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2005-09-06

鎌倉時代の人口


 鎌倉時代人口については諸説がある。一般的には800万人とする説と、1000万人とする説がある。これは、食糧の生産量から推測しているようだ。以後、室町時代1500万人、江戸時代3500万人、明治4000〜4500万人、そして、昭和になると1億人と推移している。


 大聖人は御書の数ヶ所で「四十九億九万四千八百二十八人」と明記されている。「億」は現在の「10万」を表すので、499万4828人となる。


 執筆年次が判明しているものは以下となる――

  • 諌暁八幡抄 弘安3年12(587頁/588頁)
  • 曽谷殿御返事 弘安2年8(1064頁)
  • 曽谷二郎入道殿御返事 弘安4年閏7(1066頁)
  • 六郎恒長御消 文永元年9(1369頁)
  • 新池殿御消 弘安2年5(1437頁)
  • 上野殿母御前御返事 弘安3年10(1569頁)

 文永元年から弘安3年までは16年間。飢饉や疫病による死亡者が多く、人口は激しく流動していたことだろう。とすると、文永以前のある年代の統計があったのかもしれない。


 日蓮云く夫れ日本国は道は七国は六十八箇国郡は六百四郷は一万余長さは三千五百八十七里人数は四十五億八万九千六百五十九人或は云く四十九億九万四千八百二十八人なり、寺は一万一千三十七所社は三千一百三十二社なり(1066頁)


 具体的な記述からは、地政学的な視点すら窺える。一国を救わんとされる大慈悲は、あらゆる社会事象を見極め、国の行く末を厳しい瞳ではたと睨(にら)んでおられたに違いない。

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