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2005-03-24

「日禅授与本尊の模写」は日顕の持論(下)


【『フェイク』第588号 2005-03-24


「日禅授与本尊の模写」は日顕の持論(上)の続き》


妙」に非され窮地に立つ日顕


御本尊を鑑定できたのは当時の教学部長だ


「天に向かって唾(つばき)す」の譬え通り、ドジ新聞「妙」が「大御本尊は日禅授与本尊の模写」について反論や弁解をすればする程、日顕を非して窮地に追い込む皮肉な結果になっている。


 何故なら「(大御本尊は)日禅授与の本尊の題目と花押を模写し」と発言した張本人は、日顕に他ならないからだ。その日顕の発言を正確に書き留めたのが「メモ」の異を持っていた河辺慈篤(故人)であった。


 このことは、日顕自らが平成11年79日付の宗務院通達の中で「それらの(注・大御本尊に関する外部からの)疑について河辺師に対して説明」したものと認めている。


 また、河辺自身も同10日付の通達で「両御本尊(大御本尊と日禅授与本尊)の関係に対する妄説が生じる可能と、その場合の破折について話を(日顕から)伺ったもの」とはっきり認めていた。

「A面談」のAとは、阿部信雄であることを日顕も、河辺も否定したことはない。


 しかも、この「河辺メモ」には「日禅授与の本尊に模写の形跡が残っている」との鑑定者の発言までも記録されている。

 模写とは、紙幅の曼荼羅をもとに板本尊を謹刻する際、当時の「かごぬき」という技法で、紙幅の曼荼羅の上に薄紙をおき、首題と花押を上から筆で紙幅の文字の輪郭をなぞっていく。そうして正確に写し取った薄紙を板の上に張り、彫刻するのである。

 この際、輪郭をとる時の筆の墨が薄紙を抜けて下の紙幅の曼荼羅にうつってしまうことがある。それを「模写の形跡が残っている」と、鑑定者は言っているのだ。


 となると、鑑定者は当時、御宝蔵に格護されていた日禅授与の本尊の「模写の形跡」まで発見できる程、間近で現物を拝することができた人物ということになる。

 そんな者は宗外はもちろん、宗内にもほとんどいない。 


 更に「妙」(316日付)は「今日、日蓮正宗富士大石寺においては、本門戒壇の大御本尊をはじめ全ての御本尊について写真撮影や鑑定調査を許していない」「軽々にを測る(研究する)対象とすることは、上慢・不敬に陥る畏れがある」とも書いている。


 かつて「妙」は、後の正信会僧・大黒喜道に濡れ衣を着せて鑑定者にデッチ上げようとした。だが、昭和53年2当時は教師の補任も受けていない所化小僧の大黒では「種々方法の筆跡鑑定」や「比較鑑定」をすることは立

場上、到底、不可能である。


 それが出来た坊主は日禅授与本尊のカラー写真を所持していて「宗内で御本尊鑑定の第一人者」を自認していた当時の教学部長・日顕以外にないことは火を見るより明らかだ!


 昨年の夏期講習会第9期(725日)でも日顕は自分が御本尊鑑定の権威であると自慢して「私どもは一目見れば一目瞭然、大聖人の御真筆か否かは判ります。そういう偽物が日本中にたくさんあるのです」等と得々と語っていた。


 この発言は日顕が鑑定して「大御本尊は偽物」と断定した事実を記した「河辺メモ」の正確さを強く印象づけるものであった。


妙」が言う「莫迦者、上慢・不敬」とは日顕の事だ!

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