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2006-04-17

爪上の土


 御書全集の中で、大聖人は23ページにわたって「爪上の土(そうじょうのど)」と書かれている。


 以下、検索結果――

 では、代表的な御文を。


 第一に受けき人身値い法なることを明さば、涅槃経三十三に云く「爾の時に世尊・地の少土を取つて之を爪上に置き迦葉に告げて言く、是の土多きや十方世界の地土多きや、迦葉菩薩に白(もう)して言く、世尊・爪上の土十方所有の土に比べず善男子・人有り身を捨てて還つて人身を得・三悪の身を捨てて人身を受くることを得・諸根完く具して中国に生れ正信を具足して能く道を修習し道を修習し已つて能く正道を修し正道を修し已つて能く解脱を得・解脱を得已つて能く涅槃に入るは爪上の土の如く、人身を捨て已つて三悪の身を得・三悪の身を捨てて三悪の身を得・諸根具せずして辺地に生じ邪倒の見を信じ邪道を修習し解脱常楽の涅槃を得ざるは十方界の所有の地土の如し」[已上経文]此の文は多く法門を集めて一具と為せり人身を捨てて還つて人身を受くるは爪上の土の如し人身を捨てて三悪道に堕るは十方の土の如し三悪の身を捨てて人身を受くるは爪上の土の如く三悪の身を捨てて三悪の身を得るは十方の土の如し人身を受くるは十方の土の如く人身を受けて六根欠けざるは爪上の土の如し人身を受けて六根を欠けざれども辺地に生ずるは十方の土の如く中国に生ずるは爪上の土の如し中国に生ずるは十方の土の如く法に値うは爪上の土の如し、又云く「一闡提と作らず善根を断ぜず是の如き等の涅槃の経典を信ずるは爪上の土の如し乃至・一闡提と作りて諸の善根を断じ是の経を信ぜざる者は十方界所有の地土の如し」[已上経文]此の文の如くんば法華涅槃を信ぜずして一闡提と作るは十方の土の如く法華涅槃を信ずるは爪上の土の如し・此の経文を見て弥涙押えし今日本国の諸人を見聞するに多分は権教を行ず設い身口は実教を行ずと雖もには亦権教を存ず。(63頁)


 講義録がないため適当な解説になるが、お許し願いたい。

  • 三悪道の身を捨て、善を修することによって人間として生まれてくることは爪上の土の如し。
  • 五体満足、あるいは覚器官が正常な状態で生まれてくるのは爪上の土の如し。
  • 法の中国に生まれるのは爪上の土の如し。
  • 法に巡り会うのは爪上の土の如し。
  • 法を信ずることは爪上の土の如し。

 このように五重の段階で、前者を「十方の土」として掘り下げている。それぞれの段階に深い味があることは言うまでもない。絶対的幸福への段階を説かれているようにもじる。


 更に大聖人は、もう一重踏み込まれて、「身はをちねどもをち」(1180頁)るケースを示されている。


 また、こういう御聖訓もある。


 而るに末代悪世には悪知識は大地微塵よりもをほく善知識爪上の土よりもすくなし(1468頁)


 道修行を全うすることが、どれほど困なことかが理解できよう。学会に入ったからといって、安することなかれ(笑)。この御文にある通り、善知識は確かに少ない。巷(ちまた)では絶滅の危機が囁かれている(笑)。


 でもね、求道を赤々と燃やせば必ず見つかる。信感応妙だから、全部、自分の側で決まる。本物のリーダーは少ないが、確かにいる。その善知識を手繰(たぐ)り寄せて、広布と信と師弟の何たるかを学ばなければ、自分が損をする。向こうからやって来るのを待ってはいけない。それでは、サンタクロースや白馬の王子様と変わりがないからだ。


 善知識とは端的にいえば、「彼が為に悪を除く」人の異である。


 結論するに、偉大なる師匠と巡り会ったこと自体が爪上の土である。これほどの福運はない。後は、師の指導を実践し、師をどこまで宣揚できるかが、我々に課せられた使命である。

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