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2005-06-29

 『グリーンマイル』


 先日、『グリーンマイル』を見た。原作はベストセラー作家のスティーヴン・キング。『ショーシャンクの空に』で一気に階段を駆け上ったフランク・ダラボンが監督。実は、トム・ハンクス主演の映画を見るのはこれが初めて。ストイックな風貌が中々いい。ミルコ・クロコップが格闘技をしてなかったら、こんな顔だったかも知れない。


 タイトルとなっているグリーンマイルとは、19世紀前半のコールド・マウンテン刑務所において、死刑を執行される囚人が歩く床を指している。映画全体はハード・ファンタジーといった趣で、ジョン・コーフィという不議な囚人を回する物語。


 3時間の長尺物だが一見の価値はある。


 この映画に描かれた一つのメッセージだけを切り取っておこう。あらゆるものを蘇生させる能力を持った男は、他人と完全に同する生命の持ち主でもあった。つまり、この作品は菩薩の一分を描ききった点で評価できるのだ。ファンタジーが好きとか嫌いとかいった趣味的な判断は無視してしまえ(笑)。


 だが底、残なことに彼は地涌の菩薩ではなかった。情を吐露するシーンは、単己の菩薩(眷属のいない菩薩)の悩をわせるほどだ。ここには純粋な味での指導者の悩がある。


 他人のしみをまともにじ取る彼は言う――


「いつも頭の中にガラスの破片が刺さっているようだ」


「俺は疲れた。旅を共にする友達もいない」


「毎日、世の中のしみをじ、聞くことにも疲れた。もう耐えられない」


 劇的なまでに他人を蘇生させる力は、これほどのしみによって支えられていた。正義によって立った者が、例外なく辿りつく断崖絶壁ともいえよう。これを見た時に、学会員であれば直ちに気づくことだろう。妙法と師匠と同志の存在を欠いて、世界を革命することはできないことに。


 そして映画を見終えて、また一つった。本化地涌の菩薩であるならば、彼以上の悩を我が身に引き受ける覚悟が求められる、と。


 先生は以前こう書かれた――


 所詮 真の指導者とは

  自分をしめぬいて

   振る舞いゆく異かもしれない


【『若き友へ贈る』 1978-05発行】


 単なるいつきなどで出てくる言葉ではない。自らの実践によってしか紡(つむ)ぎ出されることのない光沢に満ちている。これほどの深い指導者がどこに存在するだろう。


 我々池田門下生は、師弟という生命の紐帯(ちゅうたい)を更に堅固なものとするために、民衆の中に飛び込み、勇んで闘しゆく青春であらねばなるまい。


グリーンマイル SPECIAL BOX


グリーン・マイル〈1〉ふたりの少女の死 (新潮文庫) グリーン・マイル〈2〉死刑囚と鼠 (新潮文庫) グリーン・マイル〈3〉コーフィの手 (新潮文庫) グリーン・マイル〈4〉ドラクロアの悲惨な死 (新潮文庫)

2005-06-28

公明党(責任政党)と民主(無責任)・共産(ウソ・デマ) ここが違う


 公明党は、生活者の目線に立った政策を立案し、着実に実現している責任政党です。パフォーマンスばかりで無責任な行動が目立つ民主党、ウソやデマ宣伝ばかりで政策実現力ゼロの共産党との違いは歴然です。73日(日)投票の都議選はいよいよ中盤戦に突入。政党の違いを明確にしてみました。


公明党は「実現力」No.1の党


ネットワークを生かし 地域のを政策に反映


 政党の命は政策実現力です。公明党は連立政権に入り6年目を迎えましたが、経済を再生し、生活者の目線で政策を着実に実現してきました。地方議員と国会議員が連携し、政策実現システムが機能するネットワーク型政党だからです。都議会公明党は児童手当拡充や乳幼児医療費無料化などを推進し、全国をリードしてきました。



 児童手当は、東京都が1969年に創設し、72年に国の制度になったもの。今や「小学3年生」まで拡充され、支給対象者は938万人と5年前の約4倍に増えました。



 税金のムダ遣い一掃は公明党の“お家芸”です。都政では、外郭団体の統廃合で957億円を削減(2000年度から4年間)し、天下り役員の退職金も廃止。都職員の通勤定期も割安な6カ単位に改め、約23億円節減しました。



 他党の追随を許さない公明党の女政策。3年間で公立病院に約100カ所の女専門外来を設置(都内では大塚、墨東、府中の各都立病院などに設置)。5には「女専用車両」が首都圏の鉄道各社で一斉に導入され大好評。


 公明党は、やっぱり「実現力」ナンバー1の党です。


民主党 パフォーマンスだけの「口先政党」


児童手当をはじめ、言うこととやることが正反対


岡田代表にはデタラメ発言で懲動議が


 民主党は、2000年の児童手当拡充(小学校入学前まで)に反対。01年参院選や03年統一地方選で「子ども手当」拡充を叫び、児童手当に賛成。04年の児童手当拡充(小学3年生まで)でまた反対。驚いたことに今回の都議選では、都独自の「子ども手当」の上乗せ支給を公約。言うこととやっていることがまったく違う。選挙目当てで政策をコロコロ変える政党に政策実現は期待できません。



 党代表発言もデタラメです。岡田克也代表は国会質問で、公明党の冬柴鉄三幹事長の社会保障両院合同会議出席を「私の調べたところによると3回のうち1回」と中傷。公明党は「事実は4回のうち3回だ」と即刻抗議し、謝罪と議事録削除を要求。与党からは公党の誉を傷つけたとして、懲動議も出されています。


共産党 ハイエナどころか“実績ねつ造


「実績ゼロ」で大型選挙で6連敗。党勢の凋落止まらず


“ハイエナ”どころか“実績ねつ造”まで発覚


 共産党は21世紀に入ってからの大型選挙で6連敗。党勢凋落に歯止めをかけようにも実績がなく、他人の実績を横取り(ハイエナ)して、ひんしゅくを買っています。



 都政では、世田谷区内でまかれたビラで“実績ねつ造”が発覚。都下水道局に水害対策を「約束させました」との大ウソを公明新聞によって白日の下にさらされるや、機関紙「しんぶん赤旗」紙上で40日遅れのしい反論。ところが逆に、いかに“ねつ造”したかの舞台裏を暴露してしまうという醜態を演じました。



 共産党が“実績”だと言い張る都の乳幼児医療費の無料化も、都民をごまかす実績“横取り”です。実効ある取り組みもなく、無料化を盛り込んだ都予算案に反対しながら“実績”という厚かましさは、この党の独善的体質をよく表しています。


公明党は「現場第一主義」の党


JR脱線事故 いち早く現場に、再発防止策も


 公明党の一貫した政治姿勢は「現場第一主義」です。災害や事故、地域の細かい課題まで、だれよりも現場に入り、困っている人のを傾け、解決に全力を尽くすのが公明党議員です。



 昨年(2004年)の新潟県中越地震においては、被災者を速やかに政府に要望し、きめ細やかな対策をリード。インド洋大津波災害でも、大晦日から、どの党よりも早く現地調査団を派遣し、被災者支援に取り組みました。



 100人超の犠牲者を出す大惨事となった兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故でも、現場に真っ先に駆けつけた国会議員は公明党の冬柴鉄三幹事長。その直後に到着した北側一雄国土交通相(公明党)とともに緊急の対応策を調査。また、地元の公明党議員も救援活動や情報収集などに奔走しました。



 公明党は、脱線事故を教訓にした再発防止策にも真剣に取り組んでいます。北側国交相の陣頭指揮により、急カーブへのATS(自動列車停止装置)設置義務付けなど輸送機関の安全確保対策が着実に前進。鉄道各社も、6末までにATSの整備計画を策定することになっています。


民主党 大事故よそに宴会・ゴルフ


事故当夜は宴会、追悼式をよそに国会議員17人が現場近くでゴルフ


“やらせ質問”で都議会会派が分裂


 都政の焦点は「安全」「安」の街づくり。人命に「鈍」なら、人の痛みがわからない人達に政治家の資格はありません。JR脱線事故の当日夜、福知山線沿線を選挙地盤とする民主党衆院議員が、よりによってJR西日本の車掌らの宴会に出席していました。被害者の追悼式が数多く営まれていた日には、事故現場近くで民主党17人と議員のOB2人がゴルフ大会に興じていたことも発覚し、怒りのが沸き上がりました。



 都議会では、民主党都議が副知事から働きかけられた“やらせ質問”を行い、都政を混乱させました。この騒動を解明するための百条委員会に、都議会民主党は証人の出頭を拒否。執行部の対応に不満を表明した議員を会派から除するなど、都議会民主党は分裂状態に。こんな党に都政は任せられません。


公明党は「政策」で勝負する党


安全・安の東京へ多彩なプラン提言


 一人ひとりの議員が膝詰めの「住民相談」に真剣に取り組み、現場の“生の”を政策として練り上げ、政治に反映させていく――これこそが政策で勝負する「政策実現政党・公明党」の伝統です。


 


 都議会公明党は、大地震など自然災害による被害を最小限に抑え、多発する犯罪から住民の暮らしを守る「新プラン」を提言、“安全・安の東京”の構築に全力で取り組んでいます。都議会公明党の提案で96年に発足した「ハイパーレスキュー隊」(東京消防庁)は新潟県中越地震などで活躍しています。



 建物の耐震化促進のために、民間住宅の耐震診断への助成制度を創設して個人負担を2分の1に軽減。耐震改修の工事費にも補助制度をつくります。災害現場での救命処置を行う災害医療派遣チーム「東京DMAT」も増強します。



 空き交番ゼロ作戦を展開するとともに、警察への通報機能を備えたスーパー防犯灯や、防犯カメラも増設。スクールガード(学校安全警備員)を公立の全小学校に配置します。


共産党 都議選政策でも「ウソ・ごまかし」


都合のいいデータ誇張は“おいしいとこ取り”の常套手段


問題多い「30人学級」でも、ごまかし


 東京都の福祉関係費と開発関係費について、図的に00年度から03年度だけの数字を使い、「福祉けずり、ムダは拡大」と他党批判。しかし、他の期間まで広げて見ると、共産党の主張はまったくのデタラメ。都議選向けの重点政策の中でも、都に福祉関係の補助金800億円削減計画があるとの大ウソも。



 共産党は、公立小中学校の学級規模について「30人学級」を主張しています。その実体は、「30人程度の学級」とは味合いがまるで異なり、無理やり1クラス30人以下の枠にはめ込む方式で、たとえば児童生徒が31人いれば15人と16人の2クラスに分割してしまうという考え方であることを、都民に対して一言も説明していません。共産党の言う杓子定規な「30人学級」を導入した場合、1クラスの規模が適切でなくなる上、クラス数がどっと増えて財政負担なども膨大になるため、中央教育審議会義務教育特別部会では「学級人数に下限を設ける必要がある」「ドイツのように標準に幅を持たせるべき」など見が多く出ています。


その場しのぎ、隠ぺい体質――民主・共産は呆れた不祥事が続発!


民主党 28人逮捕、国会議員6人が辞職


民主党の不祥事が後を絶ちません。68日に民主党の党本部職員が痴漢行為の疑いで逮捕されましたが、その3日後の11日には、北海道・苫小牧市内で鳩山由紀夫・元党代表(衆院議員)の私設秘書が酒気帯び運転でタクシーに衝突し道交法違反容疑で逮捕されました。2000年4以降、5年間で、所属の議員や秘書に限っても、28人が刑事事件で逮捕されています。



 秘書給与のピンハネ、覚せい剤不法所持、傷害、痴漢、盗撮、婦女暴行、買収など犯罪のオンパレード。特にカネがらみの選挙違反事件は01年の都議選での買収事件以来17件、逮捕者総数は少なくとも56人にも及び、これら不祥事によって6人もの国会議員が辞職に追い込まれています。



 なぜ、民主党内から「女の敵」「社会の敵」が続発するのか。モラルの欠如という体質問題と同時に、不祥事のたびに謝罪はしても「口先だけ」でその場しのぎに終始してきたからではないでしょうか。猛省すべきです。


共産党 医療事故、痴漢、強制わいせつで逮捕者


 選挙が近づくと患者そっちのけの違法な選挙運動が行われていると指摘されている共産党系の民医連病院で、医療事故が相次いでいます。民医連の川崎協同病院で医師が入院患者に筋弛緩剤を投与し死亡させた事件をはじめ、東京・大田区の大田病院での患者死亡事故など後を絶ちません。



 今年(2005年)4、医師で共産党の元衆院選候補(東京12区)が女子高生に痴漢行為をしたとして逮捕、釈放されていたことがマスコミ報道で判明。また、昨年(2004年)4、強制わいせつの現行犯で中野区前委員長が逮捕、今年(2005年)3に有罪判決を受けました。こんな政党に「医療」や「教育」を語る資格はありません。



 共産党は2年前にも、書記局長代行の筆坂秀世参院議員がセクハラ行為で議員辞職。真相解明がないままの幕引きに対し「封印 箝口令(かんこうれい)……変わらぬ秘密主義」などと厳しい世論の批判を受けました。続発する“女の敵”の不祥事について共産党がきちっとした説明をしたことはなく、同党の反省なき隠ぺい体質が問題視されています。


【公明新聞 2005-06-28付】

神崎代表 名誉毀損で平野氏ら告訴


事実無根の「セクハラ」記事で


公明に対する選挙妨害 訂正と謝罪も要求


 公明党神崎武法代表は27日、講談社発行の『週刊現代』が「神崎武法『向島醜聞』告発の行方」との表題で、神崎代表が向島の天ぷら料理店で女にセクハラ行為を行ったとの平野貞夫氏による虚偽の発言を一方的に掲載したことに対し、「全く虚構の事実をあたかも真実であるかのように記載して誉を著しく棄損した」として、誉棄損罪で『週刊現代』発行人・渡瀬昌彦氏らと、同記事で虚偽の事実を述べた平野氏について、東京地方検察庁に告訴状を提出した。


 また、同記事のもととなった平野氏の著書である「公明党創価学会の真実」については24日に、同じく誉棄損罪で、著者の平野氏と発行人である講談社・野間佐和子氏について東京地方検察庁に告訴状を提出した。


 さらに公明党の漆原良夫広報委員長は27日午後、講談社『週刊現代』の編集部を訪れ、抗議文を渡した。


 抗議文では、神崎代表に関する記述に関して、22日の同編集部からの質問に対し、23日に神崎代表に確認のうえ「全く事実無根であり、怒りを禁じえない。直ちに刑事告訴する」と文書で回答したにもかかわらず、神崎代表の誉を著しく棄損する平野氏の主張をそのまま一方的に掲載しており、「余りにも偏った無責任な編集態度」と糾弾。


 また、同記事が公明党について、「公明党執行部は過激なサービスを行う新宿の韓国料理店が大のお気に入りだった」「当時の公明党議員はマドリッドで買春行為に耽った」などと、公明党に何らの取材要請もないまま、平野氏の一方的な主張を記載したことに対しても、「公明党として調査した結果、全く事実に反する」と指摘。


 そのうえで、都議選の期間中に神崎代表と公明党関係者の事実無根のスキャンダル記事を掲載し、新聞広告、中吊り広告で喧伝することは、「公明党に対する重大な選挙妨害であり、断じて許されることではない」と厳重抗議し、該当記事の訂正と謝罪を求めた。


【公明新聞 2005-06-28付】

真実と正義を繰り返し叫べ


 下村(湖人)氏は警鐘を鳴らした。

「どんなうそも、くりかえしといていると真理と信じられがちなもの」であると(『下村湖人全集 7』国土社)。

“嘘も百回言えば本当になる”というのが、邪悪な人間の常套手段である。

だからこそ、下村氏は「どんな真理も、くりかえし説かないと、真理とは信じられないものである」(同)と訴えたのである。

 いつの時代も、何が真実で、何が嘘かを、きちっと見極め、正義を主張していかなければ、嘘は人々のの奥深くにはびこってしまう。

 ゆえに、「嘘」に対しては、迅速に「否定」し、明確に「反論」し、そして徹して「追撃」していくことだ。

 繰り返し繰り返し、真実を言い切り、正義を叫び切っていくことだ。


【第2総東京代表協議会 2005-05-21 東京牧口記会館


 嘘は人々のを放射能のように蝕む。判断力を失った者は、“火のないところに煙は立たない”と単純にい込む。像力の貧しい人物に限って、噂話の類いを鵜呑みにするものだ。


 山火事いきや、花粉だったという話が、現実にあった。煙の正体が水蒸気かも知れないし、ただの煙幕ということもあろう。ドライアイスでも煙のように見せることは可能だ。大体だ、“火のないところに”なあんて、ぬかしてやがるが、十分な酸素があれば、煙は立たない。つまり、“火があっても、煙が立たない”こともあるのだ。


 人類が犯してきた大罪の数々は、嘘によって支えられてきた。ユダヤ人の大量殺戮然り。中世の女狩り、また然り。


 戦時中、ナチスに抵抗し、ダッハウ収容所から奇蹟的に生還を果たしたマルチン・ニーメラー牧師が、次の言葉を残している。


 ナチスが共産主義者を攻撃したとき、自分はすこし不安であったが、

 とにかく自分は共産主義者でなかった。だからなにも行動にでなかった。


 次にナチスは社会主義者を攻撃した。自分はさらに不安をじたが、

 社会主義者でなかったから何も行動にでなかった。


 それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人等をどんどん攻撃し、

 自分はそのたびにいつも不安をましたが、

 それでもなお行動にでることはなかった。


 それからナチスは教会を攻撃した。

 自分は牧師であった。だからたって行動にでたが、

 そのときはすでにおそかった。


【『現代政治の思想と行動』丸山真男(未来社)】


 ここには、人間への無関が、数百万人の命を奪ったことに対する慙愧(ざんき)のが込められている。大聖人が、与同罪を戒められたのも、無関への警鐘に他ならない。


 嘘やデマが木っ端微塵になるまで語り抜こう。我々の言論戦が、正義という骨格を社会に与えることを確信して。

オーストラリアを海外視察した共産党都議


カジノに足を運び、見しい言いわけ


西●かたや、相も変わらず的外れな「他党批判」と「実績ねつ造」に明け暮れている連中がいるな。


梶岡●もちろん、共産党だ(大笑い)。


谷川●共産党は前回の都議選で大惨敗した。肝の「実績」がないからだ。あるのは「何でも反対」と「他党の悪口」ばかり。完全に都民から見放された。


棚野●そのうえ全く反省がない。いまだに口を開けば悪口ばかり。有権者は前回にもまして、呆れ果て、バカにしきっている。


杉原●世田谷でも、他党の悪口だらけのバカげたビラが10種類以上も配られていますよ(爆笑)。なかには両面カラーのビラまである。「これこそ紙の無駄遣いだ」と、区民もゲラゲラ笑ってますよ。


梶岡●先日も、わざわざ共産党の委員長が世田谷に来た。「海外視察」がどうのこうの話していったようだ。


棚野●バカバカしい。「海外視察」には共産党の議員も行っているじゃないか(爆笑)。


青木●まったくバカバカしい。もっと他に、訴えたいことはないのかね(大笑い)。


棚野●区民が黙っていると、いい気になるから、ハッキリさせておこう。都議会の共産党も他会派と同様、公費で海外に行っている。2001年11にはオーストラリアを訪問した共産党都議もいた。


西●それにまた、さんざん自分たちで批判している“五つ星ホテル”にも、ちゃっかり泊まっている(大笑い)。紛れもない事実だ。


杉原●そのうえ、その共産党議員はカジノにも、行っていたというじゃないの(笑い)。


棚野●それがバレると「突然知らされた」だの「事情も知らずに連れて行かれた」だのと必死に言い訳している。


谷川●見しい限りだ。誰も信じない(大笑い)。


西●あまりにも、ひどいやり口なので、自民、民主を含めた全会派から、共産党に非があがっている。


谷川●当然だ。調子に乗るんじゃないよ!


棚野●世田谷区選挙区で出ている共産党公認の都議候補も、実は1997年11、公費でオーストラリアに行っている(笑い)。


梶岡●結構、楽しそうに海外に行っていたようじゃないか。バカバカしい(大笑い)。


西●自分たちのことは「頬かむり」。そのくせ、鬼の首でも取ったみたいに、他党の悪口、中傷、批判。この独善! これが区民から嫌われるんだ。


棚野●その通りだ。有権者が望んでいるのは「政策を実現する人物」だ。「何でも反対」「他党批判」「謀略ビラ」「実績ねつ造」じゃない。いまだに、それに気づかない。


梶岡●しょうがないよ。あそこは、どこにも味方がいない。他党と対話する度量も、懐の深さもない。交渉する知恵も勇気もない。逆立ちしたって、立派な実績なんか、つくれっこない(爆笑)。


聖教新聞 2005-06-28付】

任期途中で区議を辞め、都議選に立候補


醜い出世欲


谷川●ところで、今回の都議選では、世田谷区選挙区で民主党の立候補者が3人もいる。


杉原●そのうち2人までが、区議を任期途中で辞めて、都議選に転がりこんできた連中です。


西●ふざけたやつらだ! 区民を何だとってるんだ!


梶岡●2年前の統一地方選挙で、世田谷では民主党から7人の区議が当選した。

杉原●しかし、現在までに1人が買収容疑で逮捕されて辞職。1人が離党。


棚野●そして、今回の都議選に、2人が立候補。結局、民主党の区議団は7人から3人に減った。


西●常識では考えられない政党だな!


谷川●区議から都議に鞍替えを狙う2人のうち1人は、区議になってまだ2年だ。1期もやらずに、サッサと都議選に出馬だよ。


西●選挙の時は「当選させてください」「皆さんのために働きます」とかなんとか言って、区議になった。その舌の根も渇かぬうちに、鞍替えだ。調子のいいやつだ。


青木●だいたい、どうして都議選に3人も出したんだ?


棚野●民主党の国会議員が、世田谷に来るたびに言っている。“今回の都議選に3人が立候補したのは、二大政党制の流れを強くするためです”と、ギャーギャー騒いでいる(大笑い)。


梶岡●それがどうした。だったら何だ。なんで区議が2人も辞める必要があるんだ? 鞍替えする必要があるんだ? 有権者愚弄じゃないか。


棚野●それにまた、世田谷の民主党都議候補のうちの1人が、告示目前の街頭演説中に警察から厳重注を受けた。


西●選挙違反か。


棚野●選挙運動期間に入ってもいないのに、本番用のタスキをかけて街頭に立っていたんだ。


梶岡●「民主党公認」と書いてあるタスキをつけて話していた。


西●明確な公選法違反じゃないか。


杉原●何やってんの! 本番用のタスキをつけるなんて、共産党だってやりませんよ(大笑い)。


棚野●それで厳重注(大笑い)。有権者をナメている。


杉原●何が「政権準備政党」よ。選挙運動のイロハも守れないくせに、よく言えるわね(大笑い)。


梶岡●一事が万事だ。世田谷区民のことを本気で考えているのなら、まず区議として、しっかり仕事をしろ。それを、途中で放っぽり投げる。揚げ句、公選法違反までして都議の座を狙う。冗談言っちゃいけないよ(大笑い)。


西●その通りだ。そんなのに限って、都議になったらなったで「次は国会議員に」なんて言い出す(笑い)。


青木●こんなことだから「あそこは地方議会は国会への踏み台にしかっていない」とバカにされるんだ。有権者が賢明になることだ。鋭く見破らないといけない。


聖教新聞 2005-06-28付】

人類の歴史は虚偽と真実の戦い


 モウラン博士が厳然と貫いてきた信は、いったい何か。それは、「真実の探求」であります。

 人類の歴史は、一次元から見れば、虚偽と真実の戦いであったといっても、決して過言ではありません。

 特に人間のが濁れば濁るほど、争いや論争が絶えない時代となります。

 貴国の有な戯曲「とぶどう」(ギリエルメ・フィゲイレド作)に描かれている通り、言葉を生み出す人間の舌は、「いさかいの原因」にもなれば、「結合の力」にもなる。「ごまかしの発端」にもなれば、「学問の鍵」にもなる。そして、「陰謀と策略の源」にもなれば、「真実と理の武器」にもなります。(牧原純編訳『ブラジル戯曲選』を参照、未来社)

だからこそ、正しき「」の力を、徹して強め、高めていかねばならない。

 貴国の文豪マシャード・デ・アシスは、「われわれは言論の剣術が大好きだ。そして、悪に打ち勝つ、確固たる美しい言葉の一撃に喝采を贈るのだ」と、正義の言論の戦いを、朗らかに促しております。


 法においても、破邪顕正の言論戦を決しゆく要諦が、様々に説かれています。

 それは、敵を「せめ返し・せめをとし」(502頁)と御文にあるように、「反撃の力」「破折の力」を持つことであります。

 更に、「然れどもいまだこりず候」(1056頁)と仰せのごとく、不屈の「忍耐の力」を発揮することです。

 そしてまた、「いよいよ・はりあげてせむべし」(1090頁)との御聖訓のままに、ますます「執の力」を奮い起こして勝ち抜くことであります。


【ブラジル歴史地理院誉外国会員」、ブラジル哲学アカデミー「在外会員」称号授与式での謝辞 2005-05-26 創価国際友好会館


 民主党が共産党に迫る勢いで嘘を垂れ流している。人は、堕ちるところまで堕ちると、なりふり構わず、毒のような言動をまき散らすとみえる。あまつさえ、ジャスコ岡田率いる民主党の候補の中には、日顕宗と結託する者まで現れた。“敵の敵”であれば、相手を選ばないというのは、窮地に陥っている証拠でもある。向こうも必死だ。甘言をもって取り入る卑屈な姿は、さながらの如し。


 我々は怒りをもって、立ち上がろうではないか。そして、戦いは“強い方”が勝つことを忘れてはならない。“民衆のための政治”という大義を掲げながら、ふてぶてしいまでの強さを発揮して、デマを蹴散らしてゆこう。


 いずれにせよ、油断したところが負ける。最後の最後まで攻め切ったところが勝つ。


 昨日、学会本部にて、交流で上京したメンバーと会う。新館では、全国各地の方言が飛び交い、1万もの同志が気揚々と集っていた。信濃町の大地が激しく揺れているような覚にとらわれた。

2005-06-27

先生利用


「先生に近い」ということを自分の権威づけにしている幹部がいる。先生を利用して、自分を大きく見せたがるような手合いだ。虎の威を借るの如し。かような幹部は、必ず退転するので放っておいてよし(笑)。

2005-06-25

民主・岡田代表の懲罰動議提出


冬柴公明党幹事長への事実誤認の中傷発言で自公両党


 自民、公明の与党両党は24日午後、民主党の岡田克也代表(衆院議員)が事実誤認に基づく国会質問で公明党の冬柴鉄三幹事長を中傷し、公党の誉を傷つけたとして、岡田氏の懲動議を衆院に提出した。


 岡田代表は、22日の衆院決算行政監視委員会での質疑の際、与野党5党の「社会保障制度改革に関する衆参両院合同会議」に関連して、「冬柴幹事長は、私の調べたところによると3回の協議会の中で、最初の1回しか出てこない」と述べ、あたかも冬柴幹事長が同会議に真剣に取り組んでいないかのような印象を与える発言を行った。


 しかし、冬柴幹事長は、同会議の構成を決めた初会合を含め計4回開催された同会議に3回出席しており、岡田発言はまったくの事実誤認。デタラメな発言で冬柴幹事長並びに公明党誉を著しく傷つけたことは極めて悪質であり、懲に値するといえる。


 これに関して、公明党神崎武法代表は22日午後の記者会見で、岡田発言について「岡田代表が、冬柴幹事長(の出席)に対し正確な調査もせず、テレビ中継を利用して、国民に重大な誤解を与えたことは断じて容認できない」として、岡田代表に対し厳重に抗議するとともに、全面的な謝罪と岡田発言の議事録削除を求めていた。


【公明新聞 2005-06-25付】

2005-06-23

民主・岡田発言に厳重抗議 神崎代表


事実誤認で公明党中傷


謝罪、議事録削除を強く要求


 公明党神崎武法代表は22日、国会内で記者会見し、テレビ中継された同日の衆院決算行政監視委員会で民主党の岡田克也代表が、事実誤認に基づいて公明党の冬柴鉄三幹事長を中傷する質問をしたことに対し、同代表を厳しく批判した。


 岡田代表は、同委の質疑の中で、与野党5党の「社会保障制度改革に関する両院合同会議」での協議に関連して、「冬柴幹事長は、私の調べたところによると3回の協議会の中で、最初の1回しか出てこない」と指摘、あたかも冬柴幹事長が同会議に真剣に取り組んでいないかのような発言をした。


 これに対し神崎代表は、これまで同会議の会長などを選出した初会合を含め計4回開催された会議のうち、冬柴幹事長が3回出席している事実を示した上で、「岡田代表が、冬柴幹事長(の出席)に対し正確な調査もせず、テレビ中継を利用して、国民に重大な誤解を与えたことは断じて容認できない」と厳しく批判。


 さらに、民主党が「小泉首相が17日の衆院本会議に酒気を帯びて出席した」と一方的に決めつけ、事実を確認せずに首相の懲動議を提出したことに言及。「公明党にも全くウソのことを公言するのは何らかの図があってのことと考えざるを得ない」と述べ、岡田代表に対し強く抗議するとともに、全面的な謝罪と岡田発言の議事録削除を要求した。


 また神崎代表は、「民主党は連休後の5中に与党が(合同会議の)開催を働き掛けても一度も開こうとしなかった。姿勢を問われなければならないのは民主党であり、他党の出席状況を批判する資格は毛頭ない」と糾弾した。


 一方、同日午後の衆院議院運営委員会の理事会で公明党の遠藤乙彦氏は、同日の決算行政監視委員会での岡田発言に対して、厳重に抗議するとともに同氏の謝罪を要求。今後、決算委理事会で取り扱いを協議することになった。


新追悼施設調査費 世論も見極め結論


相談あれば首相に見表明 神崎代表


 公明党の神崎武法代表は22日午後、国会内で記者会見し、記者団の質問に答える形で、小泉純一郎首相が日韓首脳会談で「検討」を表明した新たな無宗教の国立追悼施設の建設問題などについて見解を述べた。


 神崎代表は、同追悼施設建設に向けて、「私個人としては(来年度予算案に)調査費を要求してもいいのではないかと考えている」との認識を改めて示した上で、追悼施設建設の調査費要求に関する党の判断については、「調査費を求める時点における世論の動向、全体状況を踏まえて、党内でしっかり議論して結論を出したい」と強調した。


 また、22日の衆院決算行政監視委員会での小泉首相の同追悼施設の調査費に関する答弁に触れ、「首相は調査費をつけるかつけないかを含めて与党とも相談すると言われた。いずれ首相から話があるとうので、その際には私どもの考え方をきちんと申し上げたい」との考えを表明。党内での検討時期については、「(来年度予算案の)概算要求の際に、調査費も含めるのかどうか検討することになるのではないか」との見通しを示した。


【公明新聞 2005-06-23付】

2005-06-20

永遠に若き青春の心であれ


 学会はこれまで若かった。若いがゆえに力があった。希望があった。みずみずしい生命力もあった。

 その力がを越え、怒涛を越えて、広宣流布への大道を開いた。風雨があっても、嵐があっても、たくましい生命力で代償を求めず戦ってきたがゆえに、壮大なる広宣流布のが出来上がった。

 しかし、私を始め、多くの最高幹部は老いてきた。自然に肉体的にも弱くなり、精神的には受け身となる。ともすると、学会のたくましく、力強い前進の足音が弱まっていくことがあるかもしれない。

 だからこそ私は申し上げておきたい。「信とは、永遠に若き『青春の』でなくてはならない」と。


【第2東京支部長会 1987-10-11 立川文化会館


 既にいくつか紹介してきた『今日より明日へ』(1)の冒頭に収められた指導。今、読み返すと、本当にこの指導の重要が理解できる。


 この時、先生59歳。「老いてきた」というほどの年齢ではない。つまり、これは、会長勇退から8年を経て、漫然と年を重ねてしまった多くの幹部に対する警鐘であろう。


 1987年(昭和62年)は、先生が59歳となられた年である。14日に行われた第2東京新春代表幹部会の席上、戸田第二代会長と北条第四代会長が58歳で逝去した事実に触れながら、「完全に学会の宿命を転換したと確信している」と勝利宣言をされた。


 我々は、師匠の長寿を喜ぶだけの浅はかな姿勢ではいけない。「学会の宿命を転換した」ということは、「先生ご自身が変わった」ということであり、全く新しい広宣流布の段階に突入したということである。その布石として、『今日より明日へ』が発刊されたと私は考える。


 スピーチは質量共に劇的な変化を遂げ、この指導から3年後に、学会は法史を画す“僣聖増上慢との闘争”を迎える。まさしく、創価学会にとっての“佐後”ともいうべき黄金時代に入った。


「青春の」が失われるのは、40代になった時だ(笑)。青年部を卒し、責任範囲が小さくなると、必ず手を抜く人物がいる。何となく物足りなさをじるようになれば、もう危ない(笑)。本部長以上の幹部が、しっかりと40代に手を入れることなくして、学会の令法久住はない。


 今日付の『新・人間革命』(「民衆」23)に、並田辰也という青年が登場する。この方は、私の先輩である。現在も広布最前線に身を置き、会員のために尽くされている。草創期の江東男子部が登場し、私としては襟を正さざるを得ない。

2005-06-19

民主党候補、日顕宗と結託!


【『勝ち戦』第13号 2005-06-19】


学会と断固戦う」と民主党候補


悪侶との結託は、自殺行為!


 民主党・都議会議員候補(大田区選出)、岡崎幸夫が日顕宗と結託! 614日、宝浄寺(大田区)唱題会で挨拶に立った講頭の藤室は、「選挙でどこに入れたらいいか悩んでおられるといます。公明党なんかとんでもない! 入れる方はいないといますが」と、都議会議員選挙で公明党に投票するなと、講員に釘を刺した。


 更に、「民主党の岡崎幸夫さんという方がこの前、先だって御住職にお会いに来られてですね『創価学会に対しては、断固として戦っていきます』ということを御住職にお伝えになったということです」と、民主党の岡崎幸夫候補が、宝浄寺住職で日顕宗教学部長の大村日統に会い、選挙での支援を要請したことを明らかにした。


 しかも岡崎は、「創価学会に対しては、断固として戦っていきます」等と、学会に対する“宣戦布告”とも言うべき決まで述べ、大村に支援を取りつけたというのだ。


 最近、民主党の候補が選挙での支援を要請する為、日顕宗寺院を訪れるケースが増えているが、陰で民主党議員に対し、日顕宗との結託を斡旋(あっせん)している人物がいるのだ。


 民主党・品川区議会議員「山村てるつぐ」である。山村は妙光寺(品川区)第6代住職・大東院日明の孫で、妙光寺法華講の青年部員でもある。山村は一昨年の春、“反学会”を掲げて妙光寺住職・尾林日至に支援を要請。法華講の支援をとりつけ、区議選に出馬した経緯がある。宝浄寺の藤室講頭も「妙光寺の大東院さんのご親戚の方のつながり」と、裏に山村の存在があることを明らかにしている。


 議員と悪侶の結託。まさに「悪王(民主党議員)の正法を破るに、邪法の僧(日顕宗の坊主)らが方人をなして」の構図通りである。粉砕あるのみだ。


 日顕宗・参議会議長の高野日海は本年3、本行寺(墨田区)の会合で、「創価学会の前にチョロチョロと非したり、週刊誌等でも批判が出るが、当人がみな怖じ気づいている。法曹界といい、財界といい、教育界といい、政治の政党にしろ、面と向かって学会を批判したり立ち向かう人は一人もいない。かつて学会を批判し、やっつけようとってやってた大物政治家がいたが、結局自分が何かで尻尾を捕まれて以来、一切批判をしなくなった」と、学会を敵に回すことの愚かさと、“還著於本人”の厳しき現証について語っていた。


 高野が言う通り、竹入、竜、藤原、大橋等の反逆したクズ議員をはじめ、日顕宗と結託し、学会を弾圧した議員等はことごとくを受け、その末路たるや、哀れで無残と言う他ない。


日顕宗との結託」――それは議員の自殺行為と知るべきだ!

紅涙したたる日々があるとも


 昭和57年(1982年)、マスコミを利用しての迫害の嵐が学会を襲っていた。その渦中にある1118日、「学会創立記日」のその日の日記に、私は一首を記し、御本尊に、そして戸田先生に捧げた。


 仏勅

   学会守らむ

     この世をば

 紅涙したたる

  日々があるとも

           戸田先生弟子大作


 これは、師弟の道に生き抜く私の終生変わらぬ誓いと情を詠んだものであった。

 遊び半分や偽りや、その場しのぎの言葉で、自分の卑怯さを取り繕(つくろ)い、逃げていくような者に、「師弟」を語る資格はない。そんないい加減な、浅はかなものではない。

 迫害にあえばあうほど、な状況に置かれれば置かれるほど、共にしみ悩み、道を開いていこうというのが師弟の崇高な精神である。人間として最も峻厳にして最高の道なのである。ここに、いつの時代にあっても忘れてはならない本当の学会精神があると私は確信している。


東京各区合同記幹部会 1987-12-19 江東文化会館


 会長勇退から3年が経過していたが、学会のの根を止めようとするかの如く、嵐は吹き荒れていた。


 昭和54年(1979年)424日以降、先生は学会本部を追われ、神奈川文化会館に在った。その後、学会の歴史に登場するのは、昭和55年(1980年)325日に落成した江東文化会館である。当日、麻布文化会館へ向かう途中で行き先を変更された。江東男子部はこれを本因として、この年から折伏全国制覇9連覇を成し遂げた。上記指導で紹介された歌は、初めて公にされたものと記憶する。それは、既に8連覇を成し遂げた本物の弟子達に対する、清冽な後継の儀式であった。この時、江東男子部の一員であったことを、私は人生最大の誇りとしている。


 昭和57年(1982年)1118日の聖教紙上に発表された歌は以下の三首――


 そのほかの 大いかにと 開目抄

   で拝さむ 風前(かぜ)の 塵(ちり)なば


 壮大な 世界の平和に 駒進む

       あヽ創立の 聖旗燦たり


 世紀をも つつみて 凱歌の旗高く

        恐れぬ地涌の 友の笑顔は


 我々は、学会の歴史の舞台裏を、焔(ほのお)のような求道で学ぶ必要がある。透き通った涙は情によって生まれるものだ。紅涙(こうるい)は、鉄の如き志と憤怒(ふんぬ)によって生じる。


 昭和54年(1979年)、文字通り“首の座”ともいうべき極限状況に陥った時、師匠を厳然と守ったのは、大幹部でもなく、本部職員でもなく、無の民衆だった。私は一生涯、無の民衆でありたい。

日本企業を蝕む病


 私が日頃実していることが、的確な言葉で綴られている書籍を見つけた。既に絶版となっているので、引用しながら、個人的な所を記しておこう。引用は全て、『スーパーサラリーマンは社外をめざす』西山昭彦(読売新聞社/1996-05-07発行)より。


 西山氏は、中間管理職のアンケート結果を踏まえた上で、「過度の社内サービス、内部調整、人脈づくり、社内情報収集などが起こり、付加価値創造に結びつかないエネルギーが過剰に費やされる状態」が企に蔓延していると説明する。つまり、本来であれば、会社の績を伸ばすために注がれるべき社員の力が、強制的な飲み会や資料作りなど、無駄なエネルギーとなって浪費する現状に陥っている。「日本企を蝕む病」として指摘されているのは、以下の6項目。


 まず第一に、経済が大きくなるのに伴って企も大規模化し、組織も複雑になり、人も増えた。その結果として、内務官僚型の人材が輩出されてきた。一時期、社長室、企画室などといった内部の調整をする部門があたかもその会社の中枢であり、エリートであるとみなされる風潮があった。ここにおいては、現場第一線で利益を上げる者、またコストを削減する者よりも大規模組織の上に乗って各部門の利害を調整していく、上司のQ&Aに適切に答えられる、資料の作成がうまい、会議の進行がうまいといったコーディネーターが評価された。調整能力が重視され、調整型社員がエリートであるとの認識が組織に蔓延したのである。


 これは全くその通り。社長室には第一庶務が該当。随分とえばり腐った人物もいた。また、本部職員の大半は、組織でのトラブルを避ける傾向が顕著。そして、調整型の幹部が増えた最大の原因は、婦人部の情であると私は考えている。婦人部内でしっかりと指導するべき問題までが、上へ上へと伝言ゲームのように伝えられ、壮年幹部が戦々恐々としている(笑)。


 二番目は、それを受けて、組織を見た場合に、本社と支店、工場といったものの中において、本社の位置づけが非常に高まったことである。顧客に向かって組織が配列されるという状態ではなく、むしろ本社に向かってすべての社員が隊列をなしている。支店は本社に厳しく管理されるが、本社をチェックする部門は会社の中に存在しなかった。地方に行くのが左遷であるなどという見方が生まれた。だれもが本社に行きたがり、居すわりたがった。また、その本社の中を見ると、経営者を頂点として上を見ながら仕事をするという、内向け、上向けの社員、組織の体質が醸成されてきた。


 詳細を書いてしまうと、完全な組織批判となるため、やめておこう(笑)。現場見が尊重されない人事を行っているところは、かなり危ない。


 第三に、モノ・サービスをより安く、より高い質のものを供給するという使命のもとで、社員には、異質よりも均質が求められてきた。また、発力豊かな異端児はできる限り排除して、協調主義、集団主義組織の運営を図ろうとしてきた。そのために人材は、新入社員の採用をあくまで基本とし、これを会社の風土によって染め上げ、また、出っ張ったところを削り取り、同質型の人材をつくってきたわけである。これをベースとしたのがQCであり、TQC(総合的品質管理)運動であったとう。それは、モノ・サービスの品質を統一しながら、同時に人材の品質も統一してきたところに問題があり、結果として、創造の発揮とは対立する結果をもたらした。


 私が最大の問題と考えているのが、これ。人材が台頭してこない最大の要因。幹部は一様に保守化。草創の学会にあっては、参謀室が革新の一翼を担っていた。理事室という守旧派が、参謀室のやることなすことに反対してきたのが歴史的事実だ。


 第四に、マネジャー以上については、そこで与えられた役割をそつなくこなす。あくまで減点を避け、自分の担当組織を管理するというスタンスに立って仕事をする傾向が出てきた。自分にいま与えられた任務のみを考えて、それに応えていく。長期や他部分にかかわる欠点や他人からつけ込まれるすきをできるだけ少なくするという面が強まった。

 あくまで、そこにあるリソースの範囲内で、それらを組み合わせてアウトップトを出すというのが、管理型のマネジャーの仕事と考えられた。新しい付加価値をつくって、新たな利益を生む仕組みをつくるという方向で仕事をする面は、軽視された。


 支部幹部・地区幹部は、打ち出しを正確に落とす存在と成り果てた。


 第五に、人類最初の民主主義国家・アテネではないが、構成員による組織に対するねだり、甘えといったものが蔓延したことである。アテネは、民主主義におぼれた市民が、外交や国家建設よりも文化や食べ物を国家から支給させることに力を注ぎ、それによって戦争で負け没落していったという見方が一般的である。それと同じようなことが日本の企にもいえる。

 そもそも企を所有しているのは株主であり、株主のために仕事をするのが株式会社であるが、経営者、社員が一体となり、そこに共同体を形成し、その共同体の利益を第一としすぎたことがある。株主への配当よりも、内部留保、社員の給与福利厚生、飲食費が重視され、優先されてきた。住宅には低利融資、旅行に行けば補助、法律相談から葬式まで、会社はどこまで社員の面倒を見ればいいのか、際限がないように見える。


 株主とは会員のこと。会員が二の次となった途端、組織悪がはびこる。


 第六に、これらすべてを包括する味で、一つの会社の中ですべて内部処理で完結しようというスタイルがとられてきたことである。


 事件・事故・トラブルを隠そうとする幹部が増えている。


 西山氏は、悪しき「社内主義」を排して、「社外主義」の道を歩む以外、日本企の発展はないと警鐘を鳴らす。人体が身共に健康であれば、自由自在にしなやかな動きが可能となる。不健康なら、動く前に点滴を打ったり、薬を飲んだり、様々な調整が必要となる。健康であれば、動くこと自体が、更なる健康増進へと連動する。不健康だと、動いても、疲労や怪我につながる場合もある。動脈硬化によって現れる症状は色々あるが、血管が詰まると筋梗塞や脳梗塞となり、血管がもろくなると大動脈瘤・脳出血・くも膜下出血などを起こす。組織の動脈硬化を改善するには、「信血脈」を流れ通わす以外ない。

スーパーサラリーマンは社外をめざす

2005-06-16

真剣な努力で本物の勝利を


 何事も真剣な「努力」のないものに「栄冠」はない。芸術、スポーツ、学問、事、みなそうである。まして、峻厳な道修行においてはいうまでもない。

 では、私どもは何のために信仰し、道修行しているのか。当然、一生成のためであり、広宣流布のためである。これをある面からいえば、「人生の達人」になるためである。「生命の達人」になるためである。すなわち、人間としての真実の勝利を勝ち得るためである。

 どの道においても、「本物の労」なくして「本物の勝利」はない。これは当然の因果の道理である。

 と同じように、「本物の信行」なき者には、「本物の功徳」は現れない。

 私どもの「真剣な信」と「真剣な努力」、そして、広宣流布への「本物の労」は、最も根本的な人生の「勝利」につながる。それは、一時的、表面的な勝ち負けの次元ではない。生命の「三世永遠の勝利」を飾っていけるからである。

 この一点さえ、しっかりとハラに入れば、何も焦る必要もなければ、恐れる必要もない。堂々と、そして着実に、素晴らしき正攻法の青春と人生を生き、輝いていけばよいのである。

 ゆえに、特に青年部の諸君は、貪欲なまでに「本物の労」を自ら求め、自ら挑戦していくべきであると私は申し上げたい。


東京各区合同記幹部会 1987-12-19 江東文化会館


 タンポポを鉢に植える人はいない。蘭や薔薇が珍重されるのは、それだけ手が掛かっているからだ。これ、すなわち「労」。安易なものに人は価値を見出さないものだ。


 一人ひとりの勝利が組織の勝利へと連動し、組織の勝利が一人ひとりに帰着する。こうなった時に初めて、歓喜の波動組織の隅々にまで及ぶ。「一将功成って万骨枯る」ような姿があれば、それは「本物の勝利」とはいえない。


 勝負というのは勝ち方が大事だ。勝った後、何がどう変わっているのか――その青写真が明確であればあるほど、今やるべきことが明らかになる。


 例えば、「人材育成」という観点からみれば、活動家が増えたかどうかが問われよう。つまり、勝利を喜び合う人を増やすことが大切なのだ。そこにのみ、広宣流布の陣列を拡大した確かな証がある。


「本物の労」とは、矛盾と理不尽の中で戦うことだ。時には歯が立たない場合もあるだろう。だが、あきらめず、腐らず、一歩も退かないで踏みとどまれば、力がついてくる。


 壮年・婦人の場合、長年にわたって胸の内に秘めている様々ないがある。そこに光を差し入れるには、それなりの労や辛酸を知る人でなければ不可能だ。「この人なら、自分のいをわかってくれる」――そうなった時、初めて、しい胸の内を語り出すのだ。


 臆病者は踏み込んでゆけない。自分の知らない世界へ足を踏み入れると、何と言っていいのかわからなくなるからだ。言葉を失ったリーダーは、歌を忘れたカナリアよりも悲惨。


 20代で労してない人物は、使い物にならない。労してない人物は、後輩を守ることができない。上に媚び、下に威張り散らすのは、決まってこの手のタイプだ(笑)。


 そして、自身の闘争の壁を破ることのできるリーダーが、全軍を勝利に導けるリーダーである。自分が闘争の舞台を拡大できればこそ、後輩の行き詰まりを打開できるのだ。力のある幹部の下(もと)で戦える人は幸せだ。自分の力を発揮できる人は、もっと幸せだ。

2005-06-15

成仏の相/半眼半口について


 成仏の相に関する御文を以下に挙げよう。


 女人の御罪は漆の如し南無妙法蓮華経の文字は白物(おしろい)の如し人は臨終の時地獄に堕つる者は黒色となる上其の身重き事千引(ちびき)の石の如し善人は設ひ七尺八尺の女人なれども色黒き者なれども臨終に色変じて白色となる又軽き事鵞毛(がもう)の如しやわらかなる事兜羅緜(とろめん)の如し


【「千日尼御前御返事」1316頁】


 法華経に云く「如是相乃至本末究竟等」云云、大論に云く「臨終の時色黒き者は地獄に堕つ」等云云、守護経に云く「地獄に堕つるに十五の相・餓鬼に八種の相・畜生に五種の相」等云云、天台大師の摩訶止観に云く「身の黒色は地獄の陰に譬う」等云云、夫以みれば日蓮幼少の時より法を学び候しが願すらく人の寿命は無常なり、出る気は入る気を待つ事なし風の前の露尚譬えにあらず、かしこきもはかなきも老いたるも若きも定め無き習いなり、されば先臨終の事を習うて後に他事を習うべしといて、一代聖教の論師・人師の書釈あらあらかんがへあつめて此を明鏡として、一切の諸人の死する時と並に臨終の後とに引き向えてみ候へばすこしもくもりなし、此の人は地獄に堕ち給う乃至人天とはみへて候を、世間の人人或は師匠・父母等の臨終の相をかくして西方浄土往生とのみ申し候、悲いかな師匠は悪道に堕ちて多くのみしのびがたければ、弟子はとどまりゐて師の臨終をさんだんし地獄を増長せしむる、譬へばつみふかき者を口をふさいできうもんしはれ物の口をあけずしてやまするがごとし。

 しかるに今の御消に云くいきて候し時よりも・なをいろしろくかたちもそむせずと云云、天台の云く白白は天に譬ふ、大論に云く「赤白端正なる者は天上を得る」云云、天台大師御臨終の記に云く色白し、玄奘三蔵御臨終を記して云く色白し、一代聖教を定むる目に云く「黒六道にとどまり白四聖となる」此等の文証と現証をもんてかんがへて候に、此の人は天に生ぜるか、はた又法華経号を臨終に二反となうと云云


【「妙法尼御前御返事」1404頁】


 ここで示されている姿は、「白い」、「軽い」、「柔らかい」、「形を損じてない」ことの4点。因みに今回調べて初めてわかったのだが、「半眼半口」という文字は御書にない。(→あったら教えて)


「妙法尼御前御返事」から窺えることは、宗教者の死相が悪かったという事実である。世間からは尊敬されながらも、悶の表情で絶えていった僧侶が多かったのだろう。


 学会員は、ともすると死相を見ては、「成した」とか、「成してない」などと勝手な御託を並べる傾向が強い。先日も、まるで、死者を冒涜するような話をにした。「お前は牛頭(ごず)か馬頭(めず/いずれも地獄の番人)か?」と問い質(ただ)そうかとったよ。


 成は、他人が評価するような問題ではないだろう。あくまでも、個人得する境涯であって、他人がどうのこうのと論ずるのはおかしい。「成評論家」や「死相ウォッチャー」は不要だ。


 我(わが)弟子等の中にも信薄淡(うす)き者は臨終の時阿鼻獄の相を現ず可し其の時我を恨む可からず等云云(「顕立正抄」537頁)


 との御指南もあるが、これは、一生成の道を歩ませるためになされた厳愛の指導と受け止める。死相がよくなかったからといって、「ざまあみろ」などという姿勢が、法の精神であるはずがない。


 そもそも、日蓮法にとって、死相が最重要であれば、もっと多くの御書で触れられてしかるべきではなかろうか。現代社会は、印刷技術の発達によって、情報は多くの人々が同時に知ることが可能である。だが、鎌倉時代にあって、こうした成の相の条件が広く知られていたかどうかはわからない。


 悪象の為に殺されては三趣に至らず悪友の為に殺されては必ず三趣に至る(7/21/65/66/452/1341頁


 悪象とは悪い象のこと。交通事故や災害と考えてよかろう。どんな死に方をしても、生命を妙法によって染め抜いた人は、三趣=三悪道に堕ちることはないと断言されている。悪知識によって、種を絶やされてしまえば、必ず三悪道に堕ちるのだ。


 また、御書には、「臨終」という言葉が4ヶ所(56/1338/1508/1547頁)出てくる。これは、死ぬ瞬間に題目を唱えられるかどうかということだろう。だが、それは目に映る姿というよりも、識下であろうとも(七〜九識)、生命の発現として可能な作であるとう。


 学会が人の集まりである以上、噂話は避けい問題かもしれない。だが、人の死を悼(いた)むべき時に、「あんな相じゃ、成できてないに違いない」などと像を逞しくするような行為が許されるはずがない。また、要らぬ風聞を流すような人物があれば、それこそ、同志誹謗の罪によって堕地獄因を積んだも同然だ。

「臨終用心抄」日寛上人(一部抜粋)


 一、臨終の相に依つて後の生所を知る事。

 金山二末卅五に諸文を引く、往見。御書卅二十一に云く、法華経に云く如是相乃至究竟等云云、大論に云く臨終に黒色なるは地獄に堕つ等云云、守護経に云く地獄に堕つるに十五の相あり、餓鬼に七種の相あり、畜生に五種の相あり等云云、天台大師摩訶止観に云く身の黒色をば地獄の陰に譬ふ等云云乃至天台の云く白は天に譬ふ等云云、大論に云く赤白端正なる者は天上を得ると云云、天台大師臨終の記に云く色白と云云、玄じょう三蔵御臨終の記に云く色白と云云、一代聖教を定むる目に云く、黒六道に止り、白四聖となる云云。


 一、他宗謗法の行者は縦ひ善相有りとも地獄に堕つ可き事。

 中正論八六十に云く、縦ひ正にして死すとも法華謗法の大罪在る故に阿鼻獄に入る事疑ひ無しと云云。私に云く禅宗の三階は現にを失ひて死す、真言の善無畏は皮黒く、浄土の善導は顛倒狂乱す、他宗の祖師已に其れ此くの如し末弟の輩其の義知る可し、師は是れ針の如し弟子檀那は糸の如し、其の人命終して阿鼻獄に入るとは此れ也云云。


 一、法華本門の行者は不善相なれども成疑ひ無き事。

 安録十六問ふ若し臨終の時或は重病に依り正を失却し、唱題すること能はず、空しく死亡せば悪趣に堕ちん哉。答ふ一たび妙法を信じて謗法せざる者は、無量億劫にも悪趣に堕ちず。涅槃経に云く、四依品の会疏六十二我れ涅槃の後若し此くの如き大乗微妙の経典を聞くことを得、信敬のを生ずること有らん、当に知るべし是れ等は未来世百千億劫に於て悪道に堕ちず已上。廿巻徳王品会疏廿十八若し衆生有り一経をに振れば却後七劫悪趣に堕せず已上。涅槃尚然也、況や法華をや。経力甚深なる事仰で信敬すべし、況や提婆品に云く浄に信敬し疑惑を生ぜざる者は地獄・餓鬼・畜生に堕せず、十万の前に生れん云云。信敬と云ふは五種の中には受持の行に当る、況や行を加へて妙法を唱へんをや、御書十一初一期生の中に但だ一返の口唱すら悪道に堕ちず、深く信受すべし云云。


 私に云く神力品に云く我が滅度の後に於て応さに此の経を受持すべし是の人道に於て決定して疑ひ有ること無し云云。


 一、臨終に唱題する者は必ず成する事。

 先づ平生にに懸け造次顛沛にも最も唱題すべし。亦三宝に祈ること肝要也。又善知識の教を得て兼て死期を知り臨終証大菩提と祈るべき也。多年の行功に依り三宝の加護に依り必ず臨終する也、臨終にして妙法を口唱すれば決定無有疑也。


【『富士宗学要集』第3巻 266p】

2005-06-14

幹部


 上に弱く、下に強いのを幹部とは申すなり(笑)。これ、畜生界にて、“患部”たる所以(ゆえん)か(笑)。末端が幹部に指図(さしず)し、動かすようになれば、学会は大乗教へと脱皮できる。

2005-06-13

苦情


 相手に直接、注できないため、上の幹部に対して行われる告げ口のこと(笑)。その殆どが、自分の力不足に起因している。今時は、情を鵜呑みにする愚将も多い。


 情は言うな。どうせ言うなら見にせよ。それも、幹部が動かざるを得ない方向へ、しっかりとリードすることだ。これ、随自意なれば。

2005-06-11

上下関係


 組織の序列と、信の上下関係は全く別物である。配する側、祈る側が上位にくる。これ、境涯の為せる(わざ)。

同志に尽くさぬ幹部は退転


“広布の指導者”として生きゆく諸君は、どこまでも後輩を、同志を、そして、子を守り抜く人であっていただきたい。

 これまでも、幹部になって退転していった者は、ほとんどが同志のために、骨身に及ぶ労をしない、自分はできるだけ手を汚さない要領の人間であった。

哀れ」「卑怯」「軽薄」な人間であった。

 会員のために我が身を惜しまず、労の泥と汗にまみれながら戦ってきた本当の学会精神に立った人は、決して退転をしていない。


創価班・長会合同総会 1987-11-02 東京会館


 動物の世界にあってすら親は子を守る。時には親が生贄(いけにえ)となることもあるほどだ。本能に支配される動物すら是くの如し。


 学会の尊い役職がありながら後輩を守ってないようなのは、畜生以下といってよし。役職があるから偉いのではない。責任を果たす人が偉いのだ。自分の力不足に歯ぎしりしながらも身体を張って戦い抜く中で、指導者としての資質が培われてゆく。


 我が同志を不幸から守り、三類の強敵から守り、障から守ることが、幹部としての最重要課題だ。そのための活動であり、教学であり、祈りでなくてはならない。


 こうしたことは一一夕で身につくものではない。10年ほど徹して、少しずつ条件反射のように身に備わってゆく覚である。この領域に入ると、段々と手の届かない問題が現われてくる。それでも手を伸ばし、手を入れる。こうして更に10年ほど経つと、大体の問題は解決できるようになるものだ。計20年なり。


 この過程で一度でも逃げたり、避けたりするような場面があると、それが必ずツケとなって後々しむ羽目になる。ここが肝。そのことをから反省し、皆の前で語れるようになれば、この限りではない。このあたりは実に微妙な世界であり、わかる人にしかわからないであろう。それで構わない。


 会員を大切にできない幹部の本質は、我が身可愛さ故の「哀れ」「卑怯」「軽薄」な境涯にある。


 広宣流布の労を少しでも知れば、同志を軽んずることなどできるはずがないのだ。


「会員のためとあらば、何でもやろう!」というのリーダーは、常に、「何かできることはないか?」と我が身を苛(さいな)むほどの深慮があるものだ。利と無縁の位置で戦っている人々は、自らの闘争を高に主張することはない。人知れず、動き、祈る存在を見落とすな。


 自分が一人になった時、何人の同志が胸に浮かぶか――そこに真の責任が三千羅列となって現われる。

2005-06-09

唱題に表れる生命の傾向性


 題目の合わない人は我見の人。題目の少ない人は増上慢が小さい人は受け身の人。が大き過ぎる人は火の信

手に負えない人物


 手に負えない人物が組織にいるとすれば、それは、その人を納得させられる幹部がいないというだけの話だ。幹部の力不足を嘆くのが先。

縁に紛動されるな


 大を耐え抜き、牢を出た先生は、「世間の風評ばかり気にして、ふらふら、びくつくような人間は必要ない!」「このインチキ弟子!」と激怒された。

 青年部の諸君は、戸田先生の烈々たる魂の叫びを、我が生命に刻みつけていただきたい。

 青年は「一人立つ」ことだ。青年が広布の全責任を担いゆくのだ。

 もう一歩深い発展のため、世界一の民衆のを築くために、今、青年を鍛え抜かなければ、手遅れになる。

 あらゆる態勢を整え、次の50年の勝利へ、広布の陣列を一新していきたい。

 広宣流布の「時」は、「今」である。

 偉大なる民衆の底力を示す「時」は、「今」である。

 我らの戦いは、幸福の花園を広げていく。すべての戦いが大事である。皆、かけがえのない使命をもっている。

 まっすぐに広布の道を進みゆく友を、私はから讃えたい。

 リーダーは、頑張っている友に対して、最大に応援し、謝し、ほめ讃えていくことである。

「ありがとうございます!」「よろしくお願いします!」「勝利を祈ります!」

 そうした一言も、口先だけでなく、真剣さと誠がなければならない。

戦いは峻厳である。

 ふざけ半分では勝てない。油断や遊び半分のが、人間をダメにする。それが敗北の因となってしまうのである。


【5.3記代表協議会 2005-04-26 創価文化会館


 信仰者の究極の姿は殉教だ。本尊とは“根本尊敬(そんぎょう)”の謂いであり、法は重く身は軽い。自分よりも大きなものに身命を賭してゆく時、人生は大義によって支えられる。


 低劣なメディアが垂れ流すデマ情報に乗せられるようなことがあれば、これほど恥ずかしいことはない。その時点で、“メディア教”信者といってよし。そのような輩は、週刊誌を経本として、幸福を追求すればいいのだ。


 また、学会がこれだけ大きな団体となれば、出来の悪いのが登場するのも当然。社会的な問題を起こす人物が出る度に、一々目くじら立てるような学会員は信が弱い証拠。師弟の間に夾雑物(きょうざつぶつ)が多過ぎるんだよ。縁に紛動される自分を見つめるのが先だ。


 戦いの決勝点が迫ってくると、闘争の激しさは増す。その過程で、どんどん横暴になってゆく幹部が必ずいるものだ。


 今から10年ほど前のこと。ある厳しい戦いを打開するために、連日、総区部長会が行われた。既に、過去の壁は破っていたものの、それで勝てるという保証は全くなかった。中者が叫んだ。「頑張っただけで、満足してはいけない。頑張ったけど負けてしまえば、何にもならない。勝つまで戦い抜こう!」と。この時の担当幹部の話が忘れられない。「幹部が、牙会や役員に対して、『ありがとう』『ご労様です』とをかけてない。共に戦う同志をねぎらうことなくして、戦いは勝てるはずがない。本当に大変な戦であれば、同志の存在がどれほどありがたいものか、直ちに理解できるはずだ。互いが励まし合ってゆく中で、真の団結が築かれるのだ」。


 同志への謝なくして、広布拡大は成らず。

法華取要抄


 喜び身に余るが故に堪(た)えくして自讃するなり(334頁)


 これ、慢に似て慢にあらず。法華の慢と申すなり。


 されば現に勝れたるを勝れたりという事は慢ににて大功徳なりけるか、伝教大師云く「天台法華宗の諸宗に勝れたるは所依の経に拠るが故に自讃毀他(じさんきた)ならず」等云云(289頁)


 されば、「自讃」とは大確信の対話のこと。抑え切れない歓喜が、じっとしていることを許さない。人を納得させるためには理論が重きを為す。そして、人々に共を呼び起こすのは歓喜の波動だ。我等の対話が、社会の改革に直結していることをえば、少々の悪口もまた楽し。

ブロック唱題会で五大部を読了


 昨夜、ブロック唱題会。2年前に私がブロック長となった途端、病人が続出。白ゆり長と相談して、「健康・長寿唱題会」と銘打って、昨年の1よりスタート。今で60回を数える。唱題を30分。その後、御書拝読。五大部は既に読了した。継続は力であることを痛している。


 ずっと、3人で行ってきた。我がブロックは高齢者が多いため、夜の参加者は、どうしても少なくなる。そこで知恵を出して、毎回、会場を変えてみることにした。唱題会を行えるお宅は5軒。この内、1軒は私が開拓した。昨夜は、遂に7の結集を勝ち取り、新記録を達成。


 唱題会の最大の勝因は、白ゆり長が喜んでいることだった。私の母よりも年上の方だ。この方が、あちこちで私の御書講義を褒めまくっている。「この間は、ブロック長と二人でやったんだけど、あんな素晴らしい講義を一人で聞けるのよ! まるで、個人教授みたい!」と昼間の会合で囁いているとのこと。ま、講義ったって、通解に毛の生えた程度なんで、いくら褒められようと私が油断することはないよ(笑)。


 その中で、長年にわたって組織に出なかった婦人部の地区幹部が参加するようになった。あまりにも強烈なキャラクターで、先輩にも後輩にもズバズバとものを言うため、情が絶えなかったという話はにしていた。分区婦人部長もお手上げという人物(笑)。この方も、私の御書講義を楽しみにしているそうだ。


 唱題会終了後、こんな話が出た。


「風呂場で亡くなった人は成してない。だって、『火も焼くこと能(あた)わず水も漂わすこと能わず』(1337/1505/1536頁)って御書にあるでしょ。だから、火事で死ぬ人も成してないのよ」


 お宅は、広宣流布原理主義者か!(笑)


 私の教学力不足で、直ぐさま反論できなかった。帰宅後、御書をひもとき、調べてみた。


 法華経を持(たも)ちまいらせぬれば八寒地獄の水にもぬれず八熱地獄の大火にも焼けず(1536頁)


 若し大水に漂わされ為(て)も其の号を称(となえ)れば即ち浅き処を得ん(1505頁)


 つまり、この御文は、信によって培われた境涯は、火によって焼くこともできず、水に責められて錆(さ)びるようなこともない――ということをご教示されたものだ。そうであればこそ、


 悪象の為に殺されては三趣に至らず悪友の為に殺されては必ず三趣に至る(7/21/65/66/452/1341頁)


 となるのである。悪象とは、凶暴な象のこと。つまり、法華経の行者が事故等で亡くなったとしても、三趣=三悪道に堕ちることはない。悪知識にたぶらかされて信を失えば、地獄に堕ちるのだ。


 この御文を表面的に捉えれば、学会員は泳ぐことすらできなくなっちまうよ(笑)。


 次に会った際、しっかりと破折しておく予定。

2005-06-08

研修道場


 私の『随筆 人間革命』でも紹介しているが、戸田先生はある時、青年を次のように励まされた。「革命児は、ただ平穏なゆっくりした生活を夢見るようでは、成長はない。昼間は汗みどろになって働き、戦い、勉強し、ある時は岸辺に立って波と語らい、真夜中まで星を友にしていくような、理情の融合した青年であってもらいたい」と。

 戸田先生ご自身、氷川、また河口湖畔で、私達青年部に浩然(こうぜん)の気を養わせながら、研修の機会を何回となくつくってくださった。

 しかし、バンガローや旅館では勤行・唱題がうようにできない。その折、先生は「将来、う存分に信と人生の鍛錬をする所が必要である」とつぶやいておられた。このことはかつて、新潟の代表者研修でも申し上げた通りであるが、この戸田先生の一言を実現せんとして建設されたのが「研修道場」である。ここに研修道場の淵源があった。


九州代表者会議 1987-10-21 福岡研修道場


 戸田先生の気宇壮大な言葉が、現代人の卑小さを浮かび上がらせる。髪の色を変える程度でしか自分を表現できない若者に、この言葉を教えてやりたい。


 大体だな、髪を染めたり、化粧をしたりってえのあ、オバサンがやることなんだよ。白髪(しらが)を隠すために染め、髪のボリュームが減ってくるからパーマをかけ、色艶(いろつや)の悪くなった肌を誤化すために化粧をするのだ。だから、「化け粧(よそお)う」って書くんだよ。世のオバサン達は、胸の中で囁いていることだろう。「黒髪を茶色に染め、ピチピチの肌を化粧で覆い隠すなんて、どうしてそんなもったいないことをするのだろう?」と。早く大人になりたがる気持ちはわかるが、美的覚の喪失を私は憂う。言葉遣いも、また同様だ。美の価値が顛倒(てんとう)した社会が、善悪の価値をも見失うのは必定。


 東京の場合、氷川研修道場の利用は、各区に一任されている。ある程度の期間が決められているものの、積極的に利用している区は少ないんじゃないか?


 昭和にあって、青年部の最大の訓練の場の一つが、総本山で行われる夏期講習会だった。全国から集った男子部は、「広布の暴走族」と化したがあった。あの世界を知っているかどうかで、かなりの差が出るとう。から晩まで、学会歌のオンパレード。「指揮、希望者!」と司会が言うや否や、半分以上のメンバーで学会歌の指揮を執っていた。私も、一泊二日の間に、40回ほどやった記憶がある。境内にも学会歌が轟き、中坊の石塀に登って指揮を執る者もいて、坊主どもが慌てふためいていた。北海道のメンバーが、まだ、寝静まっている部屋に数で殴り込みをかけ、「東京、元気かぁああーーーっ! それでは、元気一杯、創価班歌を歌おうじゃないかぁああ!」と叫んだ。不撃ちされた東京の連中は、布団の中から寝ぼけ眼のまま正座し、口元によだれをつけたまま、無理矢理、歌わされていた(笑)。各方面を代表するメンバーの気は天を衝くほどの勢いに溢れていた。


 現在、創価班・牙会大学校の大会が牧口記会館で行われているが、あれじゃ、代わりにならないんだよなー。牧口は騒げないからね。


 男子部の場合、競い合わせることが大切。ということで、隣接区と合同の研修を行ってはどうだろう? 全国各地の研修道場を、風化させるようなことがあってはなるまい。

職員


 本部職員や大学職員だからといって、信があるわけではない。ま、人脈があるのは確か(笑)。職員だからといって、いたずらに尊敬するのは愚かだ。また、これとは逆に、「職員は駄目だ」という論調もあるが、私はこれに与(くみ)さない。「駄目な職員もいる」という程度のことだ。いずれにせよ、職員は僧侶の自覚を持て。民衆から学べ。

2005-06-07

一日に永遠の価値が


 私がいつも深い銘を覚えるのは、「百劫を縮めて一日とし、一日を延ばして百劫とする」という生命観、価値観である。

 私どもは煩悩に縛られた悩み多き身かもしれない。しかし、「一日」であっても「何億万年」の長さに広げて生きてゆくことができる。また、「何億万年」の長遠な年数をも「一日」に凝縮させて生きることもできる。

 信をしたからといって、現実の悩みが全て消え去るというわけではない。

 妙法を持(たも)ち、「利他」の折伏行に生きるがゆえに、より多忙となり、より大きな悩みとの戦いがあるかもしれない。が、その一日一日は、「無量義とは一法より生ず」とのごとく、無量の価値を生み出してながら、「百劫」という長遠な時間にも匹敵する「一日」となっていくのである。そこには、他の世界では絶対に得ることのできない、無上の喜びと価値の輝きに満ちた境涯が築かれている。

 ここに、「信」に生き、「広布」に進みゆく人生の深き義がある。


九州代表者会議 1987-10-21 福岡研修道場


 我々が日常生活で目安としている時間は相対的な時間である。「100メートルを9秒台で走る」、「お湯を入れて、3分間待つ」、「懲役10年」等々。これに対し、生命自体がじる時間を絶対的な時間という。楽しい時間はアッという間に過ぎ、しい時間はより長くずる。充実した時間は濃密なものとなり、のんべんだらりと過ごしていれば、時間の経過そのものが痛となる。


 教発祥の地・インドは、「0」を発明したことでも、つとに知られる。現在、アラビア数字と呼ばれているのは、アラビア経由でヨーロッパに伝わったためで、元々はインドが発祥の地。日本の数の単位も、典の影響が色濃く残されている。


 短い時間を挙げてみると、「須臾(しゅゆ)/10の-15乗」、「弾指(だんじ)/10の-17乗」、「刹那(せつな)/10の-18乗」などがある。因みに、弾指とは、文字通り指を弾く時間のことだが、親指と中指で鳴らすのではなく、人差し指の爪で親指の腹を弾く動作だった模様。つまり、ボーイを呼ぶ時の仕草ではなくして、鼻くそを飛ばす時の動作である(笑)。“爪弾き”の語源もここに由来する。また、刹那とは“”とも訳すので、一とは0.013秒に凝縮される生命ともいえる。典ではこれが最も短い時間。【参照


 一方、「劫」とは長大な時間のこと。法は極めて主観が強いので、経典によっても多種多様な説がある。

  • 四千里四方の石山を、100年に一度、天女の羽衣で撫(な)でる。石山が磨耗尽くしても、劫は尽きない。【払石劫(ふっしゃくこう)の譬え】
  • 四千里四方の大を芥子(けし)で満たし、100年に一度、一粒を取って、それらを取り尽くしても尚、劫は尽きない。【芥子劫の譬え】
  • ガンジス河の広さ四十里の中に細沙を埋め尽くし、100年に一度、一粒を取り出し、これを取り尽くすを一劫という。【沙細劫】

「寿限無 寿限無 五劫のすりきれ」の五劫とは劫の五倍のこと。


 一般的には、小劫とは1600万年のこと。中劫はこれの20倍。大劫とは成住壊空(四中劫)のことで、それぞれが二十小劫。


 人の一生が露に等しいものであることが、よく実できるというもの。


 地獄の境涯になると、その罪が重いほど長時間にわたって報を受ける。


 人間の昼夜五十年をもつて第一四王天の一日一夜として四王天の天人の寿命五百歳なり、四王天の五百歳を此れ等活地獄の一日一夜として其の寿命五百歳なり(443頁)


 これが一番軽い等活地獄(笑)。その因は「虫を殺したこと」で、50×365×500×365×500=1兆6653億1250万年となる。一番重い無間地獄は一中劫。無間地獄がどれほどしいかというと、以下の如し――


 若し此の地獄を具(つぶさ)に説かせ給はば人聴いて血をはいて死すべき故にくわしく説き給はずとみへたり(447頁)


 いたずらに長生きしても、しみ多き人生もある。短命であっても、鮮烈に生きた証を残す人生もある。人の幸不幸は、一生の長さだけでは計れないものだ。


 一に億劫(おくごう)の辛労を尽せば本来無作の三身に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり(790頁)


 今この一瞬に全てを懸け、億劫にも亘る辛労を尽くしてゆけば、人間の可能は十全に発揮されるとの御指南。惰に流されれば、億劫(おっくう)となることを自覚したい。


 残された時間も迫ってきた。皆に疲労を残させるような指揮は愚かだ。短時間リズミカルに集合離散を図ってゆきたい。会合革命が進まないとすれば、リーダーが惰に流されている証拠である。更に、陣中に戯言(ざれごと)なきよう、真剣な姿勢が求められる。


 一瞬の合間にも無限の価値をつくりゆくことができる。いたずらに焦る必要はないが、日々完全燃焼し、決められたゴールまで走り切ろう。

我慢


 我慢させる方も悪いが、我慢する方も悪い。悪しき境地冥合といえよう。

役職と人間革命


 役職が上がる度に人間革命できる人は立派だ。役職が変わらなくても人間革命できる人は、もっと立派だ。

柔らかな権威主義


 柔らかな権威主義が組織を覆い尽くしている。断じて見逃すな! 徹底して戦え!

怨嫉の定義


 腹に一物(いちもつ)あるを、怨嫉とは申すなり。

2005-06-06

青春の誓いを裏切るな


 諸君は、若き日に広布を誓い合い、多くの同志とともに金の歴史を刻んでいる妙法の青年リーダーである。諸君にだけは絶対に退転してほしくない。信の挫折である退転は、いかなる理由があったとしても、自分自身を、そして、自身の青春の誓いを裏切ることになってしまうからだ。それでは、あまりにも惨めである。

 私も、師・戸田先生との若き日の“誓い”に、人生の全てを賭けてきた。あらゆるに耐え、信の道を進んできた。価値ある人生は、青春時代の“誓い”を、生涯貫くところに実現されることを確信していたからである。今は全く悔いがない。

 信仰の真髄は“生涯不退”にある。どうか諸君は、幸不幸の人生の荒波を経たとしても、どこまでも青春の誓いも固く、生涯、求道と不退の大道を歩み抜いていただきたい。


【青年部代表者会議 1986-12-27 創価学会新館】


 5日間ほどお休みを頂いた(嘘)。実は、レンタルサーバーの契約が切れていたため、サイトが消失してしまった。いやはや、青くなっちまった(笑)。サーバー会社も呑気なもので、案内メールを1通寄越しただけで後は知らん振り。まあ、これを見落としていた私が悪いんだけどね。復旧の目途が立つというので契約を更新したものの、土日を挟んで本日の再開となった次第。昨年の66日に引っ越し、全く同じ日に再開するってのも不議ですな。今日は、牧口先生のお誕生日。


 このように、Web上にアップロードした情報というのは、うたかた(泡沫)みたいなところがある。デジタル情報はコピーしやすく、消失しやすいことを頭に置く要あり。


 ってなわけで、ボランティアによるバックアップ委員を募集します(笑)。Web自動巡回ソフトなどを使って、ログを保存して頂けると幸い。


 ま、なくなりゃ、なくなったで、最初っからやり直すだけ――という覚悟はありますぞ(ニヤリ)。


 この指導では、「真面目」の字義に触れた上で、次のように指導。


 要するに学会は、真面目だったからここまで大発展を遂げた。このことを絶対に忘れてはならない。真面目さの中に凝結した自己の人格と一が、我が人生を飾っていくのである。


 更に、青年部時代の華やかな舞台から、壮年部の地味な活動の場へ進む場合もあるが、「本有常住」の一で一切を開きゆくことを強調。上記の指導が結論となっている。


 私の青年部最終役職は総区副青年部長である。副支部長兼任の地区部長で壮年部入り。3年前に東京都下へ引っ越し、一昨年からはブロック長を兼任している。この間、ただの一度も我が誓いを裏切るような真似はしてない。役職や所属が変わった程度で変節するような信をしているつもりもない。いつ、いずこにあろうとも、自分のいる場所で、本物の創価学会をつくる決に燃えている。


 しかし、青年部の最高幹部に対して、「諸君にだけは絶対に退転してほしくない」と語る先生のはあまりにも深い。


 いかにも今度信をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同ならば地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや、経に云く「我久遠より来かた是等の衆を教化す」とは是なり、末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり、日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰(あまつさ)へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、ともかくも法華経をたて身をまかせ給うべし(1360頁)


 有あるが故に、わかったつもりになっている御聖訓の一つ。「地涌の菩薩だから題目を唱えている」のではない。「題目を唱えているから地涌の菩薩」なのだ。つまり、題目を唱えなくなった瞬間から、地涌の菩薩ではなくなるということ。「日蓮が一門となりとおす」とは、死ぬまで自行化他にわたる題目を唱え切ることに他ならない。途中で退転するようなのは、地涌の儀式の途中で転んだか、引っ込んだかしたのだろう(笑)。


 日々、「戦い切る」ことが大事である。余力を残せば、“力を出し切れない自分”を築いていることになるからだ。


 今日一日の不平不満が退転の因となり、今日一日の大闘争が不退転の因となることを確認し合いたい。

役職と力量


 役職よりも力が上回っている人が、たまにいる。かような人物は、自分の力をコントロールする術(すべ)を持たなくてはならない。役職に甘えて、やりたい放題やってしまうと必ず失敗する。

情報は力


 いつの世も「情報は力」である。ワーテルローの戦いでナポレオンを打ち破った功労者は、プロシア軍に正しい道を教えた一牧童であった。桶狭間(おけはざま)の合戦で今川義元を破った織田信長は、勲功の第一に、義元の移動の情報をもたらし、急襲を勧めた一武将を選んだ。

 マラトンの戦いと同じく、勝利は決して有な将軍らの力だけで決まるものではない。

 日蓮大聖人の「松葉ヶ谷の法難」の折も、草庵を襲った鎌倉者達の動きを、いち早く大聖人にお知らせしたのは、門下の一婦人であったとの説がある。

 こうした真剣な「一人」の働きこそ重要な力なのである。また、こうした目立たぬ立場の人の情報であっても、真剣に聞き、大切にすることが指導者の不変の要件である。

 まして、現代は情報化時代である。「情報戦」が社会の一実相である。この傾向は、ますます強くなっていくにちがいない。

 正確な情報を迅速に手に入れ、入に検討し、的確な手を打っていく。その積み重ねに勝利が生まれる。

 学会がここまで発展したのも、そうした緻密(ちみつ)な「連絡・報告」とスピーディーな「決断・実行」があったからである。この原理は企を始め、あらゆる組織に通ずる。

 逆に、最も恐ろしいのは、不正確・不明瞭な情報である。また、曖昧な処理である。

 近年の一連の事件でも、断片的な情報は早くから届いていた。しかし、私が一切の運営を幹部に委任していた時期でもあり、本部としてそれらの情報を総合し、果断な処置をとることが遅れた。その遅れた分だけ問題が広がり、大きくなってしまった面がある。このことを後世への戒めとして申し上げておきたい。


九州広布35周年開幕記幹部会 1987-10-20 九州池田講堂】


 報告・連絡・相談が組織の生命線である。これを略して、「ほうれんそう」とは申すなり。


 これほど踏み込んだ内容の指導は珍しい。断じて、同じ轍(てつ)を踏ませたくないというご境であろうと像する。


 組織というのは、大きくなればなるほど保守的にならざるを得ない。保守的になってゆくと、組織のために犠牲を強いる場面が出てくる。これが組織悪である。我が陣営は、断じてそのようなことがあってはなるまい。組織保守化を防ぐには、青年の見を大切にすることだ。だが、我が地域の青年部は壊滅状態である。


組織/和合僧」にも書いた通り、保守的な組織官僚を求める。官僚は、都合のいい情報を鵜呑みにし、面倒なことはとにかく避ける。自分の手を汚さずして、問題を現場任せにする。厄介なことに対しては、平然と見て見ぬ振りを決め込む。


 そして、婦人部の口に戸は立てられない。噂や風聞の類いで、大変な目に遭っている人を、私は何人も知っている。草創期にあっては、世間から村八分にされてきた学会員が、現在では組織内において村八分を行っていることもあるのだ。幹部の手に負えないという理由だけで、放置されっ放しになっている人も少なからず存在する。


 私が直接、関わった問題は全て完全決着をつけてある。「学会にあってはならないことだ」と判断すれば、私はどんな幹部にも負けることがない。相手が副会長であろうとも、糾弾すべきは糾弾し、言うべきことは言い切っている。


 人体において、正確な連係が取れなくなったらどうなるか? 足に傷を負って、脳が痛みをじるまでに3時間もかかってしまったら、死ぬかもしれないのだ。ここから更に考えれば、生命の危機は痛みによって知覚されていることが明らかである。つまり、組織に置き換えれば、人々の悩を知ることが最優先ということになろう。されば、快だけ伝わるのが成果主義か(笑)。


 人間の身体は、一部だけで存在することは不可能だ。全ての臓器や器官、はたまた、血管や神経が有機的なシンフォニーを奏でている。実は、人間も全く同様で、一人だけで存在している人はいない。誰かと関わり合うことによって、初めて生きる味が与えられるのだ。そうであればこそ、孤独が人間を苛(さいな)み、精神を崩壊させる。現代人が抱えるストレスや精神の闇は、おしなべて孤独から発せられたものだ。


 以下に紹介するのは、『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル著/小此木啓吾訳(フォー・ユー)からの抜粋である。セミナーなどの講師を頼まれた際、私がよく引用する一文である。よくよく熟読玩味して頂きたい。連絡を取り合う=コミュニケーションは、生命に関わっていることが理解できよう。


 海軍副将ジェイムズ・B・ストックデールほどしみを味わった捕虜はあまりいない。彼は、ベトナムの戦争捕虜として、2714日を耐えぬき、英雄的に生還した。

 ある時、北ベトナム兵がストックデールの手を背中に回して手錠を掛け、彼の足に重い鉄の鎖をつけた。そして、彼を暗い独房から引きずり出し、中庭に座らせて晒(さら)し者にした。それは、協力を拒んだ者がどのような目に会うかということを、他の捕虜に見せつけるためだった。

 その出来事を記載した海軍の公式記録によれば、ストックデールはその姿勢を3日間続けなくてはならなかったという。彼は、長い間太陽の光を浴びたことがなかったために、すぐ疲労をじ始めた。しかし、見張り兵は彼を眠らせなかった。そして何度も殴られた。

 ある日のこと、殴られた後にストックデールは、タオルを鳴らす音を聞いた。それは、刑務所の暗号で、"GBUJS"という文字を伝えるものだった。そのメッセージを彼は決して忘れることができない。「ジム・ストックデールに神の祝福あれ。God bless you Jim Stockdale」

 アメリカにおいて近年捕らわれの身になった捕虜や人質すべてに当てはまることだが、即席かつ巧みに作り上げられたコミュニケーションが、彼らの大きな助けとなっている。ベトナムでは、叩打音(こうだおん)が暗号として用いられた。音の数やつながりがアルファベットの文字を表わしていて、それが、捕虜たちのコミュニケーションのおもな手段になったのである。ジム・ストックデールを助けたのもこの暗号だった。

 まず、捕虜にとって、文字をつなぎ合わせて味のあるメッセージを作れるように文字の暗号を覚えることが先決だった。しかし、すぐに彼らはそれに慣れ、そのシステムが彼らの第二の天のようになった。孤独な捕虜たちは、壁や天井や床を叩いた。距離が近い場合には指を使った。距離が遠い場合には、拳や肘やブリキのコップを用いた。

「すぐにメッセージが、独房の一つのブロックから別のブロックへ、そしてさらには、建物から建物へ、交通のように流れていきました」と、エペレット・アルバレッツは回する。

 最終的に、戦争捕虜たちは、叩打音を使った日常の交信をさらに発展させて、より洗練されたものを作り上げた。とくに効果的だったのは、箒で刑務所構内を掃きながら、集団全体に「話しかける」方法だった。

 ある捕虜が別の独房のそばを通りかかったときには、サンダルを引きずって暗号を流すことができた。毛布を振ったり、げっぷをしたり、鼻をかんだりして音を出し、仲間にメッセージを送る人もいた。また、特別な才能を持っている捕虜も何人かいて、自分の志でおならを出して暗号を送っていた。捕虜の一人は、毎日一、二時間、昼寝をしているふりをし、いびきを立てて、皆がどのような生活を送っているか、また、彼の独房の中でどのようなことが起こっているか、ということを報告していた。

 また、身体に引っかき傷を作ってコミュニケーションするという、刑務所の中ではよく見られる方法さえ取られるようになった。反アメリカ宣言をするように強要された一人の捕虜は、誰もいない中庭を通って広場に行く途中、彼の様子を気づかって、多くのアメリカ人の目が自分に釘づけになるということがわかっていた。そこで彼は、まず「c」という文字、次に「o」という文字、そして「p」という文字の引っかき傷を作り、最後にその引っかき傷が“頑張っている c-o-p-i-n-g”という言葉になるようにしたのだ。

 5年半におよぶ捕虜生活の大半を独房で過ごした、海軍少佐ジョン・S・マッケイン3世は、次のように結論づけている。

「戦争捕虜として生き延びるために最も重要なことは、誰かとコミュニケーションを持つことでした。ただ単に手を振ったりウィンクをしたりすることでも、壁を叩いたり誰かに親指を上げさせたりすることでもよかったのです。それによってすべての状況が一変しました」

 ベトナムにおける最初の戦争捕虜の一人、ロバート・シュメイカー少佐は、仲間とコンタクトを取ることさえできれば、どのような事態でも耐えられると確信していた。彼は、独房の中で、乾いたインクの染みを見つけ、そこに何滴か水をたらして、それを再生しようとした。そして、マッチ棒をペンとして使い、トイレットペーパーの切れ端にメッセージを残した。そのメモは、受け取った人の前を尋ねるだけの単純なものだった。彼はメモを、セメントや煉瓦(れんが)が崩れ落ち、最高の隠し場所になっていたトイレの片隅に置いた。

 そして、別の捕虜が収容所に到着したということまでがシュメイカーにわかるようになった。彼は、自分が作ったメモを消しゴムくらいの大きさに折り曲げ、次にトイレに行ったときに、崩れ落ちたセメントのかけらの下に隠した。トイレットペーパーの切れ端に「持って行ってくれ」という言葉を走り書きし、便器のそばに置いておいた。そして、待ち続けたのである。

 これについてジョン・G・ハベルは、『P・0・W・(戦争捕虜):アメリカ捕虜の戦争体験決定史』という本の中で書いている。「シュメイカーは次にトイレに行ったときに、自分のメモがなくなっているのに気づいた。メモを隠した場所に、別のメモを見つけた。そこには、トイレットペーパーの切れ端にマッチの燃えかすで『米国空軍大尉ストルツ』と書いてあった。あれほど興奮したことはなかった、とシュメイカーは言っている」

 しい体験を続けながらも、ベトナムのアメリカ人捕虜は、お互いに連絡を取り合おうとする努力を決して怠らなかった。それは、一見不可能に見えるような状況下でも行なわれた。自分の排泄物を伝達手段として使うことさえあったという。最近、ストラットン大佐が回して私に話してくれた

「われわれは紙で船を作り、その中にメッセージを入れ、排泄物の上に浮かせました。われわれは、小さなバケツに用を足していました。そして、一人が、独房のあるブロック全体のそれを集めて、トイレに捨てることになっていました。しかし、その前にまず、大事なメモをしっかりと抜き取っていたのです。看守が、わざわざ私たちの排泄物を取り上げたりはしないだろうと、みんなが知っていたのです」


 連絡を取り合うことが、どうしてそのように重要なのだろうか? お互いにメッセージをやり取りすることによって捕虜たちは、強まる孤独や絶望を打ち破り、耐えぬく力を発揮できたのだ。

「それは、自分を癒す行為でした」とエペレット・アルバレッツは言う。「私たちは、煉瓦の壁を越えてやり取りされる沈黙の会話を通して、お互いが本当に理解し合えるようになるのです。最後には、それぞれの人たちの子ども時代、背景、体験、妻、子ども、希望、野望などについて、すべてわかるようになりました」

 また、ストックデールは次のように言っている。「それは、私たちの生活や夢を一つにつなげ合う方法だったのです」

 キャサリン・クープもこれに同する。彼女は、テヘランで同じく人質になっていたアン・スウィフトと一緒に、毎目隠しをされてトイレに連れて行かれていた。その中で一人になると、二人は、仲間の人質に関する情報が何かないかとごみ箱をあさり、手紙やメモの切れ端を捜した。また、近くに捕らわれている人々が食事を終えた後に何枚の皿が洗われるか、数えようとした。ごみ容器に捨てられた鶏の骨の数も数えた。

 とうとうクープとスウィフトは、看守を説得して、同じ建物の中に捕らわれている他の6人の人質の料理を担当する許可を得た。二人は、自分たちが料理を作っている他の人質たちと実際に会うことは一度もなかったが、労して再生したメモのおかげで、「連絡を取り合っている」という覚を持つことができたのだ。

 そのメモには、「コック長への賛辞」だけでなく、今後の料理に対する注文も書かれていた。

「ピーナッツバターが手に入ったら、ピーナッツバター・クッキーを作っていただけるといいといます」あるメモにはそう書いてあった。「もう少しレタスが欲しいのですが」別のメモにはそう書いてあった。そうした秘密のメッセージには、「奥の部屋に住む少年たち」というサインがしてあった。

 クープは、解放されて生還した後、次のように言っている。「隣の独房に自分の存在を気にかけてくれる人が誰かいると考えただけで、生きていく力がわいてきました」

 何かもイランで捕らわれの身になりながら、その間アメリカ人の人質は、お互いに話ができないときでさえ連絡を取り、慰め合うことによって、絶望じないですんでいた。

 彼らの中には、解放された後に初めて顔を合わせた人たちもいる。しかし、テヘランでお互いを引き離していた部屋の壁を通して秘かにコミュニケートし合っていたために、以前から知り合いだったかのような情を抱いたという。

 彼らは、それぞれ隔離されていたにもかかわらず、お互いを助け合うネットワークを作り上げることによって、その試練を切りぬけたのである。これは、人生で直面する危機的状況を生きぬこうとする私たち全員に必要なものである。


生きぬく力―逆境と試練を乗り越えた勝利者たち

2005-06-05

四条金吾殿御返事


背景

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 なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし、「諸余怨敵・皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず、兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり、ふかく信をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候


2005年6座談会拝読御書】