯、忘れません。また、お会いしましょう。ご成功と勝利を祈っています!」

 その言葉に応えるような、あの力強い笑顔、“マータイ・スマイル”が、見送る人々のに、いつまでも輝いていた。


聖教新聞 2005-02-20付】

「題目あげて!」と「振り込め詐欺」


“一本の電話”が私を救った!


 先日、危うく「振り込め詐欺」に引っかかりそうになりました。


 犯人側は手の込んだシナリオを作っていました。こちらをせっぱ詰まった状況に追い込む手口は並ではありません。


 昼前でした。呼び出し音で受話器を取ると、いきなり、「お母さん私! 題目をあげて! 私もあげるから、人身事故を起こしちゃったの!」とワーワー泣き叫ぶ。てっきり、娘とい込んでしまったのです。


 すると、今度は、こちら○○警察署です。娘さんは気が動転しているので当方が説明します。娘さんが交通事故を起こして3歳の子どもさんが重傷です。お母さんは軽いケガですが……お宅が保険に入っている会社が紹介してくれた国選弁護人が今、到着しましたから代わります」


 ここで、「国選弁護人の者です。今、病院から電話でお子さんが亡くなったと。しかし、被害者のご主人が来まして、“娘さんは悪くない。目撃者もいる。110番や119番をしてくれ、逆に迷惑をかけて申し訳ない”と言っています。弁護人として、無罪を勝ち取る自信はあります。しかし、死亡事故ですから、裁判が始まるまで留置場に25日ぐらい入れられます。(それまで)最後ですから娘さんに代わってをお聞かせしましょう」


「お母さん! 私、どこか遠くへ連れて行かれるらしいの」と必死の叫びが受話器に響きます。平静ならこの辺で“おかしい”との判断力が働くのでしょうが、すっかり相手のペースに乗っていたのです。


 再び国選弁護人なる者が電話に出て、「身分証明書と印鑑、そして着替えを。着替えは後でも結構です」と。その後、留置場の場所、保釈金の振り込み方法などを聞かされました。


 大急ぎで身支度を整え出かける直前でした。先ほど、地元の警察署の人が、保険に入っている会社が紹介してくれた国選弁護人と言っていたことをい起こし、“そうだ、義弟に迷惑をかけたので電話をしておこう”と、保険会社に勤務している義弟に電話したのです。


 私の家は義弟の保険会社を利用しています。犯人側がそこへ連絡したのだと私がい込んでいたわけです。


 結局、この“一本の電話”が私を救ってくれました。開口一番、義弟は、「それは、振り込め詐欺」と断言。まさに、“諸天の”に聞こえました。


 学会員の家庭と知っての手口だったのは確かでしょう。


 家族で緊急時における対策を話し合っておくことが必要だと痛しました。と同時に、「連絡・報告を密に」との学会指導の大切さを学びました。


東京都 田中明子(主婦)55歳)/「」 聖教新聞 2005-02-20付】

ブロック座談会


 昨夜、ブロック座談会。午前中は雪が降り、夜は雨にたたられたが、気軒昂に開催。悪天候を衝いて参加された方々は生命力が強くなっているので、大いに盛り上がった。人数が少なかったこともあって、普段、あまり話さない方も、楽しそうに口を開いた。皆で、やり取りし合う、理的な座談会に。壮年本部長を招くも、時間がなくなってしまい恐縮。私は御書講義を全力で行ったものの、時間が足りなく、散漫な結果に終わった。15分間にわたる講義の自己採点は45点。少し焦ったせいもあり、致命的なミスを犯してしまった。油断を猛省。準備不足に起因。死魔について語る予定だったが一言も話せず。会合革命の道、険し。

法律


 プラトンはその著『法律』の中で、こう述べています。

「……立派に制定された法律の施行を、不適格な役人の手に委(ゆだ)ねるならば、立派な法律から何の利益も得られず、天下の物笑いになるばかりでなく、おそらく国家にとって最大の損害と不誉とがそれから生ずるであろう」と。

 法を生かすも殺すも、それを運用する人にかかっています。プラトンのこの洞察は、現代もなお、否、法を利用したり、法の網の目をくぐって悪事を働こうとする事例が後を断たず、法律家自身がそれに加担するケースもある現代において、ますます重要を増しています。

 たとえ一片の法の条文であれ、その背後には、多くの人の喜びや悲しみ、そして憤怒(ふんぬ)や安堵が渦を巻いているのであります。法の使用如何(いかん)によって、一人の人を悩から救い出しもすれば、死の淵へ追いやることさえある。故に私は、皆さまに、法律家はすべからく“人間学の大家”でなければならない、と訴えたいのであります。

 妙法の法律家である皆さまは、民衆の楽や人生・社会の実相を誰よりも知る人、そして一個の人間ののヒダに分け入り、その蘇生のために法を武器として戦う人であっていただきたいのであります。その味で、日々の信仰実践を通じて、常に民衆の中へ、人間の中へと入り、己の人間学を深く探求しゆく作を、決して手放してはならない。


【第2回SGI世界法律家会議へのメッセージ 1988-09-22】


 法律に魂を吹き込めとの指針。それにしても、ものを見る深い視点に恐れすら抱かせる内容である。法学部へ通う学生諸君に伝えて頂けると幸いである。


 欧米では、個人権利を守るものとして受け止められている法律だが、日本では、人を裁くものという考え方が根強い。お上に逆らえない民族が骨の髄まで染み込んでいるようだ。法律に暗いが故に、権利が侵害されたまま、泣き寝入りしている庶民も数多く存在することだろう。妙法の法律家に対する期待は大きい。


 社会が複雑になればなるほど法律も複雑になる。更に、世法・国法は時代によっても変化せざるを得ない。完璧な法律ができたとしたら、多分、しい世の中になっていると像する。


 法律には網の目がある。例えば、こんなあこぎな商売もある。「誠寿司」という商標を登録する。前は何でも構わないのだが、よく出回っているものにするのがミソ。で、登録した後、同じ前を使用している寿司店へ情を申し立て、その店を使うのであれば、使用料を払えと吹っかけるのだ。商標登録は元締めが行い、独立採算の各事所が集金を行うというもの。こういう事態を定して、大手企のヒット商品は、類似した商標の登録まで行っている。


 人間を見失った法律を、再び血の通ったものにせよ、との先生の人間主義そのものである。

会合革命が形式に堕せば負け


 会合革命が形式に堕せば負けである。1時間という形式を重んじ、実を失えば本末転倒だ。皆で自由に楽しく語り合えば、2時間だろうが3時間だろうが、アッという間に過ぎてしまう。


 何はともあれ、会員のための会合革命であることを見失ってはなるまい。打ち出しだけに終始すれば、時間がどんなに短くなっても全くの逆効果だ。


 先ほど、いつも、お世話になっている大先輩の地区幹事宅を訪ね、昨夜の座談会での御書講義が失敗だった理由を述べた。「本当は、8年前の222日に亡くなった後輩の生きざまを通して、死魔の講義をメインにするつもりだった。本気で勉強すると、どうしても30分ぐらいの時間が必要になってしまう」と。「遠慮しないで、やればよかったのに」と言われた。だが、私の責任上、こうした見に甘えるわけにはいかない。


 ここが中道しいところ。だが、実はこうやって悩み、戦うところに会合革命の真があるのだとう。

一婦人の座談会出席から入会まで


 貴女(あなた)が入会されてから4ヶになろうとしていますね。


真面目(まじめ)で礼儀正しく、寂しい笑顔の人”というのが貴女の第一印象でした。


 故あって、お一人暮らしになった寂しさにも、手術しても回復の見込みのない、おみ足の痛みにも、“神さまの(おぼ)し召(め)し”と耐えに耐え抜かれながら、前向きに生きようと努力されている貴女の真撃な姿勢に胸を打たれた私です。


 早速、法対話をしましたが、「私は69歳の今日まで28年間、キリスト教一筋に信じてきましたので、創価学会には入れません」とキッパリおっしゃいました。


 でも、「私の自慢の地区を、ぜひ見に来てください」と申し上げたら、「お話を聞くだけなら」と、昨年秋の地区座談会にいらしてくださいました。


 ところが、地区の皆さんの温かい笑顔と励ましが、貴女のを聞かせたのでしょう。


「自慢の地区という味がわかりました」と入会を決されました。ずいぶん、勇気が要(い)ったことでしょう。


 入会されるや勤行を励行され、お仕事をやりくりされながら会合にも参加。勉強も始められました。「きょうの聖教新聞の小説『新・人間革命』はすばらしいですよ」と話すと、「私に言われているようないで読みました」、また、「体験記事に動しました」と言えば、「私も。切り抜きました」と。


 ある日。「会う人ごとに、『何かいいことあったの! 変わったわね』と言われるの。長年、キリスト教の集会に参加していても、いつもむなしさをじるばかりだったけれど、こんなに温かく本音でお話しできる創価学会に入れてうれしくてたまらないの」と、満面に笑みを浮かべて語る貴女です。


 どんどん明るくなっていく貴女を見たお稽古ごとの師匠さんが、自ら聖教新聞の購読を申し出ましたね。


「私、創価学会に入ったの。聖教新聞を読むと元気になるのよ」とご家族や友人の方々に購読を推進する貴女。


 その歓喜と勇気の振る舞いは、私たちの前進に拍車をかけ、小さな地区ですが、購読目標の650ポイントを達成できたのです。


 地区一同、貴女をからたたえながら、ともどもに“福徳の春”へ前進してまいります。


東京都港区 吉田宏子(会社経営)58歳/「」 

2005-02-19

青年部時代の闘争


 僭越ながら、私の青年部時代の闘争をメモしておく。独創勝負、やりたい放題の20年間だった。30歳で本部長、32歳で分区男子部長となった。その後、総区幹部となるも、更に別の分区の男子部長を兼任。後年、先生は長編詩に詠(うた)って下さった。


 江東の青年は

 自ら鍛えることを 知っていた

 折伏に 座談会

 教学に 個人指導に

 ゆえに

 自発能動の 江東の陣列は強い


【長編詩「わが不屈の 江東の友に贈る/東京革命へ 大勝利の船出」 1997-06-25】


座談会


 必ず司会をすることを掛けた。企画は男子部で行い、それを地区活動者会ではかった。断じて盛り上げるために、研究発表よりも寸劇を中に行う。役者が揃っていたので、当時の支部長から、「地区で芸術部をつくってはどうか?」との提案がなされたほど。結果的に失敗したことは何度かあったが、手を抜いたことは一度たりともない。尚、分区男子部長をしていた時、二回ほど座談会司会を行ったことがある。


地区単位での会合


 主体的な活動をするために、地区で会合を行った。それも、週に3回ほど。地区最高協議会、地区活動者会、それと、新入会メンバーのために、ゆっくり勤行会。更に、私が中となって、男女青年部による地区の人材グループまでつくった。これは、1回。私は当時、班長(現在のニューリーダー)。


 以下は本部長時代。


スピーチ


 部幹部以上によるスピーチの文。どんな小さな記事であっても文を書いた。1週間で3本の文なんてのは、ザラだった。このため、我が本部の部幹部は、本部担当の任務中も、文を書く羽目となった(笑)。


『新・人間革命』の


 各章が終わるたびに、その章の文を書き、先生に提出した。接遇の際には、毎回、「ひんやりシート」をいくつかお届けした。


未来部連絡協議会


 本部にて未来部連絡協議会を毎、行う。参加者は、未来部担当者と、男女青年部部長以上、壮婦の担当者、及び、四者本部長。担当者側からのお願いと、親御さんからの見などを交換。未来部の担当は、デタラメな者がやっているとフォローのしようがないので、いつであろうとも人事に手を入れた。当時の未来部が、現在、男子部の部幹部、本部幹部へと育っている。


母の日の戦い


 5の母の日に、婦人部の全活動家にカーネーションを1本届けた。座談会に出席する婦人部全員を対象とし、毎年、300本弱に及んだ。更に、配ったメンバーには報告書を義務づけた。普段、会合に出られないメンバーほど歓喜していた。ある支部長からは、言を寄せられたが、完膚なきまでに反撃をしておいた。婦人部からの絶大な応援もあり、この支部長は撃沈(笑)。


創価家族長男の戦い


 創価家族の長男としての自覚から、部幹部以上のメンバーが、独居老人の誕生日のお祝いを敢行。「“信して、幸せだ”といっても、自分の誕生日も祝ってもらえなければ、本当の幸せとはいえないだろう」という、私の個人的な情から発案。全部幹部が賛同。ただし、65歳以上の一人暮らしの老人に限る。1000円以上のプレゼントは厳禁。できるだけ、女子部を伴って行くよう徹底。これも、報告書を義務づけた。未活動の方が家に上げてくれたりして、大いに盛り上がった。


本部青年部総会を行う


 女子部の本部長と相談し、本部青年部総会を行った。1時間近くに及ぶ寸劇がメイン。台本は私を含めた3で作成。準備期間は1ヶ。総合リハーサル1回。当日、元『潮』編集部長を招く。この方をして、「あれだけの劇を見た後では、話しにくいんですが」と言わさしめる。初めて、会館の大広間を借りたこともあり、緊張しまくり。白樺会の方も、手配した。寸劇の間に挿入した未来部&男女青年部の合唱も大成功。壮年・婦人を招き、忘れ得ぬ歴史を築いた。


唱題会


日顕、撲滅・壊滅・殲滅(せんめつ)唱題会」を1回行う。内容の詳細は書けない(笑)。


部長会


 毎週、部長会を行う。遅刻した者は、「遅参そのを得ず」との格言に照らし、発言を禁ずる。更に、連絡なしで遅れた者は、発言権のないまま立たせた。立ちくらみを起こしたメンバーもいた(笑)。


拠点闘争


 青年幹や、折伏戦の締め切りが近づくと、部幹部による拠点闘争を毎日、行った。内容は、各部の現状報告と、徹底したスピーチ学習。


座談会顕彰


 座談会は、毎、地区単位で順位表を私が作成し、結集1位と、企画に秀でた地区を顕彰し、書籍を贈呈。訪問座談会は、スピーチ及び、座談会御書のいずれかを研鑚しない場合は座談会と認めない。後に皆で検討し、会場参加の数で競う。どんな形でも構わないから、相手を広宣流布のために歩かせるところに眼目を置いた。車の中でも、軒(のき)の下でも構わない旨、徹底。


会ったら15分


 組織での唱題会を禁止。部幹部が家庭指導をして、そこで15分の題目をあげるよう奨励。毎週、報告を取り、グラフにした。このグラフを、総区の会合の際、入り口に貼っておいた。当然ではあるが、私が常に1位(笑)。


部幹部日誌の作成


 部幹部による日誌を作り、全部幹部が順番で書いた。空白にした者には、則が。


功徳報告書の提出


 各部による、功徳報告書の数を競う。はマイナスの功徳と考えられるので、の報告書でもオッケー。信の純粋を再確認することが目的だった。


各部対抗研究発表大会


 毎年、夏休み期間に行った。ゲストとして、各支部長・支部婦人部長、壮婦本部長を招き、採点してもらった。異様な盛り上がりを見せた(笑)。


部幹部研修を行う


 これも夏季友好週間に行った。部幹部全員が一コマを担当。好きな話題を取り上げる。9:00〜24:00まで行った。途中、映画『スパルタカス』を上映し、最後は先生のスピーチのカセットを聴いて終了。皆、ヘトヘト(笑)。


「聞き書き・戦争体験」文集


 未来部の夏休み期間に、戦争を体験した壮年・婦人の元を訪ね、それをまとめた。必ず未来部を伴い、文集の作成にも携わることを義務づけた。動き出した直後に人事があり、私の後任の本部長が完成させ、学会本部に提出。


 以下は、分区幹部時代。


各本部のモットーの研究発表


 先生より、各本部のモットーを頂戴した。そこで、2ヵ後に研究発表をワープロ打ちし、先生にお届けした。


、分区男幹を行う


 で、毎回、各本部による研究発表を行った。また、登壇者には必ずテーマ・ミュージックを用させ、格闘技さながらの出番となった。


人材グループの結成


 若手メンバーを中とした「隼(はやぶさ)隊」を結成。座談会企画グループもつくる。更に、読書グループ「黎明塾(元はグレート・リーダーズ)」も結成。いずれも、毎一度の会合。折伏成果が0の部の部長を集め、「零戦隊」を結成。連日、唱題会を行った。

2005-02-18

仕事と学会活動


 仕事と学会活動の両立については、誰もが一度は経験する悩みである。その指導に当たっては、第一に、たとえそれが愚癡であったとしても、事情を聞いてあげることである。その上で、指導には次の3種類の段階がある。

 第一は、仕事に重点をおいて、題目をしっかりあげさせる。

 第二は、両方やり切らせる。

 第三は、信の指導一本でいく。

 相手の仕事の状態、信の強弱、周囲の環境等、あらゆる条件を考慮して、具体的に本人が納得いくように指導すべきである。

 また、自分が会合へ出られなかった場合には、その時の一、信が大事となる。因果倶時だから、出たいさえあれば、結果として必ずいつかは出られるような方向へ行くものだ。1年後、2年後と、今のその一を持続させていけば、その結果は必ず現れるものだ。仕事にかこつけて、“ちょうどいい、出る必要はない”といって自分自身の宿命転換への、強い信がなかったならば、いつまでたっても変わらない。


【『指導メモ』 1966-06-01発行】


 これが基本となる指導。青年部のメンバーが最も悩む問題であろう。まして、昨今の不況下ともなれば、リストラによる人員削減のしわ寄せで、残せざるを得ない状況もある。


 仕事というのは、職場によって千差万別の顔を持つ。人はともすると、自分が置かれた環境を基準にして判断する傾向がある。そうした安易なものの考え方が、結局、後輩をしめる結果となる。例えば、会合に遅刻・欠席する場合は、連絡を入れるのが当然だが、仕事によっては電話すらできない状況もあるのだ。


 多忙な仕事というのは、実際に経験した人でないとわからない。私が創価班大学校の団長をしていた時、ある省庁に勤務する大学校生がいた。指導会には、2〜3ヶに一度出られるか、出られないかという状況だった。一度、彼からじっくり話を聞いた。家で寝ることができれば、まだいい方で、風呂に入るために帰宅し、そのまま再び職場に向かうことも多いという。省庁は、労働基準法を地面にめり込むほど踏みつけていた。「そんな勤務時間で、過労死する同僚はいないのか?」と私が尋ねると、彼はあっさりと、「過労死はいませんが、自殺するのは時々いますね」と答えた。


 多少、忙しい時期を経験して、「仕事が多忙なメンバーの気持ちが初めてわかった」などと綺麗事をいう人物もたまにいる。そんな生易しいもんじゃないよ(笑)。私は経験しているから知っている。


 仕事に追いやられるようになると、仕事一色の生活となる。私は営畑だったので、ノルマを果たすための人生と化す(笑)。から晩まで考えるのは仕事のことだけで、祈ることも仕事のことのみ。後輩のことなんて、これっぽっちも祈らない。人間、余裕がなくなると、そんなもんだ。久し振りに会合に出ても、“久し振り”という実がなくなる。「しばらく振りですね」なんて、後輩からを掛けられると、「エッ、そうだったっけ?」なあんて覚になっているのだ。自分の中では、組織から遠ざかっている自覚が全くない。それでいながら、加速度をつけてが堕ちてゆくのだ。先生の指導すら、自分の仕事に当てはめて読み、自分の都合に合わせ、広布をすっかり失して、再び仕事にいそしむのだ。


 時間がなくなってくると、完全に三悪道のリズムとなる。会社の言いなりになって自分を見失う姿は畜生界であり、ノルマを果たすことだけを望む境涯は餓鬼界で、学会から離れた生命は地獄界そのものである。近視眼的生活は、今日一日をどう過ごすかが最大の関事となり、1週間、1ヶ先のことなど、とてもじゃないが考えられなくなる。


 法華経をはなるるならばただいつも地獄なるべし(1504頁)


 法華経とは、御本尊とも妙法とも拝せるが、多忙な中で私は、「これは、学会のことだ。学会の組織を離れてしまえば、ただいつも地獄なのだ」と実した。


 本部担当創価班で、忘れい話がある。その年、私達の任務日は、31日だった。奇数、偶数に関係なく、31日があるの担当だった。3にそれが発表されるや否や、一人のメンバーが頭を抱えた。彼は、酒屋に勤めていた。1231日は、1年で最も多忙を極める日だった。遂にその日が近づいた。彼は上司に休暇願いを申し出た。上司はあんぐりと口を開け、「お前、何を言ってるんだ? この日がどれほど忙しいか、お前がよく知っているじゃないか」と言った。「すいません。お願いします」。彼は深々と頭を下げた。「馬鹿なことを言うなよ」「すいません。お願いします」「無理に決まっているだろう」「すいません。お願いします」――。職場に迷惑が掛かることは、誰よりも彼が知っていた。だが、彼は「すいません。お願いします」を30分間にわたって繰り返した。上司はとうとう折れた。


 指導会で、彼は任務につける喜びを、泣きながら叫んだ。私は彼の闘に涙した。多くの同志が自分の甘さに気づかざるを得なかった。指導会終了後に私は、「本当に大丈夫なのか?」と訊いた。彼は胸を張り、職場の全員に事情を話し、理解して頂いたと明るい表情で語った。その後も、会う度に仕事の状況を尋ねたが、しっかりと信頼を勝ち取っているようだった。


 全く同じ活動をしていても、人によって一が異なる。戦った分だけ、しんだ分だけ、成長が早まる。時間のない中で戦い、結果を出してこそ本物のリーダーである。

『香峯子抄』池田香峯子(主婦の友社)


 今から十数年前に、主婦の友社から出版の依頼があった。奥様はこれを断り続けてきたが、昨年正、同社より「なんとしても」という強い依頼があり、インタビューに応じたもの。


 小学校4年生で、創価学会に入会。面倒見がよく、級長をしていた。



【東京都世田谷区 佐藤きよ子さん/「」 聖教新聞 2005-02-03付】


『香峯子抄』の第1章「娘時代」に、奥様の少女時代が紹介されています。私は、小学校1年から6年まで同級生でした。本書を読み、誰にでも優しく、面倒見がよい、少女時代の姿が鮮明に浮かんできました。(中略)

また、冬に学校で、ぞうきんがけをする時、廊下に置いてあったバケツの水に氷が張り、だれも手をつけようとしません。真っ先にバケツへ手を入れ、みんなを引っ張っていた姿も忘れられません。本書に、級長や副級長を、何度かされていたことがつづられています。白木さんは、私たちにとって“姉”のような存在でした。




 20歳で結婚。28歳で会長夫人になり、人生が一変した。32歳で第三代会長となった池田先生が帰宅すると、「今日の就任式は、池田家のお葬式だとっています」と語ったエピソードはあまりにも有


学会活動と仕事の両立


 いまでもそうですが、この「両立」というのが、口では唱えやすく、実のところは大変むずかしいことです。

しかし「両立」へ努力することが、将来になってみますと、自分自身の境涯を広げ、福運を積み、生活力、生命力となって、人生を大きく開いていく礎になることは、確かだといます。


結婚


 お互いに出発点を忘れず、どこまで行っても共通の目標を見失わずに、青春の燃焼というのですか、それを一生涯、持続させていくには、励まし合いが不可欠でしょうね。お互いに人間同士ですから、励ましはどうしても必要です。


内助の功


 私が主人にしてあげられる最大の務めは、健康でう存分働けるよう、陰で支えることだといましたし、それが、私の人生のすべてとなりました。


生活


 やり繰りの基本は、まず物を粗末にしないことです。お米一粒も無駄にはしませんでした。食事の残りも捨てずに、うまく工夫して献立(こんだて)を考えました。

 包装紙なども、きちんと畳んで再利用しましたし、ひもも何回も使いました。戦時中のしい体験があるものですから、そうした節約をがけました。


池田家の家訓


「家訓」ということではありませんが、

 一、 人のために、社会のために生きる。

 一、 すべての人に誠実に。

 一、 信は、一生涯、貫き通す。

 一、 勝つことよりも負けないこと。それが、すべてに勝っていくことになる。

 このことは、常々言ってきました。


好きな言葉


 私のいちばん好きな言葉は、主人から贈られた言葉で、「愚癡(ぐち)は福運を消し、謝の唱題は万代の幸を築く」です。


香峯子抄

読後雑感


 池田SGI会長夫人と聞けば、世間の人々はどのような人物像を像するだろうか。創価学会が日本最大の宗教団体である以上、様々な憶測を逞しくする人も多いことだろう。


 一方、学会員である私達も、聖教新聞や衛星中継などで、その笑顔と清楚なたたずまいを目にする機会はあっても、どのような人生を歩んでこられたかは、全く知らなかった。その味で本書は、一人の宗教指導者を陰で支えてきた妻による赤裸々な人生論であり、女論・教育論・家庭論をもはらんだ内容となっている。


 インタビュー形式のため、実に読みやすい。文字が大きいことも手伝って、小一時間ほどで読める。


 当初、不届き者の私は、奥様のことを“雲の上の存在”のようにじていた。ところが、本書をひもといて、それが誤っていたことに気づかざるを得なかった。


 ここに記されていることは、女であれば誰もが考え、経験し、悩むことが大半である。特別なことは何一つ書かれてないと言ってもよかろう。そうであればこそ、インタビュアーが「夫人のパワーを支えるものは、愛情といってもよく、努力といってもよく、知恵といってもよく、人柄といってもよいでしょう。それをじとるヒントはあなた自身のの中にあります」(12p)と述べているのだ。


 奇をてらった発言は一つもなく、平凡な庶民の知恵が光る内容ばかりだ。


 家計簿をつけ、食生活を工夫し、3人の子育てにいそしむ――どこにでもあるような話でありながら、それを非凡なものとしているのは、誠実という一点に徹する奥様の生き方に他ならない。


 更に本書を読みやすくしているのは、奥様の美しい言葉づかいである。文字の底から、なんとも状しがたい優しいの響きがじ取れる。また、人生の折々の季節に触れているので、老若を問わず共できるメッセージとなっている。


 ほんの少しの像力を働かせれば、普通の人生よりも多くの犠牲を強いられてきたことは明らかだろう。だが、暗い後悔は全くみられない。そこには、自分一人の幸福よりも、もっと多くの人々をいやる強靭にして温かな視線がある。


 古来、女五障三従の身であると説かれた。五障とは、女がなることのできない位を指し、三従とは、「幼くしては親に従い、嫁(か)しては夫に従い、老いては子に従う」というもの。社会的に弱い立場で、主体のない生き方を味する。この考え方は、洋の東西を問わないようで、『女の一生』と題した小説は、いずれも必ず不幸な結末を迎えている。


 だが、本書を読めば、あらゆる女が希望を抱き、勇気を持ち、力強く自分の足で立ち上がろうとするだろう。今、どんな悩みを抱えていたとしても、幸福への跳躍台としてゆけるだろう。あらゆる女が、平凡にして偉大な人生を歩めることを、本書は静かに教えてくれる。


 かけがえのない女となるために、自分をもっと自分らしく輝かせるために、この一書を座右に置くことをお勧めしたい。


【※以上、ブロック通信に記したもの】




柳原滋雄氏のコラム日記」(2005-02-13)によると、『週刊金曜日』(2005年211日号)で早速、佐高信が悪口を書いている模様。共産党の飼い犬がキャンキャン吼えたところで、本書の価値がかすむことはない。

乙骨氏、またまた“おまぬけ”のひとこま


 乙骨正生氏が、彼の主宰する雑誌『Forum21』の最新号で、SGI会長の奥様の著書である『香峯子抄』に“いちゃもん”をつけています。しかも、その“いちゃもん”に割いた分量たるや、20ページにも及びます。内容といえば、龍年光・原島嵩・段勲氏を含む計5アンチ創価学会の人物たちの、哀しくも立証不可能な「私は見た」、「私は知っている」等の記述。その記述の中で、怪しげな「SGI会長の若き日の書簡」なるものも出されていますが、私達創価学会メンバーは、今までに アンチ創価学会による“コピーはあるが現物は誰も見たことがない”という文書、はたまた“さあ寝よう、午前1時”の迷文句で知られる日蓮正宗大石寺日顕氏が法廷に提出した偽造証拠物件のことを熟知しています。今更そんな書簡に、どうして信憑を置くことができるでしょう。


 しかし、恐らくは乙骨氏も自らの記事が、「通常であれば、到底、信用されることはないだろうな……」とっていたと判断される一節が見受けられます。それは、彼が “いちゃもん”の冒頭部分に置いた次の一節――


 かつて創価学会は、池田一家のみを被写体とした『池田家写真集』なる写真集を発刊し、特定の幹部や来賓などに販売、贈呈した。この写真集については、昭和59年に創価学会の招待で来日し、池田大作氏と会談したイギリスの歴史学者アーノルド・トインビー博士の孫娘であるポーリー・トインビーさんが、帰国後にイギリスの高級紙ガーディアン」【ママ:乙骨氏レベルであれば、なぜ「ママ」なのか分からないだろうけど】に掲載した池田大作氏との会見記の中で「彼は私達に、絹で製本された大きな本をプレゼントしてくれたのですが、それは、本文などなく、ただ296ページにもわたって、彼自身と彼の家族の写真だけが納【ママ:ここくらいは分かるかな?】められた、驚くべきナルシズム【ママ:ナルシズムって何?】そのものの本でした」と酷評しているが、今回の『香峯子抄』なるインタビュー本も、ひたすら池田大作氏とかね婦人、そして子の池田博正氏と池田尊弘氏を礼讃する内容となっており、『池田家写真集』と同種の書物に他ならない。【該当号『Forum21』4ページ:青色文字は、私ふうふうによる】(※小野注:「ママ」は原文のままの


 ここには、『ガーディアン』紙という権威に事寄せて、「なんとか“いちゃもん”にも権威及び信憑を持たせよう」という、これまた哀しき努力が窺われます。


 ここに記されているポリー・トインビー氏について、その人間および事物の判断力については、既に本サイトで2部(「トインビー対談に対する誹謗の実体」・同題2)に渡って論じましたので、そちらに委ねるものとします。今は、簡略に、同記述に見られる「高級紙」という表現について簡潔に触れておきます。まず、『ガーディアン』について、「高級紙」という表現は不充分。正確には、「左翼系の高級紙」とあるべきところです。ちなみに、Google によるこちらのウエブページのリストを一瞥します。そこに見られる現時点で合計約369(純粋数約114)のページは、マスコミ界に於いて、『ガーディアン紙』に触れる時、幅広く“(イギリスの)左翼系ガーディアン紙 [left-wing Guardian newspaper]”という、いわば“枕詞(まくらことば)”が定着していることを明瞭に示しています。そう呼ぶのは、『CNS』であり、『アメリカン・デイリー』紙であり、はたまたマスコミの学術的研究者であり等々、実に多彩なマスコミ関係の誌紙・“権威”ある人物・機関に及びます。乙骨氏は、よほど左翼が好きである模様です。


 しかるに、『ガーディアン』紙は、そのように呼称される質を持ちながら、最近の記事をサイト内検索で検出すると、ロベルト・バッジョがSGIメンバーであることや、「オーランド・ブルームがSGIに入会した」こと(結構、ミーハーなんですね、『ガーディアン』)などを、何らの批判的言辞やニュアンスを含めることなく、肯定的に報道しています。更には、宗教社会学者カレル・ドブラーレ氏(乙骨氏には、このSGI擁護者のこと、分からないだろうなあ)による本「雑記帳」でも触れたブライアン・ウイルソン氏の逝去の報道を通して、SGIを擁護する評言を含む記事を掲載しています。


 このような状態にあることを考えると、乙骨氏の「イギリスの高級紙『ガーディアン』」って言い方を含む一節を、20ページに及ぶ彼の記事の冒頭に置くことに、一体、何の味があるのでしょう? はい、これにて、乙骨氏の“いちゃもん”は、本当に、長々とした“くだまき”以外の何者でもなくなってしまったがあります。「哀れなるは、やはり甚だしく “教養” に欠落した三文フィクション作家の乙骨氏」であった、というところでしょうか。悲惨!


 それにしても、乙骨氏の雑誌とはいえ、アンチの人物を集わせて20ページに及ぶ分量を割いているところを見ると、私としては、「『香峯子抄』って、そんなにも彼らに対して痛烈な打撃を与えるものなんだなあ」、という慨が抱かれます。


【ふうふう】

2005-02-17

潔き信心あるところ苦難は福徳の糧に


 ともあれ、私どもが今、なさんとしているのは「末法万年」への壮大なる仕事である。

 しかも、妙法という無上の「法則」に基づいて、人類の「平和」と「幸福」の大道を開きゆく大偉である。

 この「大法」は世界中、いまだ他の誰人も知らない。いかなる財宝をもっても購(あがな)うこともできない。宇宙に唯一の「尊極(そんごく)の法」である。

 この法を根本にしてこそ、真実の「人類の夜明け」はある。これ以上の素晴らしき事はない。これ以上に深き義ある人生もない(大拍手)。

 この遠征の前に、少々の困や障害など、むしろ当然である。乗り越えるべき障害があってこそ、成長もあるし、爽快なる楽しみもある(拍手)。

 また、潔(いさぎよ)き信あるところ、「」はすべて「福徳」の糧(かて)と変わる。未来をひときわ輝かせるためのバネとなる。


【第9回SGI総会 1988-09-22 創価文化会館


 今の自分が変わることなくして、自分の願いが全部かなったら、どうなるだろう? 学会は、底の浅い人間と、ボンクラの集まりと化すことだろう(笑)。何の努力もしない怠(なま)け者だらけ。怪我もしない、病気にもならない、死にもしない人間だらけになる可能大(笑)。そんな風になったら、温かいビニールハウスに浮遊する塵(ちり)と変わりがない。


 そもそも、楽をすることが幸福であれば、スポーツなどする味がなくなってしまう。山登りなんぞ、愚の骨頂ってことになりかねない。


 身体を鍛えるには、負荷をかけるしかない。負荷に耐えてこそ、強靭な筋力が身につく。


 自分が止まって受ける風は、あまり気持ちのいいものではない。だが、自分の方から走って受ける風は爽快だ。自転車オートバイに乗ったことのある人なら、誰でも実することだろう。


 ホームランの世界記録を持つ王貞治氏がこう書いている。


 常に挑戦するを持ち続けること、これは野球の世界だけではなく、どの世界にいても大事なことだという気がする。

 野球選手の場合は、もっとうまくなりたい、もっと遠くへ飛ばしたい、もっと速い球を投げたい、というような“もっともっと”という貪欲(どんよく)さを失わなければ、こういう不断の挑戦を自分のものとして保持し、持続することができる。(中略)

 挑戦を持続するには、いつも「なぜ?」という疑問を持っていることが必要だ。

 よりうまくなりたいとえば、肉体や精神のしみも倍加する。しかし、しんだ分だけうまくなれば、うまくなるためにはしむのが当然だとえるようになる。こうなったら、もうシメたものだ。

 なぜなら、上手にやれるものほど、やって楽しいし、楽しければ、それに伴うしみもまた楽しみに変えることができる、という不議な能力を人間は持っているからである。


【『回想』王貞治(勁文社)】


 つまり、をすべて福徳の糧と変えることのできる潔き信の人ほど、人生は面白いってこったね。

2005-02-16

学会は壮大な“「人間」触発の大地”


 全ては「人」で決まるということである。「もの」でもなければ「建物」でもない。

「教育」はもとより「平和」と「文化」もまた、詮ずるところ、それを担い、創造しゆく「人」をどれだけ育てたかによって決まるのである。

 師・戸田先生も、常に「要は『人間』をつくることだ」と言われていた。

 そして、やがて“創価学会は壮大なる『人間』触発の大地となる”と、先生と私はよく未来の展望を語り合ったものである。

 SGIの運動は、まさしく法という最高の「哲理」と「慈愛」をもって「人間」をつくり、育てゆく、未聞の大事であるといってよい。「組織」だけではない。あくまでも「人間」をつくっていくことこそ肝要なのである。

 世界へと広がる妙法流布の前進も、その先駆を切りゆく「一人」をどう育成していくかにかかっており、皆さま方こそ、その「源」となる誉れの「一人」であると申し上げておきたい。


【第9回SGI総会 1988-09-22 創価文化会館


「学会は人材の城を築け」とは戸田先生の遺言。


 釈迦法は時代を経るごとに形骸化し、多造塔寺堅固に至って伽藍教となった。その結果が、白法隠没。


 折伏といい、血脈といい、異体同といい、法実践は人と人との間にある。縁起とは関係だ。その人間と人間との間に、脈々と法は流れ通う。


 人材育成は、育てる側の問題であって、育つ側の問題ではない。「内の組織は、いいメンバーがいなくって……」と嘆く前に、自分の力不足を自覚しよう。


“与えるもの”、“伝えたいもの”、“燃えるもの”がなければ、幹部の資格がない。やる気のない幹部が一人いれば、一車線の道路をチンタラ走っている大型トラックのような存在となり、その後ろを走る人々の成長が阻まれる。


 その上で、与えること、教えることだけが人材育成ではない。それは、教授主義だ。指導主義とは、相手の自発を重んじる教育法である。


 創価ルネサンスを迎えた20代の頃、私も随分と悩み、様々な幹部に指導を受けた。そこでつかんだ一つの結論は、「安易に答えを教えることではなく、相手に考えさせるヒントを与えることが大事」ということだ。つまり、動執生疑を起こさせること。


 そして一番肝なことは、一度相談を受けた以上、解決するまで幹部が責任を持つことだ。「絶対に、私の信で何とかしてみせる!」という気魄(きはく)がなければ、結果的に雑談と同じレベルになってしまう。


 幹部に恵まれるかどうかは、福運の問題だ。周囲にロクな幹部がいないという人は、真剣に祈って諸天善神を現すべきである。


「内の子は、もう手がつけられないから、創価学会にあずけようか」――こうなれば広宣流布だ。

2005-02-15

純粋な学会の世界を守り抜け


 正しき、清浄な信の世界を濁らせ、乱そうとする者とは、妥協なく戦っていかねばならない。これが大聖人の御を我がとして、大聖人の正法正義を厳然と守り抜かんとされた御弟子・日興上人の深き御決であられたと拝する。

「広布」と「信」の学会の世界にあっても同じ方程式でなくてはならない。清浄な正法正義の世界を、絶対に濁らせてはならない。濁れば、そこからの眷属がはびこり、堕地獄の因を積んでしまう。ゆえに牧口先生も、戸田先生も、邪悪とは徹底して戦われたし、信には厳格な指導をされてきた。

 私もまた、師の歩んだ厳しき信の道を一分も違(たが)えることなく進んできたつもりである。ゆえに、世界に冠たる学会が築かれたとっている。今日の日蓮正宗創価学会の発展は、私どもの信、指導、歩んできた道が、絶対に間違いのなかったことの証左に他ならない。

 戸田先生が、青年に厳しく教えられたのも“いかにして純粋な学会の世界を守り抜くか”との一点であった。学会は人のよい善人の集いである。だからこそ、邪悪の者が出れば、いくらでも利用され、かく乱されてしまう、と未来を鋭く見通されていたにちがいない。

 戸田先生は言われていた。

「学会は庶民の集いである。いかに罵られ、嘲笑されようとも、その人たちのために戦う。

 の目から見るならば、最高に崇高なことなのである。有を鼻にかけたり、見栄を張ったりする者の応援もいらないし、学会の幹部になっては絶対に困る。学会は純粋な信仰で一切を切り開いてゆく」と。


【第9回本部幹部会 1988-09-17 創価文化会館


 何気ない一言で、会合の雰囲気がなし崩しになり、固まりかかっていた呼吸がパアになることがある。往々にして、無責任で、やる気のない、デタラメな発言が多い。小単位の会合で、脇士が発する場合が目立つ。


 言いわけをする輩もこれに準ずる存在だ。絶対に集まらなければいけない場所に、遅れて駆けつけ、言いわけをする。戦いが進まない理由を、自分以外のところに探して、正当化する。既に負けていることに対する自覚が全くない。


 また、功の強い幹部も同様。黙って報告を聞いていると、全てが自分の手柄でもあるかのような話し振りで、後輩の闘争を称(たた)えることがない。あたかも、社内営の如し。


 私が青年部の頃、こうした面々に対しては、徹底的な注・指導・叱責を繰り返した。組織には、許していいことと、断じて許してはならないことがあるのだ。「不潔だぞ、貴様!」と畳を叩いて、叱ったことが何度もあった。


 自分を正当化しようと言いわけするメンバーにはこう言った。「それを、先生の前でも言えるのか?」と。


 純粋さを保てないと、真面目な人々がしむ。真剣なリーダーであれば、小さな会合であっても、“戦う呼吸”をつくり上げようと、人知れず労し抜いている。無責任な発言を許せるはずがない。


 眼にゴミが入っても平気な人がいるだろうか? 足の裏にトゲが刺さっても平然と歩く人がいるだろうか?


 不潔な精神は、不衛生となり、ちょっとした病原菌にも倒れてしまうだろう。不潔にしていると、動物的になり、本能に左右される生き方となってゆく。特殊部隊の兵士はゲリラ戦にあって、身体を清潔に保つよう訓練される。人間らしさを維持しておかなければ、判断力が低下するからだ。


 謗法を責めずして成を願はば火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべしはかなしはかなし、何(いか)に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし、うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し、毒気深入失本故は是なり(1056頁)


 檀那の社参物詣(ものもうで)を禁ず可し、何に況や其の器にして一見と称して謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣ず可けんや、返す返すも口惜しき次第なり、是れ全く己義に非ず経文御抄等に任す云云。(1617頁)


 謗法厳戒が、“立正”の根本精神だ。中者の真剣な姿勢が、組織から“濁り”を一掃する。地区の中で、婦人部の怨嫉組が二人、三人とグループを形成しているところは危ない。中者とは、別の中者がいるような組織は、もっと危ない。そういう現状を知りながら、手をこまねいている幹部が多い組織は、既に学会の組織ではなく、の巣窟(そくつ)と化していることを知ろう。

妙法の“さかなクン”出でよ


 チト、おかしなタイトルになってしまった(笑)。


 さかなクンをご存じだろうか? やたら、甲高(かんだか)いで、魚に関する薀蓄(うんちく)を披露するタレントだ。もう、魚が好きで好きでたまらないってじが、見る側をしてホッとさせる。


 教学部に、こういう人物が欲しい。何を質問しても、「ウッキッキー」ってじで、楽しそうに答えてくれる人。どうも、教学の強い人というのは、常にしかつめらしい顔をして、面白みのない話をしている印象が強い。学生時代、「京大に天台大師が現れた」と噂された宮川美法氏や、天才肌の前谷秀学氏には期待度が高いが、さかなクンみたいなわけにはいかないだろう(笑)。


 そこで、今の学生部、青年部から、「妙法のさかなクン」が登場することを期待したい。

2005-02-14

小事に徹する


 たとえ小規模なものであったとしても、それを淵源として将来必ず大きく発展しゆくことを私は確信している。「小さなこと」を軽んじて広布の進展はない。将来を期して「小さなこと」に徹することこそ、「偉大」なのである。


【第9回本部幹部会 1988-09-17 創価文化会館


 小事を小事のまま終わらせてしまうのが凡夫の常。だが、大いなる目的観を持てば、偉大な仕事となる。


 こんな話を聞いたことがあるだろう。ブロックを運んでいる人がいた。最初の人に何をしているのか訊ねた。「仕事だから、運んでいるんだよ」。次の人にも同じ質問をした。「私は、素晴らしいおを造っているのです!」と嬉々として答えた。


 同じ作をしていても、目的観があるかないかで、これほどの相違が出る。境涯の違いといってもいいだろう。


 日常の生活は小事の連続である。勤行だって、今日一日やらなくても、どうってことはないかもしれない。家庭指導だって、今日じゃなくても、明日やれば済むかもしれない。聖教新聞の指導だって、、読めなければ、夜、読めばいいだろう。


 だが、そうではない。道修行は全て、生命に関わってくることである。例えば、「今日一日ぐらい、飯を食わなくたって平気だよ」という人はいないだろう。「面倒だから、今日は、オシッコするのをやめよう」とかね(笑)。なぜか? 命に関わることだからだ。


「これぐらい大丈夫だろう」という油断が致命傷となる。信の場合、実できないから怖い。糖尿病みたいなものだ。自覚症状が出た頃は既に手遅れ。合併症になれば、命の危険に及ぶ。


 学会においても、婦人部のグループ座談会などは、地道な積み重ねによって、偉大なる婦人の連帯を築いている。座談会にしても、小さな集いといえるだろう。だが、小さいからこそ何でも話すことができ、そこで老若男女が法正義を証明すればこそ、入会を決する友人がいるのだ。


 学会の強さは、徹底して一人を大切にしてきたことにある。目の前にいる、その一人による人間革命が、世界を革命してゆくことを知っているからだ。

2005-02-13

ネチケットを弁えよ


 知らない学会員から時折、メールが寄せられる。サイトへのエールや激励、個人的な相談事が大半だ。中には、こちらが困惑する内容のメールも少なからずある。


 ○○です。ご無沙汰してます。


 私からメールを出してやり取りした方であれば、殆ど記憶に残っているのだが、掲示板で擦れ違った程度で、乗られても一向にい出すことができない。「どこどこの掲示板で、何度かやり取りをした――」と書くのが最低限の礼儀ではなかろうか。


 先日、寄せられたメールは、創価王道に書いた「犬が折伏を成し遂げる」は、本当の話なのか? というものだった。相手は壮年部の方だったが、あまりの礼儀知らずに私は憮然とした。その文章は、「ひょっとして、嘘を書いてるんじゃないか?」と言ってるのに等しかった。更に、「ご回答願います」と書かれていた。回答する義務が私にあるとはえなかった。それでも、あらん限りの忍耐力を総動員して、「本当です」と返事を書いた。その後は、返礼も挨拶もなし。


 こういう人物が多い。見知らぬ他人に依存して平気な顔をする人は、「教えて君」と呼ばれ、掲示板では荒らしの一種と考えられている。礼儀知らずで身勝手な質問メールも同様だと私は考える。


 その一方で、本当に温まるメッセージを頂くことも多い。同志からの真が、私の中で書き続ける原動力になっているのは確かだ。


「創価王道」は、学会員を対象にして書いている。やや、踏み込んだ内容も多い。組織悪と戦う視線が強くなり、単なる組織批判と誤解されてしまう場合もある。だが、私が書いていることは、ほんの一端であって、現実に対処している問題は、もっともっと根の深いものだ。


 責任強きが故に悩む同志がいる。私のメッセージは、こういう人に向けて発信している。だから、恵まれた組織にいる方だと、ピンとこないかもしれない。そういう方は、私に見をするよりも、ご自分でメッセージを発信するべきだ。


 いずれにせよ、文字に人格が出る。願わくは、気持ちのいいやり取りをしたいものだ。

教学の質問を受け付ける窓口を望む


 私はに何度か、学会本部へ電話をしている。組織のことなどで不明な点が、まだまだあるからだ。いずれも、総区長レベルでも答えられないような質問である。学会本部には、様々な電話が掛かってくることが容易に像できるので、質問の根拠や背景をしっかりと説明することが大事だ。そうでないと、適当にあしらわれてしまう。


 先日、座談会拝読御書に対する質問をしたところ、聖教新聞社に掛け直すよう促された。で、電話をしたところ、これがまあ、酷(ひど)い対応で、とりつくしまもなかった。前を問い質(ただ)したところ、「聖教職員は乗る必要がないし、そのように上から指示されている」とのこと。一学会員として、書くのもはばかられるような内容だった。電話の向こうに出たのは、官僚を絵に描いたような人物だった。先方に厳があることは間違いない。そのぐらい酷かった。こんな社員を雇っている企があれば、二流三流の烙印を押されても仕方がない。早速、秋谷会長宛てに報告書を提出しておいた。


 教学の重要については、再三にわたって指導されている。だが、実際問題として、教学の質問を会合でしようものなら、煙たがられることは疑問の余地がない。それぐらい、幹部の力量が落ちてきている。


 そこで、教学の質問を受け付ける窓口の設置を提案したい。質問をされる側の訓練にもなるから一石二鳥だ。学べば学ぶほど疑問が出てくるのは当然だから、これぐらい、やってくれてもいいんじゃないか?

2005-02-12

アンチの本質


 いわゆる、「アンチ創価学会」という連中が、ネット上にはたくさん存在する。持て余した時間と、自分の人生のマイナス情をもって、学会批判に費やす手合いである。


 手口はどれも似たり寄ったりで、宗教的信条はカケラもなく、さほどの信も持ち合わせてない。“常識”を前面にかざし、良的な市民の仮面をつけて、学会攻撃をするところに共通点がある。


 学会への誹謗中傷を目的とした個人サイトや、何年にもわたって学会の悪口を書き続けている連中を見ていると、空恐ろしくなってくる。


 人間は情の動物であるから、学会が嫌いな人がいても不議ではない。むしろ、いるのが当然だ。しかし、日常的にアンチ系掲示板などへ書き込みをしている面々を見ると、「ひょっとして、この連中は、学会批判をするのが人生の目的になってるんじゃないか?」という疑に駆られる。


 ちょっと考えてみれば、その異常さに気づくだろう。サラリーマンや主婦などが、自分の仕事を終えて、自由に過ごせるわずかな数時間を、一宗教団体の悪口を書くために過ごしているのだ。こんな父親や母親の元で育つ子供は、将来、どんな風になるのだろう。さしずめ、アンチ2世といったところか?(笑)


 こうした尋常ではない彼等の日常を像すると、猛々しいまでの負の情が蓄積されていると考えざるを得ない。彼等は極めておとなしい種類の人間で、一対一の直接対話だと、まともに自分の見も言えないんじゃないか? 極端なコンプレックスなしでは、あんな行為は続けられないだろう。


 一人では何もできないから群れる。現実生活では、誰も評価してくれないから、ネットに居地のよさをじる。身の丈に応じた言葉を失った彼等の自我は、ネット上でどんどん肥大化してゆく。


 学会員による行き過ぎた折伏というのも、確かにあるだろう。これは戒めていかねばならない。それを踏まえても、彼等の言動の根っこにあるのは、学会が諸悪の根源であり、その組織によって犠牲者が続出しているという妄に過ぎない。


 どんな組織でも、人間の集まりである以上、大なり小なり問題がある。だが、彼らは学会以外の組織を問題視することは殆どない。なぜなら彼等は、問題を学会に絞ることによってしか共できないからだ。ネットの狭い世界に浸(ひた)っている内に、どんどん自分を貶(おとし)めていることにすら気づかなくなる。


 もしも、私がアンチの立場だったら(笑)、自分の住んでいる地域の座談会に足を運び、誠実な対話を試みることだろう。自分の言い分を理解するまで、何度でも参加し、相手が音(ね)を上げて、詫(わ)びを入れるまで戦い続けてみせる。


 その程度の覚悟も実践もないのが、ボウフラみたいにうようよしているアンチの連中なのだ。ぬくぬくと暖かい部屋で、コーヒーを飲みながら、自分が傷つかないように傷つかないようにと、惨憺しているのが彼等の正体である。


 そんな彼等の言論活動が、まともな大人に対して有効であるはずがない。精神的に自立できない幼稚な輩が取り巻いているだけだ。


 くそアンチどもの本質は、大きいもの、強いもの、正しいものに対する嫉妬である。しかも、学会批判を繰り返すことによって、彼等が抱え込んでいるコンプレックスは更に強化される。蟻地獄のような悪口の連鎖によって、彼等の吐くは、飛ぶ鳥が落ちるほどの悪臭を放っていることだろう。

2005-02-09

兄弟抄


【1079-1089頁】


背景

  • 文永12年(1275)4 54歳御作(異説あり→建治2年)
  • 与池上兄弟
  • 於身延
  • 真蹟池上本門寺(正筆があるのに執筆年が判明しないのは、なぜか?)
    • 池上兄弟は、立宗宣言から3年後の建長8年(1256)頃、入信したと伝えられる。同時期に四条金吾工藤吉隆も入信したとされる。
    • 父・康光はの強信者で、極楽寺良観の信奉者。兄弟の信に反対し続けた。
    • 文永12年(1275)、父・康光が兄の宗仲を勘当したとされる。
    • その後、一旦は赦されるも再び勘当されている。
    • 池上家は、幕府の建設・土木関係を担う家柄だった。
    • 大聖人は、兄の宗仲よりも、弟の宗長を配された。
    • 弘安元年(1278)父・康光が入信。
    • 弘安5年(1282)1013日、大聖人は池上邸で御入滅された。現在の池上本門寺(東京・大田区)。
      • 文永11年214日、佐渡流罪赦免。313日、佐渡出発。326日、鎌倉帰還。48日、平左衛門尉を諌める(三度目の国主諌暁)。
      • 文永11年512日、大聖人は鎌倉を去り、身延へ。
      • 文永11年10、蒙古来襲(文永の役)。
      • 文永11年、日目上人が大聖人の下(もと)へ。常随給仕す。
      • 文永12年4、元寇の使者来る(7年後の弘安4年7に再び来襲。弘安の役)。
      • 文永12年4に改元。建治となる。

三度目の国主諌暁


【「80歳(2008年)まで――世界広布の基盤完成なる哉」より転載】


 日蓮大聖人は国家を諌(いさ)めること三度(みたび)。悩に喘ぐ民衆を救済せんと、立証安国を叫びに叫び抜かれた。


 佐渡流罪が赦免(文永11年2)となってから2ヶ後の48日、大聖人は平左衛門尉と対面。「蒙古からの攻撃はいつか?」との問いに対し、「今年は一定」と答えた。この時、平左衛門尉から大聖人に対し懐柔策の提示があり、換算すると60万両(約300〜450億円)に及ぶ資金提供の申し出があった。しかし、大聖人はこれを一蹴。威風堂々と三度目の国主諌暁を行った。


「君に過ち有れば則諌め、三度諌めて聴かざれば去るべし」(礼記)との故事にならい、大聖人は5に鎌倉を離れ、身延入りされた。だがそれは、世間的な隠居とは全く異なっていた。残された時間を、後継者育成のために捧げたのだ。


字の言


以下は御書にはさんであった古い切り抜きより――


 壮年部の夏季講習会で「兄弟抄」を研さんした。特に銘を深くしたのは、二度にわたる勘当を受けながら、不屈の道を歩んだ池上宗仲の生き方である。宗仲が入信したのは建長8年(1275年)。実に入信して20年、年齢も50代になってからのことである。勘当というと、若者を連するがそうではないのだ。今でいう熟年であり、それだけに父の反対のすさまじさがうかがわれる。当時の社会風習から、勘当となると血縁関係の断絶ばかりでなく、社会的な破滅にも通じていた。しかし彼は大聖人の御指導のもと、少しもたゆまず、ついに弘安元年(1278年)には父を入信に導いていく。それは不屈の実証であるとともに、信に生きた人間としての勝利といえよう。往々にして青年期の試練は成長へのバネとしていける。しかし中高年になって生活も落ち着いてくると、安定を第一にして楽な方へ、安易な方へと流されてしまいがちである。だが、人生の総仕上げの戦いは、壮年期にあることを忘れてはなるまい。【聖教新聞 1985年前後とわれる】


池上宗仲


 正信会が主催している「日蓮聖人の世界展への誘い」によれば、


 大聖人の檀越では、池上兄弟の兄である宗仲は、大聖人が「右衛門大夫殿」と称されているように、五位の「大夫」に相当する官位をもっており、社会的身分は高かった。ちなみに弟の宗長は「兵衛志」(八位)である。また『立正安国論』を時頼に取り次いだ宿屋左衛門尉らにみられる「左衛門尉」は、六位の侍に相当する。この宿屋左衛門尉や、熱原法で法華衆を弾圧した平左衛門尉は、得宗被官であるため、主君である得宗の官位(時頼や時宗は五位)に昇ることは許されず、六位の侍に止まらざるを得なかった。池上宗仲が五位の「大夫」に昇進しているのは、池上氏が御家人、つまり公的には、北条氏と同格だったからであり、御家人の代表者である安達泰盛も、やはり五位に昇進している。


 とされている。

1087頁15行目


 此の法門を申すには必ず出来(しゅったい)すべし競はずは正法と知るべからず、第五の巻に云く「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る乃至随う可らず畏る可らず之に随えば将(まさ)に人をして悪道に向わしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云云、此の釈は日蓮が身に当るのみならず門家の明鏡なり謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ。


2005年2座談会拝読御書】


 逆読み――この法門を申さなければは出ません。が競えば正法です。行解を怠れば三障四魔は出ません。だから、随いようも、恐れようもありません。これに随わなければ、人を善導に向かわせ、これを恐れることがなければ成してしまいます。


 逆読みの結果は、の囁きとしか言いようがない。


「申す」――これを一言も申し出すならば父母兄弟師匠に国主の王必ず来るべし、いはずば慈悲なきににたりと惟するに法華経涅槃経等に此の二辺を合せ見るにいはずば今生は事なくとも後生は必ず無間地獄に堕べし、いうならば三障四魔必ず競い起るべしとしりぬ、''二辺の中にはいうべし''(200頁)「開目抄


 佐渡流罪赦免から1年後。


 人材育成が窺われる→多数の門下に対する御書多し(編年体を参照のこと)→弟子がを引き受ける時


 全体の内容の把握→一家和楽の信(夫人に対するメッセージ)、を乗り越える信→結果的に各人が幸福をつかむ信


日蓮が身に当る」←→「門家の明鏡」 法則だから、誰も逆らえない。大聖人であっても同様。ここには僧侶が上で信徒が下などといった視点は全くない。




 正信会の説明がわからん。池上宗仲平左衛門尉より位が上とは知らなかった。律令制度の官位を調べる必要あり。

 いずれにせよ、宗仲の位が高ければ高いほど、宗長のの中で悪が囁いたことだろう。信さえやめてしまえば、兄の位も家督相続できるのだから。


 どんな世界であっても、本物を目指せば、必ず障害はつきもの。

  • スポーツ選手→スランプ・怪我
  • 受験生→孤独地獄
  • 夫婦→倦怠期(笑)

 障害を超えなければ、本物にはなれない。本物とは、数多くの障害を乗り越えた人といえる。


 スピードを出せば、風が強くなる。最終的には、権力と対峙せざるを得なくなる→三類の強敵


 ウルトラマンと怪獣はセット。正義の味方と悪党もセット。敵もセット→「善と悪とは無始よりの左右の法なり」(997頁)


 怪獣をやっつけることによって、ウルトラマンの力は証明される。怪獣が強ければ強いほど、見ている側は面白い。大きなが現れれば現れるほど、としての力が証明される。観客はいないが、妙の照覧あり。


三障四魔


【出典は天台大師の摩訶止観】


 報障――虐待される幼児


 陰→病ともいう。


 煩悩障と煩悩の違いは?→“障”と“”のカテゴリの違いは何か?→外縁と、内なる生命の曇りとするならば、天子をどう捉えるか?


 報障と天子の関係は?


 死魔よりも、天子が恐ろしい理由は?


 たとひ明師並に実経に値い奉りて正法をへたる人なれども生死をいでにならむとする時にはかならず影の身にそうがごとく雨に雲のあるがごとく三障四魔と申して七の大事出現す、設ひからくして六はすぐれども第七にやぶられぬればになる事かたし、其の六は且くをく第七の大は天子と申す物なり、設い末代の凡夫一代聖教の御をさとり摩訶止観と申す大事の御文のえてになるべきになり候いぬれば第六天の魔王此の事を見て驚きて云く、あらあさましや此の者此の国に跡を止ならばかれが我が身の生死をいづるかはさてをきぬ又人を導くべし、又此の国土ををさへとりて我が土を浄土となす、いかんがせんとて欲色無色の三界の一切の眷属をもよをし仰せ下して云く、各各ののうのうに随つてかの行者をなやましてみよそれにかなわずばかれが弟子だんな並に国土の人のの内に入りかわりてあるひはいさめ或はをどしてみよそれに叶はずば我みづからうちくだりて国主の身に入りかわりてをどして見むにいかでかとどめざるべきとせんぎし候なり。(1487頁)


 三世間と三障四魔を関連付けることは可能か?


 死魔体験談、あるいは追悼文を引用。


 必ずが出る→現実に出てるかどうか訊く。


 次々と襲い来る不信との戦いによって、無疑曰信(むぎわっしん)となる。


 誰でもが揺れる。


 されば経文には一人一日の中に八億四千あり(471頁)


 が揺れて、引き戻す時に、力が蓄えられる。信を揺らすきっかけが三障四魔であり、三類の強敵であり、である。


 学会は、を受け、三障四魔が現れるたびに、大発展してきたことを忘れてはならない。


 凡夫のになる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり(1091頁)「兵衛志殿返事」→弟・宗長


 賢者は喜び勇んで前へ進み、愚者は文句や言いわけをしながら、ずるずると後退する。


 牧口先生は、「自らすすんでを駆り出せ」と指導。なぜか?→になれるから。




行解」とされているところに注目せよ。「行」だけでもなく、「学」だけでもない。いずれに偏っても盲信・狂信の謗りを免れない。


結論


 真の和合僧にのみ三障四魔紛然として競い起こる。と見破り、打ち勝つためには、師匠と組織が不可欠。闘争の決に燃えている人ほど、が現れる。は、祈らせまい、行動させまい、団結させまいという働き。一切のを打破し、決戦に臨んで参りたい。

2005-02-08

わずか一日の内に4つも政治団体の支部が登場し、資金の移動


 自民党の馳浩氏は、1.労働組合系団体から民主党の政治資金団体を経由して、島正光衆院議員(民主)が支部長を務める選挙区支部に計1000万円、2.永田寿康衆院議員(同)の後援会から3団体を経由して永田議員が支部長を務める選挙区支部に1000万円――が渡っていることを挙げ「事実上、迂回(うかい)献金だ」と指摘した。


【毎日新聞 2005-02-08】


 自民党馳浩氏の質問は以下――


 民主党から色々言われているので、売られた喧嘩は私も買いたい。民主党から島議員に対する献金が事実上、迂回している。マスクマンの前は国民改革協議会、マスクを脱げば民主党と書いてある。今時、プロレスラーでさえ、こんな姑(こそく)な手段は使いませんよ。永田議員は、わずか一日の内に4つも政治団体の支部が登場し、資金の移動がなされている。一般社会では、このことをマネーロンダリングというんです。


ANN 2005-02-08】

4.2


 昭和33年42日午後6時30分、戸田城聖第二代会長はその波乱万丈の人生に幕を下ろした。神田駿河台にある日大病院にて。享年58歳


 戸田先生は、勝海舟が亡くなった翌年の明治33年(1900年)211日に石川県江沼郡塩屋村(現・加賀市塩屋町)で誕生。明治35年に北海道の厚田へ移住。


 20歳で牧口先生出会い、28歳で入信された。

 国家権力からの弾圧によって逮捕されたのが43歳の時。牧口先生の身に影の沿うが如く付き添い、権力のと対峙(たいじ)された。


 51歳で創価学会の第二代会長に就任。戦後の焼け野原に一人立たれてから既に6年になろうとしていたが、当時の学会員の数は約3000戸田先生は会長就任に際し、「75万世帯の折伏は断じて私の手でやり遂げる。もしも、それができなかったなら、私の遺骸(いがい)は品川沖に投げ捨てよ!」と宣言された。


 1世帯を1人で換算しても250倍である。その上、もない教団だった。当時の最高幹部の話によれば、「学会」と書かれた手紙がきたという。殆どの学会員は、「戸田先生はまた随分と長生きをされるのだなあ」とぼんやり考えていた。ただ、一人の青年を除いて――。


 戸田先生が願を果たされたのは昭和32年12。逝去の半年前であった。その頃既に、「僕は桜の花の咲く頃に死ぬんだ」と自宅のお手伝いさんに話されていた。

2005-02-07

慈悲は智慧につながる


 それにしても、大聖人が細やかに人情の機微をとらえられ、最大の真で門下を激励されている御姿に、私は打たれる。愛する同志、後輩のために、一人ひとりのの綾(あや)を丹にたどり、踏まえながら、どこまでも尽くし、守り抜いてゆく――この強靭にして慈愛豊かな人間にこそ、法の精髄があることを知らねばならない。

 戸田先生は、よく言われていた。――一次元からいえば、「慈悲」があるということは、即「智」につながっていく。真の「慈悲」の人は、あの人のためにどうすべきか、どうしてあげたらいいかと、常にを砕きに砕いている。ゆえに、誰も気に留めないようなところにも気がつき、うっかり見過ごしてしまうようなところまで、自然に見えてくるものだ――と。

 所詮、「智」といっても、決して特別な「力」や「才」がなければ得られないというものではない。

 広布への汲(く)めども尽きぬ信の深さがあれば、次第にからの「いやり」とか「配り」が備わっていくものである。

 しかも「智」は、単なる「知識」ではない。「知識」を生かし、活用していく源泉が「智」である。いかに「知識」があっても、“慈悲なきインテリ”“冷酷な知識人”であっては、本物の「智」はわいてこないし、「知識」のみでは、生きゆく力も、幸せの価値も見出させないであろう。

「慈悲」こそ、真の「智」の源泉であり、「信仰」の根幹である。


【港・目黒渋谷合同支部長会 1988-09-12 東京・麻布文化会館


 慈悲即智であり、智即慈悲であるとの指摘は重要。は内より薫(くん)じて、ある時は慈悲と現れ、ある時は智と発揮される。


 引用された御書は、「富木殿御返事」(968頁)。富木常忍が大聖人に帷(かたびら)を供養したことに対するお礼の手紙。90歳になる母親が、子のために縫った。母が亡くなる1年前のことだった。富木常忍は60歳ぐらいであったと推測される。素晴らしい出来栄えに驚いた常忍は、自分が着るよりも、慕ってやまない大聖人に着て頂きたいとい、母と相談した上で大聖人に御供養したとわれる。


 一枚の衣に仕立てられた「」と「」のドラマ――大聖人は全てをご存じであられた。


 殺伐とした社会では、「無慈悲」が実されるばかりで、「慈悲」という言葉はふわふわと浮いた印象を受ける。日常生活の中で慈悲を実践に移しているのは、もはや学会員だけであろう。


 慈悲は抜与楽と訳す。友のを抜くためには同しなければならない。そして、悩んでいる人に楽を与えるには、迅速な行動が求められる。


 我が国では、阪神・淡路大震災からボランティア熱が高まった。ボランティアは慈悲の一分といえよう。尊い無私の行動を知り、「まだまだ人間も捨てたもんじゃないな」と銘した人々も多かった。


 ボランティアの語源は、ラテン語の「Volutas(ボランタス・自由志)」、フランス語の「Volunte(ボランティ・喜びの精神)」、英語では「Volunteer(ボランティア・志願兵)」とされる。まさに随自意の精神そのものであり、誰かに言われたから行うなどといった雇われ根はない。


 相手の尊厳を守るための、やむにやまれぬいが慈悲である。人を追い込んだり、問い詰めたりするのは無慈悲というのだ。慈悲は、表面的な優しさでもなく、厳しく叱ることでもない。分析することでも、評価することでもない。共に涙し、共に汗を流すという人間の絆であり、契(ちぎ)りである。


 されば、人のの深さを示したものが慈悲だ。友のしみを引き受ける精神が慈悲だ。


 日蓮が慈悲曠大(こうだい)ならば南無妙法蓮華経は万年の外(ほか)未来までもなが(流)るべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ(329頁)


 大聖人の慈悲を体現する学会幹部と育とう。

2005-02-06

「信心しているから何とかなる」は大謗法


 信しているから

 なんとかなるとの考えは

 大謗法である

 信していればこそ

 厳しい現実を見極め

 合理的 科学的に

 生活や事を組み立て

 完璧を期することだ


【『日々の指針』1121日分/1974-12-16発行】


 曖昧にして、微妙な一を厳しく衝(つ)いた指導。因果倶時であるゆえに、タッチの差が決定的な違いとなって現れる。「大謗法」との一言に、甘えを許さぬ自立した信仰と、非常識な盲信を戒める姿勢を痛する。


「なんとかなる」ではなく、「なんとかする」のだ。単なる言い回しの問題ではなく、随自意随他意の相違を指摘されている。


 戸田先生は言われた。


 お釜に米と水を入れて題目を唱えればご飯ができるか? できるわけがない。火をつけることに気づくのが信であり、火の加減を調整するのが智である。(趣


 信仰とは観ではない。現実に変化を与えゆく生命力の発露である。御本尊は明鏡に喩(たと)えられる。深き祈りを捧げる中で、我が生命の実相がありありと浮かび、その悪しき傾向に気づき、反省即決に至った瞬間から、人間革命の軌道に入る。


 牧口先生は価値を追求し、善の中の極大善の法に巡り会った。


 私が中等部の頃、「信プラス努力」と教えられた。その味が本当に理解できるまで10年ほどを要した。信だけでは、盲信や狂信に陥る危険がある。誰よりも努力するところに信仰の真価があり、人間と社会の勝利がある。


 更に、戸田先生は言われた。


 信は一人前、仕事は三人前。


 信は、三人前の仕事をする原動力であり、人の3倍努力して、初めて信する資格があるともいえよう。


 厳しい時代である。そうであればあるほど、甘えを排して、信即生活を見直したい。

2005-02-05

アフリカ:薬袋忠さん


 ひとくちに11年というが、一般に商社などでも、アフリカの熱帯地域への赴任は、3年間が限度とされている。

 それほど、気候を始めとする諸条件が日本と大きく異なっている。

 高熱の出るマラリアとの戦い、「食べ物」や「水」の違い、干ばつ、物資の不足。文化・習慣の隔たりも大きい。

 一日一日、体を張っての戦いである。いわんや、その中で布教をし、指導に走る。筆舌に尽くせぬ労の連続だったに違いない。

 クーデターもあった。そうした中、「死」を覚悟することも一度や二度ではなかった。こう彼は語っている。

 しかし、彼には深き「使命」の自覚があった。アフリカ広布――その一点に徹していた。ゆえに彼には不動の強さがあった。愚痴もなければ、弱音もなかった。

 今、日本には多くの幹部がいる。その中の何人が彼と同じ状況下で、毅然と戦っていけるか。華やかな立場はなくとも、人目につかぬ陰に、こうした本物の学会っ子がいることを忘れてはならない。


【港・目黒渋谷合同支部長会 1988-09-12 東京・麻布文化会館


 アフリカ広布の先駆者、薬袋(みない)忠さんを紹介した指導。


 1974年(昭和49年)1聖教新聞特派員としてガーナに渡った。この時、33歳。「先生、アフリカへ行かせてください」――薬袋さんは「21世紀は、アフリカの時代」という信から、自らアフリカ広布の礎(いしずえ)になりたいと申し出た。以来、1984年(昭和59年)12、日本に帰国するまで、実に11年間、灼熱の天地でアフリカ広布のために戦い抜いた。


 青春時代の誓いのままに生きた薬袋さんの顔は輝いていた。いも寄らぬ称賛の言葉を掛けられ、はにかむような表情をされていた。そこに、慢の暗い陰は微塵もなかった。


 自分が決めた道で、やるべきことをやり遂げた人は偉大だ。そして、偉大な人物は一様に謙虚だ。高に自分の成果を主張することはない。なぜならば、自分が勝った瞬間に、師弟という関係において一切が完結しているからである。


 家庭指導をしない幹部を、私が絶対に信用しないのは、喝采なき舞台を避ける惰弱な姿勢がそこに実相として現れているからだ。


 無の勇者達によって道なき道が開かれ、世界広布の胎動は世界190ヶ国にまで広がった。口で言うのは簡単なことだ。ほんの少しでも先人の労いを馳せる時、不平不満など出るはずがない。


 人間の身体は恵まれた環境にいると抵抗力が弱まる。少々の菌に冒され身体が蝕まれてゆく。


 極楽百年の修行は穢土(えど)の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか、是れひとへに日蓮が智のかしこきにはあらず時のしからしむる(のみ)(329頁)


 困なところに身をおいて戦っているかどうか。真っ直ぐに師の後を歩み、師に連なる今日一日となっているのかどうか。これを確認せずしては、海外の同志に面目が立たない。


 今年は、「江戸の一日の功徳に及ばず」にして参りたい(笑)。

猿渡瞳


“命の作文”に動の輪/大牟田市の故猿渡さん/学校などでも紹介


【西日本新聞刊 2005-01-15付】 


 がんと闘い、昨年9に13歳で亡くなった福岡県大牟田市の田隈中2年猿渡瞳さんが、死の約2ヶ前につづった作文「命を見つめて」が家族や友人らを通して各地に伝えられ、動と謝の輪が広がっている。


 瞳さんは小学6年の冬に、骨肉腫が見つかった。転移して肺がんにもなり、「余命半年」と宣告をされた。1年9ヶに及ぶ闘病生活の中で「命の大切さ」をつづった作文は、その死後、全国作文コンクールの優秀賞を受けた。


 家族や友人は命の尊さを最後まで訴えた瞳さんの遺志を広く伝えようと、コンクール応募作文を葬儀で配布した。


 地域の回覧板に挟んであった作文を読んだ女は「こんな素晴らしい作文はない」と埼玉県三芳町の藤久保中で教師をしている友人にコピーを送った。教師は授で生徒たちに紹介し、家族のもとには、生徒たちから「この原稿が日本全体に広がれば争いがなくなるのかもしれない」「この作文は一生私ののどこかで応援してくれるような気がします」などと書かれた手紙が寄せられた。


 神奈川県横浜市に住む瞳さんの親類は「瞳ちゃんの生と死を劇にしたい」と、仲間を探しながら、同市内の小学校に作文を配る。瞳さんが在籍していた2年1組の保護者は「瞳会」を結成。会員の一人、奥園妙美さん(44)は「瞳ちゃんのいを親子で受け継ぎ、伝えていきたい」と、活動内容を検討する。


 福岡県警八女警察署も、防犯教室で命の尊さを訴えるため瞳さんの作文を引用することを決め、14日から導入した。「『小さな悪も許さない。命は尊い』などの文面は署員たちのにも響いた」と岳賢次郎署長。西日本新聞読者室にも「作文全文を読みたい」など多数のが寄せられた。


 瞳さんの母直美さん(36)は「『私にしか伝えられないメッセージを世界中に届けたい』という瞳のいが希望通りに広がってうれしい」と笑顔で語った。


亡き娘が「命の作文」で全国優秀賞、始式で母へ伝達…福岡


 骨肉腫のため2004年9に亡くなった福岡県大牟田市の田隈中2年、猿渡瞳さん(当時13歳)が生前、命の尊さをつづった作文「命を見つめて」が全国コンテストで優秀賞に選ばれた。


 11日、同校の始式の前に行われた表彰状の伝達式で、母親の直美さん(36)は「悩みやしみがあっても、命さえあれば必ず前に進んでいける」と、瞳さんの気持ちを代弁し、全校の生徒に語りかけた。


 バスケットボールやマラソンが得だった瞳さんが骨肉腫と診断されたのは2002年12。肺にも転移していた。医師から「余命半年」との宣告を受け、「右大たい部から切断しないと病気に負けてしまう」と言われたが、手術の30分前に「生きる希望だから」と断った。


 同校に進学後、入退院を繰り返し、抗がん剤治療などで3度の危機を乗り切ったものの、がんは全身に転移。04年916日、市内の病院で力尽きた。


「みなさん、みなさんは本当の幸せって何だといますか」。こんな呼びかけで始まる作文は、一緒に闘病生活を送っていた仲間が相次いで亡くなる中で、「今、生きている」ことが幸せと考えるようになったことをつづった。


 また、「人と人が殺し合う戦争や、平気で人の命を奪う事件」が頻発する社会を憂い、「命を軽く考えている人達に、病気と闘っている人達の姿を見てもらいたい」と強調。「病気になったおかげで生きていく上で一番大切な事を知る事が出来ました」などと結んでいる。


 作文は、04年7に開かれた大牟田市青少年健全育成弁論大会向けに用。大会当日のまで推敲(すいこう)し、大会では自ら読み上げた。その後、「“社会を明るくする運動”作文コンテスト」の福岡県審査で最優秀賞を受賞。同年12の全国審査でも、優秀賞(日本更生保護連盟会長賞)に選ばれた。


 瞳さんは生前、「私が訴えたかったのはこれなんだ」と直美さんに話していたという。直美さんは「表彰されたことで、より多くの人に瞳のいが伝わるとう」と話していた。


闘病中の作文に反響 猿渡さんしのぶ 「命の歌」響かす 交流のデュオ大牟田で公演


 がんのため昨年9に13歳で死去する前に書いた作文「命を見つめて」が反響を広げている福岡県大牟田市の猿渡瞳さんをしのぶコンサートが16日、瞳さんの通っていた同市の田隈中学校で開かれた。交流のあったアマチュア男デュオが、彼女のために作ったオリジナルソング「君がくれた命の歌」を初めて披露した。


 福祉施設職員の嘉富徹さん(33)=同市歴木=と会社員藤吉裕人さん(28)=同。以前から瞳さんと知り合いだった嘉富さんは闘病中の瞳さんに歌を贈るなどしており、藤吉さんと昨年5に「REAL'N TRUEZ(リアルン トゥルーズ)」を結成してからも、激励のミニコンサートを開くなどしていた。瞳さんの希望を捨てない姿を知る2人は、その死後、「彼女の生き方を通して学んだ勇気や希望を込めて歌を作ろう」と曲づくりにとりかかり年明けに完成した。


 2人は級友ら約120人を前に、瞳さんが闘病中に毎日聴いていたという自作曲「祈りが勇気に変わるとき」など3曲を演奏。「君がくれた命の歌」では「君がくれた命の歌を誰かの夢にとどけるよ/力強く生きてゆくこと/戦うこと/すべてを」と歌った。


 遺影を胸に聞き入った母直美さん(36)は「歌を聴いて、瞳の生命の躍動をじた。この歌は瞳そのもの」と話し、同級生の山田愛美さん(14)は「瞳ちゃんが一緒にいるようだった。私も精いっぱい生きて頑張りたい」と涙をぬぐった。

「大夢多」になればいいね ふるさとにも温かな視線 故猿渡さん


「大きな夢が多い大夢多(大牟田)になればいいね」。昨年9に骨肉腫のため13歳で亡くなった福岡県大牟田市の中学2年、猿渡瞳さんはそんなメッセージをのこしていた。作文「命を見つめて」で、がんとの闘いと命の大切さを訴えた瞳さん。その温かな視線は、炭鉱閉山以後、暗い話題の多いふるさとにも注がれていた。21日、母親の直美さん(36)からこの言葉を伝えられた同市の古賀道雄市長はを動かし、「作文を教材として使わせてほしい」と申し出た。


 この日、直美さんは、成人式の祝辞で瞳さんの作文を紹介した古賀市長を表敬訪問した。古賀市長は保護司会を通じて瞳さんの作文に触れて動し、成人式当日の10日、急きょスピーチに盛り込むことを決めたという。古賀市長は「ざわめいていた式典会場は、作文を読み始めると静まり返りました」と成人式の模様を振り返ってみせた。


 直美さんは「私も娘も大牟田が大好き。大牟田が『大夢多』になればいいね、とよく話し合いました」と、生前の瞳さんのい出話を紹介。教材に使いたいという古賀市長の申し出には「ぜひお願いします」と喜んでいた。


 古賀市長は「瞳さんのことがマスコミで紹介され、大変な反響だと聞いています。大牟田は暗い話題が多かったのですが、市民が勇気づけられました」と話した。


命を見つめて


本当の幸せは「今、生きている」ということ

 みなさん、みなさんは本当の幸せって何だといますか。実は、幸せが私たちの一番身近にあることを病気になったおかげで知ることができました。それは、地位でも、誉でも、お金でもなく「今、生きている」ということなんです。


 私は小学6年生の時に骨肉腫という骨のガンが発見され、約1年半に及ぶ闘病生活を送りました。この時医者に、病気に負ければ命がないと言われ、右足も太ももから切断しなければならないと厳しい宣告を受けました。初めは、とてもショックでしたが、必ず勝ってみせると決し希望だけを胸に真っ向から病気と闘ってきました。その結果、病気に打ち勝ち右足も手術はしましたが残すことができたのです。


 しかし、この闘病生活の間に一緒に病気と闘ってきた15人の大切な仲間が次から次に亡くなっていきました。小さな赤ちゃんから、おじちゃんおばちゃんまで年齢も病気もさまざまです。厳しい治療とあらゆる検査の連続でも体もボロボロになりながら、私たちは生き続けるために必死に闘ってきました。


 しかし、あまりにも現実は厳しく、みんな一瞬にして亡くなっていかれ、生き続けることがこれほど困で、これほど偉大なものかということをい知らされました。みんないつの日か、元気になっている自分をい描きながら、どんなにしくても目標に向かって明るく元気にがんばっていました。


 それなのに生き続けることができなくて、どれほど悔しかったことでしょう。私がはっきりじたのは、病気と闘っている人たちが誰よりも一番輝いていたということです。そして健康な体で学校に通ったり、家族や友達とあたり前のように毎日を過ごせるということが、どれほど幸せなことかということです。


 たとえ、どんなに困な壁にぶつかって悩んだり、しんだりしたとしても命さえあれば必ず前に進んで行けるんです。生きたくても生きられなかったたくさんの仲間が命をかけて教えてくれた大切なメッセージを、世界中の人々に伝えていくことが私の使命だとっています。


 今の世の中、人と人が殺し合う戦争や、平気で人の命を奪う事件、そしていじめにした自殺など、悲しいニュースを見る度に怒りの気持ちでいっぱいになります。一体どれだけの人がそれらのニュースに対して真剣に向き合っているのでしょうか。


 私の大好きな詩人の言葉の中に「今の社会のほとんどの問題で悪に対して『自分には関係ない』と言う人が多くなっている。自分の身にふりかからない限り見て見ぬふりをする。それが実は、悪を応援することになる。私には関係ないというのは楽かもしれないが、一番人間をダメにさせていく。自分の人間らしさが削られどんどん消えていってしまう。それを自覚しないと悪を平気で許す無気力な人間になってしまう」と書いてありました。


 本当にその通りだといます。どんなに小さな悪に対しても、決して許してはいけないのです。そこから悪がエスカレートしていくのです。今の現実がそれです。命を軽く考えている人たちに、病気と闘っている人たちの姿を見てもらいたいです。そしてどれだけ命が尊いかということを知ってもらいたいです。


 みなさん、私たち人間はいつどうなるかなんて誰にも分からないんです。だからこそ、一日一日がとても大切なんです。病気になったおかげで生きていく上で一番大切なことを知ることができました。今ではから病気に謝しています。私は自分の使命を果たすため、亡くなったみんなの分まで精いっぱい生きていきます。みなさんも、今生きていることに謝して悔いのない人生を送ってください。


【※文中の「詩人の言葉」は、池田先生の『希望対話』より。尚、猿渡さんのことは、「涙が止まらない…がんもまでは冒せない」と題して『女セブン』(2005-02-10号)でも報じられている】

瞳スーパーデラックス―13歳のがん闘病記いのちの作文―難病の少女からのメッセージ

2005-02-04

陥りやすい安易さ


 インターネットの使い方は人によって様々だ。掲示板などを外野席から眺めているだけの観客もいれば、何らかのメッセージを発信し続ける人もいる。情報収集に余がない人もいれば、研鑚の武器とする人もいよう。


 今は、OCR(文字読み取り)機能がついたスキャナがあるので、入力の手間は格段に減ったといえる。だがそれでも、指導の全文を発信している方の労は並大抵のものではないだろう。


 労して入力されたものを、人は安易にコピーする。私もそうだ。労作像力を働かせることなく、コピー&ペーストを繰り返す。指導は師のから離れ、一片の情報と化す。この安易さが危険なのだ。


 末法において、五種の修行は受持に含まれる。しかし、世界広布という言論戦に挑む我々が、「書く(書写)」という行為を避けて通ることはできない。そもそも、大聖人の教えが正しく後世に伝わったのは、鎌倉時代にありながら、膨大な御書を残して下さったからである(同時代の宗教者の文献は極めて少ない)。


 印刷技術のない時代にあって、書写という修行は、の死活問題に直結していた。口伝だけでは正確を欠いてしまう。明治維新に至っても、蘭学などの典籍は書写されていた。


 こうした人々が受け身の姿勢で臨んだはずがない。正確を期し、文字を整え、テキストの底に流れるを自分の手でつかもうと、焔(ほのお)の如き情熱が燃え盛っていたことだろう。書写という行為は、先人の魂との触発の場であったに違いない。


「からぐら」の魯の人氏が「ネタ教学を止めよう」との一文を書いている。やや神経質で納得しかねる部分もあるが、主旨そのものは正しいとう。


 自ら御書や指導と格闘することなくして、安易な剽窃(ひょうせつ)がまかり通ることを私は恐れる。借り物の言葉には、確信なく、勇気なく、信なく、歓喜がない。あるのは、与えられた時間をそつなくこなそうとする時給根だ。


 以下に幹部指導を紹介し、警鐘としておく。


 御書は、第一ページから最後のページまで、一ページたりとも風が通らないページがないというまで読みなさい。背表紙が切れて、バラバラになってしまったなら、穴をあけて皮ヒモで綴(と)じなさい。そしてまた、初めから終わりまで、繰り返し繰り返し読むのです。そして、その綴じた皮ヒモが切れてしまったら、御書に説かれた大聖人の教えは、我が血肉となっている。

 その御書は、紫の布で包み、桐の箱に入れて、孫子の代まで伝えていきなさい。


【『前進』1967-6号】

2005-02-03

デマ報道は許さぬ


学会をめぐる中傷記事で米経済誌が誤りを認めて訂正記事


東村山デマ事件についても“「学会が全ての裁判で勝訴した」と記述すべきだった”


杉山●アメリカの経済誌『フォーブス』が、学会をめぐる記事について、今回、編集部で訂正記事を掲載した。


八尋●その通りだ。これは、アメリカで発刊された『フォーブス』が昨年1227日号で、アメリカSGI創価学会インタナショナル)のガイ・マクロスキー主任副理事長の抗議文を掲載。とともに、編集部で、問題の記事の誤りを認めて訂正したものだ。


原田●そもそもの発端は『フォーブス』の昨年96日号に掲載された記事だった。


青木●あれは、ひどかった。あちこち事実誤認だらけだったな。


杉山●記事の中で一番、悪質だったのが、あの「東村山デマ事件」をめぐるデタラメな記述だ。


弓谷●その通りだ。問題の記事は、日本のデマ雑誌を鵜呑みにして、あたかも元東村山市議の転落死に学会が関与しているかのように騒ぎ立てたんだ。


杉山●しかも記事では、学会側の主張は一切、無視。転落死した木明代の娘・直子のデマのコメントだけ一方的に引用している。


青木●バカバカしい! すべての裁判で断罪されている大嘘じゃないか。


弓谷●重大な事実をあえて隠したり、学会に怨を抱く連中のコメントを一方的に使ったり。『フォーブス』らしからぬ記事だったな。


原田●もともとアメリカSGI側は、記事を書いた記者の取材にも快く協力したんだ。すべての質問に対し、長時間にわたって懇切丁寧な説明を行った。


八尋●実は、私も取材を受けた一人だ(笑い)。木の問題についても、裁判の判決に即して、事実関係を詳細に説明した。ところが、いざ、記事になったら驚いた。こっちが示した事実は一切、書かれていない。だったら、あの取材は何だったのか。今、えば、初めから結論は決まっていたんじゃないか。そのための“アリバイ”にすぎなかったんじゃないのか。そう疑われても、しかたがないよ。


即座に抗議


杉山●とにかく、こうした記事を見過ごすわけにはいかない。学会やアメリカSGIの代理人であるラリー・B・ラングバーグ弁護士が文書で厳重抗議を行い、秋谷会長の抗議文を掲載するよう求めた。


原田●その後、『フォーブス』側は秋谷会長の抗議文の一部を掲載。さらに2人のSGIメンバーの投書も掲載した。


弓谷●SGIおよびアメリカSGIのホームページでも、記事中の虚偽や錯誤を7点にわたって指摘している。


秋谷●これらの抗議の結果、今回、改めて『フォーブス』が記事の誤りを訂正したわけだ。


八尋●当然です。問題の記事は、まともに判決を読んだ形跡すらない。初歩的な事実すら間違えたり、嘘を平然と並べている。


弓谷●たとえば木が転落した直後の状況について、直子の言い分を鵜呑みにして「警察は(木が)まだ生きていたにも拘わらず、彼女に医療を受けさせなかった」などと、とんでもないデマをデッチ上げている。


八尋●これは真っ赤な嘘です。当時、現場にかけつけた警察は、即座に救急車を呼び、病院に搬送させている。


杉山●ほかにも問題の記事では「木市議が死亡した際、警察は遺体を即座に火葬しようとした」なんていう大嘘まで並べている。


八尋●これまた事実じゃない。木の死後、東京地検の検事の申請により、その日のうちに司法解剖が行われている。この事実は、裁判記録等の公文書にも厳然と記されている。


裁判は学会完勝


弓谷●問題の記事には「いくつかの裁判では、創価学会が勝訴している」とも書かれていた。いかにも不透明な部分があるかのような言い方だ。


青木●バカも休み休みに言え。そのデマ事件をめぐっては、学会側が当事者となった5件の裁判すべてで、学会側が完全勝訴しているじゃないか。こんなハッキリした事実はない。


八尋●その通りだ。『週刊新潮』を訴えた裁判では損害賠償200万円の支払い命令が確定。『週刊現代』と木直子らを訴えた裁判では、謝罪広告の掲載と賠償200万円の支払い命令が確定。直子らの出しているミニコミ紙を訴えた裁判でも謝罪広告の掲載と賠償200万円の支払い命令が確定。直子らが聖教新聞創価新報に癖をつけて起こした裁判も、それぞれ学会側が全面勝訴している。


青木●学会は「いくつかの裁判」どころか、完璧に全裁判で全面勝訴だ。正邪は明々白々じゃないか。


八尋●だから今回の訂正記事でも“創価学会がそのいくつかにおいて勝訴したというものではなく、当事者となっている全ての訴訟で勝訴したと記述すべきでした”と明記されている。


原田●当然だな!


杉山●さらに問題の記事には、学会が日本の税法に違反しているかのように書いてあった。明らかに誉を毀損する記述があった。


弓谷●“学会が優遇税制を濫用している”“政治に関与しているのに、課税をうまくスリ抜けている”云々というくだりだ。


青木●まったくバカげている。日本の憲法にも、税法にも、宗教法人法にも「宗教団体が政治活動を行ったら課税する」なんて、どこにも書かれていない。法律のイロハも知らないんじゃないのか(大笑い)。


八尋●これについても今回の訂正記事では「日本の税法が、宗教団体の政治活動を禁止するものではないことも説明すべきでした」と明確に記されている。


原田●まさに事実上の「謝罪記事」だな!


真実を書け!!


青木●しかし『フォーブス』といえばアメリカでは有な雑誌じゃないのか。


弓谷●その通りです。最近、「ニュースの天才」という映画が話題になっている。これは、アメリカで実際にあった記事捏造事件に基づく映画だ。その中で、捏造記者の嘘を暴いたのが『フォーブス』の記者だった。


杉山●僕も見たが、アメリカの一流雑誌は、どんなに小さなミスも見逃さない体制が敷かれている。一つでも嘘や事実誤認を書けば、その記者は命取りになることだってある。


原田●真実を書くなら、いくら書いてもいい。しかし、嘘はいけない。「言論の自由」は「言論の勝手」じゃない。


青木●訂正内容は十分とはいえないが、抗議を受けて間違いを正したんだから、まだ立派じゃないか。


原田●まったくだ。日本の悪質雑誌なんか、どうだ。裁判所から謝罪広告の掲載を命令されても、わざと目立たないような場所に載せる。「渋々」「嫌々」だ。自分から反省することなんか全然ない。


青木●いずれにしても、今後は『フォーブス』も記者の資質を厳しく見極めてもらいたい。公正・正確をがけてもらいたいものだ。


秋谷●我々も、デマ、嘘の中傷記事に対して、断固、厳しく対処していく。デマの野放しは、民主主義社会の“自殺行為”だからだ。


聖教新聞 2005-02-03付】

大衆の心を知る


 頭脳明晰だけでは指導者にはなれない。指導者となるためには、大衆のを理解し、把握できなくてはならぬ。また、大衆のといえども、大衆の大部分のであるか、あるいは、一部のであるかを見分けられなくてはならない。

 頭だけで考えても、多くは観論となり、大衆のとは一致しないものだ。真に大衆の求めるものが何であるかを、常に知ることが指導者たるゆえんである。

 新聞に例をとれば、大衆の求めるものが、新しいニュースである時もあるし、あるいは、古い出来事をもっと詳しく知りたいという時もある。例えば、皇室を扱ったものなどが、何回繰り返し掲載されても興味を持たれる。これが、大衆の情なのである。


【『指導メモ』 1966-06-01発行】


 将軍学の上級編。これを身につけるには、10年かかると覚悟されたし。


 頭脳明晰だけの人は、的確な判断ができても事務的になりがち。ま、裁判官みたいなものだろう(笑)。親近を覚える人は一人もいない。


「大衆のを理解する」とは、皆が今、何を求めているのかを知ること。で、一番しいのはこの後、「大衆の大部分のであるか、あるいは、一部のであるかを見分けられなくてはならない」。これができれば、幹部として一人前といってよい。


 夏目漱石の『草枕』の冒頭の一節にこうある。


 智に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画(え)が出来る。


 正論は反発を招きやすく、情に流されれば瞳が曇り、地を張れば世界は狭くなってしまう。飄々(ひょうひょう)とした軽やかな筆致で、人が陥りやすい点を巧みに衝(つ)いている。


 情と理の均衡を保ちつつ、祈りをもって前へ一歩踏み出す時、慈悲と智が発揮される。これが中道の行き方である。


一喜一憂するな」にも書いたように、一人の見を鵜呑みにするのは危険だ。特に注しておきたいことは、自分と親しい人からの見は、正しいものと受け止めがちなところ。また、最近、目立つのは、「あの幹部の言うことだから間違いないだろう」と、現場に入ることもなく風聞だけで問題を掌握しているケースだ。こうしたことによって、とんでもない被害を受けた人も実際にいる。


 現場で確認すること。これがリーダーの鉄則だ。電話一本で、私の元に寄せられた情が、全くの誤解だとわかったことも現実にあった。


 この将軍学は、家庭指導を真剣に丁寧に実践していれば、自然と身についてくる覚だ。でも、10年はかかりますな(笑)。

2005-02-02

配慮に配慮を重ねる


 なお、ボードレーは、よりよき図書館を作るために、実に細かいところにまで気をつかった。

 例えば当時、本は1冊1冊が形も大きく、高価でもあり、盗防止のために鎖につながれていた。しかし、ボードレーは、これは「人間不信」に基づくあり方であり、何とか改良したいと工夫を重ねた。

 また、書籍の分類目録や並べ方なども、一つ一つ研究し、試みた。こうして今日にまで至る図書館の重要な課題に対して、先駆的に取り組んでいった。

 ある味で最も地味な、光の当らない仕事である。しかし、その影響は時とともに計り知れない力を持つ。欠かすことのできない「基本」である。

 こうした目立たない、誰がほめるわけでもない細かな基本を、一つ一つきちっと固めていく。

 そのためにを砕き、索し、陰ながら配慮に配慮を重ねる。これが事を成す人物に共通する姿勢である。また、法の正しいいき方である。

 私も広宣流布のため、学会員のために、誰一人気がつかない細かなところにこそ、懸命にを砕いてきた。神経をすり減らし、いを巡らし、気を配りに配ってきたつもりである。

 あの人はどうしているか。この点はこれでよいのか。一つ一つ真剣に手を打ってきた。

 その針の先で突くような小事の積み重ねを避けて、広宣流布の大事は、現実には一歩も前に進まないことを深く知っているからである。

 その味からいえば、幹部であればあるほど、全てにわたって今の100倍、1000倍の配慮が必要であると、あえて申し上げておきたい。


【「8.24」記大田・世田谷・杉並区合同支部長会 1988-08-24 東京池田記講堂】


苦難の時に一人立て」の続きの指導。内容が変わるため、別項目とした。


 オックスフォード大学ボードリアン図書館の歴史を通しての指導。

  • 1320年、たった350冊の寄贈書から始まった。
  • 15世紀半ば、大学総長のハンフリー公の寄贈によって、本格的な大学図書館となった。
  • 16世紀中頃、大きな危機に直面。宗教的な圧迫を加えるため、権力が介入し、数多くの書籍が破棄されてしまった。
  • この時、一人の卒生が立ち上がった。トーマス・ボードレー卿である。外交官政治家・学者として活躍した彼は、母校の図書館を復興させるために、その晩年を捧げた。
  • たった一人の卒生の血を注いだ尽力によって、1602年に新たな図書館が一般公開される日を迎えた。この図書館は、ボードレーのを冠して「ボードリアン図書館」とづけられ、その功労は今尚、不朽のものとして顕彰されている。

 どんな壮大な歴史も、その始まりは大河の一滴である。焦る必要はない。源流の精神を、途切れなく脈々と伝え、広げていけるかどうかである。その清らかな“流れ”の勢いがある限り、時とともに滔々(とうとう)たる潮流になっていく。


 とも指導されている。


“気がつく”というのが境涯である。生命が清らかで研ぎ澄まされているから、気がつくのだ。“他者への”と言い換えることもできよう。鈍な愚将は、民衆を救うことができない因によって必ずを受ける。智なく、慈悲なきリーダーは邪な存在だ。信弱く、力弱き幹部は不要だ。


「配慮」とは、を配り、を慮(おもんぱか)ることだ。信の世界における配慮とは、格や才覚などとは全く関係がない。広宣流布のための具体的な祈りがあるかどうかで決まる。


 ただこそ大切なれ(1192頁)


 妙法を信ずる、広布のために戦う、同志と団結する。これが信の一である。「友のために何ができるか」――身を苛(さいな)むほどの真剣な祈りがあれば、道は無限に開かれてゆく。


「針の先で突くような小事の積み重ね」という一言に、断崖絶壁を歩んでこられた先生の深きの一端が垣間見える。


 歴史は水面下でつくられる。巨木は根によって生長する。


「100倍、1000倍」とは、我々のの浅さを指摘したもの。「如我等無異(にょがとうむい/我が如く等しくして異なること無からしめん)」との慈悲が胸に迫ってくる。

2005-02-01

苦難の時に一人立て


 全ての歴史にの時がある。その時に誰が本気になって立ち上がるか。

 実は、ただ一人いればよいのである。誰に言われるのでもない。自ら決めて、一人立ち上がり、死力を尽くして活路を開いていく。その偉大なる信の“一人”がいれば、そこから常に新たなる勝利の歩みが始まっていく。これが、いわば歴史の不変の鉄則である(拍手)。

 大聖人はもちろん、日興上人も、ただ一人で正義の戦いを敢行された。日目上人も一人、死身弘法を貫かれた。

 そして、牧口先生も、戸田先生も、一人立つ戦いに身命を捨てられた。その学会精神の骨髄を体して、私も一人、生命を賭して、全てを勝利に導いてきた(大拍手)。

 すべては一人に始まる。その真金(しんきん)の一人を育てればよいのである。私の焦点も常にそこにある。数ではない。組織のみの力でもない。

 あらゆる分野で、一人を見つけ、一人を鍛え、一人に託していく。それこそが、万代にわたる不断の発展の原点となる。私の指導も、いわば、その一人のために話しているとさえいってよい(拍手)。

 皆さま方は、そういう“一人”になっていただきたい。それぞれの地域・舞台、それぞれの世代にあって、「あの人ありてこそ」と後世にうたわれる縦横無尽の活躍の歴史を刻んでほしいと私は切願する(大拍手)。


【「8.24」記大田・世田谷・杉並区合同支部長会 1988-08-24 東京池田記講堂】


 本物のリーダーは、一人立つ孤独を知る人だ。頼るべき人もなく、我がを知る人もいない状況下で、決然と立ち上がることができるか、それとも、臆して座り込んだまま不平不満を吐くのか――道は二つしかない。


 活動に対する動機が弱まると、地涌の菩薩サラリーマン化が始まる(笑)。あたかも、ノルマを課せられる営マンの如し(笑)。こうなると、ノルマを達成することが目的となり、“一人立つ精神”は遠い彼方に浮かぶ蜃気楼みたいになってしまう。


 奴隷根のサラリーマンや雇われ兵が何人いたところで、広宣流布はできない。竹林のように、一人ひとりがすっくと立ちながら、根はつながっている。それが、学会の組織であるはずだ。


 先日、ある老夫婦と語り合った時のこと。初対面の私に向って、組織情を切々と訴えてきた。二度にわたって病を克服した体験の持ち主だったが、ない幹部の発言によって、退転しそうになったと語っていた。を傾けながら、激励している内にわず本音が出てしまった。「私がいれば、必ず何とかできたんですがね」。


 私が青年部時代に徹底して教わってきたことは、「戦いを起こした以上、一歩も退かない」ことと、「後輩を守り切る」という二点であった。厳しい訓練によって、既に血となり肉と化している。


「自分がどうわれようと関係ない」――捨て身のリーダーが一人いれば、現場の人々は救われる。官僚主義に毒されてしまえば、組織悪の温床とならざるを得ない。


 一人立つには、足腰の鍛錬が欠かせない。いきなり立とうとすると、目まいを起こし、よろよろと倒れるケースもある(笑)。時と場所を弁(わきま)えなければ頭をぶつけることもある。だから、日常のヒンズースクワットが大事になってくる。小さな決発表や、「やりましょう!」という一言でも構わない。普段から、一人立つ実践を掛けることだ。拠点に一番で駆けつける、いつも門前払いで終わってしまう人に手紙を書く、いつもより5分間多い唱題をするなど、何でもいいとう。ただし、智のない人は、直ぐ行き詰ることをお忘れなく(笑)。


 戸田先生を失った創価学会の中で、誰よりも素早く立ち上がったのは30歳の池田青年であった。世界190ヶ国にまで広がる本因は、この時に決まった。