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2005-07-29

広布の世界で“濁り”を許すな


 器いっぱいにたたえられた清水も、毒物を一粒入れたら、もう飲むことはできない。妙法はあまりにも清らかな法であるがゆえに、謗法へのいささかの妥協も許されない。

 個人の信においても、大聖人は、「何(いか)に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし、うるし(漆)千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し」(1056頁)――いかに法華経を信じておられても謗法があれば必ず地獄に堕ちる。それは、あたかも千杯の漆があって、蟹の足一つを入れたら、全て効力を失ってしまうようなものである――と厳しく御指南されている。

 広布の世界もまた、いささかの濁りも許されない。妙法の信を永遠に純粋に伝え、広めていかねばならない。ゆえに謗法・反逆とは妥協なく戦わざるを得ない。また、そうした悪の存在は外に出てもらった方がありがたいのである。

 日興上人がお示しのごとく、ここ大聖人法の、絶対に平等にして、厳粛なる「法の世界」がある。


【第3回全国婦人部幹部会 1988-09-07 創価文化会館


「清濁併(あわ)せ呑む」という言葉がある。度量が大きいことを示したものだが、信仰の世界にこんな姿勢は不要だ。先生も箴言(しんげん)で、そのように書かれている。「泥をかぶる」のと混同するなかれ。謗法厳戒が創価の精神だ。


 漆については、先日、「旭日大学校OB会」の宮本さんが書かれていた。私の先輩のお父さんが漆職人をされていて、この御文について質問したが、御書の通りであるとのこと。埃(ほこり)一つ付いても駄目になるそうで、お父さんが仕事をしている時には、絶対に騒ぐことは許されなかったという。


 中者にわずかでも濁った精神があれば、後輩が必ずしむ。とはいうものの、どんな組織にも濁りはあるものだ。また、どんな人にでも何らかの濁りがあろう。様々な理由をつけて、見て見ぬ振りをしていると、濁りは着実に広がってゆく。


 在家の男女が持(たも)つべき五戒がある。殺生・偸盗(ちゅうとう)・邪淫(じゃいん)・飲酒(おんじゅ)・妄語をしてはいけないというもの。だが、末法無戒だから、我々が持つのは金剛法器戒のみで、受持即持戒となる。


 ただ一つ、肝に銘じておかなければならないことは、「組織利用」という大謗法だ。何をしても構わない。何をしても自由だ。しかし、自分の欲望のために、子である学会員を利用するようなことがあれば、取り返しのつかない“生命の濁り”が生じる。


 何か問題がある度にオタオタする連中が必ず出てくる。これは、自分の中の“濁り”がかき回されている状態といえる。かような手合いの大好物は、脚色されたデマ情報だ。濁り濁りが共鳴し、を黒々と染めてゆく。


「私がいるから大丈夫だ!」。こう言い切れる青年部がいるならば、挙手してみよ!


 信とは、自分自身のを薫発しゆく営みである。そこに、つまらない情が入ると、小さな不信が芽生える。にたぼらかされた生命は、マイナス情を正当化し、信の目的をも見失わせる。人生最大の命題は、「今、自分が広宣流布を推進しているかどうか」である。「今、先生にお応えできているか否か」という一点だ。


 それ以外のことには、あんまり興味がないね(笑)。




 これは、書くまでもないことだが、の為に記しておこう。


 役職解任と除は異なる。解任されたとしても同志であることに変わりはない。同志であれば、守ってあげるのが当たり前だ。学会員は、問題を起こした人物に対して、冷酷極まりないところがある。軽佻浮薄な噂話の類いを、私は断じて許さない。軽挙妄動は互いに戒め合おう。

2005-07-27

公明議員OBの3氏 週刊現代、矢野絢也氏を提訴


虚偽の記事で誉毀損


本人以外に知りえぬ情報 積極関与は明らか


 公明党議員OBの大川清幸(元参院議員)、伏木和雄(元衆院議員、元党副委員長)、黒柳明(元参院議員、元党副委員長)の3氏は26日、講談社発行の『週刊現代』(86日号)が「スクープ創価学会公明党タブー 『矢野絢也元公明党委員長極秘メモ』100冊が持ち去られた!」と題する悪質な中傷記事を掲載したことについて、誉を棄損されたとして、発行元の講談社(野間佐和子代表取締役)と、出樋一親・同誌編集長、矢野絢也・元公明党委員長に対し、各自に損害賠償1000万円と、同誌への謝罪広告掲載を求める民事訴訟を東京地方裁判所に起こした。


 問題の記事は、矢野氏の極秘メモが記録された衆議院手帖100冊が10箱近いダンボール箱に入れられて同氏宅から運び出されたとして、それは、大川氏ら3氏が共謀して「(資料を)出すまで帰れない」「それが貴方の身のためだ」などと矢野氏に執拗に強要し、同氏宅の本棚から押し入れ、妻の部屋まで家探しし、資料を「奪い」「持ち去った」ものと中傷している。


 これに対し訴状では、記事は「一般読者に対し、原告ら(大川氏ら3氏)が犯罪行為もしくはこれに準ずる行為を行ったとの印象を抱かせるものであり、原告らの誉を棄損することは明白」と指摘し、「原告らが矢野に衆議院手帖を出すように強要などした事実は一切なく、被告矢野が自ら進んで原告らに渡したものであって、本件記事は全くの虚偽」と厳しく糾弾した。


 また、同記事は「公明党OB議員」「元公明党幹部X氏」「古参の創価学会副会長」なる者のコメントを掲載し、あたかも同誌記者がこれらの人物から取材した内容に基づいて記事を作成したかのような体裁を取っているが、訴状では、例えば、X氏が証言する、大きな事件が起きたり政局が動いた年は手帖を何冊も使っていたとか、手帖の合計が100冊以上にのぼるなどの事実は、「矢野氏以外には誰も知り得ない事実」と指摘。


 その上で「被告矢野が積極的に虚偽の情報を『週刊現代』に提供し、情報操作して本件記事を作成させたことが明らか」「被告矢野は、原告らに対する誉棄損行為につき、共同不法行為者として被告講談社らと連帯して賠償責任を負担するもの」と断じている。


 そもそも大川氏らは、矢野氏がかつて刊誌『文藝春秋』に掲載した手記について公式に謝罪したと聞き、元同僚として、今後、支持者の信頼を裏切ることなく、議員OBとして地道な活動をするよう直言するために矢野氏宅を訪れ面談した。その中で、矢野氏が自ら進んで手帖を数回にわたって大川氏らに渡したもの。


 ところが、『週刊現代』は、大川氏らが強要して持ち去ったなどと全く虚偽の記事を掲載したことから、今回の提訴となった。


【公明新聞 2005-07-27】

2005-07-25

ドアの開け方ひとつで、その人の悩みがわかる


 法は最高の生活法です。戸田先生の質問会は、まさに庶民を救う“智の道場”でした。病気や失から借金、夫婦喧嘩まで、あらゆる人生の悩に、信の大確信でずばりと核を衝(つ)いた指導をされていた。先生の激励で、参加者はみるみる生気を取り戻し、勇気と希望に燃えて、立ち上がっていきました。

 先生は話されていた。

「歩き方、肩の怒らせ方、また、で、その人がわかるものだ。ドアの開け方ひとつで、その人の悩みがわかるものだ」と。

 それほど鋭く、深く、人々の生命状態を見抜き、悩みに応じて法を説くのが、法の指導者の力です。


【『法華経 方便品・寿量品講義 1』方便品 1995-09-20発行 聖教新聞社】


 慈悲は力である。この指導を拝すと、そうわざるを得ない。妙法に染め抜かれた生命は、人々の悩を鋭く察知する。菩薩が放つ言葉は、大いなる磁力で相手を包容する。人は、慈悲には逆らうことができない。慈悲は単なる気持ちなどではなく、力そのものである。


 悪いところを指摘するだけなら簡単だ。こんな簡単なことはない。その手前の段階でウロウロしながら迷っているような幹部は訓練不足。


 相手の一凶を見抜いた上で、どう励ますかが一番大切なのだ。一凶を注して終わっていれば、そりゃ、リーダーではなく、レフェリーだ。そんなことは、データを集めれば、コンピュータでもできるよ。


 この間、こんな話を聞いた。ある幹部に呼ばれて懇談。この幹部は、“力あるリーダー”と目されている人物。事前の情報収集は委細にわたり、相手の置かれた状況を丹に聞き出し、ズバリと踏み込んだ指導をする。信は強いが、人柄をやや問題視されている。


 この幹部、相手が抱えている悩みに対して、「よ!」と言い切った。そして、自分も大変な状況にあることを伝え、「私自身も宿命と戦っているのよ」と語ったそうだ。これは、致命的な過ちだ。同じ境にありながら、“あなたは”、“私は宿命”と差別を盛り込んでいる。なぜ、こうなってしまうのか? それは、自分の情報収集を過信するあまり、相手と直接、話をする前に結論を出してしまっているからだろう。


 幹部の簡単なチェック法を紹介しておこう(笑)。幹部が何を伝えようとしているのか、そこを理解すれば誰にでも簡単にわかる。

  • 「慢」――自分の言うことを聞け。
  • 利」――自分は凄い。
  • 「我見」――自分はこうう。お宅の見はどうでもいい。

 男子部の副部長となって初めて参加した総区の部長会でのこと。あることで私は気合いを入れられた。「申しわけありません!」と叫ぶと、シャラポワの10倍ぐらいので先輩は言った。「小野ぉーーーっ、何のために今まで話し合ってやってきたんだよ!」。この一言が、15年経った今でも朶(じだ)を離れない。恐ろしい先輩だったが、不議と何でも話せた。


 昨年、後輩を伴ってこの先輩を訪ねた。私は、自分が対処している問題を報告した。種々、懇談をした後で先輩は一言、私の後輩に語った。「今日は、小野の優しい一面を知ることができました。彼は男子部時代から、怖がられている存在でしたが、隠れた優しい部分を知ることができました」。私が格闘していたのは、長年にわたる組織悪の最たるもので、一歩間違えれば、引っ越した先の全幹部を敵に回しかねない問題だった。伸(の)るか反(そ)るかという熾烈(しれつ)な状況だった。だが、先輩は、私のの深い部分に秘めたいを見抜いた。私は泣いた――。


「士は己を知る者のために死す」という。それが、テクニックになると、あざとい情報収集で終わる。


 信の世界には、「わかる人にはわかるし、わからない人にはわからない」という側面が少なからずある。その人の境涯次第で、目に映る世界は全く異なる。


 此の経の文字は皆悉(ことごと)く生身妙覚の御(みほとけ)なり然れども我等は肉眼(にくげん)なれば文字と見るなり、例せば餓鬼は恒河を火と見る人は水と見る天人は甘露と見る水は一なれども果報に随つて別別なり、此の経の文字は盲眼の者は之を見ず、肉眼の者は文字と見る二乗は虚空と見る菩薩は無量の法門と見る、は一一の文字を金色の釈尊と御覧あるべきなり即持身とは是なり、されども僻見の行者は加様に目出度く渡らせ給うを破し奉るなり(1025頁)


 人をいやるには、相手が抱え込んでいる重い荷物を引き受けるだけの力が求められる。手を添えて、荷物の半分を支えてあげれば、悩に打ちひしがれている人のは軽くなる。広布丈夫(ますらお)の仕事は、“友の悩みの重量挙げ”といってよい。


 問うて云く何(いか)なる時か身肉を供養し何なる時か持戒なるべき、答えて云く智者と申すは此くの如き時を知りて法華経を弘通するが第一の秘事なり、たとへば渇者は水こそ用うる事なれ弓箭兵杖(きゅうせんひょうじょう)はよしなし、裸なる者は衣を求む水は用なし一をもつて万を察すべし(1051頁)

題目の鬼


 甲斐さんは、入信一年余でその初代地区部長となり、県下のすみずみまで走りまわって、やがて見事なる全国一の折伏成果を収めたのであった。

 いまだ会館がなかったころで、私は宮崎に行くたびに甲斐さんのお宅を訪ねている。そこが折伏戦の指揮所であった。“日本一の地区部長”は、風呂上がりのような血色のよい顔で「ワシら、題目じゃどこにも負けんです……。だからどんどん折伏ができっとですよ。ハハハ」と、まさに常勝将軍のように誇らしげに笑われていた。


 実際、甲斐さんは“題目の鬼”とまでいわれていた。

「ちょっと題目をあげようか」といえば1〜2時間、一緒に唱題する同志のあいだでは、よく「おい、甲斐支部長、ズボンのバンドをゆるめたぞ。……もういつ終わるかわからんど」とささやきあったという話もある。

「とにかく甲斐さんには“題目”で鍛えられた」と、草創をともに戦った宮崎の同志は、当時を懐かしんで口々に語っている。


【『忘れ得ぬ同志 1』/聖教新聞 1980-12-15付】


 昭和54年(1979年)、会長勇退の際の条件として、宗門は先生の口を封じた。それほどまでに、先生の雄弁を恐れていたのだ。翌、昭和55年(1980年)、先生はペンを執って反転攻勢の狼煙(のろし)を上げられた。729日から、『忘れ得ぬ同志』が、そして、810日からは、小説『人間革命』第11巻の連載が開始されたのだ。一旦は、水面下に隠れたように見えた“師弟の絆”が、再び赫々(かっかく)と燃え上がった。


『忘れ得ぬ同志』によって、長年にわたって広宣流布に尽くしてきた、無にして偉大なる民衆が宣揚され、青年部には草創の魂が打ち込まれた。


 甲斐速水(はやみ)さんは、宮崎の初代支部長をされた方。昭和31年(1956年)、10人のお子さんを抱えながら、原因不明の病に悩んでいたことが入会の動機だった。唱題によって病を克服した甲斐さんは、宮崎の地で果敢な折伏を。草創期の大阪でその勇を轟かせた。梅田支部所属、高千穂地区。


 甲斐さんは眠っていても、夢の中で折伏をしていたそうだ。


 この“夢の折伏”には、夜行列車などで同行した友がいつも驚かされたようである。居眠りしながら、大きなでハッキリ言うのである。

「おまえ、不幸になってもいいのか」

「策ばかりに走りよって……真剣に題目あげんといかんぞ」

 本気になって指導として開いた同志もいたという笑い話もある。


 これこそ、「昼夜十二時の持経者」(55頁)であろう。


 わずかな紙数で、先生はその人物の生と死を鮮やかに描き切っておられる。紹介されている方は限られているが、先生のは、全ての同志を讃えようとされていたに違いない。


 近頃、型破りな人物による伝説は、とんと聞かなくなった。一昔前には、どこの組織にも猛者(もさ)がいたものだ。


「題目だ」という幹部は多い。だが、一緒に唱える幹部は少ない(笑)。また、祈りが、“成果を出すための策”になっているケースさえ見受ける。「作戦としての唱題会」とかね(笑)。策の上に信が乗っかるようじゃ、何をやっても上手くいかないよ。


 男子部が新体制となった。これから、夏季友好期間を迎えるが、「“題目の鬼”よ出でよ」と期待するものである。

2005-07-23

中年期に堕落するな


 コロンブスの人生も中途までは、ある味で順調であった。その後、次第に下り坂となった。

 青年部の諸君の中には、今は境にある人もいるにちがいない。しかし、一年また一年、栄光の坂を上り、晩年にこそ最大に光輝燦(さん)たる福徳に包まれた一生であっていただきたい。そのための信仰なのである。

 指導者としての成長においても、誰しも中途までは、それなりに頑張り、伸びてゆく。しかし、中年になった後、更に自らを磨いて、民衆のための“本物”のリーダーとして完成されていく人と、反対に成長が止まり、何か澱(よど)んだ存在として、人々の信用を落としていく人がいる。後者の人は、自らはもちろん、また、その一家一族まで不幸へと引きずっていく場合がある。

 ともあれ、コロンブスの愚弟が植民地の惨状の大きな原因となったように、一人の悪しき指導者の存在は、民衆の甚大な被害をもたらす。

諸君は自らも一流の指導者として成長しつつ、更に、慈愛の熱き「よき指導者」と「よき指導者」の団結で、立派な模範の中部を築いてほしい。


【中部記幹部会 1988-03-28 中部池田記講堂】


指導者は支配者になるな」の続き。


 利が人生の目的になると、ある程度の地位や役職を得ると、満足してしまうものだ。ま、高価な衣装で着飾っているようなものだろう(笑)。


 また、壮年・婦人になると、青年部時代の先輩後輩の位置が逆転する場合もある。後輩に抜かれた瞬間、腐って終わるだけの人も多い。


 人間の成長を蝕むのは、やはり慢である。小さな慢が芽生えた瞬間、その人は“出来上がって”しまうのだ。新しい挑戦をしなくなれば、全ての判断は過去の経験に基づいて行われることになる。かような人物は、どんなにリーダーとしての力量があっても、自分自身の殻を破ることができない。


 私が上京した時のことである。仕事が落ち着くまで、組織活動を休もうと考えていた。はっきり言って、札幌で活動をやり過ぎた(笑)。私は3ヶほど経ったら、地元組織と連絡を取るつもりだった。何にも増して、「自分の信は、東京でも通用するはずだ」という強い自負があった。


 とろこが、聖教新聞を読めないのが困った。「困り果て抜き切った」といってよい(笑)。ある日、ボロアパートの共同玄関に据えられていた郵便受けに聖教新聞を発見した。私は、隣人が購読していた新聞を、毎、自分の部屋に持ち込んで、隅から隅まで目を通した。読み終えると、静かに階段を下りてゆき、サッと元に戻し、何食わぬ顔で日々を過ごしていた。私の配は、「もし、外部読者だったら、学会の信用はがた落ちになる」という一点だった。1ヶ半ほど経過した時、ノイローゼになりそうだった。そして遂に、聖教販売店に駆け込み、組織への連絡もお願いした。


 小学校1年から活動を始めた私だが、図的に休んだのは、後にも先にもこの1ヶ半だけだ。人生の汚点といってよし。


 自分で新聞を購読するようになった時、私はあることに気づいて愕然とした。自分の甘さをい知った。小さな悟達といえるほどの衝撃だった。信は、「東京で通用するとかしない」といった次元のものではない。あくまでも、自己の宿命転換、人間革命が目的のはずだ。私が札幌でやってきたことは、「組織の中で自分をどう見せるか」という程度のスタンドプレーに過ぎなかった。さしたる労もせずに、出来上がった組織の上で踊っていただけだった。


 そこから、私の反転攻勢の人生が開始された。上京した時、ただ一つだけ持参したのが、第13回伸一会総会の指導(「40代の危うさ 」)だった。


 今、現実に40代となり、先生が指導されていることが、少しずつ実できるようになってきた。地域が変わって、頼れる幹部が一人もいないことも頭痛の種。それでも、最前線を走りに走り、おじさん、おばさん達の笑顔を励みにしながら、若き日の誓いのままに奮闘する日々が続く――。

2005-07-20

指導者は支配者になるな


 今後も、皆さま方をいじめ、見下して威張り、しめる幹部が現れるかもしれない。そして、学会に育ててもらいながら、逆に学会を利用し、皆さま方を犠牲にして、一身の利を貪る有人が現れることを私は配する。また、現在もいるかもしれない。

 狂った機械は恐ろしい。狂った信はもっと怖い。私どもは、民衆利用の傲慢と無慈悲の指導者がのさばることを絶対に許してはならない。信の眼(まなこ)をもって鋭く見破り、正義の怒りをもって断固、戦わなければならない。


 植民者たちは、民衆に勝手に無理を押しつけのままにならないと迫害した。何という傲慢であろうか。

 指導者は指導者である。「支配者」でもなければ、「権力者」でもない。人々が自分の言うことを何でも聞いてくれるとったら、大間違いである。どれほど多くのリーダーがこの過ちから自滅していったことか――。

 学会においても、妙法が偉大であるからこそ、また、人生の師である牧口先生戸田先生を信じ、敬慕するゆえに、多くの人々が立ち上がった。それを、自分に人々が従っているとったら、あまりにも愚かである。また、傲慢である。

 指導者は一人ひとりの子を、でき得る限りの慈愛で大切に守り、祈り、尽くしていかなければならない。そうできる自分の立場に謝していかねばならない。その「真に徹しゆく行動」にこそ、真実の法のがあり、学会精神があるといってよい。


【中部記幹部会 1988-03-28 中部池田記講堂】


 アメリカ大陸を発見したコロンブスの転落を語ったスピーチ。“海の英雄”は、華やかな栄光の陰で、人々から見放され、病気と貧困にしみながら、寂しくこの世を去っていった。


 晩年の不遇をもたらした要因の一つは、アメリカ大陸発見後の植民地経営の失敗だった。弟の一人が管理した地域が無法状態に。コロンブスは相手が異教徒であるという理由で、大虐殺をもって応じた。多くのインディオは逃げ道を断たれ、マニオクという毒草の汁を飲んで自殺した。大陸を発見当時の1492年に7万人いたインディオは、50年後には500人になっていた。


 指導者のために皆がいるのではない。皆のために指導者がいるのだ。本末転倒している幹部は、民衆からの信頼を失い、必ずその化けの皮が剥(は)がされる。


 特に最近、目立つのは、悪がないにも関わらず、皆をしめる幹部だ。「そんなつもりはなかった」という鈍さが、皆にどんどん負担を強いる結果となる。


 一人の人間として、対等な目線で話すことができない幹部は全部、駄目(笑)。そんな幹部は相手にするな。


 黙々と家庭指導に足を運び、人知れず全ての責任を担っている先輩を見つけ出し、その人につくべきである。


 更に青年部は、多宝会・宝寿会の方々から学会の歴史を学べ。今、直接、学んでおかないと時を逸する。


 昨夜、学生部5が我が家に集い、座談会を行う。師弟についての質問あり。彼等の笑いの何と明るいことよ。大量の差し入れを、15分ほどでペロリと平らげた(笑)。

2005-07-19

労苦から感動の劇は生まれる


 障害を恐れてはならない。労から、動の劇は生まれるのだ。怯めば「障害」だが、勇気を奮い起こして突き進む人には、それは、勝利の「飛躍台」となるのだ。


【『新・人間革命』「民衆」33 2005-07-01 聖教新聞


 そして、我々は勇んで労を引き受け、動の劇をつくった。法は勝負なれば、勝った人のみが知り得る世界が確かにある。


 それは、労が報われたという次元にとどまらず、自分の中の何かが革命され、周囲の人間関係にまで波動を与える。


 飛躍した一人ひとりが、また新たな目標に向かって、更に深い友情を築きながら邁進(まいしん)してゆく。ここに広布がある。

2005-07-18

“住民移動”のデマは全て事実無根


“嫉妬の輩はウソで中傷する”パスカル

  • 昭和39年 代議士が暴言 → ウソを認め発言を撤回
  • 昭和43年 大臣が暴言 → “根拠は何もない”と謝罪
  • 昭和58年 代議士が暴言 → “無責任な言動”と陳謝
  • 平成5年 日新聞が掲載 → 調査の結果“ウソ”と謝罪
  • 平成15年 地方議員が暴言 → “迷惑をかけた”とお詫び
  • 平成15年 経済誌が掲載 → “記事を削除する”と謝罪

国民をナメるな


杉山●現職の国会議員が最近、またもや“住民移動”云々の悪辣なデマを放言した。前回は、そのことについて語り合った。


弓谷●僕の新聞記者の友人も怒っていた。「国会議員には何人も秘書がいる。立法調査費とか、文書通信交通滞在費とか、いろんな目で多額の手当までもらっている。そのくせ、素人でも、ちょっと調べれば分かるウソをつく。要するに議会をナメている。国民をナメている」と憤慨していた。


青木●当たり前だ。昭和39年に証明済みのデマだよ。「十年一日」どころか「四十年一日」だ。


杉山●その通りだ。前回も話したが、昭和39年4、当時の社会党の代議士だった島上善五郎が国会で“学会選挙対策で集団移動している”などと大ウソを言い放った。


弓谷●「証拠」も「証言」も「証人」もない。ないない尽くしのデマだった。当時の公明政治連盟の議員が島上を問いただした。すると島上はウソを認め、発言を撤回した。


青木●今回、国会でデマを蒸し返した議員は、そんなことも知らないのか。ちゃんと聖教新聞を読んだらどうだ(笑い)。


原田●当時、公政連は昭和38年の統一地方選挙で大勝利した。翌年5公明党の結党と衆議院進出を発表した。そういう時期に“住民移動”云々のデマが突然、出てきた。


秋谷●これが「嫉妬」の怖さだ。悪辣なデマを流す輩が必ず出てくる。方程式だ。


杉山●フランスの家パスカルも「妬みと憎しみは虚偽と中傷を用いる」と喝破している。まさに、その通りだ。


時の首相も否定


弓谷●昭和43年9にも、当時の自治大臣が“公明党の支持者が集団移動”と暴言を吐いた。


青木●公明党の議員が、ただちに猛抗議。すると大臣は“根拠は何もない。今後、根拠のない発言は慎む”と謝った。


杉山●昭和58年12の衆院選の最中にも、代議士が“住民移動”云々と中傷した。これも公明党が厳重抗議すると“無責任な言動だった”と明確に謝罪した。


原田●当たり前だ。当時の中曽根首相すらも国会で「公明党が、いやしくも、そのような不正行為、集団移動をやる、選挙目当てのそのようなことをやるとはっておりません」と答えていた。議事録にも明確に残っている。


弓谷●それに、あの「日新聞」も、調査した結果、真っ赤なウソだと結論して陳謝している。


原田●有な話だ。


弓谷●「日新聞」徳島版が平成5年720日付で“徳島県内の創価学会員の住民票が、東京都議選のために大量に異動されている”なんて書いた。


杉山●学会は、ただちに厳重抗議。「日新聞」は綿密な裏付け取材を行い、翌日付で陳謝した。「うわさのような事実はありませんでした。十分な裏付け取材をせず、掲載したことで、関係者並びに読者にご迷惑をおかけしました。おわびします」と明確に謝罪した。


弓谷●一昨年4の統一地方選の直前にも、鹿児島県で“公明党が住民移動”とデマを流した議員がいた。


杉山●公明党が、ただちに厳重に抗議すると、その議員が所属する党の県連が公明党に謝罪した。地元紙にも「『結果的に公明党に迷惑をかけたことについて、おわびしたい』と釈明した」とハッキリ出ていた。


弓谷●雑誌も謝罪した。一昨年の7、経済誌がコラムの中で“衆議院と参議院の同日選挙では、公明党は、お得の住民票の異動ができない”云々と中傷した。


杉山●この経済誌も当然「完全な誤り」と認めた。「訂正とお詫び」を掲載。「記述を削除します」とハッキリと謝罪した。


原田●発言した政治家も陳謝。新聞も雑誌も謝った。


秋谷●“住民移動”云々のデマは、騒ぐたんびに「事実無根」と一段とハッキリしている。


青木●それを、いまだに流すやつがいる。しかも国会議員だ。言語道断だ!


直ちに謝罪せよ


原田●だいたい、実際に住民票を移動しているのは「公明党以外」だよ(笑い)。何度もニュースになっているじゃないか。


杉山●一昨年の横浜市議選では、落選した女候補が住民票を不正に移動していた。自分と夫、子ども二人の住民票を、実際には住んでいないアパートに移して投票していた。


弓谷●新聞でも報道された。この候補者は横浜簡裁から金50万円を命じられている。


杉山●平成12年の秋田県稲川町(当時)議選でも、町職員が住民票を不正に移動して投票。その後、「金50万円」と「公民権停止5年」の命令を受けた。


青木●たった一人や数人、住民移動しただけでもバレる。裁判で厳しく裁かれ、マスコミでも報道されるんだ。かりに、どこかの組織が大々的に住民移動なんかやったら、すぐに大問題だ。大ニュースだ。


原田●ましてや都議選や国政選挙で、当落を決めるのは何千、何万票単位だ。要するに現実を知らない。それでいてデマを言う。権力の傲慢だ。


秋谷●いずれにしても「政治家のウソ」は社会を狂わせる。民主主義を破壊する。絶対に見過ごしてはならない。公明党は徹底的に追及すべきだ。


杉山●デマを吐いた議員が、これからどうするか。発言を議事録から削除するのか。公明党、支持者に詫びるのか。青年部は厳しく見ていく。


聖教新聞 2005-07-18】

戦わないと魂が腐る


 闘争力を磨け!

 戦わないと

 魂が腐る!

 訓練がないと

 精神が堕落!


【「わが友に贈る」/聖教新聞 2002-01-15付】


 昭和32年(1957年)717日に出獄された池田先生は、28日に夏季ブロック指導の荒川区最高責任者に任命される。82日には夏期講習会、18日には第1回北海道体育大会に出席。28日の本部幹部会(豊島公会堂)で、葛飾総ブロック長の任命を受けている。そして、98日、第4回東日本体育大会(横浜・三ッ沢競技場)の席上で、原水爆禁止宣言が発表される。その他、諸行事にも参加されている。


 文字通り、席の温まる暇もないほどの激闘で、次々と学会の歴史を拓(ひら)かれた。


 止まった流れは必ず澱(よど)む。澱んだ水は必ず腐る。清冽な水は、ほとばしる勢いで岸辺を洗う。


 一回一回の会合も戦いだ。全参加者に「来てよかった」とわせなければ負けである。家庭指導も戦いだ。相手の何かを動かさなければ敗北だ。法華講救済運動も戦いだ。「知り合いがいないから」と漫然と構えていれば、悪を打倒しゆく祈りすら忘れてしまう。


 戦いは、まず「戦うぞ!」と肚(はら)を決めることだ。戦いとは、自ら“起こす”ものである。打ち出しがあってから、腰を上げるようでは遅過ぎる。常に全軍に先んじて、戦野を開拓してゆく人こそ、真の学会幹部である。


 進まざるは退転、戦わざるは敗北。一生成とは、限られた時間の中で、果てしなく成長し続ける人間の可能を証明することだ。怠惰と停滞を恐れよ。無味と散漫を警戒せよ。“この人”という模範のリーダーを見つけ、徹底して学べ。

2005-07-17

原子核には100万倍ものエネルギーが


 私どもの住む地球は、その中部が摂氏6000度、300万気圧という大変な大変な高温・高圧状態にある。

 また、天体というマクロの世界から、ミクロの世界に目を転ずれば、原子の中となる原子核にも、極めて強い核力(かくりょく)が働いている。

 つまり、原子核は、陽子と中子からなるが、その両者を結びつけている力が核力である。その結合エネルギーはまことに強力であり、原子と原子とを結ぶエネルギーの100万倍にも及ぶ。

 物理の世界にあって、マクロの地球にも、ミクロの原子にも、その中部に強烈な力が働いていることに、私は尽きぬ興味をずる。というのも、私どもの社会や運動にあっても、同様の原理が存在するようにえるからだ。

 いかなる社会、組織でも、中者に加わる周囲の圧力は強烈であり、リーダーが組織を前進・発展させてゆくためのエネルギーは大変なものである。それほど、核となる人々の存在は重大であり、全ての興亡がそこにかかっている。

 これは、広布の舞台にあっても、全く同じ道理といってよい。


 また、原子の中にある原子核内の陽子と中子を結ぶ核力の強大さは、私どもにとっては、中者相互の信頼と団結の姿にも通ずる。リーダー同士の団結の力こそ、一切の要であり、安定した発展への原動力である。

 もしも、中者に野があったり、嫉妬や独りよがりの情で互いに反目したり、仲が悪かっりすれば、その組織はまことに不安定なものとなり、皆が自信をもって前進できなくなる。これほど恐ろしいことはない。


【第1回関西代表幹部会 1988-03-21 関西文化会館


 砂浜で埋められた程度でも身体の自由は奪われるのだから、地球の真ん中がどれほどの高圧になっているか計り知れない。そもそも、地表で生存している我々であっても、ゴリラ5頭分ほどの重力がかかっているといわれるのだ。


 原子核が二つ以上に割れることを“核分裂”という。一つの原子が核分裂すると、直ちに連鎖反応が起こり、膨大なエネルギーが生まれる。ウランの核分裂を利用して造られたのが、原子爆弾と原子力発電所。


「一切法皆是法」(725頁)である。組織の中者は、いかなる問題・宿命をも引き受けることのできる、高温・高圧の信であらねばならない。


 核(中幹部)が凄まじい力で結合しているのが、本来の状態だ。ところが、ここに、情や利害、利や我慢偏執が入ると核分裂を起こす。怨嫉の連鎖反応による婦人部の核爆発を、実際に見たことのある方も多いことだろう(笑)。


 広布の団結を破壊する働きは、全てのの所為である。芽が小さい内に指導を受ければ、解決できることが多い。にも関わらず、指導を受けない。あるいは、指導を受けても、なだめられて終わってしまうケースがあまりにも多い。このため、問題は放置され、“指導を受けないリズム”が確立される悪循環となっている。


 挙げ句の果てには、幹部と現場が向き合って対立する関係となり、幹部が「打倒日顕!」と語るのを冷ややかに眺めながら、「日顕よりも、お前の方が問題なんだよ!」なあんてことになりかねない(笑)。【※「日本企業を蝕む病」を参照のこと】


 もしも、そのような組織があるとすれば、ここで私が何を書こうが、解決の力にはなれない。その組織にいる“誰か”が立ち上がるしかないからだ。広布最前線に、傍観者や評論家は要らない。


 核となるメンバーが団結することを少数精鋭という。どんなに学会が大きくなっても、この原理は変わらない、と先生は指導されている。団結は自然に出来上がるものではない。中者がを砕きに砕き、熟慮に熟慮を重ね、配慮に次ぐ配慮を実践して初めて成るのだ。また、それ自体が偉大なる人間革命の軌跡である。


 こうした些事(さじ)や小事をおろそかにしないことも、「高温・高圧」に含まれるとずる。


 団結が出来上がると、集うこと自体が楽しくなるものだ。

2005-07-16

広布の主体は自分自身


 その広布の大河の流れが

 歴史の必然であるか否かを

 君よ問うなかれ


 汝自身の胸中に

 自らの汗と労により

 広布を必然たらしめんとする

 熱情のありや無しやを 常に問え


【「青は藍よりも青し1988-03-09】


 3.16を記して詠まれた長編詩。学会2世を中とする世代にとっての、「青年訓」「国士訓」ともいうべき内容。坊主の非道に先んじて、先生は青年部に対し、鋭い楔(くさび)を深々と打ち込まれた。


 既に何度か紹介している長峰総区副総合長を分区の部長会にお招きしたことがあった。「皆さん、親孝行はしてますか?」と呼びかけ、殆どのメンバーが笑するのを見て、「親孝行もできないような青年部は、広宣流布を推進することはできない」と笑っておられた。指導が山場に差しかかると、「今回の大事な戦いは、勝てるとう人?」と尋ねられた。すかさず全員が挙手。すると、長峰さんは語気を強めて語った。「その理由は何だ? どうして勝てるんだ?」と。皆、沈黙した。私は主催者であったため答えることを躊躇(ためら)った。


「『私が戦っているから、必ず勝てます!』と、どうして大きいで言えないのだ! 分区にこれだけの青年部がいるのだから、皆さん一人ひとりが、そう言い切れる戦いをお願いします」。


 会合終了後、「小野君、少し厳し過ぎたかな?」と訊かれたので、「もっと、やってもらってもよかったんですよ」と私は応じた。この方は、どんな小さな会合であっても、「青年部、いつもありがとう!」とをかけて下さった。


 時折、「学会は、これからどうなっていくのだろう?」とうことがある。だが、先生は、「君自身が、学会をどうしたいのだ?」と問いかけられているのだ。


 一生成も広宣流布も令法久住も、全て“自分という一人の人間”に帰着することを忘れまい。自分が変われば世界が変わるのだから。

執念が破竹の勢いを生む


 山本伸一は、戸田城聖のもとで、また、文京支部にあって、不眠不休の闘争を展開していた。

 そのなかで、男子部総会まで2週間を切った127日にも、再び伸一は、総結集を呼びかける檄文(げきぶん)を送った。

 その文面には、“全部員を義ある大総会に参加させたい。参加できずに、生涯、悔いを残させるようなことがあってはならない”との、情熱がほとばしっていた。

「残り13日、人生をかけた戦いをしよう!」

「自分の新しい歴史をつくる挑戦をしよう!」

 皆が発奮した。断じて勝つとを定めた同志の力はすさまじかった。全員が一騎当千の闘士となった。

 行き詰まっていた班も、次々と壁を打ち破っていった。それまでの2倍を超える結集の確認ができた班もあれば、弘教を実らせたメンバーが続出した班もあった。

 人間は計り知れない力をもっている。執がその底力を爆発させた時、破竹の勢いがつくり出されるのだ。


【『新・人間革命』「民衆」23 聖教新聞 2005-06-20付】


 今日は、大聖人北条時頼に対し、「立正安国論」をもって諌暁された日。


 現実を変革する力のない宗教は、形式を重んじるあまり、葬式教と化す。現実を打開する力のある宗教は、他者と関わり、社会と関わらざるを得ない。一人の生命を変革するその力は、政治・文化・教育など、ありとあらゆる人間の営みに発揮されるのは当然のことだ。ここに、我々が、政治と取り組む本質的な動機がある。


 東京議会選挙の投票日まで、あと13日と迫った日に、この『新・人間革命』は新聞に掲載された。師匠の大号令に震えるほどの激をもって立ち上がったのは、私だけではあるまい。もったいないことではあるが、今回の勝利は、先生の陣頭指揮による賜(たまもの)であることを痛した。また、“東京こそ主戦場”と、全国から多数の同志が駆けつけて下さった。中には、言うに言われぬ境にあった方も、いらっしゃったことだろう。一切を投げ打って、東京勝利のために奔走された数多くの同志に、から謝申し上げたい。


 我々在京のメンバーは、この大を絶対に忘れてはならない。そのためにも、下半期の戦いは、東京が先駆を切って参りたい。

宗教弾圧は断じて許さぬ


国会議員がまたまた“住民移動”のデマ


いつ 何人 どこからどこへ移したのか→事実が示せないなら天下に詫(わ)びよ

最後には報いが


弓谷●この座談会では「票狙い」「選挙狙い」のデマを厳しく糾弾してきた。


秋谷●社会のため、未来のための大事な選挙だ。それをデマで汚す。ウソで騙(だま)す。卑劣な連中だ。


杉山●しかし、どこまでいっても「デマデマ」だ。やがては正体を見抜かれ、デマを吐いた連中が逆に厳しい報いを受けている。


原田●その通りだ。選挙のたびに薄汚いデマビラを撒(ま)いた日顕一派! 裁判で3度も断罪された。


青木●今じゃ、手も足も出ない。この間の都議選でも、ただの一枚も撒けなかった(爆笑)。


弓谷●あの共産党。他人の悪口ばかり、ビラばっかり。それで今回の都議選でも、また2議席減った。


杉山●どのマスコミも「共産敗北」「退潮止まらず」と報道していた。ところが、共産党だけは負けを認めない(笑い)。


弓谷●志位委員長なんか記者会見で「重要な成果」って虚勢を張ってたな(大笑い)。


青木●そうか。本当は「もっと減る」とっていたんだな(爆笑)。


杉山●そういえば、不破議長も最近、全く姿を見せない。6以降、一度も表に出てこない。


弓谷●どこで何をしているのか。都議選の応援も全然やらなかった。


杉山●僕の友人が「どうあがいても負け戦だから、さっさと逃げ出したのか」って笑ってたよ(笑い)。


青木●とうとう選挙結果すら誰も責任を取らない党になっちゃったな(大笑い)。


秋谷●とにかくウソは怖い。最後は全部、自分に跳ね返ってくる。「ウソをつこう」「他人を騙そう」というが、自分自身の生命を腐らせ、破壊していく。やがては信用をなくし、誰からも相手にされなくなって滅んでいく。


国会でデマ発言


青木●とくに政治家のくせに平然とウソをつく。デマを吐く。最低だ!


原田●つい先日も、国会議員がウソもウソも大ウソの大暴言を吐いて大問題になったな。


弓谷●千葉県選出の代議士だ。今8日、衆議院の倫理選挙特別委員会で、悪辣(あくらつ)なデマ公明党と支持団体を中傷した。「公明党の支持団体の方々の住民票が東京都に移されている疑がある」などと言い放った。


杉山●学会が都議選のために住民票を移動していたと言わんばかりだった。


青木●バカバカしい! だったら「いつ」「何人」移動したんだ。「どこからどこへ」移したんだ。具体的に前を言え。会ったことがあるのか。


秋谷●公党と支持団体を侮辱したんだ。全てを明確にするべきだ。こんなデマを、あろうことか国会の場で言ったんだ。重大な「宗教弾圧」だ。絶対に許さぬ!許されることではない。


原田●その通りだ。それができないならば、真っ赤なウソだ。ウソならば、天下に詫びろ!


杉山●当然、公明党は直ちに、この議員に厳重抗議。公式謝罪と発言の議事録削除を求めた。また自民党とともに、この議員の懲動議を衆院に提出した。


秋谷●当然だ。政治家は政治家同士、政党は政党同士で批判し合えばいい。それを、政治家が他党の支持団体を攻撃する。それも、ありもしないウソ八百のデマで一方的に攻撃する。卑劣千万だ。断じて放置してはならない。公明党は徹底的に追及すべきだ。


“懲動議男”


杉山●そもそも、この議員は「暴言男」で有だ。これまで何度も国会で暴言を吐いてきた。過去5年間で何と3回も懲動議を出されている。


弓谷●今回で4回目だ。国会じゃ“懲動議男”と呼ばれているそうだ(大笑い)。


杉山●要するに「目立ちたがり」だ。


弓谷●マスコミの取材にも「僕は15分程度質問する時も、20〜30時間は勉強している」なんて自慢していた。


青木●そんなに勉強して、こんなウソ八百の質問しかできないのか(笑い)。


秋谷●いまだに“住民移動”云々のデマを言う議員がいたと聞いて驚いたが、そういう男か(大笑い)。


40年前からの嘘


原田●この種のデマは、昔から選挙のたびに出てきた。全部が全部「事実無根」とハッキリしているじゃないか。


杉山●その通りだ。公明党が、まだ「公明政治連盟」だった時にもあった。1964年(昭和39年)4、当時の社会党の代議士だった島上善五郎という男だ。国会で“学会が選挙対策で集団移動している”などと大ウソを流した。


弓谷●この島上は“アパートの一部屋に100人も200人も移動した”などと言い放っていた。


秋谷●バカバカしい(爆笑)。そんなことをしたら、選挙管理委員会がつくる「選挙人簿」等にも厳然と記録が残るはずじゃないか。


原田●結局、国会議員のくせに「証拠」も「証人」も何一つ出さない。裏付け調査も一切なし。


弓谷●当然、公政連の議員が直ちに島上を問いただした。すると島上はウソを認め、発言を撤回した。


杉山●これが“住民移動”云々のデマについて、現在のところ活字で確認できる、最初のケースだ。


青木●はじめっから、まったく事実無根のデマだった。よく分かるな!


聖教新聞 2005-07-16付】

「票移動」は荒唐無稽な妄言


民主・永田氏の謝罪、議事録削除を要求


都議選の選挙簿「異議申し立て1件もなし」総務省選挙部長が答弁


衆院倫選特委で東、山


 公明党の東順治国会対策委員長は15日午前、衆院政治倫理確立・公職選挙法改正特別委員会で、8日の同委で民主党の永田寿康(ひさやす)氏が、先の都議選に絡み、公明党の支持団体が集団で「住民票移動」を行ったかのような中傷発言をしたことに関して質疑を行った。この中で東氏は、永田発言が全くの事実無根で荒唐無稽(こうとうむけい)な話であることを明らかにした上で、永田氏の謝罪と発言の撤回、議事録削除を強く要求した。


 問題の永田発言は、「公明党の支持団体の方々の住民票が東京都に移されている疑があって(中略)103日以降でないと(総選挙の)投票日が設定できないという話を言う人もいる」というもの。


 質疑の中で東氏は、各市区町村の選挙管理委員会が選挙権のある人をあらかじめ登録する選挙人簿の縦覧期間内に、不審な点があれば異議の申し立てができる制度があることに触れ、「もし大量の住民移動があれば選挙オンブズマンや、不審にっている人物が縦覧し、異議を申し立てる。今回の都議選について異議申し立てはあったのか」と政府側に確認を求めた。


 これに対し、総務省の久保信保選挙部長は「東京都選挙管理委員会に確認したところ、異議の申し出は1件もない」と回答。今回の都議選の選挙人簿に対して1件の異議も出されていないことから、大量の住民票移動があったかのような話は、確たる根拠がないデッチ上げに過ぎないことが明らかになった。


 また東氏は、住所移転の事実がなく、選挙目当てで虚偽の転入届を出した場合は、公選法など3つの法律のいずれかの違反に当たることを確認し、「法律による監視の目がある中で、大量の住民移動(という話)は荒唐無稽としか考えられない」と指摘。永田氏に対し、「証拠も何も挙げずに、刑事につながる話を平然と言い放つ。こんなことが許されていいのか」と糾弾し、謝罪と発言の撤回、議事録削除を求めた。


 民主党側から答弁に立った堀込征雄氏(民主党の政規法改正案提出者)は、「議運、国対の協議の場で円満な解決が可能かどうか、努力したい」と述べるにとどまった。


 一方、同委員会の冒頭、8日の永田氏の質問に対する答弁の形で発言した公明党の山靖英氏(与党の政規法改正案提出者)は、永田氏に対し「発言のお粗末さを自覚し、直ちに発言の撤回及び議事録削除並びに公の場での陳謝を強く求める」と強調した。


衆院倫選特委での東、山氏の質疑要旨


いつ、どこで、何人が……具体的な事実示せ


 15日の衆院政治倫理確立・公職選挙法改正特別委員会における公明党の東順治国対委員長、山靖英氏の質疑、発言の要旨は以下の通り。


●78日の当委員会における民主党・永田議員の質問に対し発言させていただく。

 永田議員は、わが党に対し、東京都議会(選挙)にかかわって、「もしも衆院が解散するとしたら、その日付は103日以降であろうと。なぜなら公明党や支持団体の方々の住民票が東京都に移されている疑があって、これをそれぞれの選挙区に戻すには3カかかるから103日以降でないと(総選挙の)投票日が設定できないというような話を言う人もいる」と発言した。あたかも公明党及び支持団体が、先の都議選のために住民票を移動していたかのような印象を与える極めて悪に満ちた発言だ。

 何の根拠があってそのような発言をしたのか、いつ、どこで、誰が、どのように言ったのか、明らかにすべきだ。全く根拠のないデマに基づく発言は、国会の品位を喪失させるのみならず、公党ならびに支持団体の誉を著しく棄損させる誹謗中傷であり、断じて許すことができない。

 永田議員は、「私は真実とはっていませんよ!」と言い逃れを試みている。先の郵政民営化法案採決の本会議の際も、住民移動云々の不規則発言をした。わが党は、永田議員のいわれなき公党への誹謗・中傷発言に対し、8日、懲動議を提出した。永田議員は、自らの発言のお粗末さを自覚し、猛省し、直ちに発言の撤回及び議事録削除並びに公の場での陳謝を強く求める。


東国対委員長●永田氏の発言は看過できない。選挙人簿の登録、縦覧制度があり、疑義が生じれば異議を申し立てることができる。もし大量の住民移動があれば、選挙オンブズマン、不審にっている人物が縦覧し、異議を申し立てる。今回の都議選について、選挙時登録時の異議申し立てはあったか?


久保総務省選挙部長●東京都選挙管理委員会に確認したところ、異議の申し出は1件もなされていない。


東●選挙時登録のみではなく、今回は62日に定時登録もやっているが、そこでの異議申し立てはあったか?


選挙部長●1件もなされていない。


東●この二つの(選挙人簿の縦覧で)異議申し立てが1件もなされていないことから考えると、(住民票の)大量移動は、とても考えられない。仮に、住所移転の事実がないにも関わらず、虚偽不正の転入届を出した場合、法的な措置はどうなっているか。


選挙部長●転入届に関し、虚偽の届け出によって選挙人簿に登録をさせた者は、公職選挙法第236条第2項の詐欺登録罪に該当し、6カ以下の禁固、または30万円以下の金。住民票の記載事項について虚偽の届け出をした場合は、公正証書原本不実記載罪として5年以下の懲役、または50万円以下の金に処する。虚偽の転入届をした者は住民基本台帳法第条により、5万円以下の過料に処するとされている。


東●縦覧制度、異議申し立て制度がある。なおかつ法律で監視の目がある。こういう中で大量の住民移動は荒唐無稽(こうとうむけい)としか考えられない。

 永田氏は「公明党の支持団体の方々の住民票が東京都に移転されている疑がある」。こう言って「そう言う人もいる」と言う。では「そういう人」は一体、どこのだれなのか。集団移転なるものが仮にあったとするならば、いつ、何人が、どこからどこへ移転したのか、移転後の住所はどこなのか(具体的な事実を)明確にしなければダメだ。証拠も何も挙げずに、刑事につながる話を平然と言い放つ。こんなことが許されていいのか。


堀込征雄委員(民主党)●今の質疑や(公明党が)重要問題として捉えて質問されたことも(民主党の)議運、国対に言い、その協議の場で円満な解決が可能かどうか、努力したい。


東●例えば、1993年6に都議選、7に衆院選があった時、日新聞徳島版(同年720日付)に、こういうくだりがある。「『創価学会員の住民票が東京都議選のために大量に異動され公明党陣営は慌てている』。こんなうわさが広がった」と。翌日の(同紙)刊で、きちんとお詫びを出した。「本社が県内の選管に取材したところ、うわさのような事実はありませんでした。十分な裏付け取材をせず、掲載したことで、関係者並びに読者にご迷惑をおかけました。おわびします」と明確に出している。

『週刊ダイヤモンド』(03年75日号)でも同じような表現を書いて、それに対して事実無根であると分かって、(同年96日号で)訂正とお詫びを出している。

わが党の支持者の皆さんは手弁当で、この都議選でも熱暑の中を献身的に支援活動をして下さっている。わが党がいただいたい1票1票は、そういう皆さまの厚いいと涙と汗の結晶だ。(永田発言は)言語道断だ。(永田氏が)ただ一つ許される道は、発言の撤回とお詫びと議事録削除だ。


【公明新聞 2005-07-16付】

民主・岡田代表が議事録削除を承諾


公明・支持団体への中傷発言


永田氏は謝罪、撤回を拒否


公明党に民主が回答


 民主党の岡田克也代表と永田寿康衆院議員が国会の委員会質問で、公明党や支持団体に対して事実無根の中傷発言をした問題に関し、公明党の東順治国会対策委員長は15日午後、国会内で民主党の鉢呂(はちろ)吉雄国対委員長の訪問を受け、公明党が求めていた両氏の謝罪と発言の議事録削除について、民主党の回答を聞いた。公明党から遠藤乙彦、山靖英の両国対副委員長が同席した。


 問題になっているのは、公明党の冬柴鉄三幹事長を事実誤認に基づき中傷した岡田発言と、先の都議選で公明党の支持団体が、集団で住民票移動を行っていたかのような事実無根の話を持ち出し、公明党や支持団体の誉を棄損した永田発言。これに関し、公明党は両氏に対する懲動議を自民党と共同で衆院に提出している。


 席上、鉢呂氏は岡田発言について、岡田代表本人が記者会見で遺憾のと議事録訂正のを示し、冬柴幹事長に遺憾の電話で伝えていたことを説明した上で、発言の議事録削除に応じる考えを示した。


 一方、永田発言について鉢呂氏は、公明党の支持団体の住民票移動ではなく、「日歯連問題での参考人招致実現に公明党に積極的な役割を担ってほしいという趣旨だと理解している」と説明。その上で、「憲法あるいは国会法上、議員の発言は最大限尊重されるべきではないか」と強弁し、永田氏並びに民主党として、発言の撤回・議事録削除、謝罪に応じるがないと回答した。


 これに対し、東国対委員長は「岡田氏は(公明党の要求に)前向きのを示し、すでに会見で遺憾のを表明したということならば、懲動議は取り下げる」と表明。一方、永田氏については、「懲動議を委員会付託するよう手続きを進める」との考えを伝えた。


【公明新聞 2005-07-16付】

2005-07-15

シモーヌ・ヴェイユ


 ヴェイユは、世の中に悩が存在する限り、自分だけの小さな幸福に安住することが、決してできない人であった。彼女はこう述べております。

と危険は、私の精神構造からいって不可欠なものです。……地球上に広がった不幸は、私にとりつき、私の能力を無に帰せしめてしまうほど私を打ちのめしています。私自身が危険としみの分け前をたっぷり背負わないかぎり、私はその能力を回復し、このとりつかれた状態から解放されることはありません」

 確かにヴェイユの生涯は、ある種の極限状況を生き抜くことの厳しさと崇高さとを示しているといってよい。万人にそれを望むのは不可能かしれません。しかし、身近に他人のしみを自分のしみとして体験した「不幸」が、人間の根源的な「不幸」を深く洞察させたということ、そして、その体験が、常に彼女のの根底を裏打ちし、深めていったこと。そして更に、病弱で激しい頭痛の発作などに、生涯つきまとわれながらも尚、しんでいる人々に近づこうとしたあの強い志――それらを、よくよく考えていただきたいとうのです。

 そして、私は皆さんに、「現実の中に身を置いて、人間を深めていってほしい」のであります。病める人、迷う人がいたら、それを自分の痛みとして、自然に体が動いていく。真っ先にいたわりの手を差し伸べてあげる。それが、身近な小さな問題であっても、自分の痛みとして担っていく。そういう温かな、そして鋭敏な同の作の積み重ねは、人間を深くし、謙虚にし、大きく成長させていくにちがいありません。

 そして、ヴェイユが身を砕くようにして、ひたむきに真理の追究に自分をかけていったごとく、皆さんも、自分の信ずる道をどこまでも純粋に、ひたすらに深め、貫いていってほしいと願わずにはいられません。


創価女子短期大学第2回卒式へのメッセージ 1988-03-14 創価女子短期大学白鳥体育館】


 シモーヌ・ヴェイユはフランスの哲学者アランに師事した後、パリの女子高等師範学校を出て教員となる。彼女は、庶民の悩を知ろうとして、農場や工場でも働いた。スペイン内戦が起こると、人民戦線派義勇兵にまで志願している。34歳という若さで亡くなった。クリスチャンでありながらも、終生、洗礼を拒み続け、教会を批判しながらもキリストの真の弟子であろうと努めた。


 同じクリスチャンだった神谷美恵子は、19歳の時にハンセン病患者と出会い、衝撃を受けた。彼女は生涯にわたって、ハンセン病と向き合い、患者に寄り添った。神谷が抱えた命題は、「なぜ、私達ではなく、あなたが?」というものだった。


 ヴェイユと神谷に共通しているのは、“崇高なる母”とでもづける他ない同の行動である。


 日蓮が云く一切衆生の異のを受くるは悉(ことごと)く是れ日蓮一人のなるべし(758頁)


 鳥と虫とはなけどもなみだをちず、日蓮はなかねどもなみだひまなし、此のなみだ世間の事には非ず但偏に法華経の故なり、若しからば甘露のなみだとも云つべし(1361頁)


 重い荷物にしみ喘(あえ)いでいる人がいれば、手を差し伸べるのが当たり前だ。しかし、こうした人々を蔑(さげす)み、無視し、嘲笑(あざわら)うような昨今の世情である。


 私には、一緒に泣いてくれる先輩が何人もいる。こうした先輩方に育ててもらったことを誇りにう。

2005-07-14

わずかな心の隙が魔の跳梁を許す


 つまり、太田親昌(ちかまさ)や長崎時綱の二人の退転は、彼らが駿河の中者であった高橋六郎兵衛入道と情的なもつれがあり、そこを行智らにつけ込まれたものと考えられる。

 情のわだかまりから生まれた、わずかなの隙(すき)。そこに、すかさず入り込んだ「悪知識」によって信を破られてしまう。それのみか逆に、かつての妙法の同志である子達を散々に迫害する。ちょうど、近年の山崎某や「正信会」によって、退転と反逆の道を歩んでしまった卑劣の輩とよく似ている。しかし、二人とも、法は厳然であった。信において、全く怖いものは「悪知識」である。


 信の実践にあっては、“いかなる人につくか”、それによって成不成が決まってしまうといっても過言ではない。本当に広宣流布のためになっているのか、また、護法のためになっているのか、その点を大きな基準として“つくべき人”を決めていかねばならない。


【第11回富士宮圏幹部会 1988-03-01 富士宮国際文化会館


 人は情の動物である。プログラムを入力すれば、その通り動くというわけにはいかない。リーダーの役目は正論を吐くことではなく、皆のを知ることであろう。


 情が理を狂わせ、わぬ誤解に発展することもある。人間の組織は一筋縄ではいかない。きちんと交通整理をする人がいなければ、支部はおろか、本部までが、デマ情報に翻弄される場合すらあるのだ。そうした例を私はいくつも知っている。かような組織は、悪い人物がはびこりやすい。巧みな情報操作によって、組織はいいように振り回される。


 太田・長崎の両が敵にを売り渡したのは弘安2年。ここ一番という大切な時に、必ず悪党は正体を露呈することになっている。ご存じのように行智は、熱原の農民をいじめ抜いた稀代の悪僧。


 大田の親昌・長崎次郎兵衛の尉時綱・大進房が落馬等は法華経のあらわるるか(1190頁)


 尚、太田親昌は、太田兵衛次郎と同一人物と推測されている。


 悪知識は、同志や組織に対するマイナス情に理解を示し、急速に接近してくる。惰弱な人物は、狡猾な手口によって利用されていることにも気づかず、いつの間にかコントロールされるようになる。はい、退転者の一丁上がり(笑)。


 一緒に班長になった先輩がいた。数年間、共に活動していたが、部長が退転した時に、大いなる不信を起こした。そして、私が上京した直後から、会合に出なくなった。悲しいい出である。当時、私は何度も力説した。「部長がいなくなった今こそ、部長から受けてきた訓練を発揮する時だよ!」、「部長に対する謝のがあるなら、今まで以上に頑張らなきゃいけないよ!」と。私の母は常々、この部長のことを悪く言った。私はライオンがが吠えるように、「うるせえ、くそババア! てめえの子がお世話になった人に対して、よくも、そんな口が利けたもんだな。ぶっ飛ばすぞ!」と怒鳴りつけた。私は今でも、この部長に対するを忘れたことはない。いつの日かきっと、再び広布の庭に戻ってくることを信じている。


 何もない時であれば、「やっぱ、依法不依人でしょ」となる。ところが、いざ自分の周りにが競うと、そうはいかなくなるのが凡夫の常。が揺れなくなるまでには、少なくとも10年以上の訓練が必要だ。それ以降だって、大変なのよ(笑)。後継者としての確かな軌道に入ると、どんどん大変な問題を引き受けざるを得ないコースになってゆく。しかしながら、力がついてくると、問題が出てくる度に、「よっしゃあ、俺の出番だ!」となるから不議だ(笑)。

公明・支持団体への中傷発言で 民主の謝罪重ねて要求


週内の回答ない場合、懲委で審査入りも


東国対委員長らが厳重抗議


 公明党の東順治国会対策委員長は13日午後、国会内で、民主党の鉢呂吉雄国対委員長と会い、国会の委員会質問で民主党の岡田克也代表と永田寿康衆院議員が公明党や支持団体に対して事実無根の中傷発言をした問題について、民主党が週内に公開の場での謝罪、発言の議事録削除に応じない場合は、自民党と共同提出している両議員の懲動議の審査手続きに入ると通告した。遠藤乙彦、山靖英の両国対副委員長が同席した。


 問題になっているのは、公明党の冬柴鉄三幹事長を事実誤認に基づき中傷した岡田発言と、先の都議選で公明党の支持団体が住民票移動を行っていたかのような事実無根の話を持ち出し、公明党や支持団体の誉を棄損した永田発言。


 席上、東国対委員長は、これまで公明党から謝罪と議事録削除を再三にわたって要求してきたにもかかわらず、民主党から正式な回答がないことについて、「極めて遺憾と言わざるを得ない」と批判。「国会における公党間のモラル、信義にも及ぶ重大な案件であり、断じて容認できない」と強く抗議し、民主党の速やかな対応を求めた。これに対し、鉢呂氏は明確な回答を避けた。


 これに先立ち、同日午前の衆院議院運営委員会理事会では、民主・永田氏の懲動議の取り扱いを協議。公明党の遠藤理事は、岡田代表の発言と併せて公開の場での謝罪と議事録削除を要求した。


 申し入れ全文は次の通り。


 最近、貴民主党議員の国会内でのご発言の中で、明確な論拠もなく、公明党並びに所属議員および支持団体に対して、容認しい中傷・暴言がなされました。

 1. 622日、NHKテレビで同時中継された衆議院決算委員会において、岡田克也民主党代表がわが党冬柴幹事長の社会保障制度改革の衆参両院合同会議への出席について、全く事実に反して、あたかも欠席を続け会議に不熱であると指摘し、公党幹部を誹謗・中傷したこと。

 2.78日の衆議院倫理選挙特別委員会において、貴党永田寿康衆議院議員があろうことか先の都議会議員選挙において、わが党支持団体が住民票の移動を行っているがごとき風評があるとして、そのため衆議院の解散は103日以降だとする妄言を弄し、公党並びに支持団体の誉を著しく棄損したこと。

  以上2件について、わが党は民主党及び関係議員に発言の撤回と公開の場における謝罪および議事録の削除を要求する一方、自由民主党とともに衆議院に懲動議を提出しているところであります。

  しかしながら、貴党並びに当該議員からはわが党の強い抗議にも関わらず、何らの正式回答も行われず、極めて遺憾と言わざるをえません。

  このような無責任な言動が続くことは、国民に著しい誤解を与え、議会制民主主義を歪めるものであり、ひとり公明党のみならず、国会における公党間のモラル、信義にも及ぶ重大な問題であり、断じて容認できません。

  今週中にこれらの発言を公開の場で謝罪し、議事録削除に応じない場合には、遺憾ながら懲動議の審査手続に入らせて頂くことを申し上げます。

  平成17年713日

  民主党国対委員長 鉢呂吉雄殿

  公明党国対委員長 東順治


【公明新聞 2005-07-14付】

「妻の言うことは聞くな。妻の言うことは聞け」


 戸田前会長は「妻の言うことは聞くな。妻の言うことは聞け」と指導された。すなわち、学会という公のことでは、絶対に妻の言うことを聞いてはならぬ。大事な学会活動の問題・人事・王冥合の戦いについては、幹部の相談の上に立った自覚と責任において決断し、運営すべきだ。相談相手は、支部長でいえば、脇士となって戦っている地区部長であるべきだ。部隊長であれば、中核の隊長を選ぶのが正しい。



 支部長は支部内のことについて、妻が婦人部長だからといって左右されてはならない。そうであっては、婦人部長が支部を動かしてゆくことになってしまう。幹部はあくまでも公平で、公私の区別を峻厳にしなければ、人々はから慕ってこない。それが指導者であり、師子王の行き方なのである。学会組織の強さは、公私を峻別してゆくところにある。



 また、「聞け」ということは、自分個人の問題や、身の回りについては、妻の見を聞くのが当然の理である。

 夫のことを配する妻の忠言にはを傾ける。他人のことを中傷したり、噂の報告などにはを貸してはならない。


【『指導メモ』 1966-06-01発行】


 これを中道と申す。絶妙なバランス覚に、ただただ嘆のを抱かずにはいられない。


 夫婦は夫婦、組織組織だ。ところが往々にして、夫の役職が高いと、ふんぞり返っている妻が多い(笑)。かような奥方連中を私は、“亭主の威を借る女”と呼んでいる。


 逆に、妻の役職が高いと、一家は悲惨な結果となりやすい(笑)。亭主は顎(あご)でこき使われ、子供は放置されたまま大きくなってゆく。


 女は客観的なものの見方が不得手。自分との関係で物事を判断するケースが多い。例えば組織で問題がある人物がいたとしよう。この人と仲のよい婦人部幹部は、あまり問題視しない。


 ま、いずれにせよ、明るい“かかあ天下”が理である。亭主関白の家は子供が可哀だ。父親が厳し過ぎると、子供は嘘をつく傾向が強まる。


 また、退転し、叛逆するに至った大幹部の殆どの原因が、その女房連中にあったことも見逃せない。


 家でくつろいでいれば、誰もが油断をする。そこにがつけ入り、公私の覚を失わせるのだ。信組織のことについては、絶対に、互いの軽口を許してはならない。


 私の両親は、派遣の支部長・支部婦人部長をしていた。物がついた時から、夜は毎日いなかった。まあ、兄弟が多かったんで、いない方が嬉しかったんだけどね(笑)。私が男子部となって、母に質問をすると必ずこう言われた。「お前達は、こちらの組織に預けてあるんだから、組織で指導を受けなさい」と。その手法は恐ろしいほど徹底したもので、日程すら教えてもらえなかった。だが、そのおかげで、私は日々先輩に指導を求める癖が身についた。そんな一家であるから、家で組織批判をしようものなら、父の拳の固さを確認する羽目となった。空手経験者の父親を持つことは、あまりお勧めできない(笑)。


 私と一緒に戦った同志がこんな話をしていた。「僕は学校を卒して数年間は、全然、活動してなかったんです。男子部が家を訪れると、『おふくろ、今日だけは“いない”って言ってくれ!』と叫んで、家の奥に避してました(笑)。ところが、内のおふくろはいつも、『あ、子ですか? いますよ、どうぞ!』と男子部を家に上げるんですよ。それで、とうとう逃げられなくなってしまいました(笑)」。これぞ、下町の母。


 余談になるが、訪れた人を家に上げない家庭も配だ。必ず、風通しが悪くなっている。多くの人々が出入りしている家は、福運に満ちている。

銭一貫文


【ぜにいっかんもん】


 1230年(寛喜2年)に米一石が銭一貫文という記録がある。一石は180リットルで、重さに換算すると150kg。米の店頭価格を10kgが4000円とすると、一貫文は6万円に相当。尚、一貫文=1000文。

2005-07-13

慢心が信心を狂わせる


 学会出身の政治家が、もしか世間の悪に染まってしまったなら、それは所詮、自らの原点を忘れた「慢」の徒であり、自らを育んでくれた民衆の大を忘れ、民衆を見下す不知の輩である。また、権力のの奴隷となった姿といわざるを得ない。

 何より、正法流布に励む子である学会員を利用し、軽蔑すれば、必ずをこうむる。仮に世間や国法の目はごまかせたとしても、法上の裁きだけは絶対に免れ得ない。


 人のは変わる。自分のも当てにならない。どんなに古くからの幹部であっても、信を失った途端、堕落の道は始まっている。

 そうならないためには、厳しく直言してくれる人を持つことである。否、そういう人を自ら求めていくことである。

 いくら形は信しているようであっても、自分の力で偉くなったと錯覚し、慢からわがままになり、に痛いことをあえて言ってくれる人から離れてしまう。それでは成長はない。どうしても正しき信の軌道から外れてしまう。これまでの退転者・反逆者も皆そうであった。

 反対に、きちんと指導してくれる人を大切にし、謙虚を失わない限り、その人はまだ伸びていける。

 これからも、広宣流布の分野は、いよいよ多角的に広がっていく。また、社会の醜い深層に入り、迫っていく場合もあろう。それは避けられない道程である。

 そうした時代であればあるほど、大切なのは基軸となる金剛の「信」の鍛えである。また、「信行」のいよいよの成長である。

 たとえ、社会的に活躍しているように見えても、「信」の指標を見失い、「同志」としてのの絆を断(た)ってしまっては、結局、世間の六道の泥海(でいかい)に溺れ、不幸の人生をさまよっていくだけである。


 現実社会は、九界なかんずく三悪道、四悪趣の世界である。の使いである私どもも、その真っ只中で生きている。

 ゆえに当然、地獄界の波もある。餓鬼界の波もある。畜生界、修羅界の荒波もある。どうして、こんな嫌な辛いいをしなければならないのかとしまざるを得ないこともある。

 しかし、絶対に負けてはならない。恐れてもならない。勇敢に一切の悩みの波を乗り越えていかねばならない。それが大聖人の真実の門下としての信である。また、不屈の学会精神である。そこに必ずや、次の新しき広布の大道も開けてくる。

妙法を誇らかに唱えながら、堂々と晴れ晴れと胸を張って、私とともに一切を乗り越えていっていただきたい。


【第1回本部幹部会 1988-01-20 創価文化会館


 慢の虜(とりこ)となった人物は、地道な行学の実践を欠いている。それでも、大丈夫だと錯覚しているところに、慢の慢たる所以(ゆえん)もあろう。


 悪世の中の比丘は邪智にして諂曲(てんごく)に未だ得ざるを為れ得たりと謂(おも)い我慢の充満せん(21頁)


 比丘とは僧侶を指すが、幹部と受け取ることもできる。我慢は忍耐のことではなくして、「我、慢ずる」と読む。諂曲は、が諂(へつら)い曲がっている様。


“わかっているようでわかってない”くせに、「未だ得ざるを為れ得たりと謂(おも)い」込んで、後輩を小馬鹿にして、我賢しと勘違いするような手合いだ。


 かような幹部に限って、先輩から少々の注を受けた程度で、がっくりと肩を落とすものだ。


 おごれる者は強敵に値ておそるる出来するなり例せば修羅のおごり帝釈にせめられて無熱池の蓮の中に小身と成て隠れしが如し(957頁)


 求道とは、妙法を求め抜く姿勢であると同時に、自分自身を革命しようとする生きざまの表れでもある。どんなに厳しいことを先輩から言われたとしても、「これで、また自分は革命できる!」と受け止めれば、いくらでも前に進んでいける。

2005-07-12

正確と迅速が、報告の生命線


 私どもの広布の戦いにあっても、様々な情報を緻密(ちみつ)に分析し、的確に把握していかねばならない。「報告」は、「正確」と「迅速」が大事である。とともに報告の正誤の「確認」が大事となる。もし、誤った「報告」を鵜呑みにすれば、以後の対応に大きな過ちを犯すことになるからだ。幹部の皆さま方は、特にこの点をよくよく銘記していただきたい。


【12本部幹部会 1987-12-04 創価文化会館


 青年部時代、私は“報告の鬼”と仇された。数字が一つでも間違えていれば、ぐうの音も出ないほど注をしてきた。特に、部や、本部を誤った情報が素通りした事実を問題視した。人間は誰しも過ちを犯すものだ。それを許さないほど、私は狭量じゃない。その前提に立って、なぜ、別の誰かが確認をしなかったのかを問いかけた。


 平等なルールで、正確な報告がなければ、顕彰することに味がなくなる。また、無機質な数字に表れている何かを読み取らなければ、単なる評価で終わってしまう。


 例えば、折伏戦にあって、一人で5世帯の弘教を達成する場合もあれば、5人が1世帯ずつを実らせるケースある。個人としてみれば前者が顕彰されるべきだし、組織としてみれば後者に勢いが窺える。


 私がうるさく確認したのは、座談会の報告において、前のに出たメンバーの内、誰が出てなかったのか。そして、先は出てなかったが、今出たメンバーは誰なのか。そのメンバーのところへ足を運んだのは誰なのかということだった。数字の向こうに顔が浮かべば、確かな掌握といえよう。それを、中者が知っているのかどうかを常に確認してきた。数字だけのやり取りをしているようなのは、ことごとく血祭りにしてきたものだ。


 戦うことを忘れた組織は、数字がデタラメになることを銘記したい。


 更に、成果やエピソードを報告する場合、報告者の利が目的となる場合も目立つ。さも、“自分は頑張ってます!”なあんて調子で、これみよがしに、社内営をするような人物だ。こうした場合、誰が直接、関わっているのかを必ず確認しなければならない。そして、陰で奮闘している幹部を、絶対に見逃さないことだ。


 最近、特に婦人部で目立つのは、壮年に対する情を、支部婦人部長が本部長に言いつけて、本部長が分区婦人部長に言いつけて、分区婦人部長が分区長に言いつけて、それでもって、分区長から本人が注されるというもの。信指導なき伝言ゲームが、壮年幹部の力をどんどん削(そ)いでゆく。こうなると、“噂話の密告”に過ぎなくなる。


 幹部として掛けたいのは、報告を受けたら直ちに動くこと。これが一つ。そして、報告を寄せて下さる人にから謝することだ。「自分は幹部なのだから、報告するのは当たり前だ」となれば、あまりにも受け身であり、言われないと動かないようなリーダーに堕してしまうだろう。


 最前線を走り抜いている幹部は、現場覚があるので配ない。動かないのに限って、風聞を鵜呑みにするから厄介だ。以前、官僚主義に毒された副会長を怒鳴りつけたことがある(笑)。

青年は沸騰する信心であれ


 かつて『随筆 人間革命』でも紹介し、また先日も少し触れたが、ある年の夏、戸田先生を囲む青年部首脳の会合があった。

 その時、先生は、ある穏健そうな青年に、こう指導されていた。その青年は、戸田先生配通り、後に退転してしまった――。

「閉ざされた青年であってはならない。水の信というけれども、水も、時と条件によっては、沸騰することもあるのだ。革命児は、ただの平穏なゆっくりした生活を夢見るようでは、成長できなくなるだろう」

 を閉めきったなにか陰湿な青年であってはならない。先生はよく、昼は、はつらつと太陽とともに働き、学び、夜は星を友にしていくような、理情の融合した革命児であれと語っておられた。

そして「ともかく、何かで第一人者となるというだけの執をもつことだ」と結論しておられた。

 信した以上、可もなく不可もなくといった中途半端な生き方では、厳しく見れば、結局、不可である。何らかの味で、自分ならではという「第一人者」になろうという志と努力・精進が大切である。その一が信を深め、また信の力を証明していくことを忘れてはならない。


【12本部幹部会 1987-12-04 創価文化会館


 当時の青年部であれば、忘れようにも忘れられない指導の一つ。豪放磊落(らいらく)な戸田先生の人間が窺える言葉の数々。


 青年ならば、燃えたぎる何かを持て。青年ならば、熱に浮かされたように何かに打ち込め。青年ならば、理と大義に生きよ。若くして、ちまちました小市民になってはいけない、という戸田先生いが込められていたに違いない。


 失敗を恐れるな。逃避と怠惰を恐れよ。石橋を三度も叩く必要はないぞ(笑)。


 どこにあっても、誰からも必要とされる逞しき笑顔の青年であれ。

2005-07-11

あらゆる場所で、あらゆる機会に、積極的に語れ


 中国革命の英雄・孫文は、社会を変革するために、民衆のを変えていくことを訴えた。あらゆる人々のをつかみ、味方にしていくことを訴えた。

 それには、どうすればよいのか。演説で同志に、こう呼びかけた。

「みなが責任を負い、いたるところで宣伝しさえすれば、前途には必ず希望があるのである」

 宣伝とはすなわち、「語る」ことである。

 皆さんは、皆さんがいるそれぞれの地域、立場における、“広布の全権大使”である。

 皆さんが動いた分だけ、語った分だけ、広布は進む。その「責任」に目覚めれば、大きな力が出る。

 ゆえに、あらゆる場所で、あらゆる機会に、積極的に語ることだ。しゃべることだ。そこから、希望の道が大きく開けていく。

 孫文は、「宣伝上の奮闘は、良からざる社会を改め、民衆を化することである」とも言っている。

 学会もまた、同じ方程式で、民衆の連帯を拡大してきたのである。

 特に青年部の皆さんは、語りに語りまくっていただきたい。

 偏見や、無認識の言葉に出あったら、さらには悪の攻撃に遭遇したならば、きっぱりと言い返していくことだ。

 正義の言論と、確信ので、相手のをつかみ、大きく変えていくことだ。

 学会の青年部は、決して臆病であってはならない。

 広布の本陣で戦う皆さまは、人材中の人材である。“将軍の卵”である。先陣を切って、誰よりも真剣に、懸命に戦うべき重い責任を負っている。

 戦おう!「事を為す」(御書708頁)である。私どもの発する「」が、広宣流布を前進させる。

 今、語らなければ、後々まで後悔を残してしまう。未来の「果」は、現在の「因」にある。

 創価の勝利のため、自身の三世にわたる幸福のために、今こそ勇敢に、しゃべりまくることである。


【5.3記代表協議会 2005-04-26 創価文化会館


 孫文が語る「宣伝」とは、単なるプロパガンダというよりも、世論の形成という味合いが強いとう。


 この指導の前日に、足立区の区議会議員・忍足和雄が斡旋収賄容疑で逮捕された。そして、2週間後には(59日)、“創大迎賓館詐欺”事件が発覚。勝利を阻もうとする逆風が吹き荒れた。


 先生が送って下さる、大いなる激励の風を背に受けて、我々は反転攻勢に打って出た。勇気と確信の言論戦が、多くの人々のに巣食う猜疑(さいぎしん)を打ち破った。


 人間は一度逃げると、逃げることが癖になる。リーダーであれば、臆病と勇気の間を振り子が行ったり来たりするような局面に必ず遭遇するものだ。そこが勝負どころである。一歩下がるか、前に出るか――たった一歩の選択が命運を決する。逃げたら、おしまいだ。自分に対してどんな言いわけをしても無駄だ。他の舞台で頑張っても駄目。既に、ブレーキを踏んだも同然なのだ。どんなにアクセルを踏み込んだところで、結局、空ぶかしで終わる。10年経とうが、20年経とうが、誤化すことはできない。見る人が見れば、瞬時にわかるものだ。


 ここ一番という時に、「を揚(あぐ)るかをくだすか」(1451頁)が問われる。


「広布の全権大使」とは、「池田先生の分身」でなくてはならない。友の生命を地震の如く揺るがす言論戦に挑みたい。


 今日は、男子部結成記日。

2005-07-10

『ドク・ソルジャー 白い戦場』


 1992年アメリカ作品。日本では未公開。


 大ヒットした『24 TWENTY FOUR』のキーファー・サザーランドの顔があったので借りてきた。


 舞台は退役軍人病院。戦地で負傷した兵士や、後遺症しむ人々が集まっている。予算が削られ、しい経営を強いられている病院は、患者を人間扱いすることなく、入院患者を追い出す方針に貫かれていた。病院内で政治を行う院長と、若き医師達が戦う。インチキ臭いタイトルに騙(だま)されることなかれ。こいつあ、傑作だ。


 荒唐無稽な展開にわず笑いを禁じ得ない。この作品は、“コメディー”として見るのが正しい。だが、ハチャメチャなストーリーを、骨太なテーマがしっかりと支えている。


 敏腕のスタージェス(レイ・リオッタ)を大学校団長とするなら、新米インターンのピーター(キーファー・サザーランド)は、さしずめ大学校生といったところ。個的な医師や看護婦、果ては患者達に囲まれ、ピーターは劇的な成長を遂げてゆく。


 スピーディなストーリー展開に加え、印象深いシーンがたくさんある。


 若き医師達は官僚主義と戦う。最初は戸惑いながら、「自分の経歴に傷をつけたくない」という理由で、彼等と行動を共にしなかったピーターだったが、院長の汚いやり方を知り、遂に立ち上がった。


 患者の治療のためとはいえ、次々といつく悪知恵がお見事。彼等は平然と病院の規則を踏みつけ、犯罪行為を正当化する。全く臆するところがないのは、医師の使命に生ききっているからだった。しかし、権力者はもっと狡猾だった。


 スタージェスが病院を追い出された。ピーターが、スタージェスの下(もと)へ走り、連れ戻す。そして、ここから青年医師達と看護婦・患者を巻き込んで革命が起こる。退役軍人達は重火器まで用した。


 アメリカの自由の気風が横溢していて実に小気味がいい。


 ラストで理を手放さなかった青年達は、遂に勝利を手中にした。「規則を犯すか、規則に犯されるかだ」と語ったスタージェスは、人間を隷属させる一切と戦った。彼等の勝利は、人間主義の勝利だった。


 宗門問題を彷彿(ほうふつ)とさせる面白さで、二度も続けて見てしまったほど(笑)。


ドク・ソルジャー 白い戦場

2005-07-09

弱者を守れ


 勇者は、問題があってもそれを乗り越え、飛び越えることができる。だが、弱者は飛び越せない。

 しかし、先輩がついて助言、応援すれば、弱者も力を得て、飛び越えることができる。すなわち、激励を与えれば、弱者も勇者と同じ働きができるようになる。


【『指導メモ』 1966-06-01発行】


 弱者とは、自分の力を信じることのできない人。勇者とは、一切を信で切り開いていける人。今までできなかったことが、できるようになれば、人は変わる。自信は臆病を打ち破る。


 夫れ木をうえ候には大風吹き候へどもつよきすけをかひぬればたうれず、本より生いて候木なれども根の弱きはたうれぬ、甲斐無き者なれどもたすくる者強ければたうれず、すこし健の者も独なれば悪しきみちにはたうれぬ(1468頁)


 組織が人の集まりである以上、問題は常にある。問いかけられているのは、「誰が、どう解決するか?」だ。また、一人ひとりの人生においても、瑣末な事柄から宿命に至るまで、問題は山積していよう。それらが示しているのは、「さて、あなたは、どう生きるのか?」ということ。


 組織が一人のための諸天善神として機能するのが、正しいあり方だ。構成するメンバーに対して、何らかの犠牲を強いるような組織があれば、本末転倒だ。


 互いに使命あるを信じて、自分以上の後輩を何人育てたかで、指導者の真価は決まる。

根拠ない「住民票移動」発言で公明・支持団体を中傷


自公両党が民主・永田氏の懲動議提出


謝罪と議事録削除を要求 東国対委員長


 自民、公明の与党両党は8日午後、民主党の永田寿康衆院議員が同日の衆院政治倫理確立・公職選挙法改正特別委員会(倫選特委)で、公明党の支持団体が先の都議選で「住民票移動」を行ったかのような事実無根の中傷発言を行い、公明党ならびに支持団体の誉を著しく傷つけたことについて、永田氏の懲動議を衆院に提出した。また、公明党の東順治国会対策委員長は同日、永田氏に対し、公の場での謝罪と発言の議事録削除を求める考えを示した。


 永田氏は8日午前の倫選特委の中で、「もしも衆院が解散するとしたら、その日付は103日以降であろうと。なぜならば公明党の支持団体の方々の住民票が東京都に移されている疑があって、これをそれぞれの選挙区に戻すには3ヶかかるから、103日以降でないと投票日が設定できないというような話を言う人もいる」と述べ、まるで公明党の支持団体が先の都議選のために住民票を移動していたかのような印象を持たせる悪に満ちた発言をした。


 この永田発言について公明党の東国対委員長は8日午後、国会内で記者団に対し、「全く根拠のないデマに基づき、公党ならびに支持団体の誉を著しく毀損(きそん)する誹謗中傷発言だ。極めて悪に満ちた侮辱発言であり、断じて許すことはできない」と強く抗議。


 また、「それ(住民票移動)を言っているのは、いつ、どこで、だれなのかを全く明確にせずに、悪いイメージだけを植え付けようとする卑劣なやり方だ。国会のモラルを著しく低下させる行為であり、絶対に許せない」と糾弾した。


 さらに、東国対委員長は、永田氏が議員在職5年余の間に懲動議を3回も出されている常習犯的な存在であることを指摘し、「もはや看過することはできない」と強調。次回の倫選特委で永田氏に発言の真をただすとともに、今年2の衆院予算委で自民党議員が追及した永田氏に絡む政治団体の献金疑惑についても、真相を確かめていく考えを示した。


【公明新聞 2005-07-09付】

日妙聖人御書


 女人は物をそね(嫉)むに・かしこしとこそ経文には・あかされて候へ(1216頁)


 女子部・婦人部の皆さん、ご注あそばせ。

2005-07-08

生涯、学会と共に生きよ


 私は一貫して、師である戸田先生のいかなる指導も、強く深く胸に刻みながら、人生と広宣流布の戦いの一生涯の源泉力としてきた。

 これが「師弟不二」であるからだ。

 ゆえに、どんなに小さい会合でも、いかに多忙な場合の指導であっても、ある時は手帖に、ある時は日記帳に、ある時は自分自身の脳裏に、鋭く深く刻んできたつもりだ。

 会長就任以来、未曽有の大発展を遂げ、ありとあらゆる目標を実現しながら前進してきた原動力もそこにあった。あくまでも師弟不二であったからだ。

 よく師は言われた。

「臆病者は去れ!

 一緒に楽を共にしたくない者は去れ!

 学会を軽んずる者は去れ!

 卑怯者は去れ!」

 今、私の胸中も同じである。

 それは、昭和35年の316日。私の第三代会長就任の直前であった。

 この日、青年部の21世紀への人材育成グループともいうべき、男子部の「水滸会」、そして女子部の「華陽会」は、厳しき師・戸田先生から託された「広宣流布」の使命を胸に燃やしながら、決も深く集い合った。

 現在までの創価学会の最高首脳は、秋谷会長をはじめ、この時、出席した幹部が大半を占めている。

 当時、「破邪顕正」の凄まじい闘争を開始した学会に対して、マスコミなど社会の無認識の中傷非があまりにも多かった。

 その悪口罵詈に負けて、去っていった者も何人もいた。退転して卑怯者になった知らずもいる。同志の約束を破り、臆病になって自分勝手の理由をつけ、自分勝手の道を逃げ惑っていった者もいた。

 崇高な大偉を成し遂げる前には、必ずはあるものだ。その道理を法では明確に説いている。

 それをわからず、それを忘れて逃げ去っていった敗北者の侘(わ)びしい最後の姿は、多くの人の知るところだ。

 ともあれ、大きな師弟不二の歴史を刻んだ「水滸会」の会合で、私は未来を指さしながら厳然と宣言した。

「316日を『広宣流布の記日』としていこう!」

 そして、訴えた。

「石にかじりついても、同志を信頼し合って、激励し合って、広宣流布の総仕上げをしていくのだ。

 前進するのだ! 勝ち抜いていくのだ! それには、耐え抜いていくのだ!

 祈り強き題目をあげれば、臆病な自分自身の生命は厳然と変わっていくのだ。

 これが人間革命である。真実の信仰である。地涌の菩薩の証である」

「一度もしりぞくなし」(1224頁)の御金言を絶対に忘れるな!

 今日までの私は、この精神を寸時も忘れず、ありとあらゆる誹謗中傷を受けながらも、病弱であったわが身を堂々と革命しながら、世界的な創価学会を築き上げたことは、ご存じの通りだ。

 次は、君たち青年が広宣流布の全責任を担い立つ時が、遂に来たのだ。

 私と同じで、深く決して進んでいく本物の弟子が、厳然と勢揃いしていることを、私は自負している。

 次の世代の体制は、私の胸には完璧に描き終わっている。永遠なる正義の法脈は、限りなく世界へ流れゆくのだ。


【「随筆 人間世紀の光」72 “わが原点”を持つ幸福聖教新聞 2005-03-26付】


 5号ほど飛ばしていたことに先ほど気づいた(笑)。というわけで、少しさかのぼります。


“永遠の愛”を誓って、結ばれた二人は数多くいる。そして、1分51秒に一組のカップルが離婚している(厚生労働省「人口動態総覧」2004年による)。“永遠の愛”は引っ込めていいから、せめて、30年ぐらいの愛は約束して欲しいもんだね(笑)。


 このように、人のは変わる。あんなに長いこと見つめ合った二人は、目を合わすことすらなくなり、挙げ句の果てには、睨(にら)み合いが続くことになるのだ(笑)。


 また、学生運動で華々しくゲバ棒を振り回していた連中が、大企の管理職になっていたりするのだから、人生ってえのあ、わからないもんだ。


 確かなことは、学会の前進と共に、成長の足跡(そくせき)を刻み、人間革命の歴史を築いている人こそ、学会の本命であるということ。年々歳々、人間の光で多くの人々を照らしていける人が、真の地涌の菩薩である。


「次の世代の体制」となった時、恐るべき権力闘争が起こるかもしれない。その時になれば、堕ちてゆく人々も多数出ることだろう。時代が大きく変わる時、必ず淘汰の原理が働く。


 師弟の誓いを手放した瞬間から、その人は畜生へと堕落する。欲望に翻弄され、野良犬のような末路を辿るのは、火を見るよりも明らか。

2005-07-07

青年は望みが大き過ぎるぐらいで、ちょうどよい


 戸田先生は、よく私ども青年に語ってくださった。

「大事は、20代、30代でやる決が大切だ。40代に入ってから“さあ、やろう”といっても、決してできるものではない」と。

 また、「青年は、望みが大き過ぎるぐらいで、ちょうどよいのだ。この人生で実現できるのは、自分の考えの何分の一かだ。初めから望みが小さいようでは、何もできないで終わる。それでは何のための人生か」とも教えられた。

 20代、30代という青春の日々を、いかに「大いなる理」を抱いて戦いきっていくか。そこにこそ、長いようで短いこの一生を、最大に「満足」と「充実」で飾りゆくための“ホシ”がある。

 青春は再び返らない。40代、50代になって、侘びしい「悔い」をかみしめる人生であっては不幸である。また、不完全燃焼の燃えさしのような、ブスブスとくすぶる愚癡の人生となっては哀れである。

 ゆえに、健康でう存分働ける青春時代にこそ、若き生命を完全燃焼しきっていくべきであろう。それが他ならぬ自分のためである。

 青年よ、高く大いなる理に生きよ、炎となって進め――それが、戸田先生の教えであった。その理の峰が高ければ高いほど、尽きせぬ充実がある。パッション(情熱)が湧き、成長がある。信の無限の力がみなぎってくる。

 そして、「広宣流布」こそ、人類の最高峰にして、最も義深き、偉大なる理である。また、最も現実的にして、時代と世界が求めてやまなぬ理である。

 この広布の大理に青春を、人生を、あますところなく燃やしきっていく。そこにこそ日蓮大聖人の仰せにかなった一生涯があり、不変の学会精神の骨髄がある。


【第1回本部幹部会 1988-01-20 創価文化会館


 壮年となって、一番よく聞く話の一つはこれだ。「定年退職して、う存分、本を読もうとったら、老眼になってしまった。若い時に、本気で読んでおくべきだった」というもの。既に、数十の方から同様の話をにしている。


 私はそれなりに戦ってきたつもりだ。まあ、その辺の区男の10倍はやってきた。その辺の男子部の100倍は叱られてきた。それでも、やはり悔いが残っている。一生懸命とか、必死とか、精一杯とか、真剣などという言葉が当てはまる内は駄目なんでしょうな。「尋常でない」「狂っている」と言われるぐらいでなけりゃ、抜きん出た力を獲得することはできない。平凡な壮年部で終わりたくないので、これから、挑戦することにしよう(笑)。


「若いから何もできない」のか? そうではない。「若いからこそ何でもできる」のだ。20代の内から、小ぢんまりとした人格者になることなかれ。“破天荒”、“型破り”をモットーとせよ。


 人間は、本当にポジティブ(積極的)になると、目覚まし時計がなくても、、目が覚めるものだ。例えば、明日、今勤めている会社の社長になるとしよう。興奮のあまり、中々眠りにつくことができず、それでいて、は自然の内に目が覚めることは間違いない。「今日も、広宣流布のために戦える!」とドキドキ、ワクワクしていれば、そのようなリズムになるのだ。


 私はというと、サプリメントで鉄分を補給し、100円ショップの足指パットを着用し、酒と煙草ののみ過ぎに注しながら、勝ちに挑戦する日々である(笑)。

下山御消息


 而るを余・此の事を見る故に彼が檀那等が大悪をおそれず強盛にせむる故に両火房・内内諸方に讒言を企てて余が口を塞がんとはげみしなり(348頁)


「下山御消」は十大部の一つ。昨夜、ブロック唱題会にて拝読した部分。


 両火房とは、極楽寺良観のこと。文永12年(1275)323日に鎌倉で大火があった。この時、良観が住職をしていた極楽寺より出火。更に、鎌倉幕府の御所をも延焼した。この両所が焼けたことをもって、大聖人は「両火房」とづけた。ユーモアもさることながら、これほど辛辣(しんらつ)な仇もない。


 文永8年(1271年)、幕府からの要請を受け、良観は618日から祈雨を開始。新暦だと77日(丁度、今日)に当たるから、空梅雨(からつゆ)で恐るべき猛暑が続いていたことが像できる。


 雨乞いは、古代から現代に至るまで、自分達の無力さをい知らされた人々によって、宗教的な行事として行われてきた。特に日本の場合、農耕によって食糧が支えられているため、異常気象ともなると多数の死者を出すことになる。


「風が吹けば桶屋が儲かる」という諺(ことわざ)がある。ここで、埃(ほこり)が立つと、なぜ、眼を悪くする人々が増えるのかというと、医療や衛生概が発達してないことが考えられる。水で眼を洗うことを知らなかった人もいただろうし、水が手に入りにくかった環境に住んでた人もいたことだろう。こう考えると、祈雨という行事が、どれほどの重みがあったか少しは理解できよう。


 良観が祈雨を始めることを知った大聖人は、直ちに手紙を差し出す。


 七日の内にふらし給はば日蓮無間と申す法門すてて良観上人の弟子と成りて二百五十戒持つべし、雨ふらぬほどならば彼の御房の持戒げなるが大誑惑なるは顕然なるべし、上代も祈雨に付て勝負を決したる例これ多し、所謂護命と伝教大師と守敏と弘法なり、仍て良観房の所へ周防房入沢の入道と申す者を遣わす御房と入道は良観が弟子又者なりいまに日蓮が法門を用うる事なし是を以て勝負とせむ(1157頁)


 それは、“生き”と仰がれている僣聖増上慢への烈々たる挑戦状だった。


 喜び勇んだ良観は、120あまりの弟子を伴って、「頭より煙を出だし、を天にひびかし、あるいは、あるいは請雨経、あるいは法華経、あるいは八斎戒を説きて種種に祈請」(1158頁)した(笑)。ところが蓋(ふた)を開けてみると、露ばかりの雨も降ることはなかった。それどころか、大風が吹き荒れた。約束の7日目に、「使者ありのままに申す処に良観房は涙を流す弟子檀那同じくをおしまず口惜しがる」(1158頁)と顛末(てんまつ)が伝えられた。


 一丈のほりをこへぬもの十丈二十丈のほりをこうべきか(912)


 この有な一節は、“雨すら降らすことのできない僧が、人々の成を実現できるはずがない!”という指摘なのだ。良観は、大聖人に延長戦を頼み込み、更に1週間の祈りを捧げたが、無駄な抵抗で終わった。


 威信を失墜した良観がとった行動は、実に汚いものだった。政治的工作をもって、大聖人を亡き者にしようと企(たくら)んだのだ。華々しく慈善事に手を染めてきた“生き”の正体はこんなもんだった。


 良観の底から恐れたのは、大聖人の雄弁だった。偉大なる言論戦に、敵は震え上がったのだ。日蓮門下であるならば、同じ道を歩みたい。

2005-07-06

シェニエ


 やがて革命は成功した。しかし、一握りの新指導者達が権力を乱用しはじめ、残忍な恐怖政治の嵐が起きる。

 これに対しシェニエは、革命の本来の理を守り抜くため、勇敢にペンをもって立ち上がった。「正義の仮面」をかぶり、民衆を抑圧し、次々に生命を奪っていく「凶暴な精神錯乱」の支配者を、彼は断じて許せなかったのである。

 シェニエは青年らしく戦った。令状もなしに逮捕され、牢獄に入れられても、決してペンを折らなかった。自らも周りにいる不幸な人々への憐憫(れんびん)、また、い上がった権力者達への怒りを込めて、彼は次々に詩を綴っていった。


 これこそ、諸君の精神でなくてはならない。青年は「見栄」に流されたり、「物欲」にとらわれ、世間を要領よく泳いでいくような、いわゆる“老年”のごときであってはならない。「正義」と「勇気」と「情熱」こそ青年の命であり、特権である。

 多くの草創の同志は、どんなに大変でも「愚痴」や「文句」など一言もいわなかった。ひたすら戦い、必死に折伏をし、道を開いてきた。時代は変わっても、この誉れある精神だけは諸君がしっかりと受け継いでいただきたい。


【第1回全国青年部幹部会 1988-01-09 創価文化会館


「若くなった」ということが信仰功徳です。身もも清められています。


 オペラ歌手のレオーニ・ダ・ベロンさんは、こう語った。ベロンさんが歌った「ある晴れた五の日のように」のテープが、先生の下(もと)に届けられ、会場で紹介された。この最終幕で歌われるのが、オペラ「アンドレア・シェニエ」である。18世紀を駆け抜けた革命詩人は、32歳の若さで断頭台の露と消えた。


 シェニエの詩集が発刊されたのは、死後25年を経てからだった。発刊後、ビクトル・ユゴーらロマン派の詩人達から熱烈に迎えられた。


 会長勇退後、先生はスピーチを禁じられた。師弟の離間工作を企(たくら)んだ坊主どもを尻目に、先生は再びペンを執って、小説『人間革命』の執筆を再開された。


 シェニエのはフランスにおいて、「18世紀の時代精神を表現した最高の詩人」、「19世紀における詩の復権を準備した先駆者」として光彩を放っているが、先生もまた、“20世紀において、ペン一本で、民衆を蘇生させた詩人”と後世の歴史家は綴ることだろう。


 無冠の青年は何も恐れるものがない。理に生きる青年が望むのは殉教のみ。生きた証を残さなければ、既に死んだも同然だ。食べるために生き、着飾るために生き、欲望を満たすためだけに生きてる人間を、私は生ける屍(しかばね)とづけよう。


 今日76日は、昭和18年(1943年)に牧口先生戸田先生が牢獄に囚われの身となった日。それから、20年後にこの私が生まれた。今日で42歳。池田先生言論問題の渦中にあった年齢となった。多くを語るまい。

2005-07-05

傲り高ぶった人間は最低の人間


 人間の“傲り”ほど醜い情はない。師の戸田先生もこの一点には常に峻厳であり、よく「傲り高ぶった人間は、最低の人間である」と語気を強めておられた。

 社会にあっても、また、広布の組織にあっても、決して“傲り”の人であってはならない。“傲り”の人からは、おのずと人が離れ、友人や後輩も次々とその人の元を去ってゆくものだ。これほど寂しいことはないし、悲しいこともない。

 政財界や学園の世界を始め、いかなる分野にも傲り高ぶった「権威」と「利」の人がいるものだ。しかし、そうした人々の“傲り”のを豊潤な人間へと変えゆく労作こそ、他ならぬ私どもの信であると自覚したい。真実の人間生命の変革は、「妙法」による以外にないからである。まさに、正しき信仰とは、人間の精髄を発揮させゆく王道である。

 ゆえに、私どもの折伏弘教は、地球上のあらゆる“傲り”の存在と戦いゆく民衆の一大運動となっているといえよう。

 ともあれ、我らは決して傲慢ではなく、信の信で全てに勝った。その信に多くの人々が和合していったのである。


東京各区合同記幹部会 1987-12-19 江東文化会館


「『傲慢』というの教科書があれば、あの野郎は、巻頭にカラーで登場するだろうな」と私は笑い飛ばす。


 威張り腐った幹部はたしなめろ。それができなければ、皆がしむのを黙って横目で見つめるしかない。


 最近増えているのは、一見、腰が低いように見えながら、その実、傲慢な幹部である。


 勤行唱題をしない幹部、家庭指導をしない幹部、聖教新聞を読まない幹部は、皆、傲慢の人である。問題を知りながら、手をこまねいて何もしないのも傲慢な幹部の典型。御書を拝読しないのも、役職にぶら下がってるだけで責任を果たさないのも同様。こうして見ると、山ほどいますな(ニヤリ)。


 もっと手っ取り早く判断する方法を教えて進ぜよう。最前線に入ってない幹部、指導を受けてない幹部が、傲慢な人物なのだ。上辺だけの人柄なんぞに騙(だま)されちゃいけませんぜ(笑)。


 皆のしみを知って、一人立ち上がるリーダーがいれば組織は守られる。「まあ、まあ」なんぞとお茶を濁すような幹部は、広宣流布の邪だ。


 学会で通用するのは、“信”の権威だけだ。

2005-07-04

各選挙区の結果


有権者数投票者数公明得票率絶対得票率
新宿235917983312298423.37%9.74%
墨田189815930542716529.19%14.31%
江東3403381645543693722.45%10.85%
品川2844311273722772921.77%9.75%
目黒210792838022274927.15%10.79%
大田5473082427376093925.10%11.13%
世田谷6771482855205682819.90%8.39%
中野2573021144912622122.90%10.19%
杉並4396441858062979916.04%6.78%
豊島203960873822191225.08%10.74%
2679881346673177023.59%11.86%
荒川149128731792540534.72%17.04%
板橋4227521899724343322.86%10.27%
練馬5479282488365277621.21%9.63%
足立5093662467837198329.17%14.13%
葛飾3488221572694226726.88%12.12%
江戸川5094622217265625825.37%11.04%
八王子4293181975055362627.15%12.49%
町田3237431530604171627.25%12.89%
北多摩12330051172053379528.83%14.50%
合計7128167322325178629224.39%11.03%

党派別の結果


党派今回前回得票数得票率前回得票率
自民4853133954830.66%35.96%
民主3522107089324.51%13.53%
公明232378629218.00%15.09%
共産131568020015.57%15.63%
ネット361810204.14%2.87%
社民00101650.23%1.42%
諸派11520431.19%0.71%
無所属472489995.70%11.70%
合計1271274369162

 73日に行われた東京議会選挙投票率は、43.99%(前回比-6.09ポイント)。マスコミは「自民後退」と報じ、二大政党制の流れを喧伝(けんでん)したい模様。ま、そっちの方が、対立を煽って記事にしやすいってことなんだろうね(笑)。


 自民は現状維持と見るべきだろう。2001年は小泉ブームで53議席まで伸ばしたが、1997年は46議席だったのだから。特筆すべきは共産党で、1997年には26議席を獲得して都議会第2党に躍進したものの、前回は15と惨敗。今回は更にマイナス2議席と、その凋落(ちょうらく)振りは目を覆いたくなるほど。真っ赤な嘘をばらまき続けた結果、都民から「ノー!」を突きつけられた格好になった。しかも例の如く、候補者数は43と乱立。何というパフォーマンスの悪さだろう。志位委員長になってからというもの、共産党は連戦連敗を更新中だが、いつになったら責任を取るのだろう? あるいは既に、党首の責任を問う気力すら失ってしまったのか?


 我が公明党は完勝。15選挙区でトップ当選を果たした。愉快、痛快!


2005-07-04

都議選勝利 「庶民のための都政」さらに民主のパフォーマンス政治は限界


4回連続で全員当選


 今年(2005年)最大の選挙、次期国政選挙の前哨戦として注目された東京都議選は3日投開票され、公明党は23候補の全員当選を果たした。1993年以来4回連続の全員当選であり、次期衆院選や2007年参院選に向けて大きな弾みをつけることができた。広範な都民・有権者のご支援の結果であり、わけても、血のにじむようなご奮闘をいただいた党員・支持者の皆さま、献身的な熱いご支援を寄せていただいた創価学会員の皆さまに、重ねて、からの謝と御礼を申し上げたい。


 選挙結果についてマスコミ各紙は、自民党が第一党に踏みとどまり、民主党が第二党に“躍進”――と位置づけている。しかし、この結果については“但し書き”が必要だ。前回01年都議選で自民党は、「小泉旋風」に助けられ、予された戦を跳ね返して53議席を得た。その“風”もない今回、なんとか48議席に踏みとどまったのには、公明党の支持・推薦が大きく寄与している。公明党が支援した17候補中16人が当選を果たしていることは特筆すべきだろう。


 一方、19議席から35議席に“躍進”したとされる民主党だが、03年の衆院選、04年の参院選で東京都内での比例区得票は自民党を上回っていた。当初、「都議会第一党」を狙い51人を公認したが、状況が不利と見るや告示を前にして目標を「一議席でも多く」に下方修正。石原都知事に対して比較的穏健な態度を取り続けてきたのにもかかわらず、都議選を前にいきなり石原都政批判を始め、6末の政府税調の報告を奇貨として、「サラリーマン増税だ」との、あたかも自民党、公明党が増税を推進しているかのような誤解を有権者に与えるキャンペーンを突然繰り広げた。


 これによって民主党は“風”を得ることができた格好だが、それまでは明確な政策上の争点を提示することすらできないでいた。第一党を逃した背景のひとつに低投票率を挙げる民主党幹部もいたが、「頼りとする無党派層を投票所に足を運ばせるだけの『魅力』が同党に欠けることが浮き彫りになった」(産経新聞)とする指摘が妥当だろう。いわば同党の“パフォーマンス政治”の限界を示した選挙結果といえる。


 また、共産党は前回の15から今回13に議席を減らし、長期低落傾向に歯止めがかからなかった。「“オール与党”か共産党か」との独善的な主張と他党批判に終始した結果を、同党は厳しく受け止めなければならない。


 選挙結果について、元東京都職員の佐々木信夫・中央大学教授が「鈴木都政時代から自民50前後、公明25弱という勢力は変わっておらず、民主の躍進も『微風』程度」(毎日新聞)と指摘しているように、都議会の構図は変わらない。自民・公明が協力して進めている都政が都民の支持を得たことは明らかだ。


ますます重い責任


 かつてない少数激戦と過去二番目の低投票率の中、公明党は墨田区、荒川区、練馬区、江戸川区、八王子市、町田市の6選挙区で過去最高票を記録した。「都政のかじ取り役」に対し大きな評価を得たと同時に、ますます都政における公明党の責任も重くなった。今回いただいた熱いご支援とご期待に応えるため、公明党は「都民党」に徹し、「庶民のための都政」実現に向けて、政策実現に一丸となって邁進していく決である。


【「主張」 公明新聞 2005-07-05付】

次の国政選挙へ大きな弾み


 まれにみる少数激戦となった東京議会議員選挙は3日、投開票が行われ、公明党の23候補は、見事、全員当選を果たした。公明党の勝利は、長年、都政のカジ取り役を担ってきた都議会公明党の豊かな実績、安全・安の東京構築へ向けた政策ビジョンが高く評価された結果といえる。公明党候補の戦い、各党の消長、今後の政治への影響などを分析した。


公明党の強さ


4回連続の完全勝利。得票率は18%に上昇


 公明党は候補者を立てた20選挙区で23氏が全員当選し、4回連続の完全勝利を果たした。


 このうち15選挙区でトップ当選。得票数は合計で78万6292票を獲得し、前回に比べ低投票率にもかかわらず、6万3829票増やした。


 なかでも世田谷区では前回に比べ9201票の大幅な得票増を勝ち取った。これに町田市が7506票増と続き、練馬区、杉並区、江戸川区が6000票以上得票を伸ばした。


 公明党は得票率でも、前回の15.09%から18.0%へとアップさせ、候補者を立てた選挙区に限れば20.83%から24.74%に大幅アップ、全国からの支援に支えられて存在を厳然と示した。


 20選挙区すべてで得票率をアップしたが、特に荒川区の得票率は今回、35.23%に達した。


 墨田区、足立区、北多摩1区で29%台、町田市、目黒区、八王子市、葛飾区で27%台の得票率を記録するなど、各選挙区で公明候補の強さを見せつけた。


 絶対得票率(当日有権者数に対する得票割合)では、荒川区、北多摩1区、墨田区、足立区など15選挙区で10%を超え、公明党が候補者を立てた20選挙区の絶対得票率は11.03%に達した。


 公明党は今回、新人9人を擁立。新旧交代の都議選と位置づけたが、5人がトップ当選を果たすなど新人候補はいずれも少数激戦の中を堂々と勝ち進んだ。都議会公明党は清新な吹のもと、新たなスタートを切った。


 今回の都議選は、21世紀の首都・東京をどの政党に託すかが問われた。


 公明党は東京の福祉を質量ともに全国トップ水準に向上させ、国や全国の自治体をリードする施策を次々に実現してきた。都議選ではこうした公明党の政策実現力が広く支持され、各選挙区の勝利につながった。


 また、公明党は政策選挙を最後まで貫いた。公明党は3下旬から、子ども優先の社会をめざす「チャイルドファースト   2005緊急提言」や青年政策「ユースポリシー2005」のほか、党都本部が独自に都議選に挑む重点政策や「安・安全 新東京プラン」などを発表した。


 一方、今回の都議選では初めて、公明党自民党に選挙協力を行い、支援要請のあった自民党公認候補13人を推薦、4人を支持した。結果は17人のうち、16人が当選。公明党の選挙協力が「威力を発揮した」(毎日新聞4日付)。


“二大政党化”の構図


都政のカジ取り役・公明の役割、ますます重要に


「次期国政選挙の前哨戦の味を持った」(神崎代表)今回の都議選で、民主党は予通り、議席を伸ばし都議会第2党となった。選挙期間中、岡田克也代表らが自民、民主が拮抗する国会に対し、都議会では圧倒的な議席を自民党が持っていることを指摘し、「都議会でも二大政党に!」と訴えた。マスコミも「二大政党化」を最大の注目点にした。


 しかし、「都議会でも二大政党に」の主張には、地方自治や地方政治に対する大きな誤解が含まれている。


 地方議会は本来、与党と野党が分かれて争う場ではない。地方政治は一種の大統領制であり、首長も地方議員もともに住民の直接選挙で選ばれ、議会は行政に対して協力とチェックの役割を果たさなければならないからだ。


 都民のために今何が必要か――を争点にしなければならない都議選で、民主党は「二大政党化」論を持ち込み、有権者の自民党批判票の受け皿を狙った。


 一方、これを迎え撃った自民党は、17選挙区で公明党の推薦・支持を得たこともあって善戦、後援会組織や各種団体、区議、市議と一体となった活動を進め、第一党の座を維持した。公明党も党員・支持者の奮闘と区議、市議の地道な日常活動、豊富な実績で大勝利した。


 二大政党化という風を利用した民主と、地域に基盤を持ちさらにその信頼を広げようとする自民、公明の戦いは最初から戦いの土俵が違っていた。結果を見ても、都政のカジ取り役を担う公明党が存在を示し、第四党の共産党も2議席減の13議席を占めたことで、必ずしも二大政党の対決にはならなかった。


各党の消長


民主「躍進」も大勢に影響なし、共産さらに退潮


 今年(2005年)最大の政治決戦となった今回の都議選は、当面、補選以外の国政選挙が予定されていないことから、各党の現時点での実力をストレートに問う「中間選挙」の色合いが濃いものとなった。


 そうした中、公明党が4回連続の全員当選という歴史的勝利を飾った義は計り知れない。「都民与党」として都政に対する責任と役割が一層増すとともに、「次期衆院選、参院選への大きな弾み」(神崎武法代表)がついた格好だ。


 42選挙区(定数127)における党派別当選者数は、公明23、自民48、民主35、共産13、東京・生活者ネットワーク3、諸派1、無所属4。前回当選者数に比べ、自民5議席減、民主13議席増、共産2議席減、ネット3議席減となった。


 このうち自民は、前回の「小泉ブーム」のような“追い風”がなく、当初から「守りの選挙」を余儀なくされたが、微減にとどまり都議会第一党の座を維持した。


 民主は議席を伸ばし、都議会第二党になったものの、自民の議席数とはなお大きな開きがあり、都政を左右するほどの「躍進」とまではいかなかった。むしろ、「頼りとする無党派層を投票所に足を運ばせるだけの『魅力』が同党に欠けることが浮き彫りになった」(産経新聞4日付)との指摘があるほどだ。


 前回選挙で大幅に議席を減らした共産は、今回さらに後退。国政選挙での相次ぐ惨敗による党勢退潮の傾向に歯止めをかけることはできなかった。社民も、前回失った議席の回復に失敗した。


マスコミ論調


各党の「地力」が問われた選挙


 今回の結果について各紙は、「03年衆院選、04年参院選と続いた二大政党化の流れを鮮明に映し出した」(毎日)との見方を一斉に示した。


 また、どの政党にも風が吹かなかった今回の都議選について、「各党の『地力』が問われる選挙となった」(東京)、「『地力』を競い合う戦いとなった」(読売)とも指摘した。


 そうした中で、前回と同じ23人全員当選を果たし、得票率も前回を上回った公明については、「組織力の強さが再び明確になった」(日)、「存在を示した」(日経)との見方で共通している。


 一方、民主については、地域密着の地方選で存在を示したことに着目する論調もあるが、「伸び悩み」(産経)を指摘する記事もある。


「(政府税調が提起した)増税問題が一定の無党派層を民主票に回帰させたのではないか」との見方を紹介する記事(毎日)もあり、猪口孝・中央大教授は「躍進というには違和がある」(産経)とした。


 都政に詳しい佐々木信夫・中央大教授は「鈴木都政時代から自民50前後、公明25弱という勢力は変わっておらず、民主の躍進も『微風』程度」と指摘。「二大政党制への期待から他の勢力の整理が進み、国政とほぼ同じ構図の足場が固まった」(毎日)と評した。


 また、福岡政行立命館大学客員教授も「都議会でも自民党、民主党の準二大政党化が進んだ」としつつ、「公明党が依然、重要なポジションを占めており、その点では国政の縮図版といえるかもしれない」(産経)と話している。(4日付刊各紙から)


【公明新聞 2005-07-05付】

民主党の限界


 先般行われた東京議会選挙の結果を、マスコミは一様に「民主躍進」と報じた。だが、果たして本当にそうなのだろうか?


 2004年に行われた参議院選挙の比例区では、自民1679万7687、民主2113万7458と、圧倒的に民主党が勝利を収めた。この時、公明党は862万1265。自民・民主の比率は ほぼ3:4である。民主党の得票は、自民党の1.26倍。


 これを踏まえると、民主党は「躍進」どころか、後退したと言ってもいいだろう。しかも、サラリーマン増税など、微風とはいえ、民主党に風が吹いていたのは確かなのだから。


2005-07-06




 テレビによく登場する民主党の“ミスター小生意気”こと、安住淳:http://www.miyaginet.com/jun-azumi/?が、次のように書いている。【7月1日分:http://www.miyaginet.com/jun-azumi/diary/diary.cgi?


 東京都議会議員選挙が真最中で、連日応援に行っている。しかし、東京の選挙はやることは二つしかない。駅や団地での街頭と選挙カーでの連呼だ。失礼な言い方だが、有権者の顔が一人一人見える選挙ではないので楽と言えば楽だ。属している政党に勢いがあれば、どんなパフォーマンスをやっても当選する。逆も真なりで、どんなに頑張っても、党が劣勢なら敗れてしまう。


 候補者を応援すべき代議士が、投票日の二日前に、よくもこんなことが書けたものだ。一票の重みが全くわかってない。地域に根差していない民主党の現実を雄弁に物語っている。こやつは、所詮、テレビ頼みなのだろう。NHK出身だから、それも致し方ないか(笑)。


 2005-07-07

都政の舵取り役果たす公明党地域に根差した活動、今後も強力に


二大政党化は進んだか


「首都、二大政党化の兆し」「「二大政党化 鮮明に」――。東京都議選から一夜明けた4日付のマスコミ各紙には、民主党の議席増を受けて“二大政党”の文字が躍った。


 今回の都議選についてマスコミは告示前から、「二大政党対決」などと自民、民主の激突に焦点を当てており、「自民党か民主党か」の選択を、都議選の重要な争点としたのである。


 過去の選挙を見ても、マスコミが「目立った争点がない」と強調し続ければ、有権者の関は高まらず投票率は低下する。今回、マスコミが強調した「都議選は二大政党対立」という論点は、民主党にとっては大歓迎だった。国会議員の勢力は民主党は自民党に迫っているが、都議会では自民党との議席差は大きい。岡田克也代表らは「都議会でもぜひ二大政党に!」と訴えたのである。


 もちろん、政党はメディアが設定した議題を黙認するものではない。自らメッセージを発信するとともに、メディアの議題設定に影響を与えようとする。今回、公明党は「安全・安」や防災の街づくりへ実績を語り政策を提示し続けた。都民やマスコミの関が高い分野であり、少なからず共を呼ぶことができた。


 ただ、メディアが提示した都議選最大の焦点は「二大政党化」であり、都民、特に無党派の人々には03年衆院選、04年参院選と同様、「自民か民主か」が選挙の対立軸として受け止められることになったとわれる。


 しかし、首都とはいえ地方議会である都議会で二大政党化というのは奇妙な表現である。今回の都議選結果について東京都の石原慎太郎知事は4日、「国政の二大政党と重ねるアナロジー(類推)は政治覚を知らない人の言うこと」と“都議会の二大政党化”論を切って捨てた。


 わが国の地方自治は首長も地方議員も住民の直接選挙で選ばれる「首長・議会公選型」であり、首長を中とする執行機関と議会という両機関が、対抗する構図になっている。地方議会は住民に代わって行政を監視したり、協力して住民の福祉向上を図らなければならない。


 与党・野党というのは基本的に議院内閣制の用語である。地方議会でこれを強調し、まして二大政党化などというのは地方自治に対する認識不足であろう。


 今回の都議選では、公明党が23議席で完勝し都政の舵取り役としての存在を示し、自民、公明の議席合計71は民主35の2倍を超している。実績ゼロで2議席減となった共産も13議席を得た。「二大政党の対決と事前にいろいろ言われたが、この結果を見ると必ずしもそうではない」(神崎武法代表)のである。


民主は批判の受け皿


 国政の場でも自民、公明の連立政権は定着しており、二大政党化に向かっているとは必ずしもいえない。衆院の小選挙区比例代表並立制が野党第一党の民主党を押し上げたのは事実であるが、この党には地方議員や党員など基礎体力が不足していると指摘されている。現在の民主党は、かつての社会党がそうであったように、政権与党に不満を持つ有権者の受け皿である。


 公明党は、地方議員や党員・支持者との現場ネットワークをさらに整備し、より強力な活動を進めていきたい。


【「主張」 公明新聞 2005-07-06付】

大きく変わってきた“公明党批判”


 東京議会選挙後、メディアでは“公明党批判”がかまびすしい。福岡政行は、「公明党が、一地方議会である都議選にかこつけて、郵政民営化法案の日程を左右するなど、とんでもないことだ。国会が公明党に牛られてしまっている」と語り、田中真紀子は、「今の政権は、自公ではなく、“自由民主学会”だ!」と怪気炎を上げた。また、尼崎市議選の投票結果に腰を抜かしている勝谷誠彦みたいのもいる(笑)。


 公明党創価学会が、日本の一大潮流となりつつある。そりゃそうだろうよ(笑)。政党という政党が分裂・野合を繰り返し、企は倒産やリストラをもって社員を裏切り、定年退職した途端、妻から離婚を突きつけられ、子供は学校へ行くことを拒否している。こんなデタラメ極まりない社会にあって、一貫した主義主張を貫いてきたのは、我が公明党創価学会のみといってよい。


 そもそも、公明党が政局を左右したことによって、国民にいかなる不利益を与えたというのだ? 普段は、「少数見も大切だ」などと散々言ってるような連中に限って、自分の気に入らない政党や団体の抹殺しようとするものだ。


 その昔、選挙になると、「タダで動くのは、地震と台風と創価学会」とマスコミ揶揄していた。ところが、最近の批判はというと、強いものに対するやっかみのようなニュアンスが顕著。私は、テレビ画面をにこやかに見つめながら、ついつい「ざまあみろ!」とに出してしまう今日この頃である(笑)。


2005-07-07

都議選 結果分析と展望


公明 4回連続の完全勝利


投票率の中で得票増 実現力に大きな期待


 まれにみる少数激戦となった東京議会議員選挙公明党は、候補者を立てた20選挙区で23氏が全員当選。4回連続の完全勝利を果たし、「次期衆院選、参院選への大きな弾み」(神崎武法代表)がついた。


 トップ当選は15選挙区に上った。得票数は合計で78万6292票に達し、前回より投票率が下がったにもかかわらず、6万3829票増やした。なかでも世田谷区では前回に比べ9201票の大幅な得票増。これに町田市が7506票増と続き、練馬区、杉並区、江戸川区が6000票以上得票を伸ばした。


 得票率も前回の15.09%から18.0%にアップ。候補者を立てた選挙区に限れば20.83%から24.74%に大幅に上昇した。35.23%に達した荒川区のほか、墨田区、足立区、北多摩1区で29%台、町田市、目黒区、八王子市、飾区で27%台の得票率を記録するなど、各選挙区で公明候補の強さを見せつけた。


 絶対得票率(当日有権者数に対する得票割合)は、荒川区、北多摩1区、墨田区、足立区など15選挙区で10%を超え、公明候補が出馬した20選挙区の平均も11.03%に達した。


 今回の都議選は、21世紀の首都・東京をどの政党に託すかが問われた。公明党は東京の福祉を質量ともに全国トップ水準に向上させ、国や全国の自治体をリードする施策を次々に実現してきた。都議選では、こうした公明党の政策実現力が広く支持され、各選挙区の勝利につながった。


 また、公明党は「チャイルドファースト 2005緊急提言」や青年政策「ユースポリシー2005」、「安・安全 新東京プラン」などを発表し、政策選挙を最後まで貫いた。


都政のカジ取り役担う


民主の“躍進”には違和


 今回の都議選でマスコミは、「二大政党化」を最大の注目点にした。


 4日付の刊各紙は「2大政党化の流れを鮮明に映し出した」(毎日)などとの見方が目立ったが、一方で、公明党が全員当選を果たし、得票率も前回を上回ったことについて、「組織力の強さが再び明確になった」(日)、「存在を示した」(日経)などと分析。福岡政行立命館大学客員教授は「公明党が依然、重要なポジションを占めており、その点では国政の縮図版といえるかもしれない」(産経)と論評した。


 民主党については、猪口孝・中央大教授が「躍進というには違和がある」(産経)と指摘。佐々木信夫・中央大教授も「鈴木都政時代から自民50前後、公明弱という勢力は変わっておらず、民主の躍進も『微風』程度」(毎日)と評した。第4党の共産党も13議席を占め、必ずしも二大政党の対決にはならず、引き続き公明党が都政のカジ取り役を担うことになり、その役割はますます重要になった。


自民、微減で第一党維持


退潮傾向の共産さらに後退


 党派別当選者数は、公明23、自民48、民主35、共産13、東京・生活者ネットワーク3、諸派1、無所属4。前回当選者数に比べ、自民5議席減、民主13議席増、共産2議席減、ネット3議席減となった。


 自民党は、前回の「小泉ブーム」のような“追い風”がなく「守りの選挙」を余儀なくされたが、微減にとどまり都議会第1党の座を維持した。


 民主党は議席を伸ばし、都議会第2党になったものの、自民党の議席数とはなお大きな開きがあり、都政を左右するほどの「躍進」とまではいかなかった。むしろ、「頼りとする無党派層を投票所に足を運ばせるだけの『魅力』が同党に欠けることが浮き彫りになった」(産経4日付)との指摘があるほどだ。


 前回選挙で大幅に議席を減らした共産党は、今回さらに後退。国政選挙での相次ぐ惨敗による党勢退潮の傾向に歯止めをかけることはできなかった。社民党も、前回失った議席の回復に失敗した。


【公明新聞 2005-07-10付】

選挙終了後

  • 直ちに未来部を回れ。
  • 区長は全支部長に、本部長は全地区部長に、支部長は全ブロック長に電話で礼を述べよ。

保身の幹部が異体同心の団結を崩す


 日蓮大聖人が、一人の門下に対して、どれほど細やかに気づかい、どれほど迅速に励ましの手を打たれていたか。

 門下に贈られた御手紙に、大聖人はこう記しておられる。

「あなたが、この病気にかかったいきさつを、ある人が報告しました。私は(病気の平癒を)日夜、夕に、法華経に申し上げ、夕に晴天に訴えておりました。病が治ったことを、今日、聞きました。これ以上、喜ばしいことはありません。詳しいことは、お会いした時に語り合いましょう」(1298頁/通解)

「報告」を聞いたら、即「対応」する。御本が御自ら、その模範を示して下さっているのである。

 今、皆が求めていることは何か。急所はどこか。最前線の課題は何か。リーダーはそれを知らねばならない。ギャップがあってはならない。

 だからこそリーダーは、一つ一つの報告や見に真摯にを傾けることだ。誠実に、電光石火で応えることである。

 同志に「希望」と「勇気」を贈る。これが、リーダーの責務であることを忘れてはならない。

 どうすれば、同志が一人も残らず安して戦えるか。所願満足の人生を歩んでいけるか。

 これを、常に索し、決然と行動することだ。

 一番、大変なところへ飛び込んで、自ら活路を切り開く。それでこそ、真のリーダーといえよう。

 自分だけ、いい子になって、労を避けて、要領よく泳ぐ。こんな保身の幹部、官僚主義の幹部が出れば、「異体同の団結」を崩してしまう。

 断じて、そうであってはならない。ここ(東京牧口記会館)は、信の道場であるゆえに、将来のために、あえて厳しく言い残しておきたい。


【第2総東京代表協議会 2005-05-21 東京牧口記会館


「打てば響く」――このスピードが学会を発展させた。それは、技術でもなければ、駆け引きでもなかった。友をう真と誠実の結晶であった。


 人間の集まりである以上、どこの組織にも問題はある。一つの報告から、その背景をどこまで深く知ることができるか。ここに幹部の力量が現れる。


 例えば、地区婦人部長に問題があったとしよう。婦人部の幹部が地区に入る際は、地区婦人部長を水先案内人として回る。白ゆり長やブロック員のが、幹部のに入る機会は全くない。また、仮に情や見を述べたとしても、注できる幹部がいなかったり、相談した人を問題視して終わってしまう場合すらある。


 先生が指導されていることは当たり前の話であって、「あえて厳しく言い残して」おくような内容ではない。ということは、それだけ厳しい現実があるということだろう。


 今日付の聖教新聞2005年74日付)で、中小企コンサルティングをしている武田哲男氏がこう述べている。


 ――「顧客第一主義」とは、経営者の誰もが口にすることですが、実際にはそうなっていないということですね。


武田氏●その通りです。顧客の率直な見が企に到達するのは、日本では約1〜3%(弊社調べ)というデータがあります。営や製造の現場に伝わっても、トップに伝わらないため、組織全体の取り組みにならない。顧客の情の99〜97%は、途中で消滅しているのが現実です。

 顧客の不満足は、の痛い話ですが、もっと積極的に「顧客不満足の把握」を課題にすることが、績アップの大きなカギになるんです。

 顧客の「困っていること」「不満」を知り、そこから「顧客がの底で何を望んでいるのか」を徹底的に模索し、「提案型サービス」を展開していくことが、「顧客第一主義」と言えるでしょう。

 あらゆる手段を使って、顧客との一対一の関係づくりに努力し、何気ない一言も聞き逃さず、その不満を吸収していく。そうした姿勢が経営者には必要です。

 私が提案している「顧客不満足度調査」は、顧客を特定し、その顧客の不満足の要素を、アンケートなどを通してキャッチし、それを基に、顧客に具体的な提案を行っていくための調査です。

 顧客から要望されて初めて対応する、受け身の「後追い型サービス」では、顧客の潜在的な満足(隠れた満足)を発見することはできません。

「どこが顧客に不便を与えているのか」「嫌われていることは何なのか」など、徹底的に、「顧客の不満足」を掘り下げていった時に、今まで見えてこなかった顧客の理をつかむことができ、顧客の支持を永続的に得られる、「提案型サービス」が生まれてくるのです。


 日本経済が踊り場にとどまっているこの時期に、トヨタ自動車2005年3期の連結決算において、3期連続で過去最高益を更新した。徹底的に無駄を排す「トヨタ生産方式」が成功した証である。今、収益を上げている企は、おしなべて真剣なコストダウンに取り組んでいる。リストラもその一環である。コストを削減すれば、それがそのまま収益に直結するのだ。トヨタの工場においては、移動する歩数までカウントされる。


 努力しても変わらない組織は、仕組みを変えるしかない。


 我々は今、勝利に酔い痴れることなく、武田氏の言葉を「会員第一」に置き換えて、真剣に受け止める必要がある。幹部が踏ん反り返って、戦列の後ろで号令をかけている組織が一番危ない。聞くを持たぬ幹部は相手にするな。

2005-07-02

7.3の意義


 巡り来る7.3を目前に控え、その義を再確認しておきたい。


 7.3は師弟の日ではなく、弟子の日である。我々はともすると、「師弟、師弟」と偉大な師匠に寄りかかる悪い癖がある。


 昭和20年(1945年)73日午後7時、戸田先生が豊多摩刑務所を出獄。敗戦が決定づけられ、人が荒廃する焼け野原に一人立たれた。既に、牧口先生は国家権力の手によって獄死。戦前、3000の会員を擁した創価教育学会は壊滅状態。それどころか、戦前の幹部達は口々に牧口先生を罵るありさまだった。


 権力者から見れば、気消沈した中年男(出獄当時45歳)を、牢獄から放り出したようにしか見えなかったことだろう。「2年間にわたって、身を痛めつけておいたのだから、もう馬鹿な真似はすまい」ともい込んでいたに違いない。しかし、それは誤りだった。獄中から、一頭の師子が放たれたのだ。そして、戸田先生は巌窟王となって、牧口先生の仇を討つべく、反転攻勢の狼煙(のろし)を上げた。


 出獄からわずか13年後に戸田先生は逝去。75万世帯の願を果たされ、一人の後継者をつくられた。


 7.3は、師匠を喪(うしな)った弟子が、数多くの同志に裏切られながらも、一人決然と後継の戦闘を開始された日であった。


 昭和32年(1957年)73日、当時29歳だった池田先生が大阪府警に拘留された。戸田先生の出獄と全く同じ午後7時のこと。夕張炭労問題が惹起(じゃっき)する中で、既に大阪府警は動き出していた。炭労問題に決着をつけた池田先生は、千歳空港から羽田経由で大阪に向かった。羽田では戸田先生が、「大作、もしも、お前が死ぬようなことがあれば、お前の上にうつぶして私も一緒に死ぬからな」と情を吐露された。


 池田先生が出獄されたのは717日。大阪府警の取調べは、権力のが牙をむき出しにしたもので、「お前が罪を認めないのであれば、学会本部を手入れし、戸田を引っ張ることも辞さない」と真っ向から脅し文句を叩きつけた。戸田先生は既に衰弱されていた。池田先生についた弁護士も、一旦、罪を認めて法廷で争うよう促した。


 池田先生は迷いに迷う。罪を認めてしまえば学会に傷がつく。真実を語れば師匠が投獄される。牢獄の壁に頭を叩きつけて、襲いかかる懊悩(おうのう)と格闘された。弟子もまた、30歳まで持たないと医師から告げられた身体だった。池田先生は、戸田先生を守り、学会の未来を守るために、犯罪者の汚を背負う道を選んだ。その後、公判は84回にも及び、無罪判決を勝ち取ったのは、昭和37年(1962年)125日だった。


 7.3は、師を守るために、弟子が犠牲を厭(いと)うことなく、無実の罪を一身に背負った日であった。


 7.3の歴史は、一人の門下生に帰結する日である。そして、国家権力・政治権力と真っ向から勝負された日でもあった。

三沢抄


背景

  • 建治4年(1278)223日 57歳御作
  • 於身延
  • 与三沢小次郎(その孫の三沢昌弘という説もある)
  • 「佐前佐後抄」
  • 真蹟:御書には京都妙覚寺とあるが不明とわれる/日興写本:北山本門寺

1489頁15行目


 此の法門出現せば正法・像法に論師・人師の申せし法門は皆日出でて後の星の光・巧匠(たくみ)の後に拙(つたなき)を知るなるべし、此の時には正像の寺堂の像・僧等の霊験は皆き(消)へう(失)せて但此の大法のみ一閻浮提に流布すべしとみへて候、各各はかかる法門にちぎり有る人なれば・たのもしと・をぼすべし


2005年7座談会拝読御書】

2005-07-01

 民主・岡田代表 謝罪、釈明一切なし


公明への中傷発言で冬柴幹事長


社会保障合同会議


 公明党の冬柴鉄三幹事長は30日午前、社会保障制度改革に関する衆参両院合同会議(与謝野馨会長=自民党)で、22日の衆院決算行政監視委員会において民主党の岡田克也代表が、冬柴幹事長の同合同会議への出席回数に関して事実誤認の中傷発言をした問題を取り上げ、出席していた岡田氏に対して直接、謝罪などの誉回復を行うよう強く求めた。


 岡田氏はその後の討議で発言の機会があったにもかかわらず、一切これに答えなかった。


 同会議の席上、冬柴幹事長は、自らの合同会議出席について、岡田氏が「私の調べでは3回のうち1回」と間違ったうえ、冬柴幹事長が同会議に真剣でないかのような発言をしたことに対し、「今回で5回のうち4回出席し、真面目に取り組んできた。1回の欠席も差し替えをお願いし、会長の許可も頂いた」と説明。岡田氏に対して、「調査もせずにテレビの前で、私がこの会議に不熱だとの謗りを受けるいわれは全くない。ぜひ(誉を)回復していただかなければならない」と謝罪を要求した。


 これを受けて、与謝野会長も「(岡田氏から)そのような非がされたとすると、委員の差し替え自体が不可能となる。各党に(社会保障の)専門知識を持った方がたくさんおり、委員の差し替えが必要な場合も生じる」と異例の“注”を行い、同会議の運営上からも岡田氏の発言は不適切との考えを示した。


 同会議終了後、冬柴幹事長は国会内で開かれた党代議士会であいさつし、合同会議で岡田氏が謝罪しなかったことに触れ、「誤ったことをして、一言のおわびもできない人は指導者ではないし、政権を委ねることはできない」と批判。


 東順治国会対策委員長も、岡田氏の中傷発言に対して、「議会モラルが崩れてしまう由々しき話だ。徹底追及し、決着を付けたい」と述べた。


 同問題で公明党は22日に「公党の誉を傷つけた」として厳重抗議し、議事録削除と公の場での謝罪を要請したが、岡田氏は23日に、衆院決算行政監視委員会理事会に書面で遺憾のと訂正案を示しただけの不誠実な対応に終始した。


 このため、公明党24日に自民党とともに岡田氏への懲動議を衆院に提出。28日と30日の衆院議院運営委員会理事会でも、「(遺憾のと訂正では)とても受け入れられない」として、議事録削除と公の場での謝罪を重ねて要求した。


【公明新聞 2005-07-01】