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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2006-03-02

学歴本位になれば学会は崩壊


 戸田先生は、いつも幹部に明言された。

「上に立つ指導者が、無責任であれば、一切が崩れてしまうぞ!」と。

 指導者が大事である。指導者の責任は大きい。

 また、先生は、学会の役職は、あくまで信が根本であり、学歴や社会的立場で決めてはならないと厳命された。

「精神を重要視する宗教界や界が、学歴本位になっていけば、その団体は必ず分裂し、行き詰まり、崩壊するであろう」

 これが戸田先生の遺言であった。


【代表幹部協議会 2005-11-25 創価文化会館


 衛星中継(当初は音による同時中継)が始まってから、大きく変化したことがある。幹部の動きが鈍くなったことと、末端の求道が強くなったことだ。


 それ以前は、ほんの一握りの代表幹部だけが、メイン会場に参加していたため、各地に戻って伝達の会合が次々と開催された。まあ、中には特権識の塊(かたまり)と化して威張っていたのもいたが、殆どの幹部は、真剣勝負で指導を如是我聞し、伝えていた。


 広布第一章、第二章において、“大幹部”とは支部長以上を指した。力も経験も豊富だった。友人を連れてゆけば折伏は決まったし、悩める後輩を伴ってゆけば解決できた。闘争の具体的な焦点は、“幹部に会わせること”だった。


 果たして、今はどうだろう。まともな幹部を捜すのに四苦八苦している人が多いんじゃないか? まるで、爪上の土のような……(笑)。


 組織内部の転換点となったのは、第二次宗門問題だった。学会は、衣の権威と決別した。ここから、2年以上にわたって本尊流布の戦いがストップしたのである。当時、繰り広げられた“会友運動”の味は大きかった。だが、この期間で幹部がふるいに掛けられたのも確かだった。


 便宜的な処置として、個人折伏をしてない者の部幹部登用が認められた。そして、この頃から、所謂(いわゆる)、“力あるリーダー”よりも、“企画力、調整力のある人物”が重視されるようになった。


 これが、現在に至るまで根を下ろしていると私はう。


 あの頃から、男子部の最高幹部が、創大・東大・早稲田で占められるようになった。学生部のつながりが、そのまま男子部へと引き継がれ、壮年幹部になっている。


 現実に、“親のエゴ”で創大に送り込まれている子も見受けられる。また、その一方で、“学会本部への就職”を狙って創大に入学し、学生自治会のメンバーになるのもいるんだってさ。これじゃ、「東大→官僚」コースと一緒だよ。本部が“安定した就職先”となってしまえば、お先真っ暗だ。


 中には、創価小→創価中→創価高→創大→職員なんてコースを歩んでるのもいるが、こんな純粋培養の世界で育ってきた人物は、三類の強敵なんか知らないんじゃないか?


 その昔、ある男子部最高幹部が語った。「人事とは、99パーセントの人脈と1パーセントの御(ごぶっち)である」と。何らかの揶揄(やゆ)が込められていたとはうが、こうした現実があればこそ、笑える話なのだ。


 総区長以上の正役職が、本部職員で占められているのも、甚(はなは)だ疑問だ。「僧侶の次は、職員だ」と予するは多い。


 そして、またぞろ驚くべき事実を私は発見してしまった(笑)。何と、幹部カードに記載する「本尊流布世帯数」に、御守り御本尊をカウントしていいことになっていたのだ。こうなると、折伏の弱い幹部に対する救済措置にしか見えないね(笑)。


 御守り御本尊の授与を軽視するつもりは毛頭ない。様々な事情で、どうしても御形木御本尊を安置できない方もいよう。しかし、御守りが成果として認められれば、戦いがそこで止まってしまうことを私は恐れるのだ。


 我々が目指しているのは“化儀の広宣流布”である。御本尊を安置するという形式を弘めるのが使命だ。だからこそ、学会は世帯数でカウントしているのだ。つまり、御守り御本尊を、どれほど多くの人に授与しようとも、世帯数は増えない。


 私が若い頃なんぞは、入決ですら「成果じゃない」と断言されたものだ。「いいか、お前。入決をいくつ取ったら広宣流布できるんだ?」と、阿修羅の様相を呈した先輩の顔が鼻の先にあった(笑)。そうやって、広布の厳しさを教えてもらい、安易な姿勢を打ち破ってくれた


 本当に大変だった。だが、今となってみれば、厳しき薫陶に涙をもって謝するのみである。

真面目な人が最後は勝つ


 幹部となり、多忙になったとしても、信仰者としての基本を忘れてはならない。

 ともあれ、人生は「真面目(まじめ)」に徹することだ。

 立場や誉を得て、いい気になったり、真面目にやっているふりをして、隠れて動いてみたり──そうした生き方は、いつしか実像があらわになり、失敗に終わるものだ。

 広宣流布の活動を怠れば、人生の最後に必ず後悔する。子孫もしむ。

 反対に、真面目に広布に励んだ人は、堂々たる勝利の姿で人生を飾り、その功徳は、一家一族、子孫末代をも潤していく。

真面目な人が最後は勝つ」──これが人生の鉄則であり、数多くの人間模様を見てきた私の結論である。


【第2総東京最高協議会 2005-11-18 東京牧口記会館


 何度も何度も繰り返されている指導。不真面目な人物は絶対に長続きしない。学会は、それほど甘くはないよ。


 まず、挙げられるのは、祈りなき人、祈り弱き人、祈り形式の人だ。次に、出たり出なかったりして平然としている人。いざという時に、正体不明の人も同様。


 続いて中級編(笑)。


 折伏をしない人。成果主義官僚主義権威主義の幹部。組織利用の人。活動の選(え)り好みをしている人。呼ばれた時しか入らない担当幹部。我見・増上慢利・怨嫉の人。


 そして、上級編(笑)。


 勉強しない人、指導を受けない人。家庭指導をしない人。後輩の面倒をみていない人。会員の悩みを引き受けていない幹部。見や質問を大事にしない先輩。そして、見や質問がありながら、沈黙を保っている会員だ。


 活動するのに努力を必要としているようなレベルじゃ、まだまだですな。打ち出しに辟易(へきえき)している内も、甘いね(笑)。


 当たり前のように猛然と祈り、決然と広宣流布にいそしむ人が、“普通の学会員”だ。