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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2005-11-28

最後に勝てば一切が「薬」に


 ともあれ、妙法の世界では、何があったとしても、必ず時とともに「変毒為薬」していけるのである。それがわからず、一時の姿や、また一時の状態を見て、退転したり、反逆していく人が出たとすれば、これほど愚かなことはない。

「薬」と「毒」の関係をいえば、実は両者の間には、ある味で明確な境界線はない。その配合や、服用する人の生命力との関係で、「毒」として働く場合もあれば、「薬」として働く場合もある。この事実を一言で「薬とは生命を救う毒」と表現した学者もいる。

 人生の勝敗においても、また同じである。最後に勝てば、一切が「薬」になったことになる。逆に最後に負ければ、それまでいかに「薬」になったものでも、結局は一切が「毒」になってしまったということができよう。


 では、最後の勝利とは何か。それは「信の勝利」である。これこそ、「人間としての勝利」であり、「三世永遠の勝利」につながる。

 否、学会において、「信の勝敗」以外に、本質的な勝敗はない。他のあらゆる勝敗は、全て「化(けじょう)」であり、「方便」なのである。

 結論していえば、誠実で、一生懸命に広布の組織活動をしている人こそ、真の「勝利者」である。信の活動をしない人は、本物の信仰者ではないし、諸天の絶大なる加護はない。人生の勝利者とはなれない。


【創立60周年開幕 記支部長会 1989-07-27 創価文化会館


 こう指導されていたにも関わらず、第二次宗門問題の時に退転した者が出た。全体から見れば、ごく少数に過ぎなかったが、幹部が引っくり返った地域は、支部や地区からごっそりと脱会者が出てしまった。


 まあ、どっちにしてもね、日顕宗へ行った面々で、信があるのは一人もいないよ。その殆どが、「好み」という趣味的範疇(はんちゅう)での判断だった。「登山がしたい」、「葬式に坊主が来ないと困る」などといった理由。「供養を好む」のも多いが、まともに勤行もしてないようなのが大半だ。


 脱会者で信があるのは一人もいない。現代にあって、仏勅創価学会を離れて、日蓮法を正しく行ずることは不可能だ。


 もう、10年以上も前の話になるが、ある後輩が私のところへ来た。「勤行をしよう」と言い、正座をしたまま振り返った。

「今日は、お前の一番かなえて欲しいことを祈ろう。何でも構わんぞ」

「エー、やっぱ、あのお……彼女が欲しいッス」

「わかった。真剣勝負で祈るぞ!」


 でね、吃驚(びっくり)したんだけど、何と3日後に出来たのよ。彼女が! そのメンバーは活動報告をした。「あのお、詳しいことは言えないんですが、小野さんと題目をあげたら、祈りがかないました!」(笑)。内容は伏せたままなのに、彼の歓喜する姿には恐ろしいものがあった。皆は、広宣流布とは関係ない功徳であることをじながらも、羨ましさを隠せなかった(笑)。何といっても、餓鬼界から天界への変化が一番わかりやすい。


 これが、化ね(笑)。人生の途上の目標は全部、化。入会の動機や、個人目標は何だって構わない。信が深まれば、全てが美化される。


数字」も方便だ。勘違いしてはいけない。広宣流布の結果が、幹部の利となれば、結果的に組織利用となり、食法餓鬼となることを銘記せよ。


 40代になれば、惰との勝負である。これが、人生最大の関だとう。「進まざるは退転」、「戦わざるは敗北」だ。「信の勝敗」を厳しく総括する日々でありたい。