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2006-03-24

発想の転換が新時代の突破口を開く


 大航海時代以前、実はヨーロッパは、世界の中でも閉鎖的な地域であり、さほど豊かでもなかった。

それに対し、アラブ世界をはじめ、アジアの方がよほど学問も進み、豊かでもあった。

 当時、東洋はヨーロッパ人にとって、いわば憧れの地であった。そのロマンの大地との交流は、東西を細々と結ぶシルクロードによって、辛うじて保たれていた。が、14世紀にはチムール帝国の興隆によって、シルクロードは閉ざされ、交通は遮断された。

 東洋との交渉の停止。それは、ヨーロッパ世界の行き詰まりをも味した。

この時、発を転換し、新たな東洋への道を開こうとした国があった。――“陸”がダメなら“海”がある。東洋への“海の道”を開拓すればよい。必ずや、その新たな道を開いてみせる――と。こうした新時代の突破口を開いたのは、ポルトガルであった。

 これも一つの「知恵」の力である。「発」の勝利といってもよい。歴史の「挑戦」への立派な「応戦」であった。

 豊かな「知恵」と「発」。いつの時代も、これを持つ者が次々と境を開き、勝ち越えてゆく。まして妙法は、限りない「知恵」と「発」の源泉である。ゆえに、私どもに打開できない境はないし、どこまでいっても行き詰まりがないことを確信されたい。


第20回本部幹部会 1989-08-17 長野研修道場


 つまり、“坊主”が駄目なら“友人葬”があるってこと(笑)。


 くれぐれも間違いのないように書いておくが、創価学会は“坊主と手を切った”わけではない。一方的に破門されたのである。まあ、我々の気としては、“手を切った”でもいいんだが、これじゃあ、外部の方が誤解してしまう恐れがある。結果的には、“癌”が摘出されたような格好になったけどね(笑)。


 坊主と袂(たもと)を分かち、真っ先に問題となったのは、御本尊下付と葬儀法要だった。学会は、これを会友(校友)運動と友人葬で乗り切った。不議なことに、バブルが弾けた後、新たな葬儀のあり方が社会的にも見直されるようになった。生前葬や音楽葬、はたまた、散骨など、故人の志に基づいて自由に行う風潮が高まった。ありきたりの儀式を嫌ったといってもよいだろう。


 その先駆を切ったのが、学会の友人葬だった。普段、話したこともない、見知らぬ坊主に読経してもらうぐらいなら、地域でお世話になった先輩にやってもらった方が、断然いいよね。また、学会の場合、大半の参列者が読経・唱題に和するので、何といってもがこもっている。実際、友人葬に参加して、学会への理解を深め、入会に至った方も少なくない。


 何かあるたびに、「困った、困った」を連発するような人は、発の転換がしい。いかなる困があろうとも、「何とかしよう」と前向きに進む姿勢があって、初めて発は転換する。「押しても駄目なら、引いてみな」という柔軟さが求められよう。


 振り返れば、“伝統の2”の淵源となった昭和27年の蒲田支部での闘争において、「組(現在のブロック)」に光を当てたことも、“発の転換”といえよう。更に、軍楽隊(現在の音楽隊)の結成や、体育大会(後の文化祭)など、いずれも“発の転換”をもって、若き先生が牽引(けんいん)してきたのが学会の歴史であった。


 発の貧しい者は、新時代のリーダーたり得ない。

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