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2005-06-20

永遠に若き青春の心であれ


 学会はこれまで若かった。若いがゆえに力があった。希望があった。みずみずしい生命力もあった。

 その力がを越え、怒涛を越えて、広宣流布への大道を開いた。風雨があっても、嵐があっても、たくましい生命力で代償を求めず戦ってきたがゆえに、壮大なる広宣流布のが出来上がった。

 しかし、私を始め、多くの最高幹部は老いてきた。自然に肉体的にも弱くなり、精神的には受け身となる。ともすると、学会のたくましく、力強い前進の足音が弱まっていくことがあるかもしれない。

 だからこそ私は申し上げておきたい。「信とは、永遠に若き『青春の』でなくてはならない」と。


【第2東京支部長会 1987-10-11 立川文化会館


 既にいくつか紹介してきた『今日より明日へ』(1)の冒頭に収められた指導。今、読み返すと、本当にこの指導の重要が理解できる。


 この時、先生59歳。「老いてきた」というほどの年齢ではない。つまり、これは、会長勇退から8年を経て、漫然と年を重ねてしまった多くの幹部に対する警鐘であろう。


 1987年(昭和62年)は、先生が59歳となられた年である。14日に行われた第2東京新春代表幹部会の席上、戸田第二代会長と北条第四代会長が58歳で逝去した事実に触れながら、「完全に学会の宿命を転換したと確信している」と勝利宣言をされた。


 我々は、師匠の長寿を喜ぶだけの浅はかな姿勢ではいけない。「学会の宿命を転換した」ということは、「先生ご自身が変わった」ということであり、全く新しい広宣流布の段階に突入したということである。その布石として、『今日より明日へ』が発刊されたと私は考える。


 スピーチは質量共に劇的な変化を遂げ、この指導から3年後に、学会は法史を画す“僣聖増上慢との闘争”を迎える。まさしく、創価学会にとっての“佐後”ともいうべき黄金時代に入った。


「青春の」が失われるのは、40代になった時だ(笑)。青年部を卒し、責任範囲が小さくなると、必ず手を抜く人物がいる。何となく物足りなさをじるようになれば、もう危ない(笑)。本部長以上の幹部が、しっかりと40代に手を入れることなくして、学会の令法久住はない。


 今日付の『新・人間革命』(「民衆」23)に、並田辰也という青年が登場する。この方は、私の先輩である。現在も広布最前線に身を置き、会員のために尽くされている。草創期の江東男子部が登場し、私としては襟を正さざるを得ない。