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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2005-09-29

小さな行為に大いなる功徳が


 一日の仕事を終え、遠路、駆けつけてくださった諸君である。中には、疲れている方もあろう。本来なら、もっとゆっくりと、食事をしたり、少々休憩をとってからともうが、会場や時間の都合でそうもいかず、気の毒ないでもある。

しかし、そのような中、広布の集いに参加することが、いかに素晴らしいことであるか。

法華経随喜功徳品第十八」には、次のような一節がある。

「若し復人有つて講法(こうぼう)の処に於いて坐せん。更に人の来ること有らんに、勧めて坐して聴かしめ、若しは座を分かつて坐せしめん。是の人の功徳は、身を転じて帝釈の坐処、若しは梵天王の坐処、若しは転輪聖王の所坐の処を得ん」(『妙法蓮華経並開結』535頁)

 ――もし、ある人が妙法の説かれる場に座し、更に後から来る人があれば、席を勧めて法を聞かせてあげ、また、自分の席を譲り分かって一緒に座らせてあげれるならば、その功徳によって、この人(席を勧めるなどした人)は、未来世におい帝釈天の座る場所、あるいは梵天王の座る場所、転輪聖王の座る場所を得ることができる――と。

 妙法を信じ、広宣流布のために行動しゆくならば、福徳を重ね、まさに王者の境涯と使命を得ることができるとの経文である。折伏に励み、大御本尊まします総本山に、ともに参詣することはもちろん、友と広布の集いに一緒に出席する。また、そうした人々を、創価班、牙会、白蓮グループ等の方々が、「ようこそ」と真の笑顔で迎えることなども、この経文に説かれた義に通じていこう。

 このように、日々の地道な活動の中で、実は計り知れない功徳が我が身に積まれているのである。そして、生々世々、今世の姿からは像もつかないほどの大福徳の境涯で生まれ、数多くの同志を悠々と守れるような立場となって、正法のために働いていくことができる。その限りない連動の中で、広宣流布は全地球上に壮大に展開していく。


【第14回全国青年部幹部会 1989-04-25 創価文化会館


 人間関係を疎(うと)ましくじる人々が多くなった頃に、ジュリーこと沢田研二が吐いた言葉が、「小さな親切、大きなお世話」。


 縁起を説く法で、この考え方は通用しない。「小さな親切、大きな功徳」だよ(笑)。


 幸福とは“価値の追求”であり、価値とは関係の中に生じるものである。これが牧口価値論の骨子。


 依正不二とは、自分と環境が密接不可分な関係であり、環境に振り回されることもあれば、環境を動かしてゆくこともできるという生命論。法では、環境や相手は、自分を映し出す“鏡”と捉えている。それも、“個人”という概ではなく、“生命の我(が)”という観点からである。


 一代の肝法華経法華経の修行の肝は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしはいかなる事ぞ教主釈尊出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ(1174頁)


「振舞」とは、社会や人に関わる行動のこと。他者へのが深ければ深いほど、自分の振る舞いが価値を生み、幸福な関係となる。愛し合う二人の如し(笑)。


 牙会メンバーは、聞くところによると来世は門のついた家に生まれるそうだ。我々創価班は、「ケッ、俺達は守衛つきの家に生まれようぜ」と軽口を叩いたものだ。


 小さな善行が生命を清らかで逞しくしてゆく。会館で小さなゴミを見つければ直ぐに拾い、トイレを出る時は全てのスリッパを揃えることを、私は常としている。