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2005-11-30

『仏教とキリスト教 イエスは釈迦である』堀堅士


 いやあ、たまげた。これほど、興奮を掻(か)き立てられることも珍しい。一見すると「トンデモ本」と見受けるが、それこそ、とんでもない話だ。


 関西大学法学部教授というだけあって、緻密(ちみつ)な考証と論理を積み上げて、紀元前の壮大なドラマに迫ろうとしている。“像力を遊ばせる”といった類いの姿勢は全くない。


 先日、読み終えた『私の教観』(第三文明社)で紹介(106p)されていたのが、読むきっかけとなった。実に、いいタイミングだった。これが10年前だったら、今ほど動しなかったことだろう。昨日の夜遅くに読み終えて、ざわめき立つ脳細胞が眠ることを拒否した(笑)。


 もう、のっけから全開である。四つの福音書(イエスの伝記=マタイ伝、マルコ伝、ルカ伝、ヨハネ伝)を比較し、


 一人の人物が四つの異なった「履歴書」を持っているとしたら、あなたは、その人物を信頼することが出来るでしょうか。(18p)


 とバッサリ。当時のベツレヘム地方で1225日に、赤ん坊が「馬小屋のかいばおけ」に産み落とされたら、「間違いなく凍死している」と手厳しい。


 また、教とキリスト教の酷似するキーワードが次々と示される。釈迦の母親・摩耶(Maya)=イエスの母・マリヤ(Maria:Mary)、釈迦の父・浄飯王(じょうぼんのう)は、イエスの父・ヨセフ(Ioseph:Joseph)と関係ないが、イエスの宗教上の父であるヨハネ(Ioannes:John)というは、イタリア語で「ジョヴァンニ」(Giovanni)と発音する。


 もうね、走り出したくなるほど興奮したよ(笑)。これ以降、怒涛のラッシュ。次々と、聖書の根拠が典にあることを明らかにしている。


 釈迦は、尼連禅河(ネーランジャラー)で「洗身」した後、49日間、陀伽耶(ぶっだがや)の菩提樹の下で悪の誘惑に会いました。

 これは、イエスがヨルダン河で「洗礼」を受けた後、荒野で40日間、悪の誘惑に会ったことにまさに相当することであります。


 法学者の面目躍如といったところ。そればかりではない。類似点・酷似箇所を列挙しながらも、返す刀で、相違点の理由まで挙げているのだ。


 何だかね、「別々の事件の犯人が実は同一人物だった」という法廷スリラーを読んでる気になってくるよ。


 カースト制度の最上層に位置するバラモン婆羅門)が、中央アジアで少数派だった「アーリヤン」(白人/※アーリア人)であり、インド人種との同化を恐れた挙げ句、階級社会が作られた。


 この白人支配下のインドに生れた釈迦は、苛酷な人種差別と職差別とに反対し、「人間みな平等」(「四姓平等」)の立場に立って、かの宗教を創始したのでありました。(139p)


 二乗バラモン出身者であったことを踏まえると、大いに首肯できる話だ。「二乗不作」とは、彼等に巣食う拭(ぬぐ)いいまでの「差別識」を、が破折したものかも知れない。


 だが、悲しいことに、釈迦滅後、後継者は“頭陀第一の迦葉”(バラモン出身者)となり、教のバラモン教化が避けられなくなる。


 著者は、イエスの正体にどんどん迫る。「来(きた)るべき者」としてのメシヤ(救世主)は、教の「当来」としての弥勒(みろく)である、と。弥勒=サンスクリット語マイトレーヤ(Maitreya)=パーリ語のメッティーヤ(Metteya:Mettiya)となって、見事に「メシヤ」とつながるわけだ。そこから更に類推し、「天にいますわれらの父」が「久遠実成の本」であると洞察し、キリスト教が大乗教の分派であると結論づけている。


 依法不依人の件(くだり)は圧巻。


『サムユッタ・ニカーヤ』(47-14「支羅」)によれば、サーリプッタも、モッガラーナも死去した後のガンジス河のほとりでの「布薩」(悔い改めの集会)で、釈迦は次のように言いました。

「修行者たちよ、サーリプッタとモッガラーナが完全な安らぎの境地に入ってから後のこの集会は、わたしにとっては、まるで空虚なものにわれる」。「修行者たちよ、この世のことは、すべて無常なのであるから、生成して消滅しないものは何一つとして存在しない。堅固な大樹がそこにあっても、その枝が先に枯れてしまうこともある。それと同じように、修行者たちよ、この堅固な教僧団はあっても、サーリプッタとモッガラーナの二人は、先に、完全な安らぎの境地に入ったのである。修行者たちよ、その故に、自分を頼りとし、自分をよりどころとして、他人をよりどころとせず、法を頼りとし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとしてはならない」。

 更にまた、『サムユッタ・ニカーヤ』(47-9「病気」)によれば、ヴェーサリーで大病にかかった釈迦は、アーナンダに向って次のように言いました。

「アーナンダよ、現在においても、また、わたしが死んだ後においても、自分を頼りとし、自分をよりどころとして、他人をよりどころとせず、法を頼りとし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとしない者は、わたしの弟子たちの中でも最上の修行者となるであろう」。

 釈迦が、このように繰り返し教えていることは、ただ、法(真理)を燈台として、その光に頼り、ただただ、自分自身を清め、自分自身で修行せよということだけであります。

 釈迦は「教僧団」(sangha サンガ)に帰依せよとは言っていません。まして、「僧侶」に帰依せよなどとは教えていません。

 また、釈迦は「釈迦牟尼」に帰依せよとも、その他の如何なる「陀」に帰依せよとも言っていません。

 このようにして、「南無妙僧」でも、「南無妙」でもなく、「南無妙法」こそが教の真髄を射抜くものであることがわかるのであります。(187-189p)


 側頭部を金属バットで殴られるほどの衝撃。直後に、「今まで自分が学んできた教学とは一体何だったのか」と撃沈。私はい至らざるを得なかった。「独創的な研究を、どれほど多くの孤独が支えてきたことか」と。


「学ぶ」行為は孤独な作だ。皆と勉強していても、「自分が学ぶ」ところにのみ味がある。自分の頭で考え抜くことは、自分の限界に挑むことでもあろう。宿命転換と全く同じ原理であることに気づかされる。


 絶版になる前に、注文されたし。

仏教とキリスト教 イエスは釈迦である

2005-11-28

最後に勝てば一切が「薬」に


 ともあれ、妙法の世界では、何があったとしても、必ず時とともに「変毒為薬」していけるのである。それがわからず、一時の姿や、また一時の状態を見て、退転したり、反逆していく人が出たとすれば、これほど愚かなことはない。

「薬」と「毒」の関係をいえば、実は両者の間には、ある味で明確な境界線はない。その配合や、服用する人の生命力との関係で、「毒」として働く場合もあれば、「薬」として働く場合もある。この事実を一言で「薬とは生命を救う毒」と表現した学者もいる。

 人生の勝敗においても、また同じである。最後に勝てば、一切が「薬」になったことになる。逆に最後に負ければ、それまでいかに「薬」になったものでも、結局は一切が「毒」になってしまったということができよう。


 では、最後の勝利とは何か。それは「信の勝利」である。これこそ、「人間としての勝利」であり、「三世永遠の勝利」につながる。

 否、学会において、「信の勝敗」以外に、本質的な勝敗はない。他のあらゆる勝敗は、全て「化(けじょう)」であり、「方便」なのである。

 結論していえば、誠実で、一生懸命に広布の組織活動をしている人こそ、真の「勝利者」である。信の活動をしない人は、本物の信仰者ではないし、諸天の絶大なる加護はない。人生の勝利者とはなれない。


【創立60周年開幕 記支部長会 1989-07-27 創価文化会館


 こう指導されていたにも関わらず、第二次宗門問題の時に退転した者が出た。全体から見れば、ごく少数に過ぎなかったが、幹部が引っくり返った地域は、支部や地区からごっそりと脱会者が出てしまった。


 まあ、どっちにしてもね、日顕宗へ行った面々で、信があるのは一人もいないよ。その殆どが、「好み」という趣味的範疇(はんちゅう)での判断だった。「登山がしたい」、「葬式に坊主が来ないと困る」などといった理由。「供養を好む」のも多いが、まともに勤行もしてないようなのが大半だ。


 脱会者で信があるのは一人もいない。現代にあって、仏勅創価学会を離れて、日蓮法を正しく行ずることは不可能だ。


 もう、10年以上も前の話になるが、ある後輩が私のところへ来た。「勤行をしよう」と言い、正座をしたまま振り返った。

「今日は、お前の一番かなえて欲しいことを祈ろう。何でも構わんぞ」

「エー、やっぱ、あのお……彼女が欲しいッス」

「わかった。真剣勝負で祈るぞ!」


 でね、吃驚(びっくり)したんだけど、何と3日後に出来たのよ。彼女が! そのメンバーは活動報告をした。「あのお、詳しいことは言えないんですが、小野さんと題目をあげたら、祈りがかないました!」(笑)。内容は伏せたままなのに、彼の歓喜する姿には恐ろしいものがあった。皆は、広宣流布とは関係ない功徳であることをじながらも、羨ましさを隠せなかった(笑)。何といっても、餓鬼界から天界への変化が一番わかりやすい。


 これが、化ね(笑)。人生の途上の目標は全部、化。入会の動機や、個人目標は何だって構わない。信が深まれば、全てが美化される。


数字」も方便だ。勘違いしてはいけない。広宣流布の結果が、幹部の利となれば、結果的に組織利用となり、食法餓鬼となることを銘記せよ。


 40代になれば、惰との勝負である。これが、人生最大の関だとう。「進まざるは退転」、「戦わざるは敗北」だ。「信の勝敗」を厳しく総括する日々でありたい。

2005-11-27

松野殿御返事


【「十四誹謗抄」/建治2年129日 真蹟不明】


 受けがたき人身を得て適(たまた)ま出家せる者も法を学し謗法の者を責めずして徒(いたず)らに遊戯雑談のみして明し暮さん者は法師の皮を著(き)たる畜生なり、法師のを借りて世を渡り身を養うといへども法師となる義は一もなし法師と云う字をぬすめる盗人なり、恥づべし恐るべし(1386頁)


【通解】受けがたい人身を得て、たまたま出家した者でも、法を学び謗法の者を責めないで、いたずらに遊び戯れて雑談のみに明かし暮らす者は、法師の皮を着た畜生である。法師というを借りて、世を渡り、身を養っていても、法師としての義はなに一つない。法師という字を盗んだ盗人である。


 この「通解」、実は間違っているそうだ。ある同志から教えてもらったんだが、吃驚(びっくり)したよ。勝手ない込みってえのあ、怖いもんだね。


 ここの「法を学し謗法の者を責めずして」を「法を学び謗法の者を責めないで」と通解しているのですが、正しくは「法を学ばず、謗法の者を責めないで」です。文法的に対偶中止法(連用中止法)と呼ばれるもので、「学し」(「学す」の連用形)と連用形で一旦止め、以下に否定形がくるときに、連用形で止めた用言にも否定がかかるというもの。


 なんだってさ。講義録を鵜呑みにするなかれ。


 かようなことは、“試験対策としての教学”しかやってない者は、絶対に気づかないだろう。教学に挑戦することも大切だが、古文を学ぶ必要もありそうだ。


 どなたか、「古文書研究会」でも作ってくれないかしら?

2005-11-23

創価ルネサンス原論


 スピーチ研鑚の“師弟不二のリズム”が生まれたのは、第20回本部幹部会1989-08-17/長野研修道場)からだった。当時、私は26歳。人生の土台を築くべきこの時期に、創価ルネサンスという“革命”の中で薫陶を受けたことは、我が人生にとって最大の誉れとなっている。


 もちろん、それ以前からも、先生の指導は学んでいた。だが、この時から決定的に何かが変わった。衛星中継も、小冊子『今日より明日へ』の刊行も、“この時”のために用されたものとわれた。折しも、元号が平成となり、21世紀に向かって新時代への期待が高まっていた。しかし、その一方でバブル景気は絶頂期に差し掛かり、自分の足元を見つめる者は一人もいなかった。社会が浮き足立っている中で、創価学会は全軍に哲学を打ち込んだ。


 翌平成2年(1990年)1227日、僧・日顕が背後から先生に斬りかかった。末端にいた我々が、この問題の本質に気づいたのは3ヶ後だった。学会は話し合いを求め、坊主どもがこれを拒否。和合を模索する学会と、「我尊(たっと)し」と“衣の権威”をかざす禿人(とくにん)が歩み寄ることは、もはや不可能だった。この3ヶ間は重要だ。喧嘩を売ってきたのは向こうだった。しかし、学会は直ちに拳(こぶし)をもって応じるような真似をしなかったのだ。


 3になると、ファックスで配信されていた『地涌からの通信』が、「20億円のプールつき豪邸計画」をすっぱ抜いた。続いて、宗門が「月例登山会」を拒否。更には、あろうことか、正本堂義まで改竄(かいざん)してきた。我々は、“法主が犯した謗法”を鑑(かんが)みて、宗門との決別が避けられないことを自覚した。信仰という最も崇高な人間関係を利用して、1500万信徒を詐欺にかけたも同然だ。


 平成6年(1994年)、亀井静香を代表とする「憲法二十条を考える会」が発足。引き続き、俵孝太郎が代表幹事となって「四会」が結成された。野党に転落した自民党の一部勢力が、新進党を切り崩すために「学会攻撃」の狼煙(のろし)を上げた。自民党は国会中継がテレビで報じられる時間帯を見計らって、下劣な週刊誌を振りかざして、何度も何度も「池田誉会長の国会承認喚問」を叫んだ。


 我々は怒りに震えながら、大いなる足音を轟かせて前進し続けた。この時、私は「創価ルネサンス」の原点を学ぶ必要に駆られた。を決して、活動を休むことにした(笑)。当時、本部長。「休む」って言ったって、何もしないという味ではない。自分からは動かないという味。分区男に指導を受けた。「いいよ。その代わり、勉強し終えたら、教えてね」と言われた。まあ、あの頃は動き過ぎるくらい動いていたから、「ちょっと控え目にした方がいい」ってじだったのかも知れない。部幹部を集めて、私は語った。「これから、“山ごもり”をする」と。「頼まれれば何でもするが、自分からは動かない」と。


 その後、約1ヶ間で数十冊の『今日より明日へ』を読破。抜き書きしては索し、コピーしては所を記した。カウンセリングと箱庭療法の資料も加え、20ページほどのレポートとしてまとめ上げた。見出しは、「硬直した組織の宿命転換を目指して」、「新時代のリーダー像」、「2001年の展望」。これによって、私は活路を見出した。先生は完璧な先手を打っておられた。徹底したスピーチ研鑚によって、私はそれを知った。


 創価学会の座標軸ともいうべき指導を紹介してゆく。スピーチの“流れ”と“呼吸”を今再び学んでゆきたい。


来るべき新時代を睨(にら)んで


 1994年(平成6年)4、丸1ヶ間、先生の指導を読み抜き、「創価ルネサンス」の何たるかを索した際のノートである。日顕の謀略によって、学会は“本尊流布”ができなくなった。この時、“校友運動”が始まった。青年部は“大学校運動”を通して、学会の歴史を学び、研究発表を行い、地域を巻き込んだ環境問題などに取り組んだ。後年、日寛上人の御本尊が出現し、再び折伏できるまでの間、男子部首脳の間でも見が真っ二つに分かれる有り様だった。「今こそ、折伏だ!」というのが東京下町と関西の見で、「広く法を浸透させる絶好の機会だ!」というのが大方の見だった。


 ある本部では、地域ぐるみで「空き缶のリサイクル」に取り組んだ。地の悪い幹部が吐き捨てるように言った。「空き缶を集めて広宣流布ができるのか?」と。そこの本部長は、陰でこっそりと私に言った。「広宣流布ができるから、俺たちは空き缶を集めているんだよ」。学会への理解は着実に広がった。


 そして時を得て、「折伏」の二字が聖教新聞に躍り出た。実に10年振りのことだった。




 折伏経験者


→「訓練」という美のもと、精神的虐待に耐え抜いた勇者。


→耐え切ることができなかったメンバーは、二度と帰らぬ人に。


→「祈りとしてかなわざるなし」の御本尊を受持した故に、どんな無理題であっても、“できません”、“無理です”と言うことができない身体になってしまっている。そのため“厳しい”というセリフが習に。


→自由に伸びようとする幹や枝を針金でグルグル巻にし、矯正(きょうせい)された盆栽の姿をわせる訓練が主だった。“大リーグ養成ギプス型”訓練といえよう。


→そうした訓練は、いま時の若いモンには通用しない、のではなく、「時代」そのものが、そうしたやり方を受け入れないのである。大体、我々が受け入れないであろう。


→まず、幹部が、次の時代を睨んでスタンスを変えねばならない。


→野球に例えれば、右バッターボックスから、左バッターボックスに移るくらいの勇気とい切りのよさ、大胆さを伴う。


→今までの我々は、どんなコースの剛速球も、力任せにレフト方向へ引っ張る打撃だった。これが御本尊送り。


→これが左バッターボックスで、同じ方向に打つと、流し打ちになってしまう。ヒットであっても、バットに伝わってくるあの手応えに欠ける。つい一塁までの全力疾走を怠ってしまう。流し打ちが校友・聖教啓蒙。走る姿は対話不足。


→今までの人材観、組織観、広布観の視点を変える必要、大とわれる。


→運動論の側面からいえば、「聞法下種・校友拡大」。戦いの主軸は「対話」。


御本尊送りの戦いをしていた時は、御本尊を安置するまで対話をし続けた。更に、勤行ができるようになるまで、面倒を見続けた。


→現在は、新聞を購読するまで。もしくは、会合に参加するまで。


ボーダーレスの時代である。会員と校友を同格に接していくべきである。家庭指導等。


→持続の対話、深化する対話。ここに勝敗の岐路がある。


→なにゆえ、対話が続かないか?


→話すことがないから。話したくなるようなこともないから。


→すなわち、研鑚がない。そして、功徳が出ない信をしている。


→さあ、大変!


→一切の解答は『新・人間革命』の中にある。


→わずか7日間のことを、どうして4ヶ間にもわたって書いて下さっているのか。


→異国の地で、見知らぬ一老婦人の誕生日をから祝い、歌まで歌われる先生。カナダで出迎えてくれた未入会の女に礼を尽くされる先生。モントリオールの壮年に対しても、結局、先生は激励されたのである。一つ一つの出会いを本当に大切にしながら、一人ひとりに慈愛を注がれる先生。あの先生のお姿こそが、戸田先生から受けた10年間の訓練そのものであると確信する。世界広布の源流は、組織的戦略でも、政治的才覚でもなく、実に、先生自らが人間愛の塊(かたまり)となって、ひたすら前進する慈悲と化して、一対一の対話によって拓(ひら)かれたことを、我々は知らねばならない。

2005-11-21

『石牟礼道子対談集 魂の言葉を紡ぐ』


死なんとぞ、遠い草の光に


 石牟礼美智子×季村敏夫、範江(85-88p)


宗教を超えて宗教的であるということ


石牟礼●でも今では(水俣病)患者さん達のこころの在り方が、実に崇高になっているのです。あの躯(からだ)でずっと苛烈な闘争を担ってこられて、今年あんな結果でございました。国家とか裁判制度とか支援の在り方とか、すべてシステム化していて、それでは患者さん達の行くところがない。辛さは、少しも担ってもらない。


季村●もう終わったといいますが、何が終わり何がはじまるのか。


石牟礼●国も行政も地域社会も担いませんから、全部引き受け直して自覚的になって、もうゆるす境地になられました。未曽有な体験をなさいましたが、もう恨まず、ゆるす。ゆるさないとおもうと、きつい。もうきつい。いっそう担い直す。人間の罪をみなすべて引き受ける。こう言われるようになったのです。これは大変なことなのです。今まで水俣にいて考えるかぎり、宗教も力を持ちませんでした。創価学会のほかは、患者さんに係わることができなかった。


季村●へっぴり腰でしたか。


石牟礼●書物すら読まぬ普通の人が、罪を全部背負い込んで、ある種の崇高さを獲得するという、日本の近代では、およそおもいもつかぬことが水俣で起こった。またそれだけ状況は言語を絶して苛酷であったといえます。いうところの告発ではなく、皮相な告発を突き抜けたあとの深いですね。


石牟礼●キリスト磔刑(たっけい)にされたときの、わが神、わが神、なぜわたしを見捨てられるのですかという叫びがありましたが、水俣の患者さんたちは、その叫びさえ超えてしまった。


季村●イエスを超えましたか。


石牟礼●超えたとおもいます。2000年以上も前に生まれ、キリスト教という形で人類の精神をある伝統として保ってきたものが、この20世紀の終わりに、その人間がいっきょに崩れました。書物にもあまり触れたことのない普通の人が、その崩れを全部引き受けるって、新しい人間の絆をこれから探すとおっしゃってます、これから。

 今まであったものは、全部矮小(わいしょう)な枠組みを重ねただけのシステム社会。人とおもって話してきた人達も、いんなシステムの部分になっていますから。患者さん達がものを言うにしても、向こうはシステムで遮断しているから聞こえません。もう限りなくそういうのを見てきました。大きな枠組みと小さな枠組みがあるだけで、大きな枠組みのなかに、小さな枠組みがはまっている訳ですからね。身近なところに人はいるはずなのに。家や地域に帰れば、ひとりの人間に返れるでしょうけれど、患者さん達の前では、歯車のなかの顔になってしまう。そのなかにいて、こころを取り出すことは決してできない。ところが患者さん達の方は、こころも身体もいつも全開にしていらっしゃる。(中略)

 やっと人の顔が見えてきたのです。患者さん達に。生き生きとしておられる時間が訪れました。これ以上もがいても、どうにもならない。すべてを受け入れて生き直すぞという人達が出てきたのです。

 わたくしは、そういう人達に出会うと、不議と元気が出てまいります。


季村●そうですか。イエスが神から見捨てられ、全能の神であるのに、どうしてこの俺を見棄てるのかとをあげる。いわば自分を見殺しにした神をもゆるすという、水俣の患者さん達の痛の果てのの姿。まさに既成のキリスト教理解を、遥かに凌駕した精神だといます。


石牟礼●それでなければもうきつい。病気抱えているだけできついのに、迫害の歴史でした。差別どころではありませんでした。

 人をゆるさない、ゆるさないでは、もう行く先がありません。チッソからも政府からも、地方行政からも裁判所からもね、地域社会からも拒絶されて来て、これまで、もがきにもがいたすえに、そういう人達がでてきたんです。


季村●普通の人のが、がひとつの存在となって、イエスを超えるように立ちあがる、宗教的ですよね。


石牟礼道子対談集―魂の言葉を紡ぐ

教学試験を十界論で分析する


 試験前日、任用受験者に私が語ったこと。わず、「こいつあ、凄い発見だな!」と自画自賛した(笑)。


「今、こうして勉強しているのは聞界だ。これを友人に語れば菩薩界。そして、試験に合格すりゃ、天界だ。するってえと、こうやって勉強している事実の方が境涯は上だってことになるわな」


 いやあ、自分で言って自分で吃驚した(笑)。結局、こっちが教えられてるってことですな。


 試験の勝負は、合否で決まるものではない。試験の後も学び続けているかどうかの一点にある。信が深まれば勝ち。合格に酔ってしまえば負けだ。

「才能」は静穏の中で養われ、「人格」は激流の中でつくられる


「才能」は静穏の中で養われる面が多い。黙々と努力して培(つちか)わねばならない。

 しかし、「人格」は激流の中でこそつくられる。

 自らの力で時代の激流の中へ、人間群の奔流の中へ飛び込み、抜き手を切って、立派に泳ぎ切っていく。その激しき「行動」の中で「人格」は練られる。

剣豪も、「他流試合」「武者修行」で鍛えた。内にこもっていては、人物は打ち上がらない。


「自分をつくる」のは結局、「自分」である。その「自分」とは、せんじ詰めれば「一」である。「一」とは、具体的には「祈り」に集約される。

 地涌の勇士としての「誓願の祈り」こそ、自己を限りなく向上させ、活躍させ、完成させてゆく原動力である。

 誓願――。尊き使命の我が人生、何を誓い、何を願って生きるか。その奥底の一通りに一生は展開する。他の誰のせいでもない。誰の責任にする必要もない。

 大聖人は「自体顕照」と仰せである。妙法の光は我が本然の姿を照らし、顕してくれる。輝かせてくれる。この「我が生命に生き切る」人生ほど、幸福な人生はないと私は信ずる。


【創立60周年開幕 記支部長会 1989-07-27 創価文化会館


「才」は頭、人格は「肚(はら)」という印象がありますな。戸田先生と親交があった子母澤寛の『勝海舟』(新潮文庫)にこんな件(くだり)がある。


「元々、才人は、才をたのんで赤誠の足りないものだ。自然、才に溺れて人を詐(いつわ)り人をだます」


 フウム、確かに。山崎正友が見事に証明してくれたよ(笑)。


 だが、私は個人的に“個なき人格者”が嫌いだ(笑)。人格者を装って、何もしないのも時折、見かける。愛はいいのだが、徹底してトラブルを避ける。こういうのを「商人御事」という。自分をよく見せようと頑張る「営」も目立つ。現場に直ぐさま反応しない「痺(しび)れた足」みたいなのもいますな(笑)。


 私がいる地域は会合がない(笑)。座談会と地区活動者会しかない。支部活動者会は3ヶ〜半年に1回。地区部長会は、大きな打ち出しがある時だけ。後は、分区で行う壮年の勤行会がに一度。分区の幹部会に至っては、衛星中継終了後の区長・区婦人部長の挨拶のみ。


 家庭指導三昧という状況はありがたいのだが、如何(いかん)せん、他の組織の状況が全くわからず、触発の場が全くない。


 ところが本部長以上の幹部は、やたらと忙しい。23:00でもつかまらないケースが殆ど。何をやってるんだか、さっぱりわからない。こんな時間だから、家庭指導をしてないことだけは確か。その上、先方から電話がかかって来ることも稀(まれ)だ。


 つまり、会員が指導を受ける態勢が全くできてない。何だか、大小相対ぐらいの懸隔がある(笑)。


 人格は外交戦の中で鍛え上げるしかない。折伏現場と家庭指導だ。それ以外の場所で、どんなに戦っても無駄だ。地道に黙々と歩く人が、最後は必ず勝つ。

2005-11-18

熾烈な攻防戦の牙城となった立川文化会館


 学会破壊の嵐が吹き荒れた、あの第一次宗門事件。

 このとき、三類の強敵との熾烈な攻防戦の牙となったのが、第2総東京の立川文化会館であった。

 未来の発展を見すえた第2総東京の本格的な建設を、私は、立川から始めたのである。

 嵐に揺るがぬ“信の黄金”を、立川に築いてみせる──それが私の決であった。

 そして、懸命に東京23区を固めながら、時間を見つけては、何度も立川文化会館を訪れた。

 そこで、反転攻勢の時をまち、時をつくり、厳然と広宣流布の指揮を執ったのである。

 学会が一番大変なときであった。立川文化会館で、私とともに戦ってくれた同志のことは、今もって忘れることはできない。


【第2総東京最高協議会 2005-11-18 東京牧口記会館

創立75周年から80周年に向けて


 今座談会で研究発表を行った。原稿の一部を紹介する。一部、メモ書き状態のものも含んでいるが、ご了承願いたい。手直ししようともったが、面倒臭いのでやめた(笑)。




 創立75周年から80周年に向かう現在が、どのような時なのか。学会の歴史を振り返りながら、確認し合いたい。今、大事なことは「学会の歴史」を語り、伝えること。なぜか? 既に宗門問題を知らない世代が青年部の殆どを占めている。学会総体として見た時、この世代に確かなバトンタッチができるかどうかで、令法久住の命運が決まる。

  • 2008年――戸田先生亡き後、先生が学会の指揮を執られてから50年。先生が80歳になられる。
  • 2010年――会長就任50周年。師弟共戦の最終段階。

学会の歴史を俯瞰


七つの鐘

【第五の鐘 昭和33〜40年】

 昭和35年 会長就任

 昭和36年 国士10万の結集

 昭和37年 「大阪事件」の無罪判決、11には300万世帯の達成

 昭和38年 世界一周指導、民音創立

 昭和39年 大客殿建立、公明党結党、創大設立構発表、高等部結成

 昭和40年 小説『人間革命』発表、第1回正本堂建設委員会

師の7回忌までに遺言を実現。寺院の寄進。




【第六の鐘 昭和40〜47年】

 昭和42年 クーデンホーフ=カレルギー伯爵と会談

 昭和43年 創価高校・中学が開学、日中国交正常化を訴える

 昭和44年 トインビー博士より書簡が届く

 昭和45年 128日に750万世帯達成

 昭和46年 創価大学が開学

 昭和47年 トインビー博士と対談、正本堂建立


会館建設に着手。学会における「多造寺堅固期」ともいえる。




 昭和41年の時点では、七つの鐘の総仕上げの目標として「1000万世帯の達成」が掲げられていた。→日顕によって阻まれた。


2050年までの展望として、まず、東洋広布


 アジアの人口は現在、18億2800万人。2050年には、20億8900万人になる予。世界の人口が64億8000万人=約30%をアジアで占めている。


 ゴールドマンサックス証券の調査レポートによれば、2050年の「世界のGDPにおける占める各国の予割合」は次の通り(GDPは景気の変動に左右されない)。


順位割合
1位中国24.1%(現在、5.1%)
2位アメリカ20.3%(現在、38.3%)
3位インド15.8%(現在、2.0%)
4位ブラジル4.0%(現在、1.6%)
5位日本4.0%(現在、15.4%)
6位ロシア3.1%(現在、1.6%)

【ヨーロッパの先進国は、2%台前半(現在、6〜7%)】


 戸田先生が、「世界は経済によって統一されるであろう」と予見されたが、21世紀半ばには、アジアが世界経済の中になるのは明らか。これを、みすみすヨーロッパのキリスト教国が見過ごすはずがない。だからこそ、先生は、先手を打って、急所ともいうべき人物や団体と交流を深めている。


 カレルギー伯爵、外交術師といわれたキッシンジャー元国務長官、ローマ・クラブ、イギリス王室のチャールズ皇太子とアン王女、アメリカの石油王アーマンド・ハマー、サイモン・ウィーゼンタール・センターなど。これらの人々や団体は、実は全部つながっている。




 アジアと同時にアメリカが重要な広布の位置を占める。ご存じのように、アメリカという国は新しい国である。鎌倉時代には存在してない。法西還のゴールがインド〜ヨーロッパとするならば、アメリカは“世界の縮図”といえよう。北米は猛烈な勢いで折伏をし、南米では多くの小学校で創価教育を導入している。


2010年――大きく変わる日本


 高齢者とは65歳以上の人を指し、人口比の7%を超えると「高齢化社会」、14%を超えると「高齢社会」、25%を超えると「超高齢社会」という。日本においては、2004年12現在で、高齢者が2500万人を突破し、既に20%の割合を占めている。予では、2013年に3000万人を超え、ピークを迎えるのは2043年で、3647万人となる。全人口の3人に1人が高齢者となる時代は、直ぐそこまで来ている。超高齢社会となるのは2014年。ヨーロッパ諸国と較べると日本は急激な高齢化が指摘されている。


団塊の世代が2007年に定年退職を迎える

 より一層の高齢化が顕著に。まず、長年、企において大型汎用機などの基幹系システムを開発・保守してきたベテランが引退してしまい、今まで培ってきた技術やノウハウなどが継承されず、基幹系システムの維持が困になる現象が生じる。その一方で、2010年問題。2010年までに支払われる退職金の予は、150兆円。これによって倒産する企が出ることが予されている。超少子高齢化が加速。




 色々と述べてきたように、21世紀の前半は「世界地図が塗り替えられる」時であり、日本の社会も、いまだかつて経験したことのない構造となる。


「今までと同じ姿勢」では生き残ってゆけない時代ともいえよう。では、どうすればいいのか? 今こそ“創価ルネサンス”の原点に立ち返るべきである。創価ルネサンスとは人間復権の異。衣の権威にかこつけて、民衆を騙してきた聖職者から、日蓮法を民衆の手に取り戻した一大運動であった。


 振り返れば、法興隆の歴史は、常に激動の時代の中で、民衆の幸福を勝ち取ってきたものだった。大聖人は、公家社会から武家社会へと移り変わる時代であり、天変地異が相次ぎ、内乱や外敵に揺れた社会情勢だった。




 時代が大きく変わる時、伸びる人と、落ちてゆく人が必ず出る。社会が成熟する時、若者に対して甘くなる。

 では、75周年から80周年とは、いかなる時なのか?

 先生が80歳になられるのは、2008年。で、何をすべきなのか?

 創価ルネサンスが、人間復権であり、人間復興であるならば、現実に「一人ひとりが主役」という組織をつくり上げるしかない。そのためには徹底した家庭指導をするしかない。同志の絆を強靭なものとして、初めて広宣流布は進むことを銘記したい。

2005-11-17

創立75周年記念 本部・海外最高協議会


2005-11-11 信濃文化センター】


 1111日に行われたこのスピーチ(聖教新聞 1115〜16日付)が、今後、10年の指針である。この指導を一切の原動力にしながら、指導通りの自分と組織を築いて参りたい。読む度に、闘争が掻(か)き立てられ、じっとしていることができなくなる。


 師の戸田先生はよく言われていた。

「私は、学会員幸福になればいいのだ。我が同志の幸福こそ、私の願いである」と。

 私も師匠と「同じ」で生きてきた。


子”を、成果のための手段にするな。自分の役職の都合でものを言うな。




がなければきらびやかな表現も何の役にも立たない」(プーシキン)


 を深めゆく教学の研鑚、スピーチの学習が必要不可欠。“打ち出し”よりも自分のいを語り、押しつけではなく、皆が納得する話を。今日も、新入会の学生部と任用試験の勉強をしながら、私は語った。「に負担をじることは一切、拒否して構わない。長年、信しているこっちにとっては当たり前でも、君にとっては、そうじゃない場合もあるかも知れないから。俺に対しても、遠慮する必要なし」と。




「絶対無事故」が当然である。事故を起こせば、誰も得をしない。同志も皆悲しむ。

 特に、大きな会合の場合は、細にも細の注を重ねて、完璧な運営をお願いしたい。


 寝坊が事故の原因。否、寝坊したということ自体が事故と自覚したい。




 どうすれば、理組織をつくり上げることができるか。

その急所は何か。

 それは、リーダーが成長することだ。手を打つ人間が、人の何十倍もしみ、題目をあげて、考え抜くことである。

 会合でいい話をすることも大事だ。だが、それだけでは人は動かない。

一対一で語り、がつながってこそ、徐々に大回転が始まってゆく。

 改革は必要である。しかし、安直に進めれば、かえって混乱をもたらす場合もある。

 だからこそ、現場を聞くことだ。皆が納得して進んでいけるよう、よく打ち合わせ、対話を重ねることである。

 特に、若くしてリーダーになったならば、皆の見に謙虚を傾けねばならない。

労しなければ、人のはわからないものだ。

 また、挑戦のを失えば、硬直した官僚主義に陥ってしまう。

 格好はいいが、血が通わない。慈愛がない。いやりがない――そういうリーダーであったならば、皆がバラバラになってしまう。

「皆、大変な中、本当によく戦ってくださっている」――そう謝するがあるかどうか。ともに戦い、同するがあるかどうかである。

 どうしたら、皆が安して広布へ進み、勝利と幸福をつかんでゆけるか――その一点を、私は祈り、全魂を注いできた。そこに呼吸を合わせなければ、師弟は「不二」でなくなる。

 決して上から押しつけるのではなく、皆から「よくやってくれた」と言われる指揮を、よろしくお願いしたい。

 何でも言える雰囲気が大事である。そういう組織が伸びる。

 立場が上であるほど、自分から皆の話を聞いて、一つ一つ応えていかねばならない。疲れるかもしれないが、それが指導者の責任であるからだ。

 何も言えないような雰囲気では、最低の組織である。

 そうならないために、まずリーダーが真剣に、一生懸命戦う。たゆみなく人間革命してゆくのだ。これをに刻んでいただきたい。


 これ、末端幹部のを代弁されたものと拝す。これが、“民の”だ。




 これからの宗教のリーダーは、「二つの言葉」に通じていなければならない。


ドゥ・ウェイミン博士(ハーバード大学教授/中国研究の第一人者)の指摘。

創価学会が行われてている、普遍に根差す宗教の実践と、人類の存続を脅(おびや)かす諸問題への真剣な取り組みとの往復作は、非常に貴重です」(同博士)


 内にあっても、外にあっても言論勇者たれ。一方でしか通用しないのは、偏頗(へんぱ)な証拠。とは全体人間の異。満の如く欠けるところがなく、円融円満な人格の持ち主。




「指導の達人」「激励の人」であっていただきたい。


“会合の連絡屋”になるな。それすらしてないのが多いけど(笑)。




 真と誠のこもった「ほめ言葉」をかけてゆくところに、喜びの波動が広がる。


 一人を折伏し、一人を育てる労を知れば、同志に対する謝のが湧いてくるのは当然だ。ほめるのは技術に非ず。赤ん坊を見よ。這(は)えるようになり、やっと立ち上がり、歩き出すだけで、親は喜びあまって、ほめ言葉を乱発す。ほめることができないのは、後輩と“境涯の差”がないからだ。




 今日一日、何人の人に温かなをかけ、ほめることができるか。

 ここに指導者の重要な使命がある、と強調しておきたい。


 さあ、今日から皆で競争だ!




 見た目や格好ではない。我が内なるの生命を燃え上がらせ、戦うことである。


 諸法実相である。我が一に義務はないか? 「背く」がないか? に怨嫉あらば、裏口信だ。




 学会会館は「幸福」であり、「人間オアシス」である。


 は壮麗だ。オアシスの水には人や動物が集まり、植物を生長させる。会館に来られた方々を、どう迎え、激励し、見送るか。集い合った全員が、「今日は来てよかった!」とからえるかどうかが勝負。




 日蓮大聖人は、「法華行者逢難事(ほっけぎょうじゃほうなんじ)」で、弟子たちにこう仰せである。

「おのおの互いに(この法門について)読み、聞いていきなさい。このような末法の濁った世にあっては、互いに常に語り合って、いつも後世を願っていきなさい」(965頁、通解)

この御聖訓の通りの実践が、学会の教学である。


法華行者逢難事」を参照のこと。




「学会がここまできたのも、真剣な御書講義と研鑚があったからだ。教学が広布の根源である。だからこそ、全魂を教学に傾けてきたのだ」

創価学会の使命は、広宣流布の推進にある。

そのためには、教学の振興が大事である」

先生は、幹部にも常々、こう語られていた。

「疲れ切った時にこそ、御書を拝読していけ! たとえ1行でも2行でもよい。御書を拝して、自らの境涯をもう一歩、開くのだ!」


 折伏によって成長し、功徳を受けるのは、折伏をやった本人だけだ。結果は出ても人が育ってない組織は、予以上に多い。人材育成の基本は教学だとう。私は青年部時代にスピーチ研鑚は人一倍やってきたが、御書の方はからっきしだった。今、壮年となって、の底から悔やんでいる。遅まきながら、毎週、ブロック唱題会で学んでいる。皆が本当に喜んでいる。




 私は若き日に、大聖人の「不惜身命」「忍弘通」の大闘争を学び、我が生命に刻みつけた。

 そして、広宣流布の大願に生涯を捧げ、師匠である戸田先生を守り抜くことをに誓ったのである。

「一切のの働きから、どうすれば師匠を守ることができるか」「どうすれば学会を守れるか」。そして、「どうすれば広宣流布を進めることができるか」――私は、ここに一を定めた。そして真剣に、具体的に祈った。

 祈りは具体的でなければならない。現実をどう変えるかという「具体」がなければ、祈りは空転してしまうからだ。


情だけ”、“観だけ”、“気持ちだけ”、“口先だけ”の師弟に対する破折。「私はこうだった。君は、どうなんだ?」との厳しい問いかけだ。それは、“祈りの中身”に対してまでなされている。本当に厳しい。だがそれは、大いなる期待の表れである。




 私は、その先生を支えに支え、阿修羅のごとく働いた。事の再建のために、昼夜の別なく奔走した。誰に対しても、誠実の行動を貫いた。


 先生はこの間、一年ほどうように学会活動もできなかった。それは、学会再建のためであり、戸田第二代会長を誕生させるためだった。戸田先生は、師子奮迅の力を発揮した先生を讃えた。だが、絶対に甘やかさなかった。その訓練はいじめ抜くほどのものだった。




 私は、先生が構し、言い残されたことは、全て実現してきた。

 先生は勝った。先生は幸福であった。弟子の戦いをから喜んでおられる先生の姿が目に浮かぶ。

 師弟というものが、どれほど深く、尊い、永遠の人間の道であるか。

 私は、戸田先生のもとで労し抜いた。「師弟不二」で戦い抜いた。だからこそ、今の私がある。


 当時の状況に比べれば、今は本当に恵まれている。

 もちろん、時代や環境は大きく違うかもしれない。しかし、自ら求めて労をしていかなければ、本当の指導者になることはできない。

 私は第三代の会長に就任してからも、あらゆる誹謗や中傷を一身に浴び、全同志の盾(たて)となり、学会の屋根となってきた。

 それこそ、全身に槍傷(やりきず)、刀傷を負うような時もあった。普通では耐えられないほどの迫害、また迫害の連続であった。

 それでも一歩も退(ひ)かずに戦い抜いてきた。だからこそ、今日の世界的な学会の発展がある。

 学会の一切を担い立つ人間には、あらゆるや迫害に耐え抜く覚悟がなければならない。決して簡単に考えてはならない。

 厳しいようであるが、学会の永遠の発展のために、あえて言い残しておきたい。


 何らかの“傷”を負わずして、本物にはなれない。“評判がいい”だけの幹部は、所詮、お利巧さんに過ぎない。




 グリルパルツァーは戯曲の中で、こう綴っている。

「わたしは一つの罪を知っている。その罪の黒さにくらべれば、ほかの罪なぞはすべて百合(ゆり)の花のように白く見えるほどだ。忘というのがそのだ」(実吉捷郎訳『ザッフォオ』岩波文庫)

 どんな罪よりも重い罪――それが「忘」だというのである。

 戸田先生も、「知らずが組織の中にのさばると、妙法の功徳は毒に汚(けが)される。功徳が消えるだけでなくして、物が動きはじめる」と厳しく言われていた。


 シモン・ボリバルは「忘は人間が犯すことのできる最大の犯罪である」と。“師の”をじる人は、“同志の”を知る人でもある。




「いかなる偉大な績も、ごくわずかな不撓(ふとう)の人々によって打ち立てられるものである。他の者たちは、なんとかなるだろうと考えている」(アンドレ・マルローの手稿)


「フランスの再建が実現した暁には、きょう、この場――ジャピー講堂に集った、あなた方のおかげであると讃えられるであろう。

 雪の中でも、(我々の主張を訴える)新聞を売っていった、あなた方のおかげであると」(同)


 学会にあっても“本物”は、ごくわずか。これが3分の1にまでなれば、舎衛の三億だ。3分の1の生命力で全軍を引っ張ってゆくのだ。本物の弟子は、誰も知らないところで戦っている。




 御書には、「日蓮の弟子の中に異体異の者があれば、それはたとえば、の内部の者がを破るようなものである」(1337頁、通解)と厳しく戒められている。

広布のを永遠ならしめるため、戸田先生は、昭和33年のご逝去の直前〜「3.16」の記式典を終えられた直後に、肺腑をえぐるように強く言われた。

「今後の学会は、腐った幹部を切らねばならない」

 正義のために戦わない。それどころか、私欲に狂い、尊き同志をしめる。こうした増上慢の人間が出たことは、皆さんがご存じの通りである。

 広宣流布を破壊する「師子身中の虫」は、将来のために断じて打ち破らねばならない。

 法は勝負であるからだ。との間断なき戦いである。

 また、先生はよくこう言われていた。

「滅びるか、それとも伸びゆくか。人間も団体も、二通りにわかれている。滅びゆく人生には絶対になるな! 伸びゆく人生であれ!」

 信は、無限に向上してゆくエンジンである。

 どこまでも「伸びゆく人生」のドラマを、晴れ晴れと綴ってまいりたい。


 若きナポレオンが世界史の表舞台に彗星のごとく登場した時、彼の行くところ、「前進、また前進!」のみずみずしい吹があった。

 戦いが窮地に陥ると、自ら先頭に立って皆を鼓舞し、勝利を切り開いた。

「私とともに進め! 私の後に続け!」と。

 戦いを終えると、彼は陣地を回って兵士たちをねぎらい、負傷兵をいたわり、皆と一緒に休んだ。皆と食事も一緒に分かち合った。

 兵士たちは、そんな彼を「小伍長」のあだで呼び親しんだ。

 そこには上下という識はなかった。古い権威や、虚栄とも無縁だった。

 愛する祖国を守り、フランス革命の理を確立しよう。そういういに皆が燃えていた。

 第一次イタリア遠征では、兵士たちの「ラ・マルセイエーズ」(フランス国歌)の晴れやかな歌がアルプスの山々に響き渡ったという。

しかし、やがてナポレオンの隊列から、こうしたみずみずしい吹も、一体も失われてゆく。

ナポレオン自身が戦場を駆け巡り、全てを自分で判断して、細かく指令を出していた時は、まだよかったが、軍隊の規模が大きくなると、ナポレオンの目も全軍に行き届かない。

 だからこそ、「ナポレオンなら、どうするか」と自分の頭で考え、行動する「不二」の人間が必要だったのである。

 しかし、ナポレオンの命令通りに動けば勝利が手に入った将軍たちは、いつしか、“自分で判断することができない”“指示を待って動く”という官僚主義に陥ってしまった。組織が硬直化していった。

 これが、ナポレオンの行き詰まりの大きな要因となった。


 ナポレオンの栄光は、わずか20年であった。

 100年、200年と栄えてゆく組織をつくることが、いかに至の事であるか。

いわんや、「末法万年尽未来際」の広宣流布に挑んでいるのが創価学会である。

 戸田先生は強く訴えられた。

組織を陳腐化させてはならない。官僚主義で機械的に上がっていくような、また、そつなくやっていればいいというような、退嬰(たいえい)的、保守的な組織になってはいけない。

 人材がどんどん抜擢されるような、生き生きとした組織でなければならぬ。

 学会は、人材で築かれた組織なのだ。

 広宣流布を唯一の目的とする一つの生命体だ。

 そして、日進歩、常に生々(せいせい)発展する生命そのものなのだ」

 今、各地で新しい人材が躍り出てきた。私は本当に嬉しい。

 次の世代がどうなるか――これは、今のリーダーの責任である。その決の深さで決まる。

絶対に若い人を上から抑えつけてはいけない。それでは、人は伸びない。この一点を間違えたら怖い。

「抑える」のではなく、「育てる」のだ。

 後輩たちが「本当にお世話になった」「厳しかったけど、楽しかった」――そうえるようなよき先輩であっていただきたい。皆が「張り合い」をもって進めるよう、励まして励まし抜いていただきたい。

 今、人材を育てておかなければ間に合わない。「次の50年」を担う青年の陣列を築き上げたい。どうか、よろしく頼みます!

 ともあれ、年配になっても、まで老いてはならない。牧口先生戸田先生がそうであられたように、は生涯、青年でなければならない。

 いくら年を重ねても、「さあ、やろう!」と気迫をもって進むのだ。

 命ある限り、「・日日」に、“広宣流布の生命体”である学会とともに、同志とともに、前進、また前進し続けてゆくことである。

 明年の「青年・躍進の年」とは、年配者も青年も一体になって、皆が青年の吹で躍進してゆく一年であることを、朗らかに決議し合って、記のスピーチとしたい。


 これ、指導の結論なり。師の憂慮が胸に迫る。「先生どうぞ、ご安下さい。私がおりますから!」――こう言い切れる弟子が果たして何人いるか。

御書は「信心の背骨」であり「言論戦の柱」


 菊花薫るこの11学会伝統の「教学部任用試験」が全国で実施される。また明年2には、「青年部教学試験1級」も予定されている。

 大聖人の法を学ぶ求道の波は、日本はおろか全世界に広がっている。

 あの国で、あの地で、尊き同志たちが御書を拝し、世界広布の大ロマンに生き抜いている姿を伺うたび、私の胸は喜びに躍る。

 御書は「信の背骨」であり、ゆえに確固不動の「人格の背骨」となるのだ。

 更に、「言論戦の柱」である。万人の幸福の大道を開く「希望の経典」であり、「勇気と智の源泉」である。

 教学こそ、危険千万な人生の荒海を渡るための羅針盤の大哲学なのである。

教学が強くなれば、信はさらに強くなる。反対に強靭な“背骨”がなければ、いざという時に弱い。

 あの戦時中の学会弾圧で、投獄された幹部は次々に退転した。「結局、教学がなかったからだ!」と、戸田先生は憤激された。

 蓮祖が、「つた(拙)なき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」(234頁)と叱咤された通りの姿であった。

 この「まことの時」に強い人は、例外なく御書を生命に刻んだ人である。

牧口先生は、「行学の二道をはげみ候べし」(1361頁)の御文があるページに、“二重丸”を付けられていた。

 唱題・折伏と教学は、信修行の両輪であり、根幹である。この御聖訓を軽んじ、地道な研鑚を避けてしまえば、損をするのは自分自身だ。

 私の御書にも、わが人生の激闘が刻まれている。

「この御抄は、戸田先生と拝した」「この御文は、あのの時に読んだ」──若き日から今日まで、広布の闘争は、常に御書と共にあった。

 御書には、末法の御本である大聖人の師子吼が、烈々と轟いている。の慈悲の炎が赤々と燃え、智の大河が滔々(とうとう)と流れている。

 この戦う生命を、わが生命に受け継ぐための教学だ。

 受験者の皆様は、特に青年部の諸君は、「もうこれ以上勉強できない」というくらい学んでほしい。その「限界を破る」挑戦が、一生涯の宝となって光っていく。

 先輩方も、「『広布の次の50年』を切り開くのだ」といういで、全力で応援し、力ある広布の人材を育成していただきたい。

 研鑚にあたっては、ぜひ、「直接、御書を繙(ひもと)く」ことを掛けてほしい。講義録や解説などは、あくまでも補助にすぎない。御書の本文も読まずに、「わかったつもり」になることが一番怖い。

 少々労しても、王道を行くことだ。直接、御書と格闘する刻奮闘こそが、信の合格者への大道である。


【『随筆 人間世紀の光』「牧口先生の御書」 2005-10-13 聖教新聞


 任用試験が3日後に迫った。私は今、新入会の学生部1を担当。所属は隣のブロックだったが、放っておくわけにはいかなかった。


 ところが、途中で上から茶々が入った。「学生部に確認したところ、任用受験者はそれほどいないようだ。だから、壮年が教えるよりも、学生部でやった方が、学生部のためだ」と。フーーム、確かに一理はある。これ自体は間違ってない。だが、その後、全く手が入ってなかったことが判明。曜日から再び、私が通うことにした。合格はかなりしくなってきた。しかし、私があきらめるわけにはいかない。


 このメンバーの合格が勝ち取れなかった場合、壮年幹部と学生部の幹部を血祭りにする予定である。組織の都合で、新入会メンバーの育成を怠った責任を取ってもらおう。


 焦ると、逸(はや)るを抑えて、受験者の信を深める絶好の機会としてゆくことを決する。


 先生自らが、受験者をこれほど励まして下さっているにも関わらず、現場はこの体(てい)たらく。だが、嘆いている時間もない。

2005-11-16

組織は偉大な勇者をつくるか、さもなくば、幼稚な愚者をつくる


 鍛錬、育成といっても大切なのは、一個の偉大な人格をつくることである。

 戸田先生はよく、「組織は偉大な勇者をつくるか、さもなくば、幼稚な愚者をつくる」と言われた。

 組織があまりにも偉大であり、会員が純真であるために、かえってそれに甘えて厳しい自己建設を怠る者も出てくる。そうなれば、いかなる理的な組織も、組織悪の温床となってしまう。

 学会は、真の「人間」を育み、社会に輩出しゆく人材育成の大地である。しかし、そこに峻厳な自己革新、切磋琢磨(せっさたくま)の吹がなくなれば、その大地はみるみる痩せ、不毛の地となってしまうことを知らねばならない。


【創立60周年開幕 記支部長会 1989-07-27 創価文化会館


 私が金科玉条としている指導。出来上がった組織に乗っかって、あぐらをかくような幹部が、どれほど後輩をしめることか。役職が上というだけで、さも信があるような振りをする人物は多い。大きな会合にだけ顔を出して、普段は正体不明なのも、うようよしている(笑)。


 分区男子部長になったばかりの先輩が、こんな話をしてくれたことがある。「自分の祈りで、後ろに続く1000人近い男子部の人生が左右されるとうと、『本当に、これでいいのか?』と夜も眠れなくなることがある」。


 広布の責任をじれば、いかなる役職であろうと、我が身を苛(さいな)むほどの反省があるものだ。使命があればこそ役職に就(つ)く。だが、その役職を担うだけの資格があるかどうかは別問題だ。


 草創期にあって、組織は「自分でつくる」のが当たり前だった。組長(現在のブロック幹部)に任命されても、組員は自分の家族しかいなかった。そこから折伏をして、一人また一人と組織を拡大していった。地区部長ともなると、数百世帯を抱えることも珍しくなかったが、全部、自分の弘教から始まった組織だった。これをタテ線という。広範な地域に点在する会員を掌握するのは大変だったが、人間関係の強靭さによって全てを乗り越えた。隣接県にまで毎日、自転車を走らせることなど日常茶飯事だった。草創の組織が強かったのは、“偉大な勇者”によって築かれた組織であったからだ。


 先生は、側近幹部によくこう言われる。「君たちは渡り鳥だ。ただ、大きな会合を渡り歩いているだけの渡り鳥だ」と。


 昨日、今日と「創立75周年記 本部・海外最高協議会」が新聞に掲載された。組織悪や官僚主義を一掃せんとの先生のがひしひしと伝わってくる。今、創立80周年に向かうこの時に、何故(なにゆえ)このような指導をされているのかを、我々は深く信を発(おこ)して受け止める必要がある。


 それにしても、組織の弱体化は目を覆いたくなるほどだ。どうして、こんな風になってしまったのだろうか? 軽々しいことは言えないが一つは、衛星中継で直接、先生の指導を聴けるようになったことで、油断が生じたのではないかとう。何となくわかったような気になりながらも、自分自身の人間革命は後回しになってやしないか? 師匠があまりにも偉大であるが故に、離れた位置から拍手しているだけの自分がいるんじゃないか? 師の教えが、単なる知識や情報になってやしないか?


 今こそ我々は、もう一度、「先生の下(もと)から出発し、先生の下(もと)に帰ってくる」というリズムを確立しなければならない。師弟直結こそ、創価の魂だ。


 今日は、日顕による宗門問題のきっかけとなった、第35回本部幹部会(11.16スピーチ/1990年)があった日。

2005-11-15

2005-11-11

戦いは“最初の一念”で決まる


 戦いに臨んでは、最初の一が全てを決してゆく。そして、本物の決は、必ず本物の行動を生む。


【創立60周年開幕記 学生部夏季講習会 1989-08-02 総本山・常来坊】


 私の血となり、肉となっている指導の一つ。どんな立場であろうとも、常に先駆を切り、全体の牽引力になろうと努めてきた。若い頃は最初の勢いが激し過ぎて、後半になると切れしたことも数々あった(笑)。


 学会組織の基本は少数精鋭である。つまり、闘争を開始する際の、首脳による協議が最も重要となる。ここで呼吸を合わせることができなければ、既に負けたも同然。中者は真剣なる姿勢で士気を鼓舞しなくてはならない。


 謀(はかりごと)を帳の中に回(めぐ)らし勝つことを千里の外に決せし者なり(183頁)


 勝敗は、戦場に着く前に決するのだ。そうであればこそ、私は一切、妥協しなかった。どこまでも厳しい姿勢で臨んだ。中途半端な決の幹部がいれば、その後に続く後輩の勝利を勝ち取ることはできないからだ。


 夜な夜な、必死の祈りを捧げながら、“勝利の青写真”を胸に描いた。この戦いで誰を成長させるのか。どこの組織に手を入れるのか。誰を宿命転換させるのか。どうすれば、一人でも多くのメンバーが戦いに参加できるか。幹部の配置を変える必要があるか。私自身が、どこまで変われるか――目まぐるしく脳細胞が動き、最終的には次の体制の構を練る。今の“組織の使命”を果たして、いち早く新陳代謝をしてゆく。そこに自分自身の責務があることを痛する日々だった。


 祈りなき幹部はエラーが多い。往々にして生活に嘘がある。信即生活となっていない。見る人が見れば、直ぐわかる。我々の本当の勝利は幸福になることだ。幸福とは、今の境涯を打破することであり、指導者としての力をつけることに尽きる。もっといえば、本物の弟子になることだ。それ以外の幸福は要らない。


 また成果が出ると、必ず油断が生じる。「ああ、これで詰められなくて済む」とかね(笑)。「貴様は、詰められないために信しているのか!」と私は容赦しない。一つの結果を、次の闘争の因に変えてゆく。ここがしい。こうした“勝負勘”というのは、戦い続ける中でしか身につかない。やったり休んだり、休んだり休んだりしてるようなのは駄目だよ(笑)。


 更に、団結を築くためには組織悪を一掃しなくてはならない。だから私は、“決なき伝達”を許さない。伝言ゲームなら、婦人部に任せておけばよろしい。「言われたから、やっている」という幹部の姿勢が、広布の団結を破壊してゆく。


 幹部は司令である。バレーボールでいえばセッター。一人ひとりの力量に合わせて、絶妙なトスを上げることが求められる。今時の幹部と来たら、味方に向かってスパイクを打つようなのがいるからね(笑)。


 昔の夏季講習会で必ず教えられたこと――「法は因果倶時である。そうであれば、今回の講習会で“本物の決”ができるかどうかが大事だ」。


 決が本物であれば、直ぐにが出る。によって決が試され、そして深まる。学会創立75周年から80周年へ。師弟共戦の最終段階を迎えた今、誰がどのような決に燃えているか。妙の照覧は絶対である。

2005-11-10

勇気と知恵で一切を開け


 かつて戸田先生が、私たち青年部に教えてくださったことがある。山道を大きな石がふさいで前に進めない。しかし、どうしても行かなくてはいけない。どうするか、その時こそ「勇気」を奮い起こし、「知恵」を発揮してゆくところに、信の本当の強さと深さがある、と。

 ただ一人立ったナンセンの決定した「一」と「行動」は、冷淡な人々の無関や悪の包囲網も、突破せずにはおかなかった。要するに“決定(けつじょう)の一人”がいるかいないかである。彼は「人道」の新しい道を堂々と開き、残していったのである。


【第18回本部幹部会 1989-06-26 創価文化会館


 フリチョフ・ナンセン[Fridtjof Nansen](1861-1930)は冒険家として知られるが、晩年は国際連盟の民高等弁務官として尽力。1922年ノーベル平和賞を受賞している。

 ナンセンは自らカメラを抱えて、悩する民の姿を撮影し、救援を訴えた。国際連盟が国家の利害で揺れに揺れる中、「なさねばならぬ事柄をなすべき道は、つねにある」(『ナンセン伝』アナ・ガートルード・ホール/岩波書店:絶版)と、ナンセンは前へ進んだ。彼が人道支援を始めたのは60歳になろうとしていた時のことである。私財を投げ打ち、文字通り全てを賭けて、命尽きるまで民のために奮闘した。わずか11年間で、彼が救済した民の数は1000万人といわれている。


「ヨーロッパ大陸には、ナンセンのなした事にたいする喜びで妻や母親の泣かなかった国は一つもない」(前掲書)


 ナンセンの事によって、夫や子が捕虜の身から解放され、再開の喜びをかみしめた妻や母親は全欧州の至るところに存在した。


 その後、国際連盟が1946年に解散したことを踏まえると、ナンセンにどれほどの労があったか理解できよう。


 困に遭遇した時、その人の真価がわかる。何かあった時、その人の命が出る。悩みが深い人ほど、使命は大きい。多くの課題を抱えていればこそ、飛躍が可能となる。


 小さな“あきらめ”が、大きなツケとなる。たった一度の責任回避が、“逃げ癖”をつける。「法勝負」の厳しさを知る人は、何があろうとも、絶対に逃げるような真似はしない。崖っ淵で一歩退くことが、致命的であることを知っているからだ。




 今日付の「社説」に11度の総県長会議の内容が書かれている。これが、明年の呼吸である。「流れ」の変化を見逃さぬよう、よくよく参照されたい。

2005-11-09

信強き名将と育て


 指導者は力をもたなくてはならない。幹部は力がなくては幹部の資格がないのです。なぜかならば、幹部のもとには何百人、何千人、何万人の人がおりますが、それらの後輩が指導者の指導力いかんによって成長もするし、信も向上するし、反対に指導者いかんによっては堕落もするし、正しい信仰もでき得ず、しんでしまうわけです。

 これは学会の世界においても、いかなる団体においても、同じ方程式なのです。特に創価学会は他の団体と違って、崇高なる目的をもち、世界で一番尊いところの生命を相手にした、生命の問題を解決してゆく団体であります。大事な命をあずかり、そしてまた、指導してゆくという尊い偉を行っているのです。

 したがって、これだけ戦い、これだけ労をしている皆さん方に、更に強(し)いることは忍びい気持ちでありますが、だが、これも一生成のため、人間完成のため、広宣流布のため、最高の善のために、更に更に成長していただきたいのです。

 したがって、幹部は人一倍、勉強をしていただきたいのです。うんと読んでいただきたいし、たくさん書いてもいただきたい。また、うんとしゃべっていただきたいのです。これが私のお願いです。

 そして、幹部はその人、その時代に応じて、臨機応変に知恵を働かせていただきたいことを特にお願い申し上げます。

 また、幹部は包容力をもっていただきたいのです。自分から離れてしまったならば、この人は不幸になってしまうのだ、どんなことがあっても、この人を包容しきって、放さないようにしてあげようという忍耐力ある包容力で、抱えていっていただきたいのです。

 目先のことで情的になったり、または小さな問題で、仲違(たが)いさせてしまって不幸にさせてしまうようなことは、ないようにお願いしたいのです。

 また、幹部は、堂々たる、毅然たる自身をもって指導の任にあたり、指揮をとり、そしてまた、折伏の陣頭に立っていただきたい。大将が弱かったり、大将に自信がなかったりした場合には、後輩の人は本末究竟等、依正不二で、結局は自信を失い、寂しい弱い人生を送り、そういう信をせざるを得なくなってしまいます。第一にも、第二にも、幹部は強い信に立っていただきたい。それは、たくさんの人がおります。教学の面や、頭脳の面で、一面、利口そうな人もいるかもしれません。だが、自信をもち、確信ある信をもった幹部に対しては、どうしようもない。これが真実の姿なのです。

 信以外においても、自信をもち、確信もった人が、やはり最後は勝利者です。人を指導してゆくことができます。

 また、会員の中には様々な人がおります。老若男女、身体の弱い人、根曲がり、それから、家柄のよい人、または非常に貧乏な人、そういう人々に対しては、どうか幹部は総合的に考えて、信の指導、学会の目的に対する指揮、ともに今度は、個人個人に対する、それぞれの指導を間違いなくやっていただきたいのであります。

 したがって、それには統率力を養ってもらいたい。統率力のない幹部は真の指導者とは言い切れない。どうか、何もかも要望するようでありますけれども、所詮は題目をたくさんあげることに尽きるのです。題目をあげるところに、一切の成長の源泉があるのです。

 そして、よき先輩を見習って、自分自身から欲的に求道をもって、自分を完成させていこうという情熱をもって、この7年間、これほどまでに成長したか、これほどまでに力をもったか、これほどまでに後輩から信頼される自分になったか、これほどまでに境涯が開いたかと大御本尊様に照らされ、ニッコリと大御本尊様にご報告できるような幹部になっていただきたいことをからお祈り申し上げまして、私の指導といたします。


【地方大幹部会 1964-03-26 学会本部広間】


 20歳の頃から、に置いている指導の一つ。


 これ、創価の将軍学。弱気になることなかれ(笑)。まず、「必ず、こうなる!」とを決めるのが先決。「なる」と決めれば、「どうすれば、なれるのか」、「今の自分には何が欠けているのか」が明確になる。「無理だ」と決め込んでしまえば、絶対になれない。


「力」とは信力・行力のこと。政治的才覚や事務能力には非ず。具体的には、「友を配する能力」であり、「広宣流布を進める力」のことだ。これだけあれば、何とかなる。これ以外の要件は二の次、三の次だ。


「勉強」する人は、前に進んでいる人。“学ぶ”という行為は、“自分を変える”作だ。求道強き人は、後輩からも学んでいるものだ。「勉強」している幹部の話には新鮮味があり、説得力がある。


 そして、「包容力」、「自信」、「統率力」、「求道」と続いている。「統率力」の“全体と個”に関する部分は重要。先、今の総県長会で、個人指導・家庭指導が徹底されているが、動き出している幹部は、あんまり見ないね(笑)。全体にあっては広宣流布の明快な指標を示し、個においては一生成への追い風を送る。この公転と自転が相俟(あいま)って、広宣流布と令法久住が確かなものとなる。


「この先輩と巡り会えたことが、我が人生の栄光である」、「このリーダーと一緒に戦って、自分は変わることができた」、「この人ありて、我あり」と言われるような幹部になりたい。いや、なろう。違う、なるぞ!(笑)

2005-11-08

御聖訓通りに進め その人に勝利が


 ともあれ御書を拝し、御書の通りに行動していけばよいのである。御書を学び、御書を信じての信が大切である。創価学会はこれまでも、一切、御書の通りに前進し、純粋な広宣流布への活躍をしてきた。ゆえに迫害もあり、ゆえに発展もあった。

 つまり、「世間」は誤解や無認識な評論も多々あるだろう。しかし、法者は法者らしく、御聖訓の通りに歩んでいけばよいのである。

 その行動の究極は、最後には必ず勝利となってゆく。


【NSF(フランス日蓮正宗)各部代表者会議 1989-06-19 パリ市内】


 26歳の時、激に打ち震えながら座談会で叫んだ指導。小宅で行われたブロック座談会でのこと。


 江東男子部は、前年に全国制覇9連覇を達成。恐れを抱く他区の幹部も多かったが、その一方で悪口を言う者もあった。曰く、「やり過ぎだ。今はそんな時代じゃない」、「気合いばかり入れてる古い訓練だ」等々。だが江東男子部は、口舌の徒を見下ろしながら進軍を続けた。


 この指導を拝した瞬間、「君等こそ、如説修行の行者であり、本物の我が門下生である!」という師のメッセージを私は確かに受け取った。


 小老夫妻には本当にお世話になった。「小野君、何か食べていきなよ」、「小野君は信強盛だね」、「小野君、これ持っていきなよ」――「小野君、小野君」と親しく呼びかけてくれる下町のおじさん、おばさんに囲まれて、私はすくすくと育った(笑)。

2005-11-07

感動とは“自己拡大の確かな実感”


 詩歌であれ、絵画であれ、音楽であれ、我々が珠玉の芸術作品に触れた時の、あの動を一言にしていえば、あたかも我が胸中の泉に共波動が幾重にも広がり、精妙なリズムの促すまま、はるか天空へ飛翔しゆくかのごとき生命の充足であり、これこそ自己拡大の確かな実であります。

 有限なるものは無限なるものへと、また体験の個別は、「味論的宇宙」ともいうべき普遍の世界へと開示されていく。そこに芸術特有の「結合の力」の生き生きとした発動があると私はみたいのであります。


【「東西における芸術と精神」 1989-06-14 パリ、フランス学士院会議場】


 フランスは文化の宗主国。「フランス人はイギリス人を猿だとい、そのイギリス人が日本人のことを猿だと考えている」なあんて話がある。ヨーロッパがアジアを蔑視する覚は、長い時代によって形成されたもので、そう簡単に引っくり返すことはしい。


で勝負する」――こう言われて、先生は講演に臨まれた。値踏みするような視線にさらされて始まった講演は、万雷の拍手によって幕を下ろした。


「フランス学士院芸術アカデミーでの講演は、偉大な反響を広げています。その後、数人の友人と語り合いましたが、皆、強い銘を受けていました」


【ルネ・ユイグ氏(美術史家)1989-06-19】


「私は、理と討論を重んずる西洋人の一人です。SGI会長の講演も、むしろ批判的な“”で聴いていたつもりです(笑い)。が、聴き終え、深い動と共を禁じ得ませんでした。あえて言うならば、SGI会長は人類における哲学の代表であり、精神界の代表です。しかも、民間人として世界を舞台に『行動』に徹しておられる。例えば、第三世界には民の子供たちに象徴されるような、極端な貧困と悲惨があるが、それに対してもSGI会長は、素晴らしい人道上の貢献をされている。そうした事実にから敬を表すために、今日、私はやって来ました」


ガブリエル・ペロネ会長(フランス国連協会)1989-06-20】


 ペロネ会長との会談は予定されていたわけではなく、講演に銘したペロネ会長からの希望を受けて実現したもの。


 芸術がもつ「結合の力」を「結縁の力」に置き換えて縁起論を展開。その関係は、空間的要素だけではなく、時間的要素をも含んだもので、法の多次元的な捉え方を示した。更に、「空の概」から一三千のアウトラインを紹介。法華経の芸術を宣揚した上で、菩薩道の生き方に言及した。


 短時間の講演で、これほどの内容が盛り込まれている。“蝶のように舞い、蜂のように刺す”その様は、モハメド・アリの如し。


 快動は異なる。快は一時的なもので、個人的な欲求しか満たすことができない。動には、作者との対話と魂の交流がある。動は、“よりよき人生”へと向かわしめる確かな力がある。天界と聞界・縁覚界の違いか。


 折りしも、東京富士美術館では「栄光の大ナポレオン展」が開催されている。芸術の秋、現代史巨人と語り合ってはいかが?

聖教新聞の多部数購読


 聖教新聞は一般紙と異なり、学会員一人ひとりが活用することもあって、成人家族の分を購読している方が多い。切り抜き用や贈呈分として購読するケースもある。


 一方、不要な多部数購読を奨励・強要している組織もあると聞く。例えば、地区協議会・活動者会で、幹部がそれを言ったとしよう。当然、皆の手前だから断れない人も出よう。経済的な理由から購読することができなくて、嫌ないをする人もいる。


 これは一見、広宣流布のためと見せかけておいて、幹部の功を満足させるだけの“組織利用”である。かような幹部を「食法餓鬼(じきほうがき)」とづける。悪しき成果主義の奴隷といってよし。会員に経済的な負担をさせて、自分の手柄にしようとする悪党であると断じておく。そもそも、地域内の部数をそんなに増やしたいのであれば、幹部自らが10部でも20部でも購読すればいいのだ。


 こうした些細なことで、組織に不信が蔓延する。その不信が積もり積もって、折伏ができなくなるのだ。「学会は凄い!(……でも、やりたくないことも、やらせられる)」――これが本音になってしまう。真面目であるが故に、功徳が出なくなるようなことがあれば、本末転倒だ。


 その一方で、「NO!」とハッキリ言えない民衆が、権威主義組織を支えている。傍観者がイジメを支えているのと一緒。皆のために断る勇気も、時には必要だ。

2005-11-04

魂の借り


「青年は人類の希望」との言葉は、実は巴金(ぱきん)氏が「師」と呼ぶ人の言葉である。

 静岡研修道場でお会いした前日、氏は「わたしの文学50年」と題して、東京日講堂で講演をされている。

 そこでも紹介されたが、氏は23歳の時、上海からパリへと向かう。それは、祖国の混乱にしみ、“世を救い、人を救い、自分を救う道を探し求めて”の旅であった。

 パリでは、無実の罪で牢につながれたアメリカの社会運動家(サッコとバンゼッティ)の救援活動が行われていた。無政府主義者であった彼らは、殺人の疑いで捕らえられ、証拠不十分のまま処刑された。

 巴金氏は、獄中のバンゼッティに手紙を書いた。その返事の中にあったのが、「青年は人類の希望だ」との言葉であった。氏はこの言葉を支えに人生の活路を開いた。文学に生きる自信が生まれた。巴金氏にとってバンゼッティは、いまだ見ぬ人であったが、一人の「師」となった。

 バンゼッティが処刑されたのは、その数ヵ後である。無実が証明されたのは、実に50年後であった。(中略)


 死を前にして、異国の青年・巴金氏に「希望」を託したバンゼッティ。そして50年後、日本の青年に同じ言葉を語りかける巴金氏。平凡な一句に万鈞(ばんきん)の重みがある。「信」のために辛酸をなめ尽くした人間は、もはや「青年」しか信じられなくなるのかもしれない。その万いが国境を超え、世代を超えて「魂の黄金の連鎖」をつくってゆく。それがまた、「師弟」の絆となる。

 戸田先生も、最後は青年に期待され、一切を託された。私も同じである。


 巴金氏の人生には、多くのがあった。中でも最も辛かったのは、あの文化大革命時代の10年であったと語っておられた。

「文壇のボス」「黒い一味の黒幕」とされ、精神的拷問と卑劣な人身攻撃が続いた。叩かれ、また叩かれ、罵られ、侮辱され、デマを流された。市民としての権利もなくなった。“命”である作品を発表する自由も奪われた。

 全くの暗黒である。一体この世の「正義」はどこにあるのか――。

 やがて四人組が倒れる時がきた。氏は誓った。

「私は、この魂の借りを決して、そのままにしておくことはできない」

 ――受の10年を総括しよう。悪人(四人組)にだまされてしまった歴史の収支決算をしよう。さもなくば、また悲劇を繰り返してしまうかもしれない。

そうならないために、命ある限り、体験した「真実」を私は書き残そう。私は決してペンを捨てない、と。

 氏の情が、私には痛いほど伝わってくる。


 よきにつけ、悪しきにつけ、受けた「魂の借り」は断じて返す――。忘れない。ごまかさない。決着をつける。ここに人間としての真の面目もある。

 私は「日蓮正宗創価学会」に大がある。私の魂に無上の恵を受けた。ゆえに私は、他の誰のためでもない、真面目で純真な学会員を守るために、ただそのために生きる。いかなる地位の人、権威の人よりも尊き、法の正道を行く方々である。たとえ、我が身は傷つこうとも、その方々をしめる者とは、私は断固、戦う。一歩も退(ひ)かない。一生涯、その方々の盾(たて)となって生き抜き、死んでゆく決である。


 巴金氏は、悪人によって刻まれた「魂の借り」は生涯忘れぬ、ペンで返すと。

 この叫び、この執、この根、この闘争――。悪への怒りを忘れるような、表面のみの“寛大な人格者”は偽善の徒である。悪と戦う勇気なき者に、正義を語る資格はない。もはや「青年」でもなければ、「人類の希望」でもない。

 悪との徹底闘争――そこに法の精神もあり、牧口先生戸田先生が身をもって示された学会精神もある。


 謗法の悪との日蓮大聖人の戦い。それは、言語に絶する激烈さであられた。

 御書には、南岳大師の次の言葉を引いておられる。

「若し菩薩有りて悪人を将護して治(じばつ)すること能わず、其れをして悪を長ぜしめ善人を悩乱し正法を敗壊(はいえ)せば此の人は実に菩薩に非ず、外には詐侮(さぶ)を現じ常に是の言を作さん、我は忍辱を行ずと、其の人命終して諸の悪人と倶に地獄に堕ちなん」(1374頁)

 ――菩薩が、もしも悪人を助け守ってしまい、し、正すことができないで、悪を助長させ、善人のを悩ませ乱し、正法を破壊してしまったなら、この人は真の菩薩ではない。

(こういう人間は)外面では“詐(いつわ)り”と“侮(あなど)り”から常に、こう言うであろう。「私は忍辱の修行(侮辱や迫害等に耐えて瞋〈いかり〉のを起こさない修行)をしているのだと。

 この人は死後、もろもろの悪人とともに地獄に堕ちるであろう――。


 この御文のごとく、「私は我慢しているのだ」などと言って、悪と戦わず、悪を増長させる者は、もはや「菩薩」ではない。広布の指導者ではない。かえって罪をつくってしまう。正義を貫くためには、気地なしであってはならない。遠慮してもならない。


 大聖人は「眠れる師子に手を付けざれば瞋(いか)らず流にさをを立てざれば浪(なみ)立たず謗法を呵嘖(かしゃく)せざれば留なし」(1374頁)――眠れるライオンに手を触れなければ怒(おこ)らない。流れに棹(さお)を立てなければ波は立たない。謗法を叱り、責めなければ迫害はこない――と仰せである。

 悪と戦えば、戦った人が返り血を浴びる。それを恐れて沈黙すれば、何も起こらない。

 ゆえに、悪からの迫害を受けている人こそ本物である。真に「戦っている人」であり、実の「菩薩」であり、その人を正義の基準と見ていけば間違いない。


 学会においても、何人かの悪人が出た。彼らは陰でどれほど学会を利用してきたか。正法の和合僧を壊そうとしてきたか。彼らが私を攻撃するのは、私が彼らの悪を見破り、呵責(かしゃく)してきたからである。

 いかなる犠牲をともなっても、悪人は外に出さねばならない。そうでなければ広宣流布の清流を濁(にご)してしまう。このことは我が師より、厳しく教えられていた。


【創立60周年開幕記 学生部夏季講習会 1989-08-02 総本山・常来坊】


 尚、巴金氏は、去る1018日に逝去された。享年100歳。作家としての活動は70年にも及んだ。その作品は30以上の言語に翻訳されている。慎んでご冥福を祈ります。

家族の話を鵜呑みにするな


 人は、親しい間柄であればあるほど、相手の話を鵜呑みにする傾向が強い。家族の間で交わされる噂話の類いが一番危険だ。怨嫉やレッテル貼りは、家庭で行われることが多い。親しい幹部も、また同様。「へえ、そうなんだ」なあんてを貸してしまえば、アウトだよ。立派な幹部でも陥りやすいので要注

2005-11-01

組織の浮沈は人事で決まる


 今回、全国で新しい人事が発表された。出発をからお祝い申し上げたい。

人事が成功すれば、組織は倍に飛躍する。人事が乱れると、大敗北のしみを受けてしまう」

 これは、戸田先生が、常に厳しく、指導しておられたことである。

 好き嫌いなどで、人事が左右されてはならない。

 どこまでも広宣流布のためである。どうか、よろしく頼みます!


【第53回本部幹部会・大学会合同総会 2005-10-18 東京牧口記会館


 先生に、かような指導を“させて”いる現実があるんじゃないか? 私は慙愧(ざんき)のに駆られてならない。


 今から10年ほど前から、副本部長兼任の地区部長みたいな人事が出だした。私が今いる地域では、こういう幹部が山ほどいる。副区長兼任のブロック長というケースもあったと聞く。数年前まで我が地区にも、副本部長兼任のブロック長がいたそうだ。


 当然、やむを得ない状況もあるのだろうが、結局、人材育成が進んでない証拠であろう。こうした人事は、後手になっているとじてならない。本来であれば、本部長や区長が担当して次の人材を育て上げ、一日も早く兼任役職を解くべきだとうが、現実は全く手が入ってない。結果的に“穴埋め人事”で終わっているのが現実だろう。


 また壮婦ともなると、10年、20年選手がザラにいる。正役職の場合、かなり問題があるとう。本人も周囲も行き詰まってしまう可能が高い。これは個人的な見解になるが、正役職は4年が限界だ。勘違いしないで欲しいが、客観的な組織論として考えた場合である。もちろん、長年にわたって地道に指揮を執っている幹部もたくさんいる。地域によっては、「この人でなければ務まらない」というケースもあろう。だが、それでよしとしていれば、必ずツケが回ってくる。


 人材育成が進まない最大の要因は、幹部が家庭指導をしなくなった一点にある。もはや壮年幹部が動くのは、婦人部から情が寄せられた場合のみといってよい(笑)。一人ひとりの状況をしっかりと押さえてないから、集まったところで形式的なやり取りにしかならない。打ち出しはあっても、“やる気を引き出す指導・激励”がない。“人材育成”を叫ぶ幹部はいても、実際に人を育てる幹部は見当たらない。


 今時の幹部は、誰が動いているのかも知らない。会館で顔を合わせれば、頑張っていると錯覚するようなのばかりだ。


 本気で、先生の後に続こうとっているメンバーは、“家庭指導の鬼”と化し、“個人指導の達人”を目指すべきだ。そこにのみ、“創価令法久住”がある。大きな会合で話をするのは一番簡単なことだ。

三類の強敵を呼び出だす信心


太郎●創価学会牧口常三郎初代会長、戸田城聖第二代会長が、日蓮大聖人の教法にめぐりあわれたのは、昭和3年(1928年)のことだった。


二郎●日本一国が国家神道に染められ、狂奔の歩みを始めた頃のことだった。


太郎●戦前は創価教育学会と称し、牧口常三郎会長、戸田理事長の体制だった。二人は、国家神道によって一国が滅びる危機をじ、民が塗炭のしみに喘いでいることを嘆かれた。昭和26年(1951年)710日に著された「創価学会の歴史と確信」の中で、戸田創価学会第二代会長は次のように書かれている。

「時あたかも、わが国は太平洋戦争に直面し、国をあげて修羅のちまたに突入したのである。牧口会長は、この大戦争の間に、強く大聖人の御精神を奉戴して、国家の悪たる天照大神を拝むということに対立したのであった。

 時の軍部は、蒙古襲来のとき、神風が天照大神によって吹いたという歴史にだまされていたのであった。国家が謗法の行為をなすことを知らず、大聖人の教えを聞こうとせず、語ろうともせず、かつ、御本大聖人の祈りによって神風が吹いたことは、知らなかったのである。米国はデューイの哲学により、日本の軍部は低級な邪義である神道論によって、一国の精神統一を図った。勝敗は物量だけの問題でなく、すでにこのことによって定まっていたのである。かれらが敗戦とともに、狂人的になることは、どうすることもできないことであった。

 高級な教哲学は、敗戦すべきことを教えていたのであるが、そのたいせつな教理である大聖人の御遺文すら焼き捨てようとかかったのである。軍部の偉大な権力は狂人に刃物で、民衆はおどされるままにふるえあがって、バカのように天照大神の神棚を作って拝んだのである」


二郎●国民がこぞって間違った国家神道を狂信したことにより、他国侵逼は必至であった。


太郎●そこで、牧口会長は国家諫暁の必要をつとにじられ、それを宗門(日蓮正宗)の高僧に強く述べた。


二郎●ところが宗門は軍部を恐れ、まったくの及び腰だった。


太郎●逆に、牧口常三郎創価教育学会会長、戸田同会理事長らは、昭和18年6日蓮正宗総本山大石寺に呼ばれた。その時の様子は次のようなものだった。

「戰局も悲運にかたむき、官權の取締が徹底化して來た昭和十八年六初旬に総本山から『学会会長牧口常三郎、理事長戸田城聖その他理事七登山せよ』という御命令があり、これを受けた学会幹部が至急登山、その当時の管長であられた鈴木日恭猊下、及び堀日亨御隱尊猊下おそろいの場に御呼出しで、(場所はたしか元の建物の対面所のように記憶している)、その時その場で当時の内事部長〈著者註 庶務部長〉渡辺慈海尊師(現在の本山中寂日坊御住職)から『神札をくばつて來たならば受け取つて置くように、すでに神札をかざつているのは無理に取らせぬ事、御寺でも一應受け取つているから学会でもそのように指導するようにせよ』と御命令があつた。

 これに対して牧口先生は渡辺尊師に向つてきちつと態度をとゝのえて神札問題についてルルと所信をのべられた後、『未だかつて学会は御本山に御迷惑を及ぼしておらぬではありませんか』と申上げた処が、渡辺慈海尊師がキツパリと『小笠原慈聞師一派が不敬罪で大石寺を警視廳へ訴えている、これは学会の活動が根本の原因をなしている』

とおゝせられ、現に学会が総本山へ迷惑を及ぼしているという御主張であつた」


二郎●法義を守れと教える者が、時代の狂奔に怯え、法義を破れというのだから情けないの一語に尽きる。


太郎●その宗門の日蓮大聖人の法義に反する命令を牧口会長は峻拒した。牧口会長らは日蓮大聖人の教えに殉ずる覚悟だったんだ。戸田理事長も牧口会長を師と仰ぎ、法に殉ずる覚悟だった。

「牧口会長は、神札は絶対に受けませんと申しあげて、下山したのであった。しこうして、その途中、私に述懐して言わるるには、

『一宗が滅びることではない、一国が滅びることを、嘆くのである。宗祖聖人のお悲しみを、恐れるのである。いまこそ、国家諫暁の時ではないか。なにを恐れているのか知らん』と」

 牧口会長は、この後の628日に再び登山し、「法主」の鈴木日恭に直接会われ、国家諫暁を勧められた。だが鈴木日恭は、臆してそれを諾としなかった。

 牧口会長と共に鈴木日恭に会った、創価教育学会の神尾武雄理事(当時)は、鈴木日恭に会った直後の牧口会長の様子を、戦後、次のように回している。

「直諫を終えて帰路につき、中を歩いていたときに牧口先生は転び、手にけがをされた。ちょうど、ザクロのように傷口があき、血がしたたった。牧口先生は『言うべきことを強く言わなかっただ』と申された。手を抑えながら、石川自動車のところまで来て、手を洗われた」


二郎●牧口会長や戸田理事長は、法のためには身命を惜しまないという境界だった。


太郎●牧口会長は、創価教育学会の機関紙『価値創造』(昭和17年510日付第9号)に、日蓮大聖人のある御書を大きく掲載している。『価値創造』は、統制により、この号で廃刊となった。牧口会長が『価値創造』が最後の号で、この御書を掲載されたのは、重大な決あってのことだったろう。なんと、牧口会長が『価値創造』の最後の号で掲載した御書は、奇しくも「最蓮房御返事」だった。掲載されたのは次のような箇所だった。

「予日本の体を見るに第六天の魔王智者の身に入りて正師を邪師となし善師を悪師となす、経に『悪鬼入其身』とは是なり、日蓮智者に非ずと雖も第六天の魔王・我が身に入らんとするに兼ての用深ければ身によせつけず、故に天力及ばずして・王臣を始として良観等の愚癡の法師原に取り付いて日蓮をあだむなり」


二郎●日本の国家指導者の身に、「第六天の魔王」が入ったと言われている。それは勧持品第十三の「悪鬼入其身」そのものの姿であると牧口会長は見られていたんだ。牧口会長、戸田理事長などの創価教育学会を弾圧しようとしている者たちの本は、「第六天の魔王」だと喝破されていた。


【『日蓮大聖人と最蓮房』北林芳典(報社)】


日蓮大聖人と最蓮房