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2005-10-19

同信退転の屍を乗り越えて進め


 諸君はこれからも、同信退転の人々の屍(しかばね)を乗り越えて進む時もあるかもしれない。多数の人が様々な戦いや事件によって退転することもあるかもしれない。先輩が疲れて、不純になって前進の障害になることもあるかもしれない。長い長い広宣流布の旅路においては、様々なことがあるとう。しかし、その時にたとえ誰人がいなくなっても、誰人が権力や時代に迎合しても、諸君の一人でも二人でも、5人でも10人でもいい。本当の大聖人の法を、創価学会の伝統を、代々の会長の精神を受け継いで、立派に戦い切っていただきたいのであります。

 その人がおれば、因果倶時で、学会も、そしてまた、大聖人の法も、拍車をかけるがごとく発展するのです。どうか、本門の“右手(めて)に血刀、左手(ゆんで)に手綱、馬上ゆたかな美少年”で、高等部員の時代と学生部員の時代、否、一生の広宣流布の時代を生き切っていただきたいことをお祈りし、私の激励といたします。


【夏期講習会/高等・中等・少年部合同部員会 1966-08-11 総本山大石寺・大客殿】


 これが未来部に対する指導である。否、指導というよりは、“創価血脈相承”といってよい。「未来部が大切だ」とは誰もが言う。だが、これほど真剣に高校生と向き合う幹部はいないだろう。我々はどうしても、どこかで子供扱いしてしまう。そのを、先生の言葉は破折する。


 人のの浅ましさや、人生の危うさ、人間の脆(もろ)さを私が知ったのは、20代後半の頃だった。幸か不幸か、この頃から、事件・事故・トラブルに関わらざるを得ないコースに入った。若い私の手に及ばぬ事柄も多く、無力に苛(さいな)まれたことも随分あった。それでも、前へ進んだ。前へ進むしかなかった。その悪戦闘のさなかで、私は信と人間を学んだ。


「一通りのことはやってきた。それなりに訓練も受けてきた」という自負はあった。そして、壮年部となった。甘かった(笑)。新しい地域へ引っ越した途端、今まで放置されてきた問題に直面した。それも、次々に(笑)。その上、10年間も引きずっている内容。「まあ、大したことはない」と高(たか)を括(くく)っていた。双方の誤解を解けば、直ぐに解決できるようなことだった。ところがどっこい、そうは問屋が卸(おろ)さなかった(笑)。


 問題が起こった時に、直接関わっていた幹部の面々は、絶対に自分の非を認めず、その一方で、被害者は組織を恨むばかり。10年間にわたって、もつれにもつれた情は、そう簡単には収まらなかった。いくつかの問題は、裁判沙汰になってもおかしくないほどだった。それでも、完璧とは言えないまでも、一応の決着はつけた。これまで、を閉ざしてきた方々の本音も聞き出した。いずれも、大変なご労をされてきた方々だ。「その時、私がいれば」と何度、拳(こぶし)を握りしめたことか。


「何とかできる人」がいれば、どんな問題も何とかなるのだ。


 釈尊滅後、法は民衆から遊離した(インド仏教滅亡の要因は「民衆からの遊離」に)。そして、インド教は滅亡の道を辿った。創立80周年までに、本物と偽者がふるいにかけられることは間違いない。「師と共にどう生きたか」――この事実が問われる段階となった。

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