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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2006-03-11

沈黙は悪


 更にいくつか、先人の箴言を紹介したい。

 スウェーデンの作家ストリンドベリは、「ひどい目にあわされた方が黙っていると、悪漢の方が正しいことになってしまうのである」と述べている。

 だから戦うのである。ひどい目にあった場合、断じて黙っていてはならない。学会もこの精神である。大聖人の教えとも共鳴する。

 古代ローマの哲学者セネカは、「悪徳はすべて、それが起ったときに押し潰してしまわないと、その根を深く下ろします」と指摘した。

 ゆえに、悪徳と戦い、その根を切らねばならない。

法は勝負」との私たちの姿勢にも通じる。人生において幸福になるのも、正義を証明するにも、勝負である。

 同じく古代ローマの詩人ウェルギリウスの詩句には、「力があるとうゆえに力が出る」との一節がある。

 その通りだとう。ましてや、私たちは最高の妙法を持っている。

“私は題目をあげているんだ、自分には力があるんだ!”とい、行動することである。

“私は駄目だ。あまり話も上手くないし、折伏の力も弱い”とうことがあるかも知れないが、そうではない。

「私は勝てる! 私には力がある!」と確信して進むところにこそ、勝利が輝く。

 とりわけ、青年が自信を持って、自分の無限の力を信じ、発揮していくことだ。牧口先生も、このことを生涯を通して訴えられた。


【第55回本部幹部会 2005-12-08 東京牧口記会館


 組織の内外にわたって通じる指導。内部にも通じるところが最大の問題(笑)。


 先日行われた第58回本部幹部会2006年39日)は、学会の歴史にとどまらず、法史をも画するものだった。人類史にあって、今という時代がどのような味を持つのか――それは、数百年、数千年を経なければ、理解されないのかも知れない。


 ここで私から質問を。「あなたは、ひどい目にあった人を、何人知ってますか?」。


 この答えに、指導者の真価があるのだ。誠実にを傾ける人、広布を成し遂げんとの情熱あふれる人、打てば響く果断の人、そして、権威に屈することなく後輩を守る人。このようなリーダーであれば、あらゆる人々がを開き、指導を求め、それに応えようとするだろう。


 昨年の暮れ頃から、「常懐悲(じょうえひかん) 遂醒悟(しんずいしょうご)」《常に悲を懐(いだ)けばは遂に醒悟せり》という語が頭から離れなくなった。寿量品で説かれる良医病子の譬えの件(くだり)に出てくる言葉だ。良医である父が留守の時に、誤って子供達が毒を飲んでしまう。毒気が深く入ってしまった子供は、父が勧める薬を拒む。その後、父親は一計を案じて、他国から「父死す」との訃報を子供達に伝える。悲しみに悶(もだ)えながらも、が遂に目覚め、色香味美の良薬を服した。子供達の健康を知った父親は、再びに家に帰ってきた。


 寿量品長行の自我偈の直前にある経文だ。


 人は多かれ少なかれ、悲しみ、しみを抱いて生きている。は抜与楽のために、あらゆる方便力を現ずる。そうであれば、法のリーダーは、何にもまして、他者の悲に寄り添い、同する姿勢が求められよう。


「友の悩を、どれだけ引き受けることができるか」――この一点で幹部同士は競うべきだ。地涌の菩薩が威厳に満ちて、素晴らしい姿を示したのは、民衆を守る力があったからだと私は考える。


 今こそ、会員のを代弁せよ! 黙った分だけ、組織は腐ってゆく。