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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2005-12-31

明年の決意


 昨日、母の誕生日。65歳。実家を離れて19年。老いてゆく父母(ちちはは)の姿が、どうも実できない。


 本年最後の家庭指導。10件ほど回ってきた。一年間のお礼を述べる。寝てた方もいた(笑)。転入してきたSさんとも初めて会うことができた。皆、快活。皆、が通う。


 明年の決。どんなに小さな問題であっても、完全に解決するまで戦い抜く。邪をする幹部は全員、蹴散らす。本部幹部・分区幹部に策士が多いので、勇み足は許されない。同じ問題が二度と起こらぬよう、組織の宿命転換を完璧に成し遂げる。各人の自立した信目標。この5年が100年に匹敵するのであれば、20倍の闘争が必要か。「努力」でも、「改革」でもなく、文字通りの「革命」の時。師弟共戦の最終段階に入る。いも寄らぬ幹部が堕ち、無の青年が頭角を現す時代となるに違いない。

2005-12-28

幹部が意図的に流す噂


 現場に入ってもいない幹部どもが、地区と関係ないところで噂話を流している。自分の無責任を糊塗(こと)しようと、必死に画策していらあ(笑)。私はよく、「正義が強過ぎて損をするタイプ」と言われる。だが、自分では得をしてるつもりだ(笑)。普段は幹部面をしているクセに、こっちから攻撃を仕掛けると、あっさりと嘘をついてみせる。そんなのばっかりだ。幹部という幹部は、誰一人、責任を取ることなく、“問題の本質”をすり替えて、放置し続けている。常に犠牲を強いられるのは、最前線で戦う末端幹部だ。問題の多い組織は、上の幹部に問題がある証拠だ。活路を開くことのできる幹部が、一人もいないってだけの話だよ。


 先日知った、ある地方での問題がずっと私を悩ませている。元々、私とは全く関係のない問題だが、何もできない自分が歯がゆくてならない。手をこまねいている自分に、腐臭すらじられる。見て見ぬ振りをすれば、必ずや与同罪は免れないであろう。問題が大きければ大きいほど、自分の無力さをい知らされる。


 友人とジンギスカンに舌鼓を打つ。義理の妹さんが脊髄小脳変症になったと聞かされる。

2005-12-24

分区幹部を迎撃


 現場を知らない分区幹部が、地区のことで茶々を入れてきた。私はパトリオットミサイルと化して、万全の迎撃態勢(笑)。組織悪を一掃する好機としたい。


 平坦な道を歩んでいるなら遠視眼でもいい。だが、険の尾根を進む人は、近視眼にならざるを得ない。一歩、踏み外せば、命に関わる危険があるのだから。さしたる悩みがない時は、大いなる理に向かって歩(ほ)を伸ばし、宿命と格闘する時は、足元をしっかりと見つめるべきだ。歩む道によって視点を変えることも、正視眼であろう。

2005-12-23

「大ナポレオン展」にゆく


 最終日を迎えた「大ナポレオン展」に友人と赴く。さすがに混雑していて、じっくりと見ることできず。絢爛たる絵画と豪華な装飾品の数々。権力・経済力・文化・歴史が交錯。権力者であるが故に美化された臭いをじた。


 友人といっても、以前、勤務していた会社の先輩で、私よりも7歳年上の方。保険界の内情を種々教えてもらう。色々と話している内に、医者が僣聖増上慢と酷似していることに気づく。デタラメな医療制度のおかげで、保険は成り立っているそうだ。大いなるニッチ(隙間)産といえそうだ(笑)。

2005-12-22

一年の決意


 尚、この学会の大組織の中で信している私どもは、どうしても組織にとらわれ、依存して、自分自身の偉大な人間革命が、若干、惰になる恐れがあります。それを反省し、戒めるために、また、皆さん方が福運と力を積むために、一加速度として、今日は一つ申し上げておきたい。

 今日から一年間、今年いっぱいでも結構です。ある人は、もう一回、自分は100万遍の題目をあげきっていこう。自分自身、一家のため、自分の組織の会員のために立ち上がり、100万遍の題目をあげようと発して欲しいのです。200万遍でも結構です。その発をし、御本尊と直結した場合には、この一年間ないし、今年10ヶ間、偉大な成長をすることは間違いありません。惰と慣習に流された10ヶと、一つの発をした10ヶとでは、何倍、何十倍の差がついてゆくのです。人間ですから、スランプに陥る時もあるでしょう。また、惰に流される時もあるでしょう。疲れて休む時もあるでしょう。それはそれで構いません。しかし、その根底の発の一の差、これが大事なのです。


【岐阜地区部長会 1967-03-03 岐阜会館


 先生が、まだ30代の時の指導。空恐ろしくなるほどのバランス覚。


 年を取ると、決しなくなる。20歳(はたち)前後の頃は、週に3回ぐらい決したもんだよ(笑)。つまり、それだけ挫折する回数も多いということ。地区リーダー、部長と責任を担うにつれ、信の浮き沈みはなくなってくる。そして、安定してくるにつれ、決する回数が減ってゆくのだ。


 例えば歯磨き。幼い頃は面倒で仕方がなかった。加藤茶に「歯ぁ、磨けよー」と言われて、嫌々磨いていた方も多いだろう(笑)。努力を必要とした歯磨きも、いつしか当たり前になっている。


 このように、決と実践を繰り返してゆくことによって、が形成される。普段、題目をあげてない人は、唱題会が痛だ。だって、慣れてないから(笑)。家庭指導が手な人は、家庭指導をしてないだけの話。


 毎日祈れば、“祈る自分”が普通の状態になる。毎日、戦えば、“戦う自分”が当たり前となるのだ。逆もまた然(しか)なり。口先だけの幹部は、ますます口が上手くなり、組織を泳いでいる人は、泳ぎに磨きがかかる(笑)。


 日日につより給へすこしもたゆむあらばたよりをうべし(1190頁)


 日々、々、年々にわたって信強盛になってゆきなさい、との御指南。これに背けば謗法となる(笑)。


 不議なもので、いくつになっても正を迎えると、改まった地になる。“新しい年”が、生死を連させるからであろうか。


 苟(まこと)に日に新たにせば、日々に新た、また日に新たならん


【『大学』】


 これ、牧口先生座右の銘。価値創造の真髄。


 この一年を静かに振り返り、全く新しい誓いを立てて、創立80周年を目指してゆこう。そして、この5年間で、500万遍、1000万遍の題目を唱えてゆきたい。

今年を振り返る


 この一年を振り返る。都議選直後に衆院が解散。郵政改革を問う選挙となった。師の指導、尽きることなき一年だった。甘露の如し。死亡者を出さなかったことが大勝利。マルチ商法の被害2件は致命的。10年にわたって未活動だった婦人部地区幹部を立たせる。母親を亡くされた壮年が、追善のいで活動に参加。学生部4の育成。昨年まではドアすら開けてくれなかった一家があった。今年はドアが開き、奥さんと話ができるようになった。最近では時折、笑顔も見られるようにまでなった。指導の入力は長短含めて500以上。顕正会メンバーへの接触。婦人部からの情を一手に引き受けた一年だった。


 文を書くことは、を深める。


【『新・人間革命』「師」10】


 先生、例外がここに一人おります(笑)。

2005-12-21

私の年齢


 私は現在、42歳。先生が言論問題と戦った年齢と一緒。明年は、先生が創価大学をつくられた年齢となる。「歴史をつくらずして、何のための人生か!」と轟くような先生のが聞こえてきそうだ。


 本年最後の会合。ブロック唱題会。壮年のG宅にて二人で行う。暮れで皆、忙しいようだ。Gさんより、勤行の内容に関する質問が。この唱題会も、2年間で76回を数えるに至った。御書拝読は、十大部を読了し、間もなく「種種御振舞御書」も読み終わる。参加者を一人でも増やそうと、毎回、拠点を変え、今では6軒のお宅をお借りしている。小さくとも偉大な唱題会。


 終了後、地区部長宅にて種々相談。自分の判断を過信するな。相談なくば独善。学会は話し合って進むのだ。


 大事なことは、一生涯、灰になって燃え尽きる時まで、自身を完全燃焼させていくことだ。


【『新・人間革命』「師」9】


 いまだ退転者なき白糸会。天晴れ。

2005-12-20

御書に関するFAQ


 新入会の方から、御書に関する質問が寄せられた。「御書に線を引いたり、書き込みをしても構わないのか?」と。これは、構わないどころか、奨励されてしかるべきこと。私は以前、御書を購入したメンバーに、赤鉛筆を1ダース、プレゼントして激励したことがある。


 御書を持ち歩く幹部が少なくなった。御書をひもとく機会も少なくなった。新入会のメンバーが、見知らぬ私に質問してくるには、こういった背景があるのだ。幹部の力量不足は目を覆いたくなるほどで、教学の質問なんぞをした暁には、「戦っていけば、その内わかるようになるから」なあんて、ぬかしてやがるのもいるよ(笑)。


 そこで、気がついた点を、いくつか確認しておきたい。


 日顕が退座した今、絢爛(けんらん)たる創価ルネサンスの時代を迎えることは間違いない。今こそ、学会草創の原点に戻るべきだ。原点とは、教学と座談会である。

  • 大聖人から、自分に与えられたお手紙であると拝するべきである。御書の上に物を置いたり、御書を床に置くようなことがあってはならない。
  • 御書は末法の経文である。拝読する時は、音吐朗々、勤行と同じ姿勢で行う。黙読、あぐらは不可。
  • 極力、カバーを着けた方がいい。私の御書は、小学6年の誕生日に買ってもらったものだが、既に破壊寸前という有り様。これは、御書がボロボロになるまで学んだからではない(笑)。札幌にいた頃、毎日、持ち歩いていて、御書の上に雪が積もったせいである。書き込みがあるため、どうしても、新しい御書に替える気になれない。
  • 全編読破する場合、御書の目次をコピーして、読み終えた箇所にチェックを入れるといい。1ページ目から読むと、前半は法門に関する御書が多いので、多くのメンバーがリタイアする羽目になっている。短い御書を次々と読破すれば、結構、やる気が衰えない。御消文から読むのもいい。
  • 御書講義をする際は、事前に前後の文脈を確認する。特に、2世、3世のメンバーは、勝手な先入観を抱いている場合が多いので、尚のこと、しっかりと学んでおきたい。
  • 法は独善とは無縁である。教条主義になってはいけない。総別、一往再往、当分跨節(かせつ)、与奪を踏まえる。
  • 対話形式・問答形式の御書の場合、どちらの言い分なのかを理解するよう努める。若い頃、ずっと何行にもわたって線を引いていって、「には非ず」と出て来て、青くなったことがある(笑)。
  • 線を引くのは、赤鉛筆が一番いい。私の場合、要文は四角で囲っている。書き込みはBのシャープペン。書き込みをした年日も記入しておきたい。先生がスピーチで引用された場合は、スピーチの年日を記入しておくと、後で調べやすい。
  • 役職、折伏、教学などの履歴を、御書の一番後ろに書いておくと、幹部カードを書く際に困らない。

 私の御書はガムテープで補修しているが、やはり寿命は避けられないだろう。今の御書が成する前に、何ページか紹介しておく。


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2005-12-19

婦人部幹部を破折


 本年最後の地区協議会。婦人部幹部を注。このい上がった幹部一人のために、婦人部の全活動家しめられた一年だった。最初の内は開き直ってシラを切っていたが、勇気ある婦人部の証言によって撃沈。これによって、地区革命の突破口が開いた。


 この幹部の件については、昨年から壮婦の様々な幹部に相談してきた。押しが強いため、幹部も恐れをなしていた。皆、実体を知っていた。それでも放置され続けてきた。この間、我が地区の婦人部に全く手は入らなかった。末端の人々のを傾けたのは、壮年の私一人だった。手をこまねいて外野で見物を決め込んでいた婦人部幹部は、あろうことか、「小野さんは怖い」という噂話を流していた。会館で私の姿を見るや否や、そそくさと逃げ回る幹部も数人いた。まあ、クソ幹部に何を言われようが、そんなものは屁のカッパだよ(笑)。

“流行の捕虜”“流行の奴隷”となるな


 ここで流行について、少々申し上げておきたい。

 一般的に、社会で暮らす私どもが、流行と全く無縁でいることは不可能であろう。諸君も、アイドル流行(はや)りの歌にを躍らせ、また、流行のファッションなども気にしている人が少なくないとう(笑い)。

 元来、時代の動向から影響を受けない人間などあり得ないし、ましてや、鋭き青年たちが様々な時代・文化の変動を生き生きとじ取り、反応してゆくのは当然である。時には、流行や時代・社会の変革から強いインパクト(衝撃)を受け、その後の行動や人生観が変わってゆくことさえある。時代を呼吸し、社会に敏であることは、総じて健康な精神の証である。

 ゆえに、流行そのものが悪とは決していえないし、時流に鋭敏であることは、それ自体、大切なことである。逆に流行に鈍であることは、時代に遅れ、人々のから遊離してゆくことにも通じていくであろう。

 しかし、流行に躍らされ、魂を支配されては、これ以上の愚はない。流行に乗る。有になる。マスコミで華々しく動く――いいように見えるかもしれない。だが、人生は長い。流行が終われば、人気という幻は消え、空(むな)しい自分と敗北が残るのみである。流行に躍らされた人生は、確たる「自身」を失い、正しき軌道を外れてゆく。

 大切なことは、確かな自分を確立し、時代の本質を賢明に見抜きながら、自分の道を生きてゆくことである。一時の現象や時流にとらわれ、時代に追従するだけの“流行の捕虜”“流行の奴隷”となっては絶対にならない。

 ともすると、“浅はか”で“薄っぺら”なものの方が持てはやされる時代相である。その軽薄な風潮に自己を埋没させ、本当の自分、真実の使命を見失ってはならないと、強く訴えておきたい。

 どうか諸君は、時代をとらえ、受け入れながら、もう一歩深く自身で索し、とらえ直してゆく健全な精神、強靭な知の人であっていただきたい。

 こうしたの錬磨、人格の陶冶(とうや)にこそ、法の説く人間完成の一つの要諦があるからだ。


【第2回未来部総会 1989-08-10 長野研修道場


 これ、中道なり。依正不二なれば、人間はどうしても、時代や社会に束縛される側面がある。情報化社会であれば尚更だ。流行とは、その時代の“波しぶき”みたいなものだろう。


 その殆どは過ぎ去ってみれば、笑われる類いのものが多い。今時、「チョベリグ」と言う女の子はいないだろう。まして、「ナウい」とか、「俺、社長の代理」とか、「はっぱふみふみ」なんて言う人は一人もいないだろう。


 服装や髪型なんぞに至っては、流行の移り変わりが最も激しいものとわれるが、“一番新しい”はずだった形が、10年も経てば“古さの象徴”になったりするのだから恐ろしい(笑)。


 ま、私のように、機能的でシンプルなスタイル(紺のスーツに、短髪七三・3mmのバリカンで刈り上げ)が一番だ(笑)。


 子供がいる方であれば、携帯電話を持たせるタイミングに頭を悩ませることもあろう。子供は必ず、「皆が持っているんだから買って」と言う。3人ぐらいしか持ってなくても、こう言ってくる。私も身に覚えがある。あと、ゲーム機とかね。


 何でも子供のいいなりになる母親は鬼子母神である。子供の欲望に額(ぬか)づく姿勢が、子供を駄目にしてゆく。節度ある態度で子育てに臨まなければ、教育とはいえない。


 我慢することを覚えさせた方がいい場合もあるだろうし、何気なく放った言葉が子供のを傷つけてしまう場合もあるだろう。どうか、この指導を、しっかりと読み抜いた上で、賢明な判断をお願いしたい。

2005-12-18

鎌倉幕府の滅亡


 1192年に誕生した鎌倉幕府は、1333年に滅亡した。公家を倒し、武家による体制は、141年間をもって一旦、幕を閉じる。


 鎌倉幕府滅亡の原因は、二度にわたる蒙古襲来(元寇)にあった。


◎文永の役/文永11年(1274年)105〜20日

 元軍→船900隻 兵3万2000

 日本軍九州の武士を中とした1万人


◎弘安の役/弘安4年(1281年)615日〜閏71日

 元軍→船4400隻 兵14万人

 日本軍→博多に4万人、山口県に2万5000人、瀬戸内海地方から京都までで6万人程度【参照


 更に、三度目の襲来に備えたのはいうまでもない。


 この時、集められた武士の殆どは、準備のために借金をして馳せ参じた。武士は元々農民である。土地を奪われたり、不当な税を課せられることに対して立ち上がった人々を、源頼がまとめ上げたものだ。この時代、戦って勝てば報酬があるのが当たり前だった。ギブ・アンド・テイクであればこそ、武士は命懸けで戦った。


 ところが、蒙古との戦いは、戦果としての土地もなければ、奪い取った財産もない。このため、賞らしい賞は与えられなかった。更に、子孫が増えつつあったことによって、武士の財産は分散せざるを得なくなっていた。


 こうした中で幕府は、弘安7年(1284年)に幕府沽却(売却)の質地・所領の和与などに関する条規を制定。更に、永仁5年(1297年)には徳政令を打ち出した。借金をチャラにして、質草の土地を元に返すという強行手段。訴訟も受理しないという徹底したものだった。これじゃあ、武士に金を貸す人はいなくなっちまう。


 1333年522日、北条高時(31歳)以下の一門283人が東勝寺で自害し、火を放った。鎌倉では6000人が自害したという。この年の27日に日興上人が亡くなられている。


 文応元年(1260年)に大聖人は「立正安国論」をもって国主を諌暁した。「自他叛逼(じたほんぴつ)の二によって国が滅びるであろう!」と警鐘を鳴らした。それは、「此れ偏に国土のを報ぜんが為」(34頁)という私のない進言だった。国をえばこそ、「之を用いざれば定めて後悔有る可し」(35頁)と、為政者の責任を呼び覚まそうとされた。


 大聖人の諌言から73年後、鎌倉幕府は滅亡した。大聖人の諌言を用いていれば、鎌倉幕府は滅亡を避けることができたのだ。事実上、国が滅んだといっていいだろう。

2005-12-17

病院のお見舞いで注意すべき点

  • 訪ねる時間――午前中は、回診や検査があるので、午後2時から夕食前の5時ぐらいまでの間が望ましい。
  • 「短時間」、「少人数」を掛ける。
  • 「入院や手術の直後は控える」。「なるべく、子供は連れて行かない」。
  • 家族から聞いた患者さんの病状を、本人の前で無闇に話さない。プライバシーを厳守。
  • 見舞いに行った人同士のヒソヒソ話は、患者さんを不安にさせるので厳禁。
  • 「頑張れ!」、「早く、よくなって!」と一方的に言うだけでは、かえって傷をつける場合がある。安易な「頑張れ」は、患者さんを追い詰めることになってしまう。
  • 患者さんのしい胸の内を「聞いてあげる」ことが、何よりの励ましになる。
  • 癌の患者さんを抱える家族に対しては、「第2の患者」として接するべきだ、といわれている。

【「生老病死と人生」を語る/第4回 人間は「遺伝」で決まるか/聖教新聞 2005-12-17付】

2005-12-16

如説修行抄


 今に至るまで軍(いくさ)やむ事なし(502頁)


 本日、ニセ法主日顕が盗み取った猊座から退く予定。C作戦の発動から丸15年が経過。大聖人の血脈が何処(いずこ)に流れ通ったかは歴然。凋落(ちょうらく)の一途を辿る日顕一派と、隆々たる発展を遂げる学会を比較するのも、おこがましい。日顕は、余生を豪邸で静かに過ごすつもりであろうが、そうは問屋が卸さない。先生おわします東京に来るたあ、飛んで火に入る夏の虫だよ。東京の信と祈りによって、のた打ち回るような現が下ることは歴然。日顕が退座しようとも、日顕宗との戦いはやむことがない。闘争に次ぐ闘争こそ、学会の本領だ。

報道関係各位


日蓮正宗総本山新法主に早瀬日如能化が就任のお知らせ」


平成17年1216日


報道関係者各位

 日蓮正宗宗務院 渉外部

静岡県富士宮市上条2057

Tel544−58−2955


日蓮正宗総本山新法主に早瀬日如能化が就任のお知らせ


 このたび日蓮正宗総本山大石寺第67世阿部日顕法主(88)は、先に学頭に補任した早瀬日如能化(70)に血脈を相承され、1215日、法主の地位を退き、早瀬日如能化が第68世法主となりました。また同日、日蓮正宗宗務院において管長推戴会議が開かれ、早瀬日如法主が新管長に選定され、日蓮正宗の管長に就任いたしましたので、その旨お知らせします。


 早瀬日如(はやせ にちにょ)新法主略歴


 昭和10年(1935年)226日 東京都本所区(現墨田区)に生まれる

昭和33年 立正大学教学部宗学科卒


住職歴

       昭和38年 東京・妙国寺住職

       昭和47年 東京・大願寺住職

       平成4年 東京・法道院主管代務者

       平成5年 同主管


主な役職歴

       昭和40年6 日蓮正宗宗会議員

       昭和49年5 日蓮正宗全国布教師

       昭和57年82日 日蓮正宗庶務部長

       平成17年329日 日蓮正宗総監

       平成17年121日 学頭

以上

撰時抄


 欽明より当帝にいたるまで七百余年いまだきかずいまだ見ず南無妙法蓮華経と唱えよと他人をすすめ我と唱えたる智人なし、日出でぬれば星かくる賢王来れば愚王ほろぶ実経流布せば権経のとどまり智人・南無妙法蓮華経と唱えば愚人の此れに随はんこと影と身とと響とのごとくならん、日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし、これをもつてすいせよ漢土支にも一閻浮提の内にも肩をならぶる者は有るべからず(284頁)


 大聖人の御化導は、「立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」と言われる。その「立正安国論」の呈出(文応元年/1260年)から、ちょうど700年を経て、池田大作第三代会長が出現した(昭和35年/1960年)。


 そもそも、創価学会の出現によって、“ポスト葬式教(葬式教後)”ともいうべき、教史を画する民衆運動が興(おこ)ったのだ。それは、ゆくゆく、「末法における大乗教の興隆」とづけられるに違いない。


 この15年、“ポスト日顕宗日顕宗以降)”の時期を、学会は“世界宗教”へと飛躍する期間とすることができた。これひとえに、先生のリーダーシップによるものであり、先生の一に呼応した全学会員の闘争によるものであろう。


 太陽が昇れば、たちどころに星の光は見えなくなる。創価の太陽が燦然と輝く今、日顕宗は風前の灯火(ともしび)だ。三代会長という賢王の登場によって、日蓮正宗は滅亡の一途を辿る。


 日顕が退座し、早瀬日如に相承が行われた。これで、相承箱が別な場所から出て来たらどうなるか? ニセ法主による御本尊書写が発覚し、法華講員はニセ本尊を拝ませられていたことになる。日寛上人の御本尊を「ニセ本尊」と狂ったように喚(わめ)き散らしていた連中が、どんな顔になるのか見物(みもの)だ(笑)。こちらとしては、早瀬書写の御本尊でも一向に構わないよ。


 そうなれば、全法華講員は土下座をしながら、学会の門を叩くことだろう。殺到すること間違いなし(笑)。


 ざまあ見やがれってえんだ!

帰省に際して


 帰省する新入会のメンバーの激励をしっかりとお願いしたい。こういうところを見落とす幹部は二流である。


 入会した事実を親に告げてないメンバーもいることだろう。めでたい正を、不安の中で過ごさせるようなことがあってはならない。


 手法は二つ。一つは、「親に言えるか?」と問い、「しっかり言い切ってゆこう!」と励ます。もう一つは、「入会の宣言」云々という話はしないで、信の自覚を打ち込むことである。これは、相手によって異なる。それぞれの家族状況もあろう。一歩、間違えれば、退転者を出すことになりかねない。だからこそ、しっかりと一人ひとりのことをい浮かべながら、祈り切ってゆくことが大事。激励が“策”になれば、新入会のメンバーに単なるプレッシャーを与える結果となろう。


 既に入会から数年を経て、親が承知しているメンバーであっても、嫌ないをする場合もある。あらゆる状況を定しながら、を寄せつけないだけの祈りを捧げてゆくことが大事だ。


 家族が信してない場合、言うに言えない様々な労がある。祈り、祈られる関係がないということが、どれほど大変なことかを知らねばならない。家族に代わって、先輩が諸天善神となる必要がある。


 互いに油断を排して、絶対無事故の正を迎えて参りたい。

2005-12-14

地区座談会で御書講義


 本年、最後となる地区座談会。「妙一尼御前御返事」の御書講義を担当する。日顕退座の模様を交え、5分で終わるという離れ技をやってのけた(笑)。決められた時間を厳守するのも、一つの訓練。この5分のために、10日間以上の準備をしてきた。


 今から、我が地区の担当となった区幹部が挨拶。「来年はう存分、折伏ができます。私も個人折伏をしたいとってます」と。「私がやります」と言わないところがミソ(笑)。督戦隊は不要。


 転入してきた壮年を一人、連れ出す。聞けば、10年間、未活動だったとのこと。


 学生部も5が勢揃い。任用試験に合格したT君も元気一杯の姿。先学生部の幹部を集めて、“座談会軽視の姿勢”を厳しく問うたのは正解だった。

妙一尼について


小野不一


 2005年12拝読御書「妙一尼御前御返事」について。


 以下は私の見解。忌憚なきご見を求む。


「夫に先立たれ、病の子や女の子を抱えながら」と『大白蓮華』にあるが、これは誤りとわれる。同御書の「しかるに聖霊は或は病子あり或は女子あり・われすてて冥途にゆきなばかれたる朽木のやうなるとしより尼が一人とどまり此の子どもをいかにぐるしかるらんと・なげかれぬらんとおぼゆ」(同頁)との内容を鑑みると、「としより尼」に幼い子供がいるのは不自然である。文中の「聖霊」とは妙一尼の子のことで、「病子、女子」は孫を指しているとわれる。つまり、妙一尼が夫を亡くした→子の嫁も亡くなった→子も死亡→「かれたる朽木のやうなるとしより尼が一人とどまり」という経過ではないだろうか。


 詳細は、1253頁を参照されたし。


大勝利


 歴史の紐(ひも)を手繰(たぐ)るポイントが三つあるといます。


 1.妙一尼は文字が読めなかったかどうか。

 2.弁殿尼と妙一尼は同一人物なのか。

 3.弁殿尼は日昭の母なのは本当かどうか。


 最初に『大白蓮華』を擁護すると、妙一尼が“日昭の母”でなく、文字が読めない人との立場を取れば、このお手紙は妙一尼に“読み聞かせする人物”に仮して書かれており、対告衆は妙一尼だが文体は子または嫁となりましょうか。嫁から見れば「としより尼が一人」残されている事になります。ちなみに日昭の年齢(これまた問題だが)を55歳とするとその母は75歳ほどになってしまいましょうか。


 ここから先は小生の「勝手な歴史の像」を書きますので信用なさらぬようお願いします(笑)。小生は、弁殿尼と妙一尼は同一人物であり、しかも日昭の母親だとう。根拠は割愛します(笑)。


 では「おさなききんだち」とは誰か? ずばり「死亡した子や夫」ではなくて、実は小松原の法難で「殉教した工藤吉隆」の子。聖霊とは工藤吉隆の事。妙一尼は伊豆工藤家の家系であり、甲斐の工藤吉隆が亡くなり何らかの理由で子供をあずかった。この手紙は日昭に対して母の妙一尼に読み聞かせるように宛てたもの。子供達からみれば「としより尼が一人」しかいないとなり。殉教にたいして「尼が一人どどまり」となります。小松原の法難の関連を持つと、また違った趣の御書に読めてしまうから面白い。


市丸


 日頃、何気なく読んでいて、何の疑いもなかったのですが、急ブレーキです。


 妙一尼に対する大聖人様の表現は、確かに「おばあちゃん」と言った方が当たっている気がします。私は妙一尼が文盲と解釈していましたので、大聖人様から頂いたお手紙を、誰かに読んでもらって、暗記して、生きていく上での唯一の支えにしていた、と解釈していました。しかし妙一尼が、「母親」でなく「おばあちゃん」であったら、この御文の味は、もっと深刻になってきますよね。年老いた後家さんが、年端も行かぬ孫を抱えて、たった一人でどうしていくのか。「冬は必ず春となる」とのこれでもかの激励、そう解釈すると、ずっとドラマチックですよね。もっと深く読み込む必要をじました。


小野不一


 こいつあ、凄い(笑)。ダイナミックな展開になってきましたね。


 整理すると次のようになります――


 人に父母あり一人もかけば子等そだちがたし、其の上過去の聖霊は或は病子あり或は女子あり、とどめをく母もかいがいしからず(1252頁)


→子供の母親は存在するが、健康とはいえない状態。


 譬えば一人にして七子有り是の七子の中に一子病に遇えり、父母の平等ならざるには非ず、然れども病子に於ては則ち偏に重きが如し(1252頁)


→病気の子を残して亡くなる無を例えたものと拝察される。


 しかるに聖霊は或は病子あり或は女子ありわれすてて冥途にゆきなばかれたる朽木のやうなるとしより尼が一人とどまり此の子どもをいかにぐるしかるらんとなげかれぬらんとおぼゆ(1253頁)


→故人には、病気の子と女の子がいる。残されたのは、年寄りの尼一人。


 そして、「きんだち」(1254頁)=公達の味は、大字泉によれば以下の通り。


《「きみたち」の音変化》

 1.親王・諸王など、皇族の人々。

 2.摂関家清華家(せいがけ)などの子弟・子女。

 3.(代詞的に用いて)あなたさま方。また、あなたさま。


 大勝利さんの推測は外と的を射ているのかも知れません。工藤吉隆主とされているので。


小野不一


 小松原の法難の際、工藤夫人は懐妊していたと伝えられます。すると、建治元年には満10歳、数えで11歳ですから、「幼い」という表現は当てはまりますね。


小野不一


妙一尼は文字が読めなかったか、どうか?」について――


 まず、没収されるような所領を持っていた人物の妻であることを踏まえると、どうなんでしょう?


 次に、以下の御文――


 女人の身として度度此くの如く法門を尋ねさせ給う事は偏に只事にあらず、教主釈尊御身に入り替らせ給うにや竜女が跡を継ぎ給うか又・曇弥女の二度来れるか、知らず御身は忽に五障の雲晴れて寂光の覚を詠め給うべし(1262頁)


 を踏まえると、文字が読めなかったようにはえません。


 1255頁の「妙一女御返事」も、長文の上、しい内容となってます。


卞氏


 ええと、そうすると文字が読めないというのは、眼が少し不自由とかそういう味が、どこかで転じてしまった可能があるということでしょうか?


 座談会御書の背景と大・語彙の説明などについては、どうも「焼き直し」も使っているように見えるので、小野さんご指摘の間違いの類が、見直されずに残ったままになっているケースがあるといます。


小野不一


「年寄り」=「おばあちゃん」といっても、現代と比較するのはどうでしょうね?


 以下、大辞泉より――


 1.年をとった人。高齢の人。老人。

 2.武家時代、政務に参与した重臣。室町幕府の評定衆・引付衆、江戸幕府の老中、大家の家老など。

 3.江戸幕府の、大奥の取り締まりをつかさどった女中の重職。

 4.江戸時代、町村の行政にあたった指導的立場の人。

 5.大相撲の関取以上の力士で、引退して年寄跡を襲・継承した者。日本相撲協会の運営や各部屋の力士養成に当たる。


 この頃は何歳で元服したんでしょうね?


 北条時宗は7歳。

 http://www.nakamura-an.com/hojo_tokimune.htm


 源義家は13歳

 http://www.nurs.or.jp/~satomi04/child/child03.htm


「元服の年齢は古来から一定ではなく12歳前後で元服するパターンが多かった」という記事もあった。


 大聖人が、12歳で清澄寺に入られ、16歳で出家したことを踏まえると、この辺りの年齢か。


 すると、男が10代半ばで一人前として扱われるとなれば、40代、あるいは30代後半の女が「年寄り」と呼ばれる可能もなきにしもあらず。


大勝利


妙一尼は文字が読めなかったか、どうか?」について――


 これは、弁殿尼と妙一尼が同一人物であるとの前提が必要になります。


 辧殿尼御前御書(真筆)に


 尼ごぜんの一文不通の小にいままでしりぞかせ給わぬ事申すばかりなし(1224頁)


 この一文不通が最大の根拠となるでしょう。


 辧殿尼御前御書には「与日昭母妙一」とありますが、ここは本文ではないといますが、しかし、弁殿尼が日昭の母でないとすると、日昭は妻帯していたことになってしまいます。あり得るかも知れませんが(笑)。


 長文の上、しい内容なのは、日昭に「尼御前に申させ給へ」と、妙一尼に対して解説させる前提での手紙だから。また同時に、日昭に対しても指導しているのかも知れません。このような関係からも、小生には「妙一尼、弁殿尼」はやはり日昭の母とするのが一番しっくり来るような気がするのです。


小野不一


 確かに当時の門下の数を考慮すると、大聖人が、二人の女信徒に対して、「妙一」という同じ前をつけることは考えにくいですね。


大勝利


 弁殿尼と妙一尼の同一説の最大の根拠は、どちらも佐渡に下人を給仕係として送っていて時期が重なる事と、それともうひとつ、「僧侶が妻帯するはずがない」というい込みから……ともいえる。


 大黒、梵哭と呼ばれる女達の存在は鎌倉以前よりあったでしょうから……。妙一尼は母、弁殿尼は内妻と言う関係もあり得る。同世帯から下人を使わせたのであれば、御礼を別々に母と妻に認ためても不自然ではないとわれます。それと日昭は「ひらがな」を嫌っていたとの説もあるようなので、「一文不通」とは漢文を読めない事を言っているのかも……。


小野不一


「一文不通」を調べました。文字が読めないという味と、経文・論釈の一文をも知らないという味があるようです。


 大聖人のお人柄をしのぶと、文字を読めない人に対して、「無学文盲」みたいな蔑んだ言い回しは不自然です。きっと、後者の味でしょう。


 また、日昭の妻帯に関して。僧侶の妻帯が一般的になったのは明治以降ということや、遺誡置文の「先師の如く予が化儀も聖僧為る可し、但し時の貫首或は習学の仁に於ては設い一旦のヨウ犯有りと雖も衆徒に差置く可き事」(1619頁)を踏まえると、あり得ないようにいます。


小野不一


工藤吉隆わせる内容

 しかるに阿闍世王は摩竭提国の主なり我が大檀那たりし頻婆舎羅王をころし我がてきとなりしかば(1253頁)

→阿闍世王は、東条景信のこととも読める。


 かののかたがたには又は日蓮が事にかからせ給いけん(1253頁)

→小原で殉教したため、大聖人のことを案じているであろう、とも読める。


 いままでだにもながらえ給いたりしかば(1253頁)

小松原の法難を逃れ、「生き長らえた」とも読める。


工藤吉隆えない箇所

 日蓮がゆりて候いし時いかに悦ばせ給はん(1253頁)

→文永元年に亡くなっている工藤吉隆が、佐渡流罪を知るわけがない。


 故聖霊は法華経に命をすててをはしき、わづかの身命をささえしところを法華経のゆへにめされしは命をすつるにあらずや(1253頁)

→所領を没収されたことをもって、「命をすてて」とされている。殉教した工藤吉隆と符号しない。


大勝利


 所領を没収されたことをもって、「命をすてて」とされている。


 やはり、そこを突っ込まれましたか……。工藤吉隆説の最大の関。(笑)


工藤吉隆は小原の時に命を捨てたのではない。それ以前に既に法華経の故に命を捨てていたのだ」


 相当しい解釈です。(笑)


小野不一


 5対4で、小野説リード(笑)。


 こんなテキストもありましたよ。


 妙一尼というお方は昔から三説ありまして、一には、日昭聖人の姉で日朗聖人の母妙一女と同人という説と、二には、富木常忍の娘を乙御前とし、妙一女と考え、尼は工藤祐経の娘で印東祐照の妻、日昭聖人の母という説、三には、日昭聖人の母、乙御前、という説がありますが、詳伝は不明となっております。

 http://www.hokkeshu.com/nitiren_goroku/113_2.htm


 魯の人も書いてたんですね。


小野不一


 一文不通→やっぱり、訂正を(笑)。文字が読めなかった可能も否定できません。


「魯の人コラム」にこんな一文がありました。


 当時、武士階級でも文字を読める人は非常に少なく、かの南条時光でさえ、ひらがなの読み書きがやっとだったようです。


大勝利


 さすが魯の人ですね。先に弁殿尼が日昭の母でない根拠を挙げ、弁殿尼と妙一尼が同一であるとしています。よって、妙一尼日昭とは、読み聞かせする関係ではあるが僧侶と信徒の関係までという事ですね。確かに一番自然で、確率的高いようにいます。妙一尼日昭の母でないと、工藤吉隆の子を預かる理由はなくなりこの「工藤吉隆説」は崩れます。どうも小生は、ドラマチックに読み過ぎかも知れないですね……(笑)。


「文字が読めない人に出す手紙」となると、そもそもが、ややこしいですね(笑)。


 道妙禅門御書にも、道妙禅門へ妙一尼に「見せてあげて下さい。」との一文があります。


 妙一尼御前当山参詣有りく候、巻物一巻之を進らせ候披見有るべく候(1242頁)


 こういった文言をわざわざ付けるところが、やはり文字を読めなかったのでないかとうのですが……。魯の人は道妙禅門については書いてないでしょうか?


小野不一


 魯の人によれば、以下の通り――


◎辧殿(弁殿)尼と妙一尼は同一人物

→弁殿尼は存在しない。

(「辧殿尼御前に申させ給へ」(1224頁)→「辧殿、尼御前に申させ給へ」)

→尼御前が弁殿(=日昭)の母であれば、「弁殿母尼御前」になるはず。

→よって、妙一尼日昭の母親ではない。


fやん


「妙密上人御消」で、


 上大聖より下蚊虻に至るまで命を財とせざるはなし(1237頁)


 ってのがありますが、この蚊虻ってのが文盲の当て字だって話を聞いたことがありますな。下万民はほとんど文盲だったってこってすな。


市丸


 文字を読めない人に出す手紙には、どれだけのいがこもっているのか。ここに私は大聖人様の慈悲を読み取りたいとっています。「冬は必ず春となる」との言葉の、簡潔かつ的確さ。それゆえ、700年の後の私たちもが、この一文にを揺さぶられるのだといます。


小野不一


 エー、それでは、わたくし、今晩、講義をしますので、妙一尼はオバアサンと断定したい(笑)。


 既に紹介した御文だが、「しかるに聖霊は或は病子あり或は女子あり・われすてて冥途にゆきなばかれたる朽木のやうなるとしより尼が一人とどまり此の子どもをいかにぐるしかるらんと・なげかれぬらんとおぼゆ」(同頁)と。


 亡くなった方の立場から、「としより尼」と言われていることに注目したい。それ以前から「尼」だったとみるのが自然。


小野不一


「をさなききんだち(幼い子供たち)」(1254頁)ですが、公達(きんだち)とは「上層部の者」(『服装の歴史』高田倭男/中央公論社)とありました。ひょっとすると、妙一尼は、身分の高い人物の子供を預かっていた可能も否めません。


【「創価仏法研鑚掲示板」のログより】

2005-12-11

弥源太殿御返事


 又御祈祷のために御太刀同く刀あはせて二つ送り給はて候、此の太刀はしかるべきかぢ(鍛冶)・作り候かと覚へ候、あまくに(天国)或は鬼き(切)り或はやつるぎ(八剣)・異には・かむしやうばくや(干将莫耶)が剣に争(いかで)でか・ことなるべきや・此れを法華経にまいらせ給う、殿の御もちの時は悪の刀・今前へまいりぬれば善の刀なるべし、譬えば鬼の道をおこしたらんが如し、あら不議や不議や、後生には此の刀を・つえとたのみ給うべし、法華経は三世の諸のつえにて候ぞかし、但し日蓮をつえはしらともたのみ給うべし、けはしき山あしき道つえをつきぬればたをれず、殊に手をひかれぬればまろぶ事なし、南無妙法蓮華経は死出の山にてはつえはしらとなり給へ、釈迦多宝上行等の四菩薩は手を取り給うべし日蓮さきに立ち候はば御迎にまいり候事もやあらんずらん、又さきに行かせ給はば日蓮必ず閻法王にも委く申すべく候、此の事少しもそら事あるべからず、日蓮法華経の文の如くならば通塞の案内者なり、只一に信おはして霊山を期し給へ、ぜにと云うものは用(ゆう)にしたがつて変ずるなり、法華経も亦復是くの如し、やみには燈となり渡りには舟となり或は水ともなり或は火ともなり給うなり、若し然らば法華経現世安穏後生善処の御経なり。(1226頁)


 別「善悪二刀御書」。北条弥源太が大病を患(わずら)い、病気平癒のために、刀を二口(ふたふり)御供養したものと像される。この刀は“宗近の刀”として伝えられ、現存している――と『新版 哲学大辞典』にあったが、既に盗まれたようだ


“祈祷を依頼する”のは当時の風習だったのであろうか? それにしても、届けられた刀をご覧になるや否や、「しかるべきかぢ(鍛冶)・作り候か」と見抜く大聖人の眼恐ろし。


 刀は人を斬る道具。されば、「殿の御もちの時は悪の刀」となる。しかし、供養された刀は「今前へまいりぬれば善の刀なるべし」と。人生にあって、倒れそうになるほどのに遭遇したとしても、この刀が杖になって、あなたを支えるであろうと断言され、刀に託された信を愛(め)でられている。


 此の信の字元品の無明を切る利剣なり其の故は信は無疑曰信とて疑惑を断破する利剣なり(725頁)


「疑惑を断破」してこそ、本物の「信」。果たして、我々の勤行・唱題の姿勢はどうか? 曖昧で中途半端な一は「疑惑」を深める結果となりかねない。


「ぜにと云うものは用(ゆう)にしたがつて変ずるなり」と。お金は使い道によって様々に変化する。しかしながら、その用途は殆どが“自分のため”である。これ、お金の六道輪廻(笑)。買い物をしたがために、かえって欲望に火がつく場合だって珍しくない。「悪の刀」となることもある。


 純粋なる供養の精神は、信の表れだ。死出の旅路にあっては、ジェット機に乗って、次の予定地へ向かうことができるに違いない。志の低い人は(笑)、鈍行バスに乗せられるかも?


 供養は金額ではなく志で決まる。義務がわずかでもあれば、それは単なる寄付と化すことを銘記したい。

組織に「環境アセスメント」を導入せよ


「環境アセスメント」をご存じだろうか? 中身はよくわからなくても、多くの方がにしたことはあるだろう。英語だと「Environmental Impact Assessment」。Environmental=環境の・周囲の、Impact=影響・反響・効果、Assessment=評価・査定という味で、日本語訳だと「環境影響評価」となる。


 高速道路やダムの建設など、環境に著しい影響を及ぼすおそれのある事を実施しようとする際に、事前に環境への影響を調査、予測、評価して、その結果を公表し、地域住民などの見を取り入れながら、環境配慮を行う手続きを環境アセスメントと呼ぶ。


環境goo


 環境への配慮を怠って、開発に次ぐ開発を実施した結果、山は丸裸となり、海はヘドロだらけとなった。挙げ句の果てには、人間を奇形させ、死へと追いやった。こうした反省から生まれたのが、環境アセスメントである。


 これを、組織に導入することを提案したい。


「大きな打ち出し」を落とす際、各地区に与える影響をを調査、予測する。その上で、地区幹部・ブロック幹部の見を取り入れながら、各地区への配慮を怠らない。


 地区には格差がある。世帯数、活動家数、幹部数、平均年齢、転入・転出の頻度、地価=家賃、集合住宅のあるなし、一人暮らしが多い少ない、通勤時間、などなど。


 そもそも、これを一杷(いっぱ)ひとからげに評価しようとするところに無理がある。


 成果を出しても、実際に人が育ってない組織も多い。「人材育成とは、こうやって行うのだ」と手本を示す幹部が殆どいない現状だ。創立80周年に向かって出発した今、幹部一人につき“3人の人材育成”に取り組もう。そのリズムが完璧に出来上がれば、毎年、組織は倍加する。


 御聖訓に云く、「ただこそ大切なれ」(1192頁)と。「この打ち出しが、地区に伝わったら、どう受け止められるか? 皆のやる気を引き出すためには、どうすればいいか?」――その配慮が、地区への追い風となる。事務屋は要らないよ(笑)。

2005-12-10

ペスタロッチとナポレオン


 さて、ペスタロッチとナポレオンは、直接会ったことがあるかどうか――これは大変に興味深いところである。

 当時、政府の首席執政官として、皇帝への道を旭日(きょくじつ)の勢いでまっしぐらに上り詰めようとしていたナポレオン。彼は1802年、パリである会議を招集する。そして実は、この会議にペスタロッチも出席していた。

しかし彼は、その会議が自らの提唱する教育改革に少しも役立たないと見極めるや、パッと引き上げてしまう。

 ペスタロッチの学園で働く若き教員たちは、彼の帰りを待ち構えて質問する。

「『ボナパルトに会いましたか』『いや』とペスタロッチは答えた。『ボナパルトも私には会えなかった』」(長田新『ペスタロッチーの生涯と』、長田新編『ペスタロッチー全集 1』所収、平凡社)。つまり、ナポレオンの方こそ、ペスタロッチに会えなかった、というのだ。

 時にナポレオン、33歳。ペスタロッチ、56歳。いうまでもなくナポレオンは当時、比類ない英雄ととして威勢を誇っていた。

 一方、ペスタロッチは何の権力もない。貧しい一介の教育者である。風采はさっぱりあがらない。外見だけ見れば、しわだらけの一人の老人に過ぎなかった。

 しかし、ペスタロッチの胸中には“ナポレオン、何ものぞ”との気概が漲(みなぎ)っていた。“民衆の幸福のために自分は戦っている”という自負があり、プライドがあった。

 また彼は、「王国は滅亡し、国家は消滅しますが、人間は不変であり、その法則は永劫です」(長田新編『ペスタロッチー全集 11』所収、大槻正一訳「わが時代およびわが祖国の純真者に訴う」)と達観していた。

 そして、その最も重要な人間の陶冶(とうや)を図る「教育」こそが、ペスタロッチの仕事だったのである。

 ――私はナポレオンに会うために会議に行ったのではない。ナポレオンの方こそ私に会えなかったのだ。権力者が何だ。民衆を支配し、利用せんとする権力者などに、わざわざ頭を下げる必要はない。それより、一人でも多く、未来に富んだ青年たちと会い、希望と確信を贈る方がはるかに素晴らしい。私は“人間をつくる”教育者だ――。ペスタロッチは、そう叫んでやまなかったにちがいない。

 諸君もまた、“私は妙法の信仰者だ”“広宣流布の先駆者だ”と、いつも強い決と大いなる誇りをもって生き抜いていただきたい。

 あらゆる権威やに対して、“なにものぞ”という気概を失ったならば、もはやそれは青年ではない。信仰者とはいえない。


【創立60周年開幕記 学生部夏季講習会 1989-08-02 総本山・常来坊】


「気概」という言葉を、これほど雄弁に物語るエピソードもない。


 傲慢と卑屈は必ずセットになっている。威張っている人を見よ。必ず、上の人間にはペコペコしているから(笑)。


 おごれる者は必ず強敵に値(おう)ておそるる出来するなり例せば修羅のおごり帝釈にせめられて無熱池(むねっち)の蓮の中に小身と成て隠れしが如し(957頁)


 畜生界に自己主張を加えれば、修羅の出来上がり。


 人生は、いかなる終幕を迎えるかで決まる。マラソンの如し。途中の順位で一喜一憂するのは愚かだ。そんなことでは、目指すべきゴールすら見失ってしまうに違いない。


 若き日、私は日記にこう記した。


 ナポレオンは戦勝した。次に、大敗、又戦勝。最後は、敗戦の英雄であった。

 ペスタロッチは、50年の人生の戦いは、完敗の如くであった。而し、最後は、遂に勝利の大教育者として飾った。

 今、自分は、どのように戦い、どのように終幕を飾るかが重大問題だ。


『続 若き日の読書』(第三文明)1993-11-18発行】




 刊『潮』にて、「池田大作の軌跡」と、秋谷会長の「21世紀の『社会と宗教』を語る」の連載が始まる。いずれも、必修科目と得られたし。呼吸を合わせる味で、明日以降、「創価スピリット」でも特集を開始する。

2005-12-09

ブロック唱題会


 昨夜の唱題会は拠点のおばあちゃんと二人っきりで行った。30分間の唱題をしてから、二人で御書を2ページほど読み、終了。


「あのさ、ちょっと物騒なこと訊くけど、○○さんに万一のことがあったら、誰に連絡すりゃ、いいの?」。おばあちゃんは独り身だった。


「えーとね、姪(めい)っ子に連絡してよ。○○町に住んでるからさ」

「その人、信してんの?」

「してないけど、その子に連絡すれば、他にも伝わるから」

「ああ、そう。じゃあ、住所と電話番号を教えてよ」

「ちょっと、待ってね……」

「で、何て前なの?」

前? エート、前、何だったっけ? やだね、前を忘れちゃったよ(笑)」

「それじゃあ、電話しても、『お宅は、どちら様ですか?』って訊く羽目になっちまうよ(笑)」

前――何だったっけなー(笑)」


 それから、数件、家庭訪問をしてから帰宅すると、留守番電話に「前」が録音されていた(笑)。

慈悲の一念は敵をも見方に


 戸田先生はよく言われていた。「の世界は、慈悲深いで接すれば、いくらでも変化するということを忘れてはならない。

 ともかく、から礼儀正しく、から粘り強さをもって接していくことが大切である。ここに指導者の本当の姿がある」と。まことにその通りだとう。

「確信」と「誠」と「真実」を込めた対話は、必ずや相手のを揺さぶり動かさずにはおかない。

 人間のは複雑である。初めは反発があるかもしれない。表面的には色々な姿を示す場合もある。しかし、「真」の対話は、相手のに「何か」を与え、「何か」を植えつけているものだ。それはいわば、病んだ人に良薬を注射したようなものであり、やがて時とともに「悪」のを癒し、「理解」と「共鳴」の花を咲かせてゆく。“敵”さえも“味方”にしていくことができる。これが信の力であり、妙法の力なのである。

 ご存じのように、学会のこれまでの活動も、波が絶え間なく巌に打ち寄せては砕いていくような、「忍耐」と「確信」と「誠実」の「対話」の連続であった。この粘り強い努力によって、勝利の水かさは増し、今日の大発展の広宣の世界を築くことができた。その皆さま方の功績は、永遠に胸中より消え去ることはない。


【第19回本部幹部会 1989-07-14 世田谷区・東京池田記講堂】


 やられたら、やり返せ――このが憎悪の連鎖を育み、戦争に至る。他人と争い、相手よりも勝(まさ)ろうとする境涯は修羅界である。自分の弱さを真摯に見つめ、我が境涯の殻(から)を打ち破ってゆけば、「自分自身に生きる」人といえよう。


 人間関係は、情に支配される世界である。ちょっとした勘違いや誤解が、とんでもない亀裂となることも決して珍しくない。誰しも、そんな経験があることだろう。


 15年ほど前に、ある先輩がこんな話をしていた。


「俺はさ、会社じゃ平和主義じゃないんだよね(笑)。嫌いなヤツとは口も利(き)かないんだ。でも、この間、面白いことがあったんだよ。あることで喧嘩になって、もう、かれこれ2年以上も口を利かなくなった後輩がいたんだよ。それ以前は仲よしだったんだけどね。もうね、会社じゃ、目も合わせなかったなあ。で、昨日のことなんだけど、その後輩と廊下で擦れ違うなり、会議室に引っ張り込まれたんだ。で、ある企画の件で、俺に見を求めてきたんだよ。ハッキリ言ってさ、『そんなの、どうでもいいや』ってったんだけど、『オオ、いいねえ、凄いよ!』と言ってしまったんだよ。すると、その一言で後輩はがらっと変わったんだよ。それ以降は、昔みたいに、また仲よくなったんだよね。いやあ、適当に言った一言だったんだけど、やっぱり、言葉って大事だよなあ」


 あまりいい例じゃなかったね(笑)。ま、こういうことも、あるってことで。


 いは、必ず言葉や振る舞いとなって表れる。以ってえのあ、禅宗は一切衆生を救うために出現した。その軍勢に加わっているのであれば、秀(ひい)でたコミュニケーション能力が求められよう。


 鳴門教育大学三宮真知子教授によれば、「自分が相手に誤解された」ということは比較的「気がつきやすい」のだが、「自分が相手を誤解した」ということには「気がつきにくい」という(聖教新聞 2005-12-04付)。


 誤解の内容には、1.聞き違い、2.指示語や省略語の取り違い、3.味の取り違い、4.発話図の取り違い、などに分けることができる。


「あの仕事は、もうやらなくていい」という場合の、「あの仕事」の中身を取り違えるのが、2に該当。4は、「どういうつもりで言ったのか」についての誤解。「ちょっと寒くないですか?」という言い方は、状況によっては、「暖房をつけて欲しい」、「窓を閉めて欲しい」といった“要求”と受け止められてしまう。


 三宮氏は、「誤解を避けるには、曖昧(あいまい)な言い方をせず、相手の立場から捉え直す」ことが大切であるとし、「わかりやすく、じよく伝える」のが大きなポイントであると指摘している。


 いずれにせよ、“策”であっては相手のに届かない。まず、相手に好を寄せることが大事だとう。つまり、「相手を好きになる努力」が求められるのだ。どうしても好きになれない人も、中にはいるだろう。だが、そこを避けて通れば、自分の成長はない。後々、必ず同じタイプの人と巡り合うことになる(笑)。慈悲が湧き立つほどの唱題に徹しよう。

2005-12-08

妙一尼御前御返事


 法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を、経文には「若有聞法者無一不成」ととかれて候。(1253頁)


2005年12座談会拝読御書】


背景

  • 建治元年(1278年)5 54歳御作
    • 真蹟に年号は記されてないが、花押の文字の特徴や内容(「文永の役」の記述)から、建治元年と推測されている。
    • とすると、佐渡流罪の赦免後、身延に入られてから、ちょうど1年後。
  • 真蹟:中山法華経
  • 妙一尼に関する詳細は不明。複数いるという説もあり。
  • 妙一尼が大聖人に衣を供養したことに対する御礼の手紙。
  • 妙一尼は、佐渡に続いて、身延へも下人(滝王丸/1225頁)を遣(つか)わしている。(『日蓮大聖人御書講義』第25巻、358ページの「たきわう」の解説は誤りとわれる)
    • 「尼」となっていることから、夫を亡くしたことは明らか。
    • 「夫に先立たれ、病の子や女の子を抱えながら」と『大白蓮華』にあるが、これに異論を唱えておこう。同御書の「しかるに聖霊は或は病子あり或は女子あり・われすてて冥途にゆきなばかれたる朽木のやうなるとしより尼が一人とどまり此の子どもをいかにぐるしかるらんと・なげかれぬらんとおぼゆ」(同頁)との内容を鑑みると、「としより尼」に「をさなききんだち(幼い子供たち)」(1254頁)がいるのは不自然である。文中の「聖霊」とは妙一尼の子のことで、「病子、女子」は孫を指しているとわれる。つまり、妙一尼が夫を亡くした→嫁も健康ではない→子が死亡→「かれたる朽木のやうなるとしより尼が一人とどまり」という経過ではないだろうか。→【※「妙一尼」のページを参照されたい】
    • 「故聖霊は法華経に命をすててをはしき、わづかの身命をささえしところを法華経のゆへにめされしは命をすつるにあらずや」(1253頁)と書かれていることから、故人が所領を没収されても尚、信を貫き通したことがわかる。雪山童子や薬王菩薩に連なる功徳があると、大聖人は称賛されている。

【若有聞法者無一不成法華経方便品第二の文。「若し法を聞くことあらば 一(ひとり)として成せざること無けん」と読む。法華経を聞いた人は、一人も漏れることなく成するということ。


 我々が勤行の際に読んでいるのは、方便品第二の冒頭から諸法実相まで。それ以降の流れを要約すると以下の通り――


→諸法実相という未曽有の法を聞いたが、智は甚深にして測りい。

→舎利弗が皆を代表して質問。

釈尊がこれを斥(しりぞ)ける。

→舎利弗は求道の塊(かたまり)と化して、三度にわたって懇願。


「舎利弗、重ねてに白(もう)して言(もう)さく、世尊、唯願わくは之を説きたまえ。唯願わくは之れを説きたまえ」


→五千上慢の四衆が退場。

の一大事因縁が四知見(開示悟入)であることを明かす。

→開三顕一を宣言。

→「若有聞法者無一不成」となる。




 幾十万の“創価の母”が、胸に抱きしめてきた御文。宿命の嵐が吹きすさぶ中で、この御文にしがみつき、見事に「勝利の春」を手繰り寄せて、静かに微笑む“創価の母”――学会は、こうした無の婦人によって発展を遂げてきた。この御聖訓を学ぶに際して、改めて、学会婦人部に謝を捧げたい。


 妙一尼が衣を供養したことに対する御返事→全広布部員に与えられた御聖訓と拝する。


(前段の部分)大聖人が流罪されたといっては嘆き、許されたといっては喜び、更に、予言が的中したといっては喜ぶ→「これは凡夫のなり」(1253頁)


 しかしながら、その元は、家族(夫、あるいは子)か近親者を亡くした妙一尼への限りない激励だと拝察される。「冬」とは酷烈な環境を示したもので、透徹した信さえあれば、必ず「春」となることを断言されている。そうであるならば、「冬」の如く厳しい信の姿勢が求められよう。


 人として生を享(う)けた以上、生老病死は避けられない。とは知りながらも、病気や死を目前にすると、慌(あわ)てふためくのが凡夫の常。だが、人生の最大事は、宿命転換(成)できるかどうかにある。それが、かなわなければ、どんなに長生きしたところで無為であろう。


 我々が住む「此の娑婆世界は得道の国」(415頁)とされる。は、生まれる前から機能しだし、死ぬ瞬間まで働くとされる。目も口も閉じることができる。だが、は常に世界に向かって開かれている。


 若は取若は捨に経て縁と成り或は順或は違終に斯れに因つて脱すと(399頁)


 縁は「法を聞く」ことによる。人生の幸不幸は、「何を聞き」、「何を聞かせたか」で決まる。


「常懐悲(じょうえひかん) 遂醒悟(しんずいしょうご)」


 我々は、今度の座談会で、「冬は必ず春となる」と聞いた。だから、必ず成できるのだ!――と信を立ててこそ、如是我聞の人といえよう。冬に耐えて、初めて見えてくるものがある。冬の厳しさを知る人ほど、春の到来に喜びと謝を覚える。


 これに対して、


 過去現在の末法法華経の行者を軽賎する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず(1190頁)


 となることを銘記したい。


 冬本番の季節となった。「冬のごとし」ではあるが、風邪をひかぬように(笑)。


関連御書


 伝教大師は日本顕密の元祖秀句に云く「他宗所依の経は一分母の義有りと雖(いえど)も然も但愛のみ有つて厳の義を闕(か)く、天台法華宗は厳愛の義を具す一切の賢聖学無学及び菩薩を発せる者の父なり」等云云(215頁)


 我並びに我が弟子諸ありとも疑うなくば自然に界にいたるべし(234頁)


  序品七箇の大事

 第一如是我聞の事  文句の一に云く如是とは所聞の法体を挙ぐ我聞とは能持の人なり記の一に云く故に始と末と一経を所聞の体と為す。

 御義口伝に云く所聞の聞は字即なり法体とは南無妙法蓮華経なり能持とは能の字之をう可し、次に記の一の故始末一経の釈は始とは序品なり末とは普賢品なり法体とはと云う事なり法とは諸法なり諸法のと云う事なり諸法のとは妙法蓮華経なり、伝教云く法華経を讃(ほ)むると雖(いえど)も還(かえ)つて法華のを死(ころ)すと、死の字にを留めて之を案ず可し不信の人は如是我聞の聞には非ず法華経の行者は如是の体を聞く人と云う可きなり、爰(ここ)を以て文句の一に云く「如是とは信順の辞なり信は則ち所聞の理会し順は則ち師資の道成ず」と、所詮日蓮等の類いを以て如是我聞の者と云う可きなり云云。(709頁)


 彼の千人の阿羅漢の事をひいでて涙をながし、ながしながら文殊師利菩薩は妙法蓮華経と唱へさせ給へば、千人の阿羅漢の中の阿難尊者は・なきながら如是我聞と答え給う、余の九百九十人はなくなみだを硯(すずり)の水として、又如是我聞の上に妙法蓮華経とかきつけしなり、今日蓮もかくの如し、かかる身となるも妙法蓮華経の五字七字を弘むる故なり、釈迦・多宝・未来・日本国の一切衆生のために・とどめをき給ふ処の妙法蓮華経なりと、かくの如く我も聞きし故ぞかし、現在の大いつづくるにもなみだ、未来の成うて喜ぶにもなみだせきあへず、鳥と虫とはなけどもなみだをちず、日蓮は・なかねども・なみだひまなし、此のなみだ世間の事には非ず但偏に法華経の故なり、若しからば甘露のなみだとも云つべし、涅槃経には父母・兄弟・妻子・眷属にはかれて流すところの涙は四大海の水よりもををしといへども、法のためには一滴をも・こぼさずと見えたり、法華経の行者となる事は過去の宿習なり、同じ草木なれどもとつくらるるは宿縁なるべし、なりとも権となるは又宿なるべし。(1360頁)

2005-12-07

十如是問答 その三


【→十如是問答 その二


小野不一


 以下、御義口伝――


 第二諸甚深無量其智門の事(714頁)


 文句の三に云く(中略)、甚深無量とは即ち称歎の辞なりの実智の竪に如理の底に徹することを明す故に甚深と言う、横に法界の辺を窮む故に無量と言う無量甚深にして竪に高く横に広し、譬えば根深ければ則ち条茂く源遠ければ則ち流長きが如し(同頁)


 御義口伝に云く此の本末の分明なり、中に竪に高く横に広しとは竪は本門なり横は迹門なり、根とは草木なり草木は上へ登る此れは迹門のなり、源とは本門なり源は水なり水は下へくだる此れは本門のなり、条茂とは迹門十四品なり流長とは本門十四品なり智とは一の三智なり門とは此の智に入る処

の能入の門なり三智の体とは南無妙法蓮華経なり門とは信の事なり、爰を以て 第二の巻に以信得入と云う入と門とは之れ同じきなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るを智とは云うなり(715頁)


 竪=本門、横=迹門 との御指南。事理の一念三千の所以(ゆえん)か。


小野不一


 次に紹介するのは、『法華経 方便品・寿量品講義(1)』より――


 諸法のありのままの「実相」を究めるというのは、ただ物事の表面だけを見るのではない。こうした生命の広がり、奥行きをあますことなく捉えきるということです。人間だけに限りません。路傍に咲く一輪の花にも、美しき相があり、質があり、その体がある。また、力・作・因・縁・果・報の、どれ一つも欠けることがない。そして全体として、花という生命を織りなして一貫している。

 更に、無生物も同様です。

 小さな石ころも、大空も、も、星も、太陽も、潮の香りを運んでくれる海も、峨々(がが)たる山々も、喧騒の街を見下ろす都会のビル群も、家や車や一つ一つの調度も――。ありとあらゆる存在が、十如是という様式で存在しているのです。

 これがの究めた諸法実相の智です。すなわち、「諸法」を見れば、はその「実相」がわかる。人々の姿を見れば、その人の境涯がわかり、本来、であることがわかる。自然を見れば、その尊い輝きをじ取ることができる。また、社会の現象を見れば、その味を鋭く見抜くことができるのです。

 このように、あらゆる事物の本質を見極めるのが諸法実相の智といってよいでしょう。(168p)


小野不一


 答えを発見!(笑)


法華経 方便品・寿量品講義(1)』より――


 更にこれを生命という観点から見ると、諸法とは個々の生命であり、実相とはが覚知した宇宙大の生命そのものを指すともいえます。個々のどんな小さな生命の中にも、宇宙生命そのものを見るのです。

 言いかえれば、あらゆる衆生が悟った妙法の当体であり、を具していると見るのです。それがの諸法実相の智です。諸法に即して実相を見るの眼(まなこ)とは、一切衆生を救い、成させてゆこうという慈悲の眼でもあるのです。

 大聖人は、「いのちと申す物は一切の財の中に第一の財なり、遍満三千界無有直身命ととかれて三千大千世界にみてて候財も・いのちには・かへぬ事に候なり」(1596頁)と仰せです。一人の命、一つの生命は、全宇宙の宝よりも尊い――これは、諸法に実相を見る法の素晴らしい生命観といえましょう。

 生命というのは不議です。その不議なる生命の真実の姿を究め尽くしたのが、の智なのです。何と広大にして、深遠な英知でしょうか。

 このの眼から見れば、この世界、この宇宙は、「生命が輝く世界」です。「万物が歌う世界」です。ありとあらゆるものが、かけがえのない個をもち、価値をもつ世界であることが実できる。「生命への動」「生きる喜び」に満ちた境涯――それが知見なのです。そして、後に述べるように、文底の立場からいえば、諸法実相とは御本尊のことです。御本尊を持(たも)つ私どもにとっては、全てを「法の眼」「信の眼」で見てゆくことが諸法実相の智となるのです。(171p)


卞氏


 三転読みの三つめ(笑)が出てきた! 答えというものが先に無いほうがやはり面白いです。


小野不一


 確かに(笑)。ここで止まってしまえば、当たりの弟子ということになりかねません。


ひたち


>>182 小野さん

> 「一大事の因縁」とは何だと考えますか?


 一大事とは釈尊の悟りであり、諸法実相ということでしょう。因とは、衆生本有の界でしょうか。分かりやすくいえば、求道であり、信のことでしょう。縁とは釈尊の「如我等無異」の誓願だといます。もっと端的にいえば、釈尊の大慈悲のでしょう。


 衆生は何ゆえを目指すか、これがの誓願と合致した時に、因縁和合して、初めて界は涌現するということになります。


> 釈尊門下の対境は具体的には何だったのでしょう?


 対境とは、成のための如是縁だと考えます。釈尊在世は、釈尊その人であったことでしょう。釈尊の行動であり、言葉であったといます。滅後は、様々に分かれたとはいえ、釈尊の言葉である経典であったといます。


> 釈尊は「何を打ち破った」のか?

> 舎利弗等が抱いていた「迷いの本質」は何だったのか?


 成が最終目的であるという執着を打ち破ったのです。身の永遠は、衆生救済の永遠に繋がっていきます。


 舎利弗等の悩は「何のため」という目的観を忘れ、修行の完遂のみに囚われたところにあったのでしょう。法華経譬喩品の記述は、まさにその姿を示しています。を目指すのはなんのためか。この一事をい出すことで、舎利弗は成の道を開いたのだといます。


 法華経譬喩品には、釈尊が舎利弗に記別を与える時に以下のように話しています。「本願所行の道を憶せしめん」とは、人々を救うために道を志したという久遠の誓願、本因を覚知させようということでしょう。


「我今還って汝をして本願所行の道を憶せしめんと欲するが故に、諸の聞の為に是の大乗経の妙法蓮華・教菩薩法・所護くるを説く。」


ひたち


 小野さん、


 の実智の

 竪に如理の底に徹することを明す故に甚深と言う

 横に法界の辺を窮む故に無量と言う


 ここに示される如理とは十如実相であり、法界とは十法界です。また、法華経に則していれば、如理とは一仏乗であり、法界とは菩薩二乗に分けて説いたところの三乗各別の法となるといます。


小野不一


「因縁」といってるわけですから、となった「果報」の因縁ですよね?


 次の御書を見つけました。


 因とは一切衆生の身中に総の三諦有つて常住不変なり此れを総じて因と云うなり縁とは三因仏性は有りと雖も善知識の縁に値わざれば悟らず知らず顕れず善知識の縁に値えば必ず顕るるが故に縁と云うなり、然るに今此の一と大と事と因と縁との五事和合して値い善知識の縁に値いて五を顕さんこと何の滞りか有らんや(574頁)


 因=三因仏性=衆生本有の妙理は多くの学会員が了解しているところわれますが、縁=善知識というのには少々驚きました。境地の二法でいうと、対境が釈尊ということで、いいんでしょうかね?


 舎利弗等の悩は「何のため」という目的観を忘れ、修行の完遂のみに囚われたところにあったのでしょう。法華経譬喩品の記述は、まさにその姿を示しています。 を目指すのはなんのためか。この一事をい出すことで、舎利弗は成の道を開いたのだといます。


 こりゃ、卓見ですね。勉強になります。


小野不一


 するってえと、やっぱり、ひたちさんが言ってたように、十如是=縦、十界=横 という関係になりますね。



 お二人の議論から、じたことを。


今、議論になっている一大事因縁は、二つの視点で語られて、ごっちゃになってますね。一つは、からの視点。二つは、衆生からの視点。


 法華経方便品の「一大事因縁」は、からの視点です。総勘文抄は、衆生からの視点です。これは、従果向因と従因至果の両方からの視点とも言えるのではないか?と考えます。両方の視点が必要であると同時に、どちらの視点から考察されているのかを区別する必要もあるでしょう。どちら(からで)も成り立つのは、因果倶時だからですが。


 は衆生がいるからこそ出現し、衆生はが法を説いたからこそ成できる。相互に、善知識となります。そして、いずれの存在も、『縁起』によって成立します。


小野不一


 中々、しいですね。能所の違いということなんですね。


【→十如是問答 その一


※全文は→「成仏の法理・一念三千の研鑚

2005-12-06

如是我聞は弟子の「大闘争宣言」


 の入滅を転機として、“救われる弟子”から“救う弟子”へと転換したのです。これこそ法華経の精神です。

 だから、「如是我聞」のとは、弟子が決然と立ち上がることです。「さあ、師と同じで、民衆を救っていくぞ」と、困を求めて突き進む。その“大闘争宣言”とは言えないだろうか。

 法華経成立の観点からいえば、二十八品の法華経は、の滅後、と同じ境涯に立って全民衆を救おうと「如是我聞」した弟子たちによってこそ、まとめられたのであろう。その味からも、法華経は「師弟不二」の経典です。

 また、戸田先生の「獄中の悟達」も、一次元からいえば、先生が法の中で、御本日蓮大聖人の「常住此説法(常にここに住して法を説く=寿量品の文)」を「如是我聞」された姿とはいえないだろうか。(99p)


【『法華経の智』第1巻(聖教新聞社) 1996-03-16】


法華経の智』で示された「如是我聞」の味を学び、「妙密上人御消息」の御文を捉え直すことができた。


 直観には少なからず自信があるのだが、如何せん、体系立てた索が手なため、またぞろ、散漫な文章となることを許されよ。


“救われる弟子”から“救う弟子”への転換、ここに広宣流布令法久住の鍵がある。革命とは、“ベクトルの転換”と言えるのかも知れない。だから、ガラッと変わらなくちゃ、人間革命とは呼べないね。


 戸田先生獄中の悟達如是我聞の姿であったとの指摘は凄い。凄過ぎて言葉もない。我々はともすると、御書を拝し、スピーチにを傾け、如是我聞した気になっている。しかし、それは“で聞いている”次元に止(とど)まっているんじゃないか? だから、いつまで経っても、おんなじような問題で悩んでしまうのだ。全く嫌になっちゃうよ(笑)。


 戸田先生は獄中でガラッと変わった。大聖人も竜の口の法難でガラッと変わった。釈尊法華経を説く時、ガラッと変わった(無問自説)。これが発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)だ。


 日蓮法は本因妙である。本因とは弟子の立場である。池田先生はこれほどの大偉を成し遂げられても尚、「戸田先生の弟子」としての誠を貫かれている。大聖人も、「釈尊の弟子」を乗られた。「師匠でありながら弟子」という生命の実相に本因と本果があるような気がしてならない。


 真の如是我聞となるためにも、高らかに「大闘争宣言」をしてゆこう。

模刻本尊


 第一次宗門問題の際、正信会が騒ぎ立てた「御本尊模刻」に関する覚え書き。


 まず、退転者の殆どが「模刻=模造」と勘違いしている。この我見ゆえに退転したともいえよう。以前、大客殿に御安置されていた日興上人の「御座替(おざがわり)御本尊」は模刻した御本尊である。紙幅の御本尊は、御虫払いで拝することができる。私がこの目で見ているのだから間違いない。また大石寺では、保田妙本寺が所蔵する、大聖人直筆の「万年救護本尊」も模刻している。「模刻」自体が謗法ではないことは明らか。


 次に、言葉の定義だが、「謹刻」とは紙幅の御本尊をそのまま板に彫(ほ)ることで、「模刻」とは写真などを使って彫刻すること、と私は聞いている。つまり、「模刻」の場合、紙幅の御本尊が残されることになる。


 事の真相は、学会側から「御本尊模刻」の件をお願いし、既に了承されていたが、日達上人がこれを“失した”ということに過ぎない。


 当時の詳細については、以下のページを参照されたい。

 要点を何ヶ所か抜粋しておこう。


赤沢●御本尊謹刻は、宗門では昔から普通にやっていることです。




赤沢●学会の御本尊謹刻のことは、日達上人は、最初からもうご存じでした。これは日達上人からも、また池田先生からも、私は直接お話を伺っているんです。先生からお話を聞いたのは、昭和49年の1でした。




秋谷●御謹刻は日達上人の了解を得たうえで始まりましたが、本部師弟会館の学会常住の御本尊のとき、再度、連絡会議にもかけている。49年の92日です。そのときは、総監代務者の日顕自身が宗門側の責任者として出ていて、日達上人に取り次いだのです。そのときも、はっきりと了解をいただいている。それを、ごまかしているんです、日顕は。




辻●50年11日に池田先生に学会本部で入式を行い、当時の聖教新聞にも大きく掲載されました。12日に初登山し、お目通りした折にも、先生は日達上人に明確に報告されているし、日達上人自身、その報告があったことを周囲に言われている。




谷川●ところで、大宣寺の菅野慈雲などは、御本尊謹刻のことで53年1の初めに、日達上人から「今、赤沢陽の社長が年始のあいさつにきて、学会からの依頼で多数の御本尊を板本尊にしたと聞いた。何体彫刻したのか、赤沢に行って調べてくるように」と言われて調査したなどと言っていますが。これについては、どうだったのですか。


赤沢●いや。それも全く違いますね。年始のごあいさつは、そのころ毎年しておりましたから、53年も年始にうかがったことは間違いありません。しかし、そんな話は出ませんでした。




赤沢●学会と宗門の御本尊に対する姿勢は全然違います。(中略)例えば、大石寺では、御本尊の謹刻をうちに依頼してくるときに、御本尊を書写した和紙を郵便書留で送ってくるんですよ。また、化粧直しのための板御本尊を他の者に頼んで送りつけてくる住職もいます。こういうことについて、もし、途中で事故があったらどうするのか。私どもでは責任を持てないから他の方法を考えていただきたいと本山まで行って直訴したんです。これは平成二年の七でした。日顕は「うーん、やらないほうがいいな」と言いながらも、結局、何も変わりませんでした。


 次に以下のページを参照されたい。

 当時、庶務部長をしていた藤本日潤のメモが決定的な証拠として報じられている。


 そもそも、正信会系僧侶(実際に結成されたのは昭和55年7)が大騒ぎするのを収束させるために、以下の院達を発したのだ。


院達 模刻本尊の件

 院達第2915号

 昭和53年103日

 日蓮正宗宗務院


 このたび、創価学会に於ては、これまでに彫刻申上けた板御本尊については、すべて総本山へ納め奉ることとなり、去る928日、7体の板御本尊が、総本山へ奉納せられ総本山に於ては29日奉安殿へお納めいたしました。

 但し、学会本部安置の日昇上人板御本尊については、御法主上人猊下承認のもとに、そのまま本部に安置せられることになりました。


 依って、今後は創価学会の板御本尊のことに関しては、一切議論を禁止する旨、御法主上人猊下より御命令がありましたので、充分御了知下さるよう願います。


 我が宗は、日蓮大聖人の正義を広宣流布するものであることは、既に御承知の通りでありますので、これの妨げとなるような僧侶間の摩擦を排し、僧俗一致して御奉公の誠を尽されるようお願い致します。

 右、通達いたします。


 これに背いたのが日顕宗ではないか! それどころか、日達上人の事跡の全てを破壊し尽くしたのが阿部日顕であることを、法華講は目をつぶることなく認識すべきだ。


 学会が模刻した御本尊は以下の通り――


 1.創価学会本部安置常住本尊(大法弘通慈折広布大願成就/第64世日昇上人/昭和26年519日)

 2.関西本部安置本尊(第64世日昇上人/昭和30年1213日)

 3.ヨーロッパ本部安置本尊(第66世日達上人/昭和39年1213日)

 4.創価学会文化会館安置本尊(第66世日達上人/昭和42年615日)

 5.創価学会本部会長室安置本尊(第66世日達上人/昭和42年51日)

 6.アメリカ本部安置本尊(第66世日達上人/昭和43年629日)

 7.正本堂建立賞与本尊(第66世日達上人/昭和49年12日)

 8.御守本尊(第64世日昇上人/昭和26年53日)


 1の学会本部常住本尊だけ返却してない事実も見逃せない。


 「富士宮ボーイ何でも掲示板過去ログ」に素晴らしい書き込みがあったので、紹介したい。尚、投稿者の「旗坊」氏に無断で転載することをお許し願いたい。ログはいずれも、2001年4月のもの


妙の大嘘をわらう 4


投稿者:旗坊  投稿日: 422日(日)20時43分04秒


 更に御本尊謹刻についての問題で「妙」は、反逆者・原島のメモを利用して、またまた大嘘を放っているので破折したい。云く、


 まず、学会は“数体の板本尊模刻は、すでに昭和49年に日達上人より許可を得ていた”などというが、こうした作り話も、昭和49年以前から、学会が勝手に板本尊を模刻してきていれば、全てが崩壊してしまう。そして、以下は、それを示す池田発言(昭和48年のもの!)の記録。

「実は『本門事の戒壇は正本堂』という御本尊がある。猊下と私だけの唯だ。板本尊で、まさしく化儀の広宣流布の800万は、明確に終わった。文化会館の7階の座しきに安置してあるのだ。これは、私が受けたもの。私が拝ませてあげよう」(昭和48年1228日/第2回御義口伝受講者大会より)

 ここでいう「板本尊」とは、昭和48年823日御書写の「賞 本門事戒壇正本堂建立」という授与書のある御本尊を、池田が授与された後、直ちに模刻・複製してしまった板本尊である。これで明らかなごとく、学会では昭和49年以前から、すでに勝手に板本尊を作っていたのだ。

 私の手元に、発行者日蓮正宗僧侶有志、昭和56年110日発行の『宗務院・学会記録文書』なる冊子がある。これは約20年前に、第一次宗門問題で大騒ぎしていた坊主たちによる文書だが、この140ペ−ジに、日達前法主の了解後に学会として謹刻したが、問題の沈静化のために当時の奉安殿に納めた7体の板御本尊の目録が掲載されている。その一番目に「賞 本門事戒壇正本堂建立  昭和49年12日 お認め」とある。また、昭和49年14日付の聖教新聞は、昭和49年12日の初御開扉の終了後のお目通りの席で、日達前法主から池田先生に、この「賞 本門事戒壇正本堂建立 」の御本尊が賞与されたことを報じている。


 こら、ウソつき「妙」よ、ええかげんにせえよ。


「賞 本門事戒壇正本堂建立 」の御本尊が先生に授与されたのは、昭和48年でなく昭和49年になってからであることは明白ではないか。紙幅本尊としてまだ授与されていない御本尊をどうして昭和48年の夏に板に刻むことができるのか?


 このように諸資料をつなげば、この昭和48年1228日・第2回御義口伝受講者大会の記録そのものがウソであることがすぐわかる。これは原島自身のメモであり、筆跡を公開すれば原島のウソだとすぐバレてしまうので明かすことができないのだ。


 当時大騒ぎした正信会の坊主たちはなぜか今は御本尊謹刻問題には沈黙したままだ。なぜなら、御本尊の謹刻を口頭であれ日達前法主が許可了解していたことをよく知っているからである。


 妙はこうも言っている。


 日達上人は、学会の「板御本尊にしたい」という味は、今までの日昇上人の紙幅御本尊はおしまいして、新たに日達上人に板御本尊の御下附を願い出るものと、このようにわれて、そういう味で御承知であったということ。


 では、日達前法主の失やウソでなく、このような誤解のもとになったのは学会の責任とでもいうのだろうか。さきほどの『宗務院・学会記録文書』によれば、


 当時藤本師の連絡を受けた阿部師は、謹刻の連絡はいただいたはず、と93日のお目通りの件について述べているが、もし阿部師が92日の連絡会議での学会側からの要望を、学会独自で謹刻するとの証で受け止め、且つ翌日のお目通りの際の報告並びに日達上人のOKのお言葉を、学会側で謹刻することに対する許可として受けとめたとすれば、御法主一人の御大権としての御本尊観に対して、重大なる認識の相違があつたとはいえまいか。もし上人(日達前法主)が当時ありのままを述べられれば、一切の責めは当時宗務当局に及んだことは必定であり、それを深くおもんばかられての御処置(論議禁止の院達と7体の御本尊の奉納)であった」(『宗務院・学会記録文書』5p)


 つまり彼らは、当時教学部長であった日顕の連絡ミスが招いた事態だと述懐しているのである。また日達前法主が、論議禁止の院達を出したり、7体の御本尊の奉納を学会に求めたのも、日顕や藤本はじめとする当時の宗務院当局を守るためであったことを明かしているのである。いずれにせよ、学会や池田先生が謝罪しなければならない理由など本当はひとつもなかった問題だったのだ。


妙の大嘘をわらう 5


投稿者:旗坊  投稿日: 422日(日)20時48分20秒


 ウソつき「妙」続けていわく、


 後から存在が発覚した分の7体の模刻板本尊は、当時、学会が平身低頭して謝罪したことから、日達上人の御指示によって総本山へ回収、日の目を見ない倉庫の中に文字どおり“お蔵入り”させた。


 ウソも休み休み言ったらどうだ。昭和50年1021日付けの聖教新聞の一面には、関西センタ――新館の落成入式に、新たに板御本尊になった御本尊の入式に多数の僧侶が導師として参加している写真がはっきり写っているぞ。後から発覚したのではなく、昭和50年当時からみんな知っていたことであり、坊主たちも導師として参列しご供養をもらっていたではないか。


 で、7体の御本尊が最初に納められた、あの奉安殿(昭和30年1123日に学会が建立寄進、正本堂落慶まで、大御本尊を奉安していた建物)を「日の目を見ない倉庫」などと言っていいのか。


 文が走るのはいいとしても、ウソにウソを重ねていっては、「妙」は一般の法華講員にも坊主たちにも、さらには妙観講員からも見放されてしまうことを警告しておく。


御本尊問題を今ごろになって蒸し返す妙こそ謗法


投稿者:旗坊  投稿日: 424日(火)00時31分05秒


 妙(416日付)が、ビデオから板御本尊7体を並べた映像を掲載し、「学会の大謗法の実証」と今になって大騒ぎしていることについて


 20年前の藤本や阿部は、「謗法ではない」と言っているので参考までに……。


 その1、その2に分け、当時の資料をそのまま引用する。

◎その1


「妙真寺山口法興師 地位保全仮処分・妨害禁止仮処分」


藤本証言その3(昭和57年78日於 東京地裁)より抜粋


藤本総監●謗法にもいろいろあり教義逸脱がその下にある。


正信会弁護士●謗法とは具体的にどういうことですか。


藤本総監●祭りに神輿(みこし)をかつぐことなどが入ります。


正信会弁護士●では本尊模刻は謗法に入りますか。


藤本総監●あれは謗法ではなく、手続き上の問題でした。


◎その2


日顕説法 全国教師指導会の砌(昭和55年7 『蓮華』7号 68ページより)」


「私の言、即ち日達上人のさまざまな御指南も拝し、あらゆる情況も考慮して、そのうえから、“今日、正法を護持し、広宣流布していくうえにおいては、この模刻御本尊について論ずべきではない”と考え、46日の代替奉告法要の砌(みぎり)にこのことをはっきりと申しました。それを皆さんにも、守っていただきたいのであります。

 いまだに創価学会御本尊を偽作したということを言っている人がおります。また、いろいろな出版物等にも書いておるようです。しかも正宗の僧侶が、袈裟・衣をまとっておる者がそれを書いているのであります。

 このことに関しては、日達上人御自ら昨年の寺族同会の時に

『学会は正宗の御本尊を、模刻はしたけれども偽作はしていません』(当誌 98号・38ページ)と、はっきりおおせになっているではありませんか。それわどうしてあなた方が、そのお言葉に背いて、『偽作だ』といわなければなならないのですか。まさに日達上人違背の大罪人でありまするし、私のにも背くものであります。

 総じて“触れるな”といわれたものに触れることは、謗法と断じます」


 その1、その2の資料を合せて読むと、どうなるだろう。結論すると、「妙」(416日付)は、謗法でない手続き上の問題にすぎないものを謗法呼ばわりし、触れるなとされているものに触れたため、(まともな頃の)日顕にも背き、その日顕から謗法と断じられる、のである。あら浅ましや。

2005-12-05

阿部日顕は法主詐称


 昭和54年(1979年)722日、日達上人が急逝。血脈相承が配される中、22日の仮通夜の席上で椎法英重役より、「緊急重役会議が開かれ、その席上、昨年415日、阿部総監(当時)に日達上人から内々に御相承の儀についてお言葉があり、甚深の御法門の御指南をたまわった旨、明かされた」と突然の発表があった。


 この日に実は、こんなやり取りがあった――


 日顕「あと(相承)のことはどうなっているのか?」

 菅野「総監さん(日顕)じゃないんですか?」

 日顕「あぁ……そうかぁ……」


 阿部は翌23日には院達を出し、「日顕」と改の上、まんまと67世の座を盗み取った。混乱に乗じて、実に手際(てぎわ)よく、既成事実をつくり上げた。得度した時に決められていた日号は「日慈」だった。


 しかし、この経過自体が宗規に反していた。


日蓮正宗宗規第13項】


 2.法主は、必要を認めたときは、能化(のうけ)のうちから次期の法主を選定することができる。但し、緊急やむを得ない場合は、大僧都のうちから選定することもできる。


 4.次期法主の候補者を学頭と称する。


 日達上人が亡くなった時、日顕は能化になっていなかった。万が一、日顕の言い分が正しかったとしても、学頭になってないのは、誰が考えてもおかしい。


 415日、日達上人のスケジュールは次の通り――


 午前0時 大客殿で丑寅勤行。終了後、大奥で就寝。

 午前7時 御影堂にて御講。(約1時間

 午前8時 御講終了後、中住職による誕生日祝い。その後、大奥で食。

 午前9時30分 中住職による誕生日祝い。(約10〜15分)

 午前10時 本山で結納を行なった原田篤道らが結婚の報告。(約15分)

 午前11時 身支度の後、大石寺東京出張所に向け出発。

 ※その後、夕方に都内レストランで誕生祝賀会。終了後は出張所に宿泊。


 とてもじゃないが、「相承」をする余裕などない。日顕自身が、よもや法主になるとはっていなかったため、デタラメな日にちを口にしたのだろう。


 後に正信会が提訴した「地位不在確認訴訟」において日顕は、昭和53年415日に「『内付嘱』を受けたことが、自分の日記に書いてある」と主張したが、その日記が証拠として提出されることはなかった。病的なまでの虚言癖があるとしかえない。


「相承を受けた」と言っているのは、阿部本人と犯罪者・山崎正友だけだ。山崎は、昭和55年(1980年)1120日号の『週刊文春』に、「二つの疑惑=日達上人の遷化と阿部日顕相伝」と題して、「“御相伝”そのものは、なされていた形が、どこにも見当らない。見た人は、だれもいなかった」と書き、続けて、「相伝をいつわって登座した方」(『同』昭和55年1127日号)とまで書いているのである。こんな人物が20年以上を経て、「相承」を証言したとしても誰が信じるであろうか?


 日淳上人から日達上人に相承された際の模様は次の通り――


「1115日午後6時12分 日淳上人の命により、御相承箱を守護して左記の6大講堂より出発。八木理事補、寂日坊、理境坊、蓮東坊能勢(順)、義寛房…12時10分 猊下之一室に日達師同席相承始められる隣室にて守護守、重役、庶務、…玄関守護 蓮東坊、能勢、有川、義寛房…16日午前6時 山門着、御大事、御宝蔵へ納」


【『大日蓮昭和34年12号】


 日顕の自己申告がいかに頼りないものか一目瞭然である。


 上記記事には、何と、次期法主と目されている早瀬の前(義寛)がある。しかも、「相承箱」を運び出しているではないか!


 日顕はわざわざ「院達」を出して「御先師よりお承けした『御相承箱』は、総本山内のしかるべき場所に常時厳護申し上げてある旨のお言葉がありました」と誤化してみたものの、誰もそれを信じていない。「相承箱」を出すことができずに、最高裁で3連敗もしているのだから当然だ。


 何をどう言い繕(つくろ)っても、「相承箱」がないのだから、無駄な抵抗というもの。現物は、日達上人の女婿(じょせい)・菅野慈雲の手元にあるとされている。


 そして、山崎正友の以下の証言もある。


日顕は、宗門ではナンバー7なんだ。日達上人の娘婿が菅野といって国立にいるが、これが跡目だった。日顕は悪いやつで、日達上人から相承もないのに相承があったと言い張って法主になってしまいやがった。

 俺は日達上人が死ぬまぎわまでそばについていたから、日顕なんかに相承されなかったことはわかっている。日達上人は日顕を全然信用していなかった」

『私は山崎正友を詐欺罪から救った!!』塚本貴胤(論創社)120p】


 日顕はこうも語っている。


「例えば、日目上人から日道上人への御相承も、いつ儀式があったという記録はないのです。記録はないけれども、日目上人が天奏にお出になる前にきちんと御相承されておられたことは、先師の記述および本宗の信仰の上から当然のことであります。したがって、日達上人も、儀式という形が絶対になければならないというわけではないことを仰せであります」


【全国教師講習会 1992年828日】


 相承を受けた人物であれば、こんな言いわけをする必要は全くない。そもそも、鎌倉時代に「記録がない」ことをもって正当化しようというのだから、開いた口が塞がらない。その内、久遠元初までさかのぼるかも知れないよ(笑)。


 日顕宗の第2祖に早瀬の前が挙がっているが、これが実現すれば面白いことになる。まず、早瀬の父・日慈に後ろ足で砂をかけるような真似をした妙観講が切られる可能が高い。そして、菅野慈雲が「相承箱」の所在を明かせば、日顕の正体が白日の元にさらされる。ニセ法主がしたためたニセ本尊となれば、日蓮正宗も法華講も四分五裂となることは火を見るよりも明らか。

2005-12-04

十如是問答 その二


【→十如是問答 その一



 議論の蒸し返しになりますが(笑)、非常に基礎的なことに戻り、私見を。


 十界は基底論。十界互具は境涯論。十如是は十界が働く方法論。


 単純化は危険ですが、分かりやすく理解するには、こう捉えています。三世間は、存在論といえるでしょう。その上で、一三千は、包括的な生命論と考えます。


 諸法実相は、智智)による認識論でしょう。 その分析の成果が十如是といえます。その十如是は、十界において働くと。その十界は、互いに具する。 故に十界互具が中核である。


 また、空仮中の三諦は認識論。「法報応の三身」は存在論に分類できるでしょう。


 十如是に戻ると、生命がどのように働くかという説明になるでしょう。その働きは、本末究竟して等しい、と。これは、一三千の、どの一瞬(例えば国土世間の地獄界所具の菩薩界)を捉えても、すべて十如是が等しく働き、一貫している。


 九識論は、こうした生命の実相を、として考察し分類したものと言えるのではないでしょうか。


 最近は、脳との関係が脳科学による前頭葉(特に前頭前野)の研究でかなり解明されてきていますが、生命の働く場がで、の働く場が脳ではないのかな? とっています。その場は、重層化していて、その重層の実相をどう捉えていくか。こうした視点に、法の生命論(生命哲学)の役割はかなり重要です。


 脳の活化とその方法と成果をみていると、諸法実相・一三千の論理的な考察と一致しますね。


大勝利


 十如是について……。


 まず、基礎的な共通認識を確認し合わないと皆様の折角の議論が混乱するようにえます(笑)。


1.十如是の部分は、鳩摩羅什の創作とも言える訳である点。(鳩摩羅什十如是


2.天台大師による三転読による十如是。ここではじめて、空仮中の三諦に分配されるのですが、あくまでもの中を捉える十如是と言えるといます。(天台の十如是


3.大聖人の事の一三千への十如是。(大聖人の十如是


4.生命論の展開から見る十如是。(学会十如是


 勝手に分類してしてしまいましたが(笑)。現在、我々も三転読を行っているわけですから……2→3→4 の十如是は本来的に同義であるとするならば、天台智ギの、の中に倶する「内」の十如是を賢察してから、生活としての「外」に開いて行った方が掲示板としては伝わりやすいようにいます。


 小野さんのように「ウンコ」から直的に悟る部分は感応できますし(笑)、小生も含めて皆様方も、「閃(ひらめ)き」としてあるのでしょうけれども、結局、整理文章化はかなり厄介ですよね。


小野不一


 読み直して気づいたんですが……。


 舎利弗は、我が生命に界があることを確信したのだといます。(中略)釈尊から成の記別を受けるのはその後であり、記別を受ける前に舎利弗は自身の成を確信しているのです。


 ということは、因果異時ってことですね。つまり、「理の一三千」。


 込み入った質問になりますが、舎利弗が悟ったのは、「がある」ってことだったんでしょうか? それとも、「ゆくゆくになれる」ってことだったんでしょうか?


 更に、にならなければ、「菩薩教化する」資格はないのでしょうか?


 もう一つ、舎利弗が歓喜している姿を、周りの連中はどんな風に見つめていたのでしょうか? 私なら、「オイオイ、俺にも教えてくれよ」と頼むところです(笑)。


大勝利


 ROMの為に三転読文について――


「是の相も如なり、乃至、是の報も如なり……」

「是の如きの相、乃至、是の如きの報……」

「相も是に如し、乃至、報も是に如す……」

 と三度繰り返して読む事とって頂ければ結構です。


大勝利


 摩可止観の五巻より――


 三世間の説明のあと、「この三十種の世間はことごとくより造る」の次からです。変換出来ない字など、誤字、当て字なりますが御容赦願います。


 また十種の五陰は一一におのおの十法を具す。いわく如是相・・体・力・作・因・縁・果・報・本末究境等なり。まず総じて釈し、のちに類にしたがって釈す。

 総釈とは、それ相はもって外に拠る。覧て別(わか)つべし。

 釈論にいわく、「知り易きが故にづけて相となす」と。水・火の相は異なればすなわち知るべきこと易し。人の面色に諸の休否(くひ)を具するがごとし、外相を覧てすなわちその内を知る。(中略/中国故事の引用)

 善く観ぜざる者はに一切の相を具することを信ぜず。まさに実のごとく観ずる者にしたがってに一切の相を具すること信ずべし。


 如是とは、はもって内に拠る。総じて三義あり、一には不改をづく。(中略)また、分(しょうぶん)とづく。(中略)

 また、はこれ実なり。実はすなわち理なり、極実にし過まることなし、すなわちの異なるのみ。(中略)

 竹の中の火のは、見るべからずといえども無ということを得ず、炊人(ついにん)と乾草があまねく一切を焼くがごとし。もまたかくのごとく、一切の五陰を具す。見るべからずといえども無ということを得ず、智眼をもって観ずるに一切のを具す。世間の人、笑うべし、その偏聞をもって円経を判じ、涅槃

衆生ありと知りたもう」

と明かすを判じて極常となし、法華に

は一切法の如是を知りたまう」

と明かすを判じて無常となす。あに小知をもって常となし、多知を無常となすべけんや。……(省略)


 如是体とは、主質の故に体とづく。この十法界の陰入はともに色を用いて体質となすなり。


 如是力以降は又今度にします。(笑)



 普段、私たちの日常に顕れ千変万化するのは、互具している十界であり、基底部の十界はなかなか変わりません。変わるときは一瞬で変わることもあれば、何年かかってもほとんど変わらないこともあります。


 信は年数ではない、と言われる由縁でもあるでしょう。この基底部の十界を変革していくことが、一生成であり、宿命転換であり、人間革命です。


 互具というのは、互いに具するという単純な味以上に、同時包含であるともいます。これは、例えて言えば、円と円が交わるのではなく、重なっているということに近いといます。これを、単純に二重構造とすると、これもまた誤解を招きます。そうではなく、相互に影響を与えあっていると考えます。


 例えば、基底部が菩薩界であれば、日常において縁に応じて顕れる地獄界に影響を与えていて、たとえ怒ったとしても嫌な印象を与えることは少ないであろうし、怒るという頻度も少なくなるでしょう。逆に、日常において縁に応じて顕れる菩薩界は、その清らかな覚によって基底部の地獄界に自覚を促し変革の一助になっていく。


 こうした相互に影響を及ぼしあう作用が、十如是によって成り立っているのだと考えます。


 戸田先生の例を敢えて引くのなら、先生の生命の基底部は、牢獄に入る前も、入獄中も、出獄後も菩薩界ないしは界であったはずです。少なくとも、決定(けつじょう)した広布の使命を抱く菩薩界、地涌の菩薩であったからこそ法華経を身読でき悟られたのだといます。もし、入獄によって基底部が変化したのであれば、それは菩薩界から界への変革であったといます。


ひたち


 力と作についてですが、その差異は何だとお考えでしょう?


 例えれば、力は能値であり、作はそれが実地の上で発現することでしょう。これには物理的な力と精神的な力があるといます。筋力だけではなく、美醜からくる魅力、財力、権力などさまざまな力が世の中にはあるのではないでしょうか。


 ちなみにアイスクリームには人を太らせる力があります(爆)。そして、力が衰えれば、作も衰えます。機械も人間も、故障したり、老いなどによって力を失うもので、それによってなすところの作も衰えることでしょう。もちろん、精神的な力もありますから、単純にはいえません。私は精神的な力というのは非常に重要ですね。サミュエル・ウルマンの有な「青春の詩」が好きです。いろんな訳を見聞きしますが、たまたま見つけた以下の訳が気に入っています。精神の力の大切さをじますね。

 それと、どこかで読みましたが、人は動けると信じなければ、指一本すら動かすことができないという話があります。志を持つ人間という存在は、特にの力が大事なのだとじます。


ひたち


 どうして、十如是なのか?


 私見ですが、十如是が十界を貫く共通原理だからだと考えています。そもそもの目的は、の衆生の壁を取り払って、万人の成の道を開くのが法華経の主旨だといます。その時に、既に他の経典に説かれる十界は既知の概であるとして、その互具を説いても、それで具体的には界はどのように現れるかということになるのではないでしょうか。やはりそこで共通原理を明らかにしなければならないといます。


 舎利弗しか悟れなかったのは、どうしてなのか?


 一つには機根の違いというものがあるといます。そして舎利弗は諸法実相の直接の対告衆ですから、説法を聞く真剣さがまったく違っていたといます。座を立った上慢の人々だけでなく、会座にいた人々にも疑いがあったのでしょう。釈尊は一度は最後まで法を説くことをやめようとしますが、舎利弗の求道がそれを上回ります。そして「汝今善く聴け、当に汝が為に説くべし。」と舎利弗一人のために説法が再開します。最終的には舎利弗しか悟れなかったわけではなく、三周の説法によって会座の人々は皆成の記別を受けます。舎利弗が記別を受けたことによって、会座の人々は疑いながらも歓喜するのです。


 悟りの内容を伝える術(すべ)を持たなかったのか?


 十如是に続いて、説かれる世雄偈には以下のようにあります。


 是の如き大果報 種々の相の義

 我及び十方 乃し能く是の事を知しめせり

 是の法は示すべからず 言辞の相寂滅せり

 諸余の衆生類は 能く得解することあることなし

 諸の菩薩衆の 信力堅固なる者をば除く


 言葉ではなく、信力で受けるしかないということではないでしょうか。方便品では、ここだけでなく全体が信を非常に強調しています。


 死相をもって成を示す必要があったのか?


 実際の舎利弗は自殺ともえる死に方をしていますね。法華経に説かれる舎利弗との整合は私にはとれていません。


ひたち


 舎利弗が悟ったのは、「がある」ってことだったんでしょうか? それとも、「ゆくゆくになれる」ってことだったんでしょうか?


 舎利弗は、これまで二乗の道を智で理解しつつも、釈尊が人々に法を説き慕われる姿を見て、そのように素直に菩薩行に邁進できない自分を責めてきたしいの内を吐露しつつ、法華経において大歓喜を得て「今日乃ち知んぬ。真に是れ子なり。」というのです。この歓喜は、になれるという喜びというよりは、と同じように人々の悩を救える自分になることができるのだという確信だったようにじます。


 にならなければ、「菩薩教化する」資格はないのでしょうか?


 そうではないといます。譬喩品に記される舎利弗の悩はすべての二乗しみです。化他行を横目で見つつ、素直にそうすることができない二乗悩を、乗り越えた歓喜がそう語らせたようにじます。自分にもと同じように人々の悩を救う力があるのだという確信ではなかったかといます。


 舎利弗が歓喜している姿を、周りの連中はどんな風に見つめていたのでしょうか?


 先にも書きましたが、歓喜と疑いです。舎利弗の成は、自身の成に繋がることに対する歓喜と、なぜ舎利弗が成するのかという理由がわからないための疑いです。それを舎利弗はじ取り、釈尊にさらに法を説くように願うのです。


小野不一


 それを舎利弗はじ取り、釈尊にさらに法を説くように願うのです。


 こりゃ凄い! 二乗菩薩になった瞬間と言えますな。


卞氏


1.壇の中に御安置している御本尊は仮諦と考えられないでしょうか?

→その時点では「仮観」としてとらえることが出来ますね。


2.安置した御本尊を「仮」と観る。力・法力が「空」と観ることで、仮諦・空諦の関係が見えてきます。

  • 仮諦――安置された御本尊。大聖人が顕したものを書写製版して家庭に置いてあるという事実。
  • 空諦――御本尊力・法力。大聖人の智の発揮。
  • 中諦――力と法力を出だす法。

 と観ます。


3.「安置」した「御本尊」を仮として観たわけですから、そこから離れないように自分に置き換えると。

 

(中諦)御本尊を信じ題目をあげて折伏することが、衆生の救済ということなのである。

(信力・行力が力・法力を出だす)


大勝利


「力」は、「作用」して「果」となり、「報」と現れる時点で消えてしまいますよね。


」も現した時点で分別可能だが既に別の「」に変化してるとも言えるのではないかと(笑)

 やはり「空」は哲学的命題ですね。


卞氏


 因縁果報の時間的経過に挑戦。(笑)


「 り ん ご 」


 ここにあるのは掲示板に書かれた文字という「相」と「体」だけです。 でもなぜか、人により時により「キライなので気分が悪くなったり、歌をい出してなつかしいいを致したり、よだれが出たり」と様々です。


 その文字に「」「力」「作」があることに疑いは無いのですが……。


「因縁果報」


 この文字には、そういった「因」があり、同時にそれぞれの人にそのようにわせる「縁」となっています。そのため、この文字(列)自体、ある果物の称として識別されんがための「果」というものを持ちあわせています。「報」はこの文字(列)自体がどのように扱われているかということです。


 この場合、私の説明の槍玉に扱われています。理由は無だったからです。もし、「日X」というとある宗派の法主とかしたら、皆さんの情たるや納まらないだろうから、無なものを選んだわけです。


 さて、この「りんご」という文字列の如是として考えるに時間的経過が必要でしょうか?


 それともなにか考察に瑕疵が有るでしょうか。


ひたち


 人のいない所で、木の枝が折れたとする。枝が折れた音は“存在”するのか?


 これは法の哲理とはちょっと異なる見方ではないでしょうか。他から見て認識されることはなくとも、自身は認識しているわけです。例えば勉強、練習、努力に基づいた力は自分がよく知るところでしょう。力をのみとするのは、頭滅却すれば火もまた涼しのような、無謀な精神論に陥るといます。例えば、機械は燃料や電気がないと動きません。人間も食べ物を食べないと空元気しかでません。もちろん逆もまた然りで、物理的な力に偏重するのも誤りです。力はのみで起こるものではないと考えます。


ひたち


 卞氏さんへ。


 やっぱり時間的な経過はあるといますよ。最近、TVとかで脳科学の番組が多くなってきましたが、そういった認識に脳が活発に動いていることがよく紹介されますね。


 引用しました御書に「此の経の文字は盲眼の者は之を見ず、肉眼の者は文字と見る……」とあります。これは道理です。色受行識でいえば、目は色です。目がなければものは見えません。しかしまた、視神経に障害があると、網膜に像を結んでも認識できません。両方が必要であり、それは以下のような関係になるといます。


 力:色受

 作:識


 また色受行識は自明の順序があるわけで、時系列なしとはいえないのではないでしょうか。ここは一認識という単位で捉えた時、それ以下の時間経過を無視できます。辞典によれば一念は、指パッチンの60分の1という説など、経論から逆算される単位時間があります。ここまでは道理の範疇で、ここから先は哲学的な惟となるでしょう。いわゆる経過のない時間時間という金太郎あめの断面、スナップショット、微分の極限値として 捉えることもできます。これは信仰の上からは、如来、「今から』という捉え方になるのではないでしょうか。とすれば、「久遠」と「一念」とは相通じていく考え方といます。


小野不一


 フウム、どうやら、今までのやり取りを踏まえますと、「力」と「作」を、「」と「相」に分ける味はなさそうですね。


 十如是の流れからみると、「相・・体」の「力」と「作」ということか。そして、「作」という生命の発動・活動によって、「因縁果報」が決まる。


小野不一


 戸田先生が教壇でやった、「犬」の講義みたいですね。ただ、その観点だと、経験則に縛られるような気がしないでもありません。と書きつつ――この辺にヒントがあるんですかね? 成の可能=妙法を誰も知らない。その状況下で諸法の実相を説くと、十如是になるってことなんでしょうか? でも、どうして、「食べたことのないリンゴ」を舎利弗は悟ったのか?


小野不一


 でも、本当は、一念三千ですから、時間の経過は無視されるはずですよね? 無視というか、瞬間の生命に具わっている。また、五陰の「色」は、目が不自由な方であっても「形」は理解できるケースもありますから、「色(いろ)」だけに限定するのは、どんなもんかと……。


 私が五陰を分けるとすれば、「色受」と「行識」ですね。後者が、生命体の能動を示していると考えます。


ひたち


 小野さん

 瞬間の生命に具わっている。


 そうですね。冥伏しているだけで、常に具わっているものと考えます。 余談ですが、量子力学の世界では因果律が崩壊するそうです。つまり、原因と結果が同時に起こるということらしいですね。


「色(いろ)」だけに限定するのは、どんなもんかと……。


 徹底して発起衆に徹してますね。「色」とは「いろ」のことではなく、物理的に識別できる存在全てを指しています。これには覚器官そのもの(眼、鼻、、舌、身)も含まれます。ですから、「形」だけでなく、、香り、味、手触りなども含まれます。


「色受」と「行識」ですね。


 教学的には、受行識を精神活動の側面でとらえるため、以下のような建て分けになっています。


 色法:色

 法:受行識


 この観点からしますと、視神経はまだ色の範疇でしょうか。余談ですが、視覚障害の人の脳に直接電極を差し込み、映像を電気信号として送り込むという記事をい出したので紹介します。

 科学の発達で色に当たる範囲がどんどん広がっていくでしょうから、 色の明確な建て分けは、だんだんしくなるのでしょうね。


小野不一


 教学的には、受行識を精神活動の側面でとらえるため、

 以下のような建て分けになっています。

 色法:色

 法:受行識


 こりゃ、失礼しやした。拙者の勉強不足。何となく、人間と物を分けているのが「行識」だとじてたもので。


卞氏


 戸田先生が教壇でやった、「犬」の講義みたいですね。


 ええとですね、実をいうと最初「日顕」で考えていたんですよ(笑)。そして、そういえば戸田先生が……てなことをい出しつつ。


 経験則に縛られるということですが、「経験より出発せよ」とは牧口先生の言です。縛られてはいけませんね。縛られたら「如是」ではなくなってしまうのでは? 「ありのままに捉えることが出発点」という味が重要なのではないかといます。


 十如是を応用(注:応用というのは数式のように当てはめるという味ではなく、ありのままに見つめることができるという味)して未知のことに挑む時、ひとつのある「確信」がそこにある、または生まれるのだろうと観ています。その点が「無謀」との分かれ目ではあるまいかと考えています。「相手のが信じられる。」ということもそこに通ずるものなのだといます。表現として適切ではないかもしれませんが、このようなことではないかと。


卞氏


 やっぱり時間的な経過はあるといますよ。

 最近、TVとかで脳科学の番組が多くなってきましたが、

 そういった認識に脳が活発に動いていることがよく紹介されますね。


 そうするとその時点で、脳という存在を介在させてしまっていますが? それは「 り ん ご 」の十如是ではなくて、脳の十如是になりますよ。


卞氏


 でも、どうして、「食べたことのないリンゴ」を舎利弗は悟ったのか?


 それは、もともとだったからでしょう。


ひたち


 卞氏さん、申しわけありません。主張されるところを読み違えていたようです。ただ、如是縁と如是果についてちょっと違うのではないでしょうか。如是縁は外界からのイベントであり、因を助けて果を生じさせるものです。卞氏さんの説明は、他の人の如是縁ではあっても自身(この場合は文字)の如是縁になっていません。如是果についても同様で、如是因の説明とは独立していて、説明の方向が逆になっています。


 また、如是果については誤解を招くとわれます。法で説くところは因縁和合ですから、縁なしに固定された結果を持つことはないとわれます。たとえば、赤ん坊や外人に「りんご」を見せても、「ある果物の称として識別」ということにはならないといます。「ある果物の称として識別」は、「りんご」を知る人の側の果報です。


 文字の果報を考えるなら、そこに存在しているということ自体が果報でしょうか。人と異なり、文字は変化の度合いが少ないので分かりにくいのですが、そこにもやはり「因縁果報」の連鎖はあるわけです。たとえば、インクの経年劣化によって字が薄れてきたり、鉛筆書きなら、消し込むで消してしまえたり、ワープロ上の文字なら、フォントのタイプフェースを変更したりと、急激な変化相を生じることもあります。経年劣化の少ない物体に、これまた劣化の少ない材料で文字を書けば、人の寿命を越えて、後世に伝えることができます。


小野不一


 まあ、卞氏さんが提示したのは、飽く迄も“例え”なんで、索のヒントになれば構わないといますよ。


 更に、「如是縁」といっても、一念三千に含まれるわけですから、一概に「外界からのイベント」と断ずるわけにもいきません。「力→作→因」があっての「縁」ですから。“双方向の関係”といったところでしょうか。


 それにしても、十如是ってえのは、わからんものだ(笑)。すっ飛ばして、三世間に行くわけにもいきませんしねえ。


小野不一


「如去」って言葉があったんですねー。吃驚(びっくり)!


 の「最後身」を称して「如去」(Sugata)と呼ぶ。二度と生れて来ることのない者、という味。南方ではこの呼称が多かったとも。



 進展が早いので、また議論に蒸し返しになりますが、十如是の私見を。


 前にも述べましたが、諸法実相で得たの知見が十如是です。これは「の成就したまえる所は、第一希有解の法なり。唯、と、乃し能く諸法の実相を究尽したまえり」とあり、唯解ですので、私たち凡夫の智では理解できなくても当然です。


 しかし、当然としてしまえば考停止にもなりかねないので、議論する価値は大きいでしょうが、非常にしい命題でもありますし、所詮は理であり事が明かされた以上観論に陥る危険を認識する必要も重要です。


 さてここで、私の長年の最大の疑問は、諸法実相として明かされたものが「十界互具」ではなく、なぜ「十如是」なのか?ということでした。一念三千の中核は「十界互具」であるはずなのだから……。


 これはなかなか結論を得られませんが、十界互具の境涯を顕現する原理(方法・働き)として『十如是』が最重要だからではないか、と考えています。


 前置きから本題に入ります。分かりやすく「十如是」を分類すると、 「相体」は三如是として特に別称され「体」であり、他の七如是は「用(ゆう)」とされていますが、「相体」と「力作」と「因縁果報」と三つに分けられるでしょう。


 ここで、「体」と「用」の違いが良く分かりませんが、用が顕現する主体が「相体」になるからであろうと考えます。故に、「相体」は、具体的に確認できる(表面に顕れる)表層部分でもあり、「力作」と「因縁果報」は、深層部分であると考えます。しかし、それが相互に関連し包括し合うものであるから、「相から報」までの本と末が一貫して等しいという関係になるのでしょう。


「因縁果」として内在する主体()は、「力作」という働きを持ち、「報」として顕現するときには「相体」の三如是に一貫して顕れてくる。顕れてきたものは、「因縁果」となり内在化されていく。


と、このように私は単純化してしまいますが(笑)。こうすると一生成・宿命転換・人間革命の原理として理解しやすくなりましたね。


卞氏


 ひたちさん、詳説ありがとうございます。ごもっともです。とりあえずは御礼まで。


 十如是ってえのは、わからんものだ(笑)。


 何気なく使ってしまいますからね。対象がりんごであることは稀ですし。


【疑問】諸法実相として明かされたものが「十界互具」ではなく、なぜ「十如是」なのか? 一念三千の中核は「十界互具」であるはず。


 に対して恋さんは。


【仮説】十界互具の境涯を顕現する原理(方法・働き)として「十如是」が最重要だからではないか


 と立てているわけですね。


 私は、別の方向からですが、(方向が違うというだけで同じような位置づけとうのですが如何でしょうか)、


【仮説】十如是が実相を捉えるための鍵となるから。


 十界(互具)そのものは目に見えないので、法華経などを通じて様々な形をとって説かれてきましたね。どこにでも登場する。しかし何かを通してそれを関知せざるを得ない。


 関知するためのものとして十如是が必要である(鍵となる)ので、実相を明確にしておくために、法華経の入り口でずばりと説いておく理由もそこにあるのではないかとみます。


 あの人が可愛そうだ、とうのはその人が「地獄の相・……」を有するからです。でも本人にしてみると外と「天界」にいたりします(笑)


「そんなことするな」などという言葉は作力に見えたことを通して相手に働きかけます。「おまえこんなふうだな」は相体や果報に見えたことを通して相手に働きかけます。「こういうことなのだろう」は因縁に見えたことを通して相手に働きかけます。そのとき相手がどう受け用いるかはわかりませんが。


 とまあ、このように私のばあいは単純化してしまいますが、こうすると創価の運動の原理として理解しやすくなりましたでしょうか。


 三転読みするともう一つ観点があるはずなのですが……(笑)。


小野不一


 通説によれば、釈迦を殺そうとした悪人デーヴァダッタは、最後には、生きながら火焔に包まれて、「無間地獄」へ落ちて行ったとされていますが、釈迦の没後900年頃、経典を求めてインドにおもむいた法顕(340?-420?)が、その見聞録(『法顕伝』)の中で、調達(デーヴァダッタ)派の教僧団がネパール地方にあったと述べており、また、玄奘(600-664)も、その著『大唐西域記』の中で、ベンガル地方に提婆達多派の教僧団があったと述べていますから、釈迦の没後の後継者争いに敗れたデーヴァダッタが、彼の僧団をひきいて辺境の地に逃れ、バラモン階級出身者の手にその主導権がにぎられた中央の『正統派教僧団』からの激しい迫害と常に闘いながら、かなり長年の間、生きながらえて、強烈な化を及ぼしたことも、充分に考えられるのであります。そして、この釈迦の正統な後継者と称する中央の教僧団への反抗が、釈迦への反や軽侮を産み出したようであり、大乗教で、釈迦の在世中に直接釈迦から説教を聞いた弟子たちが「聞」(sravaka シュラヴァカ)――釈迦のを聞いた者――と軽侮されて、最下位に置かれ、誰のも聞かずに、独自の方法でさとった者たちが「独覚」(pratyekabuddha プライエティカブッダ)と呼ばれて、その上に位置し、更に、その上に、陀のを聞いてさとりを求める者としての「菩薩」が置かれているのもそのためであると推定されます。(192p)


 上記は、『教とキリスト教 イエスは釈迦である』堀堅士(第三文明レグルス文庫)より。大乗教が編まれた経緯や、十界の成立が窺える内容。


小野不一


 ここで、「体」と「用」の違いが良く分かりませんが、用が顕現する主体が「相体」になるからであろうと考えます。


 体=生命の個体、用=関係=価値、でどうでしょ?


 諸法=十界、実相=十如是、でどうでしょう?


 お二方の書き込みは凄い内容ですね。私の目は開きそうで、まだ、半眼半口(笑)。


 十界互具=カテゴリー十如是=実態・実体か?


 いずれにしても、卞氏さんが書いているように、「諸法の実相は十如是である」というところが大事ですね。


卞氏


 諸法=十界、実相=十如是


 それですね。

  • 諸法=十界(互具)→法(中) カテゴリー、法理
  • 実相=十如是→報(空)と応(仮) 実体・実態

 にも充てられそうです。


小野不一


 何だかピンと来ないとってたら、十如是の後の方便品を知らなかったためと気づいた次第(笑)。


十如是

 http://comet.endless.ne.jp/users/fnwo/h-2-1.htm

→開三顕一

 http://comet.endless.ne.jp/users/fnwo/h-2-2.htm


 で、涌出品以降の「開近顕遠」へとつながるわけです。


 するってえと、十如是=開三顕一となると、こりゃ十界互具になるんですかね? でもって、「開近顕遠」の本国土妙をもって三世間が整う。


小野不一


 エー、極端な単純化を(笑)。


 生命は十界の境涯に分類される


→その実相は十如是である


→更に、十界の各界にが存在する


 すると、十如是というのは、生命が固定したものではなく、諸行無常=流動・変化を示したものと考えられるでしょうか? それによって、舎利弗らが抱いていた「部分的な生命観」を打ち破った、と。


小野不一


 うっかりしてました。「諸法実相抄」に書かれてましたね。


 又云く「実相は必ず諸法諸法は必ず十如十如は必ず十界十界は必ず身土」(1358頁)


小野不一


 さあ、舎利弗に追いつけ、追い越せ!(笑)


ひたち


 小野さん、大乗の起源が調達派の教僧団とはあまり面白くない話ですね。また一昔前に聞いた、上座部と大衆部の根本分裂が大乗の起源する説も、今は支持されていないのです。現在の学説では、大乗教は部派教の主流派から起こったとする説が最も支持されているようです。理由はいくつかありますが、根本分裂の話自体が大衆部には伝わっていない。部派教の主流派である説一切有部から派生した派閥の中に大乗に通じる教義が伝わっている。大乗は上座部の中でも説一切有部を激しく攻撃している。などが挙げられています。このことから、大乗は釈尊の正統派の流れにおける「釈尊の精神に帰れ」というような一大回帰運動であったのではと考えます。


小野不一


 そして、この釈迦の正統な後継者と称する中央の教僧団への反抗が、釈迦への反や軽侮を産み出したようであり、


 ここから後の部分は、別の文脈で読むべきだといますよ。すなわち、バラモン階級出身者が法を独占したことが、大衆の反を招いたってことじゃありませんか? 私はそう捉えました。


 せっかく入力しても、ケチばかりつけられると、やる気をなくしますな。議論はこうして熱を失う――。


ひたち


 もういちど「何のため」という視点に戻りたいといます。何のために諸法実相を示したのかといいますと、「如我等無異」のためです。一切の人々をと同じ境涯になすというのが、釈尊の本願でした。


 十如是はこの視点から見るならば、成の原理を示したものです。最初の三如是は九界の衆生、後の七如是はという果報を受けるということで、九界即界となり、衆生とと究境して等しいとなるのですね。前に引用しました御義口伝をご覧戴きたいといます。


 観心本尊抄に「但界計り現じし」とあります。菩薩界までの因果は、聞かずとも身をもって知るところであり、しい理論をふりまわさずとも理解できるところです。


 十界互具之を立つるは石中の火木中の花信じけれども縁に値うて出生すれば之を信ず人界所具の界は水中の火火中の水最も甚だ信じし(242頁)


 九界の衆生に界が具わることが一番信じられないことなのです。


 法華経には開示悟入の四知見が説かれています。


 諸世尊は、唯一大事の因縁を以ての故に世に出現したもう。

 舎利弗、云何なるをか、諸世尊は唯一大事の因縁を以ての故に世に出現したもうとくる。

 諸世尊は、

 衆生をして知見を開かしめ清浄なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう。

 衆生をして知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。

 衆生をして知見を悟らせめんと欲するが故に、世に出現したもう。

 衆生をして知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。

 舎利弗、是れを諸は唯一大事因縁を以ての故に世に出現したもうとなづく。


 ここでは、「一大事の因縁」のために、は世に出現したというのです。このことをもっとわかりやすく書いている部分が同じ方便品にあります。


 種は縁に従って起ると知しめす 是の故に一乗を説きたまわん


 前に因縁和合という話を書きました。これは端的にいえば、因(衆生本有の界)があっても、 縁がなければ、成という果報は表れないことを味しています。一大事因縁とは、成のための如是縁となるためには出現したということです。


 このの慈悲を信じることによって、舎利弗は成したのだと考えられます。観心本尊抄に「汝既に唯一大事因縁の経文を見聞して之を信ぜざれば釈尊より已下四依の菩薩並びに末代理即の我等如何が汝が不信を救護せんや」とあります。


 法華経譬喩品には次のようにあります。


 汝、舎利弗 尚此の経に於ては 信を以て入ることを得たり 況んや余の聞をや

 其の余の聞も 語を信ずるが故に 此の経に随順す 己が智分に非ず


 舎利弗は、理解したのではなく、師である釈尊の慈悲を信じきったがゆえに、成したことがわかります。このことを、舎利弗の回から、そのの動きをかいま見ることができます。


 初めの所説を聞いて 中大に驚疑しき

 将にと作って 我がを悩乱するに非ずやと

 種々の縁 譬喩を以て巧みに言説したもう

 其の安きこと海の如し 我聞いて疑網断じぬ

(中略)

 世尊は実道を説きたもう 波旬は此の事無し

 是を以て我定めて知んぬ 是れと作るには非ず

 我疑網に堕するが故に 是れの所為と謂えり


 ここには釈尊という人格を信じようと決めたの変化があるのではないでしょうか。


ひたち


 小野さん、申しわけありません。ケチをつけるつもりではありませんでしたが、わざと書いたことは認めます。最初の一文、実は最初面白い話ですねと書いて、面白くないと直しました。教団の話は事実面白いとったのですが、大乗が主流派から起こったということを示したいという気持ちがよけいに働いてしまいました。


小野不一


 それを、牽強付会と言うんじゃありませんか? お宅の文章を読んで、どうもスッキリしない印象を受けてしまうのは、「議論する」というよりも、「主張」する姿勢が強いためだといますよ。


 私が少し前に、「論文を書くのであれば――」と書いたのも、そのためです。いいですか。主張があるなら、それはそれで結構なんです。ただ、別スレッドで主張すべきことを全て主張した上で、見なり、批判を求めるべきではないでしょうか?


 議論の途中で、次々と主張されると、お宅の主張のために、議論自体が利用されているようにじてしまうのです。作為があれば、議論は誠実なものにならんでしょう。


小野不一


 それから、私の文章をよく読んで欲しい。


 大乗の起源が調達派の教僧団


 というように、私は読んでない。今日、創価wikiに書評をアップしたが、この方は法律学者で、多分、信もしてないとわれる。宗教という畑違いの分野に敢えて挑み、独創的な視点から教とキリスト教を捉え直す作に私は服した。本当に、立派な方だとじた。


 そうした見識に対し、自分の「大乗が主流派から起こったということを示したいという気持ち」のために、「面白くない」と書ける神経が私は信じい。


 お宅はひょっとして、「最近の学説」が変われば、自分の主張も変えるんですか? むしろ、「最近の学説」を自分の主張のために利用しているようにしか見えませんけど。


小野不一


 これは興味深い。まず、「一大事の因縁」とは何だと考えますか?


 次に、大聖人は縁を喚起せしめるために、御本尊=対境 を顕されました。釈尊門下の対境は具体的には何だったのでしょう? 「釈尊という人格」とお考えですか?


 話は変わりますが、個人的に気になっていることは、寿量品が「生命の永遠」を説いたものであるとするならば、永遠を示すために、十界互具・十如是・三世間をもって、釈尊は「何を打ち破った」のか? 舎利弗等が抱いていた「迷いの本質」は何だったのか?


ひたち


 小野さん、牽強付会のそしりは甘んじて受けましょう。ただ小野さんがそう読まなくとも、ROMの方の中には「調達派の教僧団が大乗の起源」とわれる方もいるでしょう。どうしても書く必要があるとったのです。不快にさせてしまったことは慎んでお詫びいたします。


【→十如是問答 その三

2005-12-03

種種御振舞御書


 何(いず)れの経をも行ぜよ法を行ずるには分分に随つて留あるべし、其の中に法華経を行ずるには強盛にさうべし、法華経を・をしへの如く時機に当つて行ずるには殊(こと)にあるべし、故に弘決の八に云く「若し衆生生死を出でず乗を慕わずと知れば・是の人に於て猶(なお)親の(おもい)を生(な)す」等云云(916頁)

  • 建治2年 55歳御作
  • 於佐渡
  • 与光日房
    • 「種種御振舞御書」「佐渡御勘気御書」「阿弥陀堂法印祈雨事」「光日房御書」という四つの御書を編成してできたものとされる。
      • 幕末医師で、日蓮宗の信者だった小川泰堂が身延で御真蹟を照合した。この際、本来、一つであったものが伝来の過程で分離され、「種種御振舞御書」「佐渡御勘気御書」「阿弥陀堂法印祈雨事」「光日房御書」といった別々の御書になっていると誤った判断をし、それらを一つにまとめ、「種種御振舞御書」とした。元々が四つの御書だったことは、寛文9年(1669年)に法華宗門書堂が出した、『刊本録内御書』によって確認できる。

【『日蓮大聖人と最蓮房』】北林芳典(報社)


 信の段階によっては異なる。強信の人は三類の強敵を駆り出す。決なく、目標なく、求道なき人には、がべったりと貼りつく。幼子(おさなご)が母親に駆け寄り、抱っこやおんぶをしてもらうみたいに。オオ、こわ。

唱題のペース


問い


 地区や支部で唱題会を行った際に、いつも釈然とせず疑問にじることがあります。それは題目のペースです。池田先生の指導に、「勤行唱題は白馬が天空を駆けるような清々しいリズムで」とあります。しかし実際は、錦宝会の方が多いので、題目のペースが遅くなりがちで、導師がよいリズムであげていても、後ろにひきずられてしまうのです。更に、銘々が自分のペースで唱え、導師に合わせようとしません。幹部の方に指導を受けても明確な答えが返ってきませんので、下記の点、ぜひともご教示をお願いいたします。


小野不一


「唱題のペース」について質問が寄せられた。


「幹部に指導を受けても、明確な答えが返ってこない」と書かれていた。これは大問題だ。幹部が“迷う方向”へと追い風を送っているのだから。


 そこで、同じような疑問を抱いている方や、デタラメな幹部の犠牲になっている方のために、私の基本的な考え方を記しておきたい。参考にして頂けると幸いである。


 まず、窮屈に考える必要はない。「こうしなくてはいけない」とか、「こうあるべきだ」という考えが先行してしまえば、“型”にはめ込むような姿勢になりがちである。この点を踏まえた上で具体的に述べて参りたい。


 昨日付(2005-12-02)の「法と医学 第2回」で、いみじくも西山女ドクター部長が言っているが、1分60遍=1秒1遍が丁度いい。「最も落ち着いている時の臓のリズムと一致」するとあった。


 私の研究によれば(笑)、生命のリズムとして表れているのは、拍数、呼吸数、歩くスピードの三つ。これらは年齢によって変化してゆく。


 つまり、年を取れば取るほど題目のスピードは、どうしても遅くなりがちだ。ということは、高齢者が参加している唱題会の場合、少しゆっくりしたペースで行うのが親切というものだろう。導師が、「何が何でも、自分に合わせろ」というんじゃ、あまりにも狭量だ。後ろに合わせるぐらいの度量があって然るべきである。導師が皆に配慮し、皆がしっかりと呼吸を合わせようとするところに境地冥合がある。


 昔から、「白馬が天空を駆けるが如く」と指導されているが、南無妙法蓮華経という音自体にスピードと躍動がある。それに対して、南無阿弥陀は尻すぼみの哀音であるため、「ナンマイダブ」と発音されているのはご存じの通り。


 題目は正確な発音を。信してない人が聞いても「南無妙法蓮華経」と聞こえるようでなければいけない。「ナンミョウオウレンゲキョウ」、「ナンモウホウレンゲキョウ」、「アンミョウホウレゲキョウ」、「ナンミョウホウレンゲキョ」じゃ駄目。“正確にやってるつもり”になっているのが一番怖いところ。電話だって、番号が一つ違えば、全く別の家にかかってしまう。そして、音程は尻強に発音するのが正しい。


 次に、唱題会の諸法実相を――

  • 「唱題会」となると来ない人(笑)→これは、普段、勤行をしてない人だ。バレバレだね。
  • 必ず遅れて来る人→信が惰の人。勤行・唱題が“生活のリズム”の中になってない証拠。
  • 題目が導師と合わない人・題目にクセのある人→我見が強い。また、不平不満を抱き、幹部に対する不信がある。自分勝手。わがまま。
  • に力がなく、小さい人→確信がなく、自信がない。何事に対しても消極的になりがち。
  • が大き過ぎる人→火の信の典型。人が見ているところでは大いに頑張り、見てないところでは手抜きをするタイプ。「見せる信」だ。
  • 前に座らない人→責任がない。後から来る人のことを考えてない。導師に合わせようとする姿勢のなさ。

 単純に決めつけるわけにもいかないが、大体こんなじ。


 では、リズムが合ってさえいればいいかというと、そうではない。


 おのおのは随分の日蓮が・かたうど(方人)なり、しかるを・なづき(頭脳)をくだ(砕)きて・いの(祈)るに・いままで・しるし(験)のなきは・この中にの・ひるがへる人の有ると・をぼへ候ぞ、をもいあわぬ人を・いのるは水の上に火をたき空にいゑを・つくるなり(1225頁)


 祈る「」が合っているかどうかが最大事だ。


“形式的な唱題会”や、“作戦の上に乗っかった唱題会”であれば、やらない方がましだ。また、長時間の唱題会は、近隣の迷惑になりかねない。今、1時間以上の唱題会を行っているところは、本部に呼吸が合ってない。


「経」は「歌」である。ソロがあり、合唱があり、アップテンポがあり、バラードがあっていい。

2005-12-02

エミール・ゾラ


 多くの人が夏季休暇で遊び、休んでいる時期に、このように皆さま方が、人間教育の最高学府に集い、学んでおられることは大変に素晴らしく、尊いことである。私は、最大の「誇り」と「自信」をもって、これからの人生の歩みをお願いしたいとう。

 仮に試験がうまくいかなかったとしても、それはそれと考えればよいとう(笑い)。歴史上の人物をみても、一度や二度の試験の失敗など数多くある。失敗しなかったから、人間的に「偉い」とか、失敗したから「ダメだ」と決まるものではない(笑い、拍手)。「学ぶ」ということは、そうした表面的な姿では測れない「深さ」と「広がり」をもっている。

「働きながら学ぶ」という皆さまの向学の道には、人知れぬ労も大きいにちがいない。しかし、労が大きければ大きいほど、自らが体得する成果も大きいと申し上げておきたい。


 そうした味から、19世紀フランスの文豪エミール・ゾラ(1840-1902年)の「学びの人生」について一言、お話したい。

 ゾラといえば、彼の全20巻にわたる『ルーゴン・マッカール双書』は、自然主義文学を確立した大作として高い。その中の『居酒屋』『ナナ』『大地』などの作品は、日本でもよく知られている。

 実はゾラは、大学の入学試験に2回失敗し、結局、進学を断している。そして、働きながら文学への道を歩み始める。


 彼は、ある出版社に勤める。そこで彼がついた仕事は、本の梱包や発送であった。それは、彼が目指そうとした文学的な仕事ではなかった。だが、青年ゾラは、“これも、将来、文学界で大を成すための大事な勉強の一歩”ととらえるかのように、全てに前向きに取り組んだ。

 彼は、地味で目立たない発送や返本(へんぽん)の整理の作の中で、“今、人々がどのような本を求め、読みたいとっているのか”という、時代のセンスを鋭く自分のものとしていった。これが、出版社にも、彼自身にとっても大きく生かされていく――。

 また、彼は出版社での仕事をしながらも、「小新聞」への記事を執筆し続けていた。こうして文筆の世界で着実に、地歩を築いていった。(ゾラの青年期については、尾崎和郎著『ゾラ』清水書院を参照)


 いかなる立場に置かれても、そこで最大限に力を発揮し、新たな世界を切り開いていく。一切を自らの決めた道を進みゆくための発条(ばね)として、労の中に未来の成長を求める。これこそ青年らしい生き方であろう。

 いずれにしても、ゾラは大学には行けなかったが、“真理を求め、時代の学問とともに歩みゆく情熱”は決して失わなかった。否、民衆の真っ只中に飛び込んで、その情熱をいやまして燃え上がらせた。ここに、ゾラの出発点があったといってよい。

 やがて彼は、文豪ゾラとして、世界中から謳(うた)われ、文学の歴史にそのを燦然(さんぜん)と輝かせてゆくことになる。


 さて、ゾラは晩年、大事件に遭遇する。フランス中を震撼させた「ドレフュス事件」である。

 すなわち、1894年、ユダヤ人・ドレフュス大尉が、軍部権力の策謀によって、無実のスパイ容疑をでっち上げられた。彼は赤道直下の流刑地、そのも「悪島」に送られ、酷烈な環境下に囚(とら)われの身となる。

 当局は、国民の中にある反ユダヤ人情を巧みに利用し、「ドレフュス有罪」を印象づけた。扇動的な一部のジャーナリズムも大いに書き立てた。世論は圧倒的にドレフュスに不利となった。

 こうした中、ドレフュスの無罪を叫ぶ救援活動も、ほとんど挫折しそうな行き詰まりをみせた。

 この時、一人敢然と立ち上がった者こそ、ゾラであった。

 彼は、もはや60歳に近かった。また、ドレフュスととりわけ個人的な縁故があったわけでもない。面識すらなかった。

 しかし、ここに一人の無実の人間が、邪悪な権力の手によって、闇から闇へ葬り去られようとしている。ゾラには、これを黙って見過ごすことはできなかった。

 恥ずべき不正義を断じて許すわけにはいかない――。彼は立った。ドレフュスの潔白を証明し、社会に「真実」と「正義」の光をもたらさねばならない。彼は決然と戦いを開始した。


 1898年113日、ゾラは共和国大統領に宛(あ)てた公開の手紙を「オーロール新聞」の一面に掲載した。これは、またたく間に大反響を巻き起こした。

 内容はドレフュスの有罪に何の根拠もないことを主張し、彼を罪人に仕立てた軍部の高官らを、一人ひとり指しで弾劾する激烈なものであった。

 これ以後、ゾラの一身には、権力からも、ジャーナリズムからも、世論からも、ありとあらゆる集中砲火が加えられる。

 それでもゾラは一歩も退かない。それくらいのことは覚悟の上であった。一国が全て不正義に傾き、権力に迎合している時に、一人、正義を叫ぶのだから、迫害は当然のことである。

「ゾラはユダヤ人に買収されたのだ」などというデマも浴びせられた。打ち続く、根も葉もない中傷。火のないところに立てる煙。あからさまな脅しや妨害――。また、卑劣にも、亡くなった父親の悪口まで投げられた。

 そして、ゾラ自身が反対に誉毀損で起訴されるに至った。

 しかし、その裁判の席上、ゾラは次のように言い切った。(大次郎『ドレフュス事件日新聞社)

「私は打たれれば打たれるだけ偉大になるのだ。正義と真理のために悩んでいるものは、だんだん荘厳になってきます」と。

 まさに至言である。正義のため、真実のために打たれれば打たれるほど、人は偉大になる。荘厳になってくる。ここに正しき人間の道があり、勇気ある人生の真髄がある。

 抵抗や圧迫を恐れて、信を曲げたり、妥協したり、また、姑な策を弄したり、そういう臆病な生き方の中には、真実の人格の輝きはない。

 打たれれば打たれるほど、それに倍する力を発揮して、敢然と我が道を行く。諸君は、そうした本物の人物であってほしい。私もそう生きてきた。


 更にゾラは堂々たる態度でこう言う。

「私の顔を、ごらんなさい。節操を売るような人間、ウソつき、裏切り者に見えますか」と。正義によって立つ彼のには一点の曇りもなかった。

そして、「すべてが私に反対しているようであります。上下両院も、文武両制(政府と軍部)も、大新聞も、更にこれら大新聞に毒された世論も」と、孤立無援の状況を述べつつ、言い放った。

「私の味方はだけであります。真理と正義の理だけであります。しかしながら、私は驚かない。やがて私が勝つだろう」と――。


 ゾラは誰も頼らなかった。一人、ただ自らの「」「哲学」のみをよりどころとして戦った。そして、全社会が敵になろうとも、「真理と正義の理」を味方とするゆえに、最後の勝利を信じきっていた。

 ここには主義主張に生きる人間が、等しく持つべき覚悟がある。また確信がある。

 ――裁判は、ひとまずゾラの有罪であった。ドレフュスの無罪も認められなかった。更に、ゾラには1年余の亡命生活など、死ぬまで試練が続いた。

 だが、ゾラは屈しなかった。最後の最後まで戦い続け、信を叫び続けた。

 そして、ゾラの死後4年にして、ようやくドレフュスの無罪が確定し、誉回復することができた。ゾラは、ついに自らの言葉通りに、「勝利の証」を示したのである。


 これが本当の「知の人」の強さである。深さである。

 強靭な知があるからこそ、正を正、邪を邪と見抜き、雑音に紛動されない。また、自己のちっぽけな濁った私情に負けることなく、正義の信に殉じて恐れない。真理の導く方向へ、堂々と真っ直ぐに進んでいくことができる。

 学問と教養によって耕され、練り鍛えられた確固たる人格と知。諸君は、そうした揺るぎなき「人格の人」「知の人」になっていただきたい。


 近代の日本には、不幸にしてこうした本当の味での知の歴史がない。

 ――確かに知識の人もいた。教養と学問を誇る人もいた。しかし、多くは力ある者に迎合し、大勢に押し流され、現実の後を追うばかりで、迫害の中、正義のために戦い、「知の勝利」の足跡(そくせき)を残すことはあまりにも少なかった。

 大筋には、ほとんど皆無に近いと言わざるを得ない。

 ここに日本の民衆の悲劇がある。この一点を深く嘆かれていたのが、私の師・戸田先生であった。

 戸田先生は常々、「民衆が自己の教養を持たないで、一握りのまやかしの知識人に引きずられていくことは不孝である」と強く語っておられた。

 こんな不幸な歴史は断じて転換しなければならない。そのためにも、民衆の一人ひとりが自己の教養を積み、確固たる人格を築いていかねばならない。


創価大学第13回学光祭 1988-08-16 創価大学中央体育館】


ドレフュス事件」で既に一部を紹介した指導だが、大事な指導なので、全文アップしておく。


 この指導が、わかるかわからないか――そこで道は分かれる。


「一人を大切に」とは誰もが言う。その通りだ。異議なし(笑)。多くの学会員が、一人の会員のためにを砕き、身を粉(こ)にしてきたからこそ、学会はここまで発展した。今、リーダーとして最前線で活躍している人々は、数多くの先輩によって育てられてきたのだ。そうじゃない人は、しばらくするといなくなるから、見ていてごらん(笑)。


 果たして、今はどうだろう? あなたは組織で「大切にされている」という実があるだろうか? ある人は幸せだ。先生のにかなった組織で信できるのだから。一方、ない人は――これほどの不幸はあるまい。一生成広宣流布を目指す和合僧組織にいながら、疎外や孤独をじている人は地獄界といっていい。


 それどころか、公然とイジメが行われている組織が現実にある。私が知る限りでは、女子部で大幹部をしていた人が、婦人部に進出した途端、被害に遭うケースが多い。学会も人の集まりである以上、こうしたことは仕方がないのかも知れない――とった人はアウトだ。もうね、池田門下生じゃないよ。似非(えせ)学会員だ。


 の御使となのりながら・をく(臆)せんは無下の人人なり(911頁)


 兼兼(かねがね)申せしが如く日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず(1282頁)


「兼兼」とは、何度も何度も繰り返して、日常的に御指南されていたということである。御書の中では、323、805、840、1138、1191、1193、1219、1224、1282、1539頁で「臆病」、「をくびやう」と記されている。


 我見を恐れずに言えば、「臆病にては叶うべからず」とは、“願いがかなわない”という次元ではなく、「師匠」に“適合しない”ことであり、地涌の菩薩として使命を果たすことが“可能ではなく”、“許されない”という味ではないだろうか。(※参照『大辞泉』


 臆病の本質は何か? それは、保身であり、怠惰であり、エゴそのものである。三障四魔にたぶらかされ、三類の強敵に屈した姿である。


 人権闘争の歴史は、理不尽な社会との戦いの歴史であった。拉致被害や薬害エイズなど、今尚、闘い続けている人々がいる。


 一度、厄介な問題を乗り越えると、次々と厄介な問題が現れる。これが、学会に身を置く者の宿命的なリズムである。私は最近、ある問題を解決したのだが、ここのところ、大いなる不安に駆られていた。表面上は確かに解決した。悩みに悩み抜いていた一家も明るい笑顔を取り戻した。だが、組織の体質が全く変わってなかった。私がやったことは制度改革であって、組織革命=宿命転換にまでは至ってなかったのだ。


「自分のやったことは間違っていたのか? いや、そんなことはない。では、やり方が間違っていたのか? 問題解決のためには、やむを得なかった」――煩悶(はんもん)し、懊悩(おうのう)し、を喘(あえ)がせていた時に、再びこの指導を目にした。


 私のの中の雲が吹き払われた。進むべき道も明るさを取り戻した。「わかってもらえない」といういは、“一人立つ覚悟”と“周囲への甘え”の間を行ったり来たりする。孤独に堪(た)えて進む人のみが、真のリーダー(リードする人=先駆者)だ。


 今日は、先生が沖縄の地で、小説『人間革命』の執筆を開始された日。昭和39年(1964年)のこと。この日に、文豪の指導を学ぶのも、決して偶然ではあるまい。ペン先に込められた力を像せずにはいられない。

2005-12-01

万人を包容する境涯を築け


 正法正義に、さまざまな暴言・悪口(あっく)があるのは御書、経文に照らして必然である。それに対しては、厳然と反論し、論駁(ろんばく)していく強さがなくてはならない。しかし、強さだけですべての人を、から納得させることはできない。むしろ、相手の主張も柔(やわ)らかに受け止め、理解を示してこそ、対話は更に深まり、実り多いものとなっていく。


 重書中の重書である「立正安国論」も対話・問答形式でしたためられた御書である。そこでも、顔色を変えて憤慨し、席を立とうとする「客」に対し、大聖人のお立場を表す「主人」は「咲(え)み止(とど)めて」(24頁)――微笑をたたえ、帰ろうとする客をとどめて――話を続けたとされている。

 このように、無知や無理解の言葉が投げかけられ、理不尽な態度があったとしても、一切を莞爾として受け止め、悠々と自在の対話を続け、納得させていかれる。ここに、「境涯の芸術」「対話の妙」ともいうべきものが拝されてならない。


 いかなる立場であれ、一切の情を、広く、大きく包みながら、どのようにを開き、納得と共を広げていくか。それは全て、私どもの境涯にかかっていると言ってもよい。相手の喜怒哀楽に悠々と棹(さお)さしながら、自在にの奥深くに漕(こ)ぎ入ってゆく融通無碍(ゆうづうむげ)の境涯を開いていく以外にない。ここに、対話の人間学の精髄がある。


【第19回本部幹部会 1989-07-14 世田谷区・東京池田記講堂】


 新時代を予見した指導の一つ。


 日顕は、5ヶ後の1227日に先生の総講頭を罷免(ひめん)。翌年1128日に学会を破門し、学会員に対して「御本尊の新規下附・再下附・分世帯下附停止」を決定した。僧・日顕は、大聖人が「日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ」(1124頁)とまで仰せになった御本尊を、“信徒支配の道具”として利用した。御本尊を“駆け引きに利用”したのだ。阿部日顕にひとカケラの信もないことが明らかではないか。


 それ以降、青年部は四者の先頭に立って「校友運動」を展開した。学会のよき理解者には「校友証」を発行して、どんどん会合に参加してもらった。日顕の狙いは見事に外れて、垣根の低くなった学会に、様々な人々が参加し、共を示した。


 この時、青年部は初めて“自分で考える”ようになった(笑)。今後の展開をにらんで、話し合う機会が増えた。幹部は若いメンバーの知恵を借りようと、懸命になった。国連が提唱したボイスエイド(発展途上国にラジオを送る運動)を初めとするボランティアに挑み、環境問題に取り組み、自由闊達な対話運動に邁進(まいしん)した。


 しばらくすると、「本当にこれで広宣流布ができるのか?」という疑問につきまとわれた。何か手応えに欠けた。ここで再び議論が沸騰した。「学会は宗教団体だ。いつまでも、ボランティアで勝負するのはおかしい」、「途中でやめてしまえば、ボランティアは自己満足で終わってしまう。既に数多くの友人が、男子部以上に責任をもって行っている」など、喧々囂々(けんけんごうごう)のやり取りが、あちこちで行われた。結構、大変だったのよ(笑)。


 折伏は、「学会に入会させる」ことが目的ではない。それでは、共産党のオルグ活動と変わりがないよ(笑)。友を幸せにするのが目的だ。相手の誤った人生観・生命観を打ち破り、自分自身を最大に光り輝かせてゆく方途が、妙法にあることを指し示すことが折伏であり、「対話」そのものが折伏だ。「法を説いた」喜びをじなければ、成果主義に毒されているといっていいだろう。


 包容力がなければ、相手は強制されているような印象を受けてしまう。そうであっては、万人が成できることを示した法華経に背くことになりかねない。窮屈で偏屈な姿勢は、相手を“鋳型(いがた)にはめ込もうとする”命の表れだとう。


 人間の身体は、寒くなると硬直し、縮(ちぢ)こまる。暖かくなると、リラックスし、活動的になって外へと向かう。冷たい雨は疎外を招き、太陽の光は優しく包み込む。一切法皆是法。

十如是問答 その一


大勝利


「法華玄義」、「法華文句」、「摩訶止観」は、いわゆる天台三大部と呼ばれています。


 筆録編纂(へんさん)して後世に伝えたのは章安大師(561-632)です。摩訶止観の中での「私」は章安大師なんです。で、摩訶止観の中で「法華経の解説」という部分は殆どないと言っていいです。


「禅」の指南書と言う評価が一般的でしょう。それだけに、もっぱら実践と修行の立場から法華経を解釈した重要な書と考えられました。


 伝教大師最澄(766-822)によって日本に伝えられ、日本天台宗となり、比叡山が開かれ「止観」というような、いわゆる学科が出来上がってきます。


 その後、比叡山から、法然、親鸞、栄西(ようさい)、道元などの諸派が派生して、「摩可止観」は日本文学文化に多大な影響を残したと言ってよいでしょう。


まりん


 如是相・・体は、三身と三諦に共通します。

  • 如是相―応身―仮諦
  • 如是―報身―空諦
  • 如是体―法身―中諦

 のことです。私の手だった三諦の味を調べてみたところ、こう記載されていました。


 例えば、咲いている花の姿のみを見れば、「仮」。見える部分。いつ散ってしまうか解らない。

「空」とは、万法の一切の分のこと。有とも無とも固定できない。

 花が芽ぐみ、色とりどりの花を咲かせるその分、また大宇宙の運行等を指す。この二面を備えて、しかも動かす事のできない厳然たる本質、それが中諦である。花が枯れても咲いても、その草木自体の本質には変わりがないのである。


まりん


如是力

 畜生界の人は、野良犬が食べ物を隠れて食べるときのような力が出る。地獄界の人は、10万円の金を持った時も、何の力も湧いてはこないだろう。菩薩界の人は、落とした人に一刻も速く届けてやりたいで一杯であるから、その方法等について、勇気凛然たる力が湧いてくるはずである。


如是作

 前の力が働きとなって現われ、聞・縁覚の人は自分に迷惑がかからぬようにしようと

いう一で一杯であるから、そっとそこに置こうという働きが満ちる。畜生界の人は、10万円を我が物にしようとする図が満ちて、ねずみが穀物を取ろうとする働き、犬が食物を盗み取らんとする働きが、そこに現われるであろう。このように拾った10万円を持っている、その人の瞬間には、10万円をどうすべきかという働きを保っているのである。

如是因

 その10十万円を拾ったということが何かの因になる。すなわち世の中を面白く愉快に暮らしている天界の人は、拾ったことが愉快で、また天界の因となる。菩薩界の人は拾った10万円で人を救い、菩薩行の因を積むであろう。地獄界の人は、10万円拾っても相変わらず悩みに沈んでいるだけであるから、地獄の因を積んでいるにすぎない。これでは幸福の道は開けないのである。また、拾ったというその瞬間に、10万円を拾うべき因もあるのである。


大勝利


 ミリンダ王の問いという説話を載せます。さてさて、10万円の分とはなんでしょうか? まりんさんなりに考えてみて下さい。


 ナーガセーナ尊者とミリンダ王との有な対話があります。ナーガセーナ尊者は、ミリンダ王が、討論の場所までどのように来たのか、歩いてか、それとも乗り物でかと問いかけます。ミリンダ王は車でやって来たと応えました。


尊者「大王よ、あなたは車でやって来たと言いましたが、何が車であるかを私に告げてください。長柄が車なのですか?」

大王「そうではありません」

尊者「車軸が車なのですか?」

大王「そうではありません」

尊者「車体が車なのですか?」

大王「いいえ、そうではありません」

尊者「くびきが車なのですか?」

大王「いいえ、ちがいます」

尊者「車輪が車なのですか?」

大王「いいえ、そうではありません」

尊者「車棒が車なのですか?」

大王「いいえ、そうではありません」

尊者「大王よ、いったい車はどこにあるのですか? ここにあるのはあなたがこの場所までやって来た車ではないですか? あなたは全インドの大王にもかかわらず『車は存在しない』と嘘を語ったのです」


 続いて、大王はこのように答えました。「ナーガセーナ尊者、私は嘘など語っておりません。長柄、車軸、車輪、車棒などの部品によって“車”という言葉や前が起こるのです」と。車とは部分の集合に貼られたラベルにすぎないのです。


小野不一


 私が、十如是にたどりついてない理由は、どうして、十界互具で生命が説明できないのかが理解できてないため。


 十界というカテゴリーと、三世間という三つの次元は何となく理解できる。しかし、十如是の必要がわからないのだ。「相・・体」はともかく、「力・作」「因・縁・果・報」になるとお手上げ。


小野不一


 ちょいと質問です。


 空仮中の三諦ですが、「色不二なるを一極と云うなり」(708頁)の観点から見ると、色法=仮諦、法=空諦、一極=中諦となりますよね? こう考えると、一極=中諦は一体何なのでしょうか? よく、「諸法無我」とか「アートマンブラフマン」なあんて、ぬかすのがおりますが、どうなんでしょう?


 有無の二道を超える必要があるとすれば、「本質」とすれば法に傾き、「実体」とすれば色法に傾いてしまいます。「妙」としか言いようがないんでしょうか?


 抑(そもそも)妙とは何と云うぞや只我が一議なる処を妙とは云うなり不議とはも及ばず語も及ばずと云う事なり、然ればすなはち起るところの一を尋ね見れば有りと云はんとすれば色も質もなし又無しと云はんとすれば様様に起る有とふべきに非ず無とふべきにも非ず、有無の二の語も及ばず有無の二のも及ばず有無に非ずして而も有無にへんして中道一実の妙体にして不議なるを妙とはくるなり、此の妙なるけて法とも云うなり、此の法門の不議をあらはすに譬を事法にかたどりて蓮華く、一を妙と知りぬれば亦転じて余をも妙法と知る処を妙経とは云うなり、然ればすなはち善悪に付いて起り起る処のの当体を指して是れ妙法の体と説き宣べたる経王なれば成の直道とは云うなり(384頁)


小野不一


 権教のは生死を遠離(おんり)する教なるが故に四知見に非ざるなり、今経の時生死の二法は一の妙用有無の二道は本覚の真徳と開覚するを四知見と云うなり、四知見を以て三世の諸は一大事と召し世に出現したもうなり(717頁)


 こうなると、「有無の二道」すら理解できなくなる(笑)。


卞氏


 空仮中の三諦ですが、「色不二なるを一極と云うなり」(708頁)の観点から見ると、色法=仮諦、法=空諦、一極=中諦となりますよね? こう考えると、一極=中諦は一体何なのでしょうか


 毎日拝んでいるそのもののことですよ。


 三諦もある対象に対する概ですから、対象によってその内容が変りますが、一極といえば、御本尊のこと。南無妙法蓮華経のことですよね。


 私見になりますが、全てに当てはまる以上、正確に御本尊を表現しようとすれば、なにかにつけ空と仮との和合した概御本尊と言うものが表現されるものといます。


 例えば――


 本尊の全体(中)即ち我が己(空)なり・我が身(仮)の全体即ちこれ本尊(中)なり(「観心本尊抄文段」日寛上人)




 此の御本尊(中)全く余所に求る事なかれ。(1)只我等(仮)/衆生(空)、(2)法華経を持(たも)ちて(空)/南無妙法蓮華経と唱ふる(仮)/(3)胸中(空)/の肉団(仮)/におはします(中)なり(1244頁)


 という関係がそうではないかと。


卞氏


 有無の二道を超える必要があるとすれば、「本質」とすれば法に傾き、「実体」とすれば色法に傾いてしまいます。「妙」としか言いようがないんでしょうか?


 教学用語を持ち出すところが、少々教学バリから抜けきれない(?)卞氏ではあるが……。

  • 実体=に出すお題目
  • 本質=信じるお題目
  • 有無のニ道を超えるもの=本門の題目
  • 実体=曼荼羅
  • 本質=生命の実相
  • 有無のニ道を超えるもの=本門の本尊
  • 実体=勤行する場所。
  • 本質=誓いを立て、鍛え、切磋琢磨する場
  • 有無の二道を超えるもの=本門の戒壇

 などといった、捉え方です。上記は定義というよりも、通じやすい概としての捉え方です。


小野不一


 さあて、ここからが問題です(笑)。


 壇の中に御安置している御本尊は仮諦と考えられないでしょうか? 御本尊力・法力が空諦。では、中諦は何なんでしょうね?


 また、これを自分自身に当てはめた場合はどうでしょうか?


「和合」という言葉を使うと、仮諦自体が五陰仮和合なんで、やはり、ここは「不二」の味を考える必要がありそうですね。


まりん


 小野さんの疑問にお答えできるかどうか。こんな記述を発見しましたが、どうですか。


 十界というカテゴリーと、三世間という三つの次元は何となく理解できる。しかし、十如是の必要がわからないのだ。「相・・体」はともかく、「力・作」「因・縁・果・報」になるとお手上げ。


 法華経迹門で初めて十界実相が説かれ、相体が体の三身であり(本体の味。別しては日蓮聖人、総じてはその本眷属)、力作因縁等の七如是が用の三身(働き、作用の味。五百塵点劫成道の釈尊)であることを示して、三身即一身の実相が示され、寿量開顕への理がまず示される。ここにおいて、十界互具し法界の実相は十如を出でず、相体の三諦がの実態であることが明らかになった。


 と、ありました。


ひたち


 どうして、十界互具で生命が説明できないのか


 ここが一つのポイントですね。その理由は、学会員には十界互具という法理は当たり前田のクラッカーだからなんですね。ところが他の宗教の話を聞いたり読んだりしてみるとわかるのですが、神は絶対者であり、信者とは相容れない存在だし、信者と敵対者(外道、悪、まあなんでもいいですけど……)の間にも大きな断絶があるのです。


 士農工商カースト制度、身分差別が当たり前。それともうひとつ、十界は法華以前から大乗経において明かされている法理です。


 私は以下のように書きました。


 今までの因果は打ち破られ、余界を否定しなくても成の道は開かれたわけです。小乗六道の因果を滅し、涅槃を目指し、大乗は二乗を責め、菩薩行を極め尽くした上でとなる。今まではこうだったわけですが、この原因結果を別々に考える必要がなくなった。これまではになったら菩薩はもういらないよ、涅槃に至れば修行は終わりだよ、つまり余界を否定してになると考えていたのが、今の修行中の自分自身を否定する味がなくなった。ここに十界互具に自身の境涯を含める義があるのだといます。


 しかし、これは実に信じいことなのです。凡夫の身のままでとなるということをどういますか? 凡夫の身を滅してになると説いた方が何倍もわかりやすく、信じやすいわけですが、これは「権」の教えなのですね。つまり、法華以外の教えを持つ人に、十界だけ説いても、本当の味で互具を納得してもらえないってことなのです。違いを明かし、違いをお互いに関連づけても、違いは違いのままです。


 一三千の法理は、法華経方便品の諸法実相を元に展開されていることは皆さんご存じの通りです。したがって、十如是がないかぎり、一三千が現れないということなのです。では十如是とは何かというと、諸法の実相……ってこれでは話にならないので、一切のものに共通の特質を明かしたものなのですね。十界が相違を示すとすれば、十如是は共通を示しています。縦に全てを貫く十如是、横には十界互具をもって、と衆生が等しい存在であることを明かすわけです。


市丸


 ところで十如是と言うことですが、こう考えたらどうでしょう。


 相・・体は三身・三諦等に当てて考えられますが、その以下、力・作・因・縁・果・報は、相・・体に付随、と言う、関連して、現れてくるもの。一瞬の命の中に、これらがすべて含まれて、一体である。


 例えば、ここに泥棒がいる。どんなに外見を繕(つくろ)っても、見る人にはわかる。泥棒の顔をし、泥棒の考えを持ち、泥棒する時を狙っている。それが留守の金持ちの家を発見したと言う縁によって、持てる力を発揮し、鍵を壊すと言う作用を成し、金品を得ると言う結果を売る。見つからなければ、その金によって豊かな暮らしをするが、見つかったら、逮捕され、刑務所に入ると言う報いを受ける。


 この、泥棒の外見から、牢屋に入ると言う報いまで、一貫して泥棒である。これが本末究竟等ということです。


 例えば、小野さんは、小野さんの顔を持ち、小野さんのを持ち、小野さんである。そして力も周囲に作用することも、すべて一貫して小野さんである。小野さんであるから、何か縁に触れた時に、導き出す結果は小野さんのものである。そして小野さんにしかない報いを受ける。そこに別の誰かが入ることはない。すべて一貫している。それが十如是である、と考えました。どうでしょうか?


小野不一


 皆さま、様々な角度からのご助言に謝申し上げます。


 拙速な議論を避けたいので、「私の理解」に合わせてもらえると助かります。


 まず、「力」と「作」。「力」は「」、「作」と働けば「相」になるという理解で宜しいでしょうか?


 次に「因縁果報」。これが題。私は、どうしてもここに“時間の経緯”をじてしまいます。例えば、瞋恚(しんに)という「因」が、何らかの「縁」に触れて、地獄界という「果」となる。


 ウーム、困った。「果」と「報」の違いがわからん(笑)。「果」は生命がずる現実、「報」はその生命が環境に及ぼした影響を受けるってじでしょうか? 言うなれば、三障の障と報障の違い。


 これらが、一=瞬間の生命に実在する、というのはどういうことを示しているのでしょうか?


 現実に存在するのは、「今」だけです。過去は「既にあったもの」で、「未来」は存在してない。因は果となり、果はまた因となる。生命の流転を支えているものが、時間でないことだけは確かなようです。


如来」が「如去」でないのも、考えてみると面白いですね。何で、如去じゃ駄目なんだ?(笑)


 ウウ、考えがまとまらん。


小野不一


 十界が相違を示すとすれば、十如是は共通を示しています。縦に全てを貫く十如是、横には十界互具をもって、


 共通というよりは、一貫といった印象を私は持ってます。また、生命の境涯を縦に貫くのが十界互具で、その境涯の断面図が十如是だと私はいます。


小野不一


 前にも書いたんですが、私がはたと十如是を悟ったのは、ウンコによってでした(笑)。


 幼稚園に行ってた頃、ウンコを踏んだ野郎は仲間外れにされました。これがまた、いかにも踏みそうなヤツに限って、踏んじゃうもんなんですね。私は、そのウンコが持つ負のパワーに恐れを抱いてました。


 で、小学校の時分なんですが、どうしてウンコには長所が一つもないのだろう? せめて、臭いだけでも、いや、色だけでもキレイだったら、ウンコの人生も違ったものになっただろうに、と考えていました。私は小さい頃から、「何で?」が口癖になってましたんで、一度抱いた疑問を手放すことがありません。


 十界互具の理解が進んだ22歳ぐらいの時です。「あ、これが十如是なんだ。ウンコはウンコとして一貫がある。だから、相も、も、体も、力・作・因・縁・果・報も本末究竟して等しく嫌われるのだ」と突然、悟りました(笑)。これは、「プチ・ユリイカ」でしたねー。


 十如是が一貫を示したものであることは理解しているのです。ただ、その十如是の中身に一貫じられないのです。


市丸


 小野さんの解釈が私には近いです。十界を縦、十如是を横と私も考えています。十界互具は、十界という芯柱に絡みつく螺旋(らせん)階段と考えてはどうでしょうか。


 また瞬間は永遠をはらみ、永遠は瞬間の連続である、ということからも、因・縁・果・報の中に時間の経過があるように取れますが、それは一瞬の中に内包されているとするのが、生命論の読み方になるのではないでしょうか。


 十如是でいえば、9ヶの珠を持つ数珠としたら、それを通す紐(ひも)が本末宄竟等です。一個欠けても成り立たない。またそれぞれに違いながら協調している。相から報までが一貫して、違いが無いことではないでしょうか。


 如是相がで、如是が泥棒ではだめです。一貫が無ければいけません。十界も、十界互具も、十如是もすべて生命そのものの表現です。


 そして、各人が個を発揮していく原理が三世間となります。


 三世間がなければ、生命論は理論で終わってしまうのです。世間は差別ですから、個です。


 これが完成した時、一三千論は、偉大な境涯革命の原理となってくるのです。取り敢えずはこの程度でどうでしょうか。


ひたち


 まず、「力」と「作」。「力」は「」、「作」と働けば「相」になるという理解で宜しいでしょうか?


 違うといます。精神力、体力、両方が力ですね。またその影響は、身に及ぶといます。


 次に「因縁果報」。これが題。私は、どうしてもここに“時間の経緯”をじてしまいます。


 ここは重要ですね。まず、因があってもそれだけでは果は生じません。必ず縁が必要です。縁がない因とは、生命に冥伏(みょうぶく)している状態であり、いうなれば空に当たります。縁によって表に顕現したところの因がすなわち果であり、それによってただちに受け取るところの結果が報です。これは例えれば、色受行識の一認識の間に行われる作用といえるでしょう。識に至るまでは果は報としては認識されませんが、色という縁と受行の因によってすでに成立しています。つまり生命に冥伏している状態の結果が果であり、それが顕現したところの結果が報となるといます。これすなわち、一ということであり、縁起の原理を表しています。


 同じ縁から異なる報を受け取ること、ここに生命の不議があるといます。自分の人生は自分しか歩めないものであることがわかります。


 近代西洋科学が不確定原理などといっている遥か先を東洋の哲理は明かしているわけです。できるだけ御書を引用せずに書くつもりでいましたが、以下の一節が索の一助にならないでしょうか。


 此の経の文字は皆悉(ことごと)く生身妙覚の御なり然れども我等は肉眼なれば文字と見るなり、例せば餓鬼は恒河を火と見る人は水と見る天人は甘露と見る水は一なれども果報に随つて別別なり、此の経の文字は盲眼の者は之を見ず、肉眼の者は文字と見る二乗は虚空と見る菩薩は無量の法門と見る、は一一の文字を金色の釈尊と御覧あるべきなり(1025頁)


ひたち


 共通というよりは、一貫といった印象を私は持ってます。


 また、生命の境涯を縦に貫くのが十界互具で、その境涯の断面図が十如是だと私はいます。


 はい、こちらは学会伝統の論理展開ですから、よくわかります。十界から説きだすとそのようになります。ただし、そのように捉えることは、次のことを味しているということです。「任の一界の十如是が一貫を持つ」。


 これでは、各界の十如是は相変わらず断絶したままなので、この場合十如実相は成の原理にはなり得ないのですが、そこを十界互具がカバーするという展開ですね。


 ただし、一三千の依所となるのは、まずは諸法実相です。そしてそれが説かれた理由も明白で、と衆生に本質的な違いがないことを示すためなのです。それには三諦と縁起をもって権経のの特殊を打ち破らねばなりませんでした。結局、成の原理を明かすという目的は同じなのですが、私は十如実相から捉えた方が分かりやすいとっています。すなわち、衆生の生命に界が涌現する原理がそこに示されていると捉えています。その味で、妙楽大師の以下の文はそのような捉え方だといます。


 実相は必ず諸法諸法は必ず十如十如は必ず十界十界は必ず身土(408/510/652/1244/1358/1506頁)


小野不一


「螺旋階段」の例えは、ちょっと違う印象があります。「互具」とは飽くまでも「要素」だとう。「百界」ではなく「十界互具」という考え方。


「数珠の紐」の例えはわかりやすいですね。


小野不一


 違うといます。精神力、体力、両方が力ですね。またその影響は、身に及ぶといます。


「力」は、具体的に「作」として発動しなければ、「」に過ぎないんじゃありませんか? 精神力にしても、体力にしても同様です。


 色受行識の話は興味深いですね。するってえと今度は、因縁果報が五陰世間と関係してくるんでしょうか?


小野不一


 はい、こちらは学会伝統の論理展開ですから、よくわかります。十界から説きだすとそのようになります。


「学会伝統の論理展開」なんですか? 「開目抄」で大聖人は以下のように仰せです――


 一三千は十界互具よりことはじまれり(189頁)


 天台がどのようにして一三千を組み立てたのか、不勉強にして知りませんが、我々は飽くまでも日蓮法の立場から捉えることが大事であるといます。


 ただし、そのようにとらえることは、次のことを味しているということです。「任の一界の十如是が一貫を持つ」


 私が言ってるのはそういうことではありません。「十界互具のどの境涯であっても、十如是としての一貫をもっている」ってことです。


との断絶」が打ち破られたのは、確かに十如是によってですね。舎利弗は、どのように悟ったのでしょう?


小野不一


「一三千」を学ぶために、戸田先生の指導を読み返してます。以下、参考までに――


座談会「生命の不議をめぐって」


昭和31年3『大白蓮華』58号分掲載/『戸田城聖全集 2 質問会編』に所収】


安保●先生、よく「千世界」という言葉を聞きますが、どういうことなのでしょうか。


戸田●それは千如是のことです。


石田(次)●千如是を覚った世界というような……。


戸田●そうです。数ではない、みんな法に関係がある。「万八千の世界」という時には、万という因を立て、八千という果を立てるのだ。法はみんな読み方がある。それをよく読んだのは、やはり天台です。


小平●しかし、大千世界というと、やはり、我々の目に映る世界を漠然と指す場合もあるのでしょうか。


戸田●やはり、一三千というところにあるのではないですか。千世界は千如是。


渡部●五百塵点劫の説明の中の「三千大千世界」というのも、それと同じでしょうか。


戸田●それは、やはり、普通の世界というように見ていますが、我々の目に見え、考えられる世界ということですが、一三千の立場からも十分みている説明です。


ひたち


「力」は、具体的に「作」として発動しなければ、「」に過ぎないんじゃありませんか? 精神力にしても、体力にしても同様です。


 そんなことはないといます。例えば、筋肉、カロリーなど使わずとも目に見えるものはあります。一三千理事には、「如是力は身ととなり」(407頁)と書かれています。


 因縁果報が五陰世間と関係してくるんでしょうか?


 関係してくると考えています。十如是は原理ですが、今度はこの原理を事実の上で働かせる仕組みが必要です。それが五陰だといます。そして衆生世間は、五陰世間から成り立っています。


 また、既に行った引用にありますように、十如是から始まる展開もできるといます。それが天台臭いと考えられておられることはわかります。実際、天台ははじめに十如是を論じたわけで、たしかにそういう側面はじますね。真筆である開目抄観心本尊抄は十界を表にしていることは小野さん御指摘の通りです。


「十界互具のどの境涯であっても、十如是としての一貫をもっている」


 なるほど、これはわたしの捉え違いでした。申しわけありません。ただそれでも、主張するところは余り変わらなくて、各界の十如是の関連が見えにくいとはいませんか。といいますのも、たとえば、人界から餓鬼界、そして菩薩界など、縁に触れて移り変わりゆく原理が、十界互具からは捉えにくいとうのです。


 どのような仕組みで、人界から餓鬼界に変わったのかという時、それを十如是に求めることができるのです。しかしながら、まりんさんが引用して下さったものを読む限りでは、生命変革の原理を十如是に求めることはしいとじます。地獄界の衆生は、あくまで地獄十如是を示すということを述べるに過ぎず、何ゆえ、地獄界が界を涌現できるかという部分には回答を与えていないからです。


ひたち


 舎利弗は、どのように悟ったのでしょう?


 舎利弗は、我が生命に界があることを確信したのだといます。法華経譬喩品冒頭で記される舎利弗の姿と言葉は歓喜と確信に満ちあふれています。踊躍歓喜の姿で、自分は必ず成して、多くの菩薩教化すると決を述べます。釈尊から成の記別を受けるのはその後であり、記別を受ける前に舎利弗は自身の成を確信しているのです。


小野不一


 どのような仕組みで、人界から餓鬼界に変わったのかという時、それを十如是に求めることができるのです。


 なーるほど! こりゃ、大発見! また一つ、賢くなってしまった。


小野不一


 今の私達の理解では、「十界互具」で悟るのが筋って印象が拭えません。どうして、十如是なのか? また、同じように教化されていながら、舎利弗しか悟れなかったのはなぜなのか?


 また、舎利弗は悟りの内容を伝える術(すべ)を持たなかったのか? あるいは、他の聞衆と悟りの内容が異なっていたのか? 一番、最初に悟ったから、死相をもって成を示す必要があったのか?


【→十如是問答 その二