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2005-08-31

創価学会に対する悪質なデマ発言で永田寿康を刑事告訴


 民主党の衆院選候補・永田寿康(ひさやす/千葉2区)が創価学会に対する悪質極まるデマ発言を行ったとして、学会は30日、永田を誉棄損罪で千葉県警察本部に刑事告訴した。

 告訴状によれば、永田は28日、習志野市内で開催された会合の席上、“学会が東京都から宗教団体の認可を得るために、3回の都議選で住民票を不正に移動させた”“公明党が与党になった後の平成15年に国から宗教団体の認可を得た”云々と事実無根の悪質な虚偽を放言。学会の誉を棄損した。


 もとより学会が公明党の候補を当選させるために住民票を移動させた事実はないし、そもそも学会は昭和27年827日に宗教法人として認証されている。永田の発言は、こうしたごく基本的な事実関係すら無視した、稚拙かつ支離滅裂な虚構である。永田は78日にも衆院の特別委員会で「住民票移動」云々の虚偽発言を行った。これに対し学会青年部有志が厳重抗議したところ、永田は同20日に「学会攻撃をする図で取り上げたつもりはなかった」「自分の発言によって学会員の方々を傷つけたことは、非常に残です」等と弁明。永田が所属する民主党も84日、「こうした事態を招いたことは大変遺憾」と公式表明したばかり。告訴状で学会側は、懲りもなく同様の虚偽を蒸し返した永田の犯行には酌量の余地がないとして、厳重処を強く求めている。


聖教新聞 2005-08-31】

2005-08-26

コラーゲンにまつわるデマ


 自分は騙(だま)されにくいタイプだと豪語する方へ、デマに関する話題を一つ。


 食の問題に関しては、多くの誤った固定観がはびこっている。その原因は、食に関しては事象が複雑すぎて、栄養学がまだ未発達だということ。そして、既に企は利益を上げるために、未完成の栄養学をあたかも完成品のように振りかざして、消費欲を沸き立たせるコマーシャルを行っていること。


 例えば、ビタミンに関しては、多くの人が「栄養の救世主」のように考えているが、その悪の一面「とりすぎによる副作用」については、ほとんど知られていない。(ハンス・ウルリッヒ・グリム、イェルク・ツィットラウ共著『ビタミンショック 暴かれた害と効用』家の光協会


 私は、人々がいかに「デマ」に弱いかという証拠に、よくコラーゲンの話をする。これは、「自分は常に真実を求めている」としながらも、「創価学会に対するデマを信じている人物」との対話に有効である。また、「お人よしな内部の方々」「お肌が曲がり角のヤングミセス」との話題にも適用可能。


 さて、あなたは、こんな風に理解しているのではないだろうか。

 1. コラーゲンを摂取するためには、製剤を服用するか、肉のプルプルの部分(鳥の皮など)を食べるしかない。

 2. コラーゲンは、体の中で、もっぱら「肌」を構成するものである。

 3. コラーゲンを摂取(あるいは塗布)することによって、体のコラーゲンが直接補われる 


 しかし、すべて誤りである。


 1の解答としては、最も安価にコラーゲン(と同等の栄養価)を摂取したいとうならば、高価な製剤や、高カロリーな鳥皮・豚足を買うよりも、「ゼラチン」を買ったほうが良い。何を隠そう、ゼラチンはコラーゲンとほとんどイコールである(その根拠については、ゼラチンメーカーのHPなどに詳しいので省く)。


 2については、本当は、「骨」「内臓組織」をはじめ、体のほとんど全てにコラーゲンが存在している。肌だけの問題ではない。では、やはりコラーゲンを摂取することが身体にいいのであろうか? そこで3の発につながる。


 しかし! やや専門的な話になるが、コラーゲンはたんぱく質の一種である。つまり、腸でそのまま吸収されることはない(アミノ酸等に分解され、小腸で吸収される)。豆、肉、魚といった、食物も、たんぱく質も、同様、アミノ酸等に分解されて小腸から吸収される。ということは、体のコラーゲンを食品で直接補うというイメージは間違いといえる。また、コラーゲンを食べないと身体のコラーゲンが生成されない、ということもない。


 コラーゲンメーカーのほとんど、いや、全てが、上記の内容は承知の上で、世間の「美しき誤解」を利用しているに過ぎない。この情報を頭に入れた上で、コラーゲン製剤の説明を読むと、いずれも、微妙に表現を変えて、「美しき誤解」を招きつつ、嘘にならない程度の表現で宣伝していることに気づくはずだ(批判的精神を旺盛にして、ご自分で取り組んでみてほしい)。


 この構図をおさらいすると、


 1. 世間の多くは、栄養学は専門ではない

 2.「コラーゲンは、何となくいい」とっている。

 3. それに乗じて宣伝する企マスコミの言葉をうのみにする

 4. あたかも、それが真実とい込む。


 まさに、デマ鵜呑みの構図。これを、学会批判の構図に当てはめてみよう。


 1. 世間の多くは、創価学会については専門的知識がない

 2. 「学会は、何となく不気味」とっている。

 3. それに乗じて宣伝する宗門、三流週刊誌の言葉を鵜呑みにする

 4. あたかも、それが真実とい込む。


 一時が万事である。身体にとって大切な栄養学に疎(うと)く、上記のデマを信じていた人々は、学会を、自分の目とで調査してみよう。デマによって作られたマイナスイメージに踊らされていたことに気づくはずである。


《※食や栄養の誤解については、高橋久仁子著『「食べもの情報」ウソ・ホント 氾濫する情報を正しく読み取る』(講談社ブルーバックス)を参照。わかりやすくてオススメ》


【server】 関連サイト:毎日の御書拝読を!Serverの「毎日の御書」配信ぶろぐ

小事が大事


 信だけは、どこまでも純粋であらねばならない。それゆえ、厳しい姿勢が求められる。ほんの少しでも妥協すれば、無疑曰信(むぎわっしん)ではなくなる。


 折伏の際、謗法厳戒を打ち込む時に私が必ず話すことがある。「小事が大事だ。小さな決幸福に直結し、小さな妥協が不幸に通ずる。足にトゲが刺さっていて平気だろうか? 眼にゴミが入っても笑っていられるだろうか? ほんの少しのウンコを入れた水を飲むことができるだろうか? 味噌とクソは確かに似ているが、全くの別物だ」。


 一昔前であれば、その信の厳しさを教わる世界が、創価班であり、部長会であった。今は、もうないね。そう、断言しておこう。ひたすら、真剣にスピーチを拝し、自ら厳しさを体得せねばならない。恐ろしい先輩がたくさん存在した我が青年部時代は、何と幸せだったことだろう。その味で、今の青年部が気の毒でならない。


 先生が、伸一会・鳳雛会に大号令をかけた。最高幹部による人材グループは、号令なしでは動かないのだろうか?


 我が本地は東京下町の男子部だ。一兵卒となって肉弾戦に臨むのは、最も得とするところだ。腰抜け幹部を睥睨(へいげい)しながら、自分自身の戦いを進めるのみ。

2005-08-25

加藤寛・千葉商科大学学長(前政府税制調査会長)に聞く


郵政民営化/日本の構造改革に必要


 衆院選挙の争点となっている郵政民営化や日本の改革について、加藤寛(ひろし)・千葉商科大学学長に聞いた。


 ――郵政民営化の必要について。


加藤寛●日本の改革については、明治以来の伝統的な構造を直さなければ、絶対だめだということはみんな分かっている。郵便貯金・簡易保険は、かつて日本が戦争をしていくための資金を集めることが目的で、国民の零細なお金を貯めることで完成した。

 このお金がどこに行ったかというと、いわば全部“官僚の懐(ふところ)”に入っていた。そして、官僚がこのお金を使って、官僚天国をつくり出してきた。

 ここを直さなければいけない。だから、郵政民営化は当然のことといえる。

年金や景気など他に多くの重要な課題があるではないか、といわれている。だが、景気を見ても分かるように、郵政民営化法案が国会(参院)で否決され

た状況になっても株価が上がっている。これは、構造改革をやってきたからだ。改革するための根元は、郵貯簡保にあるので、これを直そうということは、当たり前のこと。これを否定するということは、郵政民営化と経済がつながっていることが分かっていないということ。このつながりがはっきり分かれ

ば、今必要な日本の構造改革はこれだということが分かる。

 改革を守っていかなければ、日本の経済は変わらない。昔のままの経済になる。そういうことをやっていたら、日本の国の将来はなくなってしまう。


歴史的覚があり、皆が理解、支持


 ――公明党は郵政民営化について、改革の要として終始一貫賛成してきた。


 加藤●私は、立派だとしか言いようがない。

 最初、公明党ができたときは、まだ政党としては、これからの政党だったとう。ところが、今は政党としてきちんとまとまっている。また、偉いとうのは、歴史的覚があるところだ。明治以来の日本を改革するのはなぜかということを、他の政党も、自民党ですらも分かってない。

 ところが、公明党だけが、日本の政党ではただ一つ、歴史的覚を持っている。つまり、明治以来、日本がどうなるべきかということを考えている。これが第一の立派な点。

 第二に、公明党の考え方をみんなが理解して、支持している。これが立派なところだ。公明党は、みんなで推進しよう、これを実現しよう、とその欲を持っている。私はから、公明党は立派になったとう。


 ――自ら改革の党と言っていた、民主党が郵政民営化法案に反対したが。


加藤●簡単に言うと、民主党の新しい勢力は「官僚」といえる。つまり、元官僚や前官僚。だから、官僚組織を守ることだけしか考えない。それから、労働組合。これは公務員改革に絶対反対だ。公務員である限りは必ず“うまい汁”を吸える。官僚と元官僚と、組合系の人たちが、みんなで手を結んで、官僚天国の利益をむさぼろうというのが民主党の動き。だから、民主党というのはしいとう。


民主は改革の力なく、国民は損


 ――民主党は選挙結果によっては政権を取るともいわれるが。


加藤●(政権交代となっても)これから先、放っておけば10年間は郵政公社は改革できない。民営化をさせてくれなければ、われわれは先に進めないと、生田(いくた)総裁も言っている。この結果、私は郵政公社は結局、ジリ貧に陥るとっている。

もし民主党が政権を取れば、改革の力がないから、日本はだめになる。つまり、国民が自ら損をするとう。だから、国民の皆さんに言いたいのは、本当に自分たちにとって利益になることを選択してください。官僚天国を認めていたら、あなた方の生活は豊かにならいんですよと。


 ――公明党は連立政権に参加して約6年。その評価と今後の役割については。


加藤●公明党は連立政権をつくったことで、非常に現実的な政党になったとう。現実的に地に足をつけた政策をやろうと考えるようになった。これは大きな進歩だ。これこそ、本当は民主党がやるべきことだった。ところが、民主党にはそれができなかった。

 公明党は自民党が間違ったことをやろうとすると、それに歯止めをかけて引っ張ってくれた。これは大きな貢献だとう。公明党がいなかったら、自民党はもっと早く堕落していただろう。それが、公明党の力によって、支えられた。(改革を)地道にやって、10年たったら、おそらく国民は、公明党は国民のことを考えてくれる政党なんだ、ということを本当に理解する時がくるとう。それに向かって頑張ってほしい。


【公明新聞 2005-08-25】

2005-08-24

電話は立派な外交戦


 電話

 立派な外交戦だ。

 広布のために

 断じて勝つ!

 その明朗な一で語れ!


【「わが友に贈る」 聖教新聞 2005-08-15】


 911日は「公衆電話の日」。1900年明治33)のこの日、新橋駅と上野駅の構内に公衆電話が設置された戸田先生が生まれた年のこと。


 ベルが電話を発明したのが1876年(明治9)。翌年には、初の輸出先として日本に2台の電話機が送られている。それまで数百年以上にわたって、手紙が唯一の通信手段だったことを踏まえると、瞬時に“生の”を聞けることは、法に等しい衝撃があったことだろう。


 自分が実際に動ける範囲は決まっている。限られた時間の中で、一人でも多くの人とつながるためには、電話が最大の武器である。電話一本で指揮も執れる。電話一本で激励もできる。一本の電話によって、がつながり通い合う。


 しておきたいことは、相手が何をしてようと、こちらの電話がそれを中断させてしまうことだ。最初に、「今、よろしいですか?」という程度の礼節は最低限わきまえておきたい。また、必要以上の長電話は、相手の家族にまで迷惑をかける場合もあろう。まず、要件を簡潔に伝え、爽やかなやり取りを掛けたい。電話は、が直接に届くため、親密度が増しやすいともいわれる。普段、会える人でも、電話で話すと、一味違ったコミュニケーションになるものだ。


 今日は、先生の入会記日。1947年(昭和22年)から、58年間にわたる大闘争により謝し、後に続くを決す。

病床にあっても学び続けたトインビー博士


 トインビー博士自身、80代の半ばになっても、真摯な研鑚の歩みを決して止めようとはされなかった。

 博士は、私との対談の翌年、病床につかれた。残なことに、回復はわしくなく、識もはっきりと戻らなかったようである。

 しかし、博士の夫人からいただいた手紙には、次のように記されてあった。

 ――「本当に読めているのかどうかわかりませんが、主人は病床にあっても尚、本を手にし、そのページをめくっていました」と。

 この一文は、私のの奥に電撃のように突き刺さった。「学ぶ」ことに徹した博士の、凄まじいまでの姿は、今も胸に迫ってきてならない。何かと“偽物”の多い現代にあって、これこそ“本物”の知識人の生き方であるといえよう。


創価大学第13回栄光祭 1988-08-16 創価大学中央体育館】


「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」と宮本武蔵は『五輪書』に書き残した。トインビー博士が繰り返し繰り返し学び続けた実践は、武道の域に達している。学ぶ行為が完全な(ごう)と化している。識をなくしても尚、山頂を目指すクライマー登山家)のようだ。


 全日本女子バレーの監督を務める柳本晶一氏が、世界一のセッターといわれた猫田勝敏のエピソードを書いている。


 私はミーティングで、猫田さんの話をさせてもらった。「人は死んでも魂で動くんや」と。

「病院に猫田さんを見舞いに行ったとき、もうお亡くなりになる直前だったけど、試合中のサインを出されていた」

「もう幻覚症状が出ていたんだ。話をしても、まったくわからないのに……。僕は涙が出た。サインを出していたんだ、ベッドで」

「それぐらい、オリンピックって、素晴らしいところなんだ。それぐらいの識、気持ちを持っていなかったら、オリンピックでは戦えんのや」

「オリンピックには、テレビが行かせてくれるんやない、人気が行かせてくれるんやない。レシーブでも、最後の指先の一本でガツッと持ってくるやつが勝つんだ。蹴ってでも、ボールを上げたろか、というやつが勝つんや」


『人生、負け勝ち』柳本晶一(幻冬舎)


 学び続ければ、“学ぶ自分”となる。戦い続ければ、“戦う自分”ができる。勝ち続ければ、“勝つ自分”が築かれる。


 大いなる舞台で、自分に勝つ癖をつけてゆくことが大事だ。見えないところで負けている人は、必ず堕ちてゆく。たった一人になっても戦い続け、勝ち続ける人でなければ、宿命転換などできるはずがない。祈りと対話という往復作の中で、生命を強靭に鍛え上げよう。

2005-08-20

公明勝利が改革を前進


郵政民営化 地方、弱者に最大限配慮


 公明党神崎武法代表は19日午後、国会内で記者団の質問に答え、衆院選や選挙後の対応について大要次のような見解を述べた。

  • (衆院選の義と争点について)「郵政解散」だから郵政民営化の是非が最大の争点だ。郵政民営化は改革のシンボルであり、これが進まないと他のすべての構造改革が進まない。その味では、郵政民営化を国民の皆さんの審判によって前に進めるための選挙だ。
  • 公明党マニフェストで郵政民営化の推進を冒頭に掲げた理由について)公明党は連立政権の中で6年間、改革の先頭に立ち、実行役として取り組んできた。その改革の象徴である郵政民営化を問う選挙だから、マニフェストでも第一に掲げた。
  • 公明党らしさをどう訴えるか)郵政民営化法案についても、私どもは地方都市や社会的弱者、労働者の立場に最大限配慮した内容に改めさせている。その味では、郵政民営化を国民に審判してもらっても公明党の存在は十分に出る。
  • 公明党はマニフェストの中で、チャイルドファースト(子ども優先)社会をつくることや、徹底的にムダ遣いをなくすための「事の仕分け」方法など、画期的な提案もしている。そういうところで公明党の独自は強調したい。
  • (衆院選の投票率、獲得目標議席について)国民は今回の選挙に大変関が高いとう。前回の投票率を上回ることは間違いないと見ている。公明党目標は、解散時の議席を何としても確保したい。自公で過半数というのも目標だ。
  • (自民党との選挙協力について)公明党(公認)の9小選挙区のうち、(自民党の推薦が決まっていない)3小選挙区も、間もなく推薦をいただくことになっており、着実に進んでいる。(公明党から)自民党に対する選挙協力は(推薦者数は)従来以上になるだろう。
  • (国民新党、無所属との選挙協力について)国民新党とは直接の選挙協力は考えていない。選挙協力は自民党とやるので、自民党から推薦依頼があった候補について、推薦するかどうか検討していく。無所属候補を直接推薦することはない。
  • (衆院選の結果、自公が過半数割れし、民主党が比較第1党になった場合、民主党との連立の可能について)現実的にはない。自公連立政権で選挙戦を戦い、過半数を取れず、自民党が下野することになれば私どもは下野するのが当然のことだ。
  • (自公で過半数割れし、国民新党や民営化反対の無所属と合わせれば過半数を得られる場合の対応について)連立政権の主軸は自民党だから、自民党がどう判断するかだ。無所属や国民新党との連立、連携を考えることになれば、私どもに相談があるはずだから、その段階で判断したい。

衆院選断じて34議席(解散時)確保

  • (郵政反対派しかいない小選挙区に、マスコミが“刺客”と呼ぶ自民党候補を立てる首相の手法について)“刺客”という言葉にあまりいいじは持たない。ただ、首相が全選挙区に郵政民営化に賛成の候補を立てたいというのは、国民に選択肢を与えるためにも当然のことだ。
  • 従来型の自民党の政治だと「やりすぎだ」となるが、日本が抱えているさまざまな課題は、全ての問題で決着をつけて先に進まなければならない段階だ。郵政民営化を進めなければ、ほかの改革でも、官僚既得権益(の側)が“押し返せる”と自信を持つだろう。そんなことをしてはならない。民営化を進めることで全ての構造改革が着実に動いていく。
  • (自民党分裂について)小泉首相総裁選や国政選挙で郵政民営化を公約に掲げた。自民党議員であれば何としても(法案を)成立させる責任がある。法案より首相の政治手法への不満が爆発した形で、法案が成立せず党も分裂状況になったことは極めて残だ。
  • 公明党9小選挙区候補の比例ブロックとの重複立候補について)基本的には小選挙区のどの現場も単独でやりたいという空気が強いようで、単独で進んでいくとう。公示日(30日)直前の選挙情勢を見ながら、最終的に重複するところがあるか検討したい。
  • (八代英太氏の東京12区での立候補断について)民主党に漁夫の利をさらわれることは避けたいとの英断をしていただいき大変に謝している。その味でも、何としても与党の代表として公明党の太田あきひろ幹事長代行を勝たせなければならない。(自公選挙協力は)やりやすくなったとう。
  • (衆院選後の特別国会での郵政民営化法案の処理は)自公で特別話し合っていないが、特別国会を長い国会にすることで処理する可能も十分にある。
  • (参院での自民党反対派が賛成に回る可能について)選挙の結果、自公が過半数をいただければ、政治的に郵政民営化をすべきという世論が明確になるわけだから、参院の政治家の皆さんも政治的な味の重みは十分に分かっていただけるとっている。
  • (ライブドア社長の堀江貴文氏が小選挙区広島6区から無所属で立候補することについて)郵政民営化に賛成という立場と聞いているので、大変強い。若い世代に人気のある人なので、若い皆さんが政治に関を持ってもらえばいいことではないか。(無所属での出馬は)一番、いい形ではないか。自民党(から立候補)となると、堀江さんが自民党的なのかなど、いろいろな見も出てくる。

【公明新聞 2005-08-20】

2005-08-18

夏季指導に学ぶ


 この夏、矢継ぎ早に重要な指導がなされた。そして今尚、指導は続いている。一昔前であれば、最高幹部の一部が研修に参加し、夏季友好週間明けに会合で伝えられていた内容である。人材育成にかける先生の凄まじき一に、謝と激が込み上げてくる。この渦中の88日、小泉首相が衆議院を解散。911日の総選挙の運びとなった。指導の内容は、いや増して具体を帯び、“創価の将軍学”を打ち込まれている。日本が激動する中で我々は、勝利の方程式を堂々と実証して参りたい。


各部合同協議会


東京・新宿区 2005-07-16】


 さて、社会を改革する上で、孔明が実行したポイントは何であったか。その一つは、先日もお話したが、「悪事をなした者は必ずし、善事をなした者は必ず顕彰する」という点にあった。

 これは、戸田先生の厳しき教えでもあった。

 戦って戦って戦い抜いた人は、必ず賞賛せよ!

 一生涯、また一家も、子孫までも賞賛せよ!

反対に、戦うべき立場にありながら、敵を前にして戦わない、ずるい人間は必ずせよ!悪事をなした者には自らの行動の報いを受けさせよ!──と。

 先生は、「法のために働いた人間は、どこまでも賞賛すべきだ。しかし、と戦わずに逃げた人間、ずるい人間は絶対に許すな!」と叫ばれた。正邪に関して厳格であられた。

 ゆえに私は、広宣流布のために尽くし抜いてこられた皆さま方を、最大に賞賛し、永遠に顕彰して差し上げたいのである。


 共に祈って、戦う。共々に祈り抜いて、勝つ。これが「法華経兵法」である。

 学会はこれまで全国各地で、婦人部を中に唱題の渦を起こしてきた。共にを合わせて真剣に祈り、戦ってきた。

 これほど素晴らしい常勝のリズムはない。

 有な「生死一大事血脈抄」には、こう仰せである。

「総じて日蓮の弟子檀那等が、『自分と他人』『あちらとこちら』と隔てるなく、水と魚のような一体のいになって、異体同で南無妙法蓮華経と唱えたてまつるところを、生死一大事の血脈と言うのである。しかも今、日蓮が弘めていることの肝要は、これなのである。

 もし、そうであるならば(弟子檀那等がこれを実行するならば)、広宣流布の大願も実現するであろう」(御書1337頁/通解)

 要するに、広宣流布の同志が異体同で題目を唱えゆくところにこそ、生死一大事の血脈が流れ通うと教えておられるのである。

 わが学会には、御本の仰せ通りの模範の実践がある。同志とを合わせ、御本尊に合掌・冥合しゆく姿ほど、神々しく、荘厳な光景はないのである。


 私は、望んでいた進学も断し、365日、先生のお側で働いた。

「そのかわり、ぼくが大学の勉強を、みんな教えるからな」と、漢文、経済、政治、法律、科学、天文学など、ご自身の持てる万般の学識を、私に注ぎ込んでくださった。

 その薫陶があったればこそ、今の私がある。

 晩年、戸田先生が、しみじみとこう言われた。

「大作、本当にすまなかったな。お前には、どれだけ助けてもらったかわからない。永遠にお前のことは忘れないよ」

 我が子以上に、弟子を愛してくださった、慈父のごとき師匠であった。

 まことに有りき、会いき、不世出の師匠であった。

 この厳粛なる「師匠と弟子の結合の力」によって、今日の世界的な学会の土台が築かれたのである。「師弟不二」こそが学会の根本の道である。


「強敵を伏して始て力士をしる」

 有な「佐渡御書」の一節である(957頁)。

 強敵との激戦また激戦を勝ち越えて、自らを第一級の「広宣流布の力士(力ある士)」と鍛え上げていくのが、学会青年部の伝統である。

 古来、大相撲では、「押さば押せ。引かば押せ。押して勝つのが相撲の極」と言われる。相手がどう出てこようとも、押して押して押しまくること、攻めて攻めて攻め抜くことが、相撲の基本だというのである。

「昭和の横綱」と謳われた第32代の玉錦、第35代の双葉山の二人の横綱も、「攻めの相撲」で有である。ともに「常勝将軍」と呼ばれた。

 玉錦は、「怒涛の寄り」といわれる速攻が身上だった。

 双葉山は、いまだに破られぬ69連勝の大記録を打ち立てた。その連勝における決まり手(勝負が決まった時の技)は、「上手投げ」や「寄り切り」や「寄り倒し」が多かった。攻め抜いて勝ったのである。


 邪悪には、断じて破折のを上げることである。切れ味鋭く、正義を叫ぶことだ。

「一」言われたら「三」言い返す。「三」言われたら「十」言い返す──この不屈の反撃精神こそ言論戦の方程式である。

 言うべきときに言わなければ、自分が損をする。また、悪が増長するだけである。

 語らなければ、は伝わらない。っていても、それだけでは、相手には分からない。

 真実を叫ぶのだ。そうすれば、敵をも味方に変えることができる。


各部代表者会議


【創価文化会館 2005-07-20】


 大事なのは、人材である。人材のを築いたところが、未来永遠に勝ち栄えていく。

 ゆえに先輩は、真込めて、後輩を育てていくことである。

 後輩の成長のためなら、喜んで犠牲になるくらいの覚悟で。

 そして、育ててもらった後輩は、また次の後輩を全力で育てていく。

 このようにして築かれる人材は、永遠に滅びない。

 反対に、大切な後輩を利用したり、自分が偉くなるための手段にするようなところは、絶対に伸びない。

 一時は栄えているように見えても、最後は必ず滅びていくものだ。

 伸びている組織、伸びている団体は、濁りのない誠実なで人材を育成し、立派な人格をもって人材を触発しているところである。

 そして正邪の基準をしっかりと持ち、明快に教えているところである。

 先輩は後輩を自分以上の人材に育てていく──これが、牧口先生戸田先生以来の学会の伝統である。

 私もまた、人材育成を一切の根本に置いて、広宣流布の指揮を執ってきた。戸田先生の指導の通りにやってきた。

 だからこそ、学会は、世界的に賞賛される「黄金の人材」とそびえたっているのである。

 学会は永遠に「人材の」で勝ち進んでまいりたい。


 私は、いつも「陰の人」を見ている。

「陰の立場」で、コツコツと広布に戦ってくださっている方々を真剣に見つけ出し、最大に賞賛して差し上げたいという気持ちでいっぱいである。

「表の人」ばかりに光を当てるのは、大きな間違いだ。

「陰の人」を大切にするところが、本当の味での底力を発揮していくのである。


 広宣流布の戦いに臨んで、「力はありませんけれども」と言った幹部に対して、戸田先生は烈火のごとく叱られた。

 なぜ、「真剣になってやります」「命をかけてやります」「最後までやりきります」と言い切らないのか、と。

 ずるい無責任な幹部がいれば、全体に影響を与える。

 先生は喝破された。

組織が秩序だってくると、どうしても幹部の惰が始まる」

 じつに厳しく、鋭い師匠であられた。


 私たちは、一人ひとりが「広宣流布の闘士」である。

 愚癡や文句を言って、戦わなければ、後悔を残すだけである。やった分だけ自分が得をする。これが信の世界である。

 どうせ戦うならば、学会の歴史に永久に残っていくような、痛快なる栄光の劇を勝ち飾ってまいりたい。


勇敢なる信仰


【「随筆人間世紀の光」92 聖教新聞 2005-08-01付】


 我が創価学会が、大波に荒波を重ねるような、ありとあらゆる大の怒涛を、悠然と乗り越え、断固と勝ち越えてきたのは、なぜか。

 さまざまな次元で論じられるとうけれども、今一度、確認しておきたいことは、いかなる法戦にも、いかなる広宣流布の闘争にも、わが学会は、いつもいつも「異体同」で、厳然と勝ち抜いてきたからだ。

 御聖訓通りに「異体同」であったから、すべに勝ち誇ってきたのだ。

 いかに陰険で卑劣な大迫害にも、わが広宣は微動だにもせず、壊されなかった。

 人生の戦いの真髄である「異体同」であったからこそ、わが偉大なる学会は、一年ごとに、世界に隆々たる輝きを増しながら、正義の大とそびえ立ったのだ。


 あの日、私は、中之島公会堂の壇上に上がる時、戸田先生より、小さなで注を受けた。

 それは、「調子に乗って、大言壮語はするな。

 すべてに気をつかって、淡々とした御礼の気持ちで、真の挨拶をしなさい」と。

 胸の中で、私は驚いた。ああ、いい調子になって、大勢の方々への配慮も忘れて、長い話をすることは、確かに愚かなことだと、直した。

 私は登壇すると、簡潔な挨拶をさせていただいた。

「正しい法が必ず勝つという信で、やろうではありませんか!」


全国最高協議会


【創価文化会館 2005-08-01】


 広宣流布のリーダーは、生き生きと、輝いていなければならない。

 強き信で、大生命力を奮い起こし、多くの友に励ましを送っていっていただきたい。

 大切な広宣流布の同志を、幸福の方向へ、勝利の方向へと導いていく皆さん方であっていただきたい。

 そして、広布を阻む敵を鋭く見破り、断固として、打ち破っていくのだ。真実を叫び切っていくことである。

 勇気ある言論で、学会を守り、同志を守り、広布を守るのが、指導者の第一の責務である。


 戸田先生は言われた。

「弟子は弟子の道を守らねばならぬ。ことばも、実行も、(牧口)先生の教えを、身に顕現しなければならない」と。

 師弟の世界こそが学会の真髄である。

 これまで学会は、「師弟の」で進んできた。常に「師弟不二」で勝ってきた。

 この一点だけは、断じて忘れてはならない。

「柱」を切れば、「建物」は倒れる。

 同じように、学会も、「師弟の精神」という根幹の柱を失えば、必ず衰亡してしまう。


「魚は頭から腐る」と言われる。

 トップが崩れるところから、組織も腐り、崩壊していく。それが道理である。

 また、幹部が傲慢になり、威張って人の見を聞かなくなると、そこに「」は付け入ってくるのだ。

 だからこそ、戸田先生は、幹部に厳しく指導された。

「役職があればあるほど責任がある。模範でなくてはいけない」「人前でいかに立派なことを言っても、自分が実践しないとすれば、幹部として、最低の姿である」

 また先生は、「責任者が遅刻したり、多くの社員がだらしなく遅刻を重なるような職場は、必ず問題を起こし、衰微する」とも言われた。

 戸田先生は、本当に「」に厳しかった。


全国最高協議会


【創価文化会館 2005-08-02】


「拡大」が学会青年部の伝統である。

私も、学会青年部の出身である。男子部の部隊長も務めた。

皆が、真剣に各部隊を拡大し、人材を育て、大競争をした。

若き胸には、広宣流布という夢があった。ロマンがあった。

戦う気概に満ちあふれていた。

生き生きとした青年部の姿に触発されて、学会全体が躍動していた。

壮年部、婦人部、青年部が、素晴らしい連帯で結ばれていたのである。

青年の勝利への勢いが広宣流布の新しい扉を開く──これが学会の歴史である。

そしてまた、青年部の変わらぬ気でなければならない。


 学会の目的は、広宣流布である。

 ゆえに、広布に一生懸命に戦っている人が最も尊い。

 その人を一番、大事にする組織でなければならない。

 組織のために会員がいるのではない。会員のために組織があるのだ。

 組織が大事なことは言うまでもないが、それを利用して、いばる幹部がいれば、本末転倒である。厳重に注していかなければならない。

「広布に戦う人」を最大に守り、支えていくのが幹部の役割である。


 戸田先生は、実に厳格であられた。

 ある味では、戸田先生は怖かった。辛(つら)いとう時もあった。

 しかし、究極的には、師のもとで戦える生命の喜びがあった。楽しかった。

 私にとっては、真剣な修行の毎日であった。

 偉大な人間をつくるためには、厳格な修行をさせないといけない──戸田先生は、このことを知悉(ちしつ)しておられたのであろう。

 私は万事にわたって、一分の隙(すき)もなく、訓練していただいた。

 戸田先生のもとで最高の訓練を受けられたことを、私は、から謝している。青春時代の薫陶があったからこそ、今の私がある。そう自負している。

 もちろん、今と昔では時代が違う。しかし、最極の人間の世界である学会の中で、指導を受け、自身を磨けることが、どれほど素晴らしいことか。

 恵まれた時代だからこそ、特に青年は、求めて訓練を受けていってほしいのである。


全国最高協議会


【創価文化会館 2005-08-07】


 信とは、究極の勇気である。

 正義に生き、何ものをも恐れることはない。

 それが信仰である。

 尊き同志を守るためには、臆病であってはならない。

 リーダーは、常に第一線に飛び込んで、猛然と戦う勇気がなければならない。

 私が青年部で戦っていたころ、戸田先生の悪口を撒き散らし、いわれない学会批判を繰り返していた連中がいた。

 私は、どうしても我慢ならず、一人で相手のところへ行った。

 そして、師匠の真実を叫び切り、学会の正義を訴えて、その場で相手を理解者に変えていったこともあった。

 学会は強気でいけ──それが戸田先生の教えである。

 いざというときに動けない臆病者、戦えない気地なしが、何人いても広宣流布は進まない。

 日蓮大聖人は「法華経の剣は信のけなげ(勇)なる人こそ用る事なれ」(御書1124頁)と仰せである。

 たとえ、無敵の剣を持っていても、使う人間が臆病では、は打ち破れない。

青年ならば、勇気を出すことだ。信とは最高の正義の勇気である。

 真の勇者は、常に一人立つのである。


 私には、若き日から、学会の一切の責任を担ってきたという自負がある。

 第三代会長になったのが32歳のときである。

 広宣流布には、三障四魔がつきものである。まさしく、敵との連続闘争の日々であった。

 また日本中、世界中の同志のことを考えると、365日、休まる日はない。それが正直な気持ちである。

 だが、敵がいるから戦えるのだ。戦いがあるから成長できる。激の同志と、生命の奥底から喜びを分かち合うことができるのだ。

 これ以上の人生の誉れはないのである。


 どうしたら「道」が開けるか。

 リーダーが自分で動くことだ。自分自身が戦って、広宣流布の結果を示していくのである。

 どうしたら「」をつかめるか。

 誠実な振る舞いしかない。直接、会って、礼儀を尽くし、話を聞いていく以外にない。

 すべては、リーダーの一と行動から始まる。

 人ではない。自分である。大変なことは人にやらせて、自分はうまくやろうというのでは、幹部がいる味はない。

 せっかく積んできた福運も消えていく。組織全体もよどんでくる。

 法は勝負である。所詮、勝つか負けるかのどちらかしかない。

 その分かれ目が指導者の一であろう。

 リーダーが先頭を切っていくことだ。戦う吹にあふれていることだ。

 いつも、生き生きとして、歓喜がある。生命力がある。光っている──このリーダーが勝つのである。


“皆さんのため”と言いながら、“己のため”にだけ動きまわる政治家を、絶対に許してはならない。

ガルブレイス)博士は言われた。

「政治家の資質についても、私は一貫した考えをもっています。私が望むのは、一握りの恵まれた人々とではなく、つねに大衆と共にある政治家です」

「政治家には、ごく一部の幸福な人々の側ではなく、大多数である大衆の側に立ってほしいと強く願っています。

 これまでも、偉そうに振る舞って、大衆を見下す政治家がいた。その卑劣な本質を、鋭く見抜くことである。


創立75周年特別幹部研修会


【群馬多宝研修道場 2005-08-12】


 幹部は、一生懸命に戦ってくださっている皆さんに、から謝すべきである。

 必ず、ほめることである。讃えることである。それを絶対に忘れてはならない。

 全同志の力で、創価学会は、世界的な大発展を成し遂げた。

 わずかに反逆者が出たが、ものの数ではない。皆、敗北の姿であり、表に出られない。利に目がくらんだ忘の人間の末路は、皆さまがご存じの通りである。


 私は、全く無の一青年であった。しかし、相手がだれであれ、ただ誠を尽くして、接してきた。

 ある高な作家の方が、「君は本当に誠実だね」とおっしゃって、「惟(た)だ篤実(とくじつ)のみ以(もっ)て事に当たるべし」(誠実さによってこそ、大事を為せる)と認めた書を贈ってくださったこともあった。


 戸田先生は、よく、閉ざされた青年であってはならない、と言われた。

 内外を問わず、どんどん人と会い、人と対話せよ!人のをつかみ、味方をつくれ!そのすべてが自分自身の訓練となり、財産となる──との薫陶であった。

 先生の御指導どおりであった。

 最後には、真実に生きる人が勝つ。誠実の人が勝つ。この信条で、私は学会の発展を支えてきた。


 ともあれ、人材は、必ずいるものだ。

 広宣流布の戦いは、「地涌の菩薩」でなければ、なしえない。すべての同志が、かけがえのない使命の人である。

 その一人ひとりの力を見いだし、最大に発揮させていくのが、指導者の責務といえよう。


 戦いは執深く攻め抜いたほうが勝つ。

 これが鉄則である。

 最後の最後まで、攻めて攻めて攻め抜く。これが本当の指揮である。

 中途半端はいけない。

 執深く!

 戦いは、勝つか、負けるかしかない。

 祈って、祈って、祈り抜くのだ。

 戦って、戦って、戦い抜くのだ。

 勝利の結果を見届けるまで!

 とくに、戦いの中となる人間は、気取りなどかなぐり捨てて、死にもの狂いで進むのだ。

 戦いは、地と忍耐がなければならない。

 まず、リーダーが、動き、語り、励ますのだ。

 他人事だとえば、力は出ない。「自分自身の戦いだ」とえば、「戦おう」とが定まる。

 戦えば、強くなる。戦わなければ、卑劣な敵に食い破られる。

 人も、団体も、「戦い続ける」ところだけが、他の何倍も発展し、栄えていくのである。


 学会には、真面目で、誠実な方が多い。

 実際に学会員と接して、そのようにじ、信頼してくださっている方も多い。

 だからこそ、その点につけ込んで、学会を悪用しようと画策する者も出てくる。

 大切な会員に迷惑をかける邪悪な動きは、絶対に見逃してはならない。

 人間も、組織も、常に変化の中にある。日々、動いている。

 発展するか、衰退するか。常に戦いの連続だ。

 学会は、広宣流布を目指す和合僧団である。

 破和合僧の動きを放置する者は、結果的に、悪に加担したことになってしまう。

 悪の蠢動と戦わなくなれば、その組織は必ず敵に侵されてしまうのである。

 ゆえに、悪は悪であり、正義は正義であると、堂々と「事実」を訴えることである。

 っているだけで口に出さなければ、物事は動かない。結果も出ない。損をするだけである。

 悪と戦ってこそ善であり、真実の法者である。この一点をともに確かめ合い、さらに勢いよく進んでいきたい。


 先生は言われた。

「ただ講義すればいいというものではないぞ。皆に信の楔を打ってくるんだ!」

「戸田の代(みょうだい)として、毅然として行ってきなさい!」

 時間をこじ開けては、川越に通った。足かけ3年、御書講義に大情熱を注いだ。「無数の地涌の菩薩よ、躍り出よ!」と祈りながら。

 師のをわがとして、広宣流布の戦野に打って出るならば、必ずや、勝利と前進の歴史を残すことができる。


 日蓮大聖人は、人のの機微を、次のように教えられている。

「あまりに人が自分をほめる時は、『どんなふうにでもなろう』というが出てくるものである。これは、ほめる言葉から起こるのである」(御書1359頁、通解)

 リーダーは、これまでよりも、もっと、広布へ戦う尊き同志を、ほめなくてはいけない。

 私も、頑張っている同志を、毎日、から、ほめ讃えている。

 せっかく頑張っているのを、ほめもせず、ただ「戦え」と言うのでは、嫌になってしまう。厳しいばかりでは、皆、逃げてしまう。

 ほめて、ほめて、ほめまくる ―― この「革命」を起こしてまいりたい。

 ほめるのが7割、厳しく言うのは、ほんの少々というくらいでいいのである。

 先輩の皆さんは、幾多の激戦をくぐり抜けてきただけに、皆を叱咤するのが“習”になっている場合がある(笑い)。服についたソースの染みみたいに(笑い)、くっついて離れない。

 しかし、そのままではいけない。

 今、後輩たちも、どんどん成長している。その分、自分は年をとっている(笑い)。皆のほうがいろんなことをよく知っている場合も多い。

 いつも同じ話、いつも厳しい話だけ ―― これではいけない。

 後輩たちを、どんどん伸ばすのだ。そのために大事なポイントが「ほめる」ことなのである。

 この一点をしていけば、学会は、さらに大きく発展していける。

 これは、私が言うのではない。大聖人が教えてくださっているのである。

 御書には、“に負けるようではになれない”と厳然と示されているのと同時に、健気な同志を最大に讃え、ほめる言葉が満ちあふれている。温かい励ましが、法の世界なのである。

常楽我浄」と仰せの通り、信をして、楽しくないわけがない。

 広宣流布へ進みゆく皆さまの生命には、最高の大福徳の“勲章”が三世永遠に輝きわたることを確信していただきたい。


 かつて戸田先生は、猛暑のなか、会合に集う同志を見て、涙を流しながら「これほど尊い姿はない」とおっしゃっていた。

 またある時は、「この人たちがいなければ、広宣流布はできない」「この尊い子を生命の続くかぎり守ってほしい」と、命をふりしぼるようにして語っておられた。


いざ創立75周年の大山


【「随筆人間世紀の光」93 聖教新聞 2005-08-14付】


 創立75周年の栄光へ、わが創価学会が、また一つ、広宣流布の大きい、大きい山を登る時が来た。

「勝利は、わが迅速果敢な行動にあり」

 これは、かのナポレオンが結論した戦闘哲学である。

 人生は勝負だ。

 法も、また勝負だ。

 ゆえに、この一生、断じて勝たねばならない。

 勝てば幸福であり、負ければ不幸である。

 大切な人生である。何があろうが、最後に痛と悔恨を残してはならない。

 そのために、君よ、君たちよ、勝負の時を逃さず、断固として立ち上がれ!

「一瞬たりとも失ってはならない」とは、ナポレオンのモットーであった。


 日蓮大聖人は、「命と申す物は一身第一の珍宝なり一日なりとも・これを延るならば千万両の金にもすぎたり」(御書986頁)と仰せである。

「一日」が宝である。

 いな、「一瞬一瞬」が、かけがえのない宝なのだ。

 今、1時間があれば、どんなに多くの友を励ませるだろうか。遺言のいでスピーチも残せる。今、30分があれば、どれだけ有義な語らいができるだろうか。

 この5分があれば、必死のあの同志、この同志に揮毫を残してあげられる。

 この1分があれば、闘のあの友に伝言を託すことができる。この1秒があれば、目であいさつができる

 だから、私は決めたのだ!

 義ある一日一日を生きるのだ!「今」を生き抜き、断じて勝つのだ!

 この86日で、私が小説『新・人間革命』の原稿の執筆を開始してから12周年。いつしか、新聞への連載も3500回となった。

 この連載を始める前に、私は「限りある命の時間との、壮絶な闘争」と書いたが、実際、今の私には、眼前の1分1秒が惜しい。

 今、小説をはじめ、多くの原稿に向かう胸から離れないのは、わが尊き同志の幸福であり、勝利である。

 すべての勝利は、広宣流布のためにある。

 友よ、断じて勝て!

 友よ、断じて負けるな!

 私は、懸命に祈り、必死に呼びかけながら、次の50年の完勝への指揮を執っている。


 わが疾風怒濤の青春は、いな、わが波瀾万丈の生涯は、偉大なる師・戸田城聖先生と共にあった。

 その先生が、生命を削るようにして、私に峻厳に打ち込んでくださったご指導の一つは、「戦いは迅速であれ!」という鉄則であった。

 広宣流布とは、との熾烈な闘争だ。邪悪との戦いに逡巡があってはならない。

 かのアレキサンダー大王を詠った詩には、「傲慢な人びとを粉砕せよ」と、烈々たる叫びがあった。

 戸田先生は、重大な革命児の使命を担いながら、一旦緩急の時に、惰で出遅れた者がいたら、「『遅参其のを得ず』だ!」と、それはそれは厳しかった。

「まことの時」に、決然と立ち上がり、迅速に戦えるかどうかが、一切の勝敗を決するからだ。

 古代ギリシャの弁論家デモステネスは訴えている。

「事をなすべき好機というものは、われわれののろまさと言いのがれとを待っていてくれるものではない」

 リーダーは、絶対に臆病であってはならない。いかなる困な激動下でも、厳然と指揮をとり、勇敢に先陣を切って戦い抜くのだ!

「賢者には悲劇など存在しない。彼らがいると周囲でも悲劇は起きなくなる」とは、ベルギーの詩人メーテルリンクの言である。


 広布史上に輝く50年前の「小樽問答」も、まさに電光石火の戦いであった。

 雪の小樽で、わが学会婦人部の友が日蓮宗(身延派)の坊主と対面し、311日に「法論」を行う話が浮上したのが2下旬。

 その情報が学会本部にもたらされたのは、法論の1週間前の34日であった。

戸田先生は、事態を把握されるや、直ちに決断された。

「この法論は、戸田が引き受けた!」

 本来ならば、宗門が受けるべき問題である。だが、臆病な宗門は、矢面に立つことを恐れて逃げたのである。

 先生は、そんな醜態など歯牙にもかけず、学会が広布の全責任を担って戦うことを、悠然と宣言されたのだ。

 先生のご決は、そのまま弟子の決であった。

 よし! この勝負、断じて勝ってみせる! 偉大な日蓮法の正義を、わが創価学会の真実の力を、満天下に示しきってみせる!

 戦う勇気が、五体に満々とみなぎるのをじた。

 広宣流布とは、いかなる戦いであれ、自分が勝利の全責任を担うのだと、決然と一人立つことから始まるのだ。

 当日まで、わずか1週間の短期決戦である。

 しかし、「必ず勝つ!」と決めた弟子の闘魂は、激戦にこそ燃え上がった。

 迅速にして緻密たれ!

 細にして大胆たれ!

 先手先手で攻め抜け!

 限られた一日一日は、青年の勇気と智の行動の大舞台となった。勝利の突破口を開く、雄々しき執と攻撃精神がみなぎっていた。

 そして、あの311日、私の司会で始まった法論は、歴史的な大勝利を勝ち取ったのである。


 私はう。

 ──戸田先生のもとで戦った一つ一つの激戦が、三類の強敵を打ち砕き、広宣流布の法戦を勝ち抜くための、師弟不二の相伝であった、と。

 その先生と、私は、今も、胸中で「師弟の対話」を交わしながら戦い続けている。

 先生が最後の生命を燃やして、青年に「広布の印綬」を託された、あの「3.16」の式典が終わったあと、突然、私に言われた。

「我々は、戦おうじゃないか!」

 広宣流布の闘争に終わりはない。休もない。一瞬一瞬が常在戦場であり、戦闘開始なのだ。


「恐れとは、他のどんな病気よりもたちが悪い。病は肉体を殺すが、恐れは魂を殺す」

 これは、魂の英雄ガンジーの教訓である。

 我ら正義の同志は、何ものをも恐れない。

 大聖人は、「大事には小瑞なし、大悪をこ(起)れば大善きたる」(同1300頁)と言われ、こう仰せである。

「各各なにをかなげ(嘆)かせ給うべき、迦葉尊者にあらずとも・まい(舞)をも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立ってをど(踊)りぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそい(出)で給いしか」(同)

 時を得て、三類の強敵に立ち向かい、広宣流布の戦いを遂行できる嬉しさ。

 これ以上の喜びはない。

 これ以上の誉れある人生の戦いはない。

 我らは今、創立75周年の完勝と栄光の峰へ、猛然と立ち上がった。

 この輝く山頂に向かって、同志よ、どこまでも異体同の信で、勇者と勇者の鉄の団結で戦い進もう!

 劇作家シェークスピアは、ある戯曲にこう綴った。

「多くの矢が異なる位置から放たれて一つの的に集まるように、

 多くの道が四方八方から近づいて一つの町で出会うように、(中略)

 数百数千の行動も、それぞれ同時に開始されながら、

 なんの支障もなく、万事うまくはこんで、ついには

 一つの目的に到達しうるのです」

 我らの「目的」は、もちろん「勝利」の二字である。

 さあ、戦闘開始だ!

 我々は、断固として戦おうではないか!

 痛快に、圧倒的に勝とうではないか!

 平和のために!民衆の栄光と幸福のために!


「札幌・夏の陣」から50年


【「随筆人間世紀の光」95 聖教新聞 2005-08-18付】


 将軍ナポレオンは叫んだ。

「私は、2時間でできることに、2日もかけるようなことはしない!」

「どんなに大きな仕事でも、それが成功するかどうかは、間一髪の差である」

 私の胸に去来する50年前の夏、10日間で歴史は動いた。

 それは、「札幌・夏の陣」と語り継がれる、昭和30年の歴史的な闘争であった。

 816日から、10日間の勝負だった。

 短期決戦である。

 私は、夏期指導の北海道派遣隊の責任者として、388世帯という「日本一折伏」を成し遂げた。

 戸田先生は笑みを湛えながら、「大作、またやったな。日本一の大法戦の歴史を飾り残したな」と言われた。

 私は嬉しかった。


 短期決戦の第一の要諦は、「団結」である。

 戦いが短ければ、短いほど、気を引き締め、結束しゆくことだ。

 私と北海道の同志は、断じて戸田先生の悲願である「75万世帯」を達成してみせるとの「弟子の強き一」で、尊く固く結ばれていた。

 広宣流布の戦いで「勝負」を決するのは、人数の大小ではない。誓願を共にした「異体同の団結」である。

日蓮が一類は異体同なれば人人すくなく候へども大事を成して・一定法華経ひろまりなんと覚へ候」(御書1463頁)

 暴虐の限りを尽くした「殷の紂王」の軍勢70万騎は、800人の諸侯が結束した「周の武王」の軍に敗れた。

 悪辣な紂王に無理やり駆り出された殷の兵士は戦がなく、武器を逆さまに持ち、周の軍勢に道を開けたという。

 ともあれ、周の武王の大勝利は、団結と勢いの勝利であった。


 第二の要諦は、「スタートダッシュ」である。

 陸上のトラック競技は、短距離になるほど、スタートが重要になる。

 100メートル競走も、号砲が鳴る、ぴんと張り詰めた瞬間に、勝敗の分かれ目がある。

 50年前、札幌駅に降り立った瞬間から、私の闘魂は燃えたぎっていた。

「戦いは、勝ったよ!」

 出迎えてくださった方々への、私の第一だった。

 初日からフル回転である。

 戦いの拠点となる宿舎に到着した時には、成果を書きこむ「棒グラフ」まで用できていた。準備万端である。

「先んずれば人を制す」だ。

 後手に回った場合、負担も手間も2倍になる。先制攻撃の場合、手間は半分、効果は2倍である。

 戸田先生も、よくおっしゃっていた。

「いくら大艦隊であっても、戦場への到着が遅ければ、スピードが勝る精鋭には、絶対に勝てない」

 短期決戦であるほど、戦いは「先手必勝」である。

 敵だってしい。時間がない条件は同じだ。

 先に手を打った方が、必ず勝つ。相手も準備は不十分であり、ここに大きなチャンスがあるからだ。

 機先を制したほうが、一切の主導権を握り、庶民のをつかみ、嵐のような喝采に包まれるものだ。


 第三に、短期決戦は、中者の「鋭き一」で決まる。

 私は「札幌・夏の陣」を前に、ひたすら祈り、知恵を絞り抜いた。

 具体的な作戦に基づき、矢継ぎ早に手を打った。

 私は、東京での闘争と同時並行で、寸暇を惜しんで筆を執った。

 時間との競争にしのぎを削り、全精魂を傾けて、北海道の友に手紙を書き続けた。

 同志の必死の奮闘の一切を勝利に直結させるとの一で、万全の準備を進めて、札幌に向かった。

 戦いの勝利の方程式は、「忍耐」と「執」である。

「つねに気落ちを知らず、断固たる、戦いをやめぬ人間の魂」──大詩人ホイットマンが歌い上げた、この不屈の闘魂こそ、我らの闘争精神である。

絶対に勝つという一を燃え上がらせることである。

 戸田先生も、「ケンカだって、一つでも多く石を投げたほうが勝つよ」と、常に強気だった。

 そして、最後は、智の戦いである。敵を倒すまで戦い抜く、猛烈なる執である。

「勝つべくして勝つ」ことが、学会の戦いであった。

 リーダーは、どこまでも同志を励ましながら、「勝利を決する厳然たる祈り」で、どこまでどこまでも、断固として進みゆくことだ。

 いずれにせよ、短期決戦は、ゴールまで全速力で走り抜く以外にない。100メートル競走なら、世界レベルの争いで約10秒。

 脇目もふらず、力を出し切るしかない。周りの様子などに振り回されては、絶対に勝てるはずがない。

 恐れることはない。戦いはやってみなければ分からない。五分と五分だ。勢いがある方が勝つ。強気で攻めた方が勝つ。

 中国革命の父・孫文は語った。

「およそ、何事であれ、天の理に従い、人の情に応じ、世界の潮流に適い、社会の必要に合し、しかも、先知先覚者が志を決めて行えば、断じて成就せぬものはない」


 弘安2年、日興上人は、捕らえられた熱原の農民信徒の状況について、鎌倉から身延の日蓮大聖人へ、急報を伝えられた。

 1015日の夕刻に使者に託された知らせは、17日の酉時(午後6時頃)に届いた。

 大聖人は、即座に筆を執られた。

「彼ら(熱原の門下)が御勘気を受けた時、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱えたとのこと、これは、全くただごとではない」(1455頁、通解)

「必ず、わずかの間に、賞がはっきりするであろう」(同)

 今こそ変毒為薬の時と、弟子を最大に励まされている。

 この御手紙が認められたのは「1017日戌時」。

 日興上人の報告が届いてから2時間後の、午後8時頃である。

 御手紙の最後では、重ねて、仰せである。

「恐れてはならない。を強くもっていけば、必ず現象があらわれる」(同)

 大聖人の電光石火の御振る舞いが、正義の反転攻勢へとつながったのである。

 戦いは、厳しい局面になるほど、スピードが求められる。

 素早く手を打つことで、を打ち破っていける。会員を守っていける。

 スピードのない幹部は、無責任である。臆病である。無慈悲である。

 いざという時の電光石火のスピードこそ、勝利の鉄則であるからだ。


 かつて戸田先生は、鮮戦争(韓国戦争)の渦中、戦火に包まれた韓・鮮半島の人びとの悩をいやられ、慈しみのを抱かれながら、こう話しておられた。

「『どっちの味方だ』と聞かれ、驚いた顔をして、『ごはんの味方で、家のあるほうへつきます』と、平気で答える人もいるのではなかろうか」

どこまでも、我ら人間の幸福を第一に考え、その実現のために戦い抜かれた先生であられた。

 いつの時代も、ともすればイデオロギー等が優先され、最も大事な人間の幸福は、ないがしろにされてきた。

「国民大衆の幸福」こそ、政治の根本であるはずだ。これこそ、永遠に正しき普遍の政治の原理であらねばならない。今の時代は、その政治の根本を忘れている。

 蓮祖は「当世は世みだれて民の力よわ(弱)し」(同1595ページ)と仰せである。

 ゆえに、わが学会は、「民の力」を強め、「民の力」を天下に示すために戦ってきたのだ。

 その闘争は、時には困を極めることもあった。しかし困に遭った時こそ、人間の真価がわかる。

「いざ鎌倉」の時に、本物の人物か否かが明確にわかるものなのである。

 私は「疾風知勁草」(疾風に勁草を知る)という言葉が、青春時代から好きであった。

 激しい風に吹かれて初めて、強い草であるか否かを知ることができるというのだ。

 この言葉は、後漢の光武帝が激闘した時に、他の兵士が皆、逃げ去るなか、ただ一人、王覇という一兵士が、最後まで残ったことに由来する格言である。

 学会に臆病者はいらない!

 いかなる疾風にも、御本尊を抱きしめ、いかなる事態にあっても、恐れなく厳然と立ち向かっていくことだ。

 強くまた強く、正しくまた正しく、そして朗らかな人生を進みゆくことだ。

 君よ、痛快に、また愉快に、連戦連勝の指揮をとってくれ給え!

 創立75周年の偉大にして義ある歴史を、栄光と完勝で飾っていってくれ給え!

 世界的な広がりをもつ、我ら創価の「黄金時代」を謳歌しゆく大音楽を響かせていってくれ給え!

“郵政対案”も改革といえず/民主マニフェストに厳しい批判


 民主党は16日にマニフェスト(政策綱領)を発表したが、17日付の新聞各紙には「これで改革といえるのか」(産経新聞社説)などと手厳しい指摘や疑問が相次いだ。


 まず衆院選の争点である郵政民営化への対案で民主党は、当面は日本郵政公社の維持を表明。しかし、最終的に郵政民営化に「反対」なのか「賛成」なのかがさっぱり分からず、「公社のままなのか、民営化するのか。こうした問題点が、より明確でなければ、対案として物足りない」(読売新聞社説)とバッサリ。


 また、民主案の柱である「郵便貯金と簡易保険の規模縮小」についても、郵便貯金の預入限度額(現行1000万円)を段階的に500万円まで引き下げれば、その分、公社の収益も減る。このため、「郵便事も含めた事全体の経営に悪影響を及ぼさないのか」「事が悪化すれば国の資金を投入するということなのか」(同)と疑問を投げ掛けられた。


 竹中平蔵・郵政民営化担当相もすかさず「8万人の首切りプラン」と批判。郵貯資金を半減させれば、収益減少によって、約26万人の公社職員の約3割がリストラ対象になるからだ。


 このほか、民主党マニフェストに盛り込まれた「3年間で10兆円の歳出削減」では、「積算根拠にはあいまいな点もあり、よりくわしい説明が必要」(日本経済新聞社説)、イラクからの「自衛隊撤退」とその後の復興支援策については「有権者に政権政党としての安を十分与えるには、やや物足りなさが残る内容」(毎日新聞)と手厳しい注文が寄せられた。


 要するに、郵政にしても、財政再建や外交にしても、民主党の政策は中途半端過ぎるということだろう。これでは、“この党に政治を任せていいの?”との疑問が出ても仕方あるまい。


 ちなみに、17日付の日新聞の世論調査では、民主党に「政権担当能力があるとわない」が6割を超え、「あるとう」は2割に過ぎなかった。


【公明新聞 2005-08-18】

2005-08-17

連戦の中で“正義の哲理”は磨き抜かれる


 すなわち、天台の戦いは、同時代の論客はもちろんのこと、「中国500年」「インド1000年」にわたる、釈尊以後のありとあらゆる邪義を論破しゆく、壮大な法戦であった。

 その壮絶なる戦、言論戦に対し、当時の最高の権威という権威が、「雨のごとく」「風のごとく」天台を総攻撃した。今でいえば、民衆に全幅の信頼を寄せられている学者や言論人による非に当たろう。

 その連戦に次ぐ連戦の中で、正義の哲理は、いやまして鍛えられ、磨き抜かれていった。圧迫が激しければ激しいほど、天台はそれを上回る大いなる力を発揮して、正義を証明し、宣揚していったのである。


 悪世にあって、正しきものには妨害がある。進むものには抵抗がある。当然の道理である。像法時代の天台ですら、あれだけの風雨を受けた――。

 法の目的は「成」にある。そして、大聖人は身命を捨てるほどのとの戦いがあってこそ成できると仰せである。ありて、初めて成がある。悪口されればされるほど、「」の境界に近づける。これほど、ありがたいことはない。

 その味で、むしろがあればあるほど、から喜び勇んでゆくが、まことの信である。


【第2回神奈川県支部長会 1988-07-19 神奈川文化会館


 稀代の悪僧・日顕による宗門問題以降、日蓮正宗が清流ではなく、謗法まみれの濁流であることを我々は初めて知った。何の根拠もなく、僧侶を尊敬してきたが、それが誤りであることもわかった。出家とはばかりで、在家以上に世俗の垢(あか)にまみれ、酒色に溺れている事実を知った。


 学会を取り巻く黒い闇に一閃の光を放ったのは、「地涌からの通信」だった。北林芳典氏の『暁闇』によれば、「ちなみに、不破優に従った編集部の2は、とある地域の創価学会男子部の副部長と同地区リーダーであった」という(「断簡6 岩を穿つ雨滴」)。創価の絢爛たる広布史に、そのは燦然(さんぜん)と刻まれた。尊い学会員を守るために、現場を奔走した教宣部・広宣部の方々も、また同様である。


 学会が仏勅の団体であるならば、その目的は会員の成に尽きる。世界190ヶ国、1500万の会員を擁する巨大な団体が、急ハンドルを切ることは許されない。急激な変化によって、会員が不信を起こしてしまえば、日蓮大聖人の精神に背く結果となろう。


 北林氏の一連の著作のように、“今だから”こそ明らかにできる事実もある。学会の人類史的義は、数百年、数千年単位で見た時に、初めて鮮明になると私は考える。


 時代は刻々と変化している。これからも、変化の波にさらわれそうになることがあるかも知れない。その時に、御書に拠(よ)って立ち上がる人こそ、創価後継の本格派である。

「結語*1」


 ヴィクトル・ユゴーの『懲詩集』より。尚、文中の小さな「*」は脚注で、クリックするとジャンプできる。


 人間の良は死んだ。乱痴気騒ぎの宴で、

 あいつ*2は良の死骸の上にうずくまる。その死骸が好きなのだ。

 ときどきあいつは陽気に、勝ち誇り、赤い目をして、

 振りむいては、死んだ良をひっぱたく。


 裁判官の奥の手は淫売になりさがること。

 正直者は聖職者の圧力にふるえあがってとり乱す。

 陶器師の畑から聖職者たちは財布を掘り出す*3

 シブールはユダの売った神をまた売りわたす*4


 あいつらは言う、「カエサル*5様が治めているのだ、軍神

 彼を選んだのだ、国民よ従え、従うべきだ!」と。

 あいつらはその手をぎゅっと握りしめて、歌いながら歩いていく。

 すると、指のあいだから金貨がのぞいているのが見える。


 ああ! 教皇に祝福された、あのならず者、

 あの君主、追剥ぎ君主が位についているあいだは、

 片手に王杖を持ち、片手に強盗のやっとこを持ったあいつ、

 サタンがマンドランを刻んで作りあげたあのシャルルマーニュ*6が、


 あいつが悪事にふけっているあいだは、共和国憲法への誓いや、

 美徳や、宗教誉をバリバリ噛み砕きながら、

 酔っぱらった恐ろしい顔つきで、我々の栄光に恥を吐きかけながら、

 大空の太陽の下にこんな姿を見せているあいだは、


 たとえ民衆の卑しさが昂じて、

 あの憎むべきペテン師を崇(あが)めるようになろうとも、

 たとえイギリスやアメリカさえもが

 亡命者に向かって、出ていってくれ! 俺たちは怖いんだ! と言おうとも、


 たとえ我々が枯葉のようになろうとも、

 あのカエサルのご機嫌をとろうとして、人々が我々みんなを見捨てようとも、

 追放された者たちが、戸口から戸口へ逃げまわらねばならなくなろうとも、

 釘に引っかかったぼろきれのように、人々の手で引き裂かれて、


 神が人間の卑小さに抗議を行っている砂漠が

 追放された者たちを追放し、追いたてられた者たちを追いたてようとも、

 たとえ世のすべてのものと同じように、いやしく卑劣な

 墓が死者を外に放り出そうとも、


 私は断じて負けない! 繰りごとなど言わず、

 泰然として、胸に悲しみを抱き、あの羊のような群集を軽蔑しながら、

 亡命の立場を一途に守り、おまえを胸に抱こう。

 祖国よ、ああ、私のぬかずく祭壇よ! 自由よ、私の捧げる旗よ!


 高潔な同志たちよ、私はきみたちと同じ理を抱いている。

 追放された者たちよ、共和国こそ私たちを結ぶもの。

 私は誇りにう、世の人が辱めるすべてのものを。

 私は侮蔑する、世の人が祝福するすべてのものを!


 私は喪の服に身を包んで、

 災いあれ! と言うとなり、否! という口になろう。

 おまえの下男どもは、おまえにルーヴル宮*7を見せるだろうが、

 私のほうは、カエサルよ、おまえが入る狂人用の監禁室を見せてやろう。


 かずかずの裏切りや、おもねり従う者たちを目の前に見ても、

 私は腕組みをし、憤りながらも、泰然自若としてたたずんでいるだろう。

 倒れさった者を愛してうち沈む誠実なよ、

 どうぞ私の力と喜びと青銅の堅固な柱になってほしい!


 そうだ、たとえほかの人々が屈しようと、亡命の地にがんばろうと、あの男がいるあいだは、

 ああ、フランスよ! 我々が愛し、いつもその不幸を嘆いているフランスよ、

 私は二度と踏むまい、おまえのやさしく悲しい国土を。

 私の祖先の墓、私の愛する者を育てた土地よ!


 私は二度と見るまい、我々を引きつけるおまえの岸辺を。

 フランスよ! 私のなすべき義務のほかは、ああ! すべてを忘れよう。

 試練を受ける人々のあいだに、私は自分のテントを張ろう。

 追放されたままがんばろう、気軒昂として立っていることを望んで。


 たとえ果てしなくつづこうとも、私はつらい亡命を受けいれる、

 志強固だと信じていた友が屈服してしまったかどうか、

 また、亡命地にとどまるべき者の多くが帰国してしまったかどうか、

 そんなことは知ろうとも、考えようともせずに。


 あと千人しか残らなくなっても、よし、私は踏みとどまろう!

 あと百人しか残らなくなっても、私はなおスラ*8に刃向かおう。

 十人残ったら、私は十番目の者となろう。

 そして、たったひとりしか残らなくなったら、そのひとりこそはこの私だ!


ジャージー島にて、1952年122日


【『ユゴー詩集』辻昶・稲垣直樹訳(潮出版社:絶版)/『ヴィクトル・ユゴー文学館 第1巻 詩集』(潮出版社)は入手可能】

*1:原文は Ultima verba というラテン語。このラテン語には、『懲詩集』を締めくくる「結語」という味と同時に、「最期(いまわ)の言葉、遺言」という味もある。

*2:ナポレオン3世を指す。

*3:「マタイによる福音書」第27章3-10によれば、ユダはイエスを売りわたして得た報酬を聖所に投げ捨てた。それを拾った聖職者たちはその金で陶器師の畑を買ったということである。いままた、この出来事の二番煎じで、聖職者たちはナポレオン3世に協力することで不当な利益を得ているという味。こうした聖書の記述の解釈には、あるいはユゴーのいこみがあるかもしれない。

*4:シブールが、神に仕える身でありながら、「邪悪な」ナポレオン3世に積極的に協力したことを指す。

*5:ここでは、ナポレオン3世のこと。

*6:マンドランは、18世紀フランスの有な盗賊。シャルルマーニュは9世紀の西ローマ皇帝。ナポレオン3世はもともとは、「大泥棒」なのだが、それが悪の力によってシャルルマーニュのような権力者に姿を変えたという味。

*7:フランスの数多くの王たちが住んだ壮麗な宮殿。現在では、この一部はルーヴル美術館になっている。

*8:古代ローマの将軍、政治家(前138〜前78)。独裁官となり、反動政策を進めた。ここではナポレオン3世を指す。

2005-08-16

労組に気がねする民主党


 言うまでもなく民主党は、郵政改革について国会に対案を出すこともなく、反対している一部の自民党議員を後押しするなど一貫して民営化法案を否決・廃案にする姿勢に終始してきた。しかし岡田代表は、自ら「将来的には民営化が望ましい」と言ってきたのではなかったか。そう主張しながら政府案の批判だけに終始したのは、党内の労組系議員と、背後にいる労組を中とした民営化反対派に気がね、対立を回避するためだったことは誰の目にも明らかだ。

 ところがである。郵政民営化が衆院選の争点になると見るや、論議の蚊帳の外に置かれることを恐れたのだろう、「郵便貯金の規模縮小」を同党の衆院選マニフェストに入れることを決めたという。


【公明新聞 2005-08-16】

岡田代表、郵政問題は「マイナーな話」


 解散後、民主党の岡田克也代表は郵政問題を「マイナーな話」(産経新聞11日付)とまで言い切り、争点から外そうとしていた。


【公明新聞 2005-08-16付】

やりました公明党/通常国会の成果から



 8日に閉幕した通常国会では、公明党が政府・与党をリードして、経済の活化や国民生活の向上めざした法律や制度が多数成立しました。徹底して改革をやり抜いた、公明党の主な成果を紹介します。


金融機関が原則「全額補償」


偽造・盗カード預金者保護法


◎過失の証明責任も金融機関に負わせ、預金者保護を強化

 被害者の大半が泣き寝入りを強いられてきた偽造・盗キャッシュカードによる現金引き出しについて、救済の道を開いた法律です。


 具体的には、盗と偽造のいずれの被害も金融機関が原則、全額を補償します。ただ、暗証番号を他人に教えるなど預金者に重い過失がある場合、補償はなく、軽い過失の場合、偽造は全額、盗は75%の補償となります。預金者の過失の証明責任を金融機関に負わせ、預金者保護を強化しました。施行は来年2


 公明党は深刻化する事態を受け、1に党内にプロジェクトチームを設置。関係団体から幅広く見を聞くとともに、政府に対策を申し入れました。法制化をめぐる与党間協議では、公明党の主張を受け盗被害の補償割合がアップ。さらに、盗通帳による窓口取引やインターネット取引での被害対策も強く求め、防止策の検討などが法律の付帯決議に盛り込まれました。


守る「人身売買罪」創設


改正刑法


◎ブローカー処し、被害者保護も前進。人権大国へ大きな一歩

 改正刑法が成立し、外国人女などを売買する行為を犯罪とする「人身売買罪」が新設されました。人の「売り渡し」、営利わいせつ目的の「買い受け」に最長10年の懲役が科されます。さらに被害者を移送、かくまうなどの取引にかかわる行為も処されます。


 日本は人身取引の「主な目的地国」(国際労働機関報道書)と指摘されてきましたが、法改正でブローカーなど国境を超えて人身売買する加害者を処できるになり、人権大国へ大きな一歩を踏み出しました。


 また、不法滞在で犯罪者扱いされていた被害者を国内で保護できるよう、強制退去の対象から除くことなどを明記した改正出入国管理・民認定法も成立。被害者保護も大きく前進しています。


 公明党は昨年(2004年)10浜四津敏子代表代行が参院代表質問で対策強化を主張。翌11には南野知恵子法相に対し、人身売買罪の創設などを強く求めていました。


経済再生へ「新連携」を支援


中小企新事活動促進法


◎中小企などの「強み」生かした共同事を後押しし、新産を創出

 日本経済の本格的な再生へ、既存の中小企の支援法を整理・統合し、中小企の新事創出を促す中小企新事活動促進法が成立、今年(2005年)4に施行されました。


 同法では、従来の創や経営革新に対する支援を継続させるとともに、中小企や大企、研究機関などが地域や種を問わず、それぞれの「強み」を生かして共同事を行う「新連携」の促進を柱に据えています。


 これまでは、すぐれた技術を持ってはいるものの、必要な資金や販売ネットワークなどが不足しているため、事化を敬遠する中小企が少なくありませんでした。


 そこで、自社では持ち合わせていない資金や技術を持った企などとの連携が活発化すれば、新事創出が容易になり、経済の活化にもつながります。


 公明党は、国会質問などを通して、幅広い連携の重要を訴えるなど、同法成立を強力に後押ししてきました。


【公明新聞 2005-08-16】

2005-08-15

選挙になって、のこのこと対案を出す民主党


 さて、宣伝局の作を党本部でしている私の目に、一昨日の夕刊の見出しが驚きとともに飛び込んできました。なんと、郵政民営化論議を黙殺しようとしていた民主党が選挙向け公約の中に、郵政改革案を入れることを決めたというのです。やはり、民主党はぶれました。無党派層狙いの「風頼み」政党だけに、マスコミ論調・世論の流れに抗し切れず、このような転換をしたのでしょう。


 しかし、それにしても、これは政権準備政党を自称する党ならば恥の上塗りに近い行為ですね。選挙になってから、「対案」(らしきもの)を出せるなら、どうして国会審議の最中に出さなかったのでしょう? 衆院で100時間以上、参院で80時間以上も郵政審議をしたのに、その間になぜ発表しなかったのでしょう。政府与党の立場からも、国民にとっても、失礼な不誠実な野党第1党の態度と言わざるを得ません。


遠山清彦 2005-08-15】

選挙は首相支持、ワシントン・ポスト紙が社説


【ワシントン支局】15日の米紙ワシントン・ポストは、911日の衆院選について、「郵政民営化の是非を問う国民投票」と位置づけ、「小泉首相が政治的賭けに勝ち、(与党として)過半数を維持することを望む」とする首相支持の社説を掲げた。


 ポスト紙は、「(首相の)敗北は米国にとって厄介なことになる」と断言。民主党については、(1)経済政策がでたらめ (2)小泉首相の親米路線に批判的 (3)イラクからの自衛隊撤退を公約している――とし、「総選挙でこうした政策が支持されると困ったことになる」と指摘した。


 首相が勝利した場合には「他の構造改革も政治的にやりやすくなり、景気回復軌道も維持できる」と期待を表明。「15年前に小泉首相のような指導者がいれば、日本は経済的停滞が続くこともなかっただろう」と首相を持ち上げた。


 ただし、選挙の行方については「世論調査では優勢な首相も、選挙で勝つ保証はない」とし、勝利には「運」も必要だと締めくくっている。


【読売新聞 2005-08-15付】

民主党は今まで“児童手当”に反対し続けてきた


 神崎代表は、民主党がマニフェストに郵政改革案を明記する方針を決めたことについて、「国民から(郵政民営化法案に対案を出さなかった)『民主党はおかしい』と批判が出て、はじめて対案を出した。何故、国会の審議中に対案を発表しなかったのか。審議、採決が終わって対案を出しても、選挙目当ての何ものでもない」と厳しく批判した。


 また、民主党が前回衆院選で高速道路の無料化をマニフェストに掲げたことに言及し「今、民主党の議員で無料化を言う人はいなくなった。選挙の時だけの公約ということがはっきりした。国民をなめている」と強調。「“子ども手当”を拡充するといいながら、国会で児童手当の拡充に反対してきたのは民主党だ。言っていることと、やっていることが違う政党に政権を渡すわけにはいかない」と述べた。


【公明新聞 2005-08-15付】

宗教否定論者の“無邪気な間違い”


 作家・石田衣良(いしだいら)氏の「世界に100人の神様がいるなら」というテキストを目にした。もちろん、「もし世界が100人の村だったら」にあやかっている。


 論旨は、


 テロはうんざり。原因はイスラムキリストなど一神教。そんな宗教はいらない。日本の八百万神の国。皆も、日本を見習って異教徒を尊重し、戦争やテロはやめろ、といったもの。


 世間知らずこの上ないが、これを無批判で掲載する雑誌側の見識のなさも指摘できよう。多くの日本人が犯しがちな間違いを代表しているとうので、ここであえて指摘しておきたい。


筆者の勘違い その一


 まず、テロの原因を宗教に求めること自体が“無邪気な間違い”である。多くのテロリストが「宗教ののもとに」テロを行っていることは事実である。しかし、彼らは宗教を、政治目的のために利用しているのであって、それをもってキリスト教やイスラム教の教義が、テロを生み出す諸悪の根源だという証明にはならない。若干、脱線するが、私は、テロ組織の上層部は、恐らく自分では宗教など信じていないのではないか、とえてならない(聖書やコーランを学んだ人であれば、無差別殺人などに手を染めるわけがない、と私は信じる)。むしろ、金と権力が絡み合う世界で、ギャングと変わりない考回路を持っている人々だとう。詳しくは述べないが、テロはそれが起こることによって得をする人々によって、巧妙にコントロールされているのだと、私は確信している。その味では、多くの石油会社およびその関係者(政府も含む)は、テロがなければ困るはずだ。


 脱線ついでに、もし、死後に神の審判というものがあって、人殺しの罪を問われる場面があるとすれば、イスラム教の宗教家ではなく、政治家や企関連者の方が罪が重いのだとう(現在のような貧富の差が大きい世界において、富裕者に属する日本人は、この世界の仕組みの中で無批判に無邪気に人生を送っているというだけでも有罪であろう)。彼等は発展途上国で、間接的な殺人を繰り返し行なっている。


筆者の勘違い その二


 また、宗教自体をなくしてしまえば良くなるという論調だが、そんな“無邪気な間違い”は、最近の子供でも犯さないだろう。


 歴史をひもとけば、戦争といい、国家によるテロといい、常になんらかの大義分を必要としてきた。その多くは宗教でもあったが、では宗教否定の国、旧ソ連では戦争もテロもなかったか? スターリンは、共産主義というイデオロギーを利用して粛清を行ったのではなかったか。


 日本人も例外ではない。筆者は誇らしげにこんなことを言っている。「なぜ、絶対的な一神教を信じる者同士はここまで絶望的な対立を引き起こすのか。しかもユダヤ教キリスト教・イスラム教は(中略)いわば兄弟関係……」と。我々は、その神のの下に、兄弟関係にある中国人鮮人に対して何を行ってきたか。いまさら繰り返す必要もあるまい。


「ぼくは多くの日本人といっしょで無信仰・無宗教・無神論」と自慢しているのも矛盾。詳細な指摘は別の機会に譲るが、日本人のほとんどは無神論者たり得ないというのが私の持論である。いずれにせよ、八百万の神にあやかりながら、無神論を決め込むあたりは何とも都合がよすぎるのではないか?


まとめ


 筆者は自嘲的に、最後に「ぼくはこうして夢のようなことを書いている。まるで役に立たない」と言いわけをしているのが、この文章の無邪気さをいっそう際立たせ、やるせない読後をかもし出している。ニヒリズムを気取るのも結構だが、本当に無知丸出しの役に立たない文章である。


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2005-08-14

“改革つぶし”の民主党


 浜四津代表代行は、郵政民営化について「政官のゆ着、利権政治を変えるための改革」と必要を強調。その上で、郵政民営化関連法案に対案すら出さずに反対した民主党に対し、「口では改革と言いながら、改革つぶしをやったのが民主党だ」と厳しく批判した。


【公明新聞 2005-08-14付】

2005-08-12

民主党は“郵政公社化”にすら反対


 一方民主党は、郵政民営化法案に徹頭徹尾反対し、否決に追い込んだわけです。しかし、民主党はこの法案への対応で完全な自己矛盾に陥りました。(解散後の新聞各紙の論調も同様です。)すなわち、3年前の郵政公社化法案の審議の際には、「公社化はだめだ」と反対していたのに、今年の議論では「公社のままでいいじゃないか、今民営化するべきではない」と、全く逆の主張を展開しているのです。実際、民主党の中には、民営化を支持する議員が少なからずいるのに、それを隠してひたすら反対しました。


 さらに問題は、民主党が対案を出さなかった、というか出せなかった事実です。「政権準備政党」と自称するならば、単に政府案に反対するだけでなく、対案を出すのが筋です。それが出せなかったのは、はっきり言って自民党と同じ理由でしかありません。すなわち、郵政民営化賛成派と反対派が同居しており、岡田民主党代表(おそらく賛成派)も、党内調整して統一した案を出すことを断したからです。これは民主党の最大のアキレス腱で、実際解散後にマスコミから「民主党はこの郵政改革に反対する『抵抗勢力』か?」と疑問を投げかけられる始末です。この問題を、私が民主党議員なら黙殺したいところですが、郵政に関を高めている今の世論の流れを考えれば絶望的です。


遠山清彦 2005-08-12】

2005-08-11

学会は「人間を尊敬する」世界


 学会は、この法の精神のままに、徹底して互いに「人間を尊敬する」世界である。また、「人間を尊敬する」生き方を広めている団体である。

 更に、そうした実践の中で、本物の「人間」をつくる世界である。

 社会には様々なモノをつくる世界もある。経済的価値や、芸術的価値をつくる世界もある。また、戦争を準備するような世界もある。

 そうした中にあって、学会は真実の法を根底に、一切の基本となる「人間」を立派につくり、鍛え、他とは根本的に次元が異なっているといえよう。

 ともあれ、人間という高貴なる存在に、どこまでも気高く会釈(えしゃく)しゆく、豊かな人生でありたい。

 そして、私どもは、民衆を愚弄し、人間の尊厳を冒してゆく動きに対しては、絶対に反対する。


【第6回本部幹部会 1988-06-21 創価文化会館


 日顕は、学会の“人間主義”に唾を吐きかけ、“創価の師弟”を土足で踏みにじり、「坊主が上で、信徒は下」と宣言した。一切衆生の成の道を開いた大聖人の精神に違背したが故に、我々は坊主どもと手を切ったのだ。


 経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賎(きょうせん)憎嫉して結恨を懐(いだ)かん(201/291/448/465/969/1001/1039/1042/1589頁)


 自ら真の道(どう)を行ずと謂いて人間を軽賎する者有らん(6/21/539/622頁)


 大聖人は一貫して、“人間を軽(かろ)しめ、賎(いや)しめる”行為をこのように糾弾されている。御書根本で大聖人に直結する学会が発展し続けているのは、当たり前田のクラッカーなのだ。


 そもそも、法華講なんぞが学会に癖をつけるのは、おこがましいと言う他ない。学会からの落伍者を集めて、手を叩いて喜ぶのが関の山であろう。堕落僧をありがたがって伏せ拝をするのが、奴等(やつら)にはお似合いだ。


 学会は平等である。上も下もない。その証拠が、この私だ(笑)。私は相手が副会長であろうとも、言いたいことは言ってのける。何の遠慮もない。時々幹部に対して暴言を吐くのが趣味になっているほどだ(笑)。とはいうものの、地域によっては、傲慢な幹部によってしめられている人々がいるのも事実だ。しかし、本気になって喧嘩をすれば、必ず“下の人”が勝つのだ。そんなのは、自明のことである。


 話が横道にそれたが、学会が平等であるのは、不軽菩薩の衣鉢(いはつ)を継ぐ人々の集いであるからだ。


 地獄界乃至界各各界を法(のっと)る間・不軽菩薩不軽菩薩の界に法り上慢の四衆は四衆の界に法るなり、仍(よつ)て法界が法界を礼拝するなり自他不二の礼拝なり、其の故は不軽菩薩の四衆を礼拝すれば上慢の四衆所具の不軽菩薩を礼拝するなり、鏡に向つて礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり云云(769頁)


 礼拝の読みは「らいはい」。「れいはい」と読むのはキリスト教の場合。


 法界が法界を礼拝し、小宇宙と小宇宙とが共鳴する。不軽菩薩は、自分に対して石を投げ、杖を振るう人々の中にを見出し、そこに向かって掌(たなごころ)を合わせた。暴力が荒れ狂う世界にあっても尚、相手の可能を信じ抜く精神の強靭さが、人間の進むべき道を照らし出す。


 相手を尊敬し抜く。誠実な対話はここから始まる。相手を馬鹿にすれば、相手のを否定することになり、それが跳ね返って、自分のをも否定することに通じる。“人を信じられない”時代と社会の中で、“人間信頼”の回復を実現するのが、“創価の言論戦”である。


 日曜日は、あと3回しかない。既に、第3コーナーを回った地点にいることを自覚しよう。


 昭和22年(1947年)の今日、戸田先生池田先生が出会う。蒲田の三宅宅で行なわれた座談会にて。昭和58年(1983年)には、第3回世界平和文化祭が札幌で開催された。

「郵政民営化は必要」が大勢



民主の対応

  • 「対案も出さず、存在は希薄」(読売
  • 「とても改革政党といえず」(産経
  • 「追い風は吹かない」(経済評論家の田中直毅氏)

 8日の参院本会議での郵政民営化法案否決、衆院解散を受けて行われる今回の衆院選は、郵政民営化の是非が争点になる。9、10日付の主要全国紙の「社説」や掲載された識者のなどでは、「郵政民営化は必要」との論調が大勢を占めている。


 このうち、各紙の「社説」では、郵政民営化について「日本の経済・社会の改革につながる重要な法案」(読売)、「財政や金融を健全な形にする。特殊法人王国に切り込む。社会に根付く官尊民卑から決別する。そうした大がかりな改革の突破口」(日)、「日本の将来にとって必要不可欠な改革」(産経)と、民営化推進の論調で足並みをそろえている。


 また、法案が否決されたことについては、「自民党内の造反や、民主党など野党の反対で廃案になったことは、残というほかない。(中略)廃案、総選挙で道筋は不透明になったが、郵政改革の必要はまったく変わらない。選挙結果がどうあれ、民営化の灯を消すことは許されない」(日)、「これを否決した罪は重い」(産経)と指摘。


 一方、参院での法案否決で衆院を解散するのは筋違いとの批判に対しては、「政権の命運がかかった郵政民営化法案の否決は内閣信任決議案が否決されたのと同じ」(日経)。「衆院を解散して国民の民を問うことはやむを得ない」(産経)と首相の決断に理解を示している。


 郵政民営化に反対している民主党の対応については、「(民主党は)『政権準備政党』を自任してきたが、郵政国会では、郵政民営化法案の対案も出さず、支持団体の郵政労組への配慮から、現在の公社維持・結論先送りを主張し、存在は希薄だった」(読売)、「今回の解散は、民主党が政権を追い込んだのではない。現状は、自民党分裂という『棚ぼた』式で政権交代の可能が取りざたされているに過ぎないのだ」(毎日)と指摘している。


 さらに、「結局、対案は出せなかった。労組の向が最優先されたといわれても仕方なく、とても改革政党とはいえまい」(産経)、「(民主党は)『当面、国営のまま郵貯簡保を縮小する』と主張しているが、先のみえない公社形態を評価し、経営が悪化したときに雇用をどうするかも示していない。(中略)政権を取りたいのなら、より説得力のある構を示すべきだ。こと郵政問題に関しては、『小泉自民党』より見劣りしている」(日)と一様に手厳しい見方だ。


 一方、識者が各紙に寄せたコメントや座談会での発言では、経済同友会代表幹事の北恪太郎氏が、「郵政民営化は、中央から地方へ、官から民へという流れを作る構造改革の大きな柱だ」(読売)と評価。日本経済研究センター客員研究員の香西泰(ゆたか)氏も「否決は非常に残だ。郵貯改革は日本にとって経済金融システムのひずみを解決するための重要な試みだ」(日経)、日経新聞編集委員の藤井彰夫氏は「日本人が二十一世紀も豊かな生活をおくるために避けて通れない改革の大きな突破口であるのは間違いない」(日経)との見解を示し、民営化の重要を説いている。


 また、経済評論家の田中直毅氏は、民主党の対応に関して「改革の対案を示すことなく、ただ単に反対を唱えていた党に追い風が吹くことはあり得ない。責任政党として改革の担い手になれるとはとてもえない」(読売)と手厳しく批判している。


【公明新聞 2005-08-11付】

2005-08-09

広宣流布に 闘う人かな


 世界一

  偉大な目的

   この人生

  広宣流布に

    闘う人かな


聖教新聞 2005-08-09付】

2005-08-08

勝って、また勝つのが仏法


 戸田先生は言われた。「負けた時に、勝つ原因をつくることができる。勝った時に、負ける原因をつくることもある」と。

 勝って、また勝つのが法です。勝った時に、次に負ける原因をつくってはならない。勝った時にこそ、次もまた勝つ原因をつくるのです。

 それには、勝った喜びを「前進」の力に変え、徹底して当面の戦いをやり切ることだ。

 勝った勢いを「追撃」の勢いにして、広布の敵とは妥協なく戦うことだ。妥協した分だけ、は喜ぶ。を喜ばせれば、自分が罪を得ることになる。

事を為す」です。を出しきって、破折し、呵責し、学会の正義を叫んだ分だけ、その「事」を為した功徳は大きい。

 妥協しなかった分だけ、正邪の明暗がはっきりするのです。私が言うのではない。それが、大聖人の御精神なのです。


【『青年との「つれづれの語らい」』2 1992-12-15発行】


 20代を終えようとしていた私の胸に、矢の如く突き刺さった指導の一つ。


 連戦連勝が、青年部に課せられた使命である。悪条件であればあるほど、闘争を燃やして奮い立つのが真の革命児だ。


 勝利に酔い痴れると、その瞬間から天界となる。ま、有頂天といったところ。天界の喜びは刹那的なもので、主体に欠ける。それ故、六道というカテゴリーに属しているのだ。そして、は天界に住む。いい調子になっている内に、足元をすくわれる。六道の境涯は、常に環境に左右され、浮き沈みを繰り返す。


 我々の目的は広宣流布だ。途中経過の勝敗に一喜一憂するのはあまりにも愚かだ。最後の勝利を手中にするまで、戦いの駒を止めてはいけない。この世に、不幸な人が存在する限り、菩薩の戦いは止(や)むことがないのだ。


「郵政民営化法案」が政局にまで発展した。911日には総選挙が実施される。“先んずる者が人を制する”と自覚して、打ち出しを待たずして、戦いを起こそう!


 夏休みは、もう終わりだ(笑)。

2005-08-04

子供の非行


質問●今年、17歳になる長男に、悪い友達がついて、よそへ泊まって帰ってきません。下山すれば帰っているでしょうか。どういう不良かというと、パチンコ屋へ行っているのです。学校の成績は断然悪く、兄妹二人で、家は建築で、こづかいは自由にさせず、500〜600円から1000円ぐらいにとめております。父親は固い人で、家の教育はやかましく、始めの内は折檻しましたが、今は何も言いません。母親も同じです。


指導●これは一番重大な問題です。お山に来ている内に帰ってきます。この後は三段の教えがあります。外道の方から、法の方まで話してみましょう。

 子供をよく育てる方法として、一番大事な家庭教育があります。子供と喧嘩するくらいに母親が口やかましいことが理です。父親は甘やかし放題甘やかす。男の子は年頃になると、父親を何となく煙たく、何となく嫌になるのです。その本能を知って、子供の人格を尊重してやる育て方をする。母親はうんとやかましくしなければなりません。子供の畜生道に負ける母親は、子供を育てられません。子供が不良になったら、殺して死ぬという覚悟がなくてはいけません。世の中に、慈悲ほど怖いものはありません。情ほど怖いものはありません。母親の愛情は、父親と段違いです。

 信の問題に入ります。一番やさしく、ご利益のあることは、肺病が治ることと、貧乏人が金持ちになることです。面倒なのは精神病を治すこと。それにも増して面倒なのは、死ぬべき寿命を延ばすことです。不良を直すことも面倒です。不良が直った例はいくらでもあります。深い深い信が必要です。子供に信させることです。

 法上の問題は、そういう子供を生んだ両親の宿命です。その子を、じっと見た時、この子を立派にしなければいけない、この子こそ自らをにするのかと、拝むようになる境こそ大切です。


【『戸田城聖全集』第2巻 質問会編 1982-01-26発行】


 中学1年、高校1年の夏休みは要注。玉手箱を開けた後の浦島太郎みたいに、髪の毛の色が変わっていることがある。浮き沈みの激しい季節は、ちょっとしたことで良くもなれば、悪くもなる。とはいうものの、この世界は第六天の魔王の所領だから、数多くの悪縁が未来部を取り巻いている。


 男であれば経験があるとうが、喫煙や万引きなどは、“肝試し”的な覚で行われる。「こんなこともできないのか?」「何言ってやがる。そんなこと、わけねーよ」なあんて、やり取りになりがち。また、先輩から強制される場合も多い。いずれにせよ、最初の内は後味が悪いのだが、段々とが麻痺してゆく。悪に対して鈍となってしまえば、親や先生の注なんぞには貸さない。


 基本的なことだが、まず担当者は、「未来部を見守っている」というメッセージを常に具体的に発信することだ。自分を見つめる眼差しをじれば、それだけでも励みになる。観客は多ければ多いほどいい。多くの青年部や壮年・婦人も一緒になってを注げば、多少、道を踏み外すことがあっても、直ぐに戻ってくる。


「子供の畜生道に負ける母親は、子供を育てられません」との指摘は重要だ。母親が甘やかせば甘やかすほど、子供はわがままになる。ひ弱な人格は、イジメの現場を見ても傍観を決め込むようになる。自分さえイジメられなければよしとする子供が、まともな大人になる見込みはない。


 荒れ放題の子供や、引きこもりの子供を持つ親は、必ずこう言いわけをする。「どうしていいのか、わからなかった」と。この無責任さが、子供の人生を歪めたことにすら気づいてない。やるべきことは、いくらでもある。出来ることは無限にある。


 昼間は庖丁を振り回し、夜は母親の胸で眠る小学校4年生の不登校児童がいた。母親が我が身を振り返り、次のように述べている。


 1. 子どもの前で他人の批判を平気でしていた。

 2. 世間体を大切にして人前でいい子を演じる八方美人だった。

 3. 自分の好きでパートに出ていたのに「お母さんがどれだけしんどいとってんの!」とカッカしながら子育てや家事をやっていた。

 4. 「ローンを早く返せない、働きが悪い」と子どもの前で父親をけなしていた。

 5. 自分はさんざん叱るのに、わが子が父親や他人から叱られるのがとても嫌だった。

 6. 悪いことをしたから叱ったのに、直ぐさま後悔したり食事の世話を焼いたりして、ご機嫌を取っていた。

 7. 全てにおいて中途半端だった。

 8. 我が子に代わって友だちに取られたおもちゃを取り返しにいったり、言えないことを伝えにいったりしていた。

 9. 何事に対しても遅くて下手な我が子にイラつき、ほとんど母親が手を出して代行していた。

 10. テストの点が悪いとか、あの時になぜ友達を許したのかとか、叱ってはいけないところでさんざん叱り、人に迷惑をかけたり父親に悪い態度を取った時など、肝なところで適当な叱り方しかできず、甘かった。

 11. 子どもの顔色を窺いながら子どもに最高の環境を常に先回りして整えてしまい、自らので親に要求してくる機会を完全に奪っていた。

 12. 子どもの進路については決して譲らないくせに、我が子の要求に直ぐさま応じて、子育て(信)を譲りまくっていた。

 13. 学校から帰ってきた我が子の野次馬になり、根掘り葉掘り聞き出しては干渉し、クラスメートや担任の批判を親子でしていた。

 14. おなかが痛い、頭がボ―ッとする、歩く気になれないと子どもが訴えると配になって大げさに反応し、熱も計らずに簡単に学校を休ませていた。


 親の身勝手な期待や欲望を満たすために子供がいるわけではない。


 親となり、子となった以上は、“宿命共同体”である。親が変われば子は変わるし、子が変われば親も変わる。

武士の間で賭博が広まる


 御成敗式目が作られた頃の武士は戦乱のない久方ぶりの平穏な暮らしを楽しんでいた。しかし「いざ鎌倉」の号令がかかれば、馳せ参じなければならない武士にとって平穏な生活はあまりに退屈な日々であった。その結果、賭博が楽しみの一つになっていた。

 戦争を生とする武士である坂東武者のことだから、気は宮中にいる貴族よりはるかに荒い。しかもひとたび合戦が起これば、それは生か死かの世界である。おのずと神にすがり占いの入り込む余地も大きかったであろう。賭博も派手であった。

 それが証拠に鎌倉幕府が制定した御成敗式目の追加法には、10回以上も賭博禁令が出されている。嘉禄2年(1226年)に出されたのが最初のようだが、御成敗式目51ヶ条が成立した貞永元年(1232年)より前に、発布されているということは注目に値する。つまり、きちんと整備された法律が出来る前に、個別法として賭博の禁令が出されたということはよほど喫緊の課題だったのだ。

 この禁令は「賭博の輩停止すべき事」という題目で、「最近、遊蕩の輩が賭博をしている。限度を知らず宅財まで賭けて勝負をしている。喧嘩も甚だしく、楽しく遊んでいるとうと、殺し合いに発展することもある。これまでも禁止ししてきたところだが、一切禁止とし反した者は断罪に処す」(『中世法制史料集』)といった内容である。(中略)

 鎌倉時代の賭博は双六に加えて「四一半(しいちはん)」というのも登場した(増川宏一『賭博 III』)。度々出された禁令のなかにも四一半という言葉が見える。双六は何度もサイコロを振って駒を進めるルールだから時間がかかったが、四一半の基本は二つのサイコロを振って偶数か奇数かを当てる丁半賭博である。勝負は早い。

 ただし四と一の目が出たときは、胴元の役得として勝った者にも半分しか払わないというオプションがついていた。オイチョカブの「シッピン」とか「クッピン」といって四と一、九と一の札を親が引いたら、親の総取りになるルールがあるが、おそらくその元になったものだろう。




 第二次元寇から16年後の永仁5年(1297年)に徳政令が出されることになるのだが、少々疑問を投げかけたい。先ほど紹介した賭博の禁令と利倍法は、鎌倉初期に出されたものである。賭博の禁令には宅財を賭けて命がけでやっている愚か者がいると書かれていた。法令に書かれるぐらいだから、実際にそれで困った御家人もいたことだろう。

 まったく下衆(げす)な像だが、表の理由は元寇による金詰まりだが、じつは賭博の清算も幕府は図したのではないだろうか。


【『金貸しの日本史』水上宏明(新潮新書)】

2005-08-03

大事な時に正体不明の人は“五老僧の眷族”


 弘安7年(1284年)10、大聖人の3回忌の折にも、五老僧は誰一人として墓参にも来なかった。あまりにも不知の姿である。

 理屈はいくらでもつくれる。しかし、現実の姿が雄弁に真実を物語っている。いかなり理由を挙げるにせよ、墓参にも来ぬ姿を弁解することはできない。

 このように離反者は、何より一人の「人間として」まともでない。現代の“五老僧の眷属”ともいうべき退転者たちも、まず、人間として顰蹙(ひんしゅく)を買う行動があまりにも多かった。

 また、五老僧と同様に、大事な時に来ないで、陰で正体不明のことをしている人間は、必ず後でおかしくなっている。


【第4回全国青年部幹部会 1988-05-28 創価文化会館


 大聖人が四度の大に遭われた時、五老僧は何をしていたのか不明だ。そして、大聖人亡き後、間もなく変節したのは歴史の事実である。


 昭和33年(1958年)、ある男子部員が電車事故で亡くなった。この方の通夜が128日、しめやかに行われた。この日の先生の日記には以下のように書かれている。


 O君の通夜に、先生より哀惜の言葉くださる由……弟子をう師の姿に涙す。それを夕刻頂戴し、大森のO君の通夜に参列。


 幾人もの同志集う。同志や有りし。私が中になり、ねんごろに読経・唱題す。子供なく、夫人の姿、はじめて見る。


 最も、O君と関係のある、F君、遂に通夜に来たらず。無慈悲な男よ。彼の行動に、憤りをじ、彼のために悩む。人のは、大事のときに、明確になりゆく教訓を知る。


【『若き日の日記』(下)】


「F」とは、後年、都議会議員まで務めながら退転し、あろうことか池田先生の殺害を暴力団に依頼した卑劣漢・藤原行正である。部隊長の役職がありながら、後輩の通夜にすら駆けつけることのないデタラメな幹部だった。


 戸田先生は24日に、「小野君の死を悼む」と題した一文を認(したた)められている。内容から察すると、多分、隊長クラスの役職があったとわれる。


 先生が抱かれた杞憂は後に的中する。ここで、「なぜ、そんな人物を登用したのか?」という疑問が湧く人は、本当の味での人材育成を知らない人だ。問題があったとしても、相手の未来を信じ、後輩が成長するチャンスを常に与えるのが、学会の人材育成法なのだ。退転者・反逆者を、どれほど多くの幹部が守ってきたか計り知れない。その期待に甘え、裏切った連中を、我々が許すことは断じてない。


 連絡・報告に乱れのある人物は危ない。集まるべき場所へ、平然と遅れてくるメンバーも同様。生活が“広宣流布”になってない証拠だ。

福島県矢祭町


 郵政民営化法案が混沌としてきた。明日、参院で否決されれば、即日解散もあり得る。もしも、そうなれば、1ヶ後に総選挙の運びとなる。経済が、やっと踊り場を脱しようとするこの時期に、政治的空白をつくることは、国際社会の信用問題にもなりかねない。だが、どんな結果になろうとも、それを御智と確信しよう。


 テレビ番組で、健闘する自治体が報じられていた。人口わずか7000人の福島県矢祭町(やまつりまち)。町長が家族孝行を理由にして、任期満了での引退を示唆すると、住民が村役場に乗り込み、涙ながらに続投を懇願。何と、町長の奥方をトラックの荷台に乗せて、その場へ引き連れてくるという用周到さ。町長は、激の涙に打ち震えながら、続投を決する。


 町役場は365日間、休みなし。窓口務は7:30から18:45まで。18人の議員定数を10に削減し、議会経費を年間3000万円減額させた。町の財政は黒字。役場は「働く公務員集団」と化し、トイレ掃除に至るまで自分達で行う。町民は、自分達でできることは、ボランティア活動を通して自分達で行う。この町は、理的な自治のあり方を教えてくれる。(一部は、『週刊ダイヤモンド』611日号による)


 勝因を考えてみた。

  • 自分達の地域は、自分達で守るという識が高い。
  • 政治家・役場・住民の目的が一致している。
  • 住民が自治体に依存せず、自立している。
  • 明確なコスト識がある。
  • 町長と住民に人間的な絆がある。
  • 役場が後継者を育てる努力をしている。

御成敗式目


【ごせいばいしきもく】


 幕府の三代執権北条泰時によって制定された御成敗式目は、鎌倉幕府の法律というだけではなく後世までその考え方が踏襲され、庶民にまで大きな影響を与えるものとなった。しかし御成敗式目は新しいことを決めたのではなく、それまで慣習法となっていたことを成文化したところに特徴があった。


【『金貸しの日本史』水上宏明(新潮新書)】

2005-08-02

「人間の証」を示せ 「人生の証」を発揮せよ


 その文化を守るためにユイグ氏が、第二次大戦中、命がけで戦ったことは勇な話である。

 ルーブル美術館の至宝を、ナチスの手から守り抜いた氏の気迫と信は、今尚、語り草となっている。

 当時、ユイグ氏は30代。まさに嵐の中の青春の闘であった。

 諸君も、1期生はすでに30代後半。多くの人が30歳前後である。いよいよ、この尊き一生をどう生きるか。その生きざまが問われる年齢となった。

 当たり前の人生を、ただ無に生きるだけなら労はいらない。深き哲学もいらない。

 しかし、人間として生まれた、その「人間の証」をどう示しきっていくのか。自分でなければ生きられない、自分らしい「人生の証」をどう最大に発揮しきっていくのか。

 生涯をかけて、その追求の実践を貫く人こそ偉大である。我が生命を極限まで燃やしきっていく、そうした生きざまの中に真の生きた哲学もある。


【創友会・鳳友会合同総会 1988-05-05 創価大学中央体育館】


 若き日を安閑と過ごして大を成した人物はいない。労また労と格闘する中で、人格は鍛えられ、人間は深まる。


 創価高校昭和43年(1968年)、創価大学は昭和46年(1971年)の開学。1期生は、昭和27年(1952年)生まれとなる。戸田先生の第二代会長就任を待って、今世に躍り出た世代である。


 牧口先生戸田先生の年齢差は29歳。戸田先生池田先生は28歳。つまり、池田先生の後継者たり得る世代といえよう。


 創大設立を前にして、次のような指導もされている。(『前進』1969-5号)


学歴剥奪(はくだつ)、学力尊重が中道だ」


「これからも、エリートはいらない。闘士が必要なのだ」


 えば、学会を築いた草創の先輩方は、学歴も地位もなかった。文字の読み書きにすら労された方々も多かった。貧乏と病気に、のた打ち回るようなしみを抱えながら、信の炎を赤々と燃え上がらせ、広宣流布を推進してきたのだ。代々の会長を支えてきたのは、無にして偉大なる民衆だった。『忘れ得ぬ同志』では、入会したばかりの大学教授が、靴磨きをしている班長さんの仕事場に日参し、御書の教えを請うエピソードが紹介されている。(岩井津一さん)


 創価大学と信は関係ない。師匠のあまりにも大きな期待にかこつけて、創大が学閥(がくばつ)になるようなことがあれば、先生に弓を引いたも同然だ。大切にされ過ぎて、世間知らずのひ弱なエリートになってはいけない。民衆が汗みどろになって築いた学会に、特権階級は必要ないのだ。


 私が青年部で地区幹部をしてた頃、隣の部の部幹部がこんな話をした。創大出身者である。「君達は退転すれば、創価学会とは全く関係なくなる。でも僕等には一生、“創価大学”の文字がついて回るんだ――」。ぶん殴ってやってもよかったんだが、ラーメン屋だったんでやめておいた。「ケッ、こっちは背骨に“創価”の刺青(いれずみ)をしてるんだよ! てめえの履歴書なんぞに、興味はねえやい。信で勝負しやがれ!」とで罵っておいた。


 創大が“権威”になれば負けだ。「民衆のフォートレス(要塞)」としての使命があるならば、誰よりも人生の辛酸を知る人であってもらいたい。


 30代という年齢は、高校・大学を卒してから10年後である。その味で、若き日の誓いが問われる年代といえよう。信は、20年見ないとわからない。人生の有為転変に耐え、社会の興亡盛衰を乗り越えた人だけが本物だ。


「学会にが押し寄せる度、真っ先に立ち上がって、広布の戦野を切り開いたのは、いつの時代においても創大出身者であった」。こう言われるような姿を示して欲しい。


 創大生よ、“創価の中の創価”たる誇りに燃えて、今こそ立ち上がれ!

2005-08-01

インド仏教滅亡の要因は「民衆からの遊離」に


 日達上人は、“聞等の「二乗」の出家者は自己中であり、自分さえ救われればよいと考えていた。そうしたエゴによる和合は、利害で結ばれた派閥のようなものである”と指摘されている。

二乗”というのは、自分が一番偉いと慢する。そして、他の人への慈悲がない。だから、労が多い一対一の弘教や指導・激励などは要領よく避けていく。実際、民衆の中に飛び込んで、一人ひとりを正しく信仰させ、立派に成長させていく実践は、並大抵の労ではない。

 小乗教はもちろん、後には大乗教まで、次第に現実の社会と民衆から離れて、閉鎖的な集団をつくっていった。この「民衆からの遊離」にこそ、インド教の滅亡の要因があることは、かつて申し上げた通りである。

 中村元博士も、教団組織という側面から、「教教団は在俗信者のことをあまり問題とせず、強固な俗人信徒の教団組織を形成しなかった」点を、滅亡の一因と指摘されている。(『インド古代史』下/春秋社)

 つまり、インドにおいて教は、家庭、そして、生活に根ざして、信徒を積極的、組織的に指導することを怠った。そこに外敵によって、あっけなく滅亡した脆(もろ)さがあったというのである。

 こうした見解は、他の多くの学者も一致している。


埼玉霞圏幹部会 1988-05-08 創価文化会館


 二乗とは聞乗・縁覚乗のこと。聞界の生命は、人の“”を“聞”いたり、本を読んで人生の真理の一分を悟る。縁覚界は、“縁”に触れて“覚(さと)る”。つまり、何らかの行動によって悟りを得ること。聞は学者・知識階級で、縁覚は芸術家・音楽家。まあ、本当はそんな単純なものではないけどね。


 天界よりも上の境涯なんだから、幸せそうなものだが、釈尊からは最も嫌われた衆生だった。法華経に至るまで「成できない」と断じられた理由は何だったのか? 以下、やや我見を交えながら、考えてみたい。


 インドはカースト制度の国である。釈尊が生きたのは紀元前5世紀頃とされる。インドは既にカーストでがんじがらめになっていた。二乗の殆どはバラモン出身者であったとわれる。ヒエラルキーの頂点にいた彼等は恵まれた環境で育ったことだろう。


 彼等は、釈尊の智に目をみはり、慈悲に驚愕した。弟子となった彼等に対し、釈尊は徹底した戒律を課した。250や500もの戒律に耐えることができたのも、釈尊の人間的な魅力の為せる(わざ)だった。「世尊のようになれるのであれば!」と聞は勇んで戒律に挑んだ。


 スポーツの練習よりも厳しく、武道の鍛錬よりも激しい修行をこなし、彼等の覚は鋭く研ぎ澄まされ、今まで見えなかったものが見えるようになっていった。釈尊と同じ悟りを得ようと、彼等は一不乱に行と取り組んだ。


 こうやって像してみると、外にも彼等は立派だ(笑)。では、どこで道を誤ったのだろうか?


 二乗の面々は自分の悟りを追及するあまり、いつしか、同志を軽んじるようになっていった。「あいつになんか、負けるものか」「自分が得た悟りの一分は特別なものだ」――。


 更に彼等は増長する。「ひょっとしたら、自分は既に世尊と同じレベルに達したのではないか?」「世尊の悟りは偉大なものだが、どうも、やり方が気にいらない」「あんなに激しく悪を責めるのは、おかしい」等々。


 い上がるだけい上がった二乗は、釈尊を軽んじ、同志を睥睨(へいげい)していた。もう、全てが“わかった”気になっていた。聞は、釈尊の口真似をして威張り、縁覚は「世尊が説いた法の真はこうだ」と我見を吹聴した。カースト制度によって育まれた特別識が、戒律によって増幅された。


 その時である。「諸君は、になることができない!」と世尊の弾呵(だんか)のが轟いた。師の厳しき指導は、“人間を差別する”を衝いたものだった。


 とまあ、こんなじじゃないかしら(笑)。異論反論を募集!


 するってえとだ。彼等の行動自体は正しく崇高なものであったが、微妙な一の狂いが、灰身滅智(けしんめっち)に至らせたのだ。そりゃ、そうだろう。あらゆる欲望から離れようとするのだから、「になりたい」という欲望まで捨てなきゃならない。


 二乗戒律によって得たのは、小さな悟りと、大きな自己満足だけだった。だから、二乗は団結することがない。


 現代においては、二乗エゴイズムづけていいだろう。道修行にあって、利己と利他はタッチの差だ。


 地区リーダーをしていた時、私は面白いように折伏が決まった。B長の家に入決カードを持ってゆくと、「また、取ったの」と呆(あき)れた顔をされたこともある。向かう所敵なしという勢いだった。どこへ行っても、「俺は結果を出してるぞ!」と踏んぞり返っていた。そんなある日のこと、先輩からこう言われた。「どうして、折伏の楽しさを後輩に教えてやらないんだ! 貴様、自分さえ結果を出せばいいとっているのか!」――。頭から冷や水をぶっかけられた地になったね。先輩の顔は鬼の形相と化していた。その昔、徒党を組むことを嫌い、一匹狼で鳴らした人物である。「申しわけありません!」と応えると、一言の激励もなかった。私の内側で、何かが動いた。


 30歳になるまで、こんな訓練が続いた。私が青年部を卒する際、挨拶をこう切り出した。「振り返ると、前半は怒(おこ)られてばかりだった。後半は怒ってばかりだった」と。我々の世代が受けた訓練は、小さなプライドを木っ端微塵にするものであり、「お前なんか、大したことはない」ということをい知らされるものだった。たった一度だけだが、怒りのあまり返事ができなくなったことがあった。その時、先輩は私の鼻先に顔を突き出し、「バーカ!」と言った。絞り出すようにして小で、「すいませんでした」と言うのが精一杯だった。


 指導を受けなければ「増上慢だ!」と言われ、結果を出せば「いい気になるな!」と罵られ、後輩に何かあると「お前の責任だ!」と指摘された。時に、胃が痛くなるようないの中で、私は、訓練のハードルを一つ一つ乗り越え、鍛えに鍛えられた。


 そして私は、本物と偽者を瞬時に見分けることができるようになった。自分よりも上の役職だからといって、私がペコペコすることはない。私が敬を表するのは、信の清らかな人だけである。デタラメで無責任な幹部を見下ろしながら、身体を張ってでも我が組織を守ってみせる決は揺らぐことがない。