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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2006-03-26

見知らぬ世界に心を開き、人の言葉に耳を傾ける人は強い


 エンリケ航海王子は、ポルトガルの国王ジョアン1世の三男である。若くして(21歳)、北アフリカイスラム世界に触れ、世界の広大さ、そして新時代の足音を確かにじつつ、つかみとっていた。そして“よし、東方への大いなる道を開き、大ポルトガルをつくろう”と決してゆく。

 ――見知らぬ世界にを開き、人の言葉にを傾ける人は強い。その人は常に若々しく成長と進歩の道を歩んでいける。

 反対に、“自分は人の見を聞く必要はない”“今の自分で十分である”と、偉ぶるようになれば、もう人間としての向上はないし、輝きもない。


 大ポルトガル建設の大志を抱いた王子は、まず、華やかな宮廷生活を捨てた。

 彼には王子の立場に安住し、栄華と安逸の日々を過ごすことも可能であったかもしれない。しかし彼は、決然と宮廷を離れ、目的の達成に向かった。いかなる快楽や栄華も、所詮、空(むな)しい幻に過ぎないことを、青年の目は鋭く見抜いていた。


第20回本部幹部会 1989-08-17 長野研修道場


 瞼(まぶた)を閉じれば、人は前へ進めない。瞳が曇っていれば、スピードは出せない。目は見開いていても、その先に何を見つめるか――そこに、・信条・人生観が現れる。


 個人指導や折伏現場で、「それは違う」「いや、そうじゃない」を連発する人が、たまにいる。これは対話になってない証拠だ。自分の話を一方的に相手に押しつける格好になっている。対話とは、相手の話を一旦、自分の中に受け容れる作である。「確かに、そうだよね」「ああ、そうかも知れないね」と同するのが先だ。相手を見下す視線が、理解と納得を妨げる。


 悩みを抱えている場合、先輩に話すこと自体が勇気を必要とする。を決して赤裸々に語った後で後輩が望むのは、“理屈”ではないのだ。私自身、何度も経験しているが、先輩が真剣な面持ちで、振り絞るように発した「そうか」の一言で、どれほど救われたか知れない。を寄せてもらった瞬間から、沸々(ふつふつ)と闘志が湧いてくる。


 まことのみちは世間の事法にて候、金光明経には「若し深く世法を識らば即ち是れ法なり」ととかれ涅槃経には「一切世間の外道の経書は皆是れ説にして外道の説に非ず」と仰せられて候を妙楽大師は法華経の第六の巻の「一切世間の治生産は皆実相と相い違背せず」との経文に引き合せてをあらわされて候には彼れ彼れの二経は深の経経なれども彼の経経はいまだあさくして法華経に及ばざれば世間の法を法に依せてしらせて候、法華経はしからずやがて世間の法が法の全体と釈せられて候(1597頁)


 法即社会なれば、学会でしか通用しない人材などあり得ない。学会員からしか相談を受けない副会長と、多くの友人や後輩から悩み事を打ち明けられる白ゆり長と、果たしてどちらが立派なリーダーか?


 教学が進んでくると、おのずと様々な知識や教養の幅が身についてくる。それは、生命の根本法則を知ることによて、興味の対象がどんどん広がり、何に対しても“面白い”とじる精神が養われるからだとう。


「100年に匹敵するこの5年」で一番大切なことは、本物の自分自身をつくり上げることであろう。されば、学ぶことを避け、自らの内側に哲学の柱を築かない人物は、必ず淘汰されてゆく。組織を頼り、依存している人も堕ちてゆく。一人、求道を燃やし、行学の実践に取り組むリーダーのみが生き残る時代に入った。

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