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2005-05-31

法華行者逢難事


 一切の諸人之を見聞し志有らん人人は互に之を語れ(967頁)

  • 文永11年(1274年)114日 53歳御作(誕生日前であるが数えで計算する場合、11日に加齢されるとのこと)
  • 於佐渡
  • 与河野辺殿等中、大和阿闍梨御房御中、一切我弟子等中、三郎左衛門尉殿、謹上 富木殿
  • 真蹟:中山法華経

「与」は「あたう」と読む。発音は「あとう」。「与四条金吾」は「四条金吾にあたう」と読み下す。


 我が地区では、毎週、順番で自分の好きな御書を語るコーナーがある。宝寿会の副支部長が、自発的に本文と通解をワープロ打ちして下さっている。昨年暮れに行われた地区討議で、たまたま入った壮年副本部長の提案によって始まったもの。


 提案に込められていたのは、皆が来てよかったといえる会合にしようという気持ちと、地区婦人部長の独演会で終わってしまうことに対する杞憂が込められていたことと察する。ただ、皆が遠慮深く、い出を交えた一言で終わってしまっているのが現状だ。


 そして、いよいよ来週が私の出番となった。『要文集』や『指導要文集』をパラパラとめくり、考えあぐねた結果に選んだ御文がこれである。私はこの御聖訓を引っさげて、地区に革命を起こして進ぜよう。


 この御書は2ページほどの内容。「追て申す」と始まっているのは、紙幅が尽きて、冒頭に結論部分が書かれたため。真蹟を拝すと、余白部分から本文の行間に至るまで筆を走らせておられる。

 一(ひとつき)前の文永10年127日には、武蔵の前司であった北条宣時(のぶとき)が、唯阿弥陀等の直訴を受けて、次のような布告を佐渡の地へ発した。


 佐渡の国の流人の僧日蓮弟子等を引率し悪行を巧(たくら)むの由其の聞え有り所行の企て甚だ以て奇怪なり今より以後彼僧に相い随わん輩に於ては炳誡(へいかい/厳しく戒めること)を加えしむ可し、猶以て違犯せしめば交を注進せらる可きの由の所に候なり、仍て執達件の如し(966頁)


 ところが、宣時が執権時宗に報告すると、214日に大聖人の赦免を決定した。このことから、恐らく時宗は、大聖人が無実であることを知った上で、生命の危機にさらされることを避けるために、政治的な果断を下したものと像される。つまり、この御書は、大聖人がいつ命を奪われるかも知れない極限状況の中で認(したた)められたものであり、その末尾に書かれたのがこの御文である。


 其の時の大・在世に超過せん(966頁)


 だが、必ず法華経の行者が現れるであろう。釈尊が受けた九横の大は、日蓮が今現実に受けているところである。日蓮は、釈尊・天台・伝教に比肩する法華経の行者(三国四師)であり、地涌の菩薩棟梁である四菩薩が出現して、末法の民衆を救うために三大秘法が説かれることを知ったのである。(大


 各各我が弟子たらん者は深く此の由を存ぜよ設い身命に及ぶとも退転すること莫(なか)れ。

 富木・三郎左衛門の尉・河野辺・大和阿闍梨等殿・原御房達各各互に読聞けまいらせさせ給え、かかる濁世には互につねにいゐあわせてひまもなく後生ねがわせ給い候へ。(965頁)


 と結ばれている(冒頭部分)。「遂に末法広宣流布の時が来た! たとえ、命に及ぶ大が襲いかかろうとも退転してはいけない! 法華経の行者と共に戦い、成できる千載一遇のチャンスである! 諸君、迷うことなく私の後に続け!」とのおがひしひしと伝わってくる。


 信の志が微塵でもあるならば、互いにこれを語ってゆかねばならない。


 しかし、現実はどうだろうか。来週の地区活動者会で、これを語り合えるだろうか? 曜日が打ち出し地獄になってる地区はないか? 楽の体験を語る機会すら奪われ、ただ一方的に話を聞かせられる側に甘んじている人はいないか?


 発展しない組織の最大の原因は、この御聖訓に背いているところにある。「互に之を語れ」と言われているのだから、これに背けば謗法だ。そういう組織は、先生が標榜する人間主義を踏みにじり、会員を幹部の言いなりにしようとする権威主義が横行している。最前線を走る方々は、信がある故にじっと我慢をしている。今の幹部は、本当に家庭指導をしなくなった。だから、愚癡を聞いてもらうだけでが軽くなるような人々までが放置されている。


 会合へ行く足取りが軽くなければ、私は開催する味がないとう。義務は人々から信の歓喜を奪い、主体を失わせるからだ。


 この5年が最後の訓練の時となるだろう。幹部に依存する時代は、もう終わった。これからは、信仰者としての“個”が問われる時代になる。完全に自立した信を培っておかないと、いつの日か必ずに紛動される時が訪れる。


 何でも自由に語り合える組織学会組織だ。人間を抑圧するような組織があれば、日顕宗と同じだ。

2005-05-28

組織/和合僧


 さて本日は、若き諸君が21世紀の立派な指導者と育ちゆくために、広布の「組織」について、種々論じておきたい。

 皆さま方は、私のスピーチというと、すぐナポレオンやソクラテスといった話を期待するかもしれない(大笑い)。しかし、将来のためには、たとえ地味であっても信の確実な軌道について、きちっと話しておくことも不可欠である。話は少々しくなるかもしれない。眠たい方は眠っていただいても結構である(笑い)。が、私は後世のために、言うべきことをきちんと話し、残しておきたいとう。


 まず、「組織」の字義について確認しておきたい。

組織」の「組」の字は、元々は糸をより合わせて作った綬(くみひも)を味したようだ。その原義から、「ひもをくむ、組み合わせる」「組み立て、組織する」「仲間を作る」こと、また「ひとそろい」「仲間」等々の味に派生していく。

「組」の字の“つくり”に当たる「且」は、「かつ、その上、更に」のをもつように、「積み重ねる」という味をもつといわれる。また、「組」の古い形には、「手」の字が添えられており、こうしたことから「組」の字には“手作りの作を積み重ねて、何事かを作りあげていく”との味合いもあるようにじられる。

 一方、「識」は「はたおり」のことであり、ひいては「組みあわせ、組み立てる」ことを味している。


 こうした元来の字義から「組織」とは、「糸を組み、機(はた)を織ること」の味をもつが、現在ではそれに加え、「順を追って次第に立派に作りあげること」「秩序をつけて組み立て、作ること」「団体または社会を構成する各要素が、統合して有機的な働きを有する統一体となること。また、その構成の仕方」などの味がある。

 今、述べた中で「有機的」とは、「多くの部分が強く結びついて全体を形作り、お互いが密接に関連しあって働く様子」を差す。例えば、動植物など生命体の働きは、まさしく「有機的」である。


組織」は、英語では「オーガニゼーション」というが、その動詞「オーガナイズ」も、元来は「有機的構造を与える」「生命体化する」の味である。そこから、「組織化する」「系統だてる」「整然とまとめる」「気持ちを整える」等のが生まれた。


 更に、「組織」について、現代的な味合いも含めて、次のように解説しているものもある。

「企体、学校、労働組合などのように、二人以上の人々が共通の目標達成をめざしながら分化した役割を担い、統一的な志のもとに継続している協働行為の体系と定義づけることができる。すなわち、分化した機能をもつ複数の要素が、一定の原理や秩序のもとに一つの有義な全体となっているもののであるから、広義には、動物や植物の場合にもひとつひとつの細胞が集まって成り立つ場合、細胞組織とか人体組織というように用いられる」。そして、「組織個人なしには存在しえず、単なる個人の総和以上のものである」(平凡社大百科事典)。

 未来の広布の組織を担う青年達に、何らかの示唆ともなればとい、「組織」について、いくつかの角度から紹介させていただいた。どうかご了解願いたい。


 日蓮大聖人の御在世当時には、信の大きな組織はなかったとわれる。信徒の数も限られており、本格的な味での「組織」は必要なかったのであろう。

 しかし、大聖人は、今日の組織のあり方、義等を照らし出すような御文を随所で述べられている。

 例えば、「寺泊御書」には、「ざしあらん諸人は一処にあつまりて御聴聞あるべし」(951頁)との有な一節がある。

 妙法を信じ、広宣流布への“志”をもち進む人達は、一処に集まって、法義を聴聞しなさいとの仰せである。

 広布への尊い“志”も、なかなか一人で堅持していくことはしい。そこで、皆で集まって、法を研鑚し、励まし合うことが大切となる。

 今日もこうして、妙法流布を目指す使命の人々が“一処”に集い、互いに信の決を固め合っている。大聖人が仰せの通りの正しい姿であると確信してやまない。


 学会組織は、どこまでも広宣流布の推進のためにある。また、一人ひとりの信の「成長」と「成」への軌道を支え、守り合っていくためにある。その味で、広布の組織とは数限りない「善知識」の集いであるといってよい。

 大聖人は「三三蔵祈雨事」で冒頭から善知識の必要を強調しておられる。

「夫れ木をうえ候には大風吹き候へどもつよくすけをかひぬれば・たうれず、本より生いて候木なれども根の弱きは・たうれぬ」(1468頁)――。

 木を植えた場合、たとえ大風が吹いたとしても、強い支柱で介添えそれば倒れない。反対に元々生えている木であっても、根が弱いものは倒れてしまう。

「甲斐無き者なれども・たすくる者強ければたうれず、すこし健(けなげ)の者も独(ひとり)なれば悪しきみちには・たうれぬ」(同頁)

 人間においても同じである。力弱く不甲斐ない者であっても、助ける者が強ければ倒れない。逆に、少々壮健な者でも独りであれば、悪い道には倒れてしまう。

 これらは道理である。誰人も異論はないにちがいない。法の教えは常に、こうした万人が納得せざるを得ない「道理」の延長線上に説かれている。このことを改めて確認しておきたい。

 すなわち、成の道においても、たとえ最初は信弱き者であっても、強い支えを得れば倒れない。反対に、なまじっか自分は信が強いとっていても、三障四魔の吹き荒れる悪路を独りで歩み通すことは容易ではない。

 そのために、どうしても同志が必要である。善知識が必要であり、信組織が必要となる。

 もちろん、成は一人ひとりの修行であり、努力による。他の誰をも頼らず一人立って歩みきる覚悟が必要である。組織や同志は、その個人の修行を励まし、啓発し合うという義を持つ。あくまでも個人の成の完成を助ける補助の役割である。そしてまさに、この補助の役割であるがゆえに重要なのである。

 大聖人は更に、「さればになる道は善知識にはすぎず、わが智なにかせん、ただあつきつめたきばかりの智だにも候ならば善知識たいせち(大切)なり」(1468頁) ――ゆえにになる道は善知識にまさるものはない。我が智が何の役に立とうか。ただ、暑さと寒さを知るだけの智だけでもあるならば、善知識に求め近づくことが大切である――と仰せである。

 の道は甚深であり、その智ははかりがたい。それに比べれば、どんなに賢くみえても凡夫の智などわずかなものである。ゆえに成する道は、正しき善知識につく以外にない。そうすれば、善知識の力で誤りなき成への軌道を進んでいけるのである。

 大聖人が「わが智なにかせん」と仰せのごとく、いかなる大学者であっても、法のことは法者に学ぶ以外にない。どんな大科学者、大医学者も自分の「生命」「人生」を解決できる智があるわけではない。また、どんな大政治家、大富豪であるといっても、絶対的な「幸福」への法則を知っているわけではない。

 にも関わらず、皆わずかばかりの「わが智」をたのみ、謙虚な求道のを見失う。ここに不幸の因がある。

 知識イコール幸福ではなく、富イコール幸福でもない。また、地位やイコール幸福でもない。わかりきっているようにみえて、この厳粛な事実に深く鋭く目を凝らす人は少ない。しかし、この一点にこそ、人間の「幸福」の精髄を明かした法を、どうしても真摯に求めていかねばならない重要なゆえんがある。

 そして、法を求めるとは、具体的には正しい善知識を求めることともいえよう。大聖人が「になるみちは善知識にはすぎず」と仰せの通りである。

善知識」とは本来、人を道に導き入れる“善因縁の知識”をいう。知識とは、知人・友人の味である。菩薩二乗、人天等を問わず、人を善に導き、道修行を行わせる正直にして偽りなき「有徳」の者が善知識である。当然、人界の私どももまた、立派な善知識の働きとなる。

 善知識の働きには、修行者を守って安穏に修行させ(外護)、また、互いに切磋琢磨し合い(同行)、更に、法の正義を教えて善行へ向かわせる(教授)などがある。

すなわち、「勤行をしましょう」「会合に行きましょう」「御書を拝読しましょう」等々、広宣流布の方へ、御本尊の方へ、妙法と成の方へと「指し導く」指導者の皆さま方こそ、尊き「有徳」の善知識なのである。

 その反対が悪知識である。本日はその詳しい義は略させていただくが、一つだけ申し上げれば、たとえ信している幹部であっても悪知識となる場合がある。

 つまり、指導者が子を見下していばったり、ふざけ半分であったり、責任がなく、いいかげんであったり、成長が止まっていたりしたら、その元にある人々の信の成長をも邪してしまう。純粋な後輩が伸び伸びと活躍し、成長できない。それでは、あまりにも無慈悲であり、可哀である。

 こういう指導者の本質として、たとえ言葉は巧みであり、表面を飾ろうとも、は自己の「保身」と「利害」と「驕慢」である。その奥底の狙いは、人々に自分を尊敬させ、人々のを自分へと向かわせるところにある。

 すなわち、善知識が友を「妙法」の方向へ向かわせるのとは対照的に、黒く卑しきの悪知識は「自分」へと向かわしめるだけなのである。

「善」が中ではなく、自分のずるがしこい「エゴ」が中となる。この一転を鋭く見極めていかねばならない。悪知識に紛動されれば、悪道へと赴かざるを得ないからだ。

 また、こうした「虚飾の仮面」をかぶった信なきリーダーは、時とともに、いつか広布の大道から退し、姿を消していくものだ。これが、大聖人御在世の時代以来、変わらざる方程式であり、私の40年間の経験的事実でもある。


 戸田先生は常々、「創価学会組織は戸田の命よりも大事だ」とまで言われていた。学会は善知識の集いである。信行を増進し、広布を進展させる団体である。世界の民衆を正法に導き、成への道を歩ませる重要な使命がある。

 本年4、総本山の御霊宝虫払大法会の折の御説法で、御法主日顕上人猊下は、「信血脈」について述べられた。

 その際、「信解抜群にして宗祖二祖の信血脈を疑わず、勇猛精進するところ」に広くその信血脈を伝えつつ、衆生を利益することができると仰せになり、「その一大実証は、近年、正法の日本ないし世界広布の礎を築かれた、創価学会における初代、二代、三代等の会長の方々における信血脈の伝統でありました」と御指南してくださっている。これは、皆さまがご承知の通りである。

 日蓮大聖人から日興上人へと相伝された生死一大事の血脈は、信の一によって学会には厳として流れ脈打っているとの御断言である。

 この御指南を拝する時、学会がいかに正しき信の団体であり、真実の「善知識」であるか明白である。


 私どもは互いに善知識である。また、そうあらねばならない。そのために、重要なことの一つは、相手を大きく包容していく広々としたである。

「陰徳陽報御書」には、「又此の法門の一行いかなる本なき事ありとも・みずきかず・いわずして・むつばせ給へ、大人には・いのりなしまいらせ候べし」(1178頁)との有な一節がある。

 この御書が全体のごく一部しか残ってないので断定はできないが、“この法門の人々とは、たとえどんな不本なことがあっても、見ず、聞かず、言わずして、仲良くしていきなさい。穏やかにして、祈っていきなさい”との仰せと拝する。

 当然、根本である信の大綱はきちんと指導していかなければならない。その上で、私的なことについては、一々細かく指摘したり、非し合ったりすることは賢明ではない。人それぞれに個があり、生き方がある。生活環境も違う。互いに尊重し合い、仲良くしていくことこそが大事である。

 互いに凡夫の集いである。当然、不本で気にいらないこともあるにちがいない。疲れて休んでいる時に、夜中に電話で起こされる(大笑い)。せっかく部屋の片づけも終わり、ゆっくりしようかとった途端、突然、ドカドカと押しかけてきて(爆笑)、是非うかがいたいことがあると相談に来る(大笑い)。その他、決して常識豊かな人ばかりとはいえない(爆笑)のも一つの現実である。

 これは少々飛躍するが、御書には、「日蓮は此の法門を申し候へば他人にはにず多くの人に見て候へども・いとをしと申す人は千人に一人もありがたし」(1418頁)と仰せである。

“この法門を広めるゆえに、他の人とは異なり、多くの人々に会った”――広宣流布のために、多くの人々に会ったと述べられている。私も実に大勢の方々にお会いした。皆さまもまた、広布の活動ゆえに多くの人々と会われている。

“しかし、その中で真に、いとおしいとった人は、1000人に一人もいなかった”――大聖人が、一切衆生への大慈大悲に立たれていることは言うまでもない。その上で、人柄のよい、本当に立派な人というものは、中々いるものではないとの仰せと拝せよう。

 この御述懐も、私どもの立場からも、まことにその通りであると(大笑い)納得できる。みな未完成の人間である。当然、一人ひとりがそれぞれ自分を立派に完成させていかなければならないが、その途上にあっては様々な欠点もある。また、人間同士、ある程度、好き嫌いがあることも致し方ない面もあろう。

 かといって、自分の気にそまぬことを一々、指摘し合ったり、互いのあら探しばかりしていたのでは、裁判所ではあるまいし(爆笑)、とてもやりきれない。まして、そうした低次元でのいさかいから、情的なもつれができ、最も大切な信まで破るに至っては本末転倒である。

 ゆえに、たとえ不本なことがあっても、広々としたで、忍耐強く、大きく包容し、より強盛な信へと激励していくことである。また、大きな立場から、成長を祈ってあげることである。そうしていけば、本人の信の深化とともに、次第に人間的にも成長を目指していくにちがいない。

 人類50億。私どもは、その先覚者である。妙法を広め、全ての人々の善知識となって救済していかねばならない。その味において、現在の学会員は一人ひとりが限りなく尊き使命の人である。ゆえに、互いに尊敬し合い、励まし合って、仲の良い前進をお願いしたい。


 組織は硬直した死せる機械ではない。生きた有機体であり、一つの生命体である。ゆえに時代とともに、時代を呼吸しながら、成長し、進歩し、発展していくのが正しいあり方である。

 そのカギは組織を構成する一人ひとりの成長にある。なかんずく、指導者自身の時代を先取りした先見と、自らのカラを破り続ける成長いかんが組織の消長を決定する。

 ゆえに、リーダーは決して時代に鈍であってはならない。現状に満足し、停滞してはならない。あらゆる勉強をし、人とも会い、鋭敏に社会の変化、人々のの要求をじ取っていく努力が必要である。特に青年部の諸君には、このことを強く申し上げておきたい。

 学会のこれまでの発展も、その陰には、常に時代の変化に先駆けて、先手、先手を打ち続けてきた戦いがあった。

 現在も私は日々、青年をはじめとする多様な人々と語り、手紙に託された多くのを傾け、社会のあらゆる情報にアンテナを張り巡らしながら、それらを分析し、総合しつつ、いかに誤りなき広布のカジを取るか、一人索し、格闘している。そこに指導者としての厳しい使命と責任があるからだ。


 さて、近年における社会の変貌の一側面として、従来のいわゆる「大衆社会」の崩壊が指摘されている。

 つまり、均質的・画一的な「大衆」が姿を消して、より個的で多様な志向を持つ個別の集団が生まれてきた。

 この現証をさして「分割された大衆」、すなわち「分衆」とか、大衆ならぬ「少衆」、更には「微衆」「超微衆」なる言葉まで生み出されている。これらは主として商品市場への企戦略の立場から考案された用語である。

 すなわち、ビジネスの世界でも、かつてのような「大流行・大ヒット」商品が減少し、「皆に受けるものを作ろうとすると、かえって失敗する。逆にわぬものが売れたりする」といわれている。

 その背景として、戦後社会の人々の志向が、復興期の「量的満足の志向」から、高度成長期の「質的満足の志向」へ、そして、現在の「満足の志向」へと変化してきたと見る研究もある。

 これを「人並み」志向から、「自分並み」志向への変化とする人もいる。つまり、他の人と共通の価値観に従うよりも、自分の、あるいは我が家のに合った暮らし方をしたいと願う人々が増加しているというわけである。

 いわば、「既製服」から「オーダーメイドの時代」への過渡期と表現してもよいかもしれない。これらは、ある味でモノが余った「飽食時代」の必然の結果ともいえよう。


 企としてもこうした変化に当然、対応せざるを得ない。

 大雑把にいって、かつて大多数の人々が同じようなものを欲しがった時代には、大量生産のために効率のよい組織が求められた。あるいは、そうした組織でも間に合った。

 それは、上下達(じょういかたつ)のピラミッド型の組織である。

 しかし、今日では、むしろそうした組織は、自由な「創造」を抑圧しがちであるとして敬遠されている。「次に生産すべきもの」は何か、それ自体を、時代を先取りし、新しい発で探らねばならなくなっているからである。

 商品の企画開発を行う小集団が職場で重視されるのも、その一つの現れである。また、他の様々な人材グループと幅広く交流し、その中から新しいアイディアを生み出していこうともしている。

 そうした組織のあり方の変化は象徴的にピラミッド型のの「ヒエラルキー(上下の秩序)」から、横のつながりを中とする「ネットワーク」への変動ともいわれる。

「創造」「小グループ」「交流」「ネットワーク」――と続くと、何だか聞きなれた言葉ばかりである(爆笑)。まさに私どもがかねてより主張し、実践してきた組織の方向が、どれほど時代を先取りしているかの一例といえよう。言い換えれば、いよいよ私度もの時代であり、蓄えた力を大きく社会に輝かせていく時代に入ったと申し上げておきたい。


 更に、現代人の組織観の特徴として、組織への「帰属識の希薄化」がよく指摘される。

 組織に所属はしていても、構成員としての自覚は極めて薄い。積極的に何かをしようということも少ない。特に青年層にその特徴が強くみられる。

大学においても、正式なクラブよりも、気軽な同好会が人気の主流となってきているという。

 また、転職や離婚の増大の背景にも、たとえ会社や家庭のためでも、自分のに合わないことや、不都合なことはキッパリと断りたいとい、実行する人が多くなってきた傾向があるとされている。

 決して、転職や離婚が“ナウい”と勧めているわけではない(爆笑)。そうした人々の「」の動向を的確につかんでおかねばならないということである。

 労働組合のような大きな組織も新たな運動を模索している。また、多くの組織において、号令や、人々の帰属識に訴える形で多数の人を「動員」することは、もはや困になってきている。これは先進諸国を中にした世界的傾向である。

 それではどうするか。ここに問題がある。先ほど触れた小グループの重視、その他の諸点もその要件である。

 その上で私は、最も大切な一つは「対話」であると申し上げておきたい。もはや、命令や、“ねばならぬ”式の訴えで人が動く時代ではない。

 から「納得」しなければ誰も行動しない時代である。また、逆に、自分が納得すれば、いも寄らぬ素晴らしい力を発揮する可能も大きい。

 ゆえに充実した「協議会」がいよいよ大切であり、一対一の「対話」が限りなく重要となる。

 かつての大組織の多くが停滞と行き詰まりにしむ中で、学会が青年をはじめ、多くの人々を惹きつけ、発展している一因がここにある。また、この実践は未来も変わらず重要な原則である。


「分衆」「少衆」といった分析は当然、恒久的なものではない。今後も刻々と変化していくにちがいない。また、主に商品のニーズ(需要)に基準をおいた分析であるゆえに、社会の全体を総合的に捉えたものではないことも事実である。一例として、現代社会はむしろ管理下が進行し、価値観そのものも物質中のものに、ますます画一化してきているとする論者もいる。

 これもまた、別の観点から、真理の一面を衝いているといえよう。そうした管理社会からの圧迫に、「分衆」等が誕生してきた一背景を見出すことも可能かもしれない。

 見逃してならないことは、社会を分散化・個化とみるにせよ、管理下・画一化とみるにせよ、どちらの観点からも、求められているのは個豊かな「人間中の社会」であり、創造う存分に発揮できる「人間中組織」にあるという一点である。

 かつて、故トインビー博士と対談した折も、現代における「組織」のあり方が話題になった。

 私は、組織の時代といわれる現代にあって、問題の核は、“組織が主であって、人間は従である”という観にあると主張した。

 そして、「常に組織個人から出発し、個人に帰着する。そして、個人を守るという原点に立ち戻るべきである」「組織は高度な有機的生命体とみるべきであり、個人組織の部分でありながら、組織全体よりも尊い。個は全体の中にあり、全体は個の中に収まる」と述べた。

トインビー博士が、“イエス、イエス(その通りです)”と大きく頷いておられた姿が忘れられない。

 ともあれ、この対談もまた未来のために、未来を見据えて行ったものである。そこで論じた「一人を徹底して大切にする人間組織」の方向を求めて、時代は刻々と動いていると確信する。また、そうした方向へとリードしていくことが私どもの使命である。

 その先駆の存在こそ、学会の広布の組織であり、中でも、とりわけ模範となる組織を我が地域に見事に築ききっていただきたい。


 また、法には「和合僧」という言葉がある。この「和合僧」、また「僧」については、多くの海外の会員や知識階層の方々から深い関が寄せられている。いつの日か、詳細に論じさせていただくつもりであるが、本日は、「組織」に関連して少々触れておきたい。

和合僧」とは「和合衆」ともいい、出家として道修行に励む比丘比丘尼の集まりのことをいう。

 元々、「僧」は「僧伽(そうぎゃ/サンガ)」の略で、「衆」「和合衆」等と漢訳され、それ自体、団体を味している。後世、中国や日本では、門に入った個々の人をいうようになったが、本来は4人以上(3人、または5人以上との説もある)の比丘が一緒に集って修行する団体のことを差したのである。

 竜樹はその著「大智度論」で「僧伽」について次のように述べている。

「譬えば大樹の叢聚(そうじゅ)せる、是れをづけて林と為し、一一の樹をづけて林と為さず、一一の樹を除いても亦(また)林無きが如し。是くの如く一一の比丘をづけて僧と為さず、一々の比丘を除いても亦僧なし。諸(もろもろ)の比丘、和合するが故に、僧のを生ず」と。

 つまり、例えば大樹がたくさん集って生えているところを林とづけている。一本一本の木を林とはいわない。しかも、この一本一本の木を取り除いてしまえば林というものは成り立たない。

 それと同じように、一人ひとりの比丘を僧というのではない。また、一人ひとりの比丘を除いてしまっても僧は存在しない。多くの比丘が集い、和合しているからこそ僧とづけているのである。


 これに関連して、総本山第59世日亨上人は、「一人を僧といわず、4人己上(いじょう)の共行集団を僧といい、和合を僧という定義なれば、其(その)共同行の団体中に自ら異議を唱えて退くも不可なり。況(いわん)や他を教唆(きょうさ)して同共行を破するに於いてをや。

 提婆達多釈迦牟尼に反抗する為に、弟子の一部を誘拐して、新教団を組織したるは、提婆の破和合僧罪として、其罪尤(もっと)もなるものなり。現代に於いては破和合僧、また破和合講に通用すべし」(『富士宗学要集』1巻150ページ)と仰せである。

 ――一人を僧といわないで4人以上の行を共にする人を僧といい、和合を僧というのが定義であるから、そのを共にして行を同じくする団体の中にあって、自分勝手に異議を唱え、退転することは許されない。ましてや、他の人をそそのかして、同共行(同じで行を共にすること)を破壊することはあってはならない。

 提婆達多釈尊に反抗するために、弟子の一部を誘拐して、新教団を組織したことは、破和合僧罪の最も大なるものである。現代においては「破和合僧」、また「破和合講」も、その罪に当たるといえよう――と。

 広くいえば、道修行に励み、妙法広布に進みゆく地涌の友の集いである学会も、「和合僧」の団体である。その団結を乱すことは「破和合僧」に通じるといえる。

 この破和合僧は、五逆罪、三逆罪の一つに挙げられており、その罪は最も重く、深い。その因果は厳しく、必ず堕地獄となるのである。


 さて、現代では、よきにつけ悪しきにつけ、宗教も、政治的動向や「組織化」と無縁の存在ではありえなくなっている。それは現代のように、あらゆる面で政治化や組織化が進められている社会では、宗教にとっても逃れることのできない宿命的なものとなっている。

 少々しい話になって申しわけないが、特に将来の広布のリーダーである青年部の諸君は、政治的にも社会的にも様々な次元から広布の組織について索し、知っておいていただきたいのである。

 その味で、政治学者の丸山真男氏が、著書『現代政治の索と行動』の中で述べている“宗教の組織化”についての見解を紹介しておきたい。

 この点について、丸山氏は次のように語っている。

「政治の本質的な契機は人間の人間に対する統制を組織化することである」。これに対して、「人格的内面を最も本来の棲家(すみか)とするのは、言うまでもなく宗教である」「現代のこうした圧倒的な政治化と集団的組織化傾向に対して、人間の内面に座を占める学問や芸術や宗教の立場が、殆ど反射的に警戒と反撥(はんぱつ)の身構えを示すのは理解できないことではない」と述べている。

 その上で丸山氏は、“けれども、われわれは、私的内面的なものと、公的外部的なものとをはっきりと分離できる時代には生きていない”と指摘している。

 そして、「従って今日は、内面に依拠(いきょ)する立場自体が、好ましからざる政治的組織化に対抗して、自主を守り抜くがためには、必然にまた自己を政治的に組織化しなければならなぬ、というパラドックス(逆説)に当面している。

 その際、政治的なものの範型(はんがた)――効果本位とか、対立の単純化(敵味方の二分法)とかいったような――に、ある程度まではどうしても我が身をはめ込むことを余儀なくされる。もしこの煉獄(れんごく)を恐れて、あらゆる政治的行動から無差別に逃れようとすれば、却(かえ)って最悪の政治的支配を自らの頭上に招く結果となろう」と語っている。

 つまり、宗教といっても、人間のの次元のみに閉じこもっているわけにはいかない。もし、精神世界のみに閉ざされ、社会に無関であれば、全てを自らの利益のための手段にしようとする権力に、たちまちに取り込まれてしまうだろう。ゆえに確固たる内面をよりどころとしながら、あえて組織をつくり、自主を守り抜くために戦っていかねばならないのである。

 戸田先生が、戦後再建にあってつくられた学会の組織は、まさに、この趣旨を踏まえたものであった。

 ここに広宣流布の成就のために、「時代」と「社会」を見通されて組織づくりをされたとだ先生の偉大さがあった。


 戸田先生は巻頭言「信仰組織」の中で次のように述べられている。私はこの指導を暗記するぐらい読み、胸に刻んできた。

「わが創価学会は、その信仰の中に、絶対唯一の御本尊を有し、その組織の根源に700年にわたる本山の歴史を有して、これを現代化し、科学的にし、今日の立派な組織ができあがったのである。この力は、世の模範であるとともに、世の驚異である」と。

 これだけの学会の急激な発展は、現代の奇跡といってよい。これも、戸田先生がつくられた組織があったがゆえである。ゆえに、絶対に邪(よこしま)な権力や、悪しきの者に利用されてもならないし、破壊されてもならない。もし、そうなれば、それは「広宣流布」と「平和」「幸福」への“希望”の破壊であり、消滅であるといっておきたい。

 更に戸田先生は、「さて、できあがった組織の発展力をしみじみ見るのに、この組織を運営し、活発化するものは、信のある人によることはいうまでもない。これは簡明にいうならば、組織は人によって作られ、人によって運営せられ、人によって有終の美を納めるものである」と述べられている。

 結局、「組織」は「人」で決まる。「広布の組織」は、「信のある人」によるのである。

 優れたパイロットが、多くの乗客を安全に、快適に目的地まで運ぶことができるように、広布の組織は信の深き人によってこそ、墜落も爆破もない、正しく幸福に満ちた“飛行”ができるのである。

 決して優秀な学校を出たとか、組織の運営能力や、弁舌が巧みであるからと錯覚してはならない。全ての根本は、中者の信の厚薄、浅深によることを、リーダーである皆さま方は忘れないでいただきたい。


東京・豊島、台東、墨田、目黒合同総会 1987-12-12 創価文化会館


 出血大サービスで全文をアップしておく。この入力のために、メールマガジンの発行ができなかったことをご了承願いたい。


 私が二十歳(はたち)の頃だったとう。支部婦人部長をしている母親に、「退転者の数を知らずして、どうやって広布が進むのだ!」と癖をつけたことがあった。母は、「ちょっと動いたぐらいでいい気になるな! 組織というものは、10年やらないとわからない!」と逆襲してきた。あろうことか、その夜、父に告げ口をして、こっぴどく叱られた。ちなみに父は叱る場合、拳で語りかけてくる。


 30歳で本部長になり、母の話をい出した。「確かにそうだな」と胸の内で呟いた。そして今、四十の坂を越えて、組織というものの“凄さ”と“危うさ”が見えるようになってきた。。


 完成した組織保守的にならざるを得ない。保守的になった瞬間から官僚みたいな人間がどんどん増えてくる。次に、打ち出しによる組織主義が横行する。力のない幹部が多くなると、厄介な人や面倒な人には手をつけなくなる。


 JR西日本みたいな組織はないか? 橋梁メーカーの談合みたいな真似をしている幹部はいないか?


 奸人(かんじん)朝(ちょう)に在れば賢者進まず(851頁)


 人間の組織を構築するためには、下からのによって組織の仕組みそのものを変えるしかない。


 何はともあれ、この指導を繰り返し読み抜き、自分の周囲に理を張り巡らし、自らが、とをつなぎゆく組織の要(かなめ)となってゆくことだ。

2005-05-27

鳩摩羅什


 師との出会いの後、羅什(らじゅう)の生涯は文字通り、波乱万丈のドラマであった。乱世のゆえに、羅什は30代後半から50代という最も仕事のできる年代に、実に16年間も半ば囚(とら)われの状態に置かざるを得なかった。

 目指す「長安の都」を目の前にして足止めされるという運命の試練があった。

 しかし、羅什は決して腐らなかった。否、逆境の真っ只中にあって、黙々と、また黙々と、自己の研鑚と精進を貫き通したのである。

 人生には運命の試練が必ずある。順調、順調の人生のなかに「真の勝利」は生まれないし、成功もない。逆境を、また、運命の試練をどう乗り越えて、大成していくかが人生である。逆境こそ、成長と前進への「最大の道」であり、そのなかにこそ、本当の人生の偉が成し遂げられることを、特に若き青年部諸君は忘れてはならない。


【第2東京支部長会 1987-10-11 立川文化会館


 鳩摩羅什(くまらじゅう)が師匠である須利耶蘇摩(すりやそま)と出会ったのは13歳の頃と伝えられる。


 肇公の法華翻経の後記に云く羅什三蔵・須利耶蘇摩三蔵に値い奉りて法華経を授かる時の語に云く「日西山に隠れ遺耀(いよう)東北を照す茲(こ)の典東北の諸国に有縁なり汝慎んで伝弘せよ」[已上]東北とは日本なり西南の天竺より東北の日本を指すなり(71頁)


「肇公」とは僧肇(そうじょう)のこと。境のさなかにあった鳩摩羅什に弟子入りした人物。因みに、御書全集では35ページにわたって羅什のがある。翻訳した経典の数は、出三蔵記集によると35部294巻(開元釈教録によると74部384巻)にのぼる。


 鳩摩羅什なくば、法東漸は実現しなかった。訳の数々は、宗教的信に裏づけられ、死に際して「我が身を荼毘(だび)に付して、舌が焼けるようなことがあれば、我が経を捨てよ」と語るほどの確信に満ちていた。


 その羅什であってすら、これほどの逆境に耐えた。ライフワークともいえる法華経の訳は57歳頃、完成したといわれる。それは、蓄えに蓄えられた力を一気に解き放つような勢いに溢れていた。先生は、「人生の最終章における勝利の大逆転劇」と讃嘆されている。


 我々が夕読んでいる「妙法蓮華経」も鳩摩羅什の訳である。16年間にわたる逆境にいを馳せながら、妙法流布の怒涛の行進をして参りたい。


鳩摩羅什関連リンク

死角をつくるな


死角をつくらない」――これは、活力ある組織を構築する上でも、大変に重要な視点である。

 師・戸田先生は常々、あらゆる角度から組織のあり方について話して下さった。この組織と“死角”の問題についても経営論を通じて、次のように指導された。

「会社を経営するには、銀行のように、大きい一つの部屋で仕事をすることが最も大事だ。衝立(ついたて)や小部屋をつくっていくような仕事場は、陰をつくるような結果を生むから、注しなくてはいけない。会社員の仕事振りを、社長は一望できることが大事である」と。

 広宣流布組織にあっても原理は同じである。何となく見えにくい“死角”が生まれ、中者から見て、見通しが悪い部分があった時には、必ずそこから問題が発生している。ゆえにリーダーは、全体を一望できる「明快」にして「見通し」のよい組織をつくることが大切である。そのためにも、メンバーの見をよく聞き、全員をよく理解することが肝要となる。

 また、“死角”をつくる怖さは、組織だけにあるわけではない。人間もまた同じである。

 どこかに不透明な部分を持つ人間、また何か、の底が知れない人は、リーダーはくれぐれも注すべきである。これまでも、正法を捨て、同志を裏切っていった者には、どこかに見えない不透明なところがあった。

 来るべき会合に来なくなったり、話すことが明快でなくなったりして、段々、不透明な部分が増すにつれ、信の後退が始まっていることが多いからである。

 全体が、リーダーの一望のもとに、全て「妙法流布」へと連動しながら進んでいる――こうしたダイナミックにして明るい広布の組織を築いていただきたい。

 私どもの組織は、支部であれ、地区であれ、一つ一つが大切な“広布の”である。が、それは、何層にも組み上げられた“そびえ立つ”ようなものではない。皆が同じ次元に立ち、共々に経験を積みながら進んでいく「公平」にして「平等」の“平(ひらじろ)”である。山頂に高く“そびえ立った”山では、リーダーは結局、下の方が見えなくなり、“死角”をつくることにもなりかねない。

 大御本尊のもとに、お互いがよく見えるような、明るい“広布の”を共々に構築してまいりたい。

 近年の退転者たちも、そうした信の不透明な輩ばかりであった。少しばかりの教学の知識に慢じて、何の地道な実践もない。また、口では「師弟」の道を説き、学会の「正義」を叫びながら、結局、自ら問題を起こし、多くの人に多大な迷惑をかける。しかも、自分の責任を放棄し、広布の戦野から卑怯にも逃げ去ったばかりか、そうした自己の正当化のみに汲々としている。

 信なき彼らの本質については、これまでにも何度か述べてきたが、所詮、彼らはいかに巧みに自らを飾ろうとも「自分で自分を裏切った人間」である。自らが主張してきたことを、自らの行動で裏切った退転者である。この厳たる事実を直視する時、彼らの「言」がいかに信用できないものかは明瞭である。この明らかな道理に照らして、一切を賢明に見抜いていただきたい。


九州広布35周年開幕記幹部会 1987-10-20 九州池田講堂】


 問題を放置するところに死角ができる。


 例えば先日、私の地区でこんなことがあった。地区で作成したブロック台帳に、いつの間にか、他の地区へ派遣されている男子部地区リーダーの前が紛れ込んでいた。私が訊ねると、婦人部幹部が「向こうの地区では全く掌握してないというので、内の方へ入れました」という。すかさず支部長が、「彼が地区リーダーだということを、私は聞いてない」と語った。この支部長は昨年、返り咲きで任命された方。


 要はこういうことだ。派遣の地区リーダーは、ここ数年間全く活動してなかった。派遣先の地区はお手上げとなり、幹部や男子部と相談することなく、彼をいないものとして扱った。


 男子部の部長は、こうした事実すら掌握してないことだろう。全くもって恐ろしい組織だ。こっちも、うかうかしてられないよ(笑)。


 というように、出ないのが当たり前になっている幹部が一人でもいる組織は危ない。傷や患部を放置しているのと同じだからだ。


 その原因は全て小事から始まっている。気づいた時は、退転という大事に至っているのだ。だからこそ、小事が大事なのだ。私の持論によれば、出るべき会合に二度続けて出なければ退転といっていい。どんな理由があったとしても駄目だ。二度続けたことによって、既に“出ないリズム”が確立されているのだ。男の場合、その殆どが仕事を理由とする傾向が強い。


 活動しない幹部がいるとすれば、活動しないことを認めている周囲に最大の問題がある。「幹部になっても、活動しなくてもいいんだよ」という一で、どのような人材育成ができるというのか? 先輩は元より、後輩であってもその罪を免れることはない。与同罪と申すはこれなり。


 スポーツや格闘技の世界で弱点があれば、そこを攻められるのは当然だ。小さな傷であっても、破傷風となって死に至るケースだってあるのだ。目にゴミが入ったり、足の裏にトゲが刺さっていて平気な人間はいないだろう。


 末端と幹部との志の疎通ができている組織死角はない。幹部が上から見ているだけでは気づかないことが必ずある。だからこそ、どんなにも、を澄ませ、を傾け、をそばだてる必要がある。


 死角をなくしてこそ、正真正銘の団結が築かれることを忘れまい。




 今日、判明したのだが、件(くだん)の地区リーダーは派遣先で掌握されているとのこと。しかしながら、いずれにしても問題である。地区婦人部長が、噂話の類いを真に受けて、支部とも相談することなく、男子部の人事を無視しているからだ。

2005-05-25

戦争を翼賛し、遥拝を指導した宗門


 戦争を翼賛し、遥拝を指導したのは宗門である。


 昭和16年128日の日米開戦にあたり、時の法主である日恭は、戦争翼賛の『訓諭』を出した。


 昭和17年1010日、宗門は、伊勢神宮の遥拝の宗務院通達を檀信徒宛に出す。


 そして、昭和17年1119日には、日蓮正宗に報国団が結成された。結成式は大客殿大広間において行われ、宮遥拝、詔書奉読がされている。宮遥拝は、宮中三殿賢所皇霊殿神殿)と現人神であるとした天皇に対する拝礼である。


日蓮正宗報国団々則」には、本部は日蓮正宗宗務院に置かれ、分団が宗務支院に置かれ、総裁には管長がなるとしている。報国団の目的について同規則には、「本団は肇国の聖を体し挙宗一致時克服、挺身皆労以て宗教報国の完遂を期す」とし、団員の構成については、「本団は本宗の全僧侶檀信徒を以て組織し本宗の僧侶檀信徒たるものは必ず本団に入団するものとす」となっている。


 古屋の第7分団の結成式における日恭の祈願文は、「畏くも、聖上陛下には昨冬十二十二日伊勢神宮に御親拝と拝承し奉る、是れ赤子たる我等国民の斉しく恐懼激する所なり。」とし、「英霊の祭祀に其の周到鄭重を極む」としている。


 このような宗門の指導下、牧口初代会長は大変をされながらも、破邪顕正を貫かれた。


「取払ひ撤去して焼却破棄等して居るものは、国家が隣組其他夫々の機関或は機会に於て国民全体に奉斎せよと勧めて居ります処の伊勢大廟からだされる天照皇太神(大麻)を始め明治神宮靖国神社、香取鹿島神宮等其他各地の神宮神社の神札、守札やそれ等を祭る神棚及び日蓮正宗の御本尊以外のものを祭つた壇や屋敷内に祭つてある例へば荒神様とか稲荷様、不動様と謂ふ祠等一切のものを取払ひ、焼却破棄さして居ます。(中略)

勿論之等の神宮神社寺等へ祈願の為参拝する事も謗法でありますから、参拝しない様に、謗法は重いから、それを犯さない様に指導して居るのであります」(「訊問調書」)


 創価教育学会総会、及び座談会特高の監視下になっていく。牧口初代会長は、外には特高、内には戦争翼賛と謗法を重ねる宗門に挟撃され、なおかつ数千人の会員の指導者であった。「我々は国家を大善に導かねばならない。敵前上陸も同じである」と悲壮とみえる決を述べられている。


 大善生活実証録に示されている幹部の戦争肯定のような発言はあるが、これは先に「価値創造」を当局に廃刊に追い込まれたことと、会員を守るための韜晦としてである。

その証拠に牧口初代会長は肯定されていないばかりか、どんどん政策を進めている軍国主義国家の指導層に痛烈な批判を厳しくされていく。


 当時の軍国主義スローガン換骨奪胎して、論を堂々と展開される。そして「訊問調書」では明確に、「立正安国論」を示されながら当時の「聖戦」を「謗法國である処から起きて居る」と断じておられる。「現在の日支事変や大東亜戦争等にしても其の原因は矢張り謗法國である処から起きて居るとひます。」と。


 同時代の客観証言として、民俗学者の柳田國男は、「安居院神道集」の中で次のように述懐して記している。


「若い者を用つて熱戦争反対論や平和論を唱へるものだから、陸軍に睨まれて味なしに牢屋に入れられた。妥協を求められたが、抵抗しつづけた為め、牢の中か、又は、出されて直ぐに死んでしまつた。宗祖の歴史につきものの殉教をしたわけである」

もちろん当時の会員は牧口初代会長の戦争反対の明言を証言している。


 だからといって、牧口初代会長は日本が敗戦・亡国になることを望まれたのではないとわれる。このことは戸田二代会長がそのことを残そうとされたところのものからだ。

だからこそ戦争に突入して後の勝利は望まれた。近現代における帝国主義による敗戦国の悲惨との同時代を生きてこられたからだ。


「勝てない戦争」と当初から言われていた証言もあり、一刻も早く戦争を止めるために奮闘されたのである。


餅】

2005-05-24

「通諜」は完全な偽造


通諜」は完全な偽造である。これをまともに信じているのは宗門だけだ。


 これは昭和52年に突然、コピーが世の中に出回り始めた。牧口研究家は学会以外にも大変多い。これが本物だったら大発見であるが、全く誰も相手にしていない。偽造文書としても、これほど出来の悪いものはなく、よくもまあ恥ずかしくないものだとう。


 そもそも、表題すら「通牒」でなければおかしい。創価教育学会は教育者の集まりでスタートしており、こんな幼稚な間違いをするはずがない。戸田理事長の前になっているが、これほど重要な牧口会長の方針転換をする文書を、会長の前で出さない方がおかしい。


 この「通諜」なるニセ文書が発見されたのは、稲葉宅であると「妙」は言う。稲葉伊之助の娘は確かに牧口会長の子に嫁いでおり、姻戚関係にある。しかし、稲葉は逮捕後の尋問に耐えられずに退転した。戸田理事長は、出獄後に退転した幹部を厳しく責めた(「創価学会の歴史と確信」など)。稲葉は前も挙げられて厳しく糾弾された。このことを恨んでいたのが、伊之助の子の稲葉荘である。それで学会を離れ、砂町教会(のちの白蓮院)に行ったのである。


 ここには副理事長でありながら退転し、戸田理事長を深く恨んだだ野島辰次もいた。やがて二人は竜門講を結成し、戦後最初の学会の切り崩しに動いていったのである。この「通諜」なるニセ文書の発行者が、なぜ戸田理事長としているかが理解できる。戸田先生を貶(おとし)めたいからである。


 そもそも野島は、昭和18年6に牧口会長・戸田理事長・学会首脳が登山し、日恭・日亨上人が立ち会い、庶務部長だった渡辺慈海が神札を受けるようにを命じた際、牧口会長が厳然と拒否されことを文書として残している。つまり戸田先生だけでなく、入獄直後に退転した野島でさえ、神札拒否を証言しているのである。


 この「通諜」なるニセ文書自体のおかしいところは、既に学会側から他にもいくつか指摘されているが、以上のことだけでも十分であろう。


餅】

2005-05-19

人柄は信心の純粋性に影響する


 時光の父の逝去は、入信してまだ1年ないし4年という短い歳であった。それにも関わらず、大聖人は「成」は間違いないとされ、その上で亡き人のよき人柄をしのばれ、また、家族をいやられて、その死を深く悼(いた)まれている(1510頁)。

 ここで、故南条兵衛七郎について「人柄のよさ」を言われたのは、「人柄」というものは、信の純粋に影響するとみられていたことが拝せる。この御指南を決して見逃してはならないと私はう。「人柄」は、その人のもつ人間の輝きであり、生き方の基本をなすものといってよい。人柄の悪い人は、一時は成功したようにみえても、結局は人々の信頼を失い、惨めな人生の結末を迎えることが多い。

 その味で、「人柄」というものは、まことに大切な実相である。特に青年部の若き皆さまは人格を磨き、「人柄」つまり「根」のよき人として、自身をつくりあげていただきたい。

 さて、故南条兵衛殿への大聖人の墓参が、胎児まで抱えた時光母子に、大なる励ましとなっている。その励ましは一見「小事」に見えるかもしれない。しかし、その「小事」が、特に時光にとって将来の大をなす「因」となったことを知らねばならない。まさに、「小事」は「大事」なのである。


【第2東京支部長会 1987-10-11 立川文化会館


 南条兵衛七郎が亡くなったのは文永2年(1265年)3。時光がわずか7歳の時だった。大聖人は、「故南条殿とは久しい間の交友はありませんでしたが、様々なことに触れて懐かしくわれる方で、大事な方とっておりました」(1510頁)と綴られ、墓参までされている。


 学会の幹部は人柄が悪いのが多い(笑)。多くの人間を見ているせいもあって、人を見抜く力が蓄えられてくる。特に、悪い部分を見抜くのが巧い(笑)。


 力があっても傲慢な幹部は人々から怖がられ、嫌われる。多少、力不足であっても、人柄のいい幹部であれば、どんなことでも話しやすい。


「人柄が信の純粋に影響する」という指摘は重要。昔は、人柄が悪くても、信が強けりゃよかった(笑)。だから、幹部という幹部は威張ってた。草創期から広布第二章にかけて、嫌ないをした人も多い。今でも、当時の情を聞かせられることがある。


 人柄のよき幹部は、一人を大切にする人だ。人柄の悪いのは、要求だけを突きつけて、自分ののままに皆を操ろうとする人だ。同じ行為や言動であっても、“自分のため”なのか、それとも“皆のため”なのかで天地雲泥の差が生じる。


 ただ、人柄のよさが弱さにつながってしまえば元も子もない。最前線を走る人々が幹部に遠慮していることが、学会の力を削(そ)いでいると私は実する。人柄がよくて、信も強ければ、ずばりと何でも言えるものだ。


 先日、北海道に4日間ほど行ってきた。昨日会った二人のおばあちゃんから、「お帰りなさい」と言われた。こういう一言こそ人柄そのものであろう。私は何とも状しい温かさに包まれた。また、母の日に私からプレゼントした一本のカーネーションを壇に飾っていたおばあちゃんもいた。その是非はともかく、「ああ、ここまで大事にしてくれてるんだな」と謝のが波のように押し寄せた。こういう方々と一緒に戦えること自体が、私の福運である。

2005-05-17

一人が万人を生む母


 さて、岡崎のある中部の地に、広布の“第一歩”がしるされたのは、昭和27年(1952年)8。13日の夜、戸田先生が出席され、古屋での初の座談会が開かれた。その折、入信したのはただ一人。それが、中部広布の“一粒種”となった東録三郎さんであった。

 戸田先生が大切に育てたこの「一人」から始まって中部は、今日では数十万の地涌の友が活躍する素晴らしき天地となった。いずこの地であれ、広布は「一人」から始まり、興隆していったことを銘記したい。

 御書には「世間のことわざにも一は万が母といへり」(498頁)と仰せである。

「一人」というと、いかにも弱小とうかもしれない。しかし、「一人」が「万人」を生む「母」なのである。「大海の一たい(サンズイ+帝)の水に河の水を納め」(944頁)との御金言もある。真実の大法に出会い、目覚めた「一人」が、勇敢に利他の実践へと躍り出て、「一人」と会い対話する――この「一人」から「一人」へという波動こそ、限りない広布前進への源泉であり、こうした着実な方程式で、永遠に広布の歴史はつづられていくことを絶対に忘れてはならない。

「一人」を大切に――これこそ、脈々と受け継がれてきた学会の伝統精神である。悩める「一人」に光を当て、全魂で対話し、激励し抜いていく。特に若き諸君は、この伝統を決して忘れてはならない。ただ大勢の前で華々しく話をするだけで、地道な「指導」や「激励」に積極的に行動しないリーダーは決して本物ではないし、本物にはなれない。

 もしも、そうした幹部が多くなれば、これは学会精神の退廃に通ずるであろう。

 組織の中に「権威主義」や「要領主義」をはびこらせては断じてならないし、「一人」への全魂の「指導」と「行動」なくして、真の道修行はあり得ないことを、皆さま方は深く銘記されたい。

「一人」から「一人」への無限なる「利他」と「対話」の実践。この絶えざる積み重ねと連動に、永遠に広がりゆく広宣流布の方程式がある。


【第2東京支部長会 1987-10-11 立川文化会館


「万人」を生む「一人」に自分がなれるかどうか――ここに世界広布の進展がかかっている。その使命と責任を痛するリーダーであれば、誰から教えられなくても、周囲の一人ひとりを大切にするはずだ。


 権威主義や要領主義の幹部は、得てして自分の役職や生活にしか関を抱かぬ人だ。かような人物にとって会員は、単なる踏み台にしかならない。自ら嬉々として折伏や家庭指導を実践してない幹部は、おしなべて権威主義といっていい。


 一人を立たせることは大変だ。しかし、一人を立ち上がらせることができれば、その人の家族や知人・友人に至るまで、決定的な影響力を及ぼすことになる。一人を救うことが、相手の眷属をも救うことに通じてゆく。


 今は未来部かも知れない。また、新入会かも知れない。だが、その人が、将来の学会を支えゆく、偉大な幹部となる可能だってあるのだ。


 今の自分があるのは、たくさんの先輩方のおかげだ――そうえるのが普通の学会員である。どれほど多くの先輩から激励を受け、配され、祈られてきたことか。親が子を虐待し、子が親を殺すような時代にありながら、私に期待を寄せ、私を信じて下さった先輩の顔がいくつもいくつも浮かんでくる。

2005-05-14

異体同心事


背景

  • 弘安2年(1279)86日 86日 54歳御作
    • 御書では建治元年となっているが、熱原の法難に触れているので、弘安2年(58歳)とわれる。
  • 対告衆(たいごうしゅ)不明か? 高橋入道、大田乗明南条時光
  • 於身延
  • 真蹟:不明

1463頁5行目


 日本国の人人は多人なれども体同異なれば諸事成ぜん事かたし、日蓮が一類は異体同なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし、譬へば多くの火あつまれども一水にはきゑ(消え)ぬ、此の一門も又かくのごとし


2005年5座談会拝読御書】


関連御書


 はわき房さど(佐渡)房等の事あつわら(熱原)の者どもの御ざし異体同なれば万事を成し同体異なれば諸事叶う事なしと申す事は外典三千余巻に定りて候、殷の紂王(ちゅうおう)は七十万騎なれども同体異なればいくさ(軍)にま(負)けぬ、周の武王は八百人なれども異体同なればかちぬ、一人のなれども二つのあれば其のたが(違)いて成ずる事なし、百人千人なれども一つなれば必ず事を成ず(直前の御文/同頁)


 総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此(じたひし)のなく水魚(すいぎょ)のを成して異体同にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か、剰(あまつさ)え日蓮が弟子の中に異体異の者之有れば例せば者としてを破るが如し(1337頁)


  • 「同体」とは、権力に阿(おもね)る姿だ。
  • 酒池肉林」とは、殷の紂王の所行がその由来。さながら、阿部日顕の如し。
  • 一人のに二つのあり、とは大聖人の鋭い人間学。“頑張ろう!”というと、“怠けたい”というがあるのが人間だ。迷った時は、より大変な方、厳しい方を選択するのが成長の鍵。
  • 戸田先生亡き後、異体異の者は、学会を去らざるを得なくなった。タテ線からブロック制になった時、また然り。先生が会長勇退した時も、また同様。大がある度に、学会の組織には自浄作用が働く。大に遭遇して、ぶれないだけの信を築くには、勇んで法戦に挑む他なし。
  • 役職・信年数・過去の経験など、信以外の何かが権威化した時、その人は、民衆を睥睨(へいげい)する視線となる。これが、団結を破壊する最大の要因。我がままな人物は、放っておいても弾き飛ばされる。
  • 広宣流布は一人の力ではできない。そうであればこそ、先輩にも後輩にも謝できるがあって、団結はより強靭なものとなろう。

関連指導


 学会が、なぜこれだけのを乗り越え、勝利の歴史を築くことができたのか。

 それは、御聖訓通りの「異体同」であったからだ。

 大聖人は、「殷の紂王は七十万騎なれども同体異なれば いくさ(軍)にま(負)けぬ、周の武王は八百人なれども異体同なれば か(勝)ちぬ」(1463頁)と仰せである。

 これは、中国の古代・周王の有な故事である。

 当時、暴虐な支配者として民衆をしめていた殷の紂王に対して、断固、立ち上がったのが周の武王であった。

 しかし、70万の紂王の軍勢に対して、武王の軍は、最初は、800人の諸侯しかいなかった。数では、圧倒的に不利な状態である。

 では、武王は、いかにして、この劣勢を打ち破っていったのか。

 それは、武王は戦いを起こすに当たり、敵の悪逆非道を鋭く突き、決起の大儀を堂々と語り抜いた。そして、志を同じくするものを、大きく結合していったのである。

「人びとをしめる悪とは、徹して戦うのだ!」「今こそ立ち上がる時だ!」と。

 この堂々たる宣言に呼応して、陣列は大きく広がった。見方によれば、それは、決戦の時には、何十万もの連帯になっていたと考えられる。

 邪悪と戦う確信ある呼びかけに、人間は動く。正義に糾合されていくのだ。

 この鉄則を持ってきたがゆえに、学会も世界的になったのである。


【随筆 人間世紀の光 聖教新聞 2004-05-02付】


 今、全国の同志が、広宣流布のために、一生懸命に働き、戦っておられる。あまりにも尊いお姿である。

 学会本部にも、全国から、多くの友がお見えになり、53日を祝賀してくださっている。

 法華経に「当に起って遠く迎うべきこと、当にを敬うが如くすべし」とある。

 私は、大切な同志を、この経文ののままに、「を敬うが如く」お迎えし、題目を送らせていただいている。

 どうすれば皆が「来てよかった」と喜んでくださるか。私は真剣である。

 リーダーの奥底の一が「学会のため」「会員のため」なのか、結局は「自分中」なのか。この一の差で、前進か後退かが決してしまう。

 広布のリーダーは「創価学会は私が守る」と決めることだ。そして、その責任の上に、「異体同」で進むことである。


【5.3記最高協議会 2005-05-03】


 古代ローマの歴史家サルスティウスは述べている。

「和によりて ささやかなるものも栄え 不和によりて 偉大なるものも滅ぶ」

 団結すれば、小さい組織や団体であっても、栄えていく。反対にどんなに大きくても、が合わなければ滅びる。「異体同」でなければ、必ず滅び去っていくのである。

 学会がここまで発展してきたのも、固い団結があったからである。このことを忘れてはならない。

 古代ローマの哲学者セネカは記した。

「僕は知らずの者を許しません」

 忘ほど醜いものはない。これまでも学会のおかげで偉くなりながら、そのを忘れ、同志を裏切り、反逆していった人間がいた。

 多くの同志がしんだ。つらいいをした。セネカの言葉の通り、そうした人間を許してはならない。戒めていかねばならない。

 一、牧口先生は、教育者の構えとして、「どんなところでも、どんなものにも対処できるの準備をしておかなければいけない」と述べておられた。

 人生は、最後まで戦いである。すべてが広宣流布の闘争である。いつでも、どこでも、どんな状況でも、またどんな立場になっても、広宣流布を進めていこう。戦っていこう──その気概が大切である。

 特に青年部の皆さん、頼みます!

 若いということは、本当に素晴らしい。青年部のはつらつたる姿を見て、私はそうう。

 が光り、魂が輝いている青年は、いい顔をしている。表情が生き生きとしている。そういう青年部のリーダーが増えてきた。


【5.3記代表協議会 2005-04-26】

 大聖人は、有な「異体同心事」のなかで仰せである。

 「周の武王は八百人なれども異体同なればか(勝)ちぬ、一人のなれども二つのあれば其のたが(違)いて成ずる事なし、百人・千人なれども一つのなれば必ず事を成ず」(1463頁)と。

 広布の同志に上下の差などない。全員が広宣流布という大目的に向かって、「を一つに」戦っていくことである。

 そうすれば、絶対に目標を勝ちとることができる。そう大聖人が御約束なのである。

 我らは、異体同の祈りと行動で、断じて勝って勝ち抜いていきましょう!


【総東京代表協議会 2005-04-04】


 組織において、会員同士でも「気が合う」「合わない」といった相の問題があるかもしれない。しかし、大切なことは、広布のため、学会のために「信」で団結することである。

 大聖人は、池上兄弟の弟・宗長にあてた御手紙で、次のように仰せである。

「こう言うと恐縮ですが、兄弟二人がともに日蓮のことを(師匠として)尊いとって(を合わせて)いきなさい。

 もし二人の仲が不和になられたならば、二人に対する(諸・諸天等の)加護がどうなってしまうかと考えていきなさい(仲が悪いと功徳を消してしまいます)」(1108頁、通解)

 団結がなければ最高の力を出し切ることはできない。敵に打ち勝つこともできない。

 学会は、信を根本とした異体同の団結で、永遠に前進してまいりたい。


【婦人部・女子部最高協議会 2005-03-11】


 10年前(1994年)の秋11、学会の創立64周年を祝う集会を、私は八王子の同志らと共に迎えた。

 この時、私は、牧口先生の言葉を贈った。

「信は組織の中核にして、誠は組織の推進力である」

「信」と「誠」――ここに我らの「団結革命」の要諦があるからだ。

 学会は、「信組織」である。いかなる役職、肩書、社会的地位があろうと、信においては、一切が平等だ。

 この一点をはき違え、「自分は幹部だから」「社会的な立場が高いから」「私は有校を出たから」と、他の同志とを一つに合わせていかないならば、異体同組織は絶対にできない。

 それは、の教訓に背く輩となるからだ。

 戸田先生も、“そういう連中は遠慮なく叩き出せ”と、たびたび厳しく叫ばれた。

 私も全くその通りだとう昨今である。

 団結とは「を一つに合わせる」戦いだ。そのためには、の奥底に潜む特権識を一掃することだ。「信の成長」という同じ目的に向かって進むことだ。

 役職でも、立場でもない。人間として「誠実」に徹することが第一義である。

 大聖人が「教主釈尊出世の本懐は人の振舞」(1174頁)と仰せの通りに、最高の人間の世界が、学会の世界でなければならない。

 学会の使命は、広宣流布にある。ゆえに、あらゆる非や中傷を浴びながら、懸命に広布に戦う庶民が、一番、偉いのだ。一番、大聖人の御賞賛を受ける人なのだ。

 今までは、八王子からは、裏切り者、不知の者は出なかった。

 戸田先生は、「不知の者は畜生である。絶対に許すな! 臆病者、卑劣な者、裏切り者は去っていけ!」と叫ばれた。

 この遺言通りの八王子の伝統を、私は一段と厳守していく決である。

 戦う一人を徹して守れ!

 そこから、「異体同」の前進が始まるのだ。


【随筆 人間世紀の光 聖教新聞 2004-05-20付】


 人間社会で、一番、「協調」を壊し、一番、「目的」を破壊していくものは何か。

 それは「増上慢」であり「我見」である。おごり高ぶった慢であり、自分に固執した、いわば自分勝手な考えである。

 この増上慢と我見は、厳格に戒めていかねばならない。

 人の見を聞かず、「異体同」を踏みにじることは、人びとを不快にし、「広宣流布」という目的観を崩してしまう、法上、極悪の行為であるからだ。

 増上慢や我見は、人びとから嫌われる。その言々句々は、誰からも納得されず、皆が嫌ないをする。

 尊き同志や後輩を、幹部面して手下のように見下すことは、邪道中の邪道である。

 初代の牧口会長は、常々「下から上を動かせ」と教えられた。

 その下からの真剣な正しきを傾けないのは、上位に立つ真実のリーダーではない。

 さらに牧口先生は厳しく指導された。

「広宣流布の和合僧を、自分勝手な我見と増上慢で破壊するような人間は、即座に除せよ!絶対に、そんな幹部に随う必要はない。

『法に依って人に依らざれ』である」

 階級ではない。大事なのは、「広宣流布への信」である。そこにこそ、偉大にして尊き人材の和ができあがり、常勝不滅のが築かれていくのだ。


 第二代の戸田会長も、よく厳しく言われた。

「要領のいい幹部もいる。傲慢な幹部もいる。

 学会を利用して、自分がいい立場になることばかり考える幹部もいる。

 腹の中で学会員を小馬鹿にしたり、大した人間でもないのに自分を偉そうに見せたり、学歴があるからといって尊大ぶる愚劣な幹部もいる。

 また、みなの支援によって誉ある議員にさせてもらいながら、信を失い、退転して、知らずな行動をとっていく愚者も卑怯者も出るだろう」

 そして先生は叫ばれた。

「本当の立派な信とは、後輩をから尊敬し、大事にする。創価学会の大を知って、創価学会を命をかけて護ることである。

 和合僧を尊重して、我見や増上慢の幹部や議員を叱り飛ばし、異体同の理的な広宣流布の前進へと戦う人こそが、信強盛な法者である」と。


【随筆 人間世紀の光 聖教新聞 2004-05-08付】


 私の「文京革命」は、支部の代表が集った部屋に入るやいなや始まった。

 皆で題目を唱えたものの、が揃わない。つまり、戦いに臨むに、皆の呼吸が合っていなかったのだ。

 何度も、何度も、題目をやり直した。

 題目は形式ではない。最も大切な、この宇宙で最も強力な、魂の王者の武器である。その祈りを合わせることが、無敵の正義の陣列を組むことになるのだ。

 散漫な祈りは、焦点の合わないレンズと同じだ。互いにがバラバラでは、皆の力も結果も出ない。

「団結」とは、個を押し殺した自己犠牲ではなく、エゴの殻を破る、自己の境涯の拡大である。崇高な目的に向かってを合わせ、それぞれが持てる力を存分に発揮しゆく戦いだ。

 ゆえに、異体同の信のなかに、前進があり、勝利があり、幸福があるのだ。


【随筆 人間世紀の光 聖教新聞 2003-04-18付】


 ただ仲がいい、気が合う――異体同とは、そのような表面的次元の問題ではない。生命をかけて御本尊を信じ、何があっても大聖人様の御生命から離れない。どこまでもともに進んでいく。その不退の「信」こそ異体同の「」である。その信仰の一と広布という目的が同じであるゆえに同志であり、異体同なのである。この同の「」が、何かあるごとに、ぐらついたり、ひるがえったりしたのでは、真実の同志ではない。また自身が人生の敗残者となってしまう。


【12本部幹部会 1987-12-04 創価文化会館


 人間の自我は、このとき初めて独我的自己より救い出されて生き生きと拡大し、使命を自覚するにいたるのであります。この局面においては「沈黙は金である」という格言は、むしろ誤りであり、有害であり、理解と親切な会話こそが金となる、と私は申し上げたいのであります。我々は互いに尊重し合い、互いによく知り合い、対話に対話を重ねて異体同の輪を広げつつ、互いに相手の自我を拡大してあげることに努めていこうではありませんか。これが人間連帯の広布の波となっていくのであります。

 ただし、自分で自我を拡大していこうと働くのは、勤行・唱題のとき以外は、エゴイズムに陥る危険があるということも忘れてはならない。相手の自我拡大に努力した人だけが、その果報として、自分の自我が拡大するといえるのであります。

 対話といい、指導といい、折伏といい、全てはこの方程式でなければ、功徳を生まないといます。折伏は折り伏せることではないかと批判される場合がありますけれども、その真義は悪を折ることによって、その奥に隠れていたその人の自我を引き出し、拡大することなのであります。どうか、よくよくこの方程式に徹して、立派な道修行者として、また人間として大成されますことを、私はからお願い申し上げるものでございます。


【第2東京本部幹部会 1973-03-31 創価大学体育館】


“一人立つ”ということと、団結とは、一見違えるようにえるが、実は全く同じものであります。自分が責任を担って一人立つところに、団結はおのずから築かれていく。

 誰かがやるだろうと考えている限り、どこまでいっても団結を築くことはできない。一人立って、それが軸となって全部の人が立ち上がり、その結果、堅い団結ができあがる。これが理的な和合僧であり、異体同なのです。これは絶対に崩すことのできないものであり、私どもはそれを目指しているのです。

 一人の自覚ある幹部、使命と責任に満ちた闘士が立ち上がったとき、そこには常に新しい波動が湧き起こり、人々のを一つにしていく力が必ず出てくる。この方程式、原理を、皆さんのおのおのの立場で実践し、見事に実験証明していただきたい。


埼玉総合本部幹部会 1968-04-24

2005-05-12

形骸化した権威と戦え


 彼は「による戦闘の人」といわれたが、こうした書物を通じて彼が目指したのは、“伝統的価値の全面的転換”であった。そして、上の使命として、“形骸化したキリスト教”と戦うとともに、ヨーロッパ近代文明の退廃を指摘し、精神の空白とともに“家畜化した群衆”“卑小化した人間”を鋭く批判しながら、近代超克の道を探った。

 次元は異なるが、鎌倉時代にあって日蓮大聖人も、形骸化し、権威と化した既成宗教と戦われた。そして、人間を抑圧する権力との戦いを止めることはなかった。

 また、我が創価学会も、「形式」と「権威」に堕した宗教と戦い、悪しき旧習を打破してきた。既成勢力と妥協することなく、この“悪との戦い”に挺身してきたがゆえに、今日の発展と前進があり、新しい平和と文化の沃野を開くことができた。

 先覚者に様々な迫害が起こるのは当然であり、それを忘れ、民衆を抑圧するあらゆる「権威」や「権力」との闘争を避けるようなことがあっては、まことの法者とはいえない。


【第2東京支部長会 1987-10-11 立川文化会館


 歴史的な指導。これが、小冊子『今日より明日へ』1の冒頭に収められた指導である。日顕による宗門問題が起こる3年前であり、創価ルネサンスの序章が、この指導によって開始されたといっていいだろう。会長勇退後の本格的な反転攻勢も、ここから始まったといえよう。立川文化で行われたところに、深い味をじてならない。


「彼」とは、ニーチェのこと。ニーチェは、1844年に生まれ、戸田先生が生まれた年(1900年)に死去。39歳から手をつけ、41歳で『ツァラトゥストラ』を完成。「神は死んだ」という衝撃的な言葉が、世界を席巻した。晩年には、『権力への志』を精力的に執筆したが、完成を見ずして発狂。遂に狂気から目覚めることなく、廃人同様の身でこの世を去った。


 や宗教は、時代に応じた柔軟を持ち、を深め、社会の中に脈々とを吹き込んでゆかねば、形骸化を避けられない。五五百歳堅固多造塔寺堅固が、それを示している。


 日蓮正宗なんぞは、他の葬式教と何ら変わらなかったのだ。大聖人お認(したた)めの曼荼羅や御書などがあるというだけで、大聖人に連なる信など、微塵もなかった。今頃になって、学会癖をつけるのは、700年早いってえんだ!


 先生は若い頃から形式を嫌った。「形式を排せ!」とは、一貫した先生の指導である。組織が形式化すると、民衆を形式にはめ込むようになる。その規格から、はみ出る人は弾かれてしまうようになる。形式は、民衆から主体を奪い取り、おのずと無気力にさせる。自由に、ざっくばらんに何でも語り合う雰囲気がない組織は、学会の組織ではないと断言しておこう。権威主義の幹部が組織を牛るような真似をすれば、その人物は日顕宗の眷属といってよし。はたまた、いてもいなくてもいいような幹部がぞろぞろいる(笑)。


 下から変えてゆくのが大乗教の精神だ。これなくして、本当の味での創価ルネサンスはあり得ない。下から上を動かしてゆこう!

かつてない“広布の歴史”を!


 ご存じの通り、31日の大法要には、時の宰相の代理が参列した。更に316日には、宰相自身が登山する予定であった。

 ――その1年半ほど前のことである。昭和31年(1956年)秋から翌年初頭にかけて、私は山口開拓指導を行った。

 大阪での大法戦に引き続いての戦いである。厳しいといえば、こんなに厳しい行動の連続もなかった。身体も疲れきっていた。経済的工面も大変だった。我が家の売れるものは全て売って、交通費や滞在費等をやりくりした。

 しかし、私は戸田先生の山口に対する深きいを、何としても実現したかった。

 いうまでもなく、かつての長州、山口県は、宰相の輩出を始め、日本近代の歴史と未来に大きな位置を占める国土であった。

 戸田先生は、その“急所”に飛び込んで、広布の旋風を巻き起こしてこい、との期待を私に託されたのである。

 今の内に、何としてもここに正法の勢力の崩れざる砦を築いておかねばならないと。

 広宣流布は、観の遊戯ではない。現実との熾烈(しれつ)な戦である。戦である以上、実際の相手がいる。刻々と状況も変化する。最も的確な時と所に、最も的確な手を打つのでなければ、手遅れになる場合があまりにも多い。

 そして、戸田先生は、最も厳しく重大な戦いには、私を指されるのが常であった。また、私の考えも、いつも戸田先生と一致していた。山口開拓指導の構も、先生と私の二人だけの対話から生まれたものである。

 師のを断じて実現するべく、私は山口へと走った。全国から健気なる同志も馳せ参じてくれた

 10、11、そして翌年1。延べ日数にして30日ほどの“山口闘争”であったが、1末には、それまでの10倍の約4000世帯の陣容へと飛躍していた。

 ここに、後の「3.16」に連なる大きな布石ができたわけである。

 私は大阪でも、かつてない1万1111世帯の弘教を成し遂げた。選挙の結果にも、社会はアッと驚いた。ある新聞は「『まさか』といっていたその“まさか”が現実になった」と驚愕を率直に報道した。

 その他、行くところ常に、かつてない広布の“歴史”を開いてきたつもりである。

 私は、青年であるならば、そして、ひとたび自分で決めて立ち上がった限り、妙法の力を渾身にたたえつつ、人々が瞠目するような見事な結果を出していくべきだとう。

 いかなる分野であれ、広布のために、自らが祈り、行動した歴史は、我が生命に永遠の誉れとして刻まれていく。そして、時とともに、いや増して輝いていく。そこに厳粛なる「因果の理法」の証もある。

 その味において、私は「若き君たちよ! 大いなる使命の天地で、深く、そして堂々と、最高の『自分史』を壮大に綴りゆけ!」と願しておきたい。


【第13回全国青年部幹部会 1989-03-04 創価文化会館


「広宣流布の主戦場で戦う」――これが青年部の伝統だ。師弟共戦は、“いざ、鎌倉”の行動として具体的に現れる。


 山口開拓指導の際、先生は電話債券を売って、交通費を捻出された。草創の小岩支部で女地区部長として勇を馳せた篠塚鈴子さんは、ご主人を亡くした翌に、片道だけの電車賃を握って山口へ馳せ参じている。


 世間の目には、「そこまでしなくても……」と映るかもしれない。しかし、それは、不幸に喘ぐ民衆を救うための、“やむにやまれぬ”行動であった。菩薩の生命は、友の幸せのためならば、いかなる労も厭(いと)わない。そして、革命を成し遂げる最大のエネルギーは、民衆の主体である。


 学会組織が上からの命令だけで動くとったら、それは大きな間違いだ。そんな先入観を抱く人は、“人間”をその程度の浅はかな次元でしか見つめることができないのだろう。


 また、これとは逆に命令で組織を動かそうとする幹部がいれば、その人は異体同の団結を破る師子中の虫である。


 ひとたび立ち上がったならば、座るな(笑)。横になってもいけない。そのまま一歩、足を前に出し、走りに走り抜こう。


 今日は、伊豆流罪の日。

2005-05-11

 現存する最も古い紙といわれているのは聖徳太子が書いた 「法華義疏」の巻物の紙で、移入紙なのか国産紙なのかは不明です。ちなみにこれは日本最古の本としても有です。聖徳太子は教を広め、写経を奨励するために製紙術を改良したといわれ、紙祖として祭ってあるところもあります。


「紙なくして一紙に多く要事を申すなり」(1226頁)、「日本国に紙なくば皮をはぐべし」(1216頁)などの御文から、貴重品であったことが窺える。更に、流刑地での入手は困を極めた。「佐渡の国は紙候はぬ上面面に申せば煩(わずらい)あり一人ももるれば恨(うらみ)ありぬべし此文(ふみ)をざしあらん人人は寄合(よりあう)て御覧じ料簡(りょうけん)候てなぐさませ給へ」(961頁)。わずかの紙面に“魂の交流”あり。

2005-05-09

外交のできない人間は、深い信頼はできない


「外交のできない人間は、深い信頼はできない」――これが戸田先生の持論であった。

 特に、青年に対しては、万般にわたって、外部とのしのぎを削る打ち合いの中でこそ、人間の地金(じがね)が磨かれることを繰り返し教えられた。

 でき上がった組織の上に、呑気にあぐらをかいていて、人間が本当にでき上がるわけがない。そんな浮ついた者は、口ばかり達者であっても、いざという時には当てにならない。戸田先生はこのように、それは厳しく指導された。

 折伏・弘教、家庭指導、個人指導。そうした地道な瞬間瞬間の行動の中にこそ、人間としての厳たる勝利の基盤ができあがっていく。その労を避けて、表面の華やかな方向にばかりが向かったとしたら、その人の深く光輝ある人生勝利はありえない。

 先生は常に言われた。

「君たちはまだ若い。若い内に様々な労を買ってでもやっておくことだ。それが、全部生きる時がくるのです。労しない人間に、一体何ができるか。何でもやっておくことだよ」と。

 振り返ってみて、すべて先生の言葉通りになっている。


【第13回全国青年部幹部会 1989-03-04 創価文化会館


 事件が起こると、我がサイトはアクセス数がアップするようだ(笑)。


 今ラジオで元学会員による詐欺事件を知った。「創価大学迎賓館を建設する」と持ちかけて、みずほ銀行から、まんまと10数億円を騙(だま)し取った模様。悪いことをしでかす連中が悪いに決まってるが、それにしても、銀行側は無用が過ぎる。一本の電話確認で未然に防げたろうに。隙(すき)があったとしか言いようがない。


 あまりにも自明なことだが、容疑者が現役の学会員だとしても、学会の指示による犯罪ではない。学会が大きくなればなるほど、それを利用しようとする人物は、これからも現れることだろう。全学会員が厳しい捜査を望んでいるはずだ。


 これによって、ゴールデンウィーク中に数々の友人となされた対話はパアになった。私の信用まで潰れかねない。というわけで、「ご破算で願いましては」と最初っからやり直し。


 いよいよ、三障四魔が現れたと私は一人、奮い立つ。振り返ると、2004年711日に行われた参議院選の時は、512日に公明党党三役を始めとする年金未納が発覚。昭和31年78日に行われた参院選の際も515日、6に及ぶ大阪支部の学会員が逮捕されている。


 ここに、不議な軌道がある。少し頭を冷やして考えれば、直ぐわかることだが、これが来の半ば頃だったら、完全にアウト。取り返しようがないのだ。守られているとしか言いようがない。


 東京中が緊張に包まれていることだろう。本当の戦いは、ここから始まることを銘記し合いたい。


 今、必要な構えは、この指導に言い尽くされている。考え込めば、臆病なが頭をもたげる。勇んで打って出る時が遂に来たのだ。


 和泉覚さんが7日、逝去。老衰とのこと。初代、二代、三代会長に仕えてきた大先輩のご冥福を祈る。

2005-05-06

沢田教一


 常に「死」と隣り合わせの戦場にあって、彼の取材への「執」、そして「勇気」の行動には並ぶ者がいなかった。

 ある従軍取材では、地雷が埋められている場所を一列になって慎重に進む部隊の姿を、沢田氏はその数メートルも前で、後ろ向きになって“後ずさり”しながら撮り続けた。地雷に触れれば一巻の終わりである。

 砲火の中で、同僚たちが隠れてもなお、彼だけが立ったまま撮影を続けるようなことも何度となくあった。まさに命をかけた取材行であった。

 彼はまた、ジャーナリストとしての自己の使命に徹し抜いた一人であった。

 従軍取材の際、時には米軍から報道陣に、護身用の銃が手渡されることもあった。

 外国人記者の中には慣れた手つきで銃を扱う者もいたが、沢田氏は頑としてそれを拒んだ。――僕は日本人だ。カメラマンだし、ベトナム兵でも米兵でもない。いくら言われても銃は受け取れない、と。

 これが、報道に命をかけていた彼の「信」であった。彼は最後まで銃を手にすることがなかった。


 戦争の悲惨さ、愚かさを鮮烈に、そして、切々と訴える沢田氏の写真は、こうした「信」と「勇気」の結晶であった。

 何事であれ、一人の人間が生命を賭して作り上げたものは、その光を失わない。臆病であったり、安直な姿勢、生半可な決であっては、何事も成し得るものではない。

 沢田氏の人生は決して“要領のいい”、いわゆる“上手な”生き方ではなかったかもしれない。しかし、誰がなんと言おうと、断じて己の信のままに進んでいく逞しい生きざま――私はここに、青年の生き方にとっての大切な示唆があるようにえてならない。

 いわんや、私どもの広布の前進は、この「信」の極致ともいうべき「信」の歩みである。私もこの法戦の舞台にあって、青年時代から今日まで、一歩も退くことなく戦い続けてきた。そして、一切を勝利の歴史で飾ってきたつもりである。その命を賭した青春の日々に、何の後悔もない。

 どうか、青年部の諸君も、広布への揺るぎない「信」と「勇気」をもって、それぞれの舞台、それぞれの分野で第一人者を目指して前進していただきたい。


【第13回全国青年部幹部会 1989-03-04 創価文化会館


「これほどの日本人がいたとは!」――ピュリッツァー賞を受賞した「安全への逃避」という写真に見覚えがあったものの、沢田氏のことは全く知らなかった。戦地を駆け巡った彼は、カンボジアの地で凶弾に倒れた。享年34歳。


 今時の戦争ジャーナリズムは、一攫(いっかく)千金を狙って禍々(まがまが)しい瞬間を狙う。だが、優れた戦争ジャーナリズムは、戦地の真実と、それでも生きてゆかねばならぬ民衆の悩を鋭くえぐり取る。


 戦地にあって兵士に先んじて進む覚悟が、広布最前線を走る私にあるかどうか? 今、読んでも沢田氏の生きざまが胸に迫ってくる。信とは、いつ斃(たお)れても後悔しない完全燃焼の生き方だ。沢田氏に後悔の暗い陰は微塵もなかったことだろう。


「私を見よ!」という日々の闘争ができているかどうか。確認すべきはこの一点のみである。人を恃(たの)む気持ちが少しでもあれば、そこから不平不満が生ずる。


 広宣流布のために戦う自覚があるならば、自分が走り抜く地域は戦地である。その緊張と自覚が、未然に事故を防ぐ。


 先生は、夫人のサタさんからの要請を受けて、写真集の序文を綴られた。


 一瞬、私のは止まった。私のは泣いた。私のは炎となった。

2005-05-05

二つの顔をもつ“万里の長城”


 万里の長の建設。そこにみられる「民を守る長」という理と、「民をしめる長」という現実――この深刻な落差に民衆の悲劇があった。

 次元は異なるが、私どもは一生成のために道修行をしている。また、世界の人々の幸福のためにも、広宣流布を進めている。道修行にも、広布の戦いにも、数々のはある。幸福という理と、道修行という労の現実との“落差”に悩む人もいるかもしれない。

 しかし、道修行、広宣流布のための労は、幸福を築くための労である。それは理と現実の“落差”ではなく、幸福のための“直道”なのである。

 このように道修行や広布のための労はある。だが、信以外のことで利用され、しむ必要はない。

 これまでも、純粋で真面目学会員を利用して、自分たちの邪(よこしま)な目的を成し遂げようとする黒い動きがあった。今後もそうした動きが必ず起きてくるだろうが、もはや絶対に許してはならない。それらを許せば結局、学会員がしむことになり、信の世界を濁らせてしまうからである。


【第14回本部幹部会 1989-02-20 神奈川文化会館


 数百万人を超える民の役(くえき)によって万里の長は成った。平易な言葉の奥深くに込められているものは重い。


 我々の立場でいえば、万里の長とは組織といえよう。会員を守るべき組織が、時に会員をしめる場合がある。本気で家庭指導に徹し、会員から信頼され、慕われているリーダーであれば、知悉(ちしつ)していることだろう。組織主義の悪弊に慮しながらも、これを革命できる人のみが本物の後継者である。


 針が落ちる音も聞き逃さない姿勢で、会員のを澄ませば、人々が抱える悩をすくい取ることができる。相手のを解きほぐし、何が何でも御本尊に向かわせる。そして、しかるべき手を、断固たる態度で次々に打ってこそ、幹部の存在が光る。また、こうした作を通して、周囲の幹部達をふるいにかけることもできる。


 ここで注しなければならないのは、手を打つようにみえながら、単なる情のレベルになってしまう人が大半であることだ。手を打つというのは、相手が動く方向にもっていかねばならない。テクニックというと、あざとく聞こえてしまうが、コツがあるのは確かだ。交渉力とでもいうべき代物。きちっと手を打てない人物は、幹部に対する不平不満を抱いて終わってしまう。こうして、無気力な人物が一人でき上がる(笑)。


 中者に利をじた場合、徹底的に戦わないと駄目だ。完膚なきまでに叩いておかないと、そこで戦う同志の殆どが、無気力な活動を強いられる結果となるからだ。


学会は、人材のでいくのだ!」と戸田先生は言われた。悪しき幹部と戦い、後輩を守り切る人こそが、学会にとっての“”の存在である。この一人がいれば、全員が守られるのだ。

2005-05-04

城の字義


 ところで、「」という漢字には「民を盛(い)れる」という義があるとされている。中国では都市を壁で囲み、その中に民衆も住んでいた。

 また、「」の“つくり”の「成」は、「戈(ほこ)」と「丁(てい/打ち固める)」からなり、「たたいて固め、まとめ上げる」味、あるいは、「戊(ぼ/小刀の一種)」と「丁」、もしくは、「l(十=しゅう)」(幾度も重ねる)からなり、小刀(しょうとう)で何度も削って「つくり上げる、完成させる」味などとされている。

 また、兵器である「戈(か)」を完成させる儀式に由来するとの説もある。

ともあれ、「」は、民衆がそこで安全に暮らせるために、土をもって堅固に築いた外壁である。「民を守る」ところに、その重要な本義があるといってよい。

 戸田先生のお前は「聖」。また、それ以前には「外(じょうがい)」と乗っておられた時期もあった。そののごとく、あらゆるの軍勢から正法を守り、子を守り抜かれた崇高なる「」の存在であられた。

 また、戸田先生は、広宣流布という大法戦の比類なき「大将軍」であられた。とともに、比類なき「大参謀」でもあった。

 しかし、その先生が、可愛い我が学会員、我が弟子がいじめられ、しむ姿をひとたび目にするや、全てをかなぐり捨てて、「一兵卒」となって、我らの中に飛び込み、戦われた。

 かつて、ある支部長が、西神田の旧学会本部での法華経講義を受けて帰る途中、男にからまれてケンカになってしまった。

 それを聞かれた戸田先生はすぐさま飛び出して行かれ、「私の可愛い弟子を、なぜいじめる」と言って、相手に立ち向かっていかれた。

 先生はお身体も弱く、強度の近眼のために足元もおぼつかない状態だった。その先生が猛々しい男を相手に、身の危険も顧みず挑まれていった。そうまでして、その支部長を守ろうとされたのである。

 門下のためには、我が身はどうなってもよい――戸田先生の深き慈愛の姿を、私は幾度となく見てきた。

 皆さまも、尊き子を守り抜くためには決して「臆病」であってはならない。常に「最前線」に飛び込み、「一兵卒」となって毅然として戦う「勇将」であっていただきたい。


【第14回本部幹部会 1989-02-20 神奈川文化会館


 万里の長を通しての指導。西洋のシチズン(市民、または公民)という概は、壁内に住む者として、敵が攻めてきた際に戦うことを義務づけた。は権威の象徴ではなくして、民衆を守るのが本義であると、この時、初めて知った。


 ケンカのエピソードは聖教記者の編集ミス。こうした発見をしたところで、連絡する部署もないところが聖教新聞社の大いなる弱点。


 これは、築地支部の初代支部長・馬場勝種さんの武勇伝で、『忘れ得ぬ同志』(1)でも紹介されている。駅のホームで暴漢に絡まれたのは、戸田先生に同行している幹部だった。殴られたのを見るや否や、戸田先生は「私の弟子に何をする!」と立ち向かっていかれようとされた。直ちに、側近の幹部らが戸田先生を止めた。その時、向かいのホームから疾風の如く走り寄り、暴漢を一蹴したのが馬場さんだった。「馬場君は凄いなあ」と戸田先生が驚かれたほどの腕っ節だった。築地の魚河岸で働く馬場さんは桁外れの怪力だったに違いない。馬場さんは、昭和26年の会長推戴式で司会を務めた人物でもある。


 このエピソードには続きがある。戸田先生は、自分を止めた幹部に激怒されたそうだ。「なぜ、止めたのだ! 可愛い弟子がいじめられている時に、師匠が黙っていられるか!」と火を吐くように叱咤されたという。


 これが師のなのだ。私はこの話を聞いた時、「師とは、何とありがたい存在なのだろう!」と激に身を震わせた。


 大いなる闘争にあって、一兵卒となって戦う幹部こそ、将の中の将である。号令だけの殿様みたいな幹部は進軍の邪だ。

2005-05-03

真実の師弟の関係は“信受”に


 さて、ソクラテスプラトンの関係を一言でいえば、「信受」にあったということができよう。もちろん、他の弟子もソクラテスを愛し、尊敬していた。

 しかし、彼らはどこまでも「自分の常識」の範囲内でソクラテスの偉大さを受け止めていた。ゆえに、ソクラテスの行動が自分の常識から「はみ出る」場合には批判さえした。

 これに対しプラトンは、ソクラテスその人を、そのままに信じ、受け入れていた。ここに真実の師弟の関係があるといえよう。ゆえに、ソクラテスの「魂の種子」は、プラトンの生命の大地に深く根をおろし、やがて限りなく豊かな実を結んだ。この結実は、プラトン自身のものであると同時に、プラトンという土壌を得て、“新たに蘇ったソクラテス”その人でもあった。

 この点、プラトン自身、こう書いている。

プラトンの著作というものはありませんし、これからもないでしょう。世間でプラトンのものと呼んでいるものは、『若く美しくなったソクラテス』のものです」(『第二書簡』/林竹二著『若く美しくなったソクラテス』から)と。すなわち、ソクラテスの死から生まれた新しいソクラテス、それがプラトンであった。

 このソクラテスプラトンの関係は、戸田先生に対する同様のいから、私にはまことによく理解できる。

 かつて私も、しみじみと実していたし、語ったこともある。“私のものは何もない。全て戸田先生という種子から生まれ、私という大地に実ったものだ”と。

 プラトンソクラテスの不二の分身であり、二人を分けることはできない。ソクラテスなくしてプラトンはなく、プラトンによって初めてソクラテスは永遠の人類の宝となった。

「師弟の道」は死をも超える。「師弟の道」こそ、この変転する社会にあって「大いなる魂」の理の光を連綿と受け継ぎ、永遠化させていく唯一の道である。それはまた、いつの時代にあっても、人類の文化的遺産ともいうべき人間の生き方なのである。


【第12回全国青年部幹部会 1989-02-14 創価文化会館


 まったくもって、“書く”という作は過酷だ。多忙になればなるほど、書く気が失せる。私のように単なる“い”を綴るだけでも疲労を覚えることが、ままある。それでも、学会の節目ともいうべき日が訪れると、を決してキーを叩かずにはいられない。


 今日は5.3。戸田先生が戦後の焼け野原に一人立ち上がって、第二代会長となられたのは51歳。師亡き後、32歳の青年会長が誕生した。牧口先生に付き随うこと20年以上を経て、戦前には理事長を務めていた戸田先生ですら尚、会長就任までは出獄から6年を待たれた。しかし、32歳の池田先生はわずか2年余りで、300万世帯の創価学会を築かれた。


 戸田先生は、池田先生に対して、それはそれは厳しい訓練を課せられた。「第三代会長を支えれば、必ず広宣流布は成る」との確信があったればこそだった。それこそ、いじめ抜くような場面もあったにちがいない。その一端を私は知っているが、書くのもはばかられる内容だ。なぜなら、常識外れの怒や叱責が、信弱き同志に不信を与えるからだ。


 記すべき5.3に、この指導を紹介するのが実に不議だ。この指導によって私は、自分が抱いていた師弟不二への考えが、どれほど甘いものであったかを衝(つ)かれたいがした。我々は口では「先生、先生」と森昌子みたいに言いながら、平気な顔で休んだり、怠けたり、インチキをしたりする。そこには、自分勝手な師弟像をつくり上げ、師匠を自分のために利用するような根が見え隠れしている。


 ソクラテスの行動が自分の常識から「はみ出る」場合には批判さえした。


 これが現実のものになったのが、昭和54年(1979年)の会長勇退であろう。“時流に従った”臆病な最高幹部どもが、民衆から先生を奪ったのだ。


 信とは、妙法を信じるだ。そして、自分の生命に妙法を薫発させ、他の生命から妙法を引き出す実践だ。


 爰(ここ)に日蓮いかなる不議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり(1243頁)


 曼荼羅が「法華弘通のはたじるし」であるならば、弘通されるべき妙法は、人間と人間との間に脈々と流れ通う。つまり、信とは、人間信頼の究極の所作なのだ。そして、その原理・方程式は師匠というフィルターを通さなければ、我々は知ることができない。否、信ずることができないのだ。


 妙法への絶対不動の信は、慈悲の発露となって行為に現れる。先生の日常の振る舞いがそれを示している。


 昭和35年53日の、小林町の自宅にて先生は歌を詠まれた。


 負けるなと 断じて指揮とれ 師の

     己(おの)が生命(いのち)に 轟き残らむ


【『大白蓮華2005-05号】


 師のが、自分自身の内部で生命の反響となってづいているかどうか――。宙に師の慈眼をい描きながら、東京中を駆け巡りたい。今こそ、“創価のプラトン”となって立ち上がる時だ。